寒い日の夜に帰ってきた監督生 その青年はひとり、夜の公園の雪の中にいた。
いつの間にやら迷い込んでしまった公園でどちらに進もうか右往左往する姿は完全に不審者であったが、本人はいたって本気で彷徨っていた。
大学の帰りだったはずだ。サークルの飲み会で勢いよく飲まされ、てんでお酒のダメな彼はふらりとする体をしっかりと自分を支えるように足を踏み締め帰路に就いていたはずだった。
しかしどうだろう。酔いが軽く覚めて周りを見渡せば見知らぬ公園で歩いていた。我に返って周りを見てみれば誰もおらず、深々と静かに雪が降る静かな風景が広がっている。
これはやばいとスマホを取り出すが電池はなく、あれれれれとスマホと公園を交互に眺め、軽くパニック状態に陥っている。そして、冒頭。
暫定不審者である彼は、とりあえず方向を決めて公園の出口へと走った。とりあえず大きな通りに出ればいいだろうと人がいる場所を求め、駆け足で公園の出口へ近づく。が、その公園にデカデカと置かれていた看板に目が入る。
『ネージュ・リュバンシェ主演映画 『白雪姫の花を見た』ロケ地』
白く可愛らしい花を持ち、儚げに微笑むネージュのポスターと上映中の大きな文字が描かれたその看板は、おそらく自分の世界では見ることはできまい。青年は、ポスターの前から動くことができなかった。
「ここ、ツイステッドワンダーランド……?」
そう呟いた彼の名前は、ユウ。数年前、この地に呼ばれ、ナイトレイブンカレッジに少しの間だけいた元オンボロ寮の監督生だった。
◆
公衆電話の番号を押す手が震える。ユウは、赤い電話ボックスの中で息を呑んでいた。かちゃかちゃと迷いなく押すのはエースの携帯電話だ。ユウは彼の携帯に電話するのは遊びに行って、迷子になった時の1度しかしたことが無いが、元の世界でもエースに電話をかけてみたことがあった。当たり前のように繋がらなかったけど。番号は、間違いないはずだ。
『迷った時は、ちゃんと俺にかけて来いよな』
魔法石を原動力とした無償公衆電話の使い方をレクチャーされた時の笑顔や声はもう朧げだが、そう言ってくれたエースのことをユウは覚えている。
受話器を耳に当て、呼出音に耳を傾けた。かからなかったら、どうしよう。そう思いながら、待った。
がちゃり
電話が繋がった音に心臓が跳ね上がる。
「もしもし?」
公衆電話の番号から掛かってきたからか不審げ声が聞こえる。
「ねぇ、誰?」
返事がない電話の向こう側の人物に、明らかな敵意を感じる声。それは、間違いなく忘れかけていた記憶の中のエースの声だった。
「あ」
軽い気持ちで助けて貰おうと電話したはずなのに、何故か急に喉の奥が熱くなった。眼にも熱が持ち始め、困ったことに涙まで出てきた。
ユウは受話器を握りしめ、懸命に懸命に声が振るえないように慎重に声を出そうとした。
「……えーす」
しかし、盛大に失敗した。震えた声でエースの名前を呼ぶのが精一杯だった。
「……は?なに、ほんとにだれ?」
ちゃんと説明しなくてはと気持ちばかり焦る。でも、声が、エースの声が。ユウは、溢れ出る涙を拭う。例え不機嫌そうな声でも酷く安心してしまい、もう一度呼ぶ。
「えぇすぅ……」
仕舞いにはひくひくと声を出して泣いてしまい、完全に不審者になったとユウは絶望した。懐かしさとか情けなさとか安心感で感情がぐちゃぐちゃになっている。もしかしたら全部夢かもしれない。そう思うと、ユウは怖かった。
「……ユウ?」
返答がないのでもう切れてしまっただろうかと思っていると、エースの声が返ってきた。酷く驚いた声だ。
「なぁお前、監督生なの?ユウ?」
確信が、答えが、早く欲しいと言いたげな切羽詰まった声で言われたが、気付いてくれたとまた安堵し、またユウは泣く。そろそろ、目が痛くなってきた。
「えぇすぅ……たすけて……」
「は!?なにそれ!?お前マジ……!!!何お前そもそもどっから掛けてんの!?」
「分かんない……どっかの公園みたいな……」
「まっじ……オッマエ……!!!!!」
電話の向こうでエースのブチギレている気配がする。ユウは慌てて説明する。
「えーす、昔、おれに公衆電話の掛け方おしえてくれたでしょ?それで、でんわしてる」
「は?……じゃあ……じゃあお前今、『こっち』にいるの……?」
ユウは、涙ながらに濁点混じりに「うん」と答えるが、エースからは何も返ってこない。不安になって、エースを呼んでみると低い声がユウの耳に届く。
「今、どこって?」
「え」
「どこの公園?なんか目印とかないの?」
目印?と、キョロキョロと見渡してみるがそれらしきものはない。何せ普通の公園だ。しかし、はっと思い出す。ロケ地。ネージュの映画のロケ地だったはずだ。
