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    こにし

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    こにし

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    2021.6.27発行 オーカイ本『ささやかなぼくの天国』より 小説『夜半のワルツ』のweb再録です
    再録にあたり多少加筆修正しております

    #オーカイ
    #web再録
    webRe-recording

    夜半のワルツ 薔薇の匂いがする庭園で嗜むワインは悪くない味わいだった。グラスは空になってしまったけれど、ボトルを一本拝借してきたので、まだまだ夜は長い。 
     屋敷の方から微かに漏れている三拍子のワルツに合わせてステップを踏む。やわらかい風に木立が揺れ、それすらも奏者となって今宵の晩餐を歓迎した。いたく気分が良い。今なら誰かと踊ってやっても良いだろう。
     オーエンがひとつ呪文を唱えると、庭園の薔薇の茎がしゅるしゅると人の形を象り、花弁のドレスが着せられた。そうしてできあがった薔薇の貴婦人を目の前に呼び寄せると、オーエンはその手をとって彼女をエスコートした。二人は脚をもつれさせることなく完璧なワルツを踊ってみせた。庭に住まうリスや小鳥がやってきて、オーエンの肩に乗るものもいれば、ギャラリーに徹するものもいた。ひそやかでつつましい舞踏会だった。
     屋敷の窓はすべて明かりが灯っていて、たくさんの小さな人影が窓と窓の間をせわしなく行き来している。皆煌びやかな衣装を身に纏い、品のある振る舞いをする、いわゆる格式の高い人々なのだろう。なにしろ、名のある侯爵の結婚披露宴だった。そろそろ主役が大層大仰なスピーチで注目を浴びている頃だろうか。そこに居る人々の関心は彼なんかではなく、豪勢なブッフェや情熱的な出会いの方に向けられているのだというのに。
     そんな本心を懐に忍ばせて口では侯爵を祝う人々は、オーエンにとって傑作だった。陰惨とした欲望がとぐろを巻いてパーティー会場に居座っていた。なんて心地のよい悪意なのだろう。愚かだね、と口に出して言ってみると、肩に乗っているリスが声をあげたので、お前のことじゃないよと言って尻尾を撫でてやった。三曲目に差し掛かった頃には踊るのにも飽きてしまい、魔法を解いて貴婦人を元の姿へと戻してやった。近くにあったガーデンテラスの白い椅子に腰かけると、ワインの栓を抜いてグラスへ注ぎ入れる。とぽとぽという音と共に漂うかぐわしい葡萄の匂いが鼻孔を撫でた。なんでも先代王に献上の品として贈呈されたことのある銘柄らしい。オーエンにとってはどうでも良いことであったが、どうせ飲むのなら価値のある酒の方が気分も良い。
     披露宴には賢者を含む賢者の魔法使い全員が招待を受けていた。アーサーの親戚と交流があるらしく、その縁があってのことだった。尤も、招待客が多ければ多いほど人脈や権力の大きさを誇示することができ、そこに賢者の魔法使いが居るともなれば上流階級の間ではちょっとしたニュースになるという、そういった目論見もあるのだろう。魔法使いたちの中にはパーティーに目を輝かせる者も、例のごとく人の多い場所を嫌がる者も居たが、アーサーの面目もあり、最終的には全員揃っての出席ということになった。
     パーティーそのものは酷く退屈なものだったが、ブッフェには美酒も甘い菓子もたくさんあった。オーエンはそれらを貪りながら、時折声を掛けてくる貴婦人をいつもの優しい言葉でもてなし、彼女たちの反応を愉しみながらグラスを傾けた。そのうち誰も寄り付かなくなり、しまいには給仕のボーイやメイドまで怯える始末だった。オーエンはつまらなくなり、ワインや菓子類をくすねて会場を抜け出した。
