六月のパン食い競争 その4先輩の電話にはもう出んと決めた 水上は電話帳からターゲットの名前を早々に探し出すと、スマートフォンの通話ボタンを押した。
『……隠岐です。ごめんなさい、いま電話に出られません。御用のある方は、ピーっと発信音が鳴った後に』
「そういう茶番はええから」
『あれれ、バレてもうた』
「まず着信7回で留守電につながるのがおかしい。普通6回とか8回とか、キリのいい数字に設定するやろ」
『たしかに』
のっけからボケてきた後輩に、手慣れた様子でしゃきしゃきとツッコんでいく。
留守電につながるタイミングは人によってまちまちで、気づいたら電話代が発生していることもざらだ。通話する際、自然とコール音を数えるのがくせになった。無料通話アプリの使用がメインになったいまも、このくせは水上の中に残っているのだった。
「うっすら里見と佐伯の声も聞こえとるしな」
『あらら』
たしかに視線の先には草壁隊のガンナーとオールラウンダーがいて、「二宮さんってホントにすごいんだよ!」だの「かっけえ……!」だの、大いに盛り上がっている。ここから優に50mは離れているのだが、よく通る声がせまい廊下に反響して話が丸聞こえだ。隠岐はつきあたりの戸をあけ外に出ると、小体育館へと続く屋根付き通路をペタペタと歩いた。
「そんで最後やけど……このアプリに留守電機能はついとらん」
『ほ、ほんまや……!』
「"これらの証拠が全てを物語ってるぜ……隠岐さん、アンタがうそをついているってな!"」
『み、水田一少年~!』
これは某探偵ドラマを模した即興劇であって、水上の口調は主人公のそれをマネたものだ。先日、隊のみんなで全シリーズをイッキ見した影響が色濃くのこっていた。
『クッ、うわさ通りの名推理やな。おれの負けです、降参や……』
「ふん、詰めがあまいヤツ……青臭くてかなわんわ」
『事件解決、一見落着。真実は~……』
「『いつも一つ!!』」
しれっと小学生探偵もまざったが、ツッコむ者は誰もいない。
『いや~、綺麗にせりふ決まりましたねえ』
「ホンマに」
『大団円ということで、ほなさいなら……』
「待たんかい」
流れるように会話を切り上げようとした隠岐だが、そうは問屋が卸さない。
「隠岐くんに、頼みがあるんやけど」
『すみません、その日予定入ってますわ。残念やなあ』
「まだ何も言うとらんやろ」
『え~、だって……』
先輩の電話とどうでもいい頼み事って、ワンセットですやん。そんな文句がノドまで出かかる。そもそも2人は同じチームの隊員同士、毎日のように顔を合わせる仲だ。今日に関しては防衛任務で放課後会うことも確定している。用事があるならその時に言えばいい。いまこの時間に連絡をよこす理由なんて、あるはずがないのだ。
ナゾの「隠岐くん」呼びも気味のわるさに拍車をかけていた。これはもう、間違いなく厄介事にまきこまれる予感がする。絶対逃げなあかんでと、本能が告げている。
だから最初は呼びだしを無視した。隠岐孝二16歳、渾身の抵抗である。しぶとく4回目がかかってきたので悩んだすえ電話をとった。とったはいいが絶対に本題に入ってほしくなかったので、初っ端からガラにもなくボケ倒し、適当な態度に終始した。
用件を聞くとやっぱり面倒だった。購買に行くこと自体は大したことではない。引き受けてもどうでもいいのだけれど、それは絶対にしなくてはならないことなのか、というのが正直な感想だ。極論、昼飯なんてなんでもいい。大切なのは友人とおしゃべりをしたり、ぼんやりと空をながめたり、堂々と居眠りをしたりすることであって──平穏にすごすのが正しい昼休みのあり方だと、隠岐は思う。
第一、水上は食にこだわる男ではない。後輩づかいが荒いタイプでもない。戦闘中は仕切りに徹するが、日頃はむやみに先輩ぶったりしない方である。何より、彼自身が"年長を盾にして偉ぶるヤカラ"を毛嫌いしているはずだった。それがどうして、後輩にパンのおつかいを頼むことになるのだろう。
『海に頼めばええですやん。先輩命令とか、そういうの気にせんタイプでしょ海は』
「頼んだ上で言ってんねん」
そう、水上はとっくに南沢にパンの購入を頼んでいた。なんなら『お先っす事件』の翌日には頼んでいた。元より購買の常連だった彼は、「任せてくださいっ」と元気に快諾してくれた。
ところがである。「頼まれたやつなかったんで!」とお出しされたのは、クリームたっぷりデザート系菓子パンの数々だった。いわく、「なんや最近疲れがたまってて」と電話口でこぼした先輩を思いやってのチョイスだという。
なんという心づかい、なんという優しさか。願わくば、その気遣いがもう少しだけ"昼飯にふさわしい物を選ぶ"方向に寄ってくれたなら──。頼んだ手前礼だけ伝えたが、その日の午後は胃がもたれて仕方なかった。
翌日。代案をしめさなかった俺がわるいと反省し、「春巻きパンなかったら、からい系のパン買うてきてや」とクギを刺す。
例によって春巻きパンは売りきれで、代わりにお出しされた『海厳選☆すぺっしゃるセレクト』の内訳は、ななんと驚きのカツサンド×3。「おすすめって書いてあったんで!」と得意げな後輩に、水上はやっぱり何も言うことができない。
とはいえ食事を粗末にするのは親の教えに反するし、何よりお好み焼き屋の看板息子がだまってはいないだろう。激辛パンを買ってこなかっただけマシと思うことにし、必死で完食する。結局、2日連続でちがう種類の胃もたれを味わうことになったのであった。
