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    はぱまる

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    はぱまる

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    書き掛けで放置してあった互いに成り代わる🌟❄️です。滅茶苦茶中途半端なとこで終わる。
    その内完成させたいとは思ってるんだけど、暫く手をつけられそうにないから今の状態を投稿してみます。
    完成させるなら今書いてある部分にも修正を加える予定。書いたの結構前なのもあって本当変えたい部分が沢山ある……。けど、まあ、これを読んでもし「ここ好き!」ってなったところがあったら教えていただけると嬉しいです🥳

    死に代わり 雨が降っていた。
     雲が重く空にのしかかり、空気さえも暗い都内は雨音ばかりで何処か静かにも思えた。
     雨が降っていた。
     傘も刺さず、少女は歩道橋から道路を見下ろしていた。
     雨が降っていた。
     道路には幾つもの車が水溜りを蹴飛ばしながら走っていた。
     雨が降っていた。
     少年が傘を握り締め歩いていた。
     雨が降っていた。
     少女が手摺りによじ登った。
     雨が降っていた。
     少年が少女に気がついた。
     雨が降っていた。
     少女は手摺りの向こう側で、ゆらゆらとしていた。
     雨が降っていた。
     少年は傘を投げ捨て走っていた。
     雨が降っていた。
     少女の体が揺れ、揺れ、ガクンとバランスを崩した。
     雨が降っていた。
     少年が少女を追った。
     雨が降っていた。
     少女は空中で振り向き、目を見開いていた。
     雨が降っていた。
     少年は手を伸ばした。
     雨が降っていた。
     二人の体は投げ出された。

     雨が降っていた。



     その日、天馬司と朝比奈まふゆは同じ血の海に伏せた。


     はずだった。





    ・・・





     おぎゃあ、おぎゃあ、とくぐもった音が聞こえる。体が宙に浮く。ぼやけた視界に人影のような何かが映る。

     おそらく、それが最初の記憶で、数年後には忘れ去られる思い出だった。





    ・・・





     あ、死んだな。と思った記憶がある。
     ただ、どうしてそう思ったのかが分からない。
     死の気配だけをふんわりと覚えているのみで、どういう状況下でそれを感じ取ったのかはちっとも覚えていない。
     それでも、自分は死んだのだろうと思う。

     そうでないと、この状況は説明がつかない。きっと、生まれ変わりでもしたのだろうとしか説明がつかない。

     見覚えのない体、見覚えのない家族、見覚えのない風景。

     ただ一つ、鏡に映る瞳の色だけが、どこか見覚えのあるような輝きをしていた。
     見たことなんて、無いはずなのに。

    「あらまふゆ、鏡なんて見てどうしたの」
     黒い髪に黒い瞳の女性が優しく頭を撫でてくる。
    「まふゆ、じゃない」
     ぽつり、と思わず呟くと、女性はキョトンと目を開く。
    「どうしたのまふゆ。まふゆはまふゆよ? お母さんとお父さんの、大事な娘」
     優しく諭され、ぎゅっと抱きしめられる。
     本当にそうだったかな、と、まふゆは——否、司は密かに眉を寄せた。
     鏡を覗くと、女性に抱きしめられる幼い少女が映っている。そのよく似た見た目から、すぐに親子だと分かるだろう。しかし司は酷い違和感を感じていた。
     ——しかし現在の司、否、朝比奈まふゆの齢は僅かみっつほど。発展途上な自我しか持たぬ脳ではそんな違和感などすぐ霧散してしまう。
     今日もまた急に感じた空腹に気を取られ、“まふゆ”は先ほどまで何を考えていたかなんてすぐに忘れて、母親に食べ物を要求した。



     生まれてから、早五年ほど経った。ふわふわとしていた自我はようやっと確かな形を持ち始めてきた。
    「まふゆ、そろそろ着替えましょうか。そうしたら朝ご飯を食べましょうね」
    「はーい」
     五年、生まれてからもう五年だ。ふわりふわりと、脳内へ滲むように思い出しては霧散していた記憶も、少しずつ形を持って見え始めてきた。しかし、その記憶の途切れからもう五年も経っているのだ。司には、その記憶がいつかの夢幻なのか真にうつつだったことなのか分からなくなってきていた。
     それでも、その記憶が無かったことにはならない。
    「今日はどのスカートにしようかしら」
    「……オレ、ズボンがいい」
    「まあまふゆ、“オレ”、じゃなくて“私”でしょう? まふゆは女の子なんだから。それに可愛いんだから、ズボンよりスカートの方が似合うわ。あ、ほら、このスカートなんてどうかしら。今日はこれにしましょう?」
     そう言われて、母の選んだ服を着せられる。鏡を見ればそこに映るのは少女で、母の選んだ洋服は確かにとても似合っていた。けれど、足が空気に触れる感覚がいつまで経っても慣れなくて、司は小さな両の手でスカートの生地を握り締める。
    「ほらやっぱり。とっても似合ってるわよ」
     少女と共に映る女性は少女によくよく似ていて、一目で母だと分かるだろう。嬉しそうに微笑んで頭を撫でるその様子は、お人形遊びをする子供のようにも見えた。

     司は時折、自分のことを“オレ”と言ったり、男の子らしい口調で喋ったり男の子らしい仕草をしたり、男の子が好むモノに手を伸ばしたりしてしまう。その度、母は『女の子でしょう』と優しく矯正してくる。きっと、そちらが正しい。
     髪は伸ばされスカートを穿かされ、鏡に映るのはいつも可愛らしい少女。
     フリフリとピンクやらで分かりやすくカワイイというわけではないが、気品と愛らしさを兼ね備えた大人しい女の子のお洋服は、少女によくよく似合っている。
     似合っているならいいか、とも思う。似合ってはいるけれど、とも思う。
     母にも父にも他の誰にも言ったことはないけれど、ずっと、『これは己ではないのに』という感覚がある。鏡を見るたびに違和感を覚えてしまう。
     朝ご飯を食べるときの食器もシンプルながら女の子らしい色合いのもので、幼稚園の制服も持っていく道具やらも女の子のものだ。通園バックは指定の上品な雰囲気のもので、その中身には綺麗と思いつつ自分の好みではないものしか入ってない。
     身につけるもの、手に持つもの、全てが全て母の趣味だ。司の好みは否定される。
     女の子らしくないから仕方がない。母の言う方が似合っているから仕方がない。そうは思いつつも、生まれた時からの違和感は消えなかった。

     その日、司は母とフェニックスワンダーランドへ遊びに行った。不思議と見覚えのある場所ばかりで、瞳を輝かせながら様々なアトラクションを楽しむ。母もニコニコと笑顔で司を見ており、ああ楽しいなと心から思えた。
     いくつかアトラクションを周り、母とチュロスを楽しむ。プレーンのそれに舌鼓を打っていると、母の電話が鳴った。相手は父らしく、母はそちらとの会話に夢中になっている。暇になった司はチュロスを頬張りながら辺りを見渡す。
     ふと、とある小道が目に入った。
     あまりお客さんの入っている気配もない、気にしなければ見つけることも中々ないだろう道の入り口。そこに、何故か目が引き寄せられて離れなかった。
     何故だろうか、酷く見覚えがあるのだ。
    (なんだったっけ……)
     考えて、思い出した。日頃は然程気にも留めない昔々の記憶に、あの道がある。そればかりか、この遊園地は“天馬司”が何度も足を運んだ場所だ。
     淡い記憶の通りならば、あの道の先には素晴らしいステージがある。素晴らしいショーがある。
     まだまだ体が幼い年頃の司は、その楽しい記憶を思い出して、居ても立っても居られなくなった。
    「ねえ、おかあさん」
    「まふゆ、もうちょっとだけ待ってくれる?」
     次はあちらに行こう、と伝えたかったのに、母は未だ電話に夢中だ。この様子だとまだ暫くかかるだろうか。
    (……少しだけ、ちょっと見に行くだけなら)
     その時の司は、とにかく記憶の是非を確かめたかった。淡いキラキラとした記憶が本物なのかどうか知りたかった。
     そして、願うのなら、あの時の楽しさがもう一度欲しかった。

     幼子特有の周りを顧みない突飛な行動意欲から足を動かし、淡くなった記憶を頼りに道を進んでいく。記憶と確かに同じ、しかし少し違いもある道は思ったよりも長い。“天馬司”が通っていた頃は高校生の頃であったから、それと比べて随分小さい今の体では、周りの景色を大きく感じてしまう。
     進んで進んで、やっと開けた場所に出た。そこには、記憶よりもなんだか綺麗なような、しかし記憶と殆ど違わない、あのステージがあった。
     ちょうど先程何かしらのショーが終わったらしく、ステージには笑顔のキャストが手を振っており、席から立った客が帰りの支度をしたり未だ拍手を送ったりしている。
    (ワンダーステージだ。本当にあった……!)
     司は生まれた時から所持するその記憶を夢か幻の類なのではと疑っていた。それにしては鮮明さを持っていたが、現実と思うには些か色褪せてしまっていたのだ。本物だと仮定しても年月が経っているのだから仕方がないのかもしれない。
     しかし、記憶と殆ど同じあのステージがあるということは、あの日々は、生まれた時から夢を見るあの輝かしい日常は、本当にあったのだろう。ならばどうして今の司が“朝比奈まふゆ”としての生を受けているのかなんて分からないが、それはさておきこの時の司は“夢でも幻でもなかった”ことに興奮していた。
     小道の脇で目を輝かせる子供をよそに客はぞろぞろと席を立って何処ぞへと行く。人も疎となった席にポツンと小さなピンク色が未だ座っているのを見つけた。
    (……あ、れ)
     見覚えがあって、淡い記憶のとても目立つ位置に同じ色があった気がして、司は席の方へ駆け寄る。
     足音にだろうか、ピンク色の少女がふと振り返りこちらを見る。
     その幼い顔になんだか見覚えがあった。
     記憶よりも幼い、けれどあまり変わらないようにも見えるその少女は。
    「えむ」
    「ほえ? だあれ? どうしてあたしのおなまえしってるの?! もしかして魔法使いさん?!」
     不思議そうな顔、転じて興奮した様子で目を輝かせる少女に、司は酷い驚きと落胆を覚えた。
    「え、と」
    「あ! もしかしてあたしがわすれちゃってるだけでどっかで会ったことあるかな?!」
     きっとそちらにとってはないよ、なんて言えるわけもなく。自身の今置かれている状況下でさえ定かでなくなった司は混乱しながらなんとか答えようとする。
    「ええと……ゆ、ユメのなかで……」
    「ユメのなかで?! やっぱり魔法使いさん?!」
     目を輝かせるえむだったが、その前で司はどうしようと頭を悩ませていた。
    (小さなえむがここにいる。記憶の中では高校生だったはず。ならここは過去? では何故オレは全く別の誰かになっているんだ? ここが未来であったならただの生まれ変わりかなにかかとまだ納得がいったのに!)
    「ねえねえ魔法使いさんなの?! どんなユメであたしと会ったの?! あたしおぼえてないよ!」
     ぴょん、と椅子から飛び降りたえむはグイグイと司に訊いてくる。
    「え、ええと……」
     五年の年月が薄れさせてきた記憶が、えむの顔を見て蘇る。それを夢というのならば。
    「……とっても楽しいユメ、だった」
    「ええ! そうなの?! なんであたしおぼえてないんだろ〜」
     しょぼん、と落ちた肩に司は少し焦る。しかしえむはすぐに切り替えてこちらを見た。
    「ねえね、もしかしてユメのせかいで自己紹介したかもしれないけど、もういちどさせて! あたし鳳えむ! あなたは?」
     明るい笑顔が、幼くとも記憶そのままで、混乱に慣れてきた司はなんだか今更たまらない気持ちになる。
     自己紹介しようとして、でも“ワタシ”と“オレ”のどちらにすればいいのか迷ってしまって、その時。
    「まふゆ!!」
     鋭い声が聞こえた。
     振り返ると黒髪の女性が必死の表情で走っていて。
    「まふゆ、よかった、探したのよ……!」
     抱きしめてくる感覚に、母の濡れた声に、やっとあの時置いてきてしまったことを思い出した。
    「お、かあさん」
    「もう、心配したのよ。見つかって安心したわ……」
     母は抱きしめていた体を少し離し、まふゆの頬を優しく撫でる。ああ心配をかけてしまった、と認識した司が謝ろうとするより先に、幼声が差し込んだ。
    「あれ、まいごさんだったの?!」
     驚いたえむの声に母がそちらを見て、怪訝そうな顔を作る。
    「あなたは……」
    「あたし鳳えむ! こんにちは!」
    「え、ええ。こんにちは?」
     元気いっぱいの挨拶に戸惑った様子の母の袖を引っ張り、司は注意を引く。
    「あの、ごめんなさい、おかあさん。かってに、はなれちゃって」
     本当に心配そうな顔をしていた母親に申し訳なさが募り、自然と声が震えたものになる。視線も下を向いてしまった司の頭上から、そっと声が降ってきた。
    「ううん、いいのよ。まふゆが無事でいてくれたことが一番だもの」
    「おかあさん……」
     少し鼻声の、濡れた声。見上げた母の顔は優しく微笑んでいて、司の心には安心と、やはり申し訳なさが、広がっていく。心配して、心配して、見つけて、安堵したんだろう。申し訳ないことをした、と思う。
     そんな司へ、再度、母が声を掛ける。
    「ねえ、まふゆ。ひとつだけ聞いてもいい?」
    「? うん、なあに?」
    「どうして、お母さんの言うことを聞かなかったの?」
    「え?」
     心底不思議に思って司は首を傾げる。こちらを見下ろす母の顔は、上手く積み木が積めなくて泣きそうな子供、みたいに感じた。
    「お母さんのそばから離れちゃだめよって、言ったわよね。それなのに、どうしていなくなっちゃったの?」
    「え、ええと……それは……」
    「お母さんね、まふゆがいなくなって、すごく怖かったのよ」
     その言葉に目を見開く。
    「まふゆが、お母さんを心配させるような“悪い子”になっちゃったと思って……」
    「悪い、子……?」
     繰り返した言葉に、ええ、と頷き、話を続けようとした母だったが、それに待ったをかける声があった。
    「悪い子なんかじゃないよぉ!!」
    「え?」
     えむが、母と司の間に体をねじ込む。そして、まるで司を守るように母へと対峙した。
    「悪い子じゃないもん! たしかにかってにいなくなっちゃったのは悪いのかもしれないけど! でもまふゆちゃん、あたしとおはなししてくれたの!」
    「ええと……」
     拙い声色で主張するえむに戸惑う母を見ながら、司もまた戸惑っていた。そして、そういえばこういう奴だったとふわり懐かしさを感じた。
    「……あなたには関係のない話でしょう? 私は今まふゆとお話ししているの」
    「かんけいあるよ、オトモダチだもん!」
    「えっ」
     つい驚きの声を出してしまった司へえむが振り向き抱きつく。
    「ユメのなかで出会ったならもうオトモダチだもんね?」
    「夢の中……?」
     困惑している様子の母に司は少し申し訳なくなった。身勝手な気不味さを感じている司をよそに、えむはキッと母を真っ直ぐ見つめる。
    「だからね、まふゆちゃんいじめないで!」
    「……優しい子なのね。でも、いじめてるわけじゃないのよ?」
    「でもでも! 悪い子なんて言うなんてひどいよ!」
    「そうね、そうかもしれない。でも私は今まふゆとお話ししているの」
    「でも、」
    「やめて」
    「? まふゆちゃん?」
     耐えきれなくなり、司は声を出す。少しだけ深呼吸して、言葉を続けた。
    「かってに、はなれたのはワタシが悪いよ。おかあさんが心配するのもしかたがない」
     その言葉に、でもと反論しようとするえむを片手で制し、更に言う。
    「でもおかあさん、なんで?」
    「え?」
    「なんで悪い子なんて言うの」
     司は理不尽を感じていた。思い出した記憶の中で、過去迷子になった司を見つけた両親はまず抱きしめ、心配し、もう大丈夫とこちらを安心させ、抱きしめ、撫でてくれた。ひとりにして御免ね、と謝った。次からはちゃんと手を繋いでおこうね、と言った。司にとっては、それが“正しい親の対応”だ。
     しかしこの母は、悪い子になったと言った。母を心配させるような悪い子になったと思った、と。
     それが、とてつもない理不尽に感じたのだ。
     えむと出会って話してありありと思い出されてきた記憶が、“天馬司”としての自我が、こんな理不尽は中々無いだろうと眉を顰めていた。もしくは、拗ねた子供のように泣きそうだった。
    「なんでって、」
    「悪い子って言われたらかなしいよ、やだよ」
    「まふゆ、だってあなた勝手に離れて、お母さんだってとっても怖かったのよ?」
    「うん、ごめんね。でも、だから全くの悪い子なの? どうして?」
    「どうしてって……お母さん、離れちゃだめよって言ったわよね?」
    「うん」
    「なのにまふゆは離れてどこかへ行っちゃったの。本当に心配して、もしまふゆがいなくなってしまったらって思ったらお母さん、とても悲しくなって……」
    「……うん」
    「胸がぎゅっとして……とっても怖かった……」
    「……うん、ごめんなさい」
     心からの謝罪だ。心配をかけてしまったのは、本当に申し訳ない。“朝比奈まふゆ”として生きてきた自分が、泣きそうな顔の母を見て、とても悲しい気持ちになる。胸がぎゅっとなって苦しくなる。そんな顔をしてほしいわけじゃない。
     でも、目の前の母を見て、頭の片隅の自分天馬司が、まるで子供のようだなと呟いた。
    「本当に、怖かったのよ」
    「うん。それは、ワタシが悪い。かってにいなくなっちゃったから。ごめんなさい」
    「まふゆが、お母さんの言うことを聞く“いい子”だったら、お母さんも悲しくないのに……」
    「そっか」
    「どうして、お母さんの言うことを聞いてくれないのかしら」
    「……ごめんなさい」
     記憶のことは言えない。見覚えがある道を見つけたこと、その向こうにどうしても行きたかったことを、上手く説明できない。でも、
    「でも、ワタシそんなに悪い子かなぁ」
     どうしても納得ができない。
     母を悲しませてしまった罪悪感と理不尽さに感じる苦痛が胸の中でぐちゃぐちゃになって、なんだか泣きそうになってしまう。
    「まふゆ……どうして分かってくれないの?」
    「なんでだろう」
     自分でも上手く説明ができない。とにかく、悪い子と言われることに納得がいかなかった。
    (心配をかけたら悪い子なの? 分からないよ、おかあさん)
    「まふゆ……」
    「ごめんなさいおかあさん」
     生まれて、もう五年も経つ。五年も彼女と共に暮らしている。五年も優しく愛され育てられている。だから、謝った。
     貴女の望む子供でいられなくて御免なさい、と謝った。
     拗ねた子供のように、泣きそうな濡れた声で謝った。





