相合傘がしたいだけ退社する時間を見計らったように雨が降り始めた。窓を濡らす大きな雨粒を見れば、すぐには止まないだろうことがわかる。
おれは鞄の底を探って薄型の折り畳み傘を取り出し手に持つと、お疲れさまでしたとフロアに残っているスタッフに声をかけて下りのエレベーターに乗りこんだ。
エレベーターが1階についてドアが開くと、雨を見ながら佇んでいるきーやがいた。
「きーや、おつかれぇ」
「おー!おつかれ」
振り返ったきーやはおれの折り畳み傘を見て目を輝かせた。
「マエ、駅まで行くんだよな?お願いします!入れてください!」
「あぁ、ええよ」
澄まし顔で返事をしたが、心臓がバクバクと早鐘を打つ。きーやと相合傘だ!こんなことで浮かれたくはないのだが、おれはいろいろの経験がないのでちょっとしたことで内心はしゃいでしまう。ただ、男同士で相合傘だなんて、あらぬ疑いをかけられないだろうか。そう思いながら広げた傘は男二人が入るには小さくて心もとなかった。
「俺が差すよ」
そう言われてきーやへ傘を差し出す。こういう時は背の高い方が差した方が具合がいいしな、と一般的で冷静な思考で頭を満たし、きーやにドキドキを悟られないように努力した。
いざ二人で歩き出すと案の定肩に雫を感じる。
「マエ、もうちょっとこっち寄れよ、濡れるだろ」
傘を右手で持って左腕で俺の腰をぐっと抱いてきーやの方に引き寄せられると、自然とぴったりとくっついてしまう。これでは、おれの最高潮に高鳴る心音がバレてしまうのではないかと思ってきーやの顔を見上げたが、気にも留めていない様子で前を見ていた。きーやをこの角度で見上げるのが学生時代からおれは好きだった。背が高いからよっぽどじゃない限りこの角度で視界に映るのはきーやだけ。束の間、独り占めしている気持ちになれる。……ソノがいると話も変わってくるけれど、ソノは鳴子さんに夢中だからカウントしないことにした。
こうやって一緒にいられる機会は以前よりも減ってしまったから、今日はここぞとばかりにおれはきーやをこの目に焼き付ける。
話しながら歩いていると、もう最寄駅に着いてしまった。
「久しぶりに色々話せて楽しかった」
「俺も」
傘を返してもらおうと畳むのを待っていたら、きーやが珍しく逡巡するように視線を泳がせた。疑問に思いながらそのまま待っていると、恐る恐るといった様子できーやが口を開いた。
「……なあ、これ、少し借りてもいいか?」
「いいけど、きーやは電車乗らないの?」
「俺の家、実はここから少し戻ったとこなんだ」
「え?」
よく意味がわからず、きょとんとしてしまう。
「ホントは、お前と歩きたかっただけだったりして」
きーやが照れたような笑みをおれに向けた。見たことのないきーやの表情におれはどぎまぎしてしまう。
「また話す機会がほしいからさ、借りてくわ」
そう言っておれを置いて、きーやは来た道を戻っていく。
「傘!返しに行くから!」
手を振るきーやにほぼ無意識の状態で手を振り返しながら、おれはその背を呆然と見送った。
駅でぽつんと立ち尽くし、きーやの言葉を反芻する。
きーや、おれと歩きたかったんだ……。
ひとり真っ赤になりながら、おれはいそいそと改札口へ向かった。