「うわー、白っ!」
「昨日まで寒波だったからね。雪が溶けきっていないんだろう。ノーマルタイヤから変えておいて正解だったみたいだ」
トンネルを抜ければ一面銀世界。よく聞く話ではあるが、こうして目の当たりにするとまた感慨深くなる。空を舞うものこそ無いが、冷たい風が吹いているのは見るからにわかった。
高速道路の長いトンネルに入る前も寒々しい木々が存在していた。都内と大きく代り映えしない光景。違いと言えば、色とりどりに変化するイルミネーションが施されていないくらいだろうか。だが、それだけだ。夏から冬に一瞬にして変わったわけでもない。今の季節を思えば不思議な光景でもないが、景色が様変わりするというのは正直、面白い。しかもそれが、一時間も二時間も経過しているわけではないのだから。
「傑ぅー!」
前を向いていた黒翡翠がほんの少しの間だけこちらに向けられた。過去形なのは、気のせいだっただろうかと思うほどのわずかな時間だったからだ。面白くないとも思うが、仕方がないので飛び出しかかった不満はぐっと我慢する。
「なんだい?」
道でも間違えたかな? と穏やかな声が耳を打つ。終わりが見えないほどにまっすぐな高速道路のため、道を間違えるというほど難しい運転ではない。一般道よりは法定速度が速くなるが、よほどでない限り間違うことはないだろう。よほど、というより、ほぼ、と言い切ってもいいだろう。
「次のサービスエリアで休憩しようぜ」
「さっきも休憩したじゃないか。また寄るのかい? 急を要さないなら、もう行ってしまおうかと思ったんだけど……何か気になるものでもあるの?」
「今から調べる」
「遅いよ。残念だけど今からじゃ車線変更できそうにないから、また次ね」
おい、という言葉は聞き流されてしまった。まだサービスエリアの標識は前方にある。交通量もさして多くないので、車線変更は十分できる。そこまでわかれば、初めからサービスエリアに寄るつもりはなかったのだろう。
せっかくご当地限定のスィーツがあったかもしれないのに。
不満を表すために名残惜しそうにサービスエリアとかかれている標識に視線を向ければ、おかしそうに笑われた。
車内は暖かな暖房が満ちており、静かな運転は気を抜けば夢へと誘われてしまいそうだった。程よい温度に保たれた空間に広がっているラジオ番組からは流行りの曲が流れている。邦楽に洋楽。K-POP。次々にジャンルが変わっていくので、代り映えのない視覚情報の代わりに聴覚で帳尻を合わせられているような気になってくる。もちろんラジオではなく、隣の男が話してくれるほうが数万倍もいいのだが。
見た目なのか。キャラ性なのか。寡黙と言われがちな夏油だが、二人でいる時はよくしゃべる。五条が話題を提供することもあるが、その反対もしかりだ。勿論、沈黙の時間も心地よく思うのだが、五条としては夏油の声も好きなのでずっと話していて欲しいのが本音。聡い男はそんなところも優秀なのかもしれない。とはいえ、意外にお喋りだというのは五条だけが知っていることだ。
(あー、いや。そんなことねぇか。あいつらも付き合い長い分知ってるな)
ふと自分だけの特権だと思ったことが高校からの友人たちも同様に知っていることに思い当たった。脳裏に浮かぶ面々にむっとしていると、苦笑を含んだ声音が耳朶を打つ。
「ごめんごめん。しかし残念だね。七海や灰原も来られたらよかったのに」
「マジでそれなんだけど。あいつら揃って風邪とかたるんでるんじゃね!? むしろドッキリかなんかかと疑ったわ」
「まぁ、時期的にもインフルが流行っているからね。毎日、満員電車での通勤じゃ不可抗力ってこともあるだろうし、繁忙期で二人とも仕事が忙しかったみたいだよ。会社員って大変そうだよね」
絵に描いたようなブラック企業に勤めていた七海は会うたびに青い顔をしていたが、今は転職をして本人曰くまともな企業に勤めている。残業はクソ。休日出勤はクソ。時間問わずの緊急呼び出しはクソ。論外だと豪語し、三段論法でも披露するのかと思うほどに憤っていた姿が懐かしい。そうなれば、真っ当な勤務形態に気を抜いてしまった可能性も捨てきれない。
