花が咲くのが先か、種が先か「拾った犬の面倒でも見て、足りてない良心でも養うことだね」
「いいね。タイラー」
そう威圧するように目の前の女性が自分の隣にいる青年に言い放ったことで、ショウの抱いていた疑問が確信に変わってしまった。タイラー。タイラーって言った!確かに印象的な顔の傷跡は自分が知っているものと同じであったが、現実ではそんな不可思議なことは起こり得ないので他人の空似だと脳に言い聞かせていた。まさか他人ではなく本人だとは。
だとしたら自分は何で、なんでこんな摩訶不思議なことが?と別の疑問がポコポコ頭に浮かんだが、隣の青年(正確な年齢は分からないので普段と比べて青年と言ってるだけだ。もしかしたら青年という歳ではないかもしれない)が「イエスマム」とお利口に答えたことで目の前の女性が自分の方に向いたので、この疑問達は一旦頭の片隅へと帰宅させることにした。
「お前もだよチビ助。私は面倒事が嫌いなんだ」
分かるね?と、子どもに言い聞かせる親のような口調で少し威圧的に、それでいて優しい視線をこちらに向ける。女性はショウから目を逸らす事なく「返事」とだけ短く言った。
「い、いえすまむ!」
この返答の意味や意図はよく知らないが、とりあえず右に習えの精神で答える。訓練中のガルクみたいだなと思ったが、「良い子だ」と言ってもらえたので強ち間違っていない気がする。この女性の瞳には人を惹きつける力があるように感じた。頼み事なんてされた日にはしっかりこなすからたくさん褒めて、捨てないで、と思わせる魔力があるようだった。…ただしショウは年上のクールな女性にめっぽう弱い気質なので、あくまで「ショウはそう感じた」というだけに過ぎない。他の人間なら全く別のことを感じる可能性が大いにある。現に隣にいる青年は一ミリも遜った態度を見せてない。なんなら煙草らしきものを咥え初めてしまった。気の置けない仲なんだな、と思った。
ハンター向けの討伐クエストを二つほどこなしたら報告に来ることを条件に、随分大きなシャツにコート、襟巻きを借りることになった。「最近ガキが死んでいないからチビ助の体格に合う服は無いね」と物騒なことをさらりと言い放ったので、ショウは戦々恐々と服を受け取った。ありがとうございますと言ったと思うけど、声になっていたかは正直分からない。じゃあこの服がピッタリ似合う人間は最近亡くなったんですか。
「ババアに気に入られるとはとんだ誤算だったな」
建物から出ると雪がしんしんと降り続いていた。時間としては昼を少し過ぎた頃だと思うが、空は雲に覆われていて静かだった。もう寒くないぞと思いながらドアを閉めて雪道を踏んだショウにタイラー青年はこぼす。
「とても親切な方でした」
「一年に一度あるかないかの親切さだ。困ったな。俺がやらかした時にそれを引き出そうと目論んでいたのに」
タイラーと呼ばれていた青年は全く困っているそぶりを見せず、ショウの前をスタスタと歩いていく。ショウは足元を見ながらそれについて行った。雪の道は人が歩いた跡で固まっていて歩きにくかったのもあるが、それ以上に周囲の人間がやたらめったらこちらの見てくるので緊張してしまったのが原因だ。
「あの」
「何?」
「この服、実はとっても大切なものなんでしょうか」
「そう見えるほど貧相な場所から来たのか?」
可哀想に、と同情しているのか揶揄っているのか分からないトーンで返してくる。ではなぜ、こんなにも道行く人と店先の人にこんなにも見られているのだろう。本当は手を握りたかったが、少しだけ青年との距離を縮めることで好奇の目から逃げようとした。そうだ、これは好奇の目だ。おそらくだが物珍しさや異物として見られている。この目はあまり得意ではない。それでも手を握らなかったのは、今のタイラーがそれを許してくれるか分からなかったからだ。知り合ってまだ一時間も経っていない間柄とは言え、この青年は間違いなくタイラー本人だろう。だからこそ手を握って迷惑そうな顔をされる事態は避けたいと思った。
「あの建物が集会所擬き、地下が簡易的な鍛冶屋。そこで武器を借りられる」
それだけ言ってタイラー青年は去って行ってしまった。「め、めんどうをみるとは…?」という呟きは白い息になって消えた。そういえば自分は名乗ってすらいないし、タイラーの口から名乗ってもらえていない。
「あの、あのあの」
咄嗟に追いかけて袖を掴む。
「まだ何か」
「いっ、一個だけ」
なんでもいい。御守りが欲しかった。初めての環境で狩りをすることに対してではなく、人見知りが爆発して立ち往生しないための、御守りが。
「終わったら、タイラーさんの口から、タイラーさんのことが聞きたいです」
喉が閉まっていて声が発し難かったがなんとか伝えられた。いつもだったら手を握って、そのまま会話続けて、髪に触れてもらえていたが今はそれは叶わない。どうやってタイラーさんと仲良くなったんだっけ、と思いながらじっと返答を待つ。数秒が永遠にも感じられて心臓が止まりそうだった。
「終わったらね」
短く、しかし確かに聞こえた返答。延命が達成された瞬間だった。
こうなればショウはなんでもできる。大好きな人が約束事をしてくれた!自分と会う前の話が聞けるかもしれない!なんかよく分からない時空に来られてよかった!
