時空院さんとill-DOCのお話(先生不在) 望遠鏡で古い教会を覗く。割れたスタンドグラスがただのガラスで補修されていてそこから中がよく見えた。
これだけ見晴らしが良いなら狙撃班に仕事がいっておかしくなかったが、殲滅が目的のため時空院に回ってきた。まったく戦争とは良い。
しかし時空院は眉を顰めた。
ターゲットのテロリスト以外に、これまでの偵察時にはいなかった子供がそれなりの人数いる。
少年兵か人質か。いずれにせよこの戦局で登用される少年兵などど素人だ、見分けがつかないし例え呼び名が違っても本質は変わるまい。
作戦日にこれとは間が悪いものだ、と言いたいところだが子供がたまたま訪れるような場所ではない。人道だとか倫理だとかいうものに縛られる連中への予防線だろう。
今は自分もその連中の一部であるわけだが。時空院は望遠鏡を覗いたまま通信を繋いだ。
「予定にない人間を観測。十代前半の少年、見える限りで六人」
「子供は殺すな」
やはりなという気持ちで目をぎょろりと巡らせる。
戦争をしている時点で殺し殺されはお互い了承済みだろうに、何を取り繕おうと言うのか。
だが時空院にとって軍は、戦争はまさに適材適所だ。安泰なほど都合が良い。長期的に見た利を得るために目の前の餌を我慢するくらいの分別は持ち合わせている。
「目撃者を残すわけにはいかないでしょう。子供を殺したくないなら日を改めるべきだと思いますが」
「駄目だ、トップ共がこんな手薄な場所に集まる機会はそうない」
でしょうね、とは口の中だけで呟いて、時空院は建設的な提案をする。
「殲滅は諦めて、狙撃班を動かしては」
「……」
返事が少し遅れて、時空院はおやと思う。自分などに言われるまでもなく考えているだろうと思っていたが、まさか予想外だったのだろうか。
「……いや、狙撃班は間に合わん。お前が撃て。優先順位はわかっているな?」
「わかっていますけど、」
「命令だ」
「了解」
続けようとしたぼやきは絶対の言葉で遮られた。時空院は手早くライフルの準備を始める。
時空院は銃が好きではない。弾を命中させたところで殺した実感が薄いし、狙撃しなくてはならない状況では即死を狙うのでまったく興奮しない。ただの作業だ。
「何人いける?」
「そうですねえ、三人、運が悪ければ二人……」
答える途中、無線の向こうがバタバタと騒がしくなった。遠くから叫ぶような声が聞こえる。
「イルドック、動けるそうです!」
「なにっ、」
そしてブツッと音声が切れる。
何だ、と思っている間にすぐ通信は回復した。
「待機だ。いや、帰還しろ」
「は?」
回復して一番の帰還命令に、時空院は目を眇める。どう考えても先ほど「動ける」と言われていたものが原因だろう。
「何ですか『イルドック』って?」
「帰還しろ。二度目だ」
「……了解」
きっぱりと言われて時空院は大人しく飲み込む。
だが準備したライフルを片付け帰還しようとしているところで、再び通信が入った。
「教会に戻れ」
さすがの時空院もやれやれという気分になり、そのまま軽口が出る。
「『イルドック』が来られなくなったんですか?」
「いや、逃げた最後の一人を追っているところだ」
返ってきた予想外に真面目な回答に、処理が早いな、と純粋な感想を抱く。
「子供が残されているはずだから隔離しろ。衛生兵が車輌の故障で遅れている」
「了解です」
時空院は命令に従って引き返した。
元よりこのようなつまらないことで命令違反をする質ではないが、時空院をひっこめてまで引き継いだ手口を見てやろうという気持ちが強かった。
教会に着いた時空院が見たのは、テロリストと子供が静かに倒れている光景だった。
建物の入口付近にまとめて捨て置かれている武器を念のためさらに遠くに蹴り飛ばしてから、子供の息を確認する。彼等は気絶しているだけのようだった。
まず子供を気絶させ目撃者の心配を取り除いてから、作戦を遂行したということか。なるほど、聞いたことのないコードネームだったが、どうやらどこかの特殊部隊らしいと納得する。
何も全員で逃げた一人を追いかけなくても、と思ったが他部隊のやり方に口を出す気はない。自分もかなり好き勝手やらせてもらっている自覚はある。
子供の様子を確認してから、次に手早くテロリスト達を確認する。
テロリストは全員死んでいた、が、息を確認しながら時空院は疑問を抱いていた。
死因はなんだ。
目立った外傷がない。多少の打撲や擦傷は見られるが致命傷には遠い。
