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    一生一緒に生きることにしたタル鍾のウルトラハッピー導入と序章
    とりあえず何でも許せる方向け

    #タル鍾
    gongzhong

    一生一緒タル鍾 その瞬間、氷柱が降り注ぎ、暴風が吹き荒れ、烈火が爆ぜた。
     なぜだ!と少年仙人が唸るように叫んだ。
    「なぜ?」
    応戦する長身の男は首を傾げる。
    「なぜだ、はこっちのセリフだよ!」
    一閃。
    「君たちは先生が大好きだったろう。なぜ俺たちの邪魔をする?」
    「それが、それが我らと鍾離様の——最後の契約だからだ!」

    【ここに契約を交わし】
     あぁ、しくじった。タルタリヤはそう心の中で独り言ちた。
     楽勝な任務のはずだった。実際その任務自体はすぐ終わったのだ。部下たちの働きもまあ次第点と言えるだろう。まさか、こんな——。
    「……ちゃん。ファデュイのお兄ちゃん!」
    子どもが叫ぶ声が遠くから聞こえる。何か呼ばれているということは理解できても、今のタルタリヤにはその意味を理解する力は残っていなかった。
    「公子様!」
    煩いな。周りから轟々と聞こえる声はもう雑音にしかならなかった。これはさすがに死ぬんじゃないか。自身がどのような状態かもわからぬまま、タルタリヤは理解した。

     魔王武装は消耗が激しい。最後に倒した魔物が、一矢報いようと最後の一撃を放ってこなければ、そして不運なことに、魔物が倒されたことに喜び駆けてきた子どもに直撃するコースでなければ、タルタリヤは魔王武装など使わなかっただろう。結果として、子どもには擦り傷一つ無い事、その魔物は最後の一撃を放つとそのまま力尽きた事、それだけが現状における救いだった。
     さて、どうしてこうなったのか。事の発端はこうだ。
     近頃の璃月では血脈異常が多発していて、巨大な元素生物やら、異常に強化されたヒルチャール群やらで人々の生活を脅かしているらしい。そんな情報とともに、璃月からスネージナヤに応援要請が来た。そこで、まず、かつて神の心強奪作戦に参加したファデュイメンバーが璃月に派遣されたのだ。地形や気候に少しでも慣れている者がいいという理由と、単純に自国とは全く異なるあの暖かで煌びやかな港にもう一度行きたいと志願する戦闘員が多かったからだ。執行官からはタルタリヤが選ばれた。タルタリヤとしても異論は無かったし、寧ろ再三璃月への異動願いを出していたほどだ。行く以外の選択肢は無かった。
     それからは討伐に次ぐ討伐の日々だ。地脈異常の根本的な解決策は未だ解明されておらず、一つ一つ魔物を倒し、地脈の波を閉じるしか方法はない。そうしてタルタリヤ率いる討伐隊は、毎日朝から晩まで魔物討伐に明け暮れた。
    これ以上ないほど迅速に、討伐任務は進められた。休息中でも、何処何処の民家が襲われた、あそこの畑が荒らされている、と情報が飛び込んでくる。急を要する場合も多い。だからタルタリヤはそれなりに魔王武装も使用した(これには多少私情によるものが入っているのだが、そのような事を態々言う必要もないだろう)。如何に頑丈なその身でも、何週間と酷使した身体は常に限界ギリギリであり、神の目を持たぬ部下達はそれ以上に消耗していたのである。
     そして冒頭へ戻る。
     その時不運な少年の元に一瞬で駆け救い出すには、タルタリヤの魔王武装以外に方法はなく。とはいえ初動から明らかな燃料切れであることは一目瞭然。
     しかしタルタリヤはファデュイの執行官(ファトゥス)十一位「公子」だ。作戦を立て、指揮し、自ら前線に立ち部下を鼓舞する役目を持つ。上に立つ者としても自分の限界は把握している必要があり、実際タルタリヤはその見極めが上手い男であった。……些かギリギリ過ぎるラインを攻める悪癖はあるが。だから余程のこと——それこそ世界の行方に関わるような——がなければ、自分の限界を超えて魔王武装を使うようなことはない。通常ならば。ただその、何というか、似ていたのだ。茶色い癖毛に、青い目を持つ子どもが、その、自分の弟に。いやよく見ればその子どもの髪色は赤毛に近いし、青い目というより淡い朝方の空の色の目だったのだが、気がついた時には魔王武装を発動してしまっていたのだから仕方がない。そもそも弟に似ていなくとも、いかんせん子どもには弱いのだ。無邪気な笑顔をこちらに向けられるのは悪い気はしないし、自分にも可愛い年下の家族がいるし、その目の輝きを失わないでほしいと思う。何より自分より弱い人間に死なれたら寝覚めが悪いじゃないか。つまるところ、タルタリヤはこれでいて情に熱い男だった。無情に魔物も人も敵とみなせば斬り伏せる、氷の国の名に相応しいファデュイという集団に属し、誰よりも戦闘を愛しながら、タルタリヤは人としての道徳を正しく持ち続けた男だった。
     そして、危ういバランスでありながらも危なげなく保っていたそれが、結果的に、最後の仇となった。
     魔物の一撃を正面から喰らったタルタリヤの身体は宙高く放り出され。受け身を取る体力すら失ったまま。およそ人から鳴っていいわけがない音を立てて背中から地面に叩きつけられた。
     ——子どもを助けて、結局その子どもに消えない傷を擦りつけて死んでいくようじゃ、全く不甲斐ない大人だな。
     タルタリヤには、これでも真っ当な感情を持ち合わせている部下たちが彼の心のケアを担ってくれるよう祈る他なかった。
     もちろん、タルタリヤとてこんなところでくたばってやるつもりはさらさらなかったのだけれど、骨があちこちボキボキと折れているわ、内蔵のいくつかがグチャグチャに潰れているような気がするわ、そもそも一ミリも自分の意思で動かせる部位が無いわ、この身体はもう使い物にならないのだと全身で突き付けられている。
     仕方ないか。そしてタルタリヤはフッと体の力を抜いた。元より、短命な我が身だし——。悔いも心残りも考えてしまえばいくらでも湧いてくる、が、しかし悪くない人生だったと思えた。
     血も凍る冷たい大地で一人孤独にくたばるのでもなく、不慮の事故で突然死するのでもない。最期に人の役に立ち、自分を思って泣く子どもや叫ぶ部下に囲まれ。
     先程は煩いと思ってしまった周囲の音が、今は優しく眠りを促すような調べに感じられた。
    そうして、近づいてくる死の足音に身を委ね、タルタリヤは瞼を閉じた。