     隠していた菓子をテーブルの上に召喚し、グローブを外してシュークリームを摘まみ上げる。一口齧ると中のクリームが溢れてそれは黒いスラックスの上に点々と染みをつくった。唇や鼻先もべたべたになってしまったけれど、それを咎める者はここに居ない。オーエンは浮かれた気分で次々と菓子の群れに手を伸ばした。マカロン、ババロア、チョコレートケーキ、フルーツタルト、ミルフィーユ、マフィン、ギモーヴ、プティング、カヌレ、アイスクリーム。かたちのある幸福が胃袋に溜まってゆく。ふと、体が耐えられなくなるまで食べ続けることはできるのだろうか、という疑問が湧く。いっそ今夜は死ぬまで食べてみるのもいい。魔法舎ではできないことだった。好きなものに埋もれて死ぬことができるのなら、それは唯一幸福な命の幕切れなのかもしれない。
     くすねてきたものを全て平らげ、おかわりを貰いに行こうかと立ち上がった時、自分以外の魔力の気配を感じ、オーエンは瞬時にあたりを警戒した。神経を研ぎ澄まして正体を探ると、それは段々とこちらに近づいてきていることがわかる。やがて魔力の持ち主が判明すると、オーエンはにやりと笑いかえってこちらから仕掛けてやろうと己の気配を隠して身を潜めた。
     ガーデンテラスにやってきた男は手に何かを持ってきょろきょろと周囲を見渡している。オーエンを探しているのであろうことは明白だった。ため息を吐き、諦めて帰ろうとした男の眼前にすかさず宙返りをしたような状態でぬうっと姿を露にした。男は驚いて声を上げて体を退かせ、尻もちをついた。オーエンはそのようすを見て涙をにじませながらけらけらと笑った。
    「オーエン……」
    「あはは! 随分と情けない騎士様だね」
     男は―――カインは腹を抱えて笑うオーエンをじとりと湿っぽい目つきで見つめている。いつもは左目を隠すために長く伸ばされた前髪が、今日は正装だからか整髪料でオールバックにセットされていて、左右で異なる色をしている両目がむき出しになっていた。オーエンはますます気分が良くなった。
    「かわいそうに。けなげに求愛していた彼女たちの想いを全部無下にしてここへ来たんだ」
    「気持ちは受け取ったさ。俺にはまだその気はない。もう二、三年後だったらわからなかったよ」
     オーエンの揶揄に、カインは立ち上がって土埃を払いながら答えた。彼が舞踏会で何人もの女性からダンスパートナーの誘いを迫られていたところを、オーエンは見ていた。カインは断ることなく全ての誘いを快く引き受けた。未婚の女性ばかりで、皆ハイエナのような目つきをしていた。カインが庶民の生まれであることを知った時、彼女たちはどんな顔をするのだろう。涼やかな顔を湛えており、動作や言葉遣いに気品があるからか彼には庶民であることを感じさせない雰囲気があった。ふと視線を下へ遣ると、カインの足元でケーキの乗った皿が割れていることに気が付いた。怪訝な顔をしていると、カインがああそれは、と言葉を始めた。
    「おまえに持って来たんだ。きっと食べるだろうと思って」
    「え?」
    「バルコニーから見えたから。おまえが中庭に居るの」
     でも、さっき転んだ拍子に落としちまった。カインは眉を下げて割れた皿を見つめた。オーエンに驚かされたことをもう忘れているような口ぶりだった。落下の衝撃でクリームが飛び散り、生地はいびつな形に崩れている。
     オーエンはひとつ大きなため息を吐き、気だるげな声色で呪文を唱えた。すると崩壊したケーキと割れた皿がふわりと浮かび上がり、みるみるうちに時間が巻き戻ったように元のあるべき姿を取り戻してゆく。カインはおお、と感嘆の声を漏らしてその光景を眺めている。なんてまぬけな顔。オーエンは内心でほくそ笑んだ。白い絹のヴェールを纏い、この庭園の薔薇のように真っ赤に熟れた苺を乗せた丸いケーキだった。
     オーエンは手掴みでそれを口へと運んだ。甘酸っぱい苺の匂いが抜けてゆき、なめらかな舌触りのクリームは上品な甘さだった。
