問題のある二人「藍先生!」
「今日という今日はもう我慢ができません!」
「あのお二人にどうか忠言をお与えください!!」
ある朝、蘭室に向かう藍啓仁に門弟が何人も立ちふさがった。
□
「雲深不知処で大声を出すことは禁じておる」
がやがやとやってきた若い門弟を窘めるように、固い声で眼下に藍啓仁はそう言い放った。
しかしどうやらその門弟たちはもはや我慢の限界という風で、藍啓仁の睨みにも怯まず、むしろ拳を固くし訴えを続けた。
「存じています。それを分かっていても訴えたいことがあるのです」
切実な門弟の言葉に眉を顰めるが、分らぬでもないと藍啓仁は頷いた。
「確かにあの者たちが毎日立てている『音』に関してはいい加減諫めなければと私も思っておった」
実に実感のこもった頷きを何度も何度も繰り返す。
しかし眼前の門弟と言えば、きょとんと藍啓仁を見て首を傾げた。
「音?何のことでしょう」
全く分からないという風だ。
その言葉に、今度は藍啓仁のほうが虚をつかれた。
「何、ではそなたたちは何を訴えたいのだ」
予想外の言葉にさっぱり分からななくなった藍啓仁は率直に尋ねた。
そのことに気づかない門弟たちは、さも当然という風に声を揃えてそれを言った。
「もちろん『匂い』でございます」
「に、匂い?」
何のことだと、たじろぐ藍啓仁。
「そうです!」
力む門弟たち、まさにその心は一心同体という風にぴたりと揃って訴える。
「「「あの香しい醤の香味!」」」
藍啓仁は思わず鉄鍋で焼かれた醤の焦げた香りを想像する。
「「「鼻を刺激する香辛料の辛香」」」
パラパラとしたそれらが視覚も奪わんばかりに赤くひらめくのが見える。
「「「肉の焼けるあの脂臭!」」」
じゅうと焼けるその肉汁の妄想は、よだれを誘う淫靡な光景だった。
「分っております」としたり顔で言う門弟に、藍啓仁は我に返る。
「我らは修行の身、食事も修練のうちだということは分かっております…。けれども!」
門弟はキッと藍啓仁を見つめた、その意志の強い眼差しはどの妖魔と対峙した時よりも覚悟した瞳であった。
そして若干涙目でもあった。
「私たちにとって、あの香りを毎夜嗅がされるのは、もはや拷問と同じなのです!」
「………」
長い、と思うような沈黙だった。いや実のところそれほどの時が流れたわけではなかったが。
門弟にとって己より修為の上の者に意見など、余程の覚悟だったのだろう。そしてそれほどに辛いことだったのだろう。
それを思えば、藍啓仁には他の言葉を見つけることはできなかった。
「懂了(分かった)」
彼はそれだけを言って頷くと、門弟たちに背を向けてどこかへ姿を消したのだった。
□
後に、藍家の食事番が藍忘機に料理を教わった姿を見たとか見ないとか。