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    sksaka3

    20↑/左右固定/ハピエン厨/単行本派
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    sksaka3

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    訳ありのハサアオ3

    ご飯食べてるだけなので訳あり要素はほとんどありません、そして無駄に長い
    良くないモブが出ます

    ##ハサアオ

    #3 食生活改善編「ハッサクさん、これ持っていってください」

    朝の日課である珈琲を飲み終えジャケットを羽織ったハッサクに差し出されたのは、両手で収まるほどの小包だった。見慣れないミントグリーンの布に包まれたそれは、重くもなくかと言って軽くもない重量で、受け取ると僅かにかちゃりと音が鳴った。

    「……もしかして、お弁当を作ってくれたのですか?」
    「はい」

    ギリギリまで寝たがるアオキが今日はやけに早起きだなとハッサクは感じていた。キッチンから聞こえる小気味の良い音と香りに食欲旺盛な彼のことだ、朝から何か食べたいものがあったに違いないとてっきり自分用の朝食を作っているものだと思っていたが、自分用の朝食どころか恋人の昼食を作っていたらしい。アオキと付き合うまであまり料理をして来なかったハッサクに対して、アオキは長い独り身生活と食事への拘りのおかげか手の込んだものでなければ一通りの調理はこなすことができる。家で食事を共にする際には、お互いにその腕を振るうこともあった。しかしアオキが早起きしてまで弁当を作ったことなど一度もない。ハッサクがランチボックス一式を自宅に置いているはずもないため、これもアオキが自ら選んできてくれたものだ。感極まったハッサクがうぼおい!と大声をあげると、朝からやめてくださいとげんなりした声が返ってきたが許してほしい。一頻り泣くとようやく落ち着いたのか、ぐしぐしと赤い目元を擦った。

    「ありがとうございます、アオキ……!しかしどうして急に……?」
    「食生活も大事なんですよ。あなた、作品に集中しだしたら飯を抜くなんてザラじゃないですか」
    「う、それは……」

    普段はアカデミーの食堂で昼食を摂っているハッサクだが、アオキほど食にこだわりも無ければ他に優先するものがあるなら食事を蔑ろにすることも珍しくはなかった。それこそ"アオキとの食事"が待っているなら這ってでも行く覚悟ではあるが、自分一人にしか影響がない部分ならきっぱりと切り捨ててしまう。作品に向き合っている最中は食事をする時間も惜しいとのことだが、アオキからしてみれば考えられないことだった。とはいえアオキが同じ立場だった場合彼は食事を摂る代わりに睡眠時間を削っているのだからお互い様である。

    「バランスの取れた食事、適度な運動、充分な睡眠……。こんなことでハッサクさんの体質が改善するとは思っていませんが、無いよりはマシだと思うので」

    そう言うアオキの手元のテーブルには、ハッサクのものと同じ大きさのスカイブルーの包みがあった。

    「良かった、アオキの分もあるのですね」
    「1人分を作る方が面倒なので」

    アオキはそれをひょいと持ち上げて鞄にしまい込む。ハッサクは違和感を覚えて首を捻った。

    「……アオキはそれだけでは足りないですよね?」

    アオキの弁当箱はハッサクに渡されたものと大きさに差は無いように見える。もともとアオキはハッサクの倍以上食べる大食漢であるし、弁当箱にぎゅうぎゅうに詰め込んでいたとしてもとても足りる量だとは思えない。

    「ああ……いつも食べる1人前を弁当に置き換えるだけなので。これに加えて外食もします。ハッサクさんには弁当だけ食べさせて申し訳ないんですが」
    「なるほど、アオキらしい欲張りな計画です」

    グルメな彼はその日毎、その土地で食べる料理を何よりも楽しみにしている。外で昼食を摂ることは外せなかったらしい。

    「弁当はあまり作ったことがないんです。だから不味かったりとかしたら教えてください。直せるところは直しますし……さすがに重い、ですかね」
    「いいえ、自慢して回りたいくらいです!昼が待ちきれないですよ!」
    「それは恥ずかしいのでちょっと」

    やんわりと断られてハッサクはすこし残念そうに声を漏らした。あ、この人自分が何も言わなかったら周りに言いふらす気だったな。二人が交際していることは限られた一部の人間のみ知るところで公言はしていないが、アオキとて愛する恋人に自慢されるなら悪い気はしない。