    「僕はもっと甘い方が好き」
    「そっか」
     すぐに完食してしまったオーエンは、カインが嬉しそうな顔で見つめていることに気が付き、その鼻先を指で弾いた。仕返しに同じことを仕掛けようと伸びてきた彼の手を華麗な身のこなしで躱す。カインはくそうと口では悔しげな声を漏らしているものの、それとは裏腹に表情は晴れやかなものだった。
     二人は向かい合ってガーデンテラスに腰を落ち着け、少しだけ残っていたワインをちびちびと飲んだ。夜風がほどよく熱を持った頬を撫でてゆく。交わす言葉はそう多くはなかったが、二人の間には不思議と心地の好い空気が流れていた。風が運んでくる薔薇の香りと、遠くで流れる音楽がそうさせているのだと思った。
    「楽しくなかった?」
    「楽しかったよ。すぐに飽きちゃったけど」
    「おまえも踊ってこればよかったのに」
    「きっとつまらないもの。つまらないものが僕は嫌い」
     オーエンはくるくるとグローブを弄んだ。ぱちんと指を鳴らすとそれはハンカチに変わり、クリームで汚れた口元を拭った。
    「さっき、そこで踊っていただろう」
     カインが残り数滴のワインを舐めながら言う。ほんの少し舌足らずで蕩けた口調だった。立食でも相当勧められていたから、酔っているのだろう。
    「だったら何?」
    「花が好きなのか?」
    「別に。そこにあったから相手をしてやっただけ」
    「なら、俺と踊ろう」
     カインはオーエンの手を力強く引いて立ち上がった。なら、というのがどの言葉に掛かっているのかわからなかったが、考える隙を与えられないまま強引に体を引き寄せられた。鼻先を掠めるカインの吐息がいやに熱い。
    「ちょっと、どうしてそうなるわけ」
    「だって、一人が寂しかったからそうしたんだろう?」
    「違う。そんなこと僕は言ってない」
    「じゃあ、俺がおまえと踊りたいんだよ。今夜はそういう気分なんだ」
    「なにそれ。僕は君のきまぐれに付き合わされるの」
    「たまには良いだろう。俺にもきまぐれでばかになりたい時があるのさ」
     歯を見せて笑い、ウインクまでしてみせる。想像以上に酔いが回っているらしい。そうでなければ、彼のいかれた言動を理解して咀嚼することができないような気がした。オーエンは今日だけだから、とカインのエスコートを受けた。
     耳をすませて微かな音楽を聴きとる。この曲は知っている。『ささやかな天国』―――春の陽光がもたらす恩恵への感謝が綴られた、南の国の交響曲。
     熱に浮かされた体は自然とメロディに合わせて踊り始めた。カインはオーエンの動きに呼応するようにステップを踏んでいる。時折、互いの足を踏んずけてしまい、その度に一旦動きは止まった。二人の動きは多少不揃いだったが、それは自然と心の調和がとれているようなワルツだった。音楽に合わせて虫や動物たちが鳴き声の演奏を始めた。彼らは皆、ふたりきりのダンスパーティの行く末を見守っていた。
     気分が高揚しているのがわかる。わずらわしいものは何もなかった。音楽が止んでも、二人はそのまま踊ることを止めなかった。
    「君のせいで、僕までおかしくなっちゃった」
    「朝がきたら忘れてくれよ」
    「今日はやけに詩人なんだね」
    「詩的にだってなるさ。何せ今日はパーティーなんだから」
     カインの笑顔は月明かりに照らされて眩しかった。彼の瞳の中にはオーエンだけが映っていた。朝なんて永遠に来なければ良いのにというありふれた願いがオーエンの胸の内を満たしていった。夜半のワルツは、ふたりの心の内でひっそりとあざやかな記憶として佇んだ。
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