    ・・・





     生まれてから十の年を過ぎた。えむと出会ってから五年経った。あれから、もう一度えむに会いたいと、あの遊園地へ行きたいと願っても、叶うことはなかった。母が許さなかったのだ。また迷子になってしまうかもしれない、と。そうなったらとっても悲しくなってしまうから、と。
     流石に小さな体で単身向かうことはできず、司はえむと会えないままであった。

     小学校の授業はつまらなくて窓の外ばかり見てしまうが、テストの点はそれなりに取れる。しかしそれも“前世”の淡い記憶頼りのもの。母親は『きっと特別頭が良く生まれてきたのね』と褒めてくれているが、それもいつまで続くだろうか。司は自分が学校の勉強に向いていないという自覚があった。
     チャイムが鳴って、休み時間。クラスメイトに誘われてドッチボールを行なう。そろそろ夏休みという時期で、体は自然と汗ばんでいく。動き易いよう作られた制服があまり汚れないよう気を付けながら、運動場を駆ける。
     “天馬司”であった頃の記憶では、小学では私服で登校していたが、今の母が選んだ学校は制服のあるところだった。プリーツスカートの揺れる“女子制服”は、司にとって、着心地のあまりよろしくないものであった。
     本当は髪だって伸ばしたくないが、母親は女の子らしく長い髪をご所望のようで、よくよく伸びるようにと手入れも施されている。きっとあの人が望むのは可愛らしい女の子なのだ。流石に二桁の年を“朝比奈まふゆ”として暮らしてきて、家では女の子らしく振る舞えるようになってきているが、学校なんかでは未だに『オレ』と言ってしまったりしていることを知ったら、あの人はどう思うのだろう。
     たまに家で男らしい口調になってしまい、その度に『どうして……?』と困惑した様子を見せる母の姿を思い出して、少し胸が苦しくなる。
    「まふゆちゃん、そっち!」
    「わ、とと。受け止めたぞ! さて、どこに投げるか……」
    「うわ逃げろ!」
    「ははは、たしかお前は逃げ足が遅かったな! そりゃ!」
    「あー! タカシくんが死んだ!」
    「死んではないよ!」
     ボールが向こうの陣地に行き、相手チームがまたこちらにボールを投げる。誰にも当たらなかったそれを味方が拾って、またあちらに投げる。ボールのやりとりを見ながら、ふと我に帰るように思う。
    (今、凄く小学生してるな……)
     実際に小学生なのだから当然と言えば当然だが。もう薄れかけてきた“前世”と思わしき記憶の所為で、ふと自分を客観的に観てしまうのだ。
    (休み時間にドッチボールして遊んで、男女も入り乱れてて……)
     “以前”の小学校よりかは、この学校の生徒は大人しい子達が多いが、それでも小学生は小学生で、なんだから懐かしささえ覚える。
     古い古い記憶を思い出す。可愛い妹も混ざり、名前も知らない相手とボールを投げ合う記憶。小学生なんてそんなもんだ。その日あっただけの子供と一緒に遊んで仲良くなれる。でも確か或る日、あの子が倒れてしまって、騒ぎになったこともあったっけ。
     揺れるツインテールを思い出していると、迫ってきたボールに気付くことができず、思いっきり顔にぶつかってしまった。周りに心配されたが然程痛みもなく、司は仕返しとばかりにボールを力一杯投げた。

     チャイムが鳴って、ボールを片付ける。教室へ帰る廊下の途中で、クラスメイトに問われた。
    「そういえばまふゆって、たまに男みたいな口調になるよな」
     パチリ、と瞬きをして、引き攣ったように口角を上げる。
    「え、そうかな」
     困り眉の笑みに気を留めることもなく、クラスメイトの一人が頷く。
    「あー、たしかに。さっきのドッチの時もそうだったじゃん。これは給食のプリンを奪われた恨みだーとか言って」
    「いやアレは仕方ないだろ! よりにもよってプリンだぞ!」
    「ほらまた」
    「あっ」
     思わず上げてしまった声を指摘され、口元を抑える。
     学校で、級友たちの前でだと、気が緩むのかこうして“自分らしい”口調になってしまうことがよくある、それに気づいてはいたが、やはり周りから見ても違和感があるのだろうか。そういう個性なのだと、当たり前のように受け入れられているような気もするが。
     少し考えつつ教室に戻る。椅子に座り、黒板の前の教師を眺めているうちに、クラスメイトとの会話内容など頭から消えていってしまった。

     次の休み時間。扇風機の回る教室内で、下敷きを顔に仰いでいたら「暑いよな〜」とクラスメイトが話しかけてきた。
    「そろそろ夏休みだもんな」
    「まふゆって髪長いし、首とか更に暑くね?」
    「うん、すごく暑い」
    「だよな〜」
     肩より下に伸びた髪は輪ゴムで一つに結んでいる。家に帰るときには外すゴムだ。それにちょいちょいと触りながら、司はうんざりとした顔を作る。本当はもっと短い方がいいのだ。ただ、それは許されないだけで。
    「わたしはまふゆちゃんの髪好きだよ! キレイだもん!」
    「え、そうかな……有難う」
     正直、少し微妙な気持ちになってしまったが、褒められたのは素直に嬉しいためお礼を言う。それでもこの髪を、母親の褒めるこの長髪を好きにはなれなかった。
    「でも、長いとうっとうしいんだよね。寝る時とか邪魔だったりするし」
    「切れば良くね?」
    「親が伸ばしたほうがいいって言うから。実際長いの似合うし。マア本当は伸ばしたくないんだけど……」
     切れるなら切りたい〜とボヤく。蝉の鳴き声が充満する教室は少しだけ陽炎に揺れ、きゃらきゃらとした子供たちの声が少し遠く感じる。窓の四角に切り取られた空は青くて、同じように四角い黒板は黒い。前の授業のチョーク跡は消されていて、ハジの方で誰かが落書きしている。次の授業は確か図工だったはず。机の上に既に置かれた鋏を取って、クラスメイトが言った。
    「じゃあ切ってやるよ!」
    「え、」
     ジョキ、と頭の後ろで声がした。ぼと、と下に何か黒いものが落ちた。ふわり、と結ばれていた筈の横髪が耳横に流れてくる。なんだか頭が軽い。
     切られた。
    「どう? これで少しはマシになっただろ」
     得意げに笑ったクラスメイトは、前の休み時間にボールを顔にぶつけてきた張本人だった。呆然と鋏を眺め、髪の切り口を触り、見開いた瞳はクラスメイトを射抜く。
    「——と、突然髪を切るな!!!」
     ビャ!と大声を出した司に、鋏を持ったクラスメイトは肩を跳ね上げる。
    「なに考えてるんだそもそも他人に刃物を向けるな美容師は国家資格だぞ! というか勝手に他人のものを切るんじゃない! 本当はこの髪気に入っているのに天邪鬼で切りたくないって言ってたらどうするんだ! いや普通に邪魔だったんだが」
     ギャンギャンと吠えていた司だったが、スイッチが切れたようにスッと下を向いて太いひと束を見つめる。輪ゴムで縛られた少し上を切られているその髪はもう温度を感じない。たった一断ちで死体となったのだ。ついさっきまで確かに体の一部であったのに、繋がって生きていたのに、ただ一度、ジョキンとハサミを鳴らしてしまうだけで、それは死体となり得てしまうのだ。そう考えると、なんと儚い命だろう。なんと、簡単なことだったんだろう。たったこれだけのことで、浮き足立つほど肩が軽い。
     じっと髪束を見つめる司にクラスメイトは狼狽えた様子で自身の服の裾を握る。
    「……な、なんだよ。お前が切りたいっていうから切ってやったのに」
    「や、勝手に切るのはわたしもダメだと思う〜」
    「えっ」
    「そうだよ! まふゆちゃん可哀想だよ」
     クラスの女子たちが鋏を持った彼を責め立てる。でも、と言い訳を重ねようとする声を遮って司は言った。
    「有難う」
    「……え?」
    「邪魔だったのは本当だ。ずっと切りたかった。さっきはびっくりしたのもあって怒っちゃったけど、でも、髪が短くなったのは嬉しい」
     だからありがと、と目を見て言う。そして、切り口に触りながら下を向く。どうにも邪魔としか思えなかった黒い波たちは死体と化して床に寝そべっている。拾い上げると妙に冷たくて、気持ち急いで教室後ろのゴミ箱へ捨てる。頭が酷く軽くて、何故だか息が通った。





     ただいまの声にパタパタと足音が響く。おかえり、と玄関に顔を出した母親は目を見開いて叫んだ。
    「まふゆっ! どうしたのその髪!」
     あ、と思ったときにはもう遅く、駆け寄ってきた母の両手に頭が挟まれ、上を向かされる。見開いた黒い瞳に幼子が映る。衝撃を受けた悲劇的な表情が、なんだか舞台映えしそうだと、頭は場違いなことを考えるのに、その顔を見た心は酷く締め付けられた。
    「こんな、短くなって、まふゆの綺麗な髪が……! どうしたの、なにがあったの?」
     心配そうな声と表情。つられて悲しい気持ちが胸に滲んでいく。
     ええと、と剣幕に押されながら口を開いた。
    「クラスメイトが切ったの」
    「……なんですって?」
    「暑いね、って話してて。髪長いと更に暑いでしょって。そうだねって。それで——」
     なんだか言葉が纏まらなくて、吃りながら少しずつ話していく。しかし、ろくに話せないまま遮られてしまった。
    「……もう、もういいわ。言いづらいことを聞いて御免なさいね」
     抱きしめられて、息を吐きながら首を傾げる。でも確かに、本当はずっと短髪が良かったのだと言うことは言いづらかった。母親の望むように伸ばしたいとは思えないことが少しだけ心苦しかった。だから、御免なさいと呟いた。
    「謝らなくていいわ、まふゆはなんにも悪くないもの。……それで、髪を切ったのはなんていう子なのかしら?」
    「ええ、と」
     クラスメイトの名を告げる。それを聞いた母は、教えてくれて有難うと軽くなった筈の頭を撫でた。





     休日。朝ご飯を食べていると、母に「今日は一緒に学校に行くわよ」と言われた。
    「どうして?」
    「少しお話ししたいことがあるの。大丈夫よ、まふゆはついてくるだけでいいから」
     優しく微笑んで頭を撫でる母だったが、司の背には何故か冷や汗が垂れた。
     どうして、という問いには学校についてから答えが示されることとなる。教師に連れられ辿り着いた校長室、そこにはこの前司の髪を切ってくれたクラスメイトとその親が待っていた。
     この度は本当に申し訳ありませんでした、とクラスメイトの親が頭を下げる。その手はクラスメイトの頭にあり、彼にも頭を下げさせている。
     それを見下ろし、眉を八の字にした母が独り言のように呟く。
    「……私、とっても驚いたんです」
    「、え?」
     目を見開いて頭を上げたクラスメイトの親を気にも留めていない様子で母が悲劇のヒロインじみた声音を続ける。
    「だって、帰ってきた娘の髪がとっても短くなっているんですもの。すぐ美容室へ向かって奇麗に整えてもらいましたけれど、帰ってきた当初は本当に、可哀想なことになっていたの。それがとっても悲しくて……いえ、きっと一番悲しいのはこの子自身ね。なにせ勝手に髪を切るなんてことをされたんだもの……」
     目を伏せこちらを見て、優しく頭を撫でる母。優しい、はずなのに、暖かさを感じなかった。この人は何を言っているんだろうと、ただ、呆然と見上げることしか出来なかった。
    「ご、めんなさい」
     クラスメイトが小さく呟いた。
    「? なにかしら、聞こえなかったわ」
    「ごめ、ごめんなさいっ。おれが、勝手に切っちゃって……! ごめんなさい、おれっ」
     ついには泣き出してしまったクラスメイトを、母は見下ろしていた。
    「謝ることはできるのね」
    「え、」
    「悪いことっていうのは分かっているのね。良かったわ。……あのね、女の子にとって髪を切るっていうのは、とても大事なことなのよ」
    「あ、えと……」
    「あの、それは重々承知しておりますので……」
     クラスメイトは顔がすっかり青くなってしまい、親が庇うように一歩前に出る。
    「あら、そうなんですね。もしかして、知らないからやってしまったんじゃないかしらって私、思ってしまって……」
    「あの、この子も十分反省していますので、こちらもきちんと言って聞かせますし」
    「そうですか? ……どうしてそれを先にやれなかったのかしら」
    「えっ」
    「そうしたらこの子の髪はこんなことにならずに済んだのに。本当、帰ってきたこの子を見て、私、とっても驚いてしまったんです。それで、こんな酷いこと、誰がしたのかしらって思って……」
    「それは、本当に申し訳ないと——」
    「子供がやったって聞いて、その子はどんな教育を受けてきたのかしらって疑問に思ったの」
    「え」
    「ああでも、子供が学ぶのって家の中だけじゃあないわね。もしかして学校? 評判も良かったし、ここならって思って選んだけれど、変えた方がいいのかしら」
    「えっ」
     自分達に矛先がくると思っていなかったのか、先生方が目を見開く。
    「勝手に髪を切るような子供に教育するような学校は、ちょっと……」
    「え、いやお待ちを。私共としてもこんなことが起こるとは——」
    「でも実際起きてしまいましたよね? こんなに短く切られてしまって、この子がなんて思ったか」
     見ていられなくて、母のスカートを引っ張った。
    「お母さん」
    「ん、なあにまふゆ。お母さん今お話ししてるの」
    「ワタシが言ったの」
    「え?」
    「わ、ワタシが切ってってお願いしたの。この子は悪くないから、だからもう怒らないで」
     喉が締まって出にくい声で懇願する。母の声は最初何処か遠くに聞こえて、呆然と見渡した世界では嫌な音が聞こえていて、耳を塞ぎたかったけれどなんとか現状を把握しようとして。
     自分のせいでこの場の人たちを青褪めさせてしまっているという事実を理解して、耐えられなかった。
     違うんだ。オレが切りたかったんだ。みんな悪くなんてないんだ。なんでみんなを責めるの。そんなに言わないで。
     しかし母は、優しげに微笑んで言った。
    「まふゆ、まふゆは本当に優しい子ね。こんなことをされたのに、お友達を庇うだなんて」
    「え」
    「嘘を言わなくていいのよ? 大事に伸ばしてた髪を切ってだなんて、まふゆがお願いするわけないでしょう」
    「でもっ」
    「大丈夫よまふゆ、お母さんに任せておいて?」
     どうして、が頭の中を埋め尽くす。
     母はこちらの言い分を何も聞いてくれず、クラスメイトとその親を責めた。
     先生方も責めた。
     止めようとしても、どうにもならなかった。
     止め方が分からなかった。