    「毎日作るのはしんどいので……今日は気が向いただけですし、たまにですよ」

    逸らされた視線は彼なりの照れ隠しだと分かっているから、ハッサクは左手に弁当を持ったままぎゅうと抱きついた。



    「はい、今日の授業はここまでです。フカマル先輩もありがとうございました」

    チャイムが鳴るのと同時に授業を切り上げると、生徒たちが談笑しながら教材を抱えて散っていく。ハッサクも手早く片付けを済ませると残っている生徒を見送る。無意識に何度も時計を確認してしまい、真上を指す針に頬が緩みそうになるのをいつも通りの笑顔として誤魔化した。最後の一人まで見送ると美術準備室に使い終わった教材を置き、代わりに通勤鞄を持って美術室を出た。グラウンドに向かう途中、すれ違ったタイムに何かいいことがあったのかと指摘されたので、言ってしまいたい気持ちをぐっと堪えた自分を褒めて欲しいとさえ思った。
    天気がいいこともあってグラウンドは様々な生徒で賑わっていた。ポケモンバトルに熱中する者やお喋りを楽しむ者、ハッサクと同じ目的で来たのであろう生徒も見受けられた。ハッサクは周りを見渡して、人のいないベンチを見つけた。グラウンドの端にあるそのベンチは日陰になっているからか、今日のような穏やかに晴れた日は空席になりがちだった。わざわざグラウンドに来てまで人目を避けたのはアオキとの約束もあるが、アオキがハッサクのためにと用意してくれたそれを独り占めしたいという思いがあったからだ。自慢したくてたまらないのに、誰にも見せたくない。矛盾した感情に自分で少し笑ってしまいながら腰を下ろした。
    鞄から包みを取り出して膝の上に乗せると、きっちりとした結び目をそっと解いた。シンプルな2段のランチボックスに箸が添えられている。上段の蓋を開けると色とりどりのおかずが出迎えてくれた。一口サイズの鶏の照り焼きに、カップに小分けにされた少量のサラダときんぴらごぼう、定番の玉子焼き。下段には胡麻の振られた白米があった。思わず涎がじゅわりと滲むのを感じる。ハッサクは手を合わせていただきますと告げると、箸を持った。何から食べるか迷うが、ひとまずサラダに手をつける。既に味付けされているそれはしゃっきりとした食感を保ったまま、かといって水っぽくもなっていなかった。ドレッシングはおそらく市販のもので食べ慣れている味のはずなのに、何だかいつもより複雑な深みを感じるような気がして噛み締めてしまった。一口サイズの照り焼きはつやつやと太陽の光を反射している。数個入っているとはいえ一口で食べるのが勿体なくて繊維を断ち切ると、甘じょっぱい味付けと柔らかく弾力のある肉が恐ろしく白米と合う。思わずおいしい、と口に出してしまい、いけないことをしているわけでもないのに慌てて口を噤む。きんぴらごぼうは昨晩の残り物ではあるが1日置いたことで味がしっかりと馴染んでいて、飽きることも無く箸が進む。玉子焼きは箸を入れると崩れてしまいそうなほどの柔らかさもあるのに、切ったそれはしっかりと形を保ったまま持ち上がった。舌の上でほろほろと溶けたそれは、ハッサク好みのだし巻き玉子だった。アオキの実家では甘い味付けの玉子焼きだったらしいが、いつだったか酒の席でハッサクはだし巻き玉子が好きなのだと言ったのを覚えていたらしい。2、3回に分けて巻いたのだろうか、断面まで綺麗に焼けている。
    恋人お手製の弁当に、気持ちのいい青空、若い才能たちの声。今自分は世界一の幸せ者だと思わず泣いてしまいそうになりながら、ハッサクはどれも大事に咀嚼し、たっぷりと時間をかけて完食した。



    帰宅する旨をメッセージで送り帰路につくと、しばらくしてからスマホロトムが返信を知らせた。いつも通りの「分かりました」といった簡素なメッセージに既読をつけてスマホロトムをしまおうとしたところで、ポコンと可愛らしい音が鳴った。

