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    こたなつ(ごゆ用)

    @natsustandby

    しぶに置いてある話の番外編が主。
    予告なくひっそり加筆したり消したり。

    いつも応援ありがとうございます。
    ニヤニヤしながら創作の糧にしていますもぐもぐ。
    ぴくしぶ→https://www.pixiv.net/users/1204463

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    POIPOI 8

    幕間の補完話とその後のこぼれ話

    運命が両手叩いてわらってる 番外編・一本目→補足話、五条視点で色々
    ・二本目→後日談、五条の「こわいもの」の話
    ・三本目→後日談のその後、巣作りの話

    ・一本目は悠仁の処刑描写を含みます。苦手な方はお気をつけください。







    ・本編の空白の時間の話
    ・ゆじの処刑、五の自死未遂表現あり
    ・暗いし五は激重ですがハピエン
    ・「まだ最強ではなかった五条」を前提にお読みいたければ…



    幕間


    「こんなところで散歩かい、悟」
     よく通る声がした。誰に向けてかは考えるまでも無い。ビルの屋上には五条しかいないのだから。
     しかし五条は転落防止の柵の上から身動ぎひとつせず、眼下をじっと見ていた。この辺りはつい先程まで一級レベルの呪霊がウヨウヨ闊歩していたが、今はもう何もいない。五条が全て消した。
     悟、ともう一度呼び、夏油が乗っていた呪霊から降りた。
    「最近、呪術界である噂が流れているんだ。現場に行くと既に呪霊が祓われていたり、指名手配中の呪詛師が気絶しているって」
    「………」
    「現場で白い幽霊を見たって話もあってね、硝子は『存在感が両手振って歩いてるような奴が幽霊になんてなれるか』って鼻で笑ってたんだけど……確かに、今の悟は幽霊みたいだな。最後に鏡を見たのはいつだい?もしかして映らなかった?」
    「………傑。お前ってそんなお喋りだったか」
    「おや知らなかった?これでも私は後輩からも頼れる先輩として相談を受けていたんだよ。勿論、虎杖からもね」
     その名前に五条の肩が僅かに揺れる。あからさまな反応に夏油は「幽霊は嘘をつくのが下手なのか」と小さく笑った。
    「あの子も嘘をつくのが下手だった。番った相手に忘れられて『何も無い』なんて、そんなことあるはずないのに。けれど、そう……隠すことは上手だった。そのことをもっとちゃんと理解していれば、何かが変わったかもしれない」
    「…………」
     最後の言葉はきっと夏油自身へのものだ。しかしそれは五条にも刺さった。
    「何があった」
     重い沈黙を破ったのは夏油だった。
    「その様子だともう思い出しているんだろう。なら忘れていた理由も、あの時何があったのかも、分かっているんじゃないか?」
    「…………」
    「悟。私に後輩だけじゃなくて親友まで失わせる気か」
    「……オマエ狡いよなあそういうとこ」
     呟くように返せば、「狡くないと君の親友は務まらないよ」と夏油が言う。確かにと思い、五条は空を見た。

     何があった。
     そんなこと、五条の方が聞きたかった。


     悠仁と番って五日目のあの日、討伐任務で赴いたのは第二性の研究施設だった。そこでは新薬開発のためとオメガは勿論、アルファに対しても無茶な実験が行われていた。繰り返されるうちに恨みや恐怖が肥大化し、何人もの研究員が犠牲になった。相当強い想いから生まれたようで呪霊は一級を超えていた。それでも五条なら祓えるレベルだったのだが、イレギュラーが発生した。
     現場で悠仁のフェロモンを感じたのだ。
     ここには無いはずのその匂いは研究員のばら撒いた「新薬」から漂っていた。警戒するより先に五条の中のアルファが反応し、術式もすり抜けて薬を浴びてしまった。その瞬間、頭の一部が焼き切れたような、自分の大事なものが無理やり剥ぎ取られたような、そんな衝撃があった。
     そこへ件の呪霊が襲ってきた。何とか祓い、研究員に紛れ込んでいた呪詛師も気絶させたが、意識を保てたのはそこまでだった。

     結果として、五条は番のことを忘れた。しかもその反動なのか、それとも呪霊の影響か、オメガに対して今までにも増して嫌悪感を抱くようになってしまった。

     そこからはもう、最悪だ。

     悠仁をーー否、あのオメガを見るたびに、あるいはそのフェロモンを嗅ぐたびにどうしようもなく苛立った。そいつの全てが気に入らなくて、思うがままに暴言を吐き、傷ついた顔を見ると溜飲が下がった。
     口淫させたのもその延長だ。必死になって奉仕する姿を嗤い、最後は捨ててやるつもりだった。けれど、想定外のことが起こった。
     そのオメガのフェロモンだ。綻ぶ花のような、熟れた果実のような匂いのそれは、五条のために、五条を想って咲き誇っていてーーあれだけ嫌っていたはずだったのに、愛おしいと思ってしまった。
    「っ、んだこれっ……ッくそ…!」
     腹立ち混じりにオメガの喉を犯した。加減なんてない。出来ない。ただこのオメガに自分の種を注ぎ入れたくて堪らなかった。
     息を荒くし、馬鹿の一つ覚えのように深くまで何度も突き刺した。そして遂に唾液が溢れる口内に欲を吐き出せば、ほんの少しだが冷静になった。
     冷静に、このオメガに興奮している事実に愕然とし、苛立った。
    「最悪」
     そう吐き捨てて、暴言も吐いた。「他の女を抱きに行く」と、オメガが一番傷つくだろうことを言い、術式まで使って完全に拒絶した。そうしなければ、あのフェロモンに絆されると本能的に分かっていたのだ。