この時のショウの無敵さときたら、クエストの受付をしていた無精髭で隈の酷い男に、柄にもなく「き、気をつけていけよ!」と声をかけさせてしまうほどだった。
地下への薄暗い階段を降りて、これまた人相の悪い無口な鍛冶屋にも「武器を貸してください!」と元気に申し出ることができた。太刀は置いてなかったので火力の出そうな火属性のガンランスを手に取り、ショウは颯爽と出発していった。
さて、若きタイラーの本日の誤算は実は二つだ。一つ目はこの掃き溜めのボスであるリョカのババアに少女が気に入られたこと。
もう一つはその少女がめちゃくちゃ腕の立つハンターだったことだ。ハンターであることは一目見れば誰でも分かるが、低身長、下がった目尻、細い腕を見て古龍を何度か葬り去っていると見抜けるやつはいない。現実ではオーラなんてもの可視化されていないし、仮にそれが見えたとしてもショウはあまりにも威厳や実力を感じさせなかった。だから妙なお願いにも少女の望む答えを渡した。クエストが達成できずに死んでくれればババアの命令も破却できる。運よく生き延びたとしても、後日「お前の見立ては間違っていたぞ」と死体置き場を指差して言えばいい。そのはずだったのだ。
「タイラーさん!」
パタパタと軽快な足音を立ててショウは酒場にやって来た。夜も更けてきた頃合いで、嗅いだことのない料理や葉巻の匂いが建物を包んでいた。
昼間に会った女性への報告は朝のほうが良いかとも思ったが、どこか寝られる場所を確保したいなと思ったので駄目元で伺った。そうしたら明かりの漏れる窓から声をかけられ、予想外にも頭をもみくちゃに撫でてもらい、「タイラーなら酒場にいるから寝る場所はそこで聞きな」と言われたのだ。もちろんちゃんと「イエスマム!」と返事をした。
そして現在である。酒場に入ったショウは向けられた好奇の目など物ともせず、目当ての人の元に一直線に駆け寄った。
「おいタイラー!賭けが成立しなくなったな!こりゃあ驚いた!!」
「俺が一番驚いてるよクソが…」
賭けていたのだ。小娘が泣きついてくるか、どこかで死体になって氷山の一角になるか。失敗前提の賭けだったので勝者はいない。強いていうならショウこそが勝ち馬だ。元気に揺れるポニーテールは昼間と変わらず健在で、怪我の一つも無い。横で呑んでいた賭けの敗者(己もまた敗者だが)はタイラーの肩を叩いて席を青髪の少女に譲った。
「俺のことが聞きたいって?」
「はい!」
これの為に、これのおかげで、無事クエストをこなしてここに帰って来られたのだ。「できればお名前も」「さっき呼んでただろ」「タイラーさんの口から聞きたい」「意味が分からない」無理もない。ショウからしたら見知った人だが、タイラーからしたら今日拾っただけのただのガキだ。卑屈になる気はないが何をそんなに自分に向けて感情を向けているのだ、と多少は不思議にも思う。
「意味ならあります」
少女は口を閉じない。蕾が花へと変わるように、雪が溶けて辺り一面若葉が萌ゆるように、前からそれが決まっていたみたいに。
「私がタイラーさんのこと、大好きだから」
だから聞きたい、知りたい、と青い瞳が訴える。あまりにも曇りがなさ過ぎてタイラーはこいつは頭がおかしいと思ったし、「お前は頭がおかしい」と言った。自分は正常であるみたいに言った。そんなわけないのに。
ともかく約束は約束だ。隠したいとか話したくないとかは特にないので聞かれたことには取り敢えず答えた。もちろん途中で少女も自己紹介を済ませ、食事もしながら妙な質問タイムを過ごした。先ほどの頭のおかしい発言といい、少女の確認にも似た質問といい、「俺とどこかで会ったな」とタイラーが名推理をするまでそう時間はかからなかった。しかし全く覚えがない。
「どこで?」
