「貴様は一体何時になったら兄様に告白をするのだ」
行き成りのルキアの言葉に、一護は口に運ぼうとしていたスプーンに乗った白玉を中途でぴたりと止めた。
珍しく甘味屋に行くぞと誘ったのはこの話をする為だったか、と一護は心の中で舌打ちをした。
一護は、白哉の事が好きだ。
ルキアや恋次の様に仲間としてではなく、恋愛の対象として。
そして白哉から同じ想いを向けられている事も、知っている。
あの表情の分かり辛い男から向けられる甘ったるい視線と甘やかされている事実だけで、確信するには事足りた。
けれどそれを知ったのは大分前であるにも関わらず、一護は白哉に対して想いを告げては無いし、白哉からも何も言われて無かった。
白哉も、一護が白哉に対して恋愛感情を抱いてると知っている筈なのに、だ。
「貴様だって分かっているのであろう。兄様だってお前の事を好いているのだと。私どころか他の者たちにもバレているというのに」
「じゃあ何で白哉の方に言わねぇんだ」
「ぐ……」
「ルキアも理解してんだろ?」
「そう、だが……。だが兄様は貴様には甘い!だから貴様が口に出しさえすれば」
「確かに、告白したら白哉は俺のためって快諾はするだろうよ。けどそれこそ、白哉が可哀そうだろうが」
一護は食べる気を無くしてしまった白玉を善哉の中に戻す。
無意味にスプーンで掻き混ぜればかちゃりと器から微かな音が鳴った。
現世に生きる己と、一護からしてみれば死者の世界に生きる白哉。
互いに男で、白哉は跡取りを望まれる立場の大貴族の当主である。
例え自分の血筋がどうであれ、如何にもならない部分だ。
ただ一時の燃え上がる恋をするためだけに白哉を巻き込みたくは無い。
「……」
苦虫を嚙み潰した様な顔で見てくるルキアを見返しながら、一護は溜め息を吐いたのであった。
仕事がある、と言ったルキアと別れ一護はぶらぶらと瀞霊廷の廊下をあてもなく彷徨っていた。
梅雨時期に入ったが今日は梅雨の合間の晴れ間らしく、照った日が廊下に明かりを差す。
風が吹けば心地いい位だが、じっとしていると少しだけ暑く感じる。
歩きながら、何処へ行こうかと一護は考える。
ルキアとの会話の所為で心はすっきりしない。
だが何となく現世に帰る気にもならず、浮竹の見舞いに行こうかと思ったが今さっき別れたルキアと顔を合わせるかもしれない。
そうなるとまた苦々しい顔をされると思えば行く気は無くなってしまった。
ならば一番隊に茶をしに行くか、それとも七番隊に行って五郎を構って癒されようか。
俯きがちに取り留めもなく思いに耽っていれば曲がり角で向こう側から来た誰かとぶつかりそうになり、一護は「わり」と短く謝罪しながら顔を上げれば、先程までの話題の男ーー白哉がそこに居た。
「お……おう、白哉」
ルキアと話していたさっきの今であるから少々気まずい。
何時もであれば自然とふにゃりとした笑みを浮かべてしまいながら白哉に近付いてしまうというのに今は少ししどろもどろだ。
一護の様子に敏感である白哉が気付かない訳が無く、如何した、と言いながら一護の頬に指を滑らす。
少し硬い男の指先の擽ったさに一護は髪色と同じ睫毛を震わせ、ふふ、と笑った。
これで付き合ってないなんて、と他人が言う理由であろう。
「ん……何でもねぇよ。それより白哉どっか行く途中だったか?それとも俺に何か用事だったか?」
「ああ。黒崎、今日は泊る予定は無かったと思うが……」
「どうした?」
「最近、庭に蛍が出ている。今日は蒸し暑い故、多く飛ぶだろう。兄にも見せたいと思った故」
「へぇ、天気とか気温とかそういうの関係あるのか。じゃあ泊まらせて貰おうかな」
一護の現世の肉体にはコンが入っている為無断外泊をしても問題が無い。
と、いうよりも家族に連絡したら混乱する事になるので出来ない、というのが正しいのだが。
順応能力が高い家族なので騒ぎにならないとは思うが結局は言っていない儘だ。
