もし国のイギリスが目覚めなかったら「は〜あ。またストライキ起こしちゃおうかな」
パリの夕暮れ時に、俺はこんな軽口を叩きながらパソコンのキーボードを叩いていた。
国の仕事はどんなものなのかと聞かれることがあるが、大して特別なことはしていない。世界会議をはじめとする外交が主だ。たまに文化省で働くこともある。国として歴史的な知見を期待されることが多いけど、残念ながら全部は覚えてないんだよね。それに、覚えていても物的証拠がなかったらどうにもならないし。まあ俺としては後者の仕事の方が好きだ。なんといったって美しい自国の文化のことを仕事にできるんだから。
今の俺がどちらの業務をこなしているのかというと、ここはオルセー河岸、つまりは外務省である。こんな仕事俺じゃなくてもよくない?俺は美しい文化を…などと心のうちで不満を唱えていたら、突然スマホに着信が入った。
飲みの誘いかな、今日は無理だなと思いながら画面を見ると意外な相手からの電話だった。席を外して通話のボタンを押す。
「フランスさん!!」
「カナダ?どうしたの?珍しいね。」
いつもなら穏やかにのんびり話す彼だが、今日は様子が違っていた。
「今すぐロンドンに来てくれませんか?」
「ろ、ロンドン!?何があった?」
「イギリスさんがずっと目を覚まさないんです!」
世界会議は一週間前にまさにロンドンで開催された。ホスト国だったあいつはいつにも増して生き生きとしながら退屈な会議を進行していた。それからイギリスとは特に連絡を取っていない。
「僕たちで色々と試したんですけど全然駄目で……。」
僕"たち"ということは、カナダ以外にも何人かいるんだろうか。そもそも目を覚まさなくなってからどれくらい経っているんだ?
「え〜っと、お兄さんまだ状況を読み込めていないんだけど…。とりあえずロンドンに行けばいいってこと?」
「はい。イギリスさんの個人宅で待っているので…急でごめんなさい。」
「可愛い子にそんなに必死で頼まれたら心配になっちゃったよ。これから向かうね。À bientôt!」
俺の可愛いカナダをあそこまで困らせるなんて、本当に意地の悪い眉毛だ。イギリスのために仕事を切り上げるんじゃない。カナダのため、カナダのためだ、と自分に言い聞かせながら外務省を後にした。
幸いユーロスターの予約は空いていた。俺たちの距離は近いがそんなに簡単に行けるわけでもない。パリの冬は寒い。駅に向かっているだけなのに鼻がじんじんと冷たくなっている感覚があった。もう少しでクリスマスのため、クリスマスツリーが至るところに置かれ、街はなんだか浮き足だった雰囲気だ。イギリスが目を覚まさないことについては今考えても全くわからないので、ユーロスターの中で考えてみることにしよう。
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仕事の疲れでうとうとしていたらロンドンに着いていた。相変わらず霧がかかっていて、陰鬱としたあいつの性格を連想させる。あいつの個人宅はセント・パンクラス駅からおよそ電車で30分だ。電車に揺られながら呼び出された件について考えてみたが、結局思考がまとまることはなかった。イングリッシュガーデンを潜り抜け古めかしい一軒家に着いた時には、もうすっかり日が沈んでいた。
インターホンを押すとカナダとカナダによく似た、いや、よく似てはいるが幾分存在感のある片割れに出迎えられた。
「フランスさん!」
「フランス遅かったじゃないか!待ちくたびれたんだぞ!」
カナダを遮るようにして大声で話しているそいつはジャンクフードの香りがする。こんな時にまでジャンクフードばかり食べているのか。いや、ここはイギリスだからそれくらいしか食べるものがないのか。
「アメリカ…これでも仕事切り上げてユーロスターで急いで来たのよ?仕事の荷物以外手ぶらで。」
「とりあえず中に入ってくれ!」