     月曜日。登校して、真っ先に彼の姿を探した。すると司よりも先に登校していたようで、席に座ってクラスメイトと談笑している。話しかけると、驚いたようにこちらを見つめて、すぐ気まずそうな顔になった。
    「あの、ごめんね」
     謝ると、彼は目を見開いた。
    「お母さんに、ちゃんと伝えられなくて……」
    「ああ、そのこと」
    「怖かったよね。ごめん……」
    「あー、まあ、たしかに怖かったけど……あの人もまふゆの言うこと全然信じてなかったし、まふゆは悪くないんじゃねーの。別に怒ったりしねーよ。庇おうとしてくれたし」
     勝手に切っちゃったおれが悪いのは本当だしな、と彼は笑う。それがやけにありがたく思えて、司は少し涙目で笑い返した。
    「ありがと。優しいね」
     何故かクラスメイトが頬を赤くしてそっぽを向いた。
    「お、お前もサイナンだよな。あんな親なんてさ」
     同情する様に言われて、司は首を傾げる。
    「確かに、理解できないところもあるけど。優しいお母さんだよ」
     心配性が過ぎるのが玉に瑕だが、良い母親ではあるのだと思う。沢山愛してくれる人。
     ただ、自分とは相性が悪いのかもなと感じていた。











    「ただいま」
     玄関口で声を上げると、パタパタと音がして母が顔を出す。
    「おかえりなさい、まふゆ。学校はどうだった?」
    「楽しかったよ。英語の授業で、パペット人形が出てきたの」
    「あらそうなの。どういう内容だったのか、後でお母さんに教えてくれる?」
    「うん」
     廊下を歩きながら話していく。毎日のことで慣れてしまったが、そんなに聞きたくなることだろうかと少し首を傾げてしまう。記憶の中では、家族がこんな風に学校でのことを訊いてくることはなかった。
     帰ってすぐ、休憩も取らず一々話していくのも些か面倒なもので、だけれど話さないでいるともっと面倒になるから、適当に思い出したことを口に出していく。
    「お友達とは、どう? 仲良くできてる?」
    「休み時間にお話ししたんだけど、最近練り消しが流行ってるんだって」
    「お母さんの時代にもあったわ、それ。まだあるのね。まあ、まふゆはいらないわよね? 勉強の邪魔にもなるし。……そういえば今日はテストの返却日よね? どうだった?」
     リビングの椅子にランドセルを置き、中身を漁る。
    「えっと、……あった。これ」
     手渡すと、母はパラパラと複数枚のテスト用紙を確認する。少し、緊張する時間だ。
     小学校高学年に上がり、教科によっては勉強でつまづく箇所が出てきた。テストの点も徐々に落ちていっている。基礎だけでなく応用も含まれるようになってきて、流石に低学年時のように記憶の中の知識だけで解いていくことは難しい。
     今日返されたテストは算数や社会など、司が特に苦手とするものだ。点数は前に取ったものと比べ幾分か低くなってしまっている。確認し終わった母が首を傾げた。
    「おかしいわ。まふゆ、最近調子が悪いわね。……体の具合が悪いわけではないのよね?」
    「え、うん。元気いっぱいだよ」
    「なら、授業が悪かったのかしら……? まふゆは賢い子だもの、きちんと勉強ができる環境下ならもっとちゃんと学べるはずよね」
     あんなこともあった学校だし、と呟いた母が司に問いかける。
    「何処か、良い塾を探しましょうか。せっかく頭が良く生まれたんだもの、まふゆだってもっと良いところで勉強したいわよね?」
     頭が良い、わけじゃない。記憶があるだけだ。賢い子だと言われるたび、気まずさを感じてしまう。
     小学校の授業は、ちゃんと分かりやすく教えてくれていると思う。確かに『もっと興味の持てる言い方をしてくれれば』とか拗ねるように思ったりはするが。元々司は学校で学ぶような勉強と相性が悪いのだ。ショーに関連することだったらいくらだって身につけられるのに。きっと、興味のあることじゃないと頭に入らない。得意な教科だって“興味があるから”“楽しいから”変わらず高い点数を取れているのだ。塾に行ったってお金と時間の無駄になるだけだろう。
     けど、そう思うのに、何故か口には出せなくて。ただ頭を撫でてくる手を甘受するだけだった。









     或る日小学校にとある劇団がやってきた。全校生徒達を客として、体育館の舞台で素晴らしいショーを見せてくれた。
     司は、それを、キラキラとした眼差しで見つめていた——


    「お母さん! ワタシ、何処かの劇団に入りたい!」
     帰って直ぐ、開口一番そう叫んだ司に、母は「劇団? どうして」と困惑したように首を傾げる。
    「ショーがしたいんだ! あ、あのね、今日学校で観たショーがすっごくって! それで……」
     昔にも、同じことを言ったことがある。ぬいぐるみで遊んでいるぬいぐるみたちとショーをしている時、母に話しかけられて、いつかショースターになりたいのだと言ったことがある。みんなを笑顔にできるショーがしたい、笑顔の魔法が使えるスターになりたい、と。
    『あら、まふゆは本当に優しい子ね。……でも、みんなを笑顔にする方法なら、もっと他にもあるんじゃあないかしら?』
     その後も母は色々と言っていたが、その時の司は当たり前のように夢を否定されたことが受け止めきれなくて呆然としていた。怒りの声を上げることすらできなかった。どうして、で頭の中が埋め尽くされたのだ。
     あの時のぬいぐるみは、いついなくなってしまったのだっけ。
     でも、司は夢を諦められずにいた。だって、体育館で観たショーに、思い出してしまった。うつつか否かも分からないような記憶の中に、素晴らしいショーを見たんだ。みんなみんなキラキラ輝いてて、笑顔で、最愛の子だって明るく笑っていた。また、あんな景色が見たかった。記憶の中だけじゃなくて、実際にこの目で見たかったのだ。観客としてではなく、舞台から見下ろしたかった。
     きっと、記憶の中の自分のように、とても幸せな気持ちになれるだろうから。
    「ショーがしたい。みんな笑顔になるようなショーを——」
     だから、何処かの児童劇団に入りたいと思った。記憶の中の自分は最愛の子のためにもそんなこともできずにいたけれど、幸か不幸か今の自分は寂しくも自由だ。あの子のための不自由を嫌に思ったことはないけれど、もし今の生で何処かの劇団に入れるのなら、そこでショーができるのなら。そう考えるとワクワクしてしまう。
     母はとてもとても心配性で、子供のように弱い所のある人だけれど、どうか安心して何処かの劇団に預けてはくれないだろうかと思う。前に進む背中を押してはくれないだろうかと願う。そうしたら、きっと、素晴らしいショーを見せるから。
     そう、思ったのに。
    「——まふゆは本当に優しい子ね。でも、みんなを笑顔にしたいならもっと他にも方法があるんじゃないかしら?」
     頭が冷えていく。
    「それは、そうだけど。でも、ワタシがやりたいのは」
    「それに、役者さんって成功するかどうか分からないでしょう? まふゆだったらこなせるかもしれないけど、やっぱり確実な道を行く方がいいと思うの。きっとそっちの方がまふゆのためだし、お母さんも安心できるわ」
    「え、いやでも、きっとちゃんとスターになるから……!」
    「まふゆ」
     母の顔を見上げる。そっとしゃがんで目線を合わせた母は両の手で司の小さな肩を掴む。
    「役者さんとして成功するって、きっととても大変なことよ? 上手くいくかなんて分からない。色んな人が挑戦して、でもその殆どがきっと挫折して終わってしまうんだわ。そんな道を、私はまふゆに歩ませたくないの。もしまふゆが路頭に迷ったりしたらって考えると、お母さん、悲しくて悲しくて……胸がギュッとしちゃう」
     本当につらそうに話すから、司の胸もギュッとなってしまう。
     そんな顔をしてほしくない。そんな声を出してほしくない。
     ずっと笑っていてほしい。
     ……肩を、そんなに強く、握らないでほしい。
    「だから、ね? もっと確実な道を行きましょう。大丈夫、お母さんに任せて? まふゆにいいんじゃないかしらって職業は幾つか見つけてあるの。その中からまふゆがやりたいことを見つけてほしいわ。お母さん、まふゆがやりたいって言うならどんなものでも応援するから」
     優しげに微笑む顔を見て。
     力を抜いて肩を撫でる手のひらを感じて、
     なんだか重さを感じて。
    (でもその中に、ショースターは無いの)
     そんな小さな文句すら喉に引っかかって出なかった。





    ・・・





     ある日、トイレで、下着に赤があることに気がついた。

    「あら、まふゆもそんな歳なのねぇ」
     母は嬉しそうに微笑んだ。
    「それはね、まふゆが大人になったってことなのよ。病気とかじゃないから、安心してね」
     ああお赤飯を炊かないと、と嬉しそうだった。
    「そうだ、もし重そうだったら薬も考えないといけないわね」
     くすり?と首を傾げると、優しく微笑んだ母は答えてくれた。
    「医療の進歩でね、薬を使って体への負担を減らすことができるの。とはいえ相性もあるし、副作用なんかも考えないといけないけれど……あんまりに重かったら勉強にも支障が出ちゃうもの。それはいけないわ。それに、痛くて苦しいのは嫌でしょう? それをお薬で楽にできるのよ。お薬以外にも色々あるけど……まふゆに合った方法を探さないとね」
     でもそれって、高いんじゃ、と小さく聞けば、母は頭を撫でてくる。
    「もう、まふゆはそんなこと考えなくていいの。お母さんもお父さんも、まふゆのためならなんだって出来ちゃうんだからね」
     頭を撫でられ、下腹を見つめ、ああ成ってしまったとその時酷く実感したのだ。

     布団に潜りながら、臍の下の腹を撫でていく。この辺り、この辺りに女の象徴がある。ここから、月の巡りに合わせ、血が出てくるのだ。それは成熟された女の証であり、或いは子を孕める体の印である。
     胸は膨らみ、腹は括れ、遂にはその股から血を流すようになってしまった。この体は着々と女として成長していっている。同年代の男の子と比べれば、もう一目で分かってしまうだろう。
     生まれて数年程は、それほど違いはなかったのに。
    (……気持ち悪い)
     思ってもしょうがないと、分かっていても思ってしまう。
     受け入れたつもりでも、やはり。
     この体は“違う”のだという感覚が全く抜け落ちてくれなかった。











     灰色の布地、白い襟、青のスカーフ。
     見覚えのある制服。最愛の妹が着ること叶わなかった制服。揺れるプリーツスカートに、酷く違和感を覚える。
     中学に上がり、宮益坂女子学園へ入学した。
     そう、朝比奈まふゆは今年中学一年生の、生粋の少女である。
     自室の鏡を覗くと、伸びてきた髪と伝統を感じるセーラー服が目について、しかしこの十数年見慣れた顔の少女にはよくよくと似合っており、だからこそ苦々しい気持ちが胸に広がってしまう。
    (あの日のショー衣装が着たい)
     危ないからと裁縫セットを母に取られ、授業くらいでしか針に触れず、衣装を自分で作ることすら叶わない司は、記憶の中で自らが纏うキラキラの衣装に思いを馳せることしか出来ない。
    「まふゆ、そろそろ朝食をたべないと間に合わないわよ?」
    「あ、はーい。今行くよ、お母さん」
     努めて女の子らしい声色で返事をしながら、司はスカートを握りしめた。


     母の言う“まふゆの好物”を食べ、鞄を持って玄関へ向かう。その後ろをついて歩く母の言うことに、笑顔で返事を返す。
    「今日はいつ頃帰ってくる予定?」
    「塾もないし、早めに帰れると思うよ」
    「そう。でも気をつけて帰るのよ? 世の中危ない人も多いんだから」
    「うん、大丈夫だよ」
    「今日の夕ご飯はこの前ご近所さんから貰ったお野菜を使おうと思うの。ほら、実家から貰ったけど食べきれないからって沢山くれたでしょう?」
    「そうだったね。楽しみにしてるよ」
    「ええ。今日も学校、がんばってね。何かあったらすぐに連絡してくれていいから」
    「大丈夫だよ。じゃあ、行ってくるね」
     靴を履いて、扉を開ける。「いってらっしゃい」と玄関から声をかける母に手を振り、扉を閉め、家の敷地から出る。数歩歩いて、溜息を吐いた。
     どうにも、母の心配性が酷くなっているように思えてならない。キッカケは、やはり髪を切られたあの日だろうか。あれから伸ばされている髪を触りながら思い出す。
    (あの時はびっくりしたなぁ)
     でも、嬉しかったようにも思う。なんだか、軽くなった気がしたんだ。
     けれど、数日後に学校で件の男子の涙を見てから、また何かがずっしりと重くなったような気がする。そして、母の心配性も段々と酷くなっているように思う。学校で何があったのか、塾ではどうだったか、何故予定より遅く帰ってきたのか、そんなことを根掘り葉掘り聞いてくる。
     中学を宮女に決めたのも母だ。この辺りに住む女子は宮女へ行く子が多いとはいえ、司に何も言わず無断で決められた。当たり前のように宮女へ行くための受験勉強について話を振られた時の衝撃は忘れられないだろう。えっ宮女に行くのかオレ?!と、声に出なかったのが幸いだ。
     恐らく中学に女子校を選んだのも心配からだろう。髪を切ったのは男子だったし、それもあるのかもしれない。
    「だとしても……」
     呟きつつ、道を歩く。ふと顔を上げると既に校門は見えていて、少しだけ足を早めた。
     同じセーラー服を見に纏う女子の群れの合間を縫って歩き、教室へ辿り着く。席について一息吐くと、隣のクラスメイトが話しかけてきた。
    「おはよーまふゆ。今日も可愛いね」
    「おはよう。ところでどうして毎朝容姿を褒めてくるの?」
    「そりゃあ、まふゆが可愛いからだよ」
     ウインクするクラスメイトに苦笑を返す。
     確かに朝比奈まふゆの容姿は客観的に見て“良い”とされるものだろう。しかし司としては、可愛いと褒められても微妙な気持ちになってしまう。この学友はいつもこの調子で容姿の良い生徒を口説いているが、飽きないのだろうか。
    「ほらー、ほっぺもふにふにだし」
    「わ、ちょ、急に突っつかないでよ。危ない」
    「えーいいじゃんいいじゃん。怒っても可愛いな〜」
    「やめてよ、もう」
    「えいえい」
    「もー」
     結構真剣にムカついているのだが、それでも可愛いとしか言われない。それにまたムカついて、しかしそれを素直に出すと“天馬司”になってしまうから、女子らしく可愛らしく僅かな抵抗を見せるしかない。
     ここは伝統ある女子校。朝比奈まふゆは少女らしい少女。突然男のように振る舞い出したら驚かれてしまう。前、思わず大声を出してしまって、怯えられた時のことを思い出すと、どうしても口を閉ざしてしまう。怖がらせたいわけではないのだ。此処での正しい振る舞いは、ショースターらしい胸と声を張ったものではなく、少女らしい大人しくてお淑やかなもの。母もそれを望んでいて、その通りに振る舞えば振る舞う程笑みを見せてくれるのだから、ならばそう振る舞う他ない。
    「わ〜、遅刻してないよね?」
    「あ、おはよー。遅かったじゃん」
    「おはよう。大丈夫、まだチャイムは鳴ってないよ」
     司の言葉に「良かった〜」と息を吐くクラスメイト。その子に話しかける、先程まで頬を触ってきていたクラスメイト。この二人は現在のクラス内で特に司と仲の良い二人だ。こうして会話をすることも多いし、共に過ごす時間も他より長い。
    「ねえまふゆ、課題やってきた?」
    「うん? 国語のやつだよね。当然やってきたけど」
    「マジか〜。あたしアレやれなかったんだよね、むずくて」
    「え、どこが?」
    「どこがは笑うんだけど」
    「まふゆ国語は得意だもんね〜」
     てことでお願い!と両の手を合わされ、司は困り眉になる。
    「写すのは良くないと思うな」
    「お願いだよ〜! 今からやるの無理じゃん!」
    「昨日の夜にやればよかったのに。この課題は、教科書を見れば普通に解けるでしょ?」
    「いや無理です」
    「わたしも無理だな。いやこいつと違ってやってはきたけど、答え半分くらい空白だもん」
    「こいつって酷くなーい? 一応あたしもやろうとはしたんだからね!」
    「ならどうして解けなかったの?」
    「難しかったからですけど?!」
     お願い写させて!と懇願され、溜息を一つ吐く。
    「まだ時間あるし、とりあえず一緒に解いてみない? 上手く教えられるか分からないけど」
    「うう、真面目ちゃんめ!」
    「あ、解説入るならわたしもお願いしたい〜」
     いいよ、と返して鞄から課題のプリントを取り出す。進学校の宮女に入り、置いていかれないよう必死に勉強している司だが、得意科目は当然変わっておらず、うち一つである国語は然程頭を悩ませなくても高得点を維持できている。塾にも通っているのだから当然といえば当然だ。今回の課題もすんなり解けた。そのため、クラスメイトが何故そんなに苦しんでいるのか理解できない。神高に居た頃の自分は勉強というものに重きを置いていなかったが故にテストで苦労をしていたが、彼女達はあの頃の自分と違ってキチンと授業を聞いているように見えた。
    「それで、どこが分からないの?」
    「全て」
    「全て……??」
    「あ、まふゆが宇宙猫ちゃんになっちゃった」
    「いいんだよ理系に行くから」
    「理系でも多少の国語力は必要と聞いたけど……」
     ともかく目の前の課題だ、とクラスメイトに問題を解かせていく。難しい〜と唸りながら鉛筆を動かすクラスメイトを見て、何が理解できないのかが理解できなくて、頭を悩ませてしまう。自身も苦手とする部分ならば、自分の躓きの経験から教えることもできるが、国語の特に単純な読解力が求められるような物に関しては元より得意であるため、本当に何が分からないのかが分からないのだ。どう教えたものかと悩みながら、もしかしてあの日勉強を見てくれた類はこんな気持ちだったのだろうかと、泡沫の記憶に思いを馳せてしまった。





