キャラメリゼでバイトする 一葉はいつも通り、バータイムのCaraméliserに足を運んだ。
特に何か飲みたいものや、食べたいものがあったわけではないが、ついやって来てしまう。正直、そんなに酒は強くない。だが、マスターの機嫌がいい時はついつい飲み過ぎてしまう。そういえば、この前もそんな事があった気がする。
「あ、いらっしゃい。今日は何飲む?」
カウンターに腰掛けると、マスターのコーディが愛想よく話しかけてきた。
「そうだな……、じゃあ、今日はミントジュレップ。モヒートの酒をウイスキーに変えたやつさ」
「あれか……。またメニューにないやつを頼むんだから」
「できないならメニューから選ぶ」
「できないっていつ言ったの? ちょっと待ってて」
「了解」
ここはマスターに直接交渉すれば、メニューにないものも出してくれる。一葉はそれが好きだった。
しばらくして、コーディは手ぶらで戻ってきた。
「……カクテルは?」
「悪いんだけどさ、今日ちょっとお店手伝ってくれない? 灰くんが急に来られなくなっちゃって……」
「いきなりなんだ。……断る」
「え〜? じゃあ、この前飲み過ぎて潰れた一葉くんを介抱してあげた時に発生した残業代、ぜ〜んぶ君に請求しようかな」
「……いや、あれは……」
「ぼくのせいにするの? 飲み過ぎたのは君なのに?」
「……、はあ。わかった、やるよ」
「やった〜!」
一葉は渋々席を立ち、関係者入り口からバックヤードに入った。
「制服はこれ。あそこが更衣室ね」
はじめから手伝わせる気だったのだろう。すでに制服が用意されていた。
こういう服は初めて着る。ギャルソンというのだろうか。ウィングカラーの白いシャツにカマーベスト、長いエプロンと黒のスラックス、首元には蝶ネクタイ。前髪の半分は後ろへ撫で付け、長い髪は一つに束ねる。
まあ、こんなものだろう。
「準備できた?……うんうん、いいじゃない! じゃ、一葉くんはカウンターに立って、ぼくの補佐をしてね」
「補佐……?」
「グラスを磨いたり、カウンターから空いたグラスを下げたり。お客さんに話しかけられたら、ちゃんと対応してあげてね? カクテルは全部ぼくが作るから、安心して」
「はあ……」
ものすごく乗り気がしないが、お気に入りの店の評判を下げるわけにもいかない。一葉は普段とは逆側のカウンターに立ち、空きグラスを手に取った。
こう見ると、この店はいろんな客が出入りしているのだな、と思う。若い女性から妙齢の男性まで、客層はさまざまだった。中にはどう見てもカタギではない二人組なんかもいたが、触らぬ神に祟りなし。そっとしておいた。
「こちら、お下げいたしますね」
空になったグラスを下げながら、客の方を見やる。こちらには目もくれず、コーディの方を見ていた。
ここのマスターは昼夜問わず、女性からの人気が高い。昼の喫茶のマスターであるバート目当ての客は少ないくないし、それは夜でも同じことだった。まあ、オレの場合はコーヒーとチョコレート目当てだけれど。
そういえば、夜の時間帯によくこの女性を見かけるような気がする。相当熱心なコーディのファンなのだろう。そういえば、ストーカー紛いの客がいて迷惑だとコーディが言っていたっけ。
面倒な事にならなければいいが。
「チョコレートの盛り合わせとウイスキー、ロックで」
カウンター越しに注文が入った。
「チョコレートとウイスキーでございますね……って、ショコラちゃんか」
「え、かず……⁉︎ 何やってるの」
「見ての通り臨時バイト」
「はあ……、変なことしないでよ」
「はいはい」
ふと、店内をちらりと見る。そういえば、コーディはどこへ行ったか。きょろきょろと見回してみても、それらしき影はない。それどころか、従業員入り口が開けっぱなしになっていた。
「……ショコラちゃん、“恋を忘れる魔法”とか使える?」
「はぁ?」
「たとえば……このチョコレートを食べると、たちまち好きな人を忘れる、とか」
一葉はチョコレートの包み紙をつまんで見せた。
「できる……けど、何に使うの」
「厄介な恋を終わらせるために。……ま、最終兵器みたいなもんかな」
「でも……、ぼく、そんなの……」
「難しい事を頼んでいるのは分かってる。でも、ショコラちゃんにしかできないんだ」
「……わかった」
ショコラールは、一葉の差し出したチョコレートに恋忘れの魔法をかけた。本当はこんな魔法を使いたくはなかったが、一葉の真剣な顔を見たら断りきれなかった。
「ありがとう、ショコラちゃん。ちょっといってくるね」
一葉は魔法のかけられたチョコレートを受け取ると、バックヤードへ消えた。
***
Caraméliserのバックヤード兼、バートとコーディの自宅は、一葉も何度か訪れたことがある。前回訪れた時に比べ、ずいぶんと荒れていたが。
「こっち、かな……」
ものが散乱する通路を通り、コーディの私室へ向かう。何かあるとすれば、きっとそこに違いない。大きなため息が出る。
――話のできる相手でありますように。
心の底からそう願いながら、階段を登っていった。
私室のドアを開けると、いかにも昼ドラにありげな「痴情のもつれ」としか言いようのない光景が見えた。
先程の女性客がコーディに馬乗りになって包丁をかざし、彼はそれを必死に食い止めている。
「……お取り組み中悪いんだけど」
「いや、分かるよね⁉︎ 早く助けてくれる⁉︎」
「……。あーっと、そちらのお嬢さん? とりあえずショコラでも食べて落ち着きませんか」
一葉はわざとらしく紳士ぶってみせた。
何としても、この魔法じかけのチョコレートは食べてもらわなくてはならない。当然、それどころじゃない! と突っぱねられてしまったが。
「それは残念。これはコーディさんが仕入れた特別なチョコレートなのに……。ぜひ一番のお客様に食べて頂きたかったのですが。そういう事でしたら」
一葉はチョコレートの包み紙を開ける。可愛いらしい形をした、至って普通のチョコレートが顔を出した。
それを口に運ぼうと手を伸ばしたその時、チョコレートを横から奪い取られた。
女性客ば必死になって魔法のかかったチョコレートを食べている。きっと、味なんて分からなかっただろう。
チョコレートを食べ終わると、女性客は静かに眠ってしまった。こっそりと、元いた席へ戻しておく。何事もなかったように。
***
帰り側、Caraméliserから出るとショコラールが待ち構えていた。
「ショコラちゃん。わざわざ待っててくれたの?」
「……あれ、使ったの」
「あれ?」
「僕が魔法をかけたチョコレート。使ったの?」
「ああ、使ったよ。効果抜群だったね」
「そう……」
「おかげでストーカーが一人減ったって、コーディさんも喜んでたよ」
「す、ストーカー……? 減る……?」
「あのチョコレートは、コーディさんに入れ込みすぎちゃったお客さんに使ったんだけど、いや〜、ショコラちゃんの魔法ってすごいね! 綺麗さっぱり記憶が無くなってた!」
「な……僕を騙したな⁉︎」
「騙した? いつ、誰が?」
「うるさい! 一葉、今日は僕に付き合ってもらうからね。こき使ってやる……!」
「えぇ? オレ、夜勤明けなんだけど……」