僕"たち"とカナダは言っていたが、今この時点でここにいるのは北米の二人とイギリスだけのようだった。何度も来たことのあるリビングに入り、上着を脱いで重厚感のあるソファーに腰掛けた。いつもならあいつが美味しい紅茶を淹れてくれるのだが(あいつのスコーンは絶対に食べない)、今日はカナダが淹れてくれた。
「……で、お兄さん今何も把握できてないんだけど。イギリスはいつから目を覚まさないんだ?」
「前の世界会議の翌日からですね。」
「え〜…。またお前関連でおかしくなったんじゃないの?」
「心当たりがないんだぞ!」
「お茶っ葉海に捨てたのって12月じゃない?」
「だからってそれで今急に寝込むかい?」
大体イギリスの調子が悪くなるのはアメリカ関連だ。アメリカが1776年に独立してから、あいつは目に見えて具合が悪くなることが増えた。今は独立記念日の7月4日辺りに調子が悪くなるようだ。あいつは俺には言わないが、俺は対あいつのプロフェッショナルなのでそれくらいお見通しなのだ。前後にカナダの建国記念日、俺の革命記念日があるというのにあいつは毎年しけた面をしているのが気に食わない。
「いつもの具合が悪くなる感じじゃないんですよ。」
「そうだぞ!眠っているみたいなんだよ。」
「僕たちも色々試してみたんですよ。アメリカがハンバーガーを額に乗せたり、くたばった〜って目の前で喜んでみたり、インドさんに紅茶を口に突っ込んでもらったり、イギリスさんのご兄弟にも見てもらったり……。」
「いつもくたばったぞって喜んでたら起き上がってたのに今回は全く手応えがないんだ。こんなことは初めてなんだぞ!」
「ちょっと待て。アメリカのはともかくインドの紅茶って何!?」
「イギリスさんが具合が悪くなった時、インドさんが周りに金目のものを置いて口に紅茶を突っ込ませてたんです。それでイギリスさんも治ってたんですよ。」
そんな荒療治は初めて聞いた。インドも中々大胆なことをする。これで治るイギリスもどうかしている。というか今更だが、この俺が一週間もあいつが目を覚まさないことを知らなかった事実に腹が立ってきた。この子達ももっと早く俺に伝えなさいよ!俺はプロフェッショナルなのに!!
「ご兄弟はなんだって?」
「魔法をかけてみたけど駄目だったって言ってました…。」
「あの人たちも相当変なんだぞ。」
その魔法とやらでイギリスもといイングランドの容態は悪化しているんじゃなかろうか。そんな邪推をしてみるが、なんだかんだあいつらはそこまで仲が悪いわけではないので、きっと本気で治そうとしたんだろう。
「とりあえずフランス、イギリスに会ってみてくれないかい?彼はベッドルームで寝てるよ。」
「フランスさんなら何がわかるかな〜って…。」
この可愛い兄弟を困らせるなんて、本当に困った眉毛だこと。俺が行ってどうにかできるものなのかは知らないが、ここまで来たら会う他なかった。
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屋敷の一番奥にあるベッドルームに入ると、話に聞いた通りイギリスが寝ていた。確かに具合が悪そうなわけではなく、熟睡してしまっているようだ。そういえばあの二人はどうやってこいつが起きないことを知ったんだ?後で聞こうと考えながら、俺はベッドの横にある椅子に腰掛けた。
「イギリスぅ〜。こんな状況で一人で寝るなんて不用心だな!」
と耳元で囁いてみる。いつもなら飛び起きてクソ髭などと吐かしながら殴ってくるのだが、反応はない。こんなチェックの方法は我ながらどうかと思うが、北米兄弟の言うことが本当であると確信した。
俺は国が死ぬ瞬間は見たことがないが、死に近づいていく姿は何度も見たことがある。真っ先に思い出されたのは神聖ローマ帝国だ。あの国に引導を渡したのは俺だ。自分がとどめを刺した国に会いに行くのは気が引けたが、数回見舞いに行ったことがある。俺が出向いた時にはプロイセンが必ずいて、どうやら仕事の時以外はつきっきりで看てやっているようだった。神聖ローマは常に具合が悪そうで、まるで入院中の子どものようだった。本当に死期が近い時の様子は知らない。プロイセンに聞けば詳しくわかるだろうか。