    「あれ、コレなんだろう」
    「ん? どしたのまふゆ」
     夕暮れ昇降口、靴を取り出したまふゆは、中に入っていた異物に声を上げる。振り返った学友が近寄り靴箱の中を覗き、エッと声を上げた。
    「これ、手紙?! もしかしてラブレター?!」
    「えっまふゆ告白されるの?!」
    「や、まだ決まったわけじゃ……」
     言いながら、司は手紙を取り出す。白い封筒に可愛らしいマステシールで封がなされたそこには宛名として『朝比奈まふゆ様へ』と書かれており、しかし相手側の名は何処を探しても見当たらない。
    「えー誰からだろ。書いてないね〜」
    「中身見てみようよ! マジでラブレターだったらヤバくない?」
    「どうだろう……見てみるね」
     促されて封を開ける。学友たちには見えないように便箋を開くが、当たり前のように覗き込まれてしまった。
    「なになに〜、えっマジでコレ告白じゃん? さっすがまふゆ!」
    「校舎裏で待ってるって〜! 定番じゃん! まふゆ凄い!」
     キャーキャーと二人は手を取り合ってはしゃいでいる。その横で、司は便箋を眺める。なんだか、現実味が薄かった。


     行っておいでよ、と背を押され、司は校舎裏へやってきた。そこには見知らぬ生徒が俯いて待っていて、司の足音にパッと上げられた顔は赤く染まっていた。
    「あ、あの、朝比奈さん……!」
    「あえ、はい?」
     向かい合って立って、司は相手側につられるように体を固くさせる。恋愛関係の事柄に物語以外で触れてこなかった司は、頭の中で様々な可能性を破裂させながら、目の前の俯く少女を見つめていた。
    「えっと、あの……」
     言葉を迷う少女を、じっと待つ。あの手紙の通りなら、きっと重大なことを言おうとしてくれている。それを、自分は受け止め切れるだろうか。
    「あの、好きです! 付き合ってください!」
     バッと頭を下げ、少女は叫んだ。
     息を呑む。予想はついていたが、実際にそう言われると驚きが来てしまう。
    「……ええ、と」
     上手い返しが思いつかない。きっとどう足掻いても傷付けてしまう。それでも、嘘を吐くことはできない。
    「……有難う。でも御免なさい、付き合えません」
    「あ、う……そう、ですか……」
     斜めに傾けていた上半身を持ち上げ、少女は俯いたまま目を伏せる。その声がとても悲しそうに濡れていて、司は焦る。傷つけたくなんてない。悲しんでほしくない。ずっと笑ってほしい。ずっと、ずっと、自分の周りは笑顔で溢れていてほしいのだ。
     じゃないと安心なんてできない。
    「あ、の。ワタシ、恋愛とか経験なくて、正解もなにも分からないんですけど……!」
     声が大きくなりそうになって、一度そこで言葉を止める。目の前では目を見開いた少女がこちらを見ている。
    「その、好いてくれたのは嬉しいんです。ワタシはあなたのことを知らないし、恋もなにも分からないから、応えることはできないけれど。でも、だから……お友達に、なってくれませんか?」
     ジッと目を見据えて言い放った言葉に、少女は息を呑んだ。
    「友、達……?」
    「はい。ワタシのことを好いてくれたあなたのことを、知りたいんです。どうでしょう」
    「え、あ……」
     徐々に顔を赤くさせた少女は、「喜んで!」と勢いよく頭を下げた。少し驚きに片足が後ずさったが、司は気を取り直して片手を差し出す。
    「良かった。……これからよろしくね? えっと——、お名前は、」
     顔を上げた少女は傷ついた顔をしていて、しかしすぐにパッと笑みを見せて名を教えてくれた。
     司は、不甲斐なさを感じていた。




    「——という感じで……」
    「喜んでって、なんか居酒屋みたい」
    「行ったことあるの〜?」
    「ないよ! でもアニメとかで見るじゃん!」
     夕暮れ帰り道。何故か待っていた学友二人と歩きながら、司は強請られるがまま結果報告をしていた。
    「……うーん、でも、オトモダチかぁ」
    「? うん。なりたいなって思って」
     頷く司に、学友は微妙な顔持ちで髪先を弄ぶ。
    「やー、告白しといて“オトモダチから”はなんか」
    「え?」
    「あー、ちょっとねぇ」
     何故そう言われるのか分からなくて、司は二人の顔を交互に見つめる。困惑を露わにする司に、二人は仕方がなさげな表情で笑った。
    「それはさー、ちょーっと無神経じゃない?」
    「えっ、ダメなの?」
    「もー、まふゆはウブだなぁ。ダメっていうか、ちょっと良くなかったんじゃない?ってさ」
    「そうそう。恋して当たって砕けて、そこからオトモダチは難しいんじゃないかな〜?」
    「そりゃ最初は好きな人と仲良くなれるってだけで嬉しいかもだけどさぁ」
    「無理なら無理でさ〜、全部無理ってやった方が良かったりするよぉ。中途半端じゃ諦められるものも諦められないし〜」
    「まふゆ優しいからなぁ。でも断るならスッパリじゃないと。恋してる人と友情育むのはキツいっしょ」
     続けてダメ出しをされて、司は「そうなんだ……」と呟くしかなかった。
    「もー、まふゆって変なとこでウブだよね」
    「恋とかしたことあるのー? ちゃんと学んどいた方がいいよ〜。女子校でも恋愛絡みのいざこざないわけじゃないんだから」
    「他校生巻き込んで〜とかもあるし、生徒間でもあるし……それこそさっきだって告白されたわけじゃん? まふゆ可愛いしね」
    「もう中学生なんだから、その辺も知っておかないとね〜」
     そっか、と頷く。司には、よく分からなかった。天馬司としての泡沫の記憶の中に、恋愛関係の事柄は見当たらない。ショーやらなんやらの、物語の中での物しか見つからない。実際に経験したことはないのだ。小さい頃から天馬司の熱はショーに全て捧げており、ヒトへ向けることはなかった。なにをどうすればヒトに恋をするのか、分からなかった。
     恋をしたヒトにどう対応すればいいのかも、分からなかった。
    (傷つけてしまったのかもしれないのか)
     名前を聞いた時の顔を思い出す。胸が締め付けられるような感覚がして、頬の内側を噛んだ。



     司には、皆の言う“女子中学生らしさあたりまえ”が分からない。
     例えばある日、今度近くの劇場でやるというミュージカルの話をした時。
     学友たちは「芝居ってよく分かんないな、面白いの?」「それより映画観に行かない? 今度やるやつ好きな俳優が出るんだよね〜」と、すぐさま話を切り替えた。
     映画もいいけど、ショーならではの良さだってあるのに。そう呟いても、学友は「ふーん、そうなんだ?」「てかこれ見てよ〜このヒロイン役めちゃ可愛いんだけど〜」と興味のない様子を隠しもせず話を変えた。確かに映画は楽しそうで、司は普通に話に乗ったが、後から思い返して『ショーだって楽しいのにな』と思わずにはいられなかった。“朝比奈まふゆ”は、そんなもの見たことがないのに。

     まふゆってたまにちょっと変わってるよね、と言われたことがある。
    「寄り道せず真っ直ぐ帰るしさぁ。結構寂しいよ?」
    「そそくさ〜って感じだもんね。もっと遊んだりしたいのにな〜」
    「でも映画とかは結構好きだよね。ストーリーについて語ってるとことかもはやオタクじゃん?」
    「わたしも俳優好きだけど、まふゆはそれとはまた違うよね〜」
    「あとたまにショー?がどうとか言ってるのよく分かんないんだよね。アレ何?」
    「まふゆたまによく分かんないこと言うよね〜。ワンダーランドがどうとかさ」
    「あたしらそんなに頭良くないから、シェークスピア?とかの話振られても分かんないよ。楽しそうに話してるとこは可愛いけど」
    「ロミオとか、悲劇ってことと『あなたはどうしてロミオなのー?』ってセリフくらいしか知らないしね〜」
    「それより可愛い服とかの話したいんだけど、まふゆそんなに興味ないでしょ。絶対似合うのに」
    「普通年頃の女の子って言ったらこーゆうの興味あると思うんだけど。まふゆって変わってるよね〜」
     変わっている、のだろうか。よく分からない。司はただ自分らしく息をしているだけだ。夢現の記憶の中でも変人だのなんだのよく言われていたが、司にとっては自分は自分でしかなく、変も普通もない。それは今も変わらない、はずだ。

     けれど、たまに、嗚呼自分だけ違うなぁと感じる。

     それは体育の着替えの時だったり、揺れるスカートを気にした時だったり、好きなタイプについての話題になった時だったり。
     もしくはただ授業を受けている時も、あたりを見渡して、周りにセーラー服を着た女子生徒しかいなくて、世界が遠く感じる。
     この体は違うものだという違和感が、自分は本来周りと違う生き物だという心地に繋がる。
     自分一人にだけスポットライトが当たっているような孤独感。しかし観客がいるわけでもなく、寧ろ見向きもされず、騒めきが遠くて、ショーの時のような高揚感は全くない。自分の周り、半径一メートルもないほどだけが黄色い光に照らされ、それ以外はよく見えない暗がりの中にあるような。まあるく切り取られた狭い光のセカイ、机の上とその少し周辺だけよく見えて。薄暗い周りはこちらに視線も向けず、当たり前に日常を過ごしている。
     世界が、遠い。


     だからといって何かあるわけではないが。司は誰かが居ないとダメなタイプではなく、学内では一人で行動することの方が多い。学友たちは常に誰かと居たいらしく、司にもついてくることが多いが、それを特に厭うこともなく、かといってついてこなくとも別に支障はなく。
     だから、「なんで勝手に一人で行くの?」と言われても首を傾げるほかない。
     お昼休みだった。何処かいい場所で“一人で”ランチにしようと、さっさと教室を出ていこうとして、学友に引き留められたのだ。
    「友達なんだから一緒に食べたいじゃん。なんで一人でどっか行こうとするの」
    「今日は一人で食べようと思って……」
    「なんで?」
    「なんでって——」
    「まふゆ、なんで置いてこうとするの? あたしら友達でしょ?」
    「あー、ね。お手洗いとかもさ〜、一緒に行きたいのにさぁ?」
    「なんで?」
    「なんでって、そういうものじゃん?」
    「まふゆ結構勝手な行動多いよね〜。わたしら友達なんだからもっと一緒にいたいんだけど〜」
     拗ねたように言われても、困ってしまう。確かに好きに行動しているが、それのどこが悪いのか。何故そんなに一緒にいたがるのか。全く分からない。別に、中々会えない距離にいるとか、そういうわけでもないじゃあないか。毎日教室で会って、休み時間にはお喋りもする。それだけでいいんじゃないのか。むしろ、司としてはもう少し一人の時間が欲しかった。その時に思いついた、いつ使えるかも分からないショーのネタをドンドン書いていくことだって大事な時間であるのに、彼女らは授業時間にさえ突っついてくることがある。一緒にいるのは、楽しくはあるのだけれど。
     自分の時間を邪魔しないでほしい、と、そう思ってしまうのは、薄情なのだろうか。
     普通は一緒に居るものでしょ、と言われても、分からない。普通を説かれても、それは司には当て嵌まらないものだ。変わってるよね、と言うのであれば、いっそのこと、変わっている人間として、放っておけばよろしい。自分達の“普通”に組み込もうとするのを、諦めればいい。だからって付き合いが終わるわけでもなかろう。
     そこまで考えて、司は、もしかして類はだから独りでいたのだろうか、とふと思った。普通の枠に入れられるのが嫌だから。……いや、アレはそれとはまた違うようにも思うが。
     その後、こうも思った。もしかして“天馬司”は最初っから『変人』という枠組みに入れられていたが故、普通の括りに無理に加えられることもなく、自由に過ごせたのだろうか。と。
     今の司は、女子校で浮かない程度に、母が笑顔を無くさない程度に、女の子らしい振る舞いを心掛けている。もしやそれが、第一印象を、『普通の枠組みの中の女の子』にしてしまっているのかもしれない。だからそこからズレた対応をすると、変に思われてしまうのか。もっとはなからズレた振る舞いをしていれば違ったのか。それとも単に共学と女子校の常識が異なるだけか。
     分からない。分からないが、どうやら司は、『普通の人』では在れないらしかった。











     雨が、振っていた。
     ザアザアと、うるさい。
     うるさい中を、生徒たちが傘を差しながら歩いていく。
     セーラー服を吐き出していく昇降口の、屋外と屋内の間で、司は空を見上げて立ち尽くしていた。
    (傘、忘れちゃった)
     左右を生徒が通り抜けていく。ザアザアと傘に、地面に、雨が降り注いで音を立てている。
    (流石に鞄じゃどうにもならないよな。どうしよう)
     ザアザア、ザアザア、予報では晴れだったのに。
    (……まあ、いいか)
     一歩、足を踏み出す。二歩、三歩、ローファーが濡れて、タイツが濡れて、手足が濡れて、肩が濡れて、遠くに感じていた雨音が耳元で鳴った。
     ザアザア
     ザアザア
     聞き覚えがある気がする。
     雨音なんて、生涯でどれほど聞くかも分からないが。
     水が肌を伝う感覚も、服が次第に張り付いていく感触も、白く遮られる視界も、雨音も、
     覚えのある気がするのだ。
    (……小さい頃、傘なんて差さずに帰ったこともあったな)
     薄ぼんやりとした記憶を思い出す。どうしてそんなことをしたのかは覚えていない。ショーかなにかで、そんな場面でも観たんだろうか。風邪を引いてしまうだろうに。あの子に移してしまったら大変なことになるのに。
    (——ショー、したいな。笑顔にしたい……)
     ぼんやり考えながら歩いていく。周りの生徒が幾人か「え?」「嘘でしょ?」「大丈夫かな」と目を向けていることも気に留めず、司はそのまま校門から出ていった。



     コンクリートが続く道。いつもの灰色が濡れて濃くなっている。水滴の落ちる前髪を見て、ふと、母の顔を思い出して足を止めた。
    (このまま、ずぶ濡れのまま帰ったら、お母さん、なんて言う?)
     バター色のカーディガンも、胸元の水色も、灰のスカートも、全部全部雨を吸い込んで重たあくなっている。
     かくんと一歩前に足を踏み出すと、グシャリと靴の中が鳴った。