    『弁当のおかずは何が好きですか』

    わざわざ聞いてくるということは次の予定があるということなのだろう。美味しかったですか、と聞かないあたりが素直じゃなくて可愛らしい。ハッサクは浮かれ気分でとても美味しかったですよ、と打ち込んだものの送信前に取り消した。これは直接、正面から伝えたい。ハッサクはあまり弁当に馴染みがある方ではないが、生徒たちや家庭科のサワロから聞きかじった知識をもとに脳裏に定番のおかずを広げた。ハッサクからしてみればアオキが作ってくれた、という事実だけで食材自体は何でも良かったが、ここで「何でも良いです」と返すのは恋人として如何なものか。何と返信するか悩んでいると、既読をつけたまましばらく返事がないことに耐えきれなくなったのか『帰りにスーパーに寄ると思うので、ついでです』と送られてきた。アオキからのメッセージが3つも続くのは珍しい事だった。

    『買い物には小生も付き合いますので、どこかで落ち合いましょう』

    一人で考えるよりも二人で悩んだ方がいいだろう。結局アオキの問いに答えることは出来なかったがそれだけ返信する。

    『弁当箱は自分が洗いますので置いておいてください』

    ややあって思い出したかのように付け加えられたメッセージに首を傾げながら、ハッサクは再び自宅へと足を向けるのだった。



    明かりのついていない自宅の玄関をくぐると、脱いだジャケットをハンガーにかけてネクタイを緩めた。シャツの袖を捲って手を洗い、炊飯の支度をする。半同棲生活が始まってからアオキは外食する際はなるべく連絡をよこしてくれるようになったため、行き違いになっていなければ今日はハッサクと夕飯を共にするはずだ。もしそうでなくても余った分は冷蔵してしまえばいい。スタートボタンを押すと炊飯器が電子音を立てた。これからスーパーに行くと言っていたし、弁当の礼も兼ねて今晩はアオキの食べたいものを作ってあげよう。念の為に冷蔵庫の中をざっと確認しておく。
    ソファの上に置きっぱなしにしていた通勤鞄から軽くなった包みを取り出すと、テーブルの上にそっと下ろした。買い物に出るまではまだ時間もあるし、作ってもらったのだから後片付けくらいは自分で行う予定だったがアオキからのメッセージを貰った以上無視することも出来ない。愛しい恋人との穏やかな時間に「何で勝手にやったんですか?やらないでって言いましたよね」とお怒りモードを発動させるのは避けたい。
    時刻は19時を回ったところだが、スーパーは夜間も営業しているところなので問題は無い。軽く掃除も済ませてソファに腰を落ち着かせると、次の授業内容について構想を練り始めた。そうして30分ほど過ごすとスマホロトムがメッセージの着信を告げた。相手は案の定アオキで、仕事を終えたとの連絡だった。案外早かったな、とチャンプルタウンに迎えに行く旨を伝えると広げていた資料を片付ける。丁度炊飯器も炊きあがりを告げたので、軽く混ぜ合わせてから保温モードにしておく。ジャケットを掴み、手持ちたちも揃っていることを確認して家を出た。

    カイリューの背に乗ってチャンプルタウンの上空を飛んでいると、街の端にぼんやりと突っ立っている影を見つけた。暗闇に紛れた黒いスーツは、ハッサクでなければ見落としてしまうかもしれない。以前もチャンプルタウンで待ち合わせをしたことがあり、その際に目印になるようなものの前にいて欲しいですよと言ったことがある。しかし彼はジムの前やネオンの光るゲートの前はどうしても目立つから嫌なのだと言う。では宝食堂の前はどうかと聞くと自分を知っている常連客にハッサクと逢い引きしているところを見られるのが気まずいのだと言われた。ハッサクとしては牽制も出来て一石二鳥なのだが、この街を職場とするアオキが動きづらくなるのは本意ではないとしぶしぶ了承している。せめてポケモンセンターの前で待っていてほしいが、ハッサクさんなら自分がどこにいても分かりますよね、などと言われてしまえば押し黙るしかない。実際この暗闇の中でも見落とすことは無いのだから、彼はハッサクをよく理解している。

