煽り、というものは相手のことをよく知った上で行われなければ煽りにはなり得ない。
例えば「兎さんのように可愛らしい走り方ですね」と言って、「はぁ。私は事実兎ですので…」と返されたらただの間抜けである。兎も今の事実確認はなんだったのかと怪訝な心持ちで巣穴に戻ることだろう。兎に心があるかは知らないが。
つまり何が言いたいのかというと、
「こんな時にお前のことを心配してくれる心優しいやつが一人でもいればなァ!!」
そういうことだ。
人相が悪いという言葉は己のためにあるのだと言わんばかりの見知らぬ男は、吐き捨てるように、そして嬉しそうにそうにタイラーに言い放った。曰く、以前クエストを共にした際のタイラーの態度が心底気に入らなかったとか。それ以降仲間内でその時のことを弄られるわ、女にフラれるわ、出かける時にはいつも雨が降るわで散々らしい。正直タイラーの記憶に残ってないし、半分は言い掛かりだ。
というか、若い頃はもっと性格がひん曲がっていて人間関係が拗れに拗れていたので詐称や暴力沙汰が常だったのだ。態度が悪いことなどさしたる問題ではなかった。生を謳歌するために、あるいは快楽を得るために一番頭を使っていた年頃だった。
目の前の男のくだらない恨みの種は数十年の時を経て二人を巡り合わせ、目標が一人になったところを襲わせ、拉致へと至らせたらしい。無論、手練れのハンターである被害者はこの見知らぬ男が付け回っていることには気付いていたし、後ろ手で結ばれている縄の拙さを突けば今すぐにでも目の前の男の頬面に一発入れるのは容易いことだった。が、なんか今日はもう無理だったのだ。
なんか、あるだろう。朝起きたはいいがな~んか今日は無理な日だとか、すべきことはあるのにな~んかやる気が起きないだとか。大体そのような時は理由がよく分からず、後になって腹が減ってただけだと気付いたりするものだが、今のタイラーには明確に理由があって「今日はもう無理」なのだ。
拉致される直前までタイラーは無邪気な犬と共に、水没林で狩りをしていた。クエスト内容こそ大したものではなかったが、肌にまとわりつく湿気は雪国出身のハンターにとって嫌悪の対象でありそれこそが「な~んかもう無理」の精神状態を作り出していた。肉体の疲労というより精神の疲労だ。
そんなタイラーの覇気のない様子を見た男が餞別だと言って煙草を口に咥えさせてくる。火が燻り煙が立ち上ったところで、見知らぬ男は意気揚々と説明しだした。
「もう少ししたらここにケルビが来る。そしたらそいつらを狙ってアオアシラがやって来るよう仕掛けた。少しでも長くそいつが吸えるよう、神様に祈るこったなクソ野郎」
「……」
男がそう言い終わるや否や、草食獣らしき複数の足音と木を薙ぎ倒すような大きな音が森に響き渡る。
「は、はは!来たぞ!!」
男は随分と興奮した様子で立ち上がり、音のなる方から距離を取る。
「……なぁ、一つ良いことを教えてやろうか」
「な、なんだこの後に及んで!今更弁解なんかしたところで…」
人相の悪い男がタイラーの方に顔を向ける。どちらが仕掛け人なのか疑ってしまうほどタイラーは落ち着いていたし、人相の悪い男は落ち着きに欠けていた。
「随分前に煙草はやめたんだ」
さて、冒頭の発言に話を戻すが目の前の男は怨敵に夢中で同行者もとい、無邪気な犬の様子など気にかけていなかったのだろう。
鼻が利く…かは知らないが、脚が特別速く勘も悪くはない。そして何より隣を歩いていた存在が突然姿を消したとなればすぐさま探しに来るだろうことは、少し見れば察しがつく。慌てふためくようなかわいらしい精神の持ち主に見えていたのだとしたら、あまりにもハンターとして目が肥えてなさ過ぎる。
男が「何を、」と呟いたが轟音でかき消された。
ケルビとアオアシラが木々を割って現れると同時に、一閃。