口に出していない事ばかりだな、と一護は心の中で呟いた。
初夏の夜は遅い。
早めのご飯を食べた頃に漸く陽が落ち、一護は白哉に付き添われて庭に出た。
未だ微かに明るい庭の中、ちらりほらりと小さな光が明滅している。
「うわ、ホントに庭にホタルが居る……流石朽木家。何でもアリか」
「現世では余り見られないのだったか」
「場所に拠っては居るけどな。俺の家の周りでは見た事ねぇ」
「そうか、ならば今日は心行くまで見ていくが良い。今は未だ少ないが、じきに増えていくだろう」
「へぇ」
白哉が言った通り、時間が経つにつれ蛍の数が増えていく。
庭を流れる川を中心に、至る所に蛍が舞い「乱舞って言葉がピッタリだな」と言いながら一護はほう、と感嘆の吐息を吐く。
すい、と目の前を通った蛍を視線で追えば白哉の方へと行く。
整ったかんばせがゆらゆらと移る光にほの淡く照らされて、一護は少しだけ心臓を跳ねさせた。
白哉の瞳は蛍ではなく、一護の姿を静かに見詰めていた。
「びゃく、や」
無意識に呼んだ一護に応える様に、白哉の目が僅かに細まる。
陽や室内の明かりの下で見る時は紫がかっている瞳が、蛍の光を受けてゆらりと揺れていた。
「少し、座って眺めるか」
「あ……ああ」
動揺しながら頷いて、差し出された手に指先を重ねる。
何時も夜の庭を散策する時には足元が危なくない様にと付けられている小さな明かりは今日は付けられていない。
蛍の鑑賞を邪魔しない様にという配慮だろう。
「東屋に茶を用意させてある」
「至れり尽くせりだな」
朽木家では気を使われてない時など無い、という程に様々なものが用意されている。
こんな立場も宙ぶらりんな小僧に心を砕き過ぎている当主に何かしら思う所はあるだろうに、そんな感情はおくびも出さずに一護にも良くしてくれている。
置かれていた魔法瓶から茶を湯呑に注ぎ、白哉の前へと置く。
自分の分も注ぐと一護は両手で包み込む様に持ってふうふうと息を吹きかけた後こくりと一口飲み込む。
昼は暑い位の気温でも夜は未だ寒い。
暖かさが身体に染みわたっていき、一護は安堵の吐息を吐いた。
東屋の外に目を向ければ、先程よりも増えた蛍が庭中に舞っていた。
「……」
恋に身を焦がす蛍と違って何もしない自分を、蛍たちは何と思うだろうか。
両想いである筈の男と一緒に居るにも関わらず何も言わず、何も行動しない自分に。
甘やかではあるが、時折苦しくはなる。
身を焦がす、というのはこういう事なのだろう。
一度、一護は目を閉じる。
もうそろそろ強制的にでもこの感情を捨ててしまっても良いのではないか。
穏やかに閉じて行きたかった想いだが、それでも未練だけは残ってずるずると今まで来てしまった。
「……白哉」
もう一度、一護は白哉の名を呼ぶ。
先程までは喜んで蛍を鑑賞していた一護の心が苦し気になったことに察知したのか、白哉の周りの空気が揺れた。
一護は隣に座った白哉の死覇装の裾を振りほどけば解ける力で握りながら、消え入りそうな声で白哉に懇願する。
「一度、だけで良いから……その、キスしてくれねぇか……」
そうしたらもう自分に踏ん切りが付けられるから。
一護は小さく付け足した。
白哉の顔が見れずに、死覇装を握りしめた自分の指先をじっと見ていた。
白哉からの回答は無く、落ちた沈黙にやっぱりこんな頼みはいくら好かれてる事が分かっていたとはいえ駄目だったかと絶望に似た気落ちが一護を襲う。
空気に耐えかねて、逃げてしまおうと一護は震える指先をぱっと離す。
「や、やっぱり今の」
なし、そう言い掛けたが、先程まで白哉の死覇装を握っていた指を男に寄って握られた。
するりと指の間に白哉の指が入り絡み合う。
その儘白哉の方へと引かれ、バランスを崩した一護は白哉の腕の中にぽすりと収まった。
突然の事に目を白黒させていた一護が白哉を見上げれば整った顔が思っていた以上に近い場所にあった。
「あ」
思わず出た言葉は白哉に唇を合わせられる事で飲み込まれた。