    「アオキ、お待たせしましたですよ」
    「いえ、先程着いたところなので。では、向かいましょうか」

    ハッサクは再びカイリューの、アオキはムクホークの背に乗ってハッコウシティに向かう。夜でもぎらぎらと輝く街を見下ろしていると、風を切る音に混じってハッサクの声が届く。辛うじて「100万ボルトの夜景ですね」というところだけ聞き取れたが、ハッサクの意図するところが読めず視線を注ぐだけに留める。
    ハッコウシティの入口付近に着地すると、カイリューとムクホークに礼を言いひと撫でしてからボールに戻した。

    「それで、100万ボルトの夜景が何ですか?」

    アオキは先程聞き取れなかった部分を問いかけると、ハッサクはにっこりと微笑んだ。

    「デートスポットとして人気なのですよ」

    その先は分かりますよねと言わんばかりの表情に、アオキは黙り込んだ。



    照明が多く全体的に活気のあるハッコウシティの中で、スーパーアルデネーノも例に漏れず煌々とした光を放っていた。アルデネーノに限った話ではないが、夜遅くまで仕事をしている身であるため夜間も営業してくれているのが非常にありがたかった。入店するとハッサクが迷わず籠を手に取るので、こういう気遣いを無意識にやってしまうところがこの人が紳士だとか言われ女性たちから黄色い声を上げられる所以だと思った。その気遣いを同じく男性である自分に向ける必要はないのだが。
    二人で冷蔵庫の中身を擦り合わせながら足りない調味料や食材をリストアップしていく。

    「明日の弁当、何がいいですか?」
    「明日も作ってくれるのですか!?」
    「今のところはそのつもりですが」

    次回があるとは思っていましたがあんなに満たされる時間を2日連続で!?小生幸せでどうにかなってしまいそうですよ!
    今すぐ抱きしめたい気持ちと涙が溢れそうになる目頭をぐっと押さえた。

    「アオキが作ってくれたお弁当、とっても美味しかったですよ!小生、感動して泣きそうになってしまいました」
    「耐えたなら偉いですね」

    正面から褒められてむず痒そうに視線を逸らしたアオキは、ハッサクを置いてすたすたと先に行ってしまった。ハッサクは小走りでアオキの横に追いつくと、今日の弁当についてひとつひとつ感想を述べていった。

    「玉子焼きは特に気に入りましたので、また入れていただけると嬉しいですよ。今度はアオキに馴染みがある甘い味付けのものも食べてみたいです」

    そうですか、分かりました、などの簡素な相槌ではあったがアオキの握り拳に力が入っていることをハッサクは見逃さなかった。表情こそ変わっていないが、これは照れている。直接伝えるという選択肢を選んで良かった。頬の緩んだハッサクに気付いたアオキにデレデレしないでくださいと言われても、それすらも可愛らしいせめてもの反撃に思えてハッサクの口角が下がることはなかった。
    次回以降の弁当のおかずはハッサクがいくつか案を出したもののアオキ自身がどれも良いと思ったらしく結局決めきれず、数日分をまとめて買うことになった。ついでに今晩の食事はハッサクが用意するからそちらの食材も購入したいと伝えて、野菜コーナーを巡っていく。

    「自分は資格を持っているわけでもないので栄養バランスとか、詳しくは分かりませんが」

    トマトやレタス、玉ねぎ、アーリーレッドなどのサンドウィッチでもお馴染みの具材を始め、人参やほうれん草、キャベツなど比較的栄養価が高いとされる野菜も次々と籠に入れていく。ハッサクは籠に放り込まれる食材を受け取るばかりで、こんなことならサワロ先生にもっと詳しく聞いておくべきだったと少しばかり後悔した。肉や調味料、卵も買い足すと、籠は一つに収まりきらず途中で追加して会計を済ませた。小生が持ちますですよ!と手を差し出すハッサクに、自分が持たせているみたいなので嫌ですと断って、ずっしりとした袋をお互いに一つずつ持って店を出た。帰り際にオーラオーラで惣菜も少し買ってから再び手持ちにお願いして、漸く帰路についた。