     「公子殿」
     その声はやけに鮮明だった。パチリ、と無理やり意識に明かりを灯されたような感覚。タルタリヤは心の内で舌打ちした。やめろよ。今になって思い出させてくれるなんて。目を瞑ってもあの人の後ろ姿がチラつくなんて、やけに寂しそうな背中が浮かぶだなんてそんなこと。
     諦めたくない理由ができてしまうではないか。
     あの人に、最期は会いに行くと約束したのだ。這いつくばってでも行くから、絶対絶対待っていてよ、と。この国で、あの人と、契約を違えるなど到底許されることではない。いや違う。違くはないが、そうじゃないのだ。別に契約だったわけでもない。ただの口約束だ。いつもと変わらない食事の席で、いつもと変わらない雰囲気の中、サラッと口にしただけの傲慢な約束。でも、あの時、あの人が確かに嬉しそうだったから。
     約束通り、這いつくばって行こうと思った。しかしもう手足の感覚などなく、自分の身体の一部分もピクリとも動かない。クソ、と吐き捨て……ようとして、もう口すら動かない自分が既にほぼ息をしていないことに気がつく。最早なぜ意識が保てているのかが不思議だった。行かなくてはと思えば思うほど、全身が鉛になったように重たく沈んでいく。
     そして——タルタリヤは傲慢にも祈った。
     どうか神様、鐘離先生に会わせてくれませんか。
     この世界の神など、魔神しかいないというのに。
     「いいだろう」
     そんな、傲岸で不遜で温かな人の心を持つ、大好きな人の声が聞こえた気がした。

     関係を持ち掛けたのは、タルタリヤの方だった。一体何の間違いだろうか。相手は自分を駒として弄んだ(この言い草には鍾離も旅人も呆れた目で文句を言うだろうが)憎き他国の魔神だ。だがしかし食事の席を共にするうちに、洗練された所作やらどの分野にも精通する博識さやら表情筋の少ないその顔面に嵌る二つの石珀が楽しげに煌めく瞬間やらを好ましいと思ってしまったのは事実。元々かなりの強者だとは思っていたがかつて武神と呼ばれた魔神本人と知って畏敬の念のような身体の芯が燃えるような思いを抱いた事も、似た感情を抱き敬愛している女皇様からは見られなかった拙くも案外分かり易い感情の機微と相まってそれらを含めて可愛らしく見えた事も紛れもない事実だ。
     まぁここまで言えばわかる。総じてタルタリヤは鍾離のことがかなりとてもたいへんに好きなのだ。好きなのだから仕方がない。好きならば、まあ、次にする事は一つだ。
    「鍾離先生、好きだよ。俺と付き合って」
     余裕ぶった笑顔で、砂糖菓子のように甘い声で、そうして紡いだ言葉を実際は何度練習しただろうか。ファデュイの執行官様が夜な夜な鏡の前で告白の練習をしていました、なんて、誰かにバレでもしたら一生の笑い者だろう。
     それでも、この一番勝負でタルタリヤは必ず成功する必要があった。手強い敵と戦うのも、意中の相手を墜とすのも、戦略を練り準備をするのは当然のことだからだ。
     結論から言うと、神様を墜とすのは、それはもう、とてつもなく骨が折れた……というわけではなかった。鍾離は、付き合おうというタルタリヤの言葉にあっさりと頷いたのだ。
     「ああ、いいぞ」
     返事があまりにもあっさりしていたので、タルタリヤは面食らった。この人擬きは今の言葉の意味をちゃんとわかっているのだろうか?
     タルタリヤは事前に準備していた更なる口説き落とすための言葉など全て忘れて、慌てて言い募った。
    「つまりさ、俺は鐘離先生のことが恋愛的な意味で好きなわけ。いずれはあんな事やこんな事——ン、いや今はそれを言う時じゃない。コホン、兎も角、俺は鐘離先生と食事を共にするだけの関係じゃ満足できないからその先に進みたい、もっと言えばあんたの心が欲しい。そう言っているんだけど」
     全く、戦士というのは不測の事態にも臨機応変に対応してこそ一人前なのではなかっただろうか。これで人外よろしく「俺にはもう神の心は無いぞ」などと言われたら一発ぶん殴ってやろう。そんな物騒な思いで拳を固めたそれを目の前の自称凡人はあっさりと一瞥して。兎にも角にも、戦士としての冷静さを失い、ただの恋をする若者の顔になったタルタリヤに、鍾離は鷹揚に頷いた。
    「それくらいわかっている。付き合おう、公子殿」
    と。
     それを聞いたタルタリヤの感想は、じゃあ、まあ、いいか、だった。いやだって、元々そんな簡単に手に入る者だとは思っていなかったのである。とりあえず好きの意味が伝わっていて、所謂お付き合いをしてくれるといっているのだ。上々の滑り出しではないか。
     それなら——と、タルタリヤは箸を口に運ぶ鍾離の手をやんわりと掴み、彼の口に顔を近づけた。
     次の瞬間。
    「ッヘブ!」
    「食事の席だぞ、公子殿」
     タルタリヤの愛を誓う口づけは、鍾離のそれはもう力強い左手に勢いよく阻まれたのだった。

