23歳寂獄 腕に痺れを感じながら目が覚めた。
楽な姿勢で休憩を取ろうとテーブルに突っ伏して、そのまま眠ってしまっていたようだ。
ここ数日しっかりと横になって眠るということをしていないが、それは隣でうたた寝している部屋の主もまた同じだった。
「獄、寝るならベッドで寝たほうがいい」
ベッドの上ではなく側面を背もたれにする形で眠っていた獄が、起きているのか寝言なのか、短く呻くように返事をした。
少し隈のできた目元に元来の彫の深い顔立ちも相まって影が濃く落ち、僅かに眉根を寄せたままの決して安らかではない寝顔だ。日中は完璧に整えられたヘアスタイルも今は洗いざらしで長めの前髪をかきあげただけの(現に私も獄が髪を伸ばし始めてからはあまり見たことはない)稀な髪型で、彼の疲弊をありありと感じる。
部屋のデジタル時計に無機質に表示された時刻は午前3時5分。
一息つこうと突っ伏したのが確か1時過ぎたころだったので約2時間ほど意識を飛ばしていたことになるが、今から起きて活動するより今日はこのまま朝までしっかり休んだほうが効率が良いだろう。
返事をした後はぴくりとも動かず、ベッドにもたれたままの態勢で再び眠りに落ちた友人を抱え上げ、なるだけ衝撃を与えないようにすぐ後ろのベッドへ降ろす。
成人男性の平均以上に身長がある獄の身体はしっかりとした重みがあったが、何故だか仔犬のように軽くてか弱いもののように思えた。
「…………何時」
「3時くらいだよ」
移動させた衝撃で流石に起きてしまったのか、獄が起きたての低くてぼんやりとした声で時間を確認してきた。しかし起き上がる気配は無さそうなので、そのまま眠ってくれればいい。
自分ももう一眠りする前に水を飲もうとベッドの側を離れようとした時、服の裾がピン、と何かに引っかかった。
否、引っかかったのではなく、獄が裾を掴んでいた。
「……お前も、ちゃんと寝ろよ」
獄のいう「ちゃんと」とは横になれということだった。
1Kの10歩も離れていないキッチンで水を飲み部屋へ戻ると、獄は壁側を向いて不自然なほどベッドの端に寄り、要するに、もう一人寝転がることができるスペースを空けて横になっていた。
過去に旅行であったりお互いの家に寝泊まりすることがしばしばあったが、同じベッドで寝るのはまだ身体もそこまで大きくない中学生の時以来である。
部屋の電気を消すと、デジタル時計の微発光と窓の外の光が屈折し部屋の縁をかすかになぞった。
友人の隣に横たわると、触れずとも近くなった左側から体温と湿度をうっすらと感じる。
「寂雷」
「うん」
「……もし、このまま何も見つからずに、全てがただの徒労に終わったら、全てが無駄だったら、お前はどうする」
「…………」
部屋の静けさとお互いの距離を鑑み、ぎりぎり聴こえるくらいの声量で、しかし先ほどよりもしっかりとした口調で獄は呟くように言った。
私が返答をする前に獄は続けた。
「仮に犯人が見つかって、裁きを下すことができても死んだ兄さんは帰ってこない。犯人が多少不幸になるかもしれないくらいの話だ。少なくとも、お前にはなんのメリットもない。多くの命を救い、これからも多くの命を預かることになるだろうお前が、救えなかった、もう終わった命にこれ以上時間をかけるのは……」
「獄、」
隣を向くと、こちらに背を向けたままのいつも気丈な友人の肩は小さく震えていた。
実際には震えていなかったかもしれない。が、少なくとも私には獄の肩は余りにも重い物を背負い続けて、その重みに耐えきれず今にも壊れてしまいそうに見えた。
「獄、私は人の命の重さを秤にかけることは出来ない。けれど私は……」
結局、私は目の前の者で苦しむものを救いたいというのは建前ばかりでそこに平等性はなく、救いたいものを選んでしまっている。ましてや彼の言うようにそれが救いにはならない可能性も十分にある。
偽善者。独善的。それでもいい。
「……私は、獄の力になりたい。」
それ以外なかった。
もし本当にひとりでも多くの人間を救おうと考えているならば他にやるべきことがあるのかもしれない。
それでも今は、たったひとりのお前のために生きたいと言ったら、獄は幻滅するだろうか。
ベッドを軋ませ、獄が身体を反転させこちらを向き、暗闇に慣れた目と目が合うと獄ははぁ、とため息をついた。
「これで俺よりも数学の点がいいんだとか、本当にどうかしてる」
そう言いながら獄は少しいたずらっぽくベッドに落ちる私の髪のひと束を拾ってまた落とした。
感情を置いてけぼりにして私の腕が獄を抱きしめると、彼の柔らかい髪から数時間ほど前に借りた同じシャンプーの香りがした。
もっと早くに突っぱねられるかと思っていたが、意外にも獄はされるがままに私の腕にしばらく包まれていた。
キスをしてもいいかと訊くと、獄は何も言わず少し顔を上げたのでそれを了承と得て、額、頬、唇の順に口付けをした。人の声も風の音も外を通り過ぎる自動車の音もない、全ての音が寝静まったほの暗い部屋に、粘膜の重なり合う音だけが甘く耳に響く。
決して幸せだなんて言えないが、混ざり合った汗の香りと、僅かな明かりを吸い込んで綺羅綺羅と反射する美しい瞳と、言葉を紡がない耳慣れたはずの声、握り返した掌の熱に私は生の喜びを感じずにはいられなかった。
3日後、友人は私を残し部屋から出て行った。