トライアンドエラー以前から日下部から釣りの誘いを受けていた日車。なかなか合わず何度目かの挑戦でやっと二人の休暇が合い早朝から出かけていた。その日の海の沖の方は穏やかで比較的船酔いの心配もなく順調に魚を釣っていく二人。主に鯖そしてイカなどを釣って大漁である。船の従業員にお願いすると鮮度のいいイカを捌いてくれて、二人以外にも他に釣り仲間がいたので朝ごはんを皆で船の上にて堪能する事に。半透明な状態で切られていてもまだ蠢くイカをわさび醤油につけて船で用意されたご飯をかけ込む。効きすぎたわさびに鼻と目頭を熱くさせるが刺激を逃がしながら咀嚼して何とかの飲み込んだ。イカと白米の甘みとわさび醤油の塩っぱみが食欲をかき立ててあっという間に茶碗の中を綺麗にしていく。
「日下部さん。初めて食べるが美味いな」
「良いでしょ。あぁ…でも食べすぎに注意してください。酔うんで」
「む…それは残念だ」
もう一膳どうしようか悩んでいた日車は茶碗と箸を置くと静かに手を合わせた。
「ごちそうさま。うん美味かった…」
「そりゃあ良かった。誘ったかいがあったってもんです」
沖から戻り日下部が持ってきたクーラーボックスには何匹もの鯖が既に入っていたので処理できる量だけを残してあとは他の釣り仲間におすそ分けしていく。
「今日は大漁だな」
「船長のヨミが当たったんでしょ…まぁこの量は俺も久々だけどな」
クーラーボックスを「せーの」で持ち自分が使った釣り道具を抱えて日下部の車に積み、車に乗り込むと鮮度が命だからと素早く帰宅した二人だった。
家に着くと潮風を落とすために急いでシャワーを浴びて鯖の処理にとりかかる。二人が作るのは鯖の一夜干し、みりん干し、南蛮干しの三種類。日下部一人では時間が掛かるので二人で手分けをする事になった。
「日車さん…本当にするんですか」
「日下部さんが一人で捌いている後ろ姿を見てるだけは流石に居心地が悪いだろう」
「いや…別にいいんですけど」
「いい機会だ。何事も経験だろう?」
「分かりましたけど…無茶しねーでくださいよ?」
まず捌く所をみせるからと日車を隣に立たせて包丁の背の部分で鱗を落とし頭を落とす。次に腹の方を開いて内蔵を取り出し今度は背びれの方から包丁を入れて中骨に沿って背骨をブチブチと音をさせながら切っていき2枚おろしに。骨がついた片身を同じようにしていき三枚おろしにして、捌く前に用意しておいた水で血合いを落としていく。そしてそれとは別に用意しておいた塩水が入ったタッパーに鯖の切り身を入れて漬け込んでおくことに。
「だいたいこんな感じですかね」
「慣れてるんだな」
「まぁ、釣って食べるまでが釣りだと思ってるんで」
「そうか」
「とりあえずさっき見せた事をやってみてくれればいい。どうだ?出来そうです?」
「産まれて初めて触るわけじゃない。なんとかなるだろう」
日車の言葉に若干の不安を覚えた日下部だが場所を譲り程よい大きさの鯖をまな板の上に置いた。日車は包丁を持つとゆっくりだが日下部がやった通りに鯖に刃を入れ捌きはじめる。包丁を扱う音だけが聞こえ始めた。体のどこかに変に力が入っているからか日下部のようにスっと包丁が入らずギコギコと小刻みに揺らしながら鯖の頭を落とす。次に腹を開こうと刃を刺すと切り落とした頭側からにゅるっと内蔵が出てきた。
「……」
日車は日下部の方を伺うように見てしまう。
「大丈夫ですって…逃げ道があって出てきてるだけなんでそのままゆっくりと手前に引いてください」
「ああ」
