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    質屋まぁち

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    質屋まぁち

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    ふたいつ ネップリ頒布作品 byかや

    【鼻梁へのキスは 愛玩の】「できたら、ご褒美くれるって言った!」
     学年平均点よりは、十より少し少ないくらいを下まわる、しかしてすんでのところで追試を避けた学期末考査の生物の答案を高く掲げながら、裸足で華道部部室の畳の上に仁王立ちをした嘴平伊之助は、居丈高にそう怒鳴った。相対するのは、愛らしいツインテールに蝶を飾った、それに不釣り合いなキリリとした眉が特徴的な一学年上級の女子生徒、神崎アオイ。
    「でも、でも……」
    膝は正座の形で、気圧されたように後ろ手をつき、わなわなと震える唇でアオイは怒鳴り返したが、
    「き、キスしろだなんて! 聞いてない……です」
    鉄筋コンクリートの壁に響いた自分の声に気恥ずかしくなったのか、最後の言葉は尻すぼみに消えていった。

     この男子とアオイの縁は、中庭の草むらの中で蹲って腹を鳴らす伊之助に、彼女が自分の弁当箱を差し出したことから始まった。学年も組も、名前すら告げていなかったのに、驚くべき嗅覚でアオイを見つけ出した伊之助は、今ではアオイの両親が営む食事処、あおぞら食堂の常連である。アオイの部活が有ろうが無かろうが、終了時刻には自分の学級のHRも終わってないだろうに、アオイの教室の後ろのドアにへばり付いてる彼を、級友達が『神崎さんのワンちゃん』なんて呼んでいるのを伊之助は知る由もない。

     靴は履いてこない、教科書類は学校に置きっ放し、制服は着崩し、教師の言うことなど馬耳東風の伊之助が、アオイの言うことなら少しだけ聞くのに目をつけられて、国語と体育以外はからっきしの彼の勉強を見てやってくれないかと教師陣から頼まれたのは、先月の始めのことである。部費の優遇をチラつかせられて、大人って汚いとは思いながらも、アオイは頷いてしまったのだ。華道は金がかかる。園芸部に頼み込んで練習用の花を切らせてもらったり、各自、家の庭から、野から、花を持ち寄ったりと節約はしてみても、毎年予算は足りないのが現状だ。展示の折には、生花店に売ってるような華やかな花だって使いたい。しかも、伊之助には教えるだけでいいからと、学年順位を上げろだなどというノルマは課されなかった。昔から優等生で、厄介な生徒の面倒を押し付けられるのなんて、アオイにはよくあることで、今では誰もそうとは思わないだろうが、親友のカナヲと出会ったきっかけだってそれだった。お安い御用だ。そう思ったのだ。

     それを伊之助に知られたのは、試験期間の数日前。
    「お前だけ、おいしい思いしてんの、ずりぃぞ!」
    「だけ、って、そもそも勉強はあなたの為になるもので……」
    「次の試験、全教科追試無しだったら、俺にもご褒美くれよ」
    「はいはい、いいですよ」
    「ぜったいだぞ!」
    そんな雑な会話を図書室で交わしたのを覚えている。

     試験が終わり、翌週、伊之助が嬉々として見せにきた答案は、だいたいが平均点のあたりをうろうろしていて、追試は無し。この生物の答案が、最後に帰ってきた教科だった。

    「や、休み中に食堂に来てくれたら、只でご馳走します!」
    「ヤダね」
     にべもなく返された一言に、食べ物になら絶対に釣られてくれると思っていたアオイは面食らう。
    「もう少し、他のものを考えてみては……? ほら、一晩たったら、他に欲しいもの思いつくかも」
    「お前が今日ヤダってんなら、明日から毎日、朝夕教室に行ってねだるぞ」
    ねだる、何を、キスを、教室で。それは困るとアオイはさっと青ざめる。これまで、二人っきりの図書室でだって、そんな色づいた素振りを見せたことのない伊之助が、ここにきて意外な強情さを見せてきて、アオイは舌を巻いた。
    「ええと、あの、頬、とか?」
    「口に決まってんだろ」
    「無理無理無理無理!」
    「じゃあ、明日でもいいぜ?」
    明日でいい、というのはつまり、他の生徒のいる面前で、これを強請られるということだ。うううと唸るばかりで、首を縦にも横にも振れないアオイに、伊之助は嘆息する。そうして、鼻梁を指差して、
    「じゃあ、ここでもいいぞ」
    などと嘯いた。


     とぼけて、茶化したように放った言葉に、その実、彼は本音を乗せた。


     数日前、午前の中休みの教室で、いつも三人ほどで寄り合って、絵を描いたり、本を交換したりしている女子たちが、ひそやかに興奮しながら話す声が耳についた。体のどこそこにキスをするのには、意味があるだのいう話の、ひとつの単語が気になって、伊之助はこっそりと耳をそばだてた。

    「……鼻梁へのキスは……愛玩の……」

     類稀なる美貌を持つ少年が、ひとり山で猪に育てられながら生きながらえていたのは、この辺の住民ならば知らない者はいない。伊之助はもともとは自分を、ひとだと認識していなかった。頭の横に、大きなレンズのついた黒々とした塊を取り付けた怪物たちが、ピカピカ光る板やら長い棒やらを持った人間と共に、伊之助の周りを取り囲んだ時、伊之助を飼いたがる人間がたくさん居ると知らされた。ただ、ヒサという老婆だけが、伊之助を飼おうと思っていなかったので、彼は彼女に自分の世話をすることを許したのだった。

      お菓子をあげる
      撫でて、抱きしめてあげる
      ふかふかの布団で、一緒に寝てあげる

    いらねぇよ、と思うだけだった、その提案も、アオイとだったらしてみたい。その感情を伊之助は、おそらく愛玩動物ってやつに成りたいのだ、と認識した。

    「で? どうすんの?」
    「なん! なんで、鼻なの? ほっぺたじゃダメなの?」
    「じゃあ、明日の朝、教室行くわ」
    「……! します! しますから! ちょっと待って!」
     そうして伊之助が揺さぶりをかければ、アオイは簡単に観念した。深呼吸しながら、みるみるうちに、赤くなってゆく彼女を、伊之助は面白そうに眺める。約束を反故にできない真面目なところも御しやすそうで、伊之助にとっては非常に好ましかったが、これは先が思いやられるなと、少しばかり心が重くなる。なにせ、こんなにガードが堅そうに見えるのに、こうまで押しに弱いとは。もしも知られてしまっては、他の愛玩動物希望者が、我も我もと押し寄せそうだ。これは早いところ、アオイに飼ってもらわねばと、こそりと伊之助は決意する。

     まずは、姿形を覚えてもらえ、餌をねだるのが近道だ。次に距離を近づけろ。甘えて擦り寄り、撫でさせろ。常に隣にいるようにしろ、相手が隣にある事が当たり前であるように錯覚させろ。慣れてきたら、少し離れて様子を見て、相手が自分無しでは寂しいのだと気付かせることができたら、あとは簡単、そいつがお前を飼ってくれる。

     近所の元野良猫に聞いたやり方を、伊之助は頭の中で反芻する。

     トマトのように真っ赤になったアオイが、観念したように、唇をすぼめて近づいてくるのを、伊之助は薄目を開けてじっと見ていた。これでまた一つ距離が近づいた。

     さて、次の手はどうしようか。

     アオイが己に輪っかをはめてくれる、その時を思い描いて、見目だけは美しい野良のケダモノは、うっそりとほくそ笑んだ。
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