    帰宅してアオキが惣菜を食卓に広げている間に、ハッサクは夕飯作りに取り掛かった。白米はもう炊き上がっているしアオキリクエストのシンプルな生姜焼きは難しい工程も無いためそれほど時間もかからないだろう。味付けを済ませた肉を焼いている間に付け合わせるキャベツを千切りにしていると、ずいぶん手馴れたもんですねとキッチンを覗かれたのであなたの影響ですよと返した。
    手持ちたちにはアオキが夕飯を与えてくれたらしくそちらでは一足先に食事会が始まっていた。
    食欲をそそる生姜の香りに待ちきれないと言わんばかりのアオキがハッサクの隣にやって来た。もう出来ますからね、と言うと食器をいそいそと取り出した。本当に、食事を前にすると素直で可愛らしい。素直でないところも可愛らしいんだけれども。

    各々夕飯をよそった皿とオーラオーラで買ったポテトサラダを並べた食卓に向かい合ってつくと、二人は手を合わせた。

    「「いただきます」」

    野菜から先に食べるのがおすすめですとアオキに言われてから、ハッサクもそれが習慣づいてきた。どうやらベジファーストと言うらしいこともアオキに教えられて知ったことだ。メインの生姜焼きは漬け込む時間が無かったもののしっかりと味が付いている。

    「ハッサクさん、料理上達しましたね」
    「本当ですか?アオキにそう言って貰えると嬉しいですよ」

    酒の席ならまだしも食事中は会話が多い方では無いが、無言が苦痛になる仲ではない。黙々と吸い込まれていく料理たちにハッサクは胸がいっぱいになった。アオキはその後も何度かおかわりをしていたが先に食べ終わっているハッサクはひたすら食べるアオキを見つめていた。初めの頃は食べづらいのであまり見ないでくださいと言われていたが、今ではすっかり受け入れられている。
    ご馳走様でした、と箸を置くのを見届けると食器を片付けるために立ち上がる。するとアオキが自分がやりますので風呂の準備をお願いします、と言うのでお言葉に甘えて皿洗いは任せて風呂場に向かった。
    湯をはるスイッチを入れて戻った頃には、アオキはまだ皿を洗っていたがテーブルの上に置きっぱなしにしていたランチボックスが無いことに気づいた。水切りラックを確認すると二つのランチボックスが逆さまになって立てかけられている。色違いになってはいるが、デザインは同じものだったようだ。
    その後は手持ちのケアや風呂、翌日以降の授業の準備をして、二人で眠りについた。



    それから1週間ほど経過したが、ハッサクの休日を除いて毎日アオキは弁当を作っていた。その間もハッサクの体質の治療が同時進行で行われ、手を握ってみたり、肌を触れ合わせてみたり、少しずつ触れ合いを増やしていった。お手製弁当は焼き魚がメインの日もあればハンバーグや定番のサンドウィッチ、おにぎり弁当などなど。そのどれもに外れがなく、希望通り甘い玉子焼きが入っていた日もあった。昼は食堂に顔を見せていたハッサクがここ最近は弁当を持参するようになったらしいと広まりつつもあり、恋人が作ってくれているのだとバレるのも時間の問題だなと失笑してしまった。
    正午を知らせるチャイムが鳴り、今日のおかずは何だろうとうきうき気分で弁当を片手にグラウンドに出ると、付近に良からぬ気配を感じて一瞬で体温が下がる。

    「こんなところまで何の用ですか」

    分かりきったことを聞きながら振り向くと案の定、ハッサクの出奔した里からの使者であろう独特のスーツを着た男が立っていた。齢は20もそこらの精悍な顔つきをした若い男で、里から男が送られてくることはかなり珍しい事態だった。

    (小生が強く出られないことを見越して女性の使者を選んでいたのではないのですか?男性が送られてきたことなどパルデアに来てからは記憶にありませんが)

    男はハッサクとの距離を詰めると、やはり里に戻るようにと告げてきた。何度も断っているはずですがと一向に進展しない押し問答を繰り返していると、男はハッサクの左手に視線をやって不敵な笑みを浮かべた。

    「ハッサク様がこの地方の男に懸想していることは里長にも伝わっております」
    「そうですか、それが何か?」
    「ですから私のような男が選ばれたのですよ。貴方様が里にお戻りになるのでしたら、里長はその性的指向に目を瞑ってやってもいいと仰せです」
    「……は?」

    思っていたよりも低い声が出た。ハッサク自身だけならまだしも恋人まで巻き込んで馬鹿にされて血管が浮き出る。ハッサクはアオキだから愛しているのであって誰でもいいわけではないし、歳若い生徒たちのいるこんな場所でしていい話題でもない。