鯖を軽く抑えて包丁の先を刺して手前に躊躇することなく引いていき腹側を開いていった。内蔵を取り出しすすぎ軽く水気をとり背側が見えるように置き直す。
「背びれに沿って横に倒して平行に。一度軽く切り口をつけるぐらいで…」
「…こう…か…?」
「そうそう…うまいですよ。今度は深く背骨までいって…そこから頭に向かって…」
日下部のナビで身は少々崩れたが何とか2枚おろしが出来た。次は反対側に包丁を入れていく。一度出来てしまえばあとは何とかなるだろう…二人共がそう思っていた次の瞬間
「…っ!」
「あっ!大丈夫か?!見せてみろ…!」
魚に添えるように置いていた手の位置が悪かったのか親指の部分に刃が入ってしまう。慌てて手を離したが日車の指からじんわりと血が流れ始めた。
「これぐらいの怪我…大したことは無い」
「いいから!手をだせ!」
そっと日下部に差し出した手を掴まれて流水で血を流していく。水を止めて「待ってろ」と日車に言うと日下部が持ち歩いているカバンの中から救急セットを取り出しテキパキと処置をし始めた。日下部の的確な動きを見ながら日車は思わず呟いてしまう。
「凄いな…慣れてるんだな…」
「まぁ…運が悪けりゃ自分で応急処置ぐらいはしねーといけないんでね」
「…そうか…」
「暫く動かさねーでください?とりあえず残りのコレやっちゃいますよ」
「…すまん…」
目に見えてすまなさそうにしている日車を見て思わず頭をポンポンと撫でていた日下部。
「っと…大の大人にする事じゃなかったですね。魚の件は気にしないでください?怪我をすれば誰しも次は慎重になるでしょ?「トライアンドエラー」デスよ」
まさか撫でられると思ってみなかった日車は思わず固まったあと顔を赤らめてしまった。
「あ…っ!いや…その…見るな!」
「おやぁ(ニタァ)…さては撫でられ慣れてない?」
「うるさい!」
あまり揶揄うのも良くないかと心に留めてまな板に向き合うと残りの鯖に手をかけ始めた。
「あー…日車さん、今から言う調味料の分量をテーブルの上に置いてあるタッパーに入れてくんない?」
初めから日車にお願いしようとしていたのかテーブルの上に調味料と計量カップなど鯖を漬け込むのに必要なものが置いてあった。
「…わかった…まず何を入れるんだ?」
魚を捌く手は一切ゆるめないで日下部は調味料の手順を話し始めた…
「はぁっー…何とかなるもんだ…日車さんお疲れさんです」
日下部が鯖を三枚おろしをしていき、身の方を日車が綺麗にした後漬け込む液に入れていく。その作業をひたすらし続けて持って帰った鯖を二匹残して全て漬けていった。
「日下部さんが捌いてくれたおかげだ。お疲れ様だったな」
「後は漬け込んだ鯖を干すだけだから残りの分は晩に焼いて食べましょ?」
「良いな…イカも出るのか?」
「釣りたてを捌いて漬けにして貰ってるの知ってるデショ?そっちはお昼にだしますよ」
日下部の言葉を聞いて嬉しそうにニタリと、笑う日車。冷凍されたご飯を取り出しに冷蔵庫へ向かう。そんな日車の後ろ姿に思わず後ろから日下部はまた頭を撫でてしまっていた。
「あんたホントに可愛いな…?」
「やめろ!俺に可愛いとか…そんな事を言うのお前だけだぞ!」
自分の頭に置かれた日下部の手を払おうとしてゆっくり掴まれた。
「へぇ…それはいい事を聞いた」
「…何がだ…」
「いやぁ?俺しか知らないアンタの部分があるって知ってこれでも喜んでるんですけどねェ…」
空腹から見つれられる日下部の目線に色気と食い気どちらに倒れようかと悩んでしまう日車なのだった。