ショウと名乗った少女へ向けた質問ではない。自問に近かった。口元に手を当てて探るように少女を見つめる。指で挟んでいる煙草の煙が視界を遮る。
「これから会うんです」
答えになっていない。ショウもどう説明をしたら良いのか分からなかった。説明すべきなのかも分からなかった。
頓珍漢な返答に対して、タイラーはゆっくり息吸って背もたれに身体を預けた。「いつ?」「今何歳ですか?」「二四」「じゃあ二十年後くらい」「君はいくつ?」「二十です」「なるほど」周囲の人間が聞いていたら、何を意味の分からないことをと首を傾げただろう。繁盛している店で良かった。
「信じてくれるんですか?」
「いいや全く」
「そうですよね」
私でもそう思うだろうなと理解できたから特に苦しくも悲しくもなかったが、少しだけ寂しかった。そうだ、目の前のタイラーさんは私のことなど好きでもなんでもないのか。テーブルの上にある白く美しい手を見つめる。人差し指がトン、と音を立てる。手の甲の筋肉が動くだけでも綺麗だった。
「明日は、」
綺麗だったので自然と口が動いていた。
「一緒にクエストに行きませんか」
言ってから今日みたいに一人置いて行かれたらどうしようと焦った。
「………………」
提案に対してタイラーは了承も拒絶もしなかった。ジ…っとショウの目を見ている。ゆっくりとした瞬きを一回してからようやく口を開いた。
「分かった」
「……!やった!」
翌日の天候は相変わらず雪時々曇りだったが、ショウの心の中は快晴だった。一緒に狩りに行く度に楽しい気持ちを更新し続けているのだ。今日だってきっと楽しいに決まっている。
昨日武器を借りた時にボウガン型二種とランス型二種が随分たくさんあるなと思っていたが、もしかしてここで武器を借りていたから普段の持ち武器がボウガンなのだろうか。だとしたらランスの立ち回りもできるのかな。
植物に対する知識はどこで身につけたのだろう。ここの植生は同じ寒冷地である寒冷群島とはかなり異なるというのに、普段の狩猟でも遺憾無く知識を発揮していた。本を読むのが好きなのは知っていたし、昨晩も本の話をしたから読書家なのは昔からなのかもしれない。だとしたら、最近話した学会に嫌われているという植物学者の方もここに住んでいるのだろうか。仲良しだったりするのかな。
いつもは私が好き勝手動いているのに合わせてくれて、俯瞰した立ち回りをするけど誰に教わったのかな。独学だとしたらすごいな。
料理はいつからするようになったのだろうか。いろんなところで狩りをしてるって言ってたから、食べて美味しかった料理の作り方を勉強したんだろうか。クエスト中のお昼ご飯が楽しみで仕方なくなったのは多分、タイラーさんの作るもののせいだろうな。
それから、それから、それから、…………。
私とタイラーさんは雪の大地を歩きながらいろんなことを話した。最近どんなクエストを受けたか、好きな本は何か、どうしてそれが好きなのか、昨日会ったリョカという女性はどんな方なのか、どうやって出会ったのか、出身が雪国だと聞いていたがここなのか、髪を伸ばしているのはどうしてなのか。
聞き進めていいのか分からない話もたくさんあったけど、その度に「大した事じゃない」と言ってゆっくりと話してくれた。
出身の村はここよりも遥か北に位置していて、一日中雪が横殴りに吹雪いているらしい。せっかくの短い夏にせかせかと冬支度を済ませるのがばかみたいだったとタイラーは呟く。
「その村はもうない」
男は、青年は、特に何の感慨もないみたいに雪を掻き分けながら歩いている。
「俺が焼いた」
ショウはタイラーが話している間、その声を静かに聞いていた。不意に横を歩いている自分に体が向く。
「話を聞いて満足した?」