     グシャ……グシャ……グシャ……グシャ……
     一定の間隔を空けて、濡れた足音が鳴る。ザアザアと耳を横切る雨粒に不透明な視界が、足音と共に、かく、かく、と動く。それがやけにゆっくりとした間隔だと気づき、司は意識して背筋を伸ばした。
     伸ばして、自分が俯いていたことに気付いた。





    「ただいま」
     重苦しい扉を開けて、何故か開きにくい口を開いて、自身の帰還を告げる。すぐさまパタパタと聞こえてくるスリッパの音に、キュッと脇を締めながら戸を閉じた。ポトポトと玄関口が濡れていく。
    「おかえりなさ——どうしたのまふゆ! ずぶ濡れじゃない!」
     娘の状態に気がついた母が駆け寄り、心配げな声を掛ける。
    「傘、忘れちゃって……」
     目を伏せ、司は鞄の持ち手を握りしめている。
    「まあ、それなら連絡してくれれば迎えに行ったのに! 大変、タオルを持ってくるわ。拭いたらすぐにお風呂に入りなさい、このままじゃ風邪を引いちゃう」
     パタパタと駆けていった母を見送り、司はゆっくり動き出す。灰色のスカートを握り絞り染み込んだ水分を落とし、バター色のカーディガンも同じく雑巾絞りのように重さを無くしていると、母がタオルを手に戻ってきた。そのまま母は、タオルをバサリと頭に被せて優しく水分を拭き取っていく。
     頭が重い。自然と俯いた形になって、水滴の飛び散った床が見えた。
    「お母さん、自分で拭けるよ」
     タオルに囲まれた視界は些か薄暗い。自分と母の影で天井の照明が上手く届かないせいもあるだろう。いい演出だ、と頭の片隅で思う。演出だとするなら、どのような意図のある演出だろうか。
    「……そうね。ああでも、体がとっても冷えてしまっているわ。お風呂に入りなさい。温かい飲み物を用意して待ってるから、上がったら飲みましょうね」
     母は優しげな声をかけ、頭をそっと撫でてくれた。
    「うん。……有難う、お母さん」
     びしょ濡れのローファーを脱いで、水を吸って重い靴下も脱いで、裸足で家に上がった。



     コトン、とテーブルにマグカップが置かれる。中はホットミルクに生姜を擦り入れたものらしい。風邪でも引いたような対応だな、と思いながら一口啜った。
     熱が体内をじんわりと侵食していく。母の購入した大人しい色合いのパジャマに柔らかな身を包まれ、タオルを肩にかけた司はハッと息を吐く。
     目の前の母は、自分がどれだけ心配したのかを語っている。とても悲しげな濡れた声をしていて、喉が締まった。
    「——まふゆ、いつでもお母さんのこと頼っていいのよ? お母さんはいつだってまふゆの味方なんだから」
     どうして迎えを頼まなかったのか、という話から、そんな言葉が続いた。司は何故か、小さく息を呑む。
    (頼る……頼る、ことなんて)
    「まふゆはしっかりしてるし、きっと大丈夫だって思ってるけど」
     指が勝手に動いて、マグカップにカリと爪が当たった。
    「もし何か相談したいこととかあったら、いつだって言ってくれていいのよ」
     いつものリビングが、とても広く感じる。座っている椅子が、とても頼りなく感じる。すぐにでも足が折れてストンと落ちてしまいそうな。

     ふと、日常のどこかの記憶が思い出された。
     返して、と手を伸ばしても、届かない。
     学友が、どういった理由だったか、司の消しゴムをその手に持っていた。複数人で、キャッチボールのように遊んでいた。
     返して、と手を伸ばしても、届かない。
     返して、返して、と言うのに、キャッチボールは続いていく。
     ただの、遊び。きゃいきゃいと子供が遊んでいる。
     いつも使っている無愛想な消しゴムはくうを飛び交い、手を伸ばしても届かない。
     届かない。

     マグカップの中がゆらりと揺れる。ぎゅ、とマグカップを握りしめた反動だ。目を伏せ、司は記憶から戻ってきた。
     どうして、あんな記憶を、ずっとずっと覚えているんだろう。ただの、友人間のふざけ合い。どうして自分があんなに必死にただの消しゴムを取り戻そうとしていたのか、今ではよく分からない程の。ただの、遊び。
    「……あの、ね」
    「ん、なあにまふゆ」
     優しい優しい母の声。優しい、安心できる、母の声。なのに、頭がさぁっと冷えていく。
     なにかを聞き出したい声色だ。
     なにか、言わないと。
    「……学校……楽しくない、かも……」
    「……え?」
     言葉が落ちて、パチリと瞬きをした。
    (楽しくない……のか?)
     そんなことはない、と思う。勉強は嫌だが、学友とは楽しく話せているし、今日も体育で活躍したし、窓の外から見た空が奇麗だったし、部活も楽しく過ごしている。
     楽しいと思った瞬間なんて幾らでもある。
     だから、大丈夫だと、なんでもないと、口を開こうとした。
    「どうして? もしかして、イジメとか……」
     顔を上げると、目の前の母は、見たくない顔をしていた。
    「大丈夫なの? 誰かに何かされたとか——」
    「え、いや、違う! イジメとか、そんなことないから」
    「本当? 隠さなくていいのよ、お母さんは絶対まふゆの味方だから」
    「本当。友達とも仲良くできてる。ただ……ちょっと、疲れちゃってるだけだよ」
     そう、きっと疲れているのだ。雨も降っていたし、勉強は頑張っているし、きっと、疲れてしまってあんな言葉を口走ってしまったのだ。
     ただそれだけだから
    「大丈夫だよ、お母さん。お母さんが心配するようなことなんて——ひとつもないから」
     安心させるように、あやすように、柔らかく微笑んだ。

     ——その筈だったんだ。

     意味なんてなかったと、失敗したと、気が付いたのは休日を跨いで月曜の登校日。
     おはよう飛び交う教室で学友たちと話していると、授業前だというのにやってきた担任の教師に呼ばれた。
    「何か悪いことでもしたの〜?」「まふゆに限ってそんなことないじゃん」「じゃあ何か頼み事かな? まふゆってちゃんとしてるし〜」「先生にも頼りにされてるなんて凄いよねぇ。さっすがぁ」なんて学友たちに笑顔で見送られ、司は担任に続いて廊下を歩いていった。
     広い窓に曇り空が映っている。まだ天気は晴れないらしい。天候での演出もショーにはよく使われる。今日のような曇り空は、どんな演出に使えるだろうか。この空の下でなら、どんな場面のどんな演技が合うだろうか。そんなことを考えながら、歩く。てっきり職員室にでも行くのかと思っていたが、担任は人気のない場所で立ち止まった。振り向いた担任は何やら気不味そうに首を擦りながら口を開く。
    「アー、朝比奈さん。ちょっと聞きたいコトがあるんですが…」
    「はい? なんでしょうか……?」
     不思議に首を傾げていると、息を吸った担任は何かを決意したように目を開き、生徒を悲しげな瞳で見下ろす。
    「なにか、困ったこととか、ないですか?」
    「……え?」
    「例えば、友達とちょっと上手くいってないとか。なんでもいいんですよ。朝比奈さんはしっかりしてますし、もしかしたら周りに頼るのが少し苦手なのかもしれませんが……誰にも告げ口なんてしないので、ね?」
    「……ええ、と」
     何を言っているんだろうか、この人は。
     特に困っていることなんて、相談したいことなんて、ない。頼るのが苦手なんてこともない。一人でどうしようもないなら頼れる誰かに頼る、という手段を“司”はきちんと知っている。
    「大丈夫、ですよ? 友人とも仲良くやれていますし」
    「そうですか? 本当になんでも言ってくれていいんですよ?」
    「大丈夫ですって。どうしてそんなこと言うんですか?」
     困惑を顔と声に乗せながら問う。担任は、言いにくそうに目を伏せながらゆっくり口を開いた。
    「……あなたの、お母様が」
     ヒュッと喉から音が鳴るのを、遠くに感じた。
    「嗚呼いえ、なんでもないです。ただの心配性ですよ」
     ハハ、と担任は誤魔化すように笑うが、先程の言葉は取り消せない。
     大丈夫ならいいんです、と職員室へ帰っていった担任と別れ、司は教室へと歩いていく。人気のない場所から進んで、朝の喧騒が少しずつ近付くが、その音よりも頭を支配する疑問があった。
    (な、ぜ……何故? 心配を、掛けたから? だから学校に連絡を? イジメなんてないって言ったのに。ただ少し、楽しくないかもしれないと、疲れているからと、言っただけで。だけで……)
     小学の頃の記憶を思い出す。あの日のクラスメイトは泣いてしまった。母は止まらなかった。止め方が分からなかった。
     だって、心配だからって、大事な子が傷つけられて悲しいからって。
    (そんな、そんなことで人を泣かせるのか?! 何故……分からない……どうして。貴女がオレを、娘を大事に思ってくれていることは分かる。だが、どうしてありもしないことを疑い、他者を不必要に傷付け、そこまでして娘を守ろうとする? 心配性なんだろうことはもう分かってる、分かっているが、そんなことしてもらわなくてもオレはオレ自身で生きていけるのに!)
     夢か現かも定かでない記憶が、幼き頃からふわふわと胸の内にいる“天馬司”が、ぶわりと叫ぶ。これは理不尽だ、心配だからとやりすぎじゃないか、と。
    (……でも、あの人は。“お母さん”は。本当に心配してくれて……)
     此方を見つめる瞳を思い出す。澄んだ朝の色を思わせる瞳。鏡を見れば同じ色合いが見れるが、母のそれはやはり少し異なるようにも思う。
     ——生まれ落ちて十二年。それほどの年月を共に過ごしてきた。愛されてきた。庇護されてきた。それをなんとも思わないことなんてできない。
    (……そうか、オレはまだ、十二歳の若い娘でしかないのか)
     人通りの多くなってきた廊下で、歩きながら柔い手を見つめる。小さくて細い手。ペンダコが有る以外は大した傷も無い、弱くて脆そうな手。まだ子供の手だ。
    (未だ、守られるべき存在……なのか……?)
     ふと、足が止まる。
     母は心配性で、娘をきっと精一杯守ろうとしていて、育てようとしていて、ただそれだけなんだ。
     まだまだ弱い存在だと思われているから。だから、仕方がない。心配を厭うなんて、ひどい。ひどい。ひどい。お母さんはとても思ってくれているのに。ひどい。
    (——咲希が同じ立場だったら?)
     思考が止まる。
    (オレだったら、咲希を心配したら、どうする)
     ぐるぐる、渦巻く。
    (……大丈夫と言っても信じてくれないのは、)
     それだって、ひどいことじゃ
    「まーふゆ!」
     急に声をかけられて、体がびくりと反応する。出かかった声を喉で止めて、司は声の方に視線を向けた。
    「そんなに吃驚しないでよー。ねえ、結局なんで呼ばれたの?」
     教室の窓から、学友が笑い掛けてくる。いつの間にか戻ってきていたらしい。
    「……あー、特に大したことじゃなかったよ。それより今日は、ちゃんと課題やってきたの?」
    「うっ、やってはきたよ! でも心配だからチョット見て……」
    「わたしもわたしも〜」
     アハハ、と笑いながら教室に入る。学友たちと楽しく話していれば、廊下で考えていたことなんて忘れてしまった。











     ガチャリ、バタン。
     パタパタパタ。
    「おかえりまふゆ。今日の塾はどうだった?」
    「ただいまお母さん。うーん、少し難しかったかも」
     帰宅、報告。もう慣れたものだ。本日の出来事をお伝えしながら、洗面台へ歩く。手を洗いながら鏡を見ると、澄んだ早朝の色の瞳と目が合う。瞼を伏せ、手を拭いてリビングへと行く。
    「……そういえば今日はテストの返却日だったわね」
    「あ、うん。今出すね」
     リビングのテーブルに一度鞄を置き、テスト用紙を取り出した。一枚一枚丁寧に見ていく母の様子を眺めながらただ待つ時間が、異様に長く感じる。
    「……前よりも、点が悪くなっているわね」
     ぎゅ、と手を握る。そんな自分の体の動作が、遠く感じる。
    「どうしてかしら。塾が悪いの? もっと別の場所を探した方が……」
     テスト用紙を眺め、母は憂うように言葉を吐く。
    (……そんなに学校の勉強って大事?)
     そんなことより、ショーがしたい。
     ショーがしたい、はずなんだ。
     ドクドクと心臓が鳴っている。
    「まふゆは頭が良く生まれた子だもの、きちんと勉強すればもっと成績は良くなる筈よね?」
     そんなことない。そんなことはない、のに。
    「学校は良いところの筈だし、やっぱり塾かしら。評判の良いところを選んだつもりだったけど……」
    「……良いところ、だと思うよ? 教え方も分かりやすいし」
    「そう? でも、ならどうして成績が下がってるのかしら。まふゆならもっとできる筈よね。賢い子だもの」
     そんなこと、ないよ。と、それだけの言葉が口から出てこない。
     ドクドクと心臓が鳴っている。
     顔が見えない。
    「——それとも、私の育て方が悪いのかしら……?」
     ドクンッ、と鳴った。息が一瞬止まる。
    「そ、んなことないよ。お母さんはとっても良いお母さんだ、と思うよ」
    「あら、そう? 有難うまふゆ」
     嬉しそうに、笑う。笑う、顔を見て、息を吐いた。肩が落ちた。笑顔。笑顔だ。笑顔なら、もう大丈夫。
     大丈夫。
    「……なら、やっぱり学校かしら?」
    「え」
    「塾じゃないならそうでしょう。嗚呼でも良いところを選んだもの、学校全体が悪いってことはないと思うんだけど……やっぱり、まふゆ、イジメかなにかあるんじゃない? 大丈夫?」
    「えっ、そんな、大丈夫だよ。イジメなんてないよ? ちゃんと友達と楽しく過ごしてるよ」
    「そう? でも、学校が楽しくないなんて、やっぱり何かあるんじゃないかしらってお母さん心配で心配で。勉強だってその所為じゃないかしらって心配で」
    「そんなことないよ! 楽しくないって、あの日言ったのは…、ちょっと疲れてただけだって。今はちゃんと、楽しいよ? 本当は毎日楽しいから。大丈夫だよ」
    「そう?」
    「うん。友達とも楽しくお喋りしたりしてるし……」
    「……。……その友達って、成績はどのくらいなのかしら」
    「えっ?」
    「もしかして、あんまりできない子に頼られっぱなしだったりはしない? それはよくないわ、まふゆの時間が取られちゃう。教えてもらわないとできない子より、やっぱり競える子と一緒にいた方がいいでしょう? そういう子と一緒にいると、自分も勉強になるもの。……でもまふゆは優しい子だし、頼られたら応えてしまうわよね……。もし断れないでいるなら、お母さんがなんとかしてあげましょうか。担任の先生に頼むか、その子の親御さんに——」
    「っ大丈夫」
     やっと出た声は、思った以上に小さなものだった。震えて、か弱そうな、幼い少女の声。
    「大丈夫、だよ。そんなこと、ないから」
     学友の顔を思い出す。世話焼きでノリが良くて、何故かしょっちゅう口説いてくる子。いつもゆったりとしていて、オシャレに詳しくて俳優が好きな子。……二人とも、教科にもよるが、宮女内では基本的に成績が悪い方だ。国語があのレベルなら仕方ないのでは、とも思う。まず日本語を理解するところからだね、といつかの図書室での勉強会で揶揄い混じりの言葉を投げたこともある。そう、たまに開く勉強会、教科にもよるが大抵司は教える側だ。彼女らと違い塾にも行っている身なのだから、当然とも言える。
     それを、嫌だと思ったことはない。
     ないのに。
    「それに、教えるのも勉強になるしね。お母さんが心配するようなことなんてないよ」
    「そう? それならいいんだけど……」
     テストに向けられた視線。唾を飲み込む。
    「勉強は、もうちょっと頑張ってみるね。もしかしたら、今やってる方法が悪いのかも。塾の先生とも相談してみるよ」
    「あら、そう? ふふ、まふゆは本当にしっかりした子ね。分かったわ、そう言うならまふゆに任せる。頑張りなさい」
    「うん。有難う、お母さん」
     ああ、やっと笑顔になった。









