春の花と彼と彼女 ワルイージは自宅の庭で薔薇の世話をしていた。そろそろ肥料を取り替える時期で、その作業に勤しんでいる。
そこに愛しい声が流れ込んで来るのは、春の風が僅かに通り過ぎた後だった。
「此処に居らっしゃったんですね、インターホンを鳴らしてもお出にならなかったので」
「おう、あんたか。悪いな気づかねえで」
「いえ、構いませんよ。クッキーを焼いて来たんです。一緒にいかがですか?」
ロゼッタが手にしていた比較的小さな紙袋を顔の高さまで挙げる。ワルイージの顔にそれを楽しみにしたにやりとした笑みが浮かんだ。
「こいつは上等なティータイムだ。待っててくれ、これ終わらせちまうから」
「とっても綺麗な薔薇ですね」
彼の側まで来たロゼッタが腰を屈め、薔薇の一つにちょんと人差し指で触れた。たおやかな指も相まって、そんな何気ない所作ですら画になる。
こちら側から見ると髪で顔がほぼ隠れてしまっているが、それでも美しく思えた。
そんな横顔に見惚れていると、ロゼッタが『あら?』となにかに気が付く。薔薇の植え込みの横に、紫がかったピンクの小さな花が並んで咲いていた。
「可愛いお花ですね」
「ああ、蓮華だ。何処かから種が運ばれて来て自生してるんだ」
「写真に撮ってよろしいですか?」
「これをか? まあ、こんなもんで良ければいくらでも……」
「ありがとうございます!」
ロゼッタが機械端末を取り出して写真をいくつか撮る。その純粋無垢に楽しそうなさまがワルイージの心にも春の花を咲かせた。
「心が和らぐ、な……」
「はい、そうですね。お花を見るとそんな気持ちになれます」
違う。花を愛でる貴女と居るから、こんな温かい思いが芽生える。
そんな感情を呑み込んで、彼は『そうだな』と頷いた。
「さて、さっさと終わらしちまおう」
きっと今日も会える時間は限られている。
家の中でお茶の準備をして来ると言って去る彼女を見送りながら、短くもシアワセな逢瀬を想像する。
作業をしながら一度だけ蓮華を一瞥した。春の花は二人が今日も無事に会えた事を祝福するように、風の中でその頭を揺らしていた。
(おわり)
※蓮華草の花言葉…『心が和らぐ』、『私の幸せ』