    「帰りなさい、お前たちに話すことはありません」
    「こちらの話はまだ終わっていません」

    生徒たちが見ている手前、努めて平静を装った。ただならぬ雰囲気を察したのかグラウンドにいた生徒たちは徐々に減り始め、かなり疎らになっている。
    そうこうしているうちにチャイムが鳴った。授業開始の5分前を知らせる予鈴だ。生徒はもう一人も残っていない。ああ、もうこんな時間か。貴重な昼休憩をこんな無駄なことに消費してしまった。

    「授業がありますので、これで」

    ハッサクは男を無視して背を向けると、男が纏う空気が変わったことを肌で感じ取った。空気を切り裂く音が耳に届く前に、咄嗟に男の反対側へと大きく下がる。

    「話を聞いてもらえないと分かると今度は暴力ですか。堕ちたものですね」

    肩に力の入った男は荒い息を吐き出しながら再び向かってきた。何かの体術であろう身のこなしから繰り出される蹴りを何とか潜り抜けて、これは流石に不味いかもしれないと頭が警鐘を鳴らす。ハッサクも護身術は身に付けている上に体力や反応速度に自信があるとはいえ、それでもいち美術教師だ。毎日のように鍛えている20代の若人とまともにやり合っては危険だ。しかし話を聞いてくれるような相手でもなく、このまま放置してハッサクが逃げ出そうものならアカデミーがどうなるか分かったものではない。どうにか取り押さえて警備に突き出してやらねばならない。

    「あんたを連れ戻すためならどんな手段を使ってもいいと言われている!それに連れ戻した暁には俺たち家族は一生安泰が保証されている」

    可哀想に。ハッサクは直感でそう思った。あの父が、あの里がそんな都合のいいことを認めるはずがない。この若者もまた騙されここに送られた哀れな被害者だ。そしてそれを信じるしかない環境にしている里に、反吐が出そうになる。
    男が蹴りあげた右脚を避けきれず、ハッサクは咄嗟に腕で防いだ。響くような鈍く重たい痛みに顔を顰めるが、男は息を継ぐ間も無く次の攻撃姿勢に入る。

    「少し痛くしますが、泣かないでくださいね」

    ハッサクは男の攻撃の合間に生まれる一瞬の隙をついて鳩尾に拳を叩き込んだ。利き手ではない右手だったから、多少の手加減は出来ているはずだ。腹を抱えながら呻き声を上げてその場に蹲った男を押さえつけ、スマホロトムに指示をして警官に連絡をする。警官の到着を待つ間に喋れるまでに回復した男が子供じみた罵詈雑言を垂れ流すのを黙って聞いていた。
    到着した警官に引き渡すと、もう睨み返す気力もないのか、男は大人しく両脇を抱えられて連行された。

    「恨んでくれてもいいですよ」

    ハッサクのその言葉が男に届いたかどうか、それが救いになったかどうかは本人以外の誰にも分からない。

    ハッサクは男たちの背中を見送ると漸く息を吐き出して、自身のジャケットについた砂を払った。授業に遅れてどれくらい経ったのだろう、自習してくれているだろうか、などと教師の自分が生徒を心配する傍ら、ハッサクはその場にしゃがみこんで呆然とする。
    そこには無惨に転がったミントグリーンの包み。
    本当に悲しい時は涙が出ないのだなと思った。