     司くん、「これを読んで、後の問いに答えなさい」って問題があるだろう。こういう場合はね、大抵答えは其処に書いてあるんだ。だから日本語ができるのなら、何処にどの答えが書いてあるか探すことのできる程度日本語が読めるのなら、つまりは読解力が高ければ、大丈夫なんだよ。君は読書ができる人間であるし、きっと此処は答えられるだろう。嗚呼、自分でも自信のあるところではあるんだね。うん、それで正解だ。さて、では何処が問題かというと、まあ、漢字だとかの暗記問題、等だね。読むことはできるけれど書けない漢字、あるだろう。マァ其処は、兎に角書いて覚えるしかない。然し兎に角書けばそれがそのまま身に染みて覚える部類のものであるし、君に合った努力の形でなんとでもなるだろう。さて更に問題なのは、考えて文章を書かなくてはいけないところだ。〇〇に関するあなたの考えを書きなさい、だとかだね。マァそんなアバウトに書いてあることは少ないけれど、その手の問題が最後に有ることは多い。そして此処は結構な高得点が獲得できる場所でもある。大抵教科書に書いてあることを読めばなんとかなることだから、試験範囲が分かるのであれば其処を読めば大丈夫じゃないかな。次のテストは確か……此処のページから此処まで、だね。此処を読み込んでおくといい。これを読んで、君は何をどう調べどう纏め、どういう考えに至る? フフ、うん。ショーに関することみたいに、そのままやってしまえばいい。それがそのままテストに活きるよ。文章を構成する力くらいはあるだろう? 嗚呼でも、あまり脚本めいたりしないように、ね。フフフ。
     ……さて。国語はそれでいいだろう。司くんは文章を読み解く力も書く力もあるからね。で、さて。何が難しそうなのであったかな。……フフ、君は実に文系な男だね。いや、然し理論的に物事を考えられる人間でもあるのだから、きっとやろうと思えばできるよ。やろうと思えば。こういうのはね、要は覚えてしまえば・身に付けてしまえばいいんだよ。公式だとか……嗚呼、それが難しいのだね。ふむ……。では、分かりやすく覚えられる何かを考えようか。ショーはどうだい? ショーで楽しくお勉強! 実によいじゃあないか。ワンダーステージでやってもいいかもね。内容にもよるが一定年齢の子供に、そして親御さん方にウケるだろう。勉強になる——学校でのそれに直接的に役立つショー! 小さい子を狙うなら九九だとか……嗚呼、今はその話では無いね。……そんな顔をしないでおくれよ、司くん。僕だってショーの話はいつでもいつまでもしたいよ? でもそもそもこの集まりはなんの集まりだい? そう、勉強会だ。今はお勉強の時間なんだよ。共に頑張ろうではないか。……、……社会経済だとか歴史だとかは、もう、暗記しかないよ。手っ取り早くね。……然し君は何かに——特にショーに関連立てて覚えさせた方が身に付きそうだ。ふむ、何か考えてみようか……。フフ、一緒に考える? ショーについて考えるのは楽しいからね。……うん、それもまた勉強になりそうだ。然しマァ、それは後でね。……いや、僕もとてもしたいんだよ? 凄く楽しそうだしね。でもほら、今はなんの時間? ……そう、勉強会。もしこのまま話をズラしていって、ショーばかりのことを考えて終えて、遂には赤点なんて取ってしまえば、寧々に怒られてしまうよ。……フフ。うん、頑張ろうね。僕もできるだけ脱線しないよう、分かりやすく解説するよう、努めるよ。ではまず、コレから始めてみようか——









     ガリガリ、ガリガリ、ガリガリ。ポキッ
     シャーペンの芯が折れた。
     カチカチ、カチカチ、ノックを繰り返すが何も出てこない。
    「新しく、入れないと……」
     自室の机の上には母の購入した問題集が広がっている。特に苦手とする理科や社会を重点的にこなそうと、司は今机へ向かっていた。
     得意な国語、及び音楽や美術も多少は得意だが、それは感性でどうにかなるような部分くらいで、知識を詰め込まねばならない暗記問題などは少し厳しい。ピアノが関わるクラシック音楽なら少しは、という程度だろうか。然しこれも今は後回しだ。
     理科や歴史は完全に知識があるか否かが問われてくるため、とにかく覚えるしかない。数学は小学の頃少し意識して基礎を身に付けていたからか“記憶”よりもできている気はするが、しかし足りない。もっと勉強しないといけない。
     ガリガリ、ガリガリ、シャーペンが紙面を滑っていく音だけが部屋に響く。
    (……気圧、これは知ってる。ショーの演出にも使える知識だ。彼奴がそう言ってた……)
     じゃあ、他はどうなんだろう。
     ペン先が止まった。
    (ショーに使えることは……そうだ、そう、全部ショーに使えると思えばいい。そう思えば勉強も楽しくなるって彼奴も言ってた)
     理科は楽しい。ワクワクできる。
     社会は?
     数学は?

    (こんなことやってて何になるんだ)

     ペン先が動かない。
    (……違う。やらないと。勉強しないと。しないと、お母さんが……)
     ガリガリ、ガリガリ、ガリガリ……
    (……ショーがしたい)
     ガリガリガリガリガリガリ、ペンが紙面を滑っていく音が、部屋に響いている。
    (なんで、こんなこと。楽しくもなんともないこと。ショーの方がもっと有意義だ。楽しい。みんな笑顔になる)
     問題集の文章を読み込む頭に、思考が度々差し込む。
    (ショーをすれば笑顔が花咲く。沢山。……これは? 今やっているこれは? なんの意味があるなんの役に立つショーの役に立つのかやることで意義が生まれるのか? オレはなんのためにこんなことをしているんだ……?!)
     ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ、ポキッ
    「あ、」
     ポタリ、と。気がつくと、問題集に水滴が落ちていた。
     ポタポタ、と、続いて落ちていく。シミになっていく。
     目から涙が落ちていく。
    「……なんで」
     ぐちゃりぐちゃりと胸の内が苦しい。黒々とした何かが、心臓の辺りから喉奥を通って上がって上がって、涙となって溢れてくる。
     ——こんな拷問があるそうだ。まず穴を掘る。掘れたら埋める。また掘る。そして埋める。そこに意味は無い。ただ掘って埋めて掘って埋めて掘って埋めて、の繰り返し。なんの意味も無い作業。人は、それで、たったそれだけで狂うらしい。
     意味の見つからないことをするのは、とても苦痛を伴うものだ。
     くだらないと、大袈裟だと、笑う者もいるだろう。ただの勉強が拷問になるわけがない。意味だってきっと有る。知識が増えるのはいいことだ。いいことのはずだ。ショーに使えることだってきっと沢山あるんだろう。
     なのに、興味のないことに全力を尽くすことが、ただそれだけが、どうして。
    (……ショーが、したい)
     鞄からノートを取り出す。開くと、そこにはショーの案が沢山載っている。脚本案、演出案、衣装案、その他諸々。パッと思い付いた、様々な取り止めもない案を書き留めるのがこのノートだ。学校に持っていくのは基本的にこの一冊だけ。家に帰り、この書き出しノートから案を取って改めて書き留めるノートもそれぞれ有る。机の引き出しに仕舞ってあるノートの中から脚本ノートを取り出し、広げた。
     頭の中でワンダーランドが開かれる。物語が紡がれていく。未だふわふわとしたそれをざっくりとノートに書き出し、整えていく。それだけの作業がとてもとてもとても楽しい。
     黒々とした何かが晴れていく。問題集からは目を背け、頭の片隅から訴えてくる声に耳を塞ぎ、ただ、楽しいことに没頭していた。

     ……、……

     コンコン
     ビクッと体が震えた。聞こえたのはノックの音だ。
    「まふゆ、勉強中かしら? そろそろ夕ご飯だけれど」
    「あ、……はーい。今行くよ」
     声が震えないように返事を返す。ノートを閉じる。楽しいことばかり書いてあるノートを閉じる。広げたままだった、文字の羅列が書かれた問題集も閉じる。
    (……次は、英語をしよう。いつかショーに役立つと分かる。世界中を笑顔にしたいなら、国際語くらいできないとな……)
     ノートを机に仕舞い込み、扉を開けた。
    「頑張ってたのに、邪魔して御免なさいね。どのお勉強をしていたのかしら?」
     そう言って母は司の肩越しに机上を見て、目を細める。
    「あの問題集、確か理科だったかしら。沢山頑張ってたのね」
    「……有難うお母さん。うん、頑張ったからお腹空いちゃったな。早く食べよう?」
    「ふふ、そうね。頑張ったいい子のまふゆには、好物を用意してあるのよ」
    「わあ、本当? 嬉しいな……」
     ニコニコと、笑顔の母に安堵しながら廊下を歩き、会話をし、司はふと頭の片隅で首を傾げた。
    (あれ……今、なにが嬉しくて、笑ったんだろ……?)
     なんだか、心を置き去りにして、言葉だけ吐き出しているような。
     形だけの声が、笑みが、下手な記号的演技のように色気の無いものみたいに思えて、頭の中に不安と疑問がゆわゆわと広がっていく。
     嘘なんて吐いてない筈だ。何も嘘なんて吐いてない筈だ。元より素直な質の司は、そう簡単に本心でないことを本心のようには言えない。
     けれど、本来感情演技を得意とする筈の司は、記号演技じみた自身の笑みに気が付いてしまった。

    (いつ、から——)
     食卓に着いて、司は機械的に食事をする。物を口に運び噛み潰し嚥下する、一連の流れは体に染み付いていて、無意識にでも行えるものだ。単純作業をしながらの思考は捗る。
     ——心に感情を呼び起こし、それを元に演技をする手法。それとは真逆に、こういう気持ちの時はこういう動きをする筈だという知識を元に理性的に演技をする手法。どちらも一長一短であり、どちらを選ぶべきかは時と場合による。狂気とも呼べるほど役柄自分でない誰かの感情を直ぐに呼び起こす技術も重要だが、しかし理性的に周りと自分を見て考えることだって大事だ。正気で狂えなくては役者とは言えないだろう。
     “天馬司”は、日常的に舞台演技のような『分かりやすい』感情表現が身に付いており、それは記号的演技のようにも見えるものだが、然し司自身の感情が伴った動きであり。得意とする演技は感情を使ったものである。憑依型役者のように、とはいかないが、共感から役を理解してその時々の感情を考えて演技に乗せる。逆に、何も感情が分からないまま半端に記号的に理性だけで演じることは難しい。記号演技もトコトン極めれば感情演技と見分けがつかない程にいけるらしいが、司はそこまでの嘘吐きにはなれない人間だ。
     演技をするには、相応しい感情を呼び起こす必要がある。悲しい演技をしたいなら、悲しい気持ちを思い出して胸の内に広げなくてはいけない。
     それが天馬司の演技の仕方なのに、先程の自分は、なんとも思ってないようなことを言ってはいなかったか。心が追いついてないまま、状況に合わせた言葉を自動的に吐いただけではなかったか。
     思えば、前から幾らか似たようなことをしていたような気がする。学友といる時、両親と話す時、心を何処かに置き去りにしたまま、ただ機械的に柔軟に、まるで学習を重ねた人工知能のように、その場その場に合わせた対応を。
     昔は、違った筈だ。女の子らしく、を努めてはいたが、口調の違い等でしかなく、言葉にするのは全て本心であった筈だ。
    (どうして、いつからだ。どうしてそんなことを)
     “天馬司”の格好付けとは全くの別物。あれはスターらしく在るための振る舞いであり、嘘でも何でもなく、ただ本心を劇的な仕草で表現しているだけのこと。対して現在の司がしているのは、食卓に着きながら両親と笑顔で会話する“朝比奈まふゆ”は、そこには心の底からの感情は乗っていないのではないか。
     自然と、サラッと、考える前に思ってもないようなことを口に出している自分に気が付いて、箸使いが狂ってしまった。皿から飛んで逃げていったものに「あー」と残念そうな声を出す。それすら、“天馬司”らしい劇的な仕草は全く乗っておらず、いつの間にか身に付いた“朝比奈まふゆ”らしい只人のような反応で。
    「あらあら、ティッシュを持ってこないと」
    「御免ねお母さん」
    「いいのよ。勉強も頑張ってるし、きっと疲れちゃってるのね。あら、少し顔色が悪いわ……。今日は早めに休みなさい」
    「うん、そうする」
     心配を掛けてしまった、ということに、心が冷えていく。それに比例するように、にこりと微笑んで母に返事をする。どうしてだろう。
    「勉強、頑張っているんだな。そのまま励みなさい。まふゆは頭が良く生まれたのだし、きっとすればするほど身に付くだろう。それはまふゆのためになることだ」
    「ふふ、そうね。まふゆは賢い子だもの。嗚呼でも、睡眠時間はあまり削らないようにね。健康だって大事よ」
    「嗚呼、確かにそうだな。とはいえまふゆのことだから、言わずとも分かっているだろうが」
    「うん、健康に気を付けながら頑張る」
     当たり障りのないこと。
     言葉と心は乖離している。
    (——頑張る。これ以上、意味の分からないことを? 別に特別頭が良く生まれたわけでもないのに? 勉学が好きというわけでもないのに? ……それは本当にオレのためになる?)
    (二人はこの訳の分からない記憶なんて知らないのだから勘違いも仕方がないだろう! 何も嫌だと言ったことすら無いくせに、今更! 健康にも気を遣ってくれている優しい人達なのに、文句でも言うつもりなのか?!)
     頭の中がぐちゃぐちゃする。




     ご馳走様、と箸を置いた。詰め込んだ腹が少し苦しい、気がする。笑顔で「おいしかったよ」と母に伝え、食器を流しに置いた。
     嗚呼そうだ、と母が手を叩く。
    「まふゆにどうかしらって、新しい服を買ってきたのよ。ちょっと待ってて? 取りに行ってくるわ」
    「おお、よかったなまふゆ。お母さんのセンスは間違いない」
    「あら、有難う」
     ふふ、と仲の良い夫婦が笑い合い、母はリビングを出る。
     手に取り戻ってきた紙袋には衣類が何着も入っていた。
    「……こんなに」
    「まふゆ、最近頑張って勉強してたもの。忙しくて一緒に買いに行くこともできなかったから、選んでおいたわ。ほら、これなんてどう? きっとまふゆに似合うわ」
    「まふゆは母さんにも似ているし、きっとどれも似合うだろうな」
     あれもこれも、と服が出されていく。中学生が着るには些か大人っぽいような、大人しい色使いの大人びた形の衣類たち。
    「……あれ、ズボンが多い?」
    「あらそう?」
    「前はもっとスカートが多かったような気がする、んだけど……そういえば最近買ってくるのって、ズボンが多い、ような」
     ぽろ、と零れた疑問。自分的には嬉しいことでもあるが、何故だろう、という。
    「確かにそうね。……ほら、まふゆって可愛いでしょう?」
     首を傾げた司に、母は憂うような然し何処か自慢げなような顔をする。
    「嗚呼、まふゆは可愛らしいな。将来はきっともっと別嬪になるだろう。私達の自慢の娘だ」
    「ええ、本当に。だから心配になっちゃって。もう中学生だし、危ない人に狙われてもおかしくはないでしょう? 世の中にはもっと小さい子を狙う人だっているみたいだし。この前だって女の子が襲われたってニュースが……」
     ガン、と、頭を殴られたような衝撃。
    「嗚呼、あったなあ。確かに心配だ。まふゆ、気を付けるんだぞ。まあ、まふゆはしっかりしているからな、言わなくとも分かっているとは思うが」
    「……うん、有難う、お父さん。お母さんも」
     服を眺める。中学生が着るには背伸びをしたような、大人しい色合いの服装。地味というには上品で、しかし決して煌びやかではない。
    (そうか、女の子はそういう心配がある。……オレはその立場なんだ)
     足元が崩れ落ちたような、何かが伸し掛かったような、そんな心地がした。
     嗚呼、違う生き物なのだ、と実感する。同じ“ヒト”でも、性別の違いで多くの差が生まれる。こういう時、違う生き物となってしまったのだと実感する。
     ——天馬家の息子、可愛らしい妹を持つ兄、スターを目指して邁進する無神経な王様。
     ——朝比奈家の一人娘、文武両道に秀でた優等生、人に優しく、両親に愛された子。
    (今の自分は、どちらだろう)
     ふと、そばの母を見上げる。心配げに「気を付けてね」と言ってくる彼女は、娘を当たり前に娘として扱っている。
     この人が望むのは、そういう子なんだろうな、と思った。
    (お母さんが望むなら、そういう風に在るのが正解? 勉強も頑張って、普通とはズレないようにして、心配も掛けないで——)
     お洋服ありがとう、と言ったら、母は笑みを見せてくれた。
    (笑ってくれる。笑ってくれる、なら、きっとこれが正解だ)











     段ボールを二つ抱え、広い廊下を歩いていく。
    「あれ、朝比奈先輩。何持ってるんですかー?」
    「あ、こんにちは。少し先生に頼まれちゃって」
     部活の後輩に声をかけられ、笑顔で応じた。