     その日から、あのオメガを見つけるたびに威嚇フェロモンを出した。それでも我慢できなかった。
     あのオメガの匂いの方がずっと興奮するせいで他の誰も抱けなかったことも。周囲の奴らがあのオメガにみんな絆されていることも。五条の知らないところで危うく死にかけるくらい弱いことも。
     全てに腹が立って仕方がなかった。

     その矢先だ。
     騙し討ちで連れて行かれた見合いから帰ると、何かに呼ばれている気がした。
     来て、ここに来て。そう訴えかける何かに導かれるまま辿り着いた先には、あのオメガがいた。
     オメガはヒートを起こしていた。部屋には寂しさと苦しさ、そして番を求めるフェロモンが充満していて、その本人も縋るように手を伸ばしてきた。
    「何でオマエがここにいんだよ…!」
     思わず手を取ってしまう前にそう叫んだ。オメガは怯えた目でこちらを見ると、縋るように何かを抱えた。
     服だ。この部屋に置いてあった五条のものを、オメガは大事そうに抱きしめていた。怯えを含みながらもまだ淫靡な匂いを纏うその姿に何故か苛立ち、その服の山を蹴り飛ばした。オメガの巣作りという行動も、その意味も、何も知らなかった。ただ気に食わなかった、それだけだ。
     すると、今度はオメガが震え出した。漂うフェロモンもどんどん痛々しく重いものへと変わっていったかと思うと、オメガが悲鳴を上げた。声を出したのではない。フェロモンで、だ。
    「ッーー!!」
     オメガが床に倒れ込んだ。微動だにしないその様子は明らかに異様で、流石にこのまま死なれるのは目覚めが悪いと思い、医務室へと運んでやった。

     抱えた時、それまで散々していた匂いが消えていたが、気のせいだということにした。


     その数日後。あのオメガは見つかった宿儺の指を取り込むことになり、監督者として同席を命じられた。
     あの日ぶりに会うオメガからは何の匂いもしなかった。俯く顔からは表情も読み取れず、それがまた不気味だった。
    「あー面倒くせ。なんでわざわざ俺が時間とんなきゃいけねえんだよ」
     悪態をつきながら、椅子に拘束されているオメガの前に立った。
    「さっさと食え。お前がここにいる理由だろ」
     指を差し出してやれば、オメガは無言のままそれを咥え、喉を鳴らした。いつかのことを思い出して舌打ちしたくなった、その時だった。
     ガクン、とオメガの頭が大きく揺れ、椅子の上で身体が固まってしまった。おい、と呼びかけても返事はない。まさか宿儺かと身構えたがそれも出て来ず、六眼で見ても異変はなかった。
    「どういうことだよ。おいお前、聞こえてんなら返事くらい、」
    『五条悟』
     監視として置かれた式神から声がした。上の連中だ。
    『虎杖悠仁の即時死刑を命ずる』
    「……宿儺は出てきてねぇけど?」
    『顕現する前にせねば意味があるまい。もう一度だけ言う。虎杖悠仁の即時死刑を命ずる』
    「……あ、っそ」
     何を言おうがその決定を覆すつもりはないようだ。こちらとしてもそれを捻じ曲げる気はサラサラない。
     未だ物言わず、虚な目で何処かを見つめるオメガに指先を向けた。
     殺す。今から、このオメガを。
     そう認識した途端、ドッドッと心臓が突然暴れ出し、冷や汗が吹き出した。嫌だ、と頭の中で誰かが言った。
     殺したくない、殺せるわけがない。最愛の番だ。そんなの、絶対にーーー。
    「ッじゃあな、クソオメガ」
     全てを断ち切るように術式を発動する。いっそ何も残らないように出力を上げれば、塵も残さず目の前の全てが消滅した。

     ぶつん、と。
     身体のどこかで切れた音がした。その一瞬後、膨大な量の記憶がーーー「番の記憶」が五条へと戻った。
     それは数秒だったか。あるいはもっとだったか。
    「……悠仁」
     全ての記憶を取り戻した五条はその名を呼んだ。けれど応えはない。
     あるはずもない。そこにはもう、何もない。骸どころか塵も残っていない。
    「殺したのか………俺が、この手で」
     最愛だった番を。何の躊躇いもなく、無慈悲に、残酷に。五条は殺した。殺してしまった。
    「ぁ……」
     何と言った。番に、愛する人に、何をした。

     それはもう衝動だった。頭の中は真っ白で、何も考えず、ただただ「死ね」と思った。
     大事な人を、最も愛した人を、あんな惨たらしく、無意味に殺した自分は不要だと思った。死ねばいいのだと。生きる意味などもうないと、そう思い、術式で頭ごと吹っ飛ばした。
     はずだった。
    「……は?なんで……」
     術式は発動されなかった。練ったはずの呪力は霧散し、身体の中に戻ってしまった。
     何故。意味が分からない。けれど、死に損なったことだけは分かる。
    『ご苦労だった、五条』
     思考を遮るように声がした。臆病者たちの声だ。
    『ようやく死んだか』
    『残り十五本……やはりもう少し有効に使うべきだったのでは?』
    『いや所詮は呪い。あの末路が相応しい』
    『過ちを正してやったのだから、むしろ我々に感謝してほしいくらいだ。……なあ、五条』
     汚い微笑みが目に浮かぶような声に全てを悟った瞬間、ブワッと呪力が膨れ上がった。制御しきれないそれが一気に弾け、あとはもう、気がついた時にはあたり一帯が更地になっていた。
     