幻滅したか?と聞かれているみたいだった。おそらくそんな意図は無かったと思う。それでもショウは何故か少し泣きそうだった。
「全然足りません」
「これだけ話させておいて…」
男はげんなりとした顔を見せる。
「タイラーさんに、今のタイラーさんに聞いただけです。普段のタイラーさんにも二十年分話してもらわないと」
「……きっと聞けば何でも答えるよ。俺だから」
貴方だから、今手を繋げないんだけどなと思ったけど言っても仕方ないので言わなかった。
クエストを達成して昨日の酒場とは別の酒場で食事を取った。見たことのない料理に舌鼓を打っていたショウだが、食べ終わる頃には長い瞬きをして目を閉じている間隔のほうが長くなっていた。昨日は夜遅くまで狩猟していたし、今日も朝からずっと活動している。加えて、気温が低いので眠りが浅くなってしまいまともに睡眠を取れているとは言い難い状況だった。
こんなこと前にもあったな、と働かない頭で思った。確かあの日は久しぶりに会えるからって珍しく早起きができたことを揶揄われた。眦にできる小さな皺をよく覚えている。夜はタイラーさんがお酒を飲んでいる横で、その人の手を握っていたはずだ。
「袖が汚れる」と言って、私が持っていたコップをタイラーさんが取り去った。その時に指が少し触れたから、何でこんなに大好きなのに触れられないんだろうと思って猛烈に悲しくなってしまった。
タイラーはそんな少女を見ながら、何となく未来の俺がもう抱いてるだろうなと思い至った。特に理由はない。何なら胸もケツもデカくない。触り心地など、自分が持ってる上着の方がいくらか良いだろう。
そこまで考えて納得した。「なるほど、かわいいと思ったのか俺は」と。なら未来の俺も若い頃に会ったら抱いてただろうと考えるはずだ。論理が破綻しているが別にそれで問題無かった。どうせ面倒になったら立ち上がれないくらいには暴力に訴えていたはずだ。なら多少は優しい方法だろう。相性がよければこいつも気持ち良くなるかもしれないし。どちらにせよタイラーには相手の意思など関係なかったので、有無を言わせず細い二の腕を掴み自室に持っていった。
壁に押さえつけられて、上着のボタンの上から大きな手がお腹に回ったところで、ショウは急速に頭が覚醒した。
「い、今のタイラーさんとはこうゆうことしたくない」
「どうして」
明確な拒絶ができるやつだったのか。意外だなと思いながら、片方の腕でボタンを外していく。金属製の飾り気の無い装飾具を取って、シャツの中に手が入るのをショウはぼんやりと良くないことだと感じた。
「だって今のタイラーさんは私のこと好きじゃないから、」
好きな人としかしてはいけないのだと、ヒノエに言われたことを覚えている。どうにかしなきゃとは思ったが、力では敵わない。既に足が浮いてしまっているので縋るところは目の前の壁しかなった。ぐ、と後ろの男が屈んだので耳元に吐息がかかる。
「俺が君のこと好きじゃないって何で思うの」
低い声がショウの頭に響いた。なんで、なんでって、
「あ、会ったばっかりだから」
「そうだね。会ったばかりだ。じゃあ質問を変えるけど、俺と初めてセックスしたのは会ってどれくらい?」
この人は何でこんな質問をしているのだろうと混乱してしまって、口から意味の無い言葉が漏れたが急がせる様子が無いことに一旦安堵して記憶を辿り出す。
「え、…っと、二回一緒に狩猟に行って、」
「うん」
「ご飯を一緒に、食べて……」
「ん」
「その後、に、きすして、夜にしました」
「そう。そんなこったろうと思った。俺だしね。」
声は相変わらず優しく、話し方はゆっくりだ。まるでいつもみたいに。
お腹に回っていた腕がそのまま脇を支え、体を持ち上げる。濡れ羽色の髪が視界の横に映るのが見えた。