     それから幾許か経ったとある日、タルタリヤは勇んで鍾離の住居に足を向けた。なぜなら、俗に言うプラトニックなお付き合いというものに慣れてきた彼らが、そろそろ次の段階に行かないか? それなら俺の部屋に来ないか? そういう会話を繰り広げたからである。
     結果としてまあ——初めてにしては成功だった、と言えよう。正直なところ中々盛り上がった。しかしタルタリヤが、肩で息をし、甘い声を吐く鍾離の顔を持ち上げ、顔を近づけると、先程痛かったらうっかり蹴り殺してしまうかもしれないから暴れないよう脚を縛ってくれなどと宣うたのは何だったのかという馬鹿力でもって全力の蹴りが飛んできたので、結局キスは出来ずじまいだった。
     その事にタルタリヤは意外にも少なからずショックを受けた。だって、セックスはするけどキスはしない、という関係は言葉にすると余計に宜しくない感じがする。ああ、言葉にしなければよかった。ただタルタリヤはこう見えて愛する人をたいへん大切にするタチなので。その場では仕方がないなぁと、その代わりに一層激しく求めたのだが。
     それでも肌を重ねるのが両の指では数えられなくなった時——。タルタリヤは鍾離に尋ねた。
    「なんで先生はキスをさせてくれないのかな」
     人の子としてはかなり我慢した方だと言えよう。毎回拒まれども相手の意志を尊重できる男だ。その忍耐力は十分立派である。なんと涙ぐましい愛だろうか。
     鍾離はこう答えた。
    「フム……。接吻というのは、大切なものだからな」
     大切なもの? 大切って何だろう。自分はその大切な行為に値しないというわけか?
     その自身の紅い唇を柔く触りながら鍾離は宣う。タルタリヤは今すぐにでも大層美味しそうなそれに齧り付きたいというのに。
     まるで思い耽るように、それでいて愛しいと言うように、どこか別の方に目を向ける鍾離に苛立った。
     そう、最初から簡単に手に入るとは思っていなかった。そりゃ、この人の全てが手に入ったとは思っていなかったさ。でも今は、大切なものを守り通すように唇を覆うその指を払い除けたくて仕方がない。ただ、タルタリヤは自分が無理矢理迫ったところでどうにもできないことがわかっていた。何せ鍾離なので。もしその逞しい腕を払い除けることができたとして、その先にあるのは文字通り岩のように冷たいシールドだけだ。それは嫌だった。流石にシールドでもって触れられないようにされてしまえばいくらタルタリヤでも傷つく。
     仕方なく、タルタリヤはとうとう苛立ちを隠す事もなく鍾離に問うた。
    「大切なものって何なのさ。俺じゃそれには値しないってわけ」
     タルタリヤは限界だった。つまり、この目の前の恋人は自分の事を本当に好いているのだろうか? という不安である。鍾離がタルタリヤに向かって好きだとか愛だとか、そういう台詞を言うことはなかった。与えた快楽によって意識朦朧とした鍾離に言わせようとした事もあったが、それも失敗に終わっていた。
     きっと、この傲慢で優しい神様は命短き可哀想な人の子に暫しの幸福を施しているのだ。
     タルタリヤは鍾離の愛情を信じてなどいなかった。涼しい顔で自分の死を捏造し、あまつさえ自らの手で道化に仕立てあげた人間をそのまま食事に誘う男だ。数千年も生きた神様にとって、どんなに長くて数十年ぽっち付き纏う人の子が居ようとそれこそ些末な事なのだろう。
     元から凡人(笑)の神様が自分と同じモノを返してくれるとは考えていなかった。ただ、どうせならこの人の心の中に少しでも自分との日々のかけらが残ればいいと思っていた。思っていたのに————。
     人間は欲張りだ。タルタリヤは、それがたとえ恋でなくてもいいから愛情を感じられる何かが欲しかった。
     先程自分が吐き捨てた言葉に、鍾離が何かつらつらと言い募るのが聞こえる。でもそれは意味を持ったものとしてタルタリヤの脳みそには入ってこなかった。表情一つ変えず、今の状況で何かご高説を垂れているであろう鍾離に我慢ならなかった。
     そしてタルタリヤはにっこりと笑顔を作って言った。
    「少し距離を置こうか、先生」


     鍾離は悩んでいた。なぜなら先程、だ〜〜〜い好きな恋人に一旦距離を置こうと告げられたからである。悲しいかな、鍾離は凡人を名乗れど、人の子にはなれない。人間の心の機敏が、何千年と人と触れ合った今でも、全く不可解な事があった。それでもその浮世離れした佇まいと博識さの上に許されて交流を上手く保ってきた。
     しかしタルタリヤには参った。お前の気持ちがわからないのだ、とそう言う事は簡単だ。しかし直接そう伝えるわけにはいかないだろう。鍾離は人の子の気持ちを完全には理解できないが、所謂"デリカシー"というものはこれまでの人間社会で身に付けたつもりである。
     タルタリヤの事は大事だ。愛していると言っていい。これは恋なのだと、これが恋なのだと、きゅうきゅうと痛む心臓まがいに突き付けられたのはいつだっただろう。まさか愛しの我が国を危機に陥れようとした戦闘狂に惚れるとは思わなかった。よりによって、だ。だがその今まで見てきた人の子の誰とも違う狡猾さと無邪気さを兼ね備えた自由奔放な若造に興味を唆られた。未だ存在した未知なる生き物に気分が高鳴った。そんな気持ちだったのに、幾度も会食を重ねて、言葉を交わして、好奇心は好意へと変わっていった。この者を彼の故郷へ帰したくないなどと思ってしまったのだ。
     鍾離は、タルタリヤと別れてから何度目かの溜息を吐いた。
     これからどうしたらいいのだろう。