    「それで停学処分か。上の連中は自業自得として、そもそもは誰の差金だったんだ?保守派か?」
    「ウチ」
    「まさか……五条家が?」
     訝しげに眉を顰める夏油を五条は鼻で笑った。
    「例の任務で捕まえた呪詛師に吐かせた。研究施設で作られてたのは端的に言えば『番を忘れる薬』で、それを知ったウチのクソ共が利用した。悠仁じゃなく、五条家に相応しいオメガを番にさせたかったんだと」
     薬に必要な悠仁の血液を高専の医者を買収してまで手に入れた辺り、五条家も本気だったのだろう。
     だから、五条も本気でやり返した。この一件に加担した者を調べ上げ、全員の首を切った。
    「それ、比喩じゃないな」
    「全部吹っ飛ばしたから知らねぇよ。けど、どうせ一番死んだ方がいい奴は生きてるから、何の意味もない」
     誰とは言わない。けれど伝わったのだろう。夏油の目が鋭くなった。
    「だから手当たり次第に呪霊を祓って、呪詛師を捕まえているのか?」
    「……別に。そういうつもりはない。ただアイツが……アイツに出来なかったことをやるしか、今の俺に出来ることが、ない」
     あらゆる可能性は調べた。実家の蔵にある資料や文献を片っ端から読んだり、そういう術式を持つ人間がいないか探した。けれど、全部駄目だった。
     死者は蘇らない。過ぎたことは戻らない。それがこの世の理だった。
    「悠仁はもう戻ってこない。俺が殺した。好きだったのに。運命だったのに」
    「……それは薬のせいだ」
    「だとしても、俺は救えなかった。なあ、傑。俺は何のために最強だった?俺は、何のために『俺』だった?もし俺じゃなかったら、悠仁は、生きてたのか?」
    「君じゃなきゃあの子は番にならなかっただろう」
    「でも、そんな悠仁を俺は殺したんだ」
     どれだけ後悔しても、懺悔してもその事実は無くならない。覆らない。
     思考が鈍り、落ちていくのが分かる。それが番を失ったことから来るものだと知りつつも、どうにも出来ない。どうでもいい。
     もう、全てがーーー。
    「虎杖を理由に逃げる気か」
     鋭い声に顔を上げれば、唯一の親友がこちらを見据えていた。悠仁と同じ、真っ直ぐな瞳だ。
    「逃げて、贖罪として自分が擦り切れるまで力を使うつもりか?『五条悟』にしか出来ないことがそんなことだと思っているなら宝の持ち腐れだな」
    「……何が言いてぇんだよ」
    「今回のことで分かっただろう。今の呪術界は……この世界は、オメガにとっても異分子にとっても優しい場所ではない」
    「それを俺にどうにかしろって?オメガ嫌いの俺に?」
    「なら聞くけど、この先虎杖と同じ運命を辿る人間がいた時、君はそれを許容出来るかな」
     呟かれた言葉にハッとした。
     無理だと思った。他のオメガも他の人間もどうでもいい筈なのに、そんなことは許さないと。悠仁と同じ道を辿るのは、そんなことが起きるのは、一度きりでいいと。
     こんな馬鹿なアルファに殺されるオメガは、一人で寂しく消えるオメガは、もう生み出さないと。そう思ってしまった。
    「どうすればいい?」
    「それは君が考えな。君には出来のいい頭と、生まれ持った名前と力、それから頼りになる親友や仲間がいるだろ」
    「…………自分で言うのかよ」
    「言うさ。言わなきゃ分からないことだってある。……私は、今回のことでそれを痛感したよ」
     もっとあの子に声を掛ければよかった。そう呟いた夏油に、五条は静かに目を伏せた。





    「ーーさん……さん!五条さん!」
     ハッと意識が戻る。顔を上げれば運転席の伊地知が不安げな顔でこちらを見ていた。
    「なに」
    「いえ……その、今日も例のマンションでよろしいですか」
    「それ以外にないでしょ」
     生まれ変わった悠仁を保護し、一緒に暮らし始めてから二週間と少し。悠仁は相変わらずの適応力で新たな生活に馴染んでいた。それはもう、勘弁してくれってほどに。
     悠仁は無防備だ。人の機微には敏感な子なのに、自分のこととなると途端に無頓着になる。目の前にいるアルファはお前の頸を噛みたくて仕方がないんだよと何度言いかけたか。
     先日は特に酷かった。ネックガードを着けずに外出し、あろうことか呪詛師に捕まったのだ。あの時は頭に血が上り、本当に噛んでやろうかと思った。勿論、我慢したけれど。
    「あー僕ってえらーい」
    「……」
    「シカトかよ」
     ガンッと座席を蹴れば、悲鳴が上がった。大袈裟な奴め。そのくせチラチラと視線を送ってくる。
    「なに。言いたいことがあるなら言いなよ」
    「……変わりましたね、五条さん」
    「なにが」
    「雰囲気が、でしょうか。きっと虎杖君のおかげですね」
     そう言われたら否定も肯定も出来なかった。
     変わったといえば変わったのだろう。何せ十五年も恋焦がれた子がそばにいるのだ。
     そう、五条はどうしようもなく悠仁に焦がれている。頸を噛みたくて、この想いを受け入れてほしくてたまらない。
     が、同時にそれが許されざることだとも分かっている。戒めのように過去の愚かな行いを夢に見ずとも、そんなことはもうとっくに知っていた。
     不毛だな、と声にせず呟く。
     早くあの子の元へ帰りたい気持ちと、このまま逃げて会いたくない気持ちが混ざり合い、もうドロドロだ。
     せめてこんな想いが悠仁にバレないようにしないと。



