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    Kutou_k19

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    Kutou_k19

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    悪魔召喚士の毒薬心中夢

    Pygmalion Complex 次に生まれ変わったら、また貴方に惚れるんです。お互いに平凡な人間で、二人を邪魔する任務の時間も身分も無くって。

    あぁ藍に、藍色に染まっているんです。海が、僕が、貴方が、


    全てが、あい色に。



     窓の外に目を向ければ、重さのある黒がべっとりと張り付いている。今は戌四つ、いや亥二つ時くらいだろうか。
    夕餉の時間というにはとても遅くなっていた。

    「……お腹を空かせてしまっているだろうか」

    男は、居間で待たせているあの人を気にしていた。早く用意を済ませなければならないと、火にかけていた鉄鍋の蓋を持ち上げる。ぐつぐつと音を立てて湯気と共に昇る磯の香り。男は目を細めた。
    酒と水で蒸されて、その色は採ってきたときよりも鮮やかなのだろう。劣化したタングステン電球がぼんやりと灯る部屋で、鍋の中に詰められた貝たちを見つめる。

    「……ふ」

    自嘲気味に浮かべる笑みは、これから自らが行うことへの笑みか。かちゃり、こと。金属や木の軽い音だけが部屋に響く中、男は食事をよそう。彼を見た誰もが『愛する妻のために手料理を準備する愛情深い夫』だと評するであろう、その姿。


    皿に盛り付けられた貝たちは、沈黙したまま。



     「わぁ、美味しそう」

    そう言って夕食の前できらきらと目を輝かせる彼女。その様子に、男の表情が和らぐ。

    「いただきます!」「いただきます」

    長く待っていたためお腹を空かせていたのか、彼女はいつもより食欲が盛んなようだ。
    柔らかな明かりの居間で彼女と共に食卓を囲むと、この行為にも安らぎを覚える。『葛葉ライドウ』としてではない、個としての自分であれる数少ない時間。口に物を詰め込むだけの作業でしかなかったコレも、彼女が居るだけで日々を彩る楽しみの一つに変わる。

    「やっぱり、ライドウさんの手作り料理ってとても美味しいですね!」
    「そうでしょうか?そう言ってもらえると僕としても嬉しい限りです」

    彼女だ、自分を人間たらしめるのは彼女である。彼女が居ないことは自分は人間でないことと同義なのだ。男はそう確信している。

    「色とりどりの貝……綺麗ですね。何という名前なんですか?」
    「これはヒオウギというのですよ。……市場で見かけたとき、貴方の喜ぶ顔が浮かんだので買ってきたのです」
    「まぁ、嬉しい!こんな可愛らしい貝があるなんて私、知らなかった」

    ぱっと笑顔を咲かせた彼女は酒蒸しに箸を伸ばし、中身を口元に運んだ。
    黄白色のそれが口に入り、咀嚼され、飲み込まれる。男はじっとりと、その光景を網膜に焼き付けていた。

    「ん、ちょっと苦い。そういう品種なんですか?」
    「……えぇ、そうですよ」
    「でも、甘みもあって砂っぽさもないですし、本当に美味しいです!」
    「それは、良かった」

    最後の晩餐、そんな言葉が男の頭に過ぎる。にこにこと味の感想を伝えてくれる彼女の微笑みはあどけなく、この世の汚れを何も知らないようで。日々黒一色の装いでいる自分とはまるで対照的だと、男は思った。
    人、悪魔の血を吸った外套は赤衣のような朱色に染まりはしないが、その黒は男が重ねてきた罪をありありと表す。だが、汚れのない純白を濁すことができるのは自分だけ。白を徹底的なまでに穢せるのは罪深い黒なのだと、男は自分に言い聞かせる。

    「……ん」
    「どうかされましたか」
    「その、気の所為かもしれないのですけれど、さっきから舌が痺れるような感覚がしていて」
    「舌が、痺れる」
    「はい、それになんだか、顔も、しびれ、ような」
    「……それは大変ですね」

    言葉がもつれ始めると、彼女はぐったりと机に伏せた。その姿に男は慌てる様子もなく、ゆっくりと席を立つ。

    「あぁ、なんて可哀想に。痺れで瞼も開けられないなんて」

    男はそう言うが、声に滲む愉悦を隠しきれていない。いや、隠す気もなかったのだろうか。

    「ふふ、お人形さんみたいで可愛らしい。体に力が入らない貴方も素敵ですよ」
    「……ぅ、ら」

    机に伏せたままの彼女の体を椅子にもたれさせる姿は、世間で言う『人形偏愛症』の患者を思わせた。彼女がたとえ人形になっても、こうして四肢が動かず喃語のような言葉しか発せなくなっても、彼女を愛おしむ男の想いは変わらない。
    赤いガラスの容器を懐から取り出すと、彼女の手を持ち上げた。自分とは違う、汚れなき細い指。それを朱肉に押し付け、ざらついた紙に添えさせる。

    「熊野牛王府、ご存知ですか」

    そう淡々と呟く男の手で、冷たく輝く銀色。彼はその刃先を指に滑らせ、彼女と同様に指を紙に押さえた。走る痛みに表情を動かす様子もなく、彼女に視線だけを寄越し言葉を続ける。

