らびっとふぉーげっつ扉を見つめる。
さっきドラルクが出て行った事務所の扉。
俺は、内臓を全部抜かれたような心地で見つめてる。
切っ掛けは些細な喧嘩だ。
いつもの、言葉と拳と砂が飛び交ういつも通りの煽り合い。
そんなありふれていた筈の「いつも」と今回が決定的に違ったのは、俺が失言したからだ。
口にしてすぐに「あ」と思った。「これはよくない」と、そう思ったのに、頭に血が上ってた俺はそのままガーーッと捲し立てるように言い切ってしまった。内心冷や汗ダラダラでそのくせ釈明もなにも口から出せずにいた俺にアイツが言った。
「そう」
まるで北風みたいな声。
それまでの、苛立たしさ満天の人をおちょくり倒すような声音とは全然違う、一瞬で全身が冷たくなるような、そんな声。
俺は「あ」とか「う」とか言葉にすらなってない音しか出せなくて、アイツが何かを言いながら動き回るのも見ているだけしか出来なくて。
そうして、ただただアイツが出て行く姿を目で追う事しか出来なかった。
その後アイツの親父さんだけがやってきて棺桶とかのアイツの荷物を幾つか持って行った。
正直アイツが来てから増えた家電とか器具とか多すぎるし、俺が金を出した物が多いとはいえ殆どアイツ専用と化した物ばかりで俺では持て余すようなのが大半だ。
だから持ち出す物の相談をしたいと、あわよくば──せめてあの日のことを謝りたいと──そう思って親父さんに話してみたけど、後日再び訪ねてきてくれた親父さんから「今は話したくない」と、「お父様に伝えた物以外は全部どうでもいいから君の好きにして」との旨を返されて、もうどうにもならないんだとわかった。
もう、全部、どうにもならなくて、取り返しなんて一切できないんだって、バカな俺にもわかった。
こんなにこの部屋広かったっけ?
こんなにこの部屋音がしなかったっけ?
冷たい気がする。息苦しい気がする。なんだかよそよそしくて、扉を開けるのが億劫で仕方ない。
一人で暮らしてた時よりも物が増えててその分狭くなってガチャガチャしてる筈なのに、味気なく感じてしまう自分がいる。
匂いも殆どしなくなっちまった。前までは帰ってきたら日によって違う美味しそうな匂いがしてたのに、今はそれもない。
明かりだって点いてない。帰ってきて見上げた窓はいつだって暗いまま。ああでも一緒に暮らし始めてすぐはアイツ夜目が効くから明かり点けてない事も多かったっけな。
それからスマホの通知も減った。ムカつくヤツとか、あれ買って来いとか、ムカつくヤツとか、何時に帰って来んだとか、ムカつくヤツとか、ムカつくヤツとかの通知が一切なくなって、俺のスマホは静かになった。
それなのに。
色んな所にアイツがいるんだ。
事務所はもちろん、道でも店でもギルドでも、どこ行ったってアイツとの思い出が苦しいほど沢山あって、それがチラつく度に胸がズキズキ痛んでどうしようもないほど記憶の中のあの頃に帰りたくなる。
もうどうにもならないのに。
取り返しなんてつかないのに。
帰りたくて仕方がない。
アイツが居るあの事務所に、もう一度帰りたいって、俺のせいなのにまだ未練がましく身の程知らずにも願ってしまってる。
こんなんじゃ、ダメなのに。
■
「本当にありがとうございました」
上品そうな吸血鬼のお婆さんが丁寧に腰を折る。
俺は慌てて「ハンターとして当たり前の事をしたまでですから」と恐縮しながら返した。
「それでも、ロナルドさんは今日お仕事の日ではなかったのでしょう? それなのにこうして助けて頂いたのですから、感謝してもしきれません」
尚も言い募る婆さんに、俺はタジタジだ。
事の発端はなんて事ない、俺が買い物に出掛けた先で下等吸血鬼に婆さんが襲われててそれを助けたというただそれだけの事だった。
普段、変態やら厄介なのやら変態やらを相手にしてるのと比べれば、極々ありふれた下等吸血鬼1体だけというのは、準備運動くらいなもんだったから本当に大した事ない。
それでも婆さんはお礼をさせて欲しいと迫ってきて、俺は困ってしまう。
「私ずっとロナルドさんのファンだったんです」
「え!? そ、そうなんですか? ありがとうございますッ」
「ええ、ですからそんなロナルドさんにお会いできただけでも嬉しいのに、さらに助けてもらってしまって……是非お返しさせてくださいな」
そう言って婆さんは俺の手をとってニコりと笑って言葉を続けた。
「ロナルドさんは叶えたい願い事はございませんか?」
「え?」
突然の内容に一瞬思考が追いつかない。
「私の力、吸血鬼としての能力はすこし特殊でして、だからこそ普段は隠してるのですがロナルドさんならばきっと大丈夫」
俺が戸惑っている間にも婆さんは言葉をどんどん続ける。
「方法はきちんとご説明してからやらせて頂きます。ですからどうかこの力でお礼させてくださいませ」
そう言って柔らかに微笑んで手をそっと握りしめた婆さんに俺は、散々悩み抜いたあとに頷いて手を握り返した。
■
そして、目が覚めた。