     「……鍾離様、ご気分が優れないのですか?」
     「……ああいや、すまない、魈」
     伺うようにこちらを見つめる魈に慌てて返事をした。どこから話そうか。どこまで話そうか。最近自分にも不器用に変化する表情を見せてくれるようになった魈と向き合いながら、鍾離は魈に声を掛けられるまでの経緯をぼうっとする頭で思い返した。
     タルタリヤに距離を置く事を告げられてから一ヶ月が経った。あんなにも璃月港で簡単にすれ違う事ができたはずのタルタリヤの姿は、あれから一度も見ていない。鍾離の力をもってして探しに行く事は容易いが、あからさまに避けられている相手に会いに行くのはどうにも躊躇われた。お前が俺をこんな凡人たらしめたのだぞ。そう居ない相手に向かって心の中で文句を言う。きっとタルタリヤはわかっていない。自分がどれだけ鍾離の心を作り替えてしまったのかを。
     だがそろそろ限界なので。そう、足りないのだ、タルタリヤが。この飢餓感にしたってタルタリヤのせいなのに。
     俺は今もお前に会いたくて仕方がないというのに、なぜお前は未だに俺を避けていられる。
     とにかく会って話をしよう。そう考えて、ならば何と話しかけよう、と思って、鍾離は固まった。謝る? 何を? 何と言えば彼の心は晴れる? 一言目は何と声を掛ければいい?
     他人に話しかけるだけでこんなにも相手の気持ちを気にして躊躇った事などなかった。相手が自分をどう思っているのかが気になる。自分が会いに行って、声を掛けて、また自分の言葉で嫌な顔をされたら? 彼には笑っていてほしい。彼に笑顔を向けられたい。彼に嫌われたくない。
     悶々と考える中で気分転換にと璃月港から出た。海が似合う水元素の神の目を提げた男の顔を思い浮かべながら歩いていたら、瑶光(ようこう)の浜に足を踏み入れていた。以前タルタリヤが物珍しそうに拾い上げた、白い星の付いた青い螺(ほらがい)を一つ手に取り、彼がそれを気に入ったように懐に仕舞った事を思い出して、同じように仕舞う。そうして気が付けば望舒旅館にまで足を伸ばしていた。旅館の屋根で一時の休息を取っていた魈がその気配に気付かないはずもなく。「鍾離様」と文字通り飛んで来た魈に、「ああ……」と返したのが先程。その沈んだ声色に気付かれないはずなく、魈が気遣わしげに鍾離の顔を覗き込み、そして今の状況に至る。
    「少し、その、喧嘩をしてな」
    「は…………。喧嘩、ですか」
     喧嘩、というおおよそ鍾離に似つかわしくない単語に、魈が怪訝な声をあげる。
    「例えば、もし相手を怒らせてしまったとして、自分は相手が怒った理由がわからなかったとしたら、魈はどうする」
     それは喧嘩ではないのでは……と魈は思った。何なら相手が一方的に怒り、その訳も告げぬまま立ち去ったのだろう。そうだ、そうに違いない。鍾離様に非がある訳がないのだ。そして、鍾離相手にそんな真似をして、かつ鍾離がこうまで落ち込む相手には心当たりがあった。最悪の心当たりが。
    「それは、それは相手が悪いのでは。一方的に怒りをぶつける奴に鍾離様が気を病む必要など」
    ありませぬ。その語尾は空気となって消えた。鍾離が眉を下げ、瞳を揺らがせ、唇を震わせたからだ。そのような鍾離は、岩王帝君が自分を拾い上げてくれた頃から一度も見たことがない。魈は悪態を吐きたい気持ちを必死で抑えた。もちろん表情には出していない。あの忌まわしき悪人に文句の一つや二つ、槍技の三つや四つ、今すぐ見舞いに行きたい気持ちではあるが、全てを堪える。鍾離が良いと言ったら良い、行けと言ったら行く、許すと言ったら許すのだ。鍾離があの者を好いている気持ちは全くもって理解できないが仕方ない。鍾離様の気持ちを我などが理解しようとする事が間違いなのだ。
    「俺は、対話をし、わかり合いたいと思っている。しかし、相手にこれ以上嫌な顔をされたくないんだ。難しいな、人の心は」
     魈は必死で考える。人間との関わりをを避けて生きてきた自分が今のこのお方に掛けられる言葉があるだろうか。
    「我は……我は甘雨の様に人と言葉を交わしてはこなかったのでその者の気持ちはわかりませんが。しかし、旅人がよく、我に言う言葉があります」
     旅人が、ほんの少しだけ顔を顰めて、でも温かい目で、掛けてくれる言葉。
    「『魈はもう少し自分の気持ちを声に出してほしい』と」
     それを聞いて鍾離の目が僅かに見開いた。それを見つめて、ああ、このお方もきっと"そう"なのだ、と思った。
    「『人間は、考えている事を口に出してくれないと、相手の気持ちがわからない』、そう旅人は言います」
     繰り返し繰り返し、お願いするように。少し申し訳なさそうに。それがなんだか歯痒くもあって。
    「我はよく言葉を間違えます。旅人の反応を見て、今の発言は違ったのだとやっとわかる様になってきました。しかし、旅人は我が思っている事を口にすると、大層喜びます」
     旅人はそれはもう嬉しそうに言うのだ。
    「我が気持ちに正直でいることが嬉しい。それから、自分と居て楽しんでくれているか、何に喜びを感じて、何は嫌なのか、知ることができる、と」
     そして、旅人が言っていた今の言葉が、鍾離の核心を突いたようだ————と目を伏せた鍾離を見てそう考え————魈は我に返った。
    「も、申し訳ありません! 鍾離様に意見するなど」
    「魈」
    「……はっ」
    「ありがとう。助かった」
    「はっ…………」
     真っ直ぐに魈を見つめる鍾離は、目の前の霧が晴れたような、そんな表情をしていた。
     鍾離はわからなかった。タルタリヤが何故怒ったのかわからなかったのだ。何に怒ったのかはわかっていた。タルタリヤが口を寄せてくるたび、乱暴と言える振る舞いで拒んでいる自覚はあった。その事にタルタリヤが悲しんでいる事も、わかっているつもりでいたのだ。だからこそ、食事の席をこまめに作り、より一層タルタリヤを求めた。口づけを交わせない理由には真っ当な理由がある。だから駄目だ。タルタリヤもきっと理解してくれると思っていた。それ以外で愛を示せば、彼にも伝わるのだと。しかしそうではなかった。タルタリヤは実際、何かちゃんとした理由があると踏んでいたはずだ。それでも人間は確実なものを欲しがるのだ。相手の、誠実な言葉を。それは相手と心を交わすために何よりも重要な事なのだ。
     そんな事もわからぬまま、人間と"お付き合い"していた事に、鍾離は震えた。
     ——接吻というのは、大切なものだからな——
     なんて、自分本位で省略の過ぎた言葉だろう。これで正しく伝わると思った過去の自分を憐れんだ。
    気付けて良かった。本当に、これ以上の時間が過ぎる前に、気付けて、良かった。
     何度も口へのキスを拒むたび、ほんの一瞬動きを止めるタルタリヤを見てきた。まだ駄目? そう微笑みながら、鍾離を時に抱きしめ、時に頬を撫で、時に強く首筋を吸う愛い奴。
     あの日、彼が誤魔化しきれなくなったという様に顔を歪めて鍾離に吐き捨てた。そう、彼は誤魔化していただけに過ぎなかった。多分、自身の気持ちに対しても。
     鍾離は今すぐ彼に会いたいと思った。自分の愛しい恋人に、傷つけてしまった大切な人に、今なら掛ける言葉も見つかると思った。
    「旅人にも感謝しなくてはな。今度食事に誘ってみようか。魈、声を掛けておいてくれるか」
    「承知しました、鍾離様」
    「それから魈。…………俺達にも、もっと沢山、対話が必要だと思わないか」
    「は…………」
     相変わらず直立不動でこちらを見上げる魈に向かって言う。
    「お前が日々魔物、そして自身と戦い抜いているのは知っている。しかし、互いの好きな景色、好きな食べ物、好きな事柄を知っていくのも有意義な時間であると、思わないか」
     黙り込み、俯いてしまった魈を見て思う。彼が、自分が何を好み、何に喜びを感じるか、知っていってほしい。逃れられない苦しみに日々足掻く彼に対してそう願う事は残酷だろうか。それでも、そうしたらきっと、もうほんの少しでも、この世界は彼に安らぎを与えてくれるから。
    「無ければ、これから作ればいい。旅人もきっと喜ぶ。……強要する気は無いが」
     魈が顔を上げた。その瞳は、戸惑いに震えているようにも、期待に揺れているようにも見える。
    「また来る。次は同じ席で食事でもしよう」
    「……勿体ないお言葉です。…………鍾離様。あの者がまた鍾離様に無礼を働いた際には、どうぞ我をお呼びください」
     鍾離は一瞬困ったような顔をして、魈の瞳の色を見て、それから目尻を下げて柔らかな顔で笑った。
    「ああ、そうしよう」