    校長に騒動の報告と謝罪を済ませると、怪我がないか病院で診てもらうため授業は休みにするように言われた。ハッサクがそういう訳にはいきませんと断るとクラベルは困った顔をして、でしたらせめてミモザ先生に診てもらってくださいと譲歩してくれたが、結局午後の授業は全て休講になってしまった。
    保健室で診察を受けると、幸い擦り傷や打撲ができた程度で骨や内臓は無事だった。手当をしてもらいお騒がせしましたと保健室を出ると、ハッサクを探していたらしい警官が廊下で待っていた。事情聴取のために警察署に連れていかれたハッサクが再びアカデミーに戻って来られたのは、もうホームルームも終わった夕方といった時刻だった。
    ハッサクは痛みと疲労を抱えた身体を引き摺りながら誰もいない美術室に戻ると、普段は生徒が授業を受けている机の椅子を引いてどかりと腰を下ろす。オレンジ色の光が差し込む窓の外からは元気な笑い声や話し声が聞こえてきた。彼ら彼女らに何も無くて良かった。ハッサクは天を仰いで目頭を軽く揉んだ。
    机の上には歪な形になってしまった包み。幸い中身はこぼれていなさそうだ。結び目を解くといつもと変わらぬ弁当箱が鎮座していて少し安心する。覚悟はしていたが上段の蓋を開けるとぐちゃぐちゃになったおかずが現れて胸が詰まる。丁寧に詰めてくれたのであろうお浸しは小分けのカップからはみ出て野菜の肉巻きと混ざってしまっているし、破裂したミニトマトがその種を散らしている。ハッサクお気に入りの玉子焼きは原型もなく潰れてしまっていて、下段に詰められたご飯は片側に寄ってしまっている。

    「……いただきます」

    左手に箸を持つと、少しずつ口に運んでいく。

    「美味しいですよ、アオキ」

    誰が聞いている訳でもないのにそう零すと、ハッサクは静かに頬を濡らした。



    時間も遅く、リーグに急ぎの仕事も無いためアカデミーから直接帰宅していつも通り食事を済ませ、風呂から上がると、アオキが待ち構えていた。

    「ハッサクさん、何か隠してますよね」

    普段よりもワントーン低い声色に肩が震える。これは、もしかしなくても怒っている。今日アカデミーで起こったことはアオキには報告していない。隠していたわけではなく、幸い顔や見えるところに怪我を負ってはいないのでアオキに余計な心配をかけたくなくて黙っていた。
    座ってください、といつもはのんびり過ごすソファではなく食卓の椅子を指されて大人しく従う。

    「もう一度聞きます。今日、何かありましたね」
    「……どうしてそう思うのですか」

    これはもう"はい"と言っているのと同義だ。アオキは一つため息を落として、ハッサクからは見えない角度のテーブルの陰からある物を取り出した。
    それはハッサクのランチボックス一式だった。

    「ここに、今朝まではなかった傷があります。それに加えてランチクロスには擦ったような解れと、僅かに汚れがありました。ただ落としただけではこうはなりません」

    アオキの真っ直ぐな視線に、つい目を逸らしたくなった。いつもと立場が逆だ。ハッサクは里からの使者に暴力を振るわれたこと、何とか押さえ込んで被害を最小限に留めたこと、その際に弁当箱に衝撃が加わってしまったことなどを正直に白状した。
    アオキは相槌も打たずに静かに聞くだけだった。話し終えて漸く口を開いたアオキに怪我の具合を聞かれたので、ミモザに診察された内容をそのまま伝えた。

    「……弁当、どうして食べたんですか」

    見るに堪えない状態だったでしょう。アオキが食材を蔑ろにする発言を今まで聞いたことがなくて、そしてアオキの口からそんなことを聞きたくもなくて、膝の上の拳を強く握った。

    「アオキが小生を思って作ってくれたものですよ。たとえどんな姿になろうとも、それは変わりません」

    アオキは黙り込んで俯いた。瞳に薄らと膜を貼った水分が光を反射している。

    「……毎日、あなたから空っぽになった弁当箱を渡されるのがすごく嬉しくて」

    だから弁当箱を洗うのは自分に任せてほしいと言っていました。ハッサクは耐えきれなくなって立ち上がると、俯いたままのアオキの頭を抱えるように胸に抱きとめた。

    「ハッサクさんが無事で本当に良かった……」

    いつもに増して小さな声だったが、ハッサクの耳にはしっかりと届いた。僅かに震えている背を落ち着くまで撫でていた。

    「残さず食べてくれてありがとうございました」
    「いいえ、こちらこそ感謝しているのですよ。心配をおかけしてしまってすみません」

    アオキはハッサクと目線を合わせると、1拍置いてから唇に触れるだけのキスを落とした。ちゅ、と可愛らしい音を立てて離れていった唇をぼうっと見つめていると、控えめに口が開く。

    「今日の弁当の、リベンジをさせてください」

    それからというもの、毎日のようにお手製弁当をにこやかに平らげているハッサクに恋人がいると知れ渡るのは、そう遠くない話である。



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