ある意味"おいしい"エピソードの数々を披露され、
「おれ、会う人会う人に『水上先輩にパシられてます~』って言うてまうかも」
と、最後の悪あがきをしてみせた。基本物わかりのいい隠岐がねばるのは断りと同義であったが、『ええからええから。頼むで隠岐』と容赦なく通話は切られてしまう。
「……これ絶対に面倒なやつやん」
ハアとついたため息は、しとしとと降りしきる雨にとけて消えた。
3‐Cの中心で、愛をさけぶ 楽しい楽しい昼休み。最近の影浦とは縁遠いフレーズである。3年C組の教室で、影浦と水上はたがいの机を挟み、向かい合わせに座っていた。
影浦は不機嫌だった。まず、目の前の男が死んだ顔でメシを食うのが気に入らない。そのくせ「そのパンうまくねえのか」と問えば、「いや、うまいで。まずこの卵のゆで加減がちょうどええ……」を皮切りに、それはそれは丁寧な食レポが返ってくる。旬の食材・店主のこだわり等々、初耳情報とともにお届けされるそれは、時に情熱的であり時に理論的でもある。能面からくり出される感想の数々に、影浦は日々食欲をかきたてられるばかり。今朝などは久々に親の弁当をことわったぐらいだ。
問題はこの後だ。たまごパンを食べ終えた水上は一言、
「はあ……春巻きパンが食いたい」
「食やいーだろ」
違うパンを食しては春巻きパンへの愛をさけぶ。毎日がこの有様なのだ。
「チッ、毎日毎日おんなじことばっか言いやがって……いいかげん聞き飽きたっつーの。仕方ねえだろーが。購買は早いもんがちなんだ、諦めろ」
「ちゃうねんカゲ、今日は"あえて"買わんかったんや……」
「ア"?」
さかのぼること10分前。水上は購買でまたしても漆間に出くわした。彼は水上の顔を見るなり「あっ春巻きパンすか? ドーゾドーゾ」とすすめてきたのだ。
「そのまま買っちまえばよかったじゃねーか」
「いや、今日ばかりは買うわけにいかんかった。あいつに譲られるとかなんかこう……負けた気がするやん?」
「はっ倒すぞ」
影浦の睨みもおかまいなしに、水上は手元にある茶色い紙袋を開いてみせた。中には先ほどまで彼が食べていたのと同じパンが、3つ転がっている。春巻きパンが食べられない仕返しに、漆間の好物を目の前で買いしめてやったのだという。影浦は絶句した。
(自分でチャンスをぶっ壊したあげく、堂々と嫌がらせしただあ? マジかよ、正気じゃねえ……)
別に漆間に同情したわけではない。級友のあまりのセコさに言葉を失ったのだ。コイツは本当にあの生駒隊の司令塔なのか。春巻きパンに固執するあまり、どこかおかしくなっているのではないか。影浦の心は、うっとおしさと心配との狭間でゆれにゆれていた。
ほどなくしてうっとおしさに軍配が上がる。目の前の相手を八つ裂きにしたい衝動にかられたが、あいにく今は生身だ。トリオン体とおなじ感覚で手を出すわけにはいかない。普段だったらとっくにブン殴っていてもおかしくない状況だが、影浦には強く出れない事情があった。まさに今日、水上に内緒で春巻きパンを食べていたのだ。
たしかにあれはうまかった。座布団に似た形のパンで、全体が破裂寸前のモチのようにふくらんでいるのが特徴的だ。封を開けると揚げもの特有の香ばしさが鼻をくすぐる。一口噛めばパリっと粋な音がして、サクサクの皮の中からしっとりとしたパンが顔をのぞかせる。さらに食べ進めると具に行き当たる。たけのこ、人参等の具材に、さっぱりとしたタレが絡んでうまい。ひき肉が入っていてコクもある。ボリュームがあり食べごたえも抜群だ。水上が執着するのも分からんではない、というのが素直な感想だ。
なぜ水上を出し抜いたのか。理由は簡単だ。すぐそばで毎日のように呪文をとなえられ、興味がわいた。
今日は水上が委員会仕事なのをいいことに、村上を購買に向かわせた。「本当に大丈夫か、水上に悪くないか」としきりに気にする彼に、半分パンをわけ共犯に仕立てあげた。教室に戻ってもなお村上が落ち着かない様子だったため、北添のいるB組に避難させた。
そんなわけで、若干の負い目と2人分の罪を背負って、影浦はいまここにいる。思うところは多少──否、かなりあるものの、殴りたい衝動をおさえつつ、なんとか愚痴聞きをしているのであった。
水上は本日3つ目のたまごパンをほおばりボヤいた。
「そもそも、なんでアイツが俺より早くパン買いに行けんねん」
本校のクラス配置は、1年生が3階、2年生が2階、3年生が1階という具合だ。基本的には3階にいるはずの漆間が、1階の自分より先に購買につくのはおかしい。もっと言うなら、昼休みの用事をはさんでなお、明らかに行き合う回数が多いのが謎。それが水上の主張だった。
「知るか。行動パターンが一緒なんだろ」
「うへぇ……やめてくれや、アイツとおんなじとか」
水上はげんなりとした顔でブンブン手を振った。
もう一つくらい嫌味を言っても良かったが、後始末の面倒くささを考え影浦は口をつぐむ。パンの件を抜きにしても、この男には日ごろから世話になっているという自覚がある。穂刈や村上ともども、勉強面や性格面でフォローしてくれているのだ。
だから多少イラついたとしても、力まかせに押さえつけることはしない。いまのところ対話する姿勢をとってはいるものの、己がキレちらかす未来もそう遠くない気がしている。天を仰ぎつつ、穂刈と村上の帰還をいまかいまかと待ちわびるのであった。