     こうして、対話を繰り返そうか。

     ◇

     鍾離が魈と言葉を交わした少し前。タルタリヤは段々と自分の言動を振り返り始めていた。つまり、相手が自分の思い通りにならないから癇癪を起こした……という自己分析に辿り着こうとしていた。いや、辿り着いた。
    「ああ…………………………」
     タルタリヤは頭を抱え呻いた。自分は何をしているのだ? 事が思うように運ばないなんて、任務ではままある事なのに。そもそも今のこれは交渉相手なんかではなく、恋人同士の問題だ。相手が思い通りにならないから機嫌を損ねました、だなんて子どもの癇癪ではないか。
     断じて! 断じて自分だけが悪いのではない、向こうが言葉を選ばないのも悪いのだ、いやしかし、あの堅物お爺ちゃん相手には、対話が一番の解決方法だというのに、勝手に怒って、勝手に逃げ出してしまった。
    「公子様……?」
    「あ、ああ、大丈夫だ」
     いけない、部下がすぐ後ろに居る事を忘れていた。それだけ余裕が無い。鍾離に会いたくてどうしようもなく、だというのにタルタリヤは徹底的に鍾離を避けていた。
     ——どんな顔で会いに行けばいいと言うんだ。
     鍾離の言い分も聞かず一方的に怒りをぶつけ別れてしまった。次に会った時には冷静に、とそう思うが、鍾離の言葉次第ではまたどうしようもない怒りをぶつけてしまうかもしれない。これ以上嫌な奴にはなりたくなかった。
     何よりも大切にしたい相手だというのに、恋というものは難しいな。
     タルタリヤもやはり、恋愛初心者なのであった。

     任務後の気怠げな足取り(タルタリヤが気怠げなのは別に任務で疲れたからではない。恋人との仲直りの方法についていくら考えても答えがわからなかったからだ。部下達はこんなに公子様がお疲れなのは珍しいと目配せした)で、タルタリヤとその部下は望舒旅館へと向かっていた。ひとまずそこで休息を取り、それから北国銀行へと向かう手筈になっていた。
     そしてタルタリヤはふと視線を上げた先に見た。とても見慣れた、しかしここ一ヶ月は全く見れていない、凛々しい横顔を。最近身に付けた条件反射で咄嗟に踵を返そうとして、身長差で気が付かなかったが、もう一人側に居ることに気がついた。あれは確か、
    「護法夜叉大将……」
     確か鍾離は"魈"と呼んでいただろうか。今も望舒旅館を拠点にして日々魔を祓っているらしいと聞く。
    その仙人と、鍾離は親しげに会話している。それ自体はおかしな事ではない。元とは言え岩王帝君なわけだし、仙人達とは今も交流があるのだろう。
     でも。だからって。
     柔らかな表情で会話していた鍾離が、次の瞬間綻ぶような笑みを見せた。心の底から気を許したような、そんな無防備な笑みだ。
     タルタリヤは一瞬鍾離を避けていた事も忘れて、そんな笑顔を自分以外に向けないでほしい、と苛ついた。
     と、仙人がサッとこちらを向いた。ガッチリと目が合う。仙人は殺意を隠しもせず、タルタリヤを睨み付けた。そして、鍾離と一言交わすと、そのまま消えてしまった。
     へえ、流石は仙人だ。心臓を鷲掴みされたような殺意を浴びて、タルタリヤは思わず浮き足立つ。いつか、きっといつか、手合わせ願いたいものだ。
     ……じゃなくて! 今は鍾離だ。鍾離はタルタリヤを視認してから、僅かに目を伏せ、困ったように眉を下げている。
     タルタリヤは思わず愛弓を構えて、躊躇う事なく鍾離に向かって水の矢を放った。当然の如く岩シールドに阻まれたそれは、小さくペシャと情けない音を立てて砕ける。
     別にそれはどうでもよかった。そもそもそれを見越して矢を放っている。これは意識をこちらに向けるための、謂わば足止めだ。
     先程の躊躇いはどこへやら。自分は今すぐに鍾離と話さなければならない。何をだ? 何でもだ。
    「そこに居ろよ!!」
     タルタリヤは力の限り怒鳴って、面食らっている後ろの部下に顔を向ける事なく早口で言い付ける。
    「君達はこれから望舒旅館で休息を取って、予定通り璃月港に戻れ。報告書は忘れずに。俺の事は気にするな。ちゃんと時間に戻る。じゃあまた北国銀行で」
     呆気に取られた部下の返事を待つ事もせずタルタリヤは走り出した。もちろん、鍾離が居る望舒旅館の二階へと。