稲妻が走ったのかと見間違うほど瞬く間に太刀筋が巨躯を引き裂くと、刀の持ち主が男達の前に華麗に着地する。逃げ惑っていたケルビ達はこれ幸いとばかりに四方八方へと散っていった。青い毛並みの犬はこちらに背を向け、アオアシラが完全に動きを止めるまでいつでも抜刀できるよう太刀は構えたままだ。息の根が完全に止まったことを確認すると、くるりと二人の男の方へ向き直る。
「た、タイラーさんいたぁ」
よ、よかった~、急にいなくなったので私また人の話を聞き逃してたのかと…。そう言って煙草を咥えたままのタイラーに駆け寄っていく少女を見て男は体温がじわじわ失われていくのを感じていた。先ほどまでは憎き黒髪の男が手中にあると、そう確信していたのに。今では自身の方がまな板の上に置かれた魚だ。鮮やかな海色の髪と控えめの体躯、そして右目にある三本の傷跡は最近酒場で噂が尽きない「英雄」と特徴が一致している。
ショウは手首を縛られているタイラーと同じように地面に座り何事もなかったように会話を続ける。「煙草だ。吸ってるところ初めて見ました」「吸ってみる?」「え、えぇー……吸っ、…いや止めておきます」「そう」「ちなみにどうして縛られているんですか?」タイラーは質問には答えず、呆然と立ち尽くしている男の方を顎で示した。ショウは縄を剥ぎ取り用のナイフで切りながら視線を見知らぬ男へ移す。
「俺と仲良くなりたいらしい」
「?」
「………………」
そんな訳あるか。と言えたら良かったが男は第三者に悪事が目撃されたことに怯え切っていて声が出せない様子だった。随分と素行の悪そうな見た目だが本当に見掛けだけだったらしい。
「え、えー…っと…………」
「……」
最悪のバトンをパスされた男と人見知りの少女は双方出方を伺っており空気が最悪で最高だったので、タイラーは煙草の灰を地面に落とし再び毒煙を肺に収めた。
「…………」
「…………」
長い沈黙が続いた後、ようやくショウが口を開く。
「え、えと…きょ、今日の晩御飯は猪肉のシチュー…なので…………あの」
少しだけ少女の目が泳ぐ。人懐こい性格ではあるが流石に初対面の人間とにこやかに話すのはハードルが高いらしい。
「よければ、一緒に食べませんか?」
「食うわけねーーーーだろッ!!!!!!!!!」
男は思わずでかい声で突っ込んだ。突っ込まざるを得なかった。
突然の大声にひっくり返りそうになったショウは、投げ出されたままだったタイラーの長い足で雑に支えられ「ヒャイ…」とか細い声でなんとか返事をした。
「なんだそれくらい食っていけばいいのに」
タイラーは掌で煙草を握りつぶし火を消すと、放心状態となっているショウの腹に腕を回し持ち上げる。
「それじゃ、用が済んだならこれで」
「は、?」
ギルドからハンター資格の剥奪、人間に対してモンスターを仕向ける問題行動の非難と今後の処分、やろうと思えばいくらでも悪い想像ができてしまうのだろう。タイラーという人間にさえ出会わなければこんなつまらないことで問題を起こしてしまうような人間ではなかったのかもしれない。
もちろん「くだらない」と思っているのは他者から見てであって、本人からしたらアイデンティテーや誇りを軽視されたと感じている可能性が大いにある。
「ショウ、テントに薪残ってた?」
「あェ……なんか多分ありました…たぶん…」
「じゃあ残ってないね」
タイラーは名前すら知らない男の横を通り過ぎ、陽が落ち始めた森をスタスタと歩いてゆく。はぁ疲れた。それくらいのトーンでさっきまでの出来事を処理してキャンプへの道を辿る。
その場には討伐されたアオアシラと、いつまでもポカンとした男が残っただけだった。
ちなみに晩御飯のシチューは会心の出来だったので、ショウは見知らぬ男に対して「もう少し根気強く誘えばよかったかもしれない」と思ったとか。