だが、それは七海の話だ。七海より比較的、ホワイトっぽい会社に勤めていた灰原までが風邪だというのだから、疑ってしまっても仕方がないだろう。
「七海はまぁワンチャンそうだとして、元気が取り柄の灰原が病欠とかマジなんで? アイツの元気を前にしたら、病原菌のほうが裸足で逃げ出すだろ」
「それは悟も同じじゃないかな」
はぁ!? と前に乗り出してしまった。聞き捨てならない言葉だ。後ろを向いている暇があれば前を向いて進むほうが建設的だと思っている。信条だ。元気が取り柄と言うのとは違うため、同列に扱われたくはない。とは言っても、夏油はそのあたりの違いは理解してくれているはずだ。今はただ少しばかり揶揄いたいといったところか。
「まぁ、いいじゃないか。二人っていうのも久々だしね。それがテレビのロケでもない。完璧なオフだ」
仕事が忙しいことはいいことだ。人気仕事でもある。劇場に立つこともできずに、くすぶっていた頃を思い起こせば、忙しいことはありがたいくらいで。見てもらえる媒体はなんでもいい。テレビだろうと、雑誌だろうと。わざわざ劇場にまで足を運んでくれれば、尚いいが、なんであれ、自分たちの笑いをたくさんの人に見てもらえる機会が増えるのだから、当然、いいことに決まっている。
ごごっ、と風が吹いたのか、大型トラックが追い越していったからか揺れたような気がした。
夏油が言うように久しぶりの二人っきり。行く先が、夏油が好きなキャンパーたちが集うような個人プレイの場所ではなく、友人や恋人と過ごすことが多そうな映えを意識されている場所。テレビや雑誌でも特集が組まれるグランピングだ。
「一番行きたがっていた灰原がいないなら、キャンプに変更になっても僕はよかったんだけど」
「正直、一瞬それも考えたけど、悟がグランピングに行ったことないって言っていただろう? 楽しみにしていそうだったし、私も行ったことはないから楽しいかなと思ってね。何事も経験しておかないと」
キャンプなら時間が空けばいつでも行けるわけだしね。
そう言いながら笑う横顔を静かに見つめる。一人でオフの時間を見つけては出掛けていることは知っている。時々誘われるままに行くが、未だに何が楽しいのかが掴みきれていない。わからないが、夏油がいつも楽しそうにしているのでその表情を見ているだけで個人的には十分だった。
「帰りは僕が運転すっから、傑は向こう着いたら飲めよ」
「はは。こういう時、下戸が助手席にいるのはいいね。助かるよ」
役割分担のようなものだ。ノンアルコールでも十分、場酔いはできる。テンションだって上がるし、それでいい。そういう雰囲気が好きなのだ。
アルコールに関しては、二十歳を過ぎて法的に許された時に飲んだことはあるが、夏油だけでなく家入にまで止められるようになった。その時の記憶は不確かで、欠けている記憶がある。二人の様子からして、きっと何かしら迷惑をかけたのだろう。冗談のトーンではなく口にされるため、それ以来飲んだことがない。正直、アルコールの何が美味しいのかがわからないので、個人的には何も支障がない。むしろ甘くもないアルコールを飲むくらいならメロンソーダーを樽で飲んでいるほうが、何倍もテンションが上がる。
「悟、着いたらまず何からしようか?」
キャンプと違ってテントを立てる必要がないから手持ち無沙汰になりそうだ、と言うので、指を立てながらひとつずつ予定を告げることにした。五条自身もよくわかってはいないので、聞きかじった内容になるだけではあるが。
「まずは、あいつらに自慢するために写真撮ろうぜ! そっから、BBQと温泉。夜の焚き火は絶対だろ。あと、花火!」
「目白押しだね。タイムスケジュールでも組もうか?」
「うげー。仕事かよ! あ、そうだ。花火結構な量、買ったんだけどさ。使い切れっかな?」
「無理せず使わずに、それなら来年にも使おう」
「あ?」
「言葉の通りだよ。夏ぐらいにできるように予定を組もう。今回のリスケ」
みんなで行きたかったんだろ? と悟の心情は見透かしているよと笑みを漏らされた。
予約の類は七海たちがおこなってくれたが、ことの発端は五条自身だ。