    「なーんて思ってたんだけどなあ」
     あれから紆余曲折を経て、悠仁の頸にはくっきりと五条の噛み跡がついている。ちなみに今はその周りに赤いキスマークがいくつもある。全て五条がつけたものだ。
    「先生…?」
     腕の中にいる悠仁が仰ぎ見てくる。まだ少しぼんやりしているのは、先程まで睦み合っていたからか。
    「どうかしたん?」
    「ん〜悠仁が可愛くて幸せ噛みしめてたの」
    「なんそれ」
     くすくすと笑う悠仁がすり寄ってきた。
    「俺こそ、先生が格好良くて幸せ」
    「へぇ、悠仁君たら面食い〜」
    「見た目の話じゃねぇし。最強なとことか優しいとことか、全部かっけぇなって思うもん」
    「優しい〜?誰の話してんの悠仁」
     我ながら優しいとは微塵も思わない。顔を顰めると、悠仁が眉を下げた。
    「先生の話だよ。だって先生、甘やかすんじゃなくて、本当に駄目なことはちゃんと駄目って教えてくれるじゃん」
     果たしてそれは何のことだろう。首を傾げる五条に悠仁は「ネックガードのこと」と答えた。
    「あー……悠仁がまんまと騙された呪詛師の一件ね。足悪い爺さん助けたら実は呪詛師でしたぁってやつねはいはい」
    「あん時も先生、叱ってくれたじゃん」
    「……めちゃくちゃ私情入ってたけどね」
     悠仁を誰にも渡したくない。誰にも番にさせたくない。その思いが強すぎてあの時は余計なことまで言ってしまった。挙げ句、生徒の悠仁に慰められるなんて格好悪いにもほどがある。
     ただ、言い訳をさせてもらうなら、あの時は自分でも信じられないくらいに動揺していた。頸のこともだが、そもそも呪詛師に狙われたと連絡が入った時から悠仁の無事を確かめるまで生きた心地がしなかった。悠仁が早々に負けるとは思っていないし、そんな鍛え方をした覚えはないけれど、それとこれとは別だった。
    「やっぱ僕ダサくない?」
    「ダサくないって。助けに来てくれた時無茶苦茶ホッとしたし、呪詛師のこと一瞬で吹っ飛ばしたじゃん?カッケーって思ったもん」
    「…………」
     不覚にも嬉しい。どんな形であれやはり好きな子からの「カッコいい」は格別だ。ニヤけてしまう顔を見せないように噛み殺す。
    「殺気っつーかプレッシャーはやばかったけど……いや、その後抱きしめられた方がやばかったか」
    「えっ、なになにドキドキした?ときめいた?」
    「露骨に嬉しそうにすんじゃん。あ、そういや先生さ、あん時なんて言ってたの?」
    「ん?僕なんか言ってた?」
    「うん。ぎゅーってした後なんか言ってたよ」
    「ぎゅーだって、かんわい〜」
    「先生!」
    「え〜だって覚えてないもーん」
    「………先生適当言ってるだろ」
    「ふふ〜さあね」
     覚えていないのは本当。けれどあの状況下で自分が何を言ったかは想像がつく。
    「悠仁が好き〜って言ったかもよ?」
    「絶対今考えたじゃん!」
     不満げに尖らせた唇があまりに可愛くて、考えるより先に自分のそれと重ねた。
     あたたかな体温にきっとあの時と同じーー「いきてる」と思った。


    END




    ・ちょっと弱ってる(?)五
    ・それを甘やかす悠仁



    後日談 その一


     あ、きた。夢うつつにそう思い、目は開けずに意識だけを覚ます。耳をすませばカラカラと窓が開き、ふわっと風が吹いた。それに一歩遅れ、何かが入ってくる気配がした。音はしない。いつもそうだ。その何かはベッドへと真っ直ぐに来て、枕元に立つ。
     そして何も言わず、じっと見つめる。飽きもせずにずっと。
     本当にずっと見られるため、大体我慢比べに負けた悠仁が寝返りを打ち、そこで終わる。次の瞬間にはその何かは消えていて、また悠仁一人に戻っているのだ。いつもそうーーだけど、今日は違う。
    「せんせ」
     暗闇に呼びかけながら目を開ける。そのまま上半身を起こせば、枕元にいた何か、もとい五条が半歩下がった。戸惑う空気が漂う。
     こんな時間に何かあったん?とか、一緒に寝る?とか、言葉は浮かんでも言えなかった。見上げた先にいた五条の顔が月明かりでも分かるほど酷い顔だったのだ。
     どこかで見たことがあるなと考え、思い当たる。悪いことが見つかり、叱られる前の子供だ。
     しかし悠仁は五条を叱る気はない。代わりにもう一度呼んだ。先生ではなく「先輩」と。なんとなく、今ここにいるのは先輩だと思った。
    「どうしたの先輩」
    「………ゆうじ」
    「うん。なに?」
    「…………」
     五条が落ち着かない様子で視線を彷徨わせる。珍しい。自信が服を着ているような人なのに。
     次の言葉を探していると、「ごめん」と謝られた。絞り出したような声だった。
     何となくそれが幼く聞こえ、悠仁は両手を広げた。
    「先輩、きて」
     おいで、ではなくそう言えば、五条がこれまた珍しく躊躇しながらこちらへ来た。いつもなら軽トラかと言いたくなるほど勢いよく飛び込んでくるのに。それはお互い様だが。
     恐々と抱きつかれて少し笑う。あまりにも五条らしくない。でもきっとこれも五条だ。五条が悠仁に内緒にしていた一面だ。