「……生きてるよな?」
不安になって左手を握ってみる。暖かい。脈も動いている。悔しいが、俺もこんな状態のイギリス、ましてや国を見るのは初めてだ。プロフェッショナルとして本当に悔しい。お兄さんとして北米の愛らしい子どもたちを安心させてあげたいが、どうすればいいのかわからない。そういえばこいつは俺の料理が好きだな。センスの無いハンバーガーじゃ起きないが、俺の料理なら起きるかもしれない。それにもう夜ご飯の時間だ。仕事で疲れていることもあり一旦休憩したかった。明日は有給を取るしかなさそうだ。
「ちょっとキッチン借りるよ」
と言って急ぎ足でベッドルームを後にした。
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「フランスの料理は本当に美味しいんだぞ!もう少しでUberするところだったよ。」
「僕フランスさんのポトフ大好きです!冬食べるとあったまって良いですね。」
「それは良かった〜。お前らが喜んでくれると俺も嬉しいよ。」
メシマズの冷蔵庫には何も入っていないんじゃないかと一瞬疑念がよぎったが、食材は意外と充実していた。どうやら見舞いに来た連中が色々と持ち込んだらしい。即席でペイザンヌサラダとポトフを作った。よく食べる二人がいるのでいつもより多めに。
「フランスおかわり〜!」
「もう食べ終わったの!?ないよ!」
「何言ってるんだい?そこにまだあるじゃないか!」
「これはイギリスのだから!」
そういうとむすっとした顔で黙ってしまった。あの状態で食べるのかい?と言いたげだが、口には出せないといった顔つきだ。
「もしあいつが食べなかったらお前食べてもいいからさ。」
「……わかったぞ。」
イギリスはとにかく牛肉が大好物だ。(だからすぐポトフも作れた)匂いを嗅いだら起き上がるんじゃないかという一抹の希望を抱いて、ベッドルームに食べ物を運んだ。
「お前の大好きなお兄さんのご飯だよ〜!」
それでもイギリスは目覚めなかった。いつもならくんくん鼻を鳴らして飯!とグラスグリーンの瞳をキラキラさせるのに。
「……調子狂うなあ。」
とりあえず料理をベッド脇にある小机に置く。普段ならここに紅茶を置いているんだろう。もうあの食いしん坊にこの料理は譲ってしまってもいいのだが、急に起きるんじゃないかという期待が捨てられない。
俺がイギリスを起こす方法はもう浮かばなかった。こいつはとにかく俺の料理と顔が好き。セクハラも効かない。他の国たちも色々試しているがてんで駄目。兄たちの魔法でさえ駄目。あいつの友達の妖精さんたちもこの部屋の中で何か試しているんじゃないだろうか。
もうこいつを起こすことは諦めて、様子を見ることにした。俺はこいつの顔が結構好みなのだ。
「すげえな…。どうなってんのこれ……。」
思わず太い眉毛を二本の指でなぞってみる。童顔にこの立派すぎる眉毛がアンバランスだ。ただ、不思議とこの垢抜けない眉を整えてやろうとは今まで思わなかった。それくらいこれがこいつにとってのアイデンティティだからだ。
流れるように頬を触ってみる。暖かい。ろくにスキンケアしていないだろうに綺麗で腹が立つ。白い肌には血色がない。冬だからか少し乾燥している。起きたらスキンケアを教えてやらないとな。
「お前のこと、みんな心配してるぞ〜。まあ俺は心配してないけどね。」
頬を突いていつものように馬鹿にしてやる。
「…相変わらずボサボサだな〜……。」
頭を撫でてみる。昔から尖ったタンポポみたいな髪だ。俺のサラサラな美しい髪に憧れて昔伸ばしてたっけ。あれ全然似合ってなかった。金色毛虫みたいで。俺が切ってあげたんだっけ。昔はこんな風にたまに撫でてやってたな。
こいつのことなんて大嫌いなのに、こうして懐古しているうちに涙が溢れてきた。口からも思わず言葉が溢れる。
「いつもみたいに怒れよ…。」
ボサボサ頭を撫でる手は止まらない。涙がぽたぽたと頬に落ちても、イギリスは目を覚まさなかった。