メイクさんとの話の流れで流行っているというグランピングの事を知った。手軽なキャンプ気分が堪能できる。道具が不要なので初心者にもありがたい。今の時期は虫もいないから苦手な人でも行きやすい。次から次へとあげられる利点の目白押しに聞いている自分もわくわくしてきた。
キャンプに関してはソロキャンをする男が隣にいるため、手軽さというものを求めるのは違うような気がするが、みんなで行くのが楽しいと言われてしまえば、仲間内で騒ぐことが好きな性分としては行きたくなった。
普段、自然とは真反対のコンクリートジャングルで生活している疲れた社会人が童心を思い出す企画。おそらくロケなら、そんな副題をつけて行われただろう。仕事だったとしても楽しそうだが、完全なオフだからこそ余計に楽しみだったのは否定しない。
「夏は硝子も強制参加させようぜ」
「虫が嫌だとか、日焼けするとか言われそうだけどね。まぁ、そうなると部屋は二つ予約だね……って、悟が予約を取らなければ、そのあたりは大丈夫か」
「は? なんで? 五人くらい入る場所あるでしょ。一緒でいいじゃん」
「どこに人の目があるかわからないだろ」
「人の目なんてどこにでもあるだろ」
「おや。私が言わんとしていることがわかってないようだね」
実際わかっていないのだから、悔しいが素直に頷くしかない。あからさまな大きな溜め息を吐かれて男の声がワントーン下がった。
「悟に恋人ができたと週刊誌に載るのは面白くないってことだよ。相手が硝子だから、絶対に違うと私にはわかっていても、ファンや周りはちがうだろ」
人気商売。芸能人は存在自体がある意味で商品価値だ。顕著なのはアイドルで、芸人の自分たちにも当てはまるかは絶妙に微妙なところはあるが、まったく当てはまらないということもないだろう。たぶん。
ネタも万人に受け入れられている自負はあるが、一部ではやっかみで顔ファンしかいないと言われていることは知っている。確かに、祓ったれ本舗のファンのうちの何割かはビジュアルから興味を持ってくれたファンもいるにはいるだろうが。
「悔しいのは、私たちはどれだけ距離を詰めても週刊誌に載ることはないってところかな。なんならいつでも近い距離でいるのにね」
夏油の言いたいことを整理している間に、つらつらと続けられる内容は冗談めいた口調に変わってはいたが声音の端々に感情が見え隠れしている。
「まぁ、硝子がものすごく嫌な顔をして、なんなら迷惑料を寄こせって言ってきそうなところまで想像つくけど――……」
要は。
「……やきもち」
「やっと気づいたのかい。私の恋人は人気者の人誑しだからね。すぐに誰かと噂になろうとする」
普段の言動や見た目からか近いと思われがちだが、パーソナルスペースはいたって普通だ。よく祓本のファンからさえも夏油に対する近さだけが異常だと言われはすが、ビジネス仲良しではなく、公私ともに仲がいいコンビとして知られているから、そういうものだとされていた。
(んだよ、それは僕のセリフだっての)
誰にでも優しくて、手を差し伸べるタイプの夏油のほうが人誑しだろう。リア恋勢が多いので、いつか地雷女でも引き当ててきそうだと思っている。
(いや、傑はそういうのも対処上手そうだよな。僕が知らないだけで、めちゃくちゃ遊んでる可能性だってあるわけだし……)
夏油の全てを知っていると豪語しておきながら、誰もが奥底に隠している内面があることも知っている。なんでも器用にこなす男は隠し事も上手くやりそうだ。悔しいことに。
(だけど、僕が傑の一番で、傑が僕の一番ってことだけは絶対だから。僕以外必要ないって教えればいいだけか)
それこそ生涯かけて。
「傑の可愛い嫉妬に今日は離せないかもしれない」
「熱烈な宣言だな。ただ、残念だね。今日はそういった用意をしていないんだ」
「は? 嘘だろ!?」
「四人で行く予定だったんだから、用意しているわけないだろ」
「ありえねぇって!! 高速降りたらコンビニ寄ろうぜ」
却下、と清々しいまでに即答されてしまった。
目的地まではまだ少しある。この様子ではコンビニに寄ってくれなさそうな男をどうやってその気にさせればいいだろうか。完全オフの二人だけの時間。ただ、ありきたりなグランピングを楽しんで帰るだけというのは味気ない。
長い休みが今、始まった。