     始まりは、番ってから一週間ほど経った頃のことだった。
     その頃の五条はヒートの間の休みを埋めるように毎日任務に忙殺されていた。日中高専にいることは殆ど無く、悠仁も一日のうちどこかでほんの少し会えれば今日はラッキー!くらいに思っていた。
     そんな中、真夜中に五条が部屋を訪ねてきた。その時は眠っていたため確証がなかったが、何度も繰り返されれば流石に分かる。五条が来るのはいつも夜だ。闇世に紛れてやって来ては去る。目的も理由も分からないし、そもそも本当に始まりがその頃かどうかすら悠仁には分からなかった。
     そんな状態が続き、いい加減に決着をつけたくて今日初めて話しかけたのだった。

    「ね、先輩。何でたまに俺のとこ来てたの?来ても黙って帰っちゃうのは、どうして?」
     五条を抱きしめたまま問いかける。少しの沈黙の後、五条は身じろぎして身体を離した。
    「やっぱり起きてたのか」
    「最初は夢だと思ったよ。でもよくよく考えたら先輩の匂いが残ってるから夢じゃないと思って」
     そうなると疑問が沢山出てくる。なぜ来るのか。なぜ何も話さないのか。どうして欲しいのか。
    「考えても理由が分かんないし、もしかしたら病気かもって家入先生のとこも行った。揶揄われたけど」
    「何て言われた?」
    「『幽霊の仕業だ』って。夏油先生も言ってた。久々に幽霊出現だなって」
    「…………」
     五条が苦々しい顔をする。「違う」と否定しないあたり、心当たりはあるようだ。
    「先輩幽霊なん?」
    「どっちかというと怨霊だな。先祖に似たんだろ」
     五条は深く息を吐いて、それからまた「ごめん」と言った。
    「俺に会いたかったん?」
    「そうとも言える」
    「……そう言わなかったら?」
    「オマエが……悠仁がいきてるか、ここにいるか、みにきた」
     言われてあぁ、と納得した。どこかでそうじゃないかと思っていた。五条が来る時は大抵怪我をしたり、任務で何かあった時だったから。今日もそう。服で隠れているけれど、胸部には包帯が巻かれている。
     そっとそこを手で押さえれば、やはり知っているらしい五条の顔が曇った。
    「大丈夫だよ。大したことなかったし」
    「知ってる。悠仁がもうそんなに弱くないってことは分かってる」
     それでも、ということなのだろう。こういうことは一筋縄ではいかないのが常だ。
     そしてふと思い出す。
    「あのさ、もしかして一緒に寝る時に俺を離さないのも同じ理由だったりする?」
    「…………そうだけど、そっちはそれだけが理由じゃない。俺が悠仁を抱き締めて寝たいだけ」
     思わぬ惚気に頬が染まる。たまに来るストレートな愛情表現は本当に心臓に悪い。ドキドキする。が、今はそうではなくて。
    「ごめん、不安にさせて」
    「馬鹿。お前が謝ることじゃねぇよ。俺の、自業自得だ」
     過去の報いだと五条は言う。悠仁を傷つけて殺したことへの報いだと。
     悠仁にしてみれば、そんな報いは存在しない。確かに五条にも責められる謂れはあるかもしれないが、当事者の悠仁は五条を責める気などなかった。
     けれど、いくら五条に「もういいよ」と言っても仕方のないことだとも分かっていた。これは五条の問題だ。
     たとえ一緒に眠る時、片時も離すまいと抱き締められても。時折息をしているか確認されても。一緒にいられない時にこうして部屋へ来られても。
     悠仁はただ、五条を抱き締めるしかない。抱き締めて、その名前を呼ぶしかない。
     もどかしい。でも、同じくらい愛おしかった。最強のこの人でも怖いものがあるのだ。
    「ね、悟さん。いつでも来ていいからさ、今度から起こしてよ。それから一緒に寝よ。ベッド狭いけどその分くっつけるしさ、俺もその方が嬉しい」
    「はー………悠仁は僕を甘やかす天才だよね」
    「それかあの部屋で寝るようにしようか?あっちの方がベッド広いし……や、それなら先生の部屋の方が広いか。でも流石に職員寮は叱られる?」
    「僕を叱れるのなんて悠仁ぐらいだよ」
    「それは嘘でしょ。夜蛾先生いるし。あと夏油先生も」
    「……そりゃそうだ」
     ふふっと五条が笑い、悠仁もンフッと笑みを溢す。ひとしきり笑い合った後、悠仁は布団を捲った。
    「寝よっか」
     五条は小さく頷いて隣に入って来た。シングルベッドに男二人は狭い。しかも二人揃って体格がいいこともあり、ベッドがギシギシと音を立てている。
    「壊れるかな」
    「壊れたら新しいの買いに行こ。海外製のオーダーメイドにしようね。僕も寝られるやつ」
    「ここに入らんて」
     クスクスと笑いながらピッタリとくっつく。触れたそばから体温が混ざり、フェロモンが香り立つ。二人の匂いだ。
    「おやすみ。悟さん」
    「……おやすみ、悠仁」
     いい夢を。囁く声に促され、悠仁は再び夢の世界へと旅立った。五条も連れて行けたらいいのに、と思いながら。