    「鐘離先生!」
    嗚呼、その声だけで浮き足立ってしまうなんて。



     階段を三段飛ばしで駆け上る。鍾離は下から見上げていた時と変わらずその場所に佇んでいた。
    「鍾離先生」
     なるべく柔らかく聞こえるように呼びかけて、こちらを向いた鍾離の表情はちょうど光の加減でよく見えない。
    「話をしよう、鍾離先生」
     スゥ、と小さく息を吸う気配がした。
    「逃げていたのは公子殿の方だろう」
    「うん、ごめんね」
    「話をしてくれなかったのは、公子殿の方だ」
    「そうだね。本当にごめん」
     フイ、と鍾離は顔を逸らした。
    「俺は何度も公子殿に会おうとしたのに」
     先程よりもかなりトーンの低くなった声。
    「お前というやつは、」
     強力な岩元素の気配が立ち昇っているように見えるのは気のせいだろうか。濃密なこの気配に押しつぶされそうなのは気のせい、いや。
    「しょ、鐘離先生」
     ワタ、とタルタリヤは思わず中途半端に手を伸ばした。
     鍾離が自分の力で無理矢理自分と接触してこない時点で、多少は怒っている、それか遠慮している、そう思ってはいたが。もちろん、思っていたのだが。
     それから、フッと岩元素の気配が薄まった。
    「公子殿は、俺のことが嫌になったか?」
     小さな声だった。
     ヘァ。タルタリヤは思わず珍妙な声を出して固まった。
     嫌になったか、だって? 嫌われたかと不安だったのは寧ろこちらの方だ。いやしかし確かに、会わないように徹底的に避けられたら普通は嫌われたのかと不安になるかもしれない。自分だったらそう思うかも。ただ、このエセ凡人がまさかそんないじらしい感情を抱いているとはつゆ程も思わなかったのだ。
    「先生、こっちを向いて」
     一歩踏み込んで、中途半端に伸ばしていた両手で、鍾離の頬を包み込む。
    「嫌になんてならないよ。傷つけてごめんね。先生の気持ちがわからなくなって、逃げ出した。八つ当たりしたんだ。もうしないよ」
    「そう、か」
     ふっ、と鍾離の肩の力が抜けた気がした。こんなにも不安にさせてしまって、自分の方こそ赦しを請わねばならない。
    「鍾離先生。俺は貴方が大好きだ。だから、これからも俺の恋人でいてくれないかな」
     ズルい謝罪の仕方だ。でも、だって、こんなにも好かれているなんてわからなかったのだ。自分も不安だったのだ。
     石珀の中心の濃い部分を集めて固めたような輝きを放つ、その瞳が間近でキラリと揺れる。
    「仲直りしよう、鐘離先生」
     ひんやりとした手のひらが、タルタリヤの手を包み込む。
    「俺の方こそ、すまなかった。言葉足らずで、公子殿を不安にさせてしまった。魈に言われて気づいた。俺はもっと自分の事を話すべきだったのだろうな」
     じんわりと自分の体温で温められていく鍾離の手のひらに、なんとも形容し難い感情を抱く。
    「いいよ。これで仲直りだ。俺ではない誰かのおかげで影響を受けたというのは悔しいけど」
     俺が突き放しちゃったからね。そう言ってタルタリヤは朗らかに笑った。
     よかった。これで元通りだ。鍾離もまた、花開くように笑いかけた。
     が、残念ながら何もかも元通りというわけにはいかない。何のためにわざわざお互い傷ついてすれ違いを挟んだというのだ。大切な事を忘れている。
     つまり。
    「なんで先生は好きだって言ってくれなかったの?」
    「……伝わっていると思っていた」
     あんぐりとタルタリヤは口を開けた。仏頂面になった目の前の恋人をまじまじと見つめる。マジか、この人、マジか。
    「もしかしてさ、恥ずかしかった、とか」
     この表情を無くした顔も、照れ隠しだったりして。
    「…………恥ずかしい? 俺は、恥ずかしかったのだろうか」
     エエ、なんなんだこの愛しい生き物。
    「じゃあさ、鍾離せんせ。俺のこと好き?」
    「ああ」
     思わず声を出して笑った。この人、無意識なんだろうけど、でもマジでさ。
    「そうじゃなくて。ちゃんと言ってよ。俺の事好きだって、言葉にしてよ」
     なんだか自分も恥ずかしい事を言っている気がする。でも鍾離の口から聞きたいのは本当なのだ。ずっと願っていたのだ。
     タルタリヤは、ね? というように首を傾げる。鍾離はキュッと口を窄めた。
    「好きだ、公子殿」
     鍾離は自分の頬がブワッと熱くなるのを感じた。その初めての感覚に戸惑い、思わず俯く。
    「ちょっ……と」
     反則。そんな小さな呟きが頭ひとつ分上から聞こえて、そろ、と目を上げた。タルタリヤと目が合って、鍾離は驚く。まるで鏡を見ているように、今の自分と同じくらい顔を赤く染めているタルタリヤがいたからだ。
    「好きの一言でそんな恥ずかしそうにされるなんて予想外すぎて、こっちが恥ずかしいんだけど」
     そうか、これが。
    「これが恥ずかしいというものか……。うん、勉強になった」
    「ハァ〜〜〜〜、あのさ、鍾離先生、」
    「公子殿」
     雰囲気をぶち壊す勉強になった発言に呆れたタルタリヤが何か言おうとしたのを遮り、鍾離は宣う。
    「好きな人に好きと伝えるのは、その、恥ずかしいな」
     先に告白してきた公子殿はこんな気持ちを、などと続けてぶつぶつ言い募る鍾離の言葉を、しかしタルタリヤは聞いていなかった。
     恥ずかしい、と言った鍾離のはにかみ笑いに、今度こそ心臓をやられてしまったからである。