威力を上げたテーザー銃のようなものだろうか。それならば服に跡があるだろう。
時空院は手近な男の体を転がした。だが埃で薄汚れている以外の痕跡はない。
まさか絞殺か、と興味が湧く。
チームの人数が多ければ可能だろうが、この人数を一気に制圧するには効率が悪い。しかし効率よりも手段を取る姿勢は時空院としては好ましかった。一人取り逃がしたとはいえ、今時空院に連絡が来ていないと言うことは仕留めたのだろうし作戦自体は成功はしている。
だが死体を全て調べて、絞殺にしてはそれらしい防御創がないことが気になった。
服を脱がせる。
一人、二人、と死体を検分して、時空院は共通点を発見した。
必ず体のどこか、上半身に薄い鬱血がある。倒れた衝撃でついたにしては場所と形が不自然だ。
大きさ、鬱血のバランス。
素手による殴打が一番近い、と気付いてぞくりと全身が粟立つ。
「おい、何をしている!?」
雑音を一瞥し、瑣末事と判断して時空院はもう一度別の死体を調べ始めた。
「……特殊部隊の者か、捜し物があるなら我々がやる。離れろ」
「うるさいですねえ」
時空院はゆらりと立ち上がった。ナイフを構える。
「邪魔しないでください、殺しますよ」
階級章が見えたのだろう、男が動きを止めた。それから別の男が何かを耳打ちして、時空院への邪魔はそこまでだった。
ナイフを翻して仕舞い、再び死体を検分する。
共通の鬱血、致命傷には見えない程度の痣だ。だがこれが手口で間違いないだろう。それ以外に切り傷や刺し傷はない。
やはり素手だ。
この程度の打撲でどうやって死に至らしめられるのかはわからない、だが素手だ。
ぞくぞくした。
時空院はナイフを好んで使う。武器にできて試すことができるものはすべて試した上でこれを選んだ。
接近戦が好きだ。戦う実感があるし、命の消える瞬間がこの手に伝わるのが良い。
このような状況で素手を選び作戦を成功させられるチームが、まさかこの軍にいたとは。
満足のいくまで死体をじっくりと調べて時空院は教会を去った。
***
瓶に詰めたガムシロップを一気に飲み干す。個人の嗜好品だが時空院には許されている特権だ。
単独行動に便利だからと与えられている名ばかりの階級も、こういうことと上官を問い詰める時にだけは役に立つ。
がしゃがしゃと目的の足音がして、時空院は簡易椅子を立った。姿勢を正す。
現れた上官は、テント内のおそらく招かれざる客であろう自分を認め少し動きを止めたが、落ち着いた様子でゆっくりと、先程まで時空院が座っていた椅子に腰を下ろした。
「……なんだ」
「イルドック」
その名を口にした瞬間、上官の表情が強ばる。だが虚を突かれた風ではなかった。時空院の行動は予想の範囲内だったのだろう。
「……とは何です?」
はあ、と面倒臭そうな様子で息を吐いた上官に、時空院は歩み寄る。
「何も悪い話をしようというのではないですよ。あのやり口、おそらく特殊部隊でしょう?」
時空院は死体を思い浮かべる。
「素晴らしい腕前でした……私が他人の殺しに魅せられたのは生まれて初めてです! だから詳しいお話を聞きたいだけです」
「会わせろということか?」
緊張した表情で発せられた言葉に、時空院は心からがっかりした。
「はぁ……私も信用がないですねぇ……」
気を取り直して上官を向く。
「手口を見た限り、かなり特別な訓練を受けていると推察します。そして私でさえ聞いたことのないコードネームだ。昨日私を待機させず帰還させようとしたのも、存在を知られることに抵抗があるのでしょう? そのくらいは理解します。ただ、どのようなチームなのかを知りたいだけです」
未だ表情を崩さない上官に、時空院は口角を上げた。
「私は殺しには真摯ですよ」
はあ、と再び息を吐いて、上官は立ち上がった。
「言っておくが、我々も限られた情報しか知らない」
タブレットを取り出して操作し、時空院に差し出す。
「政府お抱えの殺し屋だ」
「……殺し屋?」
敢えてだろう表現に違和感があり、繰り返しながら時空院はタブレットを受け取った。
「ill-DOC」
上官の声と目に飛び込んできた文字列が一致する。
ディスプレイに映っていたのは、コードネーム以外ほとんどが空欄のプロフィールだった。氏名、身長体重、経歴、階級、所属、全てが空欄。たった数ヶ月間のおびただしい戦績だけが煌々と存在を主張している。
「今まで一度もターゲットを逃したことのない男だよ」