     気がつけば二年生になっていた。後輩も出来て、体も成長した。
     現在抱えた段ボールで少し潰れている胸は一年生の今頃より膨らんでいて、体の曲線も前より強くなったような気がする。どんどん、女性の体になっていく。
     違う生き物だ、という感覚が拭えない。
    「先輩は力持ちですね。でも二つも持ってるんだから気を付けてくださいねー。あ、今日部活来ますか?」
    「うん、行く予定だよ」
    「わあ、頑張んないとだ」
    「ふふ、ビシバシ行こうか」
    「キャー鬼コーチ!」
     少し巫山戯れば、後輩はキャッキャと燥ぎながら走って行ってしまった。廊下は走らないーと声を掛けながら、司は足を進めていく。無意識に少しだけ妹を思い出し、ふんわりとした笑みを浮かべていた。
     視線を下に落とす。胸が柔らかく潰れている。段ボールをヨッと少し浮かばせ持ち直した。
    (……あの子と同じになった、と思えば)
     段ボールの剥がれかけたガムテープを眺める。眺めながら歩いていく。
    (——そういえば、あの子の学校って、)
     角を曲がろうとした、その時。
    「きゃっ」
    「わっ、わわ」
    「あ、御免なさい! 大丈夫ですか……?」
     落ちそうになった段ボールを、ぶつかりかけた誰かが支える。
    「嗚呼、有難う」
     抱え直して、改めてぶつかりかけたその人を見た。
    「えっと、御免なさい。前を見て、なくて……」
     声が段々萎んでいく。
     黒い真っ直ぐで艶やかな髪。同色のキリリとした瞳。一見してクールな印象を与える顔立ち。
     見覚えがあった。
    「こちらこそ御免なさい、少し考え事をしていて」
     申し訳なさげに眉を下げたその表情も、とても、見覚えがあった。
    (一歌……?)
     記憶が、弾ける。
     愛らしい妹の笑顔、共に笑う幼馴染達、昔々に公園やらで遊んだ思い出。
     忘れかけていた。日常で思い返すことがどんどん少なくなっていた。ショーのことはずっとずっと考えていたのに、他の記憶は考えなくなっていた。時折パッと思い返しては、すぐに今現在のことに気を取られ、記憶は霧散していく……そんな毎日だった。
    「……えーと、」
     会えないと思っていた。
    (一歌、一歌だよな? なら、なら、——咲希もいる、のか? ……いる、だろう。そうだ、小さい頃えむに会った。何故忘れていたんだ?! 昔(天馬司で在った頃)朝比奈まふゆにだって会ったことはあるだろう! そうだ、ただ見知らぬ別人になって未来に生まれ直したわけじゃあない。ここは過去だった。中学生の一歌がいる、きっと咲希もいる。なら、きっと“オレ”だって——)
    「……あの、あのー」
    「……ハッ、あ、済ま、御免ボーッとしていて」
     恐る恐ると声を掛けられて我に帰る。頭を振って笑い掛けた。目の前の少女は、困ったような、心配げな表情をしている。
    「え、もしかして頭打ったりとか……」
    「大丈夫大丈夫全然大丈夫元気元気」
    「そ、そうですか……?」
    「うんうん元気いっぱい栄養満点」
    「栄養……?」
    「本当元気。有難う!」
    「え、えっと、どういたしまして……?」
     戸惑った様子の一歌と別れ、司は廊下を歩く。
     ——一歌に会えた。それだけで胸が張り裂けそうなほど希望に満ち溢れていた。嗚呼思い出した、思い出した! 最愛のあの子はきっとこの現実に存在している。しているはずだ。この信じられないような二度目の人生は、夢幻のような記憶が確かなら、この記憶が上手いこと作られたものじゃないのなら、きっと過去に遡ったものであり、司は朝比奈まふゆという少女に成り代わってしまっている。なら、このセカイの天馬司は?
    (もしかしたら、そこに、朝比奈まふゆは)
     会えるかもしれない。何か変わるかもしれない。最愛のあの子にだって、きっと今は入院してしまっているあの子にだって、どうにかこうにか会えるかもしれない。
    (えむだっている! 宮女にいる! 寧々や類にも会おうと思えば会える! 冬弥だってきっと!)
     嗚呼、希望に胸が張り裂けそうだ。どうしたって笑みが浮かんでしまう。
     ただ重い足を動かして歩いていた日常が、大きく変わる予感がした。



     放課後チャイム鳴り響く校舎を駆け足で抜け出す。一年の頃のクラスメイトとは疎遠になり、新しいクラスでの人間関係はまだ築かれていないため、気に留める者はいない。
     春の澄んだ青空の下、タッタと駆けていく。日は傾いているがまだ染まる程ではない。そういえば本当は部活があったんだった、と思い出す。
    (まあいい、それより今は大事なことがある)
     記憶を頼りに行こうとして、それほど頼りになる記憶はないと思い出して立ち止まる。あの家から宮女までの道のりを歩いたことはあまりない。記憶に強く残るほどではない。そもそも全てを鮮烈には覚えていないのだ。楽しいショーなどの強い記憶は残っているが、然程重要でないだろうことは抜け落ちている。
    (住所くらいは覚えているよな……?)
     スマホを取り出して、マップアプリを開く。記憶を頼りになんとか文字列を打つと、見覚えのあるような地図が画面に映しだされた。
    「ここに行けば……!」
     それだけを希望に、司は歩いていく。
     歩いて、アプリを頼りに辿り着いた、その先は。

     酷く、見覚えのある建物だった。

     玄関の扉も、壁の色合いも、窓の大きさも、全て全て全て、記憶に残っている。
     はく、と口が動く。ただいま、と言おうとしたことに気が付いて、肩が落ちた。
    (……此処は、今は、オレの家じゃない)
     もし此処が自宅だと主張すれば気狂い扱いだろう。母がなんて言うか。そうだ、そもそも前世の記憶なんてもの頼りにやってきたのが狂っている。有り得る筈がない。有り得る筈がない……なら、どうしてこんなに見覚えがあるんだ。
     ——どうしてこんなに、泣きそうなんだ。

    「……え」
     聞こえた声に直ぐ振り向いた。知らぬ筈の家をじっくり見ていた今の自分がとても不審者のようだという自覚があったからだ。
     振り向いて、司は目を見開いた。
     そこには、記憶の中で何度も見た姿が在った。
     鏡の向こうに何度も見た、“天馬司”の姿が在った。





    ・・・





     あ、死んだな。と思った記憶がある。
     ただ、どうしてそう思ったのかが分からない。
     死の気配だけをふんわりと覚えているのみで、どういう状況下でそれを感じ取ったのかはちっとも覚えていない。
     それでも、自分は死んだのだろうと思う。

     そうでないと、この状況は説明がつかない。きっと、生まれ変わりでもしたのだろうとしか説明がつかない。

     見覚えのない体、見覚えのない家族、見覚えのない風景。

     ただ一つ、鏡に映る瞳の色だけが、どこか見覚えのあるような輝きをしていた。
     見たことなんて、無いはずなのに。

    「あら司、鏡なんて見てどうしたの」
     金に桃のグラデーションが美しい髪を持つ女性が優しく頭を撫でてくる。
    「つかさ、じゃない」
     ぽつり、と思わず呟くと、女性はキョトンと目を開く。
    「どうしたの司。司は司よ? お母さんとお父さんの、大事な息子」
     優しく諭され、ぎゅっと抱きしめられる。
     本当にそうだったかな、と、司は——否、まふゆは密かに眉を寄せた。
     鏡を覗くと、女性に抱きしめられる幼い少年が映っている。そのよく似た見た目から、すぐに親子だと分かるだろう。しかし司は酷い違和感を感じていた。
     ——しかし現在のまふゆ、否、天馬司の齢は僅かみっつほど。発展途上な自我しか持たぬ脳ではそんな違和感などすぐ霧散してしまう。
     今日もまた急に感じた空腹に気を取られ、“司”は先ほどまで何を考えていたかなんてすぐに忘れて、母親に食べ物を要求した。











     生まれてから、早五年ほど経った。ふわふわとしていた自我はようやっと確かな形を持ち始めてきた。
    「おにいちゃ」
    「咲希」
    「おにいちゃん」
    「なあに」
    「えへへ」
    「?」
     五年、生まれてからもう五年だ。ふわりふわりと、脳内へ滲むように思い出しては霧散していた記憶も、少しずつ形を持って見え始めてきた。しかし、その記憶の途切れからもう五年も経っているのだ。まふゆには、その記憶がいつかの夢幻なのか真にうつつだったことなのか分からなくなってきていた。
     それでも、その記憶が無かったことにはならない。
    「おにいちゃん」
    「うん」
     まふゆには現在ひとつ年下の妹がいる。名前は咲希。両親によく似た見た目の、可愛らしい幼子。
    「あのね、さきね」
    「うん」
    「おにいちゃんのことだいすきなんだよ」
     重大な秘密を打ち明けるかのように耳打ちされる。
     この子に兄として呼ばれるたび、違和感を覚えてしまう。
    「……そっか」
    「おにいちゃんは、さきのこと、すきー?」
    「……うん、好きだよ」
     優しげになるよう微笑めば、幼い彼女は無邪気にきゃらきゃら笑う。
     リビングで共に過ごす二人を、キッチンの母親が眺めている。家事をしながら微笑ましそうに眺めている。よくある日常の一幕だ。
     一般的に見て、ここは暖かい家庭というやつなんだろう。
     妹は病弱に産まれてしまったが、心根は明るく育っている。子供を愛する両親はとても優しく暖かく、笑顔が絶えない人たちだ。
    「司、咲希、そろそろご飯よ〜」
    「はーい!」
     母に呼ばれ、席に着く。父は仕事で居ないため、三人での食卓だ。楽しそうに笑う咲希の隣、目の前のテーブルには子供が好きそうなハンバーグ。
    「はい、両手を合わせて?」
    「「「いただきます」」」
     子供用の小さなフォークを手に取り、ハンバーグを一口サイズに切り分け、口に放り込む。
     ぐしゃ、と口内で潰れたそれは、味覚を刺激した。
    「……おいしい」
    「ふふ、良かった。咲希はどう?」
    「おいしい!」
    「あらあら、お口が汚れちゃってる」
     母は優しく咲希の口元を拭う。咲希はそれを当たり前のように享受している。その横でもぐもぐと咀嚼しながら、まふゆは口の中に意識を向けていた。
     ——味が、分かる。噛めば噛むほど溢れる肉汁から味蕾に受容され、その味わいは口内に唾液を分泌させる。これはおいしいものだと、知っている。
     きっと当たり前のことで、多くの人間が日常的に感じているものだ。ただそれだけのことの筈なのに、まふゆにはとても不可思議で奇妙な事のように思えた。
    (だって、私は、味が分からない筈……)
     ほんのほんの小さな頃から、自我がまだふわふわとしていた頃から、味を感じることはできていた。けれど、ふわふわとずっと頭の中にある夢現の記憶では、まふゆは味が分からない人間だった。
     その記憶が夢なのか、事実有ったことなのかは定かではない。しかしまふゆが自分の味覚を不思議に思っていることは確かであった。
     不思議そうに食事をするまふゆを、母は見つめていた。











    「おにいちゃん、おにんぎょうさんあそびしよ!」
    「ん、いいよ」
    「じゃあ咲希はうさちゃんね、おにいちゃんはね〜」
     この家にはぬいぐるみが多く存在している。犬猫熊兎、様々な動物のぬいぐるみたち。中には架空のモノも存在する。
    「おにいちゃんはね、このペガサスさんね!」
     どの子がいいかとぬいぐるみたちを眺め悩んでいた咲希が、ひとつ選び取りまふゆに渡してくる。白い馬の形に翼と角が生えた、パステルカラーのぬいぐるみだ。
     まふゆには前から一つ疑問に思っていることがある。ペガサスとは馬に翼が生えた架空の生き物のことで、角が生えているのはユニコーンではなかったか。……然しそんな疑問は、解決を急ぐ程のものでもなく。直ぐに脳内で霧散して、まふゆは妹とのぬいぐるみ遊びに意識を向ける。
     きゃいきゃいと楽しげに笑う姿は、その身が病弱であることなど嘘かのように明るい。うさちゃんはかわいいからねぇ、と話す姿に、ふと、まふゆは夢幻の記憶を思い出した。
     昔々のことなのか、それとも今より未来のことなのか。黒に紫が沁みた長髪と硝子玉のような瞳の“まふゆ”は、その時確か誰かに髪を解かれていた。まふゆはかわいいからねぇ、と話しながら優しく髪を解かしていくその“誰か”は、まふゆよりも余程カワイイというものに拘りを持っていて、可愛らしい服装や振る舞いを好む人間だった。
    (瑞希……と、似てる、のかな)
    「おにいちゃん、うさちゃんがね、ペガサスさんとギュッてしたいって」
     キラキラとした瞳で上目遣いに見られ、まふゆは更に記憶を思い出す。
     瑞希と同じくカワイイを知っていて、それを持ってして自分をよく見せる方法も理解している子。それを使い、多数に褒められる写真を撮り、欲を満たしている。可愛らしくあざとくカマトトぶってキュルンとした上目遣いの写真を、ほら可愛いでしょと見せてきた時、自分はなんと言ったのだったか。
    (絵名、とも似てる?)
     姉ぶった彼女と妹らしい妹だろう目の前の子は随分と違いが有るようにも思うが。きっと可愛らしいものを好むこの子は、カワイイを知るあの子たちと仲良くなれそうだ。
     そんなことをふわふわ頭の片隅で考えながら、まふゆは兄の顔をして妹のお願いに頷く。きゃっと笑った咲希が「ギュー!」と言いながらぬいぐるみごとくっついてきて、勢いに倒されないよう耐えながら、まふゆはぬいぐるみごと咲希を抱きしめ返す。
    「えへへー、おにいちゃんだいすき! あのね、うさちゃんもおにいちゃんのことだいすきだって!」
    「そっか、うれしいな。ありがとう」
    「えへへー。おにいちゃんは? 咲希のこと、すき?」
    「ん、うん。ペガサスさんも、咲希のことすきだよ」
    「ほんと? やったあ! みんなみんなだいすきー!」
     ぎゅうぎゅうと抱きしめ合いながら、咲希はきゃらきゃらと明るく笑う。ふふ、と兄らしく笑みを溢しながら、まふゆはその暖かさを感じる。
    (あたたかい……まだ小さいし、子供体温かな。……それにしても、なんだか、温かすぎる……?)
     あれ、と思った時、ケホと咲希がひとつ咳き込んだ。パッと体を離して顔色を窺う。少し赤くなっている。片手を咲希の額にもう片手を自身の額に当てると、温かさに差があった。
    「咲希、」
    「だ、だいじょうぶだよ、咲希げんきだもん」
    「咲希」
     少し強めに名を呼ぶと、咲希は肩を縮こませて眉を下げた。その頭を撫で、まふゆは母を呼ぶ。パタパタと駆けてきた母は咲希の様子を見て直ぐに事態を把握し、体温計を手に取った。
    「教えてくれてありがとう司。咲希、ちょっとお熱測りましょうね」
     不安げな顔をする咲希の脇に挟まった体温計は暫くしてピピピと音を鳴らす。数値を確認した母が眉を顰めた。
    「う〜ん、少し高いわね。……念の為、病院に行きましょうか。大丈夫、お医者さんの方が咲希の体のこと分かるから、少し診てもらうだけよ」
     優しげな顔で頭を撫でる母だったが、咲希はしょぼんと落ち込んだままだ。楽しい時間が終わってしまうことを惜しむ顔。
    「……咲希」
    「おにいちゃん?」
     ぬいぐるみを持ち上げる。
    「だいじょうぶ、ボクがいるから」
     遊びの延長のような形で、言葉を投げる。パチパチと瞬きをした咲希は、ワァと笑顔を咲かせた。
    「ペガサスさん、いっしょにきてくれるの?」
    「うん、いっしょだよ。……不安になったときは、ボクを抱きしめて。ふわふわのからだで、全部うけとめるから」
     そう言って、まふゆは咲希にぬいぐるみを渡す。そっとぬいぐるみを抱きしめた咲希は、「ほんとだ、ふわふわだ〜」と笑った。
     そんな妹を見て安堵したように目を細めるまふゆを、母は見ていた。