    END




    ・巣作り
    ・悠仁視点→五条視点
    ・ちょっと悠仁が寂しい思いをしますがハピエンです



    後日談 その二


     それは五条と番ってから約半年を過ぎた、ある日のことだった。

    「長期出張?」
    「そう。予定だと二週間」
    「へぇ結構長いね。俺が知ってる限り最長かな」
    「うん。だからさ、僕呪術師辞めてやろうかなって」
     真顔でとんでもないことを言う五条に苦笑しつつ、「こらこら」と諫める。
    「先生にしか出来ないってことでしょ。俺も追いつけるように頑張るからさ、今は待っててよ」
    「……じゃあしばらく会えないぶん充電させて」
     じゃあって何だ。とは言えず、悠仁は五条に求められるまま普段より濃密に、そして執拗にベッドの中で愛された。
     その後は「嫌だ嫌だ電波入らないとか悠仁と連絡取れなくなる絶対ヤダ」「出張とかもっと暇な奴に行かせりゃいいじゃん」「もうこうなったら悠仁も実地訓練として行こう」と駄々を捏ねる五条を何とか宥めすかして送り出した。
     もう十日ほど前のことだ。


     その日の授業が終わった放課後、悠仁は一人、職員寮へと足を踏み入れた。
    「わざわざここに住んでるのなんて僕と傑くらいだよ」
     以前そう五条が零していた通り、職員寮には人気がない。特に端っこの五条の部屋周辺は主が不在なこともあって静まりかえっていた。
     そのドアの前に立ち、鍵を取り出す。いつかの時に五条からシロクマのキーホルダーと共に半ば無理矢理渡されたものだ。おかげでシロクマには自室と例の番った部屋、そして五条の部屋の計三つの鍵がぶら下がっている。
    「今まで使ったことなかったんだけどなぁ」
     ここ最近の使用頻度は自室と変わらず、ほぼ毎日だ。いつもは夜だが今日は放課後の任務の予定が同行する補助監督の都合がつかず延期となり暇ができたため、この時間に来た。たまにある。何せ呪術界は万年人手不足なのだ。
     中でも五条は群を抜いて忙しい。それは悠仁とて分かっているし、今回も任務地の関係で連絡が途絶えるかもしれないと聞かされていた。
     実際、五条と最後に話したのは一週間ほど前だ。それも電話口でほんの数十秒。
    「ごめん、この後しばらく連絡取れないかも」
     口早にそう言われ、続けて「ホントごめん。でもちゃんと帰るから」と言われたら、ありとあらゆる言葉を飲み込み「応!先生も気をつけてな!」と返すしかなかった。それ以降、メッセージも含めてやり取りは途絶えている。
     仕方がない。そういうことはままあるし、呪術師なんてそんなものだ。それは分かっていた。
     ただ、それを納得していたかどうかは別問題で、だからこの悪癖も始まってしまったのだろう。
     もう慣れたはずなのに鍵を持つ手が震えるのもそのせいだ。でも、今更止められるわけもなく、鍵を開けて素早く中へ入る。
     入った瞬間、五条の匂いがした。自室やあの部屋だと少なからず自分の匂いが混ざっているため、こんなにも五条のだけというのはここだけだ。
     思わずそのまま何度か深呼吸すると、肺いっぱいに大好きな香りが広がった。
     安心する。好きだと思う。幸せな気持ちになる。
     けれど同時に、どうしようもなく寂しかった。本人がここにいないことが寂しくて、怖くて仕方がなかった。

     もしまた五条がいなくなったら、
     また恋人に忘れられたら、
     また、番に捨てられたらーーー

    「っあーやめやめ!もうやめ!」
     想像するだけでぎゅうっと心臓が縮み上がり、慌てて思考を散らした。どうもここ最近ろくなことしか考えない。理由は言うまでもなく、五条と会えていないからだろう。
    「仕方ねぇよな。先生は、忙しいんだから」
     言い聞かせるように零しつつ、いつものようにまずは持ってきた服をベッドの隅に置いた。今日は自室にあった五条のTシャツだ。続いてクローゼットを開けて中を物色する。
    「んー上着かなぁ……靴下も捨てがたいけどもうあるし」
     目ぼしいものを二つ三つ取り出し、ベッドの上にそっと並べる。普段五条が寝ているそこには、すでに服が積み上げられていた。
     巣だ。オメガがアルファや自分のものを集めて作る、どこよりも安心できる場所。アルファへの愛が詰まった場所。それが今、五条のベッドの上にあった。

