「分かってほしくない」「分かってほしくない」
まさかこんなに拗れるとは思わなかった。風見は心が広い。僕のすることを大抵は許してくれる。今回のことだって、風見は許してくれようとしていたはずだ。
僕が余計な一言さえ言わなければ。
風見は僕の優秀な部下だ。右腕とは慣用区的な表現だが、彼は本当に降谷の手の届かない範囲のことをカバーしてくれてる、字義通りの右腕だった。能力はもとより、生真面目で素朴で、妙に可愛げがあるところも、とても好ましく思っている。
僕に休日はあってないようなものだが、たとえば草野球の助っ人とか美味しいカレーを食べさせたいとか、仕事とは呼べないような用事にも、つい風見を呼び出してしまう。ころころ表情を変える風見をみるのが楽しいのだ。
問題の事案は草野球よりは仕事らしくはあったが、降谷が関わったのは完全に私情であり、その場に公安警察として風見裕也を呼び出したのは、今振り返るとちょっと大人気なかったかもしれない。
沖野ヨーコのライブが、風見にとってそれほど大きい意味を持つとは思っていなかったのだ。
風見をアイドル好きにしてしまった責任の一端は僕にある。埋め合わせとして、沖野さんのグッズをいろいろ集めて風見に送ってやった。
公園のベンチで背中合わせの定期連絡のとき、
「荷物受け取りました。お気遣いありがとうございます」
風見がそう言うので、僕はこの件に関しては貸し借りなしになったと思ったのだ。本当に軽い気持ちで言った。
「ライブも楽しいだろうが、ディスクで見られるからいいよな。まあ、これからはなるべく君のプライベートも尊重するよ」
「は?」
背後から、絶対零度に冷えた声が聞こえた。
「……風見?」
「いえ、……なんでもありません。ご用がなければこれで」
「ああ」
僕はどうやら風見の逆鱗に触れたらしい。
その日から、風見に避けられている。
もちろん風見は公私混同などしない。仕事は今まで通り滞りなく行われ、必要なコミュニケーションも取れる。だが、以前は惜しみなく向けられていた親しい態度や笑顔が見られなくなった。
五日で限界だった。我ながら堪え性がない。可及的速やかに謝って仲直りしたかった。
特に急ぎでもないが、着ない服を引き取りに来てほしいと頼んだ。これで風見はうちに来ざるをえない。
風見は約束通り二十時ごろににやってきた。夕食の支度もしてあったのだが、風見はすぐ本庁に戻るという。
「申し訳ありません」
「いいよ。僕も夕食の用意があるって言っておけばよかった。弁当に詰めるから五分くれ」
「恐縮です」
無表情だった。まるで出会ったばかりでうちとけていなかった頃のようだ。
いつもだったら申し訳なさそうな顔をするか、三十分くらいなら戻りを遅らせて、食べて行ってくれるのに。
「なぁ、風見、悪かった。頼むから機嫌直してくれよ」
「何の話かわかりません」
意固地なやつだ。
「沖野ヨーコのライブのことだよ! 急な呼び出しでフイにさせて悪かった。映像じゃ代わりにならないよな」
「謝罪は必要ありません。誤解させるような態度をとってしまったことは、申し訳ありませんでした」
風見が頭を下げる。そんなことをさせたいわけじゃない。
「……仲直り、してくれないのか?」
僕は、弁当におかずを詰めるペースをわざとゆっくりにした。
「なかなおり、ですか……?」
「そうだよ。僕は前みたいに、君に笑いかけてほしいんだ。どうしたらいい?」
僕の顔がよっぽど情けなかったのだと思う。風見は困ったように眉をひそめた。
◆
ライブを見られなかったのはとても残念だったけれど、そんなこと引きずっていない。降谷が何らかの伝手を使ってまで発売日前のBDを用意してくれたのは、的外れではあるがうれしかった。
問題はそんなことではない。
風見があのとき美術館に駆けつけたのは、降谷が命じたからだ。降谷の命令は風見にとって何より優先すべきことだ。
風見がどんなにごねたことろで、結局降谷の思う通りになる。風見がちょっと不機嫌になったって、そんなのただのじゃれ合いだ。降谷は風見のプライベートを尊重する気なんて端からないと思っていたし、それはこれからだって変わらないと思っていた。
「君のプライベートを尊重する」
降谷の言葉に、風見はひどいショックを受けた。
降谷が風見の手を必要とするとき、風見の都合を優先させて命令を躊躇う必要などないのだ。
自分たちはゼロとその連絡役だ。
誰より過酷な任務に就く上司が、部下に心を砕くなどあってはならない。
風見の中に確固としてあったはずのゼロの右腕としての矜持が、いつのまにかグズグズになっていたことに、降谷の一言が気付かせてくれた。
純粋な善意から出た言葉だったから、なおさら情けなくて、降谷の顔をまともに見られなかった。
風見が許せないのは、降谷ではなく自分だ。
◆
「降谷さんは何もなさる必要はないです。自分の問題なので」
「……何も言ってくれないんだな」
その通りだ。
「今まであなたにずいぶん甘えてしまっていたと気付いたんです」
おかずをバランスよく弁当に詰めていた手が止まっている。
「僕がしたくてしたことだ」
「自分が自己管理できていたら、あなたのお手を煩わせることもなかったはずです」
どうか、傷ついた顔をしないで。
「降谷さんの役に立ちたいだけなんです。だから、ぼくを大事になんてしないでください」
分かってもらいたくない。ぼくがどんなにあなたを大切に思っているかなんて。