「これもないのか」
カドック・ゼムルプスは、苛立つままに舌打ちをした。
その日は、寝付けない夜だった。妙に落ち着かず私室から出てきたカドックは、 暇を持て余していたし、文字でも読めば少しは眠気がやってくるだろうと安易な期待しつつ図書室に訪れた。
カルデアの通路はどの時間帯も煌々と明かりがついているが、夜は流石に図書室の利用者が少なくなるため魔術で管理された蝋燭の灯りだけが部屋を照らしている。
少し暗いがカドックは他の灯りを用意することも無く慣れた動作で本を探すが、読み直そうとしていた魔導書も読みたかった資料も軒並み貸し出し中となっていた。
柔らかな絨毯の上で鳴る足音が妙に力強い。苛立ちを自覚しながらまた次の本を探すが、またもやない。
「どうなってる……運が悪いにも程があるってものじゃないのか」
独り言を呟いたとて、本は手元に来ることはない。やはり、自分の運の悪さを認め諦めるしかないか。と、カドックはため息を吐き、ポケットから懐中時計を取り出した。
午前二時を過ぎている。しかし一向に眠る気にはならない。
とんだ無駄足だったと用がなくなった図書室を後にしようと歩みを進めると、カドックはふと、薄暗い視界の端に火の明かりが目に入る。
そちらを見れば、本棚の間に造られたアルコーブソファに腰かけ、本を眺める男がいた。
ソファ奥の机にあるランタンに照らされた顔は見慣れない。しかし、別段興味も湧かなかったので視線を外そうとしたが、男の傍に積みあがっていた本の中に自分が探していた本が数冊目に止まった。
カドックは、すこし迷って、その男に近づいた。
「おい」
男は、肩から落ちそうになったパロットグリーンのブランケットを掴みつつ、カドックを見上げた。あちこちに飛び跳ねた柔らかい質感の髪とブルーの瞳が印象に残る男だった。年はカドックよりも幼く見える。
マスター候補生の中にいたのか、それとも技術スタッフか、記憶を巡らせながら男に問う。
「その本、もういいのか」
しかし、返答は帰ってこない。丸い瞳はカドックを注視している。その眼が不快で、苛立ちを隠すことなくまた呼びかけた。
「聞いているのか?」
「え!あ!っと…ごめん?」
話しかけなければ良かった。男の反応は、妙に異質であまり関わりたくない雰囲気を纏わせている。しかし、後悔は、先には立たない。
さっさと話を終えて部屋に戻ろうと手短に告げる。
「そこに僕が借りたい本がある」
「あぁ、なるほど。どの本かな」
そう言って、男は詰みあがった本の上に自分が読んでいた本も乗せた。
「それもいいのか」
「うん。読み終わってる奴の気になったところだけ読み返してただけから好きなだけ持って行って」
男が言い終わらない内に、カドックは本の山を動かした。それらは、カドックが目を見張るほどのジャンルの豊富で、魔導書数冊、植物図鑑。電子レンジの説明書に料理のレシピ本。そして、カルデアの歴史資料。呆気に取られ、つい男へ問う。
「この量全部読んだのか」
「まさか、読んだことあったんだ。全部。今日は気になってそれをちょっと見てただけ」
「へぇ」
それもそうか。とカドックは独りごちて、数冊の本を手にそれ以上男を見ることも、礼を言う事もなく図書室を後にした。
男と再会したのは、その三日後だった。
カドックは、魔術用の薬草をいくつか拝借するためにカルデア内部に存在する地下植物園に訪れていた。
そこは、カルデア職員であれば、魔術や私用で必要な植物は、程度はあるものの採取していいことになっている。彼は、問題なく目的の植物を回収し、出口へ向かう。
地下植物園はとにかく広い。天井も高く、立体構造になっているため、通路は入り組んでおり鉄骨階段や通路があちらこちらに置かれている。
カドックが鉄骨の螺旋階段を下っている最中、ふと目を横にやると
「たすけてください……」
魔術植物の蔦に胴体と腕を一緒に拘束された男が恥も外聞もなく助けを求めてきた。ぷらぷらと足が宙に浮き、右に左に振り子時計の様に揺れている。
「おい、どうしてそうなった」
カドックは、つい突っ込んだ。
「人を怒らせて、ここに投げ入れられちゃって……反省してろって言われたんだけど……そろそろお腹が空いてきまして……」
「それ以前の問題じゃないのか」
そう言ってすぐにカドックは三日前の図書室の出来事を思い出していた。あの青い瞳を覚えている。あの男だ。また出会ってしまったのかと、げんなりしながら頭をかいた。
「そもそも、それぐらい自分の魔力で動かせばいいだけだろ」
よく見れば、男の動きを止めているのは、魔術師が実験や身を守るのに使うちょっとした動きが出来るただの蔦だ。魔力さえ籠めれば、好きなように動く。
しかし、男は困った様に眉を下げて笑った。
「おれ、そういうの出来ないんだ」
「なに……?」
「一般枠の補欠なんだ。俺。だから、そういう、魔術とか全然出来なくて」
驚いた。カドックはそう言うように目を丸くした。まさか一般枠の候補生が、自分と接するとは思いもよらなかったためだ。
話には聞いていた。マリスビリーが集めた48人の適性者。魔術の名門から38人。一般人から10人、最後の一人が見つかり、急遽カルデアへ赴任した。が、入館時の霊子ダイブシミュレートで意識を失い医務室に運ばれたと耳にした。
情報が脳を巡りながらカドックは無遠慮に男を眺めた。最初に感じた異質さは間違いではなかった。
カドックは溜息をつき、その手を男に伸ばす。すると、蔦はビクリと硬直したかと思うと今度はだらりと緩み拘束されていた男はそのまま柔らかな花壇の土の上に落下した。
それに特に反応もなくカドックは、ゆっくりと螺旋階段を降りていき、止まることなく男の横を通り過ぎていった。背後からは、土に塗れた男がありがとう!と声を掛けるが、立ち止まることなくカドックは立ち去っていってしまった。
3度目。男にまた出会った。
通路で口論になった魔術師同士の争いに巻き込まれ、皮膚を切り裂く魔術があらぬ方向へ飛んだのだ。それも、カドック・ゼムルプスへ向かって。
どうということは無かった。防御壁は作っていたし、それも造作もない事だった。しかし、魔術より先に飛んできたのは、あの青。
あの男の、青い瞳だった。
刹那、カドックの眼前は赤く染る。痛みはない。男の血だった。背を切り裂かれた男は、カドックに向かい、少し疲れたようなほっとした様な、そんな顔で笑いその場に倒れた。