懇願したのは一護であったがまさかこんなに行き成りされるとは思わずに一護は狼狽える。
ぺろり、と唇をなめられて漸く我に返った一護は一瞬にして顔を赤らめた。
混乱している頭では、目は閉じた方が良いんだろうか、と折角の白哉との口付けであるのにそんなどうでも良い事ばかりが浮かんでくる。
ただ、これで終わってしまうのだと思えば未練はある。
しかし。
「んんっ……!?っ!」
先程一護の唇を舐めた白哉の舌先が無理矢理一護の咥内へと侵入してきた。
縮こまる一護の舌に絡んだと思えば舌裏をなぞられる。
どちらとも付かない唾液をだくだくと注がれて、飲みきれなくなったものは互いの合わさった口端から溢れる。
混乱と甘やかとは言い難い口付けによって力が抜けた一護を、白哉が唇を貪った儘椅子の上へ押し倒す。
身体の何処かががたりと机に当たり先程まで飲んでいた湯呑がかちゃんと倒れる音がした。
「っ……、ぁ……ふ……びゃぅや、ァ」
貪られる口付けの合間に、吐いた吐息と共に一護は男の名を零す。
段々と息が苦しくなって、白哉の身体に縋れば気付いた白哉が僅かに唇を離したが息継ぎする為に少し出した舌先を、白哉の舌先が舐る。
「ど、して……」
「一度は、一度であろう」
ふにふにと何度も柔らかく触れてくる唇も、まだ一度のうちと数える心算なのかと一護は眉根を寄せた。
柔らかな唇は角度を変え、再び一護の吐息を奪う様に深く合わせられる。
舌が咥内に侵入し、舌先を引きずり出されて白哉の咥内で吸われる。
恥ずかしくて苦しい筈なのに、どんな感情よりも唯々「気持ちが悦い」という肉欲が勝り戦慄く身体を白哉の方へと擦り寄せた。
「ンっ……あ、……ん」
先程よりもずっと甘くなった自分から漏れる声が信じられなくて耳を塞ぎたくなる程だったが、身体は熱を持つばかりで力が抜けてしまっていた。
白哉にされるが儘、くちゅくちゅと咥内同士で立てられる音が淫靡に混じり一護は羞恥で更に顔を赤く染めた。
白哉とのキスはもっと軽くて、悲しくなるものだと思っていたのに実際はどろりとした欲を注がれる様なものであった。
「ふ……」
どの位していたのか、一護では分からなくなってしまった程で漸く唇が離された時には頭が呆、として何も考えられなかった。
はふはふと吐息を整える間白哉の舌が一護の顎から口端までをなぜる。
皮膚への少しの刺激だけでも身体が反応してしまい、ひくりと腹を震わせた。
「なんで……こんな……」
「兄が言ったのであろう?口付けして欲しい、と」
口傍で囁かれる言葉は密やかで、先程の口付けの延長の様に甘さを伴っていた。
その低い声だけでも肌が粟立ってしまう。
「こ、こんな風なのしろなんて言ってねぇ!こんな、恋人……みてぇな……白哉は何も言わねぇし何もしてこねぇから……だから俺と同じで何時かは諦めるんだろう、って……」
「そうだな、そう思っていた」
一護に覆いかぶさった白哉の顔は長い髪に拠って暗く見える。
光源が蛍だけの所為では無いだろう。
「だが……私は酷く醜い男であったらしい。何時か兄は私から離れていくだろうと、分かってはいた筈なのだがな。いざ兄が離れようとした今、湧いてきたのは結局離れては欲しくは無いと……兄への独占欲ばかりであった」
白哉の指先が一護の首筋をなぞり心臓の上で止まる。
はくはくと何時もより早い鼓動は白哉の言葉の所為なのか、それとも先程までの荒々しい口付けの所為なのか一護自身も分からない。
じわりと涙が滲んで、男には知られたくないと腕で目を隠した。
「あんたは……俺を如何したいんだ」
諦めようとしたのに、男も納得しているとばかり思っていたのに結局はこうして想いを振り回されてしまっている。
視界を隠した一護の唇に、また白哉の唇が押し当てられた。
「あ……」
密やかな吐息はまたも飲み込まれ、蛍が寝静まっていくのも気が付かない儘一護は唯々白哉からの行為に溺れていった。