「?」
ドアノブがやけに冷たかった。まるで冬みたいな冷たさだ。捻って押し開けると、薄暗がりの室内が静かに目に入ってくる。カーテン越しに差し込む日差しが柔らかく届いていて、それだけなら暖かなのに、物がないものだからどうしても寂しそうに映る部屋だ。持ってきた小さな箒を手に敷居を跨ぐ。机の方に行き、在りもしない埃を掃いて取ろうとして……気付いた。机上が見えない。インク壺とペンが置かれている無機質な机上が。
なんで?
首を傾げようとして、出来なかった。さっきは机上ではなく引き出しが見えていたのに、今は床が見えた。可笑しい、と気づいたとき、手遅れだと気づいた。ドアオブは正しく今の季節の冷たさだった。キッチンもきっとそこまで熱くなかった。熱いのは僕だ。体中が熱い。節々に至るまで、痛みを発するくらいに熱くなっている。それから重い。指先ひとつ伸ばすだけで苦労する。
こんなことには慣れていたので立ち上がれた。真っすぐ立とうとは思わない。どうせふらふら揺れて横か前か後ろかに倒れる。手を伸ばして指の腹で壁を探して、触れたとたんに全身を押し付ける。そうして倒れ込むのを堪えた。足と膝を引きずって部屋を出る。この部屋で倒れるのはまずい。駄目な部屋だ。自分の部屋に行かないと。自分の部屋。どこだったっけ。
一度締めた扉を掻き引くように開けて外に出る。床についた頬が毛の長い絨毯に撫でられて心地よかった。瞼を瞑りたくなるのを堪えて、腕で押しのけて起き上がる。もう前も横もわからなくって、宙に体を置いておけそうになかったので、壁に肩を押し付けて歩く。階段の下の部屋。あそこにならタオルも寝具もベッドもある。早くいかないと。隠れないと。怒られる。
「サフィール」
見つかった。
「にいさん」
兄さん。兄さんは怒らないけど、兄さんに見つかるのが一番いけない。役立たずだと思われる、かも。役立たずなんかじゃない。薬なんかに負けない。何を飲んでも熱なんか出さない。出してもどうにかできる。直ぐに治る。貴方の弟はちゃんとできるから、だから
「にいさん?」
兄さんだろうか? 不思議に思った。あの人は僕を、サフィールって呼ばない。
「サフィール」
視界がまた床になる。頬をもう一度柔らかな絨毯が撫でる。不思議にとらわれて体に回していた意識がなくなったからだ。僕を呼ぶ声が聞こえる。ずっと昔になくしたのに忘れられなかった名前を呼んでくれてる。
誰だろう