白いシャツが似合う人だった。だからその下にある青黒い痕がよく映えていた。
「ムードがないね」
いきなり服を剥かれたあの人は、切り傷を伴った痣を腹に晒したまま、慣れたふうに微笑んでいた。
「相変わらずだ」
少しずつ可笑しいと気付いた。最初は記憶が飛ぶ夜が続くこと。その夜の後はいつも決まって部屋にいると気付いたこと。それからあの人の様子。僕が記憶を飛ばして、自室のベッドで目を覚ました日。あの人はいつも決まって悪い顔色をしていた。この荘園には肌も何もかも髪だって白いやつもいて、片目の上に青痣を引っ付けてる奴もいる。試合が終わった後は大抵悪いもので、それを次の日に持ち越す奴だって稀じゃない。でも僕は、あの人の肌色だけはよく覚えていたから。だからあの人の、海に輝る太陽に焼かれた方がもっと似合うだろう肌が、部屋に篭っているからいつまでも白い肌が、首元辺りに宝石みたいな鱗が浮き出ている綺麗な肌が、その日だけ決まって悪いことにも気付いた。で、何でだろうと考えた。ハンターの中に苦手な奴がいるのか、それとも薬でもやり始めたか。規則性を見出そうとして、見つけられたものが僕の記憶の欠落と目覚めのことだった。それまでは、酒に溺れて酔いに感けたのだろうと思った。安酒には慣れているけど、それなりの品にこの体はちっとも慣れていない。だから食堂だとか談話室だとかに集まって飲んだ後は記憶が朧げなときも稀にあって、その程度がひどいんだろうと思っていた。でも思えば、僕は記憶が霞むことはあっても、飛ぶくらいに酷い酔い方をしたことなんてなかった。そんな無警戒な真似はするはずがなかった。じゃあなんで記憶が飛んでるのか。僕の体がおかしくなったのか。それがどうしてあの人の青い顔色に繋がるのか。色々考えて、僕は、体に埋まった石ころのことを思い出す。
「笑いたかったから」狩人の一面も持つ道化男に、いつだったか聞いたことがあった。何で君は泣いていて、じゃあなんで奴は笑っているのか。「箍が外れてるんだと思う。彼は僕であって僕じゃないから、たぶんだけど」
僕の中に埋まる石ころは、僕の心臓と一緒に脈打っている。あの人の肌色にすら気づくくらいに熱い僕の心臓と、一緒に。
「なんで」
気づいて、僕は、あの人の部屋に行った。あの人は気安く扉を開いたから、僕は中に入って、すぐに鍵を閉めた。あの人をベッドに押し倒して、服に手をかけた。サスペンダー付きのスラックスに入るシャツの裾を引き抜いて、剝くように腹を晒した。シャツの下には見慣れた美しい白い肌があって、美しい肌には傷と痣があった。ぶつかっただとか、そういう痕じゃない。何かに掴まれた後だ。例えば石の手とかに両側の脇腹を掴んで揺すられたような、そんな跡。
「どうして」
僕はそれしか言えなかった。それだけが、僕ができる目一杯だった。理解できた。このひどい跡をつけたのは僕だと、疑いようもなく納得できる。だから僕にはあるのは愕然と怒りと嫉妬と満足と渇望で、全部がぐちゃぐちゃになって上手く外に吐き出せなかった。こんな僕をとっくの前に知ったらしいあの人は、琥珀色の目を細めて、微笑むみたいにして僕を見ていた。
「疑問に気づいた際、問い掛けを投げかけるのは良い行動だ。無知の勝利と言っていい」
「抵抗しろよ」
思わず、襟を掴んで言った。脅されるみたいなのに、暴かれる前のようだのに、あの人はやっぱり慣れたふうに微笑んだまま僕を見る。
「ご自慢の鱗は……アンタが、アンタが泣いて怒鳴れば、"僕"は」
僕は、何も言えなかった。果たして"僕"がそうされて止まれたかどうかは怪しい。箍が外れるのなら、僕は欲しいものを絶対に手放さない。今もあの人の酷い傷跡を見てあんまりに嫉妬している。だって許してくれるなら、そんな顔で笑うなら、傷だって僕がつけたかった。
「生命の神秘を見つめる者として、敬意を持って言うならば、そうだな」
あの人はいつものような口ぶりで言う。知的で、賢くて、僕の口からはひっくり返しても出てこない言葉。なのに僕を嘲らない、僕を馬鹿にしない綺麗な言葉。代わりに、僕に何の同情もしない言葉。この人は知的で賢くて、だから普通の人間が見つけないものを見つけて、夢みたいに輝くそれを贈り物だと囁いてずっと見つめている。あの人にとってそれ以外はどうだってよくて、だから嘲りもしないし同情もしない。僕はその無関心に救われて、その無情に苦しめられた。差別も嘲もなく知恵を授けてくれたあの人が好きで、僕のことを少しも夢の勘定に入れてくれないあの人が憎かった。
「例え神が君を許さなくても、荘園にいる全ての人間が君を恐れても、私だけは君を許してやれる」
いつも夢を見つめていたあの人の目。琥珀の目が僕を見つめる。見詰められている。
まるで愛しいものを見るみたいに。
「君は美しい」