    「咲希、おにいちゃんとケッコンしたい!」
     テレビに流れた結婚式場のコマーシャルを観て、咲希がそんなことを言った。共に観ていた父は「エッ」と声を上げる。
    「エ、お兄ちゃんと?」
    「ウン!」
     きっと結婚が何かも分かっていないだろう幼子がキラキラとした瞳で頷く。
    「ケッコンってスキなひと同士がやるんでしょ? 咲希、おにいちゃんのことダイスキだし、おにいちゃんも咲希のことスキだから、ケッコンする! キレイなドレスをきてね、おにいちゃんも白いおようふくきてね、いっしょにね」
     きゃっきゃと頰を赤らめて語る様は幼心に“結婚”というものへの憧れを感じさせる。
    「エッウン、そっか、そっかぁ……お兄ちゃんとかぁ……咲希は本当にお兄ちゃんのことが大好きだなぁ」
     少し悄気た様子の父が微笑んで咲希の頭を撫でる。「ウン!」と元気よく頷いた咲希は輝く瞳でまふゆの方を見た。
    「おにいちゃん、将来咲希とケッコンしてくれる? 咲希、おにいちゃんのおよめさんになりたいの!」
    「……無理だよ」
    「えっ」
    「エッ」
     父娘共に声を上げた二人を見て首を傾げたまふゆが理由を説く。
    「兄妹だから、無理だよ」
    「……きょうだいだと、ダメなの? ケッコンできないの?」
    「できないよ」
     当たり前の常識を聞いて、咲希は、くしゃりと顔を歪ませた。
    「なんで? 咲希、おにいちゃんのおよめさんになりたいのに……」
     ふえ、と声を聞いて、まふゆはハッとした。うると水気を含んだストロベリーミルクの瞳が歪に揺れる。
    「なんでダメなの? なんできょうだいだとダメなの? 咲希、咲希、おにいちゃんのことダイスキなのにっ」
     ぴえ、と遂には泣き出してしまった咲希。ああ、と慌てて父が抱きしめ、どうにかこうにか泣き止ませようとする様を見ながら、まふゆはサァっと血の気が引く心地を感じていた。
     やってしまった。
     咲希は妹で、常にそばにいて、優しく暖かく愛を伝えてくるから、まふゆは兄の顔をしながらも、そっと肩の力を抜いていたのだ。なにせ、もう片手で足りぬ数の年月を共に過ごしている。何も気を遣わなくてもいいのかもしれない、と、無意識にでも少し思ってしまっていた。奏たちと近しい位置に置いていた。その結果が、これだ。
     やってしまった。泣かせてしまった。
     ぴゃーと泣く咲希を、父があやしている。咲希はまだ小さく、ただでさえまだ免疫ができていないのに、他よりもずっと病弱で、ちょっとしたことで体調を崩しやすい子だ。早く泣き止ませなければ、熱が出てしまうかもしれない。
    「……咲希」
    「おにいちゃ、咲希のこと、スキじゃない、の……? だからケッコンできないの?」
     涙に詰まりながら聞いてくる咲希へ、まふゆは首を振る。
    「違うよ、咲希」
    「ちがうの?」
    「結婚は、家族になるためにするものなの」
    「かぞくに?」
    「そう。家族じゃない赤の他人が、好き同士になったから、一緒にいたくて、家族になりたくてするものが、結婚なの」
     まふゆの説明に、パチクリと咲希は目を瞬かせる。
    「だからね、お兄ちゃんと咲希はもう家族だからね、結婚しなくていいの。もう家族だから。なにをしなくてもいっしょにいるから」
    「……いっしょ?」
    「うん、一緒だよ」
    「……おにいちゃ、咲希のこと、スキ……?」
    「……うん、大好き。大丈夫、結婚したくないんじゃなくて、する必要がないからしないんだよ」
     暫くパチパチと目を瞬かせていた咲希は、少しして「そっかあ」とひとつ頷いた。そして何かを噛み締め、頰に量手を当てながら笑みを溢す。
    「ん、えへへ。おにいちゃん、咲希のこと、スキなの」
    「……うん。好きだよ」
    「咲希もおにいちゃんのこと、スキだよ!」
    「ん、ありがとう」
     笑みを見せた咲希にまふゆはホッと息を吐いた。
     咲希を抱き上げていた父が「お父さんも二人のことだーいすきだぞ!!!!」とまとめて抱きしめてきて、突然の衝撃と大声に目を見開く。そしてぎゅうぎゅうと苦しさを覚えながらも、体温の暖かさを感じた。
    「咲希もおとーさんのこと、ダイスキ!」
    「咲希〜〜!!」
     ぎゅうぎゅうとひとしきり抱きしめられ、少ししてやっと離される。
    (……あ、もしかして、私も好きだって言ったほうが良かったのかな)
     咲希と共に頭を撫でられながら、そんなことを考える。きっとそれを望まれていただろう、と。
     父を見上げると、優しげに愛おしげに微笑んでいた。
     少しだけ、寂しげに、瞳が揺れているような気がした。











     ど・れ・に・し・よ・う・か・な、とリズミカルに指を差していく。まふゆは今、咲希の入院先に持っていくぬいぐるみを選んでいた。母に「咲希もきっと寂しいだろうからどれか持っていきましょう」と言われたのだ。どの子を持っていっても喜ばれそうな気がして選べなかったまふゆは、最終手段・神頼みを発動した。瑞希が以前そうして何かを選んでいたことを思い出したのだ。
     そうしてかみさまのいうとおりに選んだ子を持って、部屋を出た。向かう先はリビングだ。
     リビングでは母が荷物の最終チェックをしていた。
    「持ってきたよ」
    「あら、ありがとう司。うん、その子にしたのね。咲希もきっと喜ぶわ」
     ニコニコ笑う母は、荷物のチェックを終わらせてヨシとひとつ頷く。
    「じゃあ司、そろそろ行きましょうか。嗚呼、その子は司が持ってくれるの?」
    「うん。司から手渡すの」
    「ん、分かったわ。ふふ、きっと咲希、喜ぶでしょうね」
     そんな会話から暫く後。
     白い病室で白いベッドで白い顔をしていた咲希は、兄からぬいぐるみを手渡されパアと笑顔を花開かせた。
    「おにいちゃん! ありがとーっ」
     ニコニコペカペカ笑ってギュッとぬいぐるみを抱きしめる咲希の体は、何本かのよく分からない管がくっついている。夢現の記憶から知識を引っ張り出すこともできたが、まふゆはそちらには意識を向けず、兄の顔をして咲希に微笑んでいた。
     束の間の会合は、咲希の咳払いをキッカケに終わり、まふゆは母と白くて真っ直ぐな廊下を歩く。
    「咲希、喜んでたわね。あの子を持ってきてあげて正解だったわ」
    「うん、よかった」
    「ふふ、うん。よかった。そうだ! 司もぬいぐるみ選び頑張ったものね、何か買って帰りましょうか」
    「え?」
     それしきのことで物理的な褒美が降ってくるとは思っておらず、まふゆは母を見上げる。
    「司はいつもお兄ちゃんを頑張ってくれてるもの。何がいい? なんでもいいわよ。好きなお菓子でもいいし、欲しいゲームでもいいし」
     クリスマスでも誕生日でもないのに急にそんなことを言われて、まふゆは困ってしまう。欲しい物が思い付かないからだ。行事の際は、妹と揃えるなり同年代での流行りを真似するなり、なにかしらの答えを用意して待つのだが。今回はあまりにも唐突だったため、まふゆは困ってしまった。
    「ええと、そうだなあ」
     なんと言おうか。今の自分と同年代の普通の子は、なにと言うのが当たり前なのだろう。
     横を見上げると、母は優しげな顔で見守っている。しかし何処か、固唾を飲んでいるような気もした。
    「……ううん、要らない。大丈夫。咲希が喜んでくれたし」
     まふゆは無欲な兄の顔をして笑った。
    「……そう? なんでもいいのよ?」
    「大丈夫だよ」
    「……そう」
     母は微笑んで頷いて、それ以上何か追求することはなかった。然しその瞳がなんだか揺れているような気がして、まふゆは、失敗を悟った。
     どうやらこういった場面では何かを欲しがるのが当たり前の子供のようだった。
    「……御本」
    「え?」
    「御本が、欲しいな。咲希と楽しめるやつ」
     母の顔を見ないで、そう言ってみる。少し待っても返事が来なくて、不思議で顔を上げると、母はまふゆを抱きしめた。まふゆは目を見開いて、体を固めてしまう。
    「……帰りに本屋さんに寄りましょう! ね、司」
     そっと体を離した母はそう言ってまふゆに笑い掛けた。細まった目の輝きが濡れているようだった。
    「欲しい本、一緒に選びましょう。咲希と楽しめるやつ。うん、きっと見つかるわ」
     金髪を撫でながらこちらを見つめる母に、まふゆは少し口を窄め、直ぐに笑みを模って「うん」と頷いた。

     その日の帰り、本屋に寄って、まふゆは咲希の喜びそうな本を選んだ。次のお見舞いに持っていきましょうね、と話す母は、目を細めて笑っていた。











    「司、おいで」
     そっと手招きされ、まふゆは母の元へ行く。ソファーに腰掛けた母の隣に座ると、彼女は優しく頭を撫でてきた。
    「あのね、司。今から大事なお話をしようと思います」
    「? 分かった」
    「……司。もしかして、なんだけれど。お兄ちゃんだからって、無理をしていない?」
     そう言われ、まふゆはキョトンと母を見た。母はなんだか、悲しげな顔をしている。それが意味するものを、まふゆは理解できなかったが、悲しげな顔を晴させねばならないと思い、首を振った。そんなことないよ、大丈夫だよ、と。そう言って笑う。それが正解だと思ったのだ。
     母は頭を優しく撫で、そっとまふゆを抱き上げて膝に乗せた。慈しみと悲しみと無力さを溶け合わせたような微笑みをしていた。
    「あのね。司は大事な子よ。お母さんとお父さんの、大事な子。愛してる。司のやりたいことはできるだけ叶えてあげたいって、思うの。司にも咲希にも、苦しい思いや悲しい思いなんてせず、自由に笑顔で生きてほしい」
     とても優しい声だった。サアサアと降る狐の嫁入りみたいに優しく頰を撫でる声だった。
    「……あなたはもしかして、元々無欲な子なのかもしれないけど。でもね、司にだって、我儘を言ってほしいのよ。勿論、無理にとは言わないわ。あなたのしたいようにしてほしい。好きに生きてほしい。司にも咲希にも、ずっとそうやって願ってる。愛しているの」
     優しく、優しく見つめられながら、そう話してくれたその人は。確かに“司”の母親だった。
    「……わが、まま」
     ぽつり、と鸚鵡返しをしたまふゆに、母は頷く。
    「どんなに我儘だっていいわ。あなたのしたいことは、なあに?」
     頰を撫でながら優しく優しく聞いてくる母の、咲希とも司とも似た瞳は。
     “まふゆ”の母のそれとは、なにだか、まるで別物のようにも、酷く似通った色をしているようにも、見えた。
     “お母さん”を、思い出してしまった。
    「……したい、こと」
    「うん」
    「したい、こと、は……」
     いい子らしい振る舞いをストンと何処かに落とし、まふゆはボンヤリと母の顔を見上げる。
     したいことって、なんだろう。“お母さん”は、なんて言ってほしいんだろう。
     お母さんは、お母さんだったら……——
    「——べん、きょう」
    「へ?」
    「勉強、を。がんばりたいなって思ってて。だから、問題集とか、欲しいな」
     まふゆは母の顔を見上げ、口角を上げた。
     そんなまふゆを、目を細め、母はジッと見下ろす。
    「……それが、司のやりたいこと?」
    「……うん。いい、かな?」
    「……、……うん。司がやりたいことなら、いいのよ」
     眉を下げ、母はまふゆを抱きしめてその頭を優しく撫でた。労わるように優しい掌。
     これでよかったかな、正解だったかな。と思いながら、まふゆは母の胸に沈んでいた。











     その日、まふゆは父と遊園地に遊びに行った。本当は咲希も一緒の筈だったのだが、熱が出てしまい、入院が必要な程ではなかったが、母と留守番になったのだ。なので当初の予定の半分の人数で、遊園地に遊びに行った。
     どのアトラクションも、まふゆの背丈よりずっと大きくて、見上げるものばかりだった。父は、楽しい場所へ楽しい場所へとまふゆを様々な所へ連れて行った。けれどその足は些か早く、抱き上げられて移動している時はまだいいが、共に歩いている時は、多少気にしてくれているのだろうか少しは進みがゆっくりになるがそれでもまだ早いように感じ、まふゆは父の手を強く握っていた。周りはみんな大きくて、賑やかで、人が沢山居て、ちっぽけな幼子の視点では、直ぐに居場所が分からなくなりそうだった。強く手を握っていた。大人の足取りに合わせて、小さな足を多く動かしていた。
     途中、そんなまふゆに気が付いた父がまふゆを抱き上げた。
    「嗚呼、御免な司。早く歩きすぎたか……。ちょっと疲れたろ。休憩しようか」
     そのまま向かった先は休憩所であった。父はまふゆを席に置いて、「飲み物を買ってくるから、少し此処で待っててくれるか?」と聞いた。
     そんな父の手を、まふゆは離せなかった。
    「……一緒に行くか」
     優しげに嬉しげに笑った父はもう一度まふゆを抱き上げて、販売所まで向かった。しっかりと小さな体を支える腕は、頼りなくは思わなかった。







     悪夢を見た。と、言えるようになったのは、翌朝目を覚ました後のことだった。それより前、真夜中、心地好くない夢を見て半ば意識の覚醒したまふゆは、無意識に、手を伸ばしていた。
     ——おかあさん、どこにいるの。おかあさん。
     そんな、ことを、夢現に呻いていた。
     昔々の記憶を夢に見たのであった。
     キラキラした着ぐるみ。目に煩いカラフルな空間。ガヤガヤと騒がしい人混み。天に伸びるアトラクション。目に映る全てが怖い程大きくて、伸し掛かってくるようで。何処へ居るのか分からなくなった母を、探し求めていた。
     ——おかあさん、どこ。どこにいるの。おかあさん……っ。
     そんな子供の声に目を覚ましたらしい“母”が、まふゆのことを抱きしめた。
    「お母さんは此処に居るわよ。大丈夫、大丈夫……」
     頭を、背中を、優しく撫でていく掌。掛けられる声もまた、優しくて。
     そんな声を、ふわふわとした頭で聞きながら、まふゆは。
     貴女じゃない。
     と、感じていた。
     貴女じゃない。貴女じゃないの。お母さんはお母さんじゃないの。お母さんじゃなくて、私は、お母さん、を——。
     ——嗚呼、でも。暖かいな。
     うつら、とする。母の暖かな体温を感じ、掌を、声を、感じ。うつらうつらと、微睡に落ちていく。
    「……おかあ、さん」
    「うん。お母さん、此処に居るからね」
     きゅ、とパジャマを手に掴む。ギュッと抱きしめてきた母はやはり、暖かかった。

     明くる朝。目が覚めて、なんだか疲労を感じた。そうして、悪夢を見た、と思い出した。
     然し、それがどんな夢だったか。まふゆには、思い出せなかった。
     ただ、なんだか、暖かい中眠っていたような気がしていた。
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    はぱまる

    MAIKING書き掛けで放置してあった互いに成り代わる🌟❄️です。滅茶苦茶中途半端なとこで終わる。
    その内完成させたいとは思ってるんだけど、暫く手をつけられそうにないから今の状態を投稿してみます。
    完成させるなら今書いてある部分にも修正を加える予定。書いたの結構前なのもあって本当変えたい部分が沢山ある……。けど、まあ、これを読んでもし「ここ好き!」ってなったところがあったら教えていただけると嬉しいです🥳
    死に代わり 雨が降っていた。
     雲が重く空にのしかかり、空気さえも暗い都内は雨音ばかりで何処か静かにも思えた。
     雨が降っていた。
     傘も刺さず、少女は歩道橋から道路を見下ろしていた。
     雨が降っていた。
     道路には幾つもの車が水溜りを蹴飛ばしながら走っていた。
     雨が降っていた。
     少年が傘を握り締め歩いていた。
     雨が降っていた。
     少女が手摺りによじ登った。
     雨が降っていた。
     少年が少女に気がついた。
     雨が降っていた。
     少女は手摺りの向こう側で、ゆらゆらとしていた。
     雨が降っていた。
     少年は傘を投げ捨て走っていた。
     雨が降っていた。
     少女の体が揺れ、揺れ、ガクンとバランスを崩した。
     雨が降っていた。
     少年が少女を追った。
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