     さて、日付は変わり、ひと月とちょっと振りの食事の席である。
     タルタリヤは上機嫌だった。見たところ目の前の恋人もそうであるようだった。箸も酒も、それはもう大層進む進む。
     ——本当は、そろそろ璃月から離れなければいけない。本来の璃月の仕事は随分前に終わったのだ。後処理に追われた事で今まではよかったが。
     でもまだいいだろう。やっと仲直りをして久しぶりに一緒にいられる貴重な時間なのだ。二人でいられる時間が残り少ない心細さや罪悪感は底に仕舞っておきたい。
     ああ、酒が美味い。
     タルタリヤは上機嫌だった。そして珍しく酔っていた。
     え、と声を上げ、鍾離が固まる。
     え、とタルタリヤも間抜けな声を上げて、鍾離の方を見た。
     そして目に入ったのは、自分の両手が差し出した光り輝く指輪である。
    「えっ」
     もう一度タルタリヤは声を上げた。ちょっと待て。
     鍾離は鍾離で頭が働いていないらしい。微動だにせずタルタリヤの手元を見つめたままだ。
     ————やらかした。タルタリヤがじわじわと目の前の事象を理解し始める頃、鍾離もまた、働き始めた頭で差し出された指輪の意味を理解して、それからジワジワと頬を染め上げた。
     やり直し! やり直しさせて! タルタリヤはとんでもない事態に慌てて口を開けて、鍾離の方を見た。
    「やり——————」
     目の前には、耳までを赤くして、目尻を溶けそうなほどに下げて、愛おしそうな目で指輪を手に取る、それはそれは凡人らしい恋人様がいた。
     それでもう、タルタリヤはなんにも言えなくなってしまった。やってしまった事は取り返せない。回転の早いタルタリヤの頭脳は、さっそく、もういいや、それで、という結論を弾き出した。
     だって、幸せだ、と笑った鍾離は、ああ、そうだ、確かに自分のことを愛しているのだ、とタルタリヤはやっと確信できたのだ。

     「ねえ先生、俺はきっと先生より早く死ぬ。でも、最期は必ず先生の元へ行くから。覚えておいて」
     「わかった。必ず待っていよう」
     そう微笑んで頷いた鍾離はもしかしたら、共に璃月を歩ける時間はもう少ない事をとっくに察していたのかもしれない。



     しょうり、せんせ。

     会いたいよ。



     鍾離がそこを通りかかったのは偶然ではない。その日ある場所で感じ取ったのは水元素の爆発的な揺らぎと、それに歪に混ざったザラザラとした極小の雷元素——タルタリヤ特有の"匂い"。それを、鍾離は己の血肉である土地で感じ取ることができた。
     地脈異常による魔物の巨大化、暴走化を止めるため、ファデュイが派遣された事は耳にしていた。だから別にタルタリヤの身を案じたわけでも、ファデュイを疑ったわけでもない。自分は今や"ただの"凡人であるし、ファデュイ、それも執行官付きがそれらの討伐に向かったのなら、多少異常に巨大化、増加していたとて、全滅させるのにそれほどの時間は有しないだろう。
     だから鍾離は、本当にただ、愛しい恋人に会いに行っただけである。何故ならもう早十年の間タルタリヤは他国の任務続きで、鍾離に会うことはもちろん、璃月に立ち寄ることもなかったからだ。自国のいざこざの後処理やら、他国との関係改善やら、休む間もなく飛び回っていた事はたまに届く手紙で知っている。
     そして今回、十年ぶりに会えるチャンスがやってきた。六千年を生きてきた鍾離にとって、十年の空白など大した事ではない。とはいえそれはそれ、これはこれ。会えるものなら会いたい。せっかく好き合っている者同士なのだ。
     寂しいならそう言えばいい。会いたいならそうすればいい。それを教えたのはタルタリヤだ。その教えの通り、会いに行こうと思ったのだ。タルタリヤの"匂い"がしたから、年甲斐もなく、らしくもなく。ただ、久しぶりに会って話がしたい、あわよくば少し食事でも、と。今思えば、寧ろそれがいけなかったのかもしれない。なぜなら自分の中で、今日タルタリヤと食事をする、というのは決定事項だったのだから。
     そして鍾離は、少し離れた先で今日一番の爆発的な雷元素の気配と、その一瞬から急激に弱くなっていく愛する人の気配を感じ取った。

     ハッ、ハッ………………。
     自身のこんな息遣いを聞くのはいつぶりだろうか。もしかしたら六千年生きた中で初めてかもしれない。凡人であろうと封じ込めていたリミッターが解除され、体内の濃密な岩元素が波打つ。
     目の前には、誰よりも戦闘を愛し、それ故に強く、必ず生きて帰ってくる、そんな誰よりも生の気配が濃い——はずだった愛する人が目の前で横たわっている。
     関節はあらぬ方向へ曲がり、打ち付けたのであろう頭部からは今も大量の血が流れ続けている恋人を目の前に、鍾離は必死で表情を取り繕っていた。その恋人はただ穏やかな表情でこちらを見ていたから。
     しかし取り繕うとも、焦燥に満ちたギラギラと金色に発光する眼は隠せない。鍾離は考える。こんな時、どうすればいいのかを。否、ずっと前から考えていたことだ。でもそれはきっとやらない方がいいのだと、今までずっと隠してきた。
     一方タルタリヤはと言うと、存在を知らぬ神にまで祈った会いたい人が急に目の前に現れた事に面食らっていた。それから、神はこの人だったな、とも。神に感謝をしなければと思って、それは目の前のこの人に伝えればいいのだ、とも。相変わらず口は動かない。辛うじて動く眼球をゆっくりと鍾離へと向け、何とか気持ちを伝えようと試みた。
     その時、黄金の瞳で見つめ返した鍾離が、タルタリヤの腹に手を当て力を込めた。パキ、パキ……という音と共に、タルタリヤはふと体が軽くなるのを感じた。
    「公子殿、喋れるか?」
    「……グッ、ゲホッ…………。久しぶりだね、鍾離先生。今のは何をしたんだい?それに……なんて顔してるのさ」
    「この処置は気休めでしかない。それでも数分時間を稼ぐことはできる」
     その幾許かいつもより早口の声を聞いて、タルタリヤは鍾離をじっと見た。後悔と懺悔と逡巡と、そしてそれを覆い包む、悲しい、という気持ち。きっと自分にしかわからない、取り繕った顔の奥に押し込められたその表情。そんな顔をあの「鍾離」にさせているのが自分なのだと思うととても優越感が湧くが、しかし最後くらい愛しい人の笑顔が見たい、というのは少しばかり勝手だろうか。
     十年ぶりに、やっと会えたのだから。
     やっと会えたのに、今から自分は死ぬのだ。
    「公子殿。お前の本当の名を教えてくれないか」
    「……まあ、最期だからね」
    「……そうだな、最後だ。だから、早く言え」
     その時、普段のタルタリヤであれば、その声に滲む焦りを不審に思っただろう。先生、何を焦っているのと、鍾離の意図にも気づけたかもしれない。しかし、残念ながらタルタリヤは瀕死だった。最期は先生に会うという契約(やくそく)を守れたことに安堵していた。判断力は皆無だった。だからタルタリヤはいっそ清々しい気持ちで言ったのだ。目の前で看取ろうとしてくれる愛しい恋人に、愛を込めて、その名を告げた。
    「はいはい。俺の名前は、アヤックスだよ、鐘離先生」
    「……アヤックス」
     アヤックス、アヤックス……と鍾離は何回も口の中でその名を転がした。
    「良い名だな、アヤックス」
    「ハハ……。鍾離先生に、そう、言ってもらえて、光、栄だ、よ」
    「して、アヤックスよ」
     その瞬間、鍾離の雰囲気が変わった。息が詰まるほど濃密な元素力の気配。
     霞む視界いっぱいに、不遜な笑顔が映った。
    「俺を恨め」
     背中に覆い被さる影。
     痛み。
     そして、強制的なほどに感じられる幸福感。
     何が起こったのか、自分が何をされたのか、わからぬまま……