    「貴方の指を傷つけるなんて大それたこと、しませんよ。ましてや爪を剥ぐなんて……ねぇ?」

    笑みを深める男の手で裏返された紙に書かれた文字。それを模っているのは、墨色の烏たちであった。

    「失礼」

    彼女の足の下に手を差し込み持ち上げ、抱える。だらんと垂れる彼女の足は時計の振り子のよう。薄く開かれた彼女の瞳は男の姿を捉えており、眼には怯えの色が見え隠れしている。それを知ってか知らずか、男は抱えた彼女の髪に頬擦りをすると居間を出た。
    月明かりが差し込む廊下は、怪しさのある藍色。


    「さぁ、支度をしましょう。……心中すると言っても、この時期外は冷えますからね」



     月が流れ溶けてしまいそうなほど良い夜。軽々とした歩調で何処かへ向かう男と、その腕に抱えられた彼女は駆け落ちでもする恋人同士にしか見えない。

    「心中立ての際は爪を剥いだり、髪を切ったりしたんですって。……自分がやるならまだしも、貴方の綺麗な体を傷つける訳にはいきません」

    柳は二人を祝福するようにざわめき、家屋たちは惜しむようにその姿を減らしていく。

    「熊野牛王符の誓いを破れば神の使いである烏が三羽死に、破った本人は血反吐を吐いて死ぬと聞きましたが……」

    流れ星だってこの手で掴めそうな程、今にも落ちてきそうな夜空の下。踊るように歩を進める。

    「全ての烏を殺して、貴方とゆっくり朝寝をするのも悪くないでしょうねぇ」

    八咫烏との腐れ縁はここまででしょうが、と何処か吹っ切れたような笑い声を上げる男。その身に纏わりつき離れない、忌々しい黒がこれほどまでに清々しい色に感じられるなんて、夢にも思わなかったのだろう。

    静まり返る松の木々をくぐり抜ければ、崖を打つ波の音が二人を迎える。こんなにも落ち着いた心境で潮風を受けたことが、男の人生で何度あったか。もしかすると、これが初めてかもしれない。

    「貴方は、海へ来たことがありますか。穏やかな波を、見たことがありますか」

    そう彼女へ問いかけ、表情を覗く。あぁ自分は、この可愛らしい寝顔を何回見ることができた?何回共に眠れた?何回、何回、血に濡れた自分を迎える彼女の不安そうな顔を見た?……彼女の瞼はほとんど閉じて眠っているようではありつつも、声は届いているのだろうが。男はどうしても、心残りの記憶を連想させられた。
    返事の返せない彼女を抱き寄せると、懐の符を取り出す。

    「謹んで、起請文を申し上げます。いち……」

    二人の判の隣に書かれた文言、男はそれを一文字ずつ噛み締めるように読み上げる。男の声は震え、視界は酩酊したかのように揺れ始めた。唾を飲み込む音がやけに大きく響き、増していく昂りは天と地の差をも分からないほど。あぁ、これはどんなアルコールも勝らない、幾度も肺を満たしてきた紫煙が敵うことはないだろう陶酔。
    彼の胸を埋め尽くすのは、人生で味わった幸福のどれをも上回る至幸であった。

    「……ふぅ」

    酔いしれたように息を吐くと、彼女を抱きすくめて動かない。風になびき葉が触れ合う草木、鈴虫の歌、二人を招くように打つ波、彼女の浅くなった呼吸の音、そのどれもが惜しい。しかしそれ以上に最愛の人と遂げる死、その甘美さに心が奪われた。
    一歩ずつ歩を進めていけば、そこは崖縁。痛いほどに吹き付ける海面を照らす月光を追いかけてさえいれば、こんな顛末を迎えさせずに済んだのだろうか。彼女の手に重ねた符の上から、祈るようにそっと握る。
    海の苦しさ、寒さも、彼女に与えた毒が紛らわせてくれるはず。
    ごめんなさい。貴方を包む外套は、置いてきてしまった。

    「貴方を道連れにする他に手段を選べなかった、この浅ましい僕をどうか……許してください」

    温かい。
    空が、広がっていく。
    やはり貴方の重みと心音は、心地よい。
    風と葉擦れの音が、遠ざかる。
    全部ぜんぶ、黒から鮮やかな藍色に塗り替えられていく。全てが、藍色に染まって。


    星々に手が届かなくとも、僕は、貴方にさえ触れられたら───





    解説
    ・貝毒
    麻痺性貝毒や下痢性貝毒などに分類される毒。毒素が蓄積した貝の体内(特に中腸腺)に蓄積した毒を摂取した場合に発症。麻痺性貝毒では唇や顔面、四肢末端のしびれ感、めまい、頭痛、吐き気など、場合によっては死亡することがある。

    ・ピグマリオンコンプレックス
    狭義には人形偏愛症を意味する用語。なおこの呼び名は、学術的に認識されている専門用語ではなく、流行語的ニュアンスで広まった和製英語の一種である。

    ・熊野牛王符
    熊野三山で配布される特殊な神札。
    誓約書として利用する場合、牛王符の裏面に起請文を書く。こうすると誓約の内容を熊野権現に対して誓ったことになり、誓約を破ると熊野権現の使いであるカラスが一羽死に、約束を破った本人も血を吐いて死に、地獄に落ちると信じられた。
    高杉晋作が作ったとされる都都逸、「三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」は熊野牛王符にまつわる伝説を念頭に作られた。

    ・葛葉ライドウの本名
    この小説内では『暮光藍志』とする。
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