お題:いい加減にしてくれ少し前から、上司に添い寝を頼まれている。ひとりだとうまく眠れない、といつになく弱った声で言われて、風見は自分でいいのかの訝しみつつ、了承したのだった。
命令ではない。「今夜、頼めないか」と電話してくるときの降谷の声は、いつも断られることを怖がっているように聞こえて、そんなに遠慮しなくても、と風見は思う。同意の上だし、セクハラにも当たらないだろう。たぶん。
「日付が変わる頃になるかもしれませんが」
『かまわない。待ってる』
通話が切れたスマホをポケットにしまい、目の前の書類仕事に意識を戻した。
深夜、インターフォンを鳴らすのは憚られる。そろそろ着きますと連絡を入れておいて、合鍵でドアを開けた。
「おかえり」
玄関で出迎えられる。降谷は近ごろ、風見にそう声をかける。
「いつも悪いな。風呂沸いてるからゆっくり入れ」
「ありがとうございます」
こうなってから、降谷の部屋には風見のための部屋着と、そのまま仕事に行けるようスーツも置いてある。「ただいま」と言ってもそれほどおかしくない状況ができ上がってしまっていた。
風呂であたたまった風見が寝室を覗くと、降谷はベッドサイドの小さな灯りで本を読んでいた。
セミダブルのベッドは、男ふたりが寝るには少し狭い。だいたい、一人でも伸びて眠ると脚がはみ出る。
降谷に招き入れられたベッドは、昼間に陽に当てたのか、掛け布団がふかふかだ。
「風見、手を握っていいか」
返事をする前に、左手に降谷の指が絡んでくる。
これはただの添い寝だ。
潜入捜査官がどれほど孤独な仕事か、風見には想像もできない。降谷がときどき人の気配を近く感じながら、安心して眠りたいと思ったとして、その相手は素性のわからない人間では困る。だから風見が選ばれた。それだけだ。
「降谷さん、おやすみなさい」
「……風見、まだ眠くない」
降谷がそんなことを言い出すのははじめてだった。風見に抱きつく等、多少寝相の悪さはあるが、風見が知る限り寝つきは悪くなかったと思う。
「仕事で何かあったんですか?」
「ないよ。僕にだって寝つけない日くらいあるんだ。君が眠るまででいいから、話そう」
「かまいませんが、何の話を……」
「君、好きな人とかいないのか?」
修学旅行か。
「え、ええ、今はいないですね。……あー、降谷さん、お寿司屋さんで一番最初に何頼みます?」
上司の恋愛にはできれば触れたくない。
「……僕にも好きな人の話を振れよ」
「振りたくないから寿司の話にしたんですよ。僕はコハダです」
「僕は旬の物から行くかな……そうじゃなくて、好きな人の話だよ」
「……降谷さんには好きな人がいるんですか?」
ほとんど棒読みだ。何が悲しくてアラサーの男ふたりで恋バナをしなくてはならないのか。
「風見はどう思う?」
「さあわかりません」
「まじめに考えろ」
なんだろう、これはさすがに何らかのハラスメントなのでは?
「うーん、いるんじゃないですか? これだけしつこいってことは」
「しつこい……」
降谷に恋人はいない(と思う)。仕事第一だから恋愛には慎重なのかもしれない。降谷に好きだと言われたら大抵の人間は舞い上がりそうだから、片想いということは気持ちを伝えられないでいるのか。部下に添い寝なんて頼むくらいだ。なかなか可愛いところがある。
「いいですよ、好きな子の自慢話でも恋バナでも、聞きますよ」
「……僕に好きな人がいてもいいのか?」
「好きな人くらいいてもいいでしょう。仕事柄、今すぐどうこうなるのは難しいかもしれませんが……」
「迷惑かな」
「思いを向けるくらい良いのでは?」
「君だよ」
「ああ、お気遣いなく。あなたがよく眠れるならお安いご用です。私のことはいいですから、ほら、好きな方の話をしてくださいよ。そして早く寝ましょう」
「話したら眠れなくなるかも」
なら、最初からそんな話しないほうがよかったのでは。
「……相手とは、仕事で知り合った」
降谷の話を要約するとこういうことだった。降谷の片想いの相手を仮にAさんとする。
Aさんは降谷の部下である。初めこそAさんを試すような目で見ていた降谷だったが、Aさんの仕事への態度を見て、次第に自分と同じ目標に向かって進んでくれる仲間だという思いが強くなった。降谷がAさんを信頼すると同時に、Aさんのほうも降谷に対して油断した面を見せてくれるようになった。いつでもシャンとしているAさんが自分の前でだけ見せてくれる飾らない笑顔や砕けた態度を可愛いと感じるのだという。
Aさんとは仕事仲間という関係だったはずはのに、気付けば私事でもなにくれと呼び出してしまうようになった。しかし降谷を信頼しているAさんは、それらを全て仕事だと思っていて、貴重な休日を潰されてもニコニコしているのだという。
Aさんのことを思うと風見は涙が出そうになる。そんな存在が自分の他にもいたなんて。Aさんがどんな立場の人かは分からないし、機密上の問題はあるだろうが、いつか二人で飲みたい。絶対気が合う。しかし降谷の想い人と降谷抜きで会うというのはまずいか……。
話はそこで終わらない。降谷は、Aさんがどこまで「仕事」として割り切るのか試してみたくなって、ついにベッドに誘ったのだと言う。
Aさんの境遇にシンパシーを感じていた風見は降谷に対して怒りを覚えたが、そこは飲み込んだ。早く寝たかったのだ。さすがに断ってくれ。Aさん。
風見の願いも虚しく、Aさんは降谷と同衾してしまったらしい。しかし降谷とて警察官である。もちろん性的な接触はしていない。それでも十分アウトだと風見は思う。
降谷は告白したいのだが、そこまで自分を信頼してくれているAさんに失望されるのが怖くてにっちもさっちもいかないのだという。
「風見、僕はどうするべきだと思う?」
まずはご自分の不誠実な態度をAさんに謝罪すべきでは? と風見は思ったが、口に出さなかった。Aさんはたぶん、降谷の役に立つのがうれしいのである。
「Aさん……じゃないや、その方は降谷さんのことが好きなのかもしれませんよ? 当たって砕けては?」
「砕けたくないんだよ……その人とはずっと良好な関係を保っていたい」
「では我慢してください。お相手に対して最初から誠実に接していればそんなことにならなかったんです。自業自得でしょ」
「君は、その人と僕がうまく行ったらどう思う?」
「うまくいった、とういうのは、お相手も降谷さんのことを好きだった場合ということですよね。良いことじゃないですか」
「僕に恋人がいても、君は気にしないか?」
「なんでぼくが出てくるんですか?」
「大切なことなんだ。想像してみてくれ」
「降谷さんに恋人がいたら素敵だと思います」
「やきもちをやくとか、ないのか?」
「え? なんでですか?」
「……ちょっとジョギング行ってくる。君は寝てていいぞ」
「こんな夜中にですか?」
風見は起きあがろうのする降谷の肩を押さえた。大した力ではないが、降谷は大人しく従ってくれた。
「寝ましょうよ。そのためにぼくを呼んだんでしょう。降谷さんが眠ってくれないと、ぼくは役立たずになってしまいます」
「……うん」
「今夜はぼくでいいんですか?」
「君がいい」
「では、おやすみなさい」
「おやすみ」
降谷は風見に背を向けた。風見は暗い部屋の中でもぼんやりと見える金色の髪をぽんぽんと撫でてやった。絞り出すような「いい加減にしてくれ」という呟きは聴かなかったふりをして、風見は目を閉じた。