800字小説練習(SB69) 秋の柔らかい夜風が、彼の背中を押
す。夏が過ぎたといえど昼間は残暑の厳しさが残る。しかし夜になると幾分過ごしやすい。近所の金木犀も徐々に花開き始めており、季節は巡っているなと感じた。
今日はシアンに誘われて、Yokai streetで行われる宵祭りへ行く事になっている。
夕方の六時頃に実家を出て、事務所までシアンを迎えに行く。秋が来て日没が随分早まり、辺りはすっかり暗い。事務所を待ち合わせ場所にしておいて良かった、こんな暗がりの中駅前などで待ち合わせたら危ないところだった。
事務所の明かりが見える。喫茶アンゼリカの前で佇んでいた彼女がこちらに気づき、嬉しそうに顔を明るく緩めて駆け寄って来る。
クロウはその格好が普段と違う事にすぐ気が付いた。プラズ祭の際に着ていた桜色の和装によく似ているが、上の着物部分が黒地に赤い紅葉が点在する柄になっている。頭に着けているのはヘッドドレスではなく、紅白の市松模様に鈴の付いたツーサイドリボン。クロウの元に走って来るのに合わせ、ちりんと音がした。
クロウはその装いを着こなすシアンにぼーっと見惚れた。視線を、心を奪われ、なにも考えられなくなる。
「どうしたにゃ? クロウちゃん」
目の前まで来たシアンが不思議そうに顔を覗き込んで来る。顔近い。
薄く化粧をしているようで、艶々のグロスに長く見えるまつ毛。それらが更にクロウをどぎまぎさせた。
「か……」
「か?」
「あ、いや、似合ってるぜ。その格好」
「えへへ、ありがとにゃん」
曖昧な言い方になってしまった。男性にとってあまり言い慣れていない単語ではあるし、特にクロウの性格上素直に口にはできない。『可愛い』って。
「お、おう」
「クロウちゃんなんか変にゃ」
「いや、その……言いたい事があってよ」
クロウは首の後ろに手を置いたり無意味に腕を摩ったり。落ち着きのない様子を見せた後、頬を赤く染めながら意を決して、つかえそうになる喉を懸命に絞る。
「か、可愛いぜ……めちゃくちゃ」
――シアンが黄色い大声を出しながらぎゅーっと抱き付いて来るのは、数秒後の事。