「お前がいつもの調子じゃないとさ、俺調子狂うんだってば…。お前がいないなんて張り合いないんだよ。誰と喧嘩したらいいんだよ。」
泣いているうちに鼻が詰まってきた。この状況下でまったくこいつが起きそうにないことにも、自分がこんな目も当てられない状態になっていることにも腹が立ってきた。
「クソ…全部イギリスのせいだ…。」
ベッドルームの小机、料理の隣にあるティッシュで鼻をかんだ。なんだか急に鼻がむず痒い。
「ATCHOUM 」
想定より大きなくしゃみが出て、思わずイギリスの身体を押しつぶすように倒れ込んでしまった。いくらこいつのことが嫌いだからってここまでするつもりはなかったのだが。起きあがろうとしたところだった。
「うぅ…。重い…………。」
瞬時に顔をイギリスの方へ向けた。俺が鼻を噛むため取り出したティッシュを顔に乗せたイギリスが苦しそうに呻いている。
「…………え?起きた?」
俺のこの言葉を聞いてイギリスは初めて目を開けて俺の方を見た。神妙な顔つきだ。
「……フランス!?お前なんでいるんだ…?」
「……お前ずっと寝てたんだよ?」
「…………状況が何一つわからないんだがとりあえずどけよ。」
こっちも状況が読み込めないというか、こいつは俺の重みで起きたのか?言われるがままに起き上がり、ベッド横の椅子に腰掛け直した。さっき溢した言葉、聞こえてないといいな。多分泣いていたのは顔をまじまじと見られたのでバレている。最悪だ。
肝心の目覚めたイギリスはというと、流石に一週間も寝ていたからかいつにも増して貧相に見えたが、顔色はすっかり元に戻っていた。何もわかっていなさそうな怪訝な表情のまま、くんくんと鼻を鳴らしている。そして期待を浮かべた顔で俺の方を向いた。
「もしかして飯か?」
「そうだよ…。ポトフとペイザンヌサラダ。」
大きなグラスグリーンの瞳が輝いたのがわかった。
「お前本当に俺の料理好きだよな…。冷めてるから温め直してくる。」
「料理だけはな!!」
背中から大きな声で返された。ああ、いつものイギリスだ。早くアメリカとカナダにも伝えないと。俺はベッドルームを後にし、浮き立つ思いを抑えながらリビングへ向かった。
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何故イギリスがこんなことになったのか。イギリスのことを心配していた俺たちは全員こいつに失望した。まあ、俺はこいつのことは元から大嫌いではあるんだけどさ。それくらい酷い理由だった。それでも良いなら俺の話を聞いてほしい。
結論から言うと、ほあたとやらで酔っ払って自分で自分に魔法をかけたらしい。なんでも「一週間よく寝る魔法」とやらを。こいつの周りにいる妖精さんも見限って助けようとしなかったらしい。自分で自分に魔法をかけたんだから。にしてもイギリスの兄弟にはそれくらい教えてやっても良かったんじゃないの。それとも、イギリスの兄弟は妖精さんからこのことを聞いていたのに俺たちには説明しなかったんだろうか。もう理由が理由なので正直どうでもいい。
俺がのしかかったタイミングで起きたのは単なる偶然だったらしい。どこまでも人騒がせな眉毛だよな。
アメリカは「心配して損したんだぞ!!!」と怒鳴っていた。そりゃそうだよな。
ちなみにイギリスが起きないことに気付いたのはアメリカらしい。アメリカもなんだかんだ潰れてるイギリスを運んでやるから偉いよな。よくある流れで、世界会議後に一緒にイギリスと飯食って、泥酔したイギリスをロンドンの自宅まで運んでやって、とりあえずベッドルームに投げておいた。それで翌日起こしに行ったらまったく目覚める様子がなくパニックになったそうだ。一番の被害者だな。イギリスの訳のわからない魔法はアメリカにかけるつもりだったのか?と聞いても「知らねえ…。そこまでは覚えてない…。」だってさ。
俺たちの涙と有給返してもらえる?もう俺はしばらくイギリスのことは助けてやるつもりはない。