     暗転。


    【恋と契約、衝動と代償】
     あの仲直り騒動の後のことだ。
    「それで、鐘離先生はどうしてキスさせてくれなかったのかな」
    確かに愛されていた事はしっかり伝わった。それならキスは何故? 当然の疑問である。
    「理由があるんだろう?」
    柔らかい口調とは裏腹にその目は全く笑っていない。理屈とは別に、理由によってはそんなモノぶち壊してやる——そんな闘志が丸わかりである。
    「言わなきゃ駄目だろうか?」
    「当然」
    被せるように返された。
    どうしようかな。鍾離は悩んだ。なにも意地悪で拒んでいる訳でも、悪戯に理由を話していない訳でもない。それを言ったら、お前はきっと。
    目の前の恋人は何だか思い詰めた顔をしている。
    「お前が大事な事だと思っているように、俺にとっても大事な行為なんだ」
    フゥン? タルタリヤは片眉を上げて相槌を打つ。
    「それは以前も聞いたよ。俺は、その先の理由を知りたい」
    そうだろうな。今は目の前の男の気持ちがよくわかる。彼に避けられ、彼の言葉を待つしかなかった、焦れる思いを経験した、今なら。
    「これは俺の力に関わる事なんだ。だから全てを伝える事はできない」
    「……そう」
    タルタリヤの返事に、少し笑ってしまいそうになる。理解はできるが納得はできない。そんな拗ねた気持ちがダダ漏れで。
    「だから、時が来たら必ず告げよう」
    以前からこの力について考えていた事がある。だから、いつかきっと話して、それで、その後の事はまだ考えがまとまっていないけれど。
    「そう」
    先程よりか明るい声が返ってきた。
    話そうとする意思はある。そう告げる事は、タルタリヤにとって大きな意味があったのだろう。何しろ契約の神だ。いつか話すと言うなら、いつか話すのだろう。一年か十年か、それ以上か。わからなくても、その未来は必ず来るのだ。
    ああ、早く言ってやればよかった。鍾離は痛切にそう思った。
     己で全てを解決してからでないと話してはいけない。民を不確実な情報で惑わすのは悪手だからだ。
     国を導く役割の中で染みついたクセは、十年程度の凡人生活では拭えなかったのだと、鍾離は今初めて気がついた。
    「公子殿が、大切だからだ」
    蛇足かもしれない。そう思いながらも、鍾離の口は勝手に動いた。
    「謎は深まるばかりってわけだね」
    タルタリヤがため息混じりに言った。笑みを含みながら。
    まあいっか。鍾離先生だし。タルタリヤはスッキリしたように柔らかく笑った。

    いつか話す。そう、例えば彼が戦士を引退した時に。年老いてもまだ鍾離の事を好きでいてくれた時に。彼に話して、そして、二人で最良の選択を。
    そう思っていたのに。
    ——公子殿のうなじを噛んだ。
    ——それは、公子殿が俺の眷属となったことを意味する。
     眷属化の条件は、自分の岩元素を含む唾液の譲渡である。
     今までキスを拒み続けてきた理由はこれだ。つまり、本人の同意無しに、眷属化してしまう恐れがあった。そして恐らく彼がそれを拒まないであろう事も。だからこそ話せなかった。タルタリヤはまだ若い。出会った時のようなあどけなさは無くなったものの、戦士としても人としても、未だ選択肢は多く残され、いくらでも輝かしい未来を掴める、そんな青年だ。
     今から選択肢を狭める必要はない。時が来たら話そう。そう思っていたはずだ。確かにそのはずなのに。
     「クソッ」
     鍾離は小さく悪態を吐いた。こんなに自分は理性の効かない生き物だっただろうか。
     せっかくキスを拒み続けたというのに全てが水の泡である。自分だって、本当は愛しい人とキスの一つや二つ、叶う事なら毎日だってしたかったのである。
    それがどうだ、自分としたことが、瀕死の恋人を見て全てが吹き飛んでしまった。
     ああでもしないと死んでいた。でも彼の尊厳を無視した。頸に噛み付いた瞬間の僅かに見開かれた目を思い出す。まるで自制が効かなかった。うつ伏せで倒れていた彼の露わになった頸が美味しそうに見えなかったと言えば嘘になる。どうにかして生かしたかったのは本当だが、今思えばあの行為はほとんど衝動的だった。
     唾液を分け与えた瞬間眠りについたタルタリヤは、今も尚穏やかな顔で眠り続けている。それがまた、鍾離の罪悪感を掻き立てているのだ。
     眠るタルタリヤのうなじには、自身の岩元素とよく似た刻印が浮かんでいる。これこそが、彼が岩神の眷属となった証であり、つまり、人間ではなくなった明確な印であった。
    これからタルタリヤは少しずつ人としての身体を失っていくだろう。見た目が大きく変わるわけではないが、体格、爪、髪、瞳、どれも全くそのままというわけにはいかないだろう。鍾離は自分の好きなタルタリヤを自ら変えてしまった苦い痛みと共に、どこか自分がタルタリヤを変えたのだという、独占欲のような昏い悦びも確かに芽生えていた。
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