     始まりは一週間前。五条からしばらく連絡出来ないと言われたあと、なんとなくこの部屋に来た時だ。五条のスウェットがベッドの上に放置されていたのを見つけ、何となしに手に取った。
    「先生相当急いでたんかな……てかデケェなやっぱ」
     試しに胸に当てて合わせてみたが、まず腕が長い。あと丈も長く、肩幅もある。いくら筋肉質だと自負している悠仁とてそれは大きかった。
    「先輩の時はちょい大きいぐらいだったのに……」
     そのまま無意識に服を抱きしめると、ふわりと匂いが香った。好きだなと思い、それから欲しいなと思った。
     よぎったのは巣作りだ。
     悠仁が巣作りをしたのは前世での一度きりだった。五条に突き放されて一人でヒートを迎えるために作ったが、それは五条に壊された。蹴り飛ばされ、「気色悪い」とまで言われた。
    「……やっぱ、嫌がるかな」
     あの時の行動がどこまで五条の本心か分からない。悠仁を愛していることとオメガに嫌悪を抱いているのは別の話だ。
     でも欲しい。五条の匂いのついたものが、今は欲しくてたまらない。
    「ごめん、先生……せめて、これだけ……」
     あとで洗って返すから。今だけだから。そう言い訳をしながら、その日悠仁は五条のベッドの上で、五条のスウェットを抱いて眠った。

     それからだ。次の日も、その次の日も悠仁の足は五条の部屋に向いた。訪れるたびに抱く服は増えていき、そのうち自室やあの部屋からも五条の服を持ち込んだ。それらは日々形を変えつつも巣となり、悠仁にとっては欠かせないものへとなった。
     よくないことをしている自覚はある。主のいない部屋に勝手に入り、ベッドの上で五条が嫌がるだろう巣を作っている。ひどい恋人だ。最低なオメガだ。
     けれど、こうでもしないとこの孤独をやり過ごせそうになかった。
    「ごめんな、先生……帰ってくるまでには、壊すから」
     もう何度目かの謝罪をしながら、今日選んだ服を巣に組み込み、真ん中に寝そべる。抱きしめるのは最初に手に取ったあのスウェットだ。そうして赤ん坊が眠るように縮こまるような体勢で息を潜め、時間が過ぎるのを待つ。
     そうするようになってから一週間。五条がいなくなってからは十日。帰ってくるまであと四日。今世で五条に助けられて以来、これほど離れたのは初めてだった。
    「会いたいなぁ……」
     目を閉じてその姿を思い出す。悠仁、と呼ぶ声を。頭を撫でる大きな手を。抱きついた時の厚みを。優しくも強い眼差しを。
     好き、愛してると囁いてくるフェロモンをーーー。

    「ぁ…」
     どくん。心臓が一際大きく鳴った。カタカタと手足が震えだし、息が乱れた。急激に体温の上がっていく。この感じは覚えがあった。
     ヒートだ。
    「ぁ、な、なんで……っまだ、来ないはずなのに……!」
     予定ではあと半月はある。それが分かっているから五条も渋々ながらも出張へ行ったというのに。
     否、だからこそヒートになったのか。五条が出張で、番のフェロモンが不足したからこそヒートが呼び起こされたのか。
    「くそっ…」
     とにかくあの部屋へ行こう。いくら五条にしかフェロモンが効かないとはいえ、ヒートで乱れた姿を誰にも見られたくない。それに五条が帰ってきた時にこの巣を見られたら、きっと嫌われる。きっと捨てられる。「何してんだ」って蹴り飛ばされて壊される。
    「ぅぁっ、ぁ……」
     想像しただけで寒気が止まらない。現実になってしまう前に早くこれを壊して出ていかなければ。そう思えば思うほど動きは緩慢になっていく。自分で動くのは難しいかもしれない。
     せめてと伸ばした手でスマホを掴み、メッセージを送る。宛先は五条ーーは連絡がつかないため、担任の夏油だ。何かあったら報告連絡相談、略してホウレンソウを徹底されている。
    『ひーと せんせいのへや』
     これだけでも夏油ならば対処してくれるだろう。
     五条が帰るまであと四日。それまでにこの巣を壊さなければ。
     震える手を伸ばしたのが、最後の記憶だった。





     悠仁にヒートがきた。五条はその知らせを電話でもメッセージでもなく、夏油が使役している呪霊から受け取った。五条自身もまさに呪霊を討伐し終わったところだった。
     手紙というより走り書きで書かれたメモを受け取ると呪霊はシュルシュル音を立てて消えた。便利なものだ。
    「にしても早いな。やっぱりこの長期出張が原因か」
     悠仁にとってはもう三回目となるヒートだが、ヒート前に十日以上離れていたのはこれが初めてだ。きっと寂しくて不安になった分だけ早くヒートが来たのだろう。可哀想なことをしてしまった。
    「ってわけで僕と悠仁は今から一週間休むから。諸々頼んだよ、伊地知」
     運転席から「五条さん!?」と焦った声がしたが知ったことか。こっちは愛しの番が待っているのだ。
     一番近い中継ポイントまで急がせ、そこからは一気に高専まで飛んだ。一秒だって無駄にしたくなかった。