「さっき、ネージュ君の看板みた……映画のロケ地になったって」
「ネージュ・リュバンシェの映画?え、上映中の?」
「うん。上映中って書いてたよ。えっと、白雪姫の花がどうとかの」
「『白雪姫の花を見た』!さっき見たって言ったろもう忘れたのかよ」
まじで相変わらず抜けてんのな。と、貶してはいるが、不意な優しいエースの声にまたドッと涙が出た。
「うん……ぐす、ごめんね」
「ばか、本気にするなっての。まじで今から迎えに行くから。そこなら近いし」
「そうなの?」
「だからぜっってぇに動くなよ。動いたらマジで何するかわかんねぇからね俺」
また低い声に戻り、思わず頷きながら分かったと返事をすると、よし。と言われその瞬間、ユウはエースの笑顔を思い出す。今も、あんな風に笑っているのだろうか。
「一旦切ろうか?」
「いやもうこのまま行く。本当にすぐ着くから」
扉を開け、締め、靴をトンと鳴らしどこかへと向かう足音を鳴らしながらエースは会話を続けた。
「なんかすげぇ変な感じ。俺、夢でも見てんのかな」
「おれも夢かと思ってる」
「現在進行形かよ」
「だってさぁ……」
「お前ってさ、ほんっとそういうとこあるよな。学園にいた頃だって、なんか急にこれやっぱり夢かもとか言い出したり、教室の窓から飛び降りようとしたりさ」
「そうだっけ」
「は!?お前覚えてねぇの!?俺、二度とやんなって怒鳴り散らしたじゃん!!」
エースは激怒した。
「ごめん!ごめんって!だってなんかあっちで生活してたら本当にこっちの生活が夢みたいな感じだったんだよ!!」
「あー!!まじでお前信じらんねぇ!!」
「すみません……」
「こっちは心配したってぇのにお前ぼーっとしてるし、あん時は寮長にだって怒りすぎとかわけわかんねぇ理由で逆に俺が怒られるしさ!!」
「面目ありません……」
そういえばそうだった気がする。と、ユウはぼんやりと記憶が蘇ってきた。
あの日は、なんだかリアルな向こうの世界の夢を見て、起きた時はオンボロ寮のベッドだった。それがびっくりするほど不思議な感覚で、現実味がなくって、デュースとエースとグリムと自分とで廊下を歩いていると、ふと急にやっぱり全部夢かもしれないと感じてしまったのだ。
今、ここから飛び降りたら夢から覚めるかも。と、唐突に思いつきやってみたところ、飛び降りた瞬間にエースに抱きつかれ、一緒に校舎から落ちた。当然、事態に理解できる間も無く地面へ体を強く打ち付けると思った瞬間、エースが着地の瞬間に風の魔法を繰り出しなんとか不恰好な着地をした。が、エースは鬼の如く怒った。文字通り、本当に怒った。
そこで初めてことの重大さを認識し、謝り倒したのだけど、しばらくエースは口も利いてくれなかった。それなのに、どうしてそれを忘れていたのだろうか。
「あー、思い出してきたらまじで腹立ってきた」
「何も返す言葉がないよ……」
「……今度は、あんなことすんなよ」
エースは怒っているような、でも懇願しているような複雑な声色でいった。
「もっかいあんなことやったら……今度はぜってぇ許さねぇ。何度謝ったってマジでぜってぇ許してやんねぇ」
「エー……ス」
言葉が止まったのは視線を感じ、そこに向けると、男が立っていたからだ。
見知った、赤い色が好きな彼が選びそうなおしゃれな服にテラコッタのぴょんと跳ねた髪。そして、あの真っ赤な瞳。ビー玉のように丸く綺麗な目が、今は街灯の光を反射させ、ぼんやり鈍く瞬いている。
「約束しろ。ちゃんと」
電話から聞こえる声とこちらを見る目が、誤魔化すことは許さないと責めるようだった。ユウは、その瞳を見つめ、声を返す。
「誓う」
あたりはしんと静まり、風の音さえ聴こえない。ユウは、まるで重大な契約をしたように胸がズンと重くなった。
「もう絶対やんないから。約束する」
そういうと、電話口からプツと通話が切れた音がする。ユウはエースから視線を外すことなく受話器を置き、こちらに近づいて来るエースを迎えに行く。
どちらも、ゆっくりと歩みを進め手を伸ばせば触れられる距離まで来るとエースは歩みを止めた。つられてユウも立ち止まる。
「エース」
寒さなのか、感極まっているのか、ユウの声が震えた。整ったエースの顔から表情が抜け落ちていて何を考えているかは想像ができない。
何を言おうか迷うと少し目線を下げると、何も言わずエースは、ゆっくりとユウに腕を回した。ぐいとユウを胸に押し付け、その首根っこに顔を寄せる。
ユウは抵抗もせずエースの好きにさせてやった。引き剥がしたり拒否するのは簡単だったが、あまりの真摯さを感じる動作に何もできなかった。
ただ、ずっと外にいたユウにはエースはぽかぽかと暖かく、ユウも彼の肩に顔を寄せ、しばらくそうしていた。