ベッドに辿り着いていよいよ「良くない!」と強く思い直して、力の限り暴れるつもりだった。が、目の前の人は容易くそれを押さえ付ける。触れられて嬉しいという浅ましい気持ちがバレるんじゃないかと思って、ずっとドキドキしていた。気を抜くと白くて大きな手に身体を押し付けてしまいそうになる。
「じゃあおさらいしようか」
おさらい?そんな教官みたいなこと言わないで、というかなにを?とショウは何処から突っ込めばいいのか分からず「ほあ」と返事でも相槌でもない声を漏らす。
「俺が、君と会って、何をしたか」
「言ってみて」とまたショウに確認させる。この声が、この話し方が良くない。だってこの声でお願いされたら何でも聞いてしまうし、何でも協力してしまいたくなる。素直であることだけが良いことだって遠回しに訓練させられているようなものだ。唾を一度飲んで息を吸う。
「り、リョカさんのところに行って、ご飯を食べながらお話しして、」
「そう」
「一緒、にクエストに行って」
「合ってるよ」
一つ行動を思い出し伝える度に短く相槌を打たれる。褒められているようだ、と思いながらも私は叱られているのか?と疑問に思ってしまうくらい感情のない相槌だった。
「ご飯、をまた一緒に…た、べて……それで今、です」
「そうだね」
ショウは自分で言っていて先ほどの自分の発言を思い出し、長い髪で見え隠れする黒い瞳を見ることができずにいた。
「まだ足りない?」
分からない。でもそうだ。先ほど「会ったばかりだから」と突っぱねてしまったというのに、過ごした時間や密度はあまり変わらない。じわ、と涙がたまるのを感じた。
私は私が普段のタイラーさんの気持ちを信じれば信じるほど、先ほどまで今のタイラーさんの気持ちを疑いに疑っていたことになる。「でも歳が全然」「同じだよ、同じ人間」「そ、うなのかな」口の達者さがまるで違う。ショウが何か言えば、より納得のいく返事をすぐ返してくる。
「いつも俺は君の頭を撫でただろ」
無罪の証明みたいに大きな手が前髪の根元に触れた。「こうやって、」耳の付け根を通って首の裏まで覆い尽くすと親指が頬を撫でた。知っている撫で方だった。いつもこうやって触れてくれる。じわ、と体温が移って頭が熱を持ち出すのでどんどん脳が働かなくなる。
タイラーとしてはこんな聞かん坊を説得するような真似を一々してやるつもりはなかった。一般的に「治安が良くない」と言われる社会で行われる性行為というのはただの暴力だ。相手の了承も、気持ちも、尊厳も無視する一方的なものであることがほとんどで、愛とかいう形のないものは夢物語だ。「モラルが無い」と言う人間がいる社会にこそモラルはあって、本当に誰もがやりたい放題やっている場所にはそれを注意する人間はいなくなる。
そんな諦めにも似た、嫌な客観視を決め込んでいたところで、少女はそんなものはどうでもいいとばかりに馬鹿みたいに好意を伝えてくるのでタイラーはとうとう頭がおかしくなってしまった。元がおかしいので正常になったかもしれない。
ともかく、頭のおかしい男と頭のおかしい少女はベッドの上で隙間がなくなるほど身体を密着させた。体液という体液が入り混じった状態になるまで何度か体勢を変え、ベッドのスプリングが悲鳴をあげる度に少女は甘い声を漏らした。
コンドーム越しに熱い液体が吐き出される感覚は初めてで、ショウは「なにこれ」と不思議そうに質問した。「普段の俺はつけない?」「つけない」「じゃあ初めて?」「そうです」「知れてよかったね」そう他人事みたいに言ってずるりと熱が引っこ抜かれ、入口を先っぽが掠めた。ショウはそういう小さな刺激でも嬉しくて、もう一回と強請るように腕をタイラーへと伸ばした。昨日今日と我慢していたのは夢だったみたいに手を握り、背中に腕を回して、腰を持ち上げる腕に縋り付いた。