     ヒートの時はあの部屋で過ごす。それが五条と悠仁の間に自然と出来た約束事だった。そうでなくてもあそこは二人が番った思い出の部屋だ。一緒に食事をしたり、新たに設置したベッドで抱き合いながら眠ったり。高専内でイチャつくにはもってこいの場所だった。
     しかし今回は様子が違った。五条にしか分からない匂いはあの部屋がある学生寮からではなく、向かいの職員寮の隅、五条の自室からしていた。
    「傑が言ってたのはこういうことか……」
     足早に自室へと向かった五条は、立ち込める匂いに思わず立ち止まった。悠仁が五条を求めている匂いだ。それはあの時ーー悠仁を一人置き去りにしてしまったあのヒートの時に感じたものに似ている。
     寂しい。苦しい。悲しい。フェロモンはそう訴えていた。
    「っ悠仁…!」
     堪らず部屋に飛び込めば、もっと濃厚な香りが鼻腔に飛び込んできた。同じように五条もフェロモンを出しながら、ベッドに駆け寄る。そこには服の山が出来上がっていた。
     巣だ。オメガが作る、アルファへの求愛行為の一種。五条がそれを見るのは二度目だった。
    「……」
     一度目の苦い記憶が鮮明に甦る。あの時はこれが巣だとは知らず、勝手に自分の衣服を引っ張り出されたことに腹を立て、壊した。最低最悪のアルファだった。あの時の悠仁にとって、あの巣は最後の砦だっただろうに。
     思い出して拳を握る。よくあんなことが出来たなと思った。この巣を壊そうなんて思いつきもしない。だって、大事な番が自分の匂いに包まれて発情を迎えているのだ。こんなにも愛おしいことはない。
     悠仁、と極力優しく呼び掛けながらフェロモンを出せば、その服の山から悠仁がそっと顔を覗かせた。
    「ただいま。待たせてごめん」
    「ぁ……きて、くれたぁ…」
     とろりと蕩けた瞳の悠仁が手を伸ばしてくる。その手を掴もうとした時だ。
    「っぁ…!」
     ビクッと悠仁が震えたかと思うと、慌てて体を起こし、自らの手で巣を壊し始めた。
    「悠仁!?どうし、」
    「ご、ごめ…っ…いま、か、かたづけるから…っぅぁっ、いなくならんで……っきら、きらいに、ならないで…!」
     悠仁は真っ赤な目からポロポロと涙を流しながら巣に手をかけた。壊したくないだろうに、壊さないとアルファに嫌われる、居なくなると思い込んでいるのだ。あの時の五条の行いのせいで。
     ぶるぶると震えるその手を、五条はそっと掴んだ。
    「大丈夫。嫌いになんてならないし、ずっと一緒にいる。だから、大事な僕ら巣を壊さないでいいよ」
    「…ぁ…」
    「ごめん。あの時の僕はーー俺は、オメガが巣作りすることも、悠仁が一生懸命作ってくれたものだってことも知らなかったんだ。馬鹿だったから……こんな素敵な巣を壊すなんて、ホント、どうしようもない馬鹿だ」
    「っ……ほんとに…?いやじゃないの……?」
     不安げに瞳を揺らしながら問いかけてくる悠仁を抱き締める。
    「嫌なわけない。すごく嬉しい。上手に巣作り出来たな。ありがとう、悠仁」
     安心させるようにそう囁けば、悠仁がぐずぐずと啜り泣く。きっとずっと我慢していたのだ。
    「ぅぁっ……おれ…そばに、いないのが…こ、こわくて…っ」
    「うん。寂しかったんだよな」
    「ん…っさいしょ、は……ひとつで、よかったのに……だんだん、もっとって……だめだって、いやがるって…おれ、しってたのに……」
    「ごめんな、嫌じゃないってちゃんと言えばよ……ううん、悠仁と一緒にいればよかったんだよな。そばにいて、俺が抱き締めればよかったのに……ごめん、ごめんな、悠仁…ッ」
     番から酷い扱いを受け、威嚇フェロモンで攻撃され、心身共に弱り切った中で最後に縋った巣を壊された。それは悠仁にとって深い傷になっている。当然だ。その時の悠仁の気持ちを考えるだけでゾッとする。
     何度悔いても、頭の中で何度過去の自分を殺しても足りない。そのくせまた性懲りも無く番になり、こうして泣かしているのだから、どうしようもないクズだ。それでも悠仁を手放せない、最低のアルファだ。
     抱きしめる腕に力を入れると、何かを察したのか悠仁が首を振った。
    「きてくれたから……もういーよ」
    「悠仁……」
     辛さも寂しさも全部自分の中に押し込めて許してしまうのがこの子だ。そうさせたのは五条だ。
     ごめんともう一度謝った後、その身を離す。
    「もし、悠仁が嫌じゃなければ、お前の作った巣の中に俺を入れて欲しい。駄目か?」
    「ん…ダメじゃないから……きて、せんぱい」
     おずおずと悠仁が五条の手を握り、広げられた服の上に誘導する。服で形取られた壁の真ん中に並んで寝転がった。
    「すげぇな、俺の匂いだらけ」
     五条が日頃着ている服をはじめ、私服に靴下やタオル、下着が絡まりながら並べ積まれている。この部屋だけじゃなく、他の部屋からも持ってきたようだ。
     確かにここは五条の匂いが強い。けれど、悠仁のフェロモンもあった。期待、興奮、寂しさ、不安、希望。色んなものが混じり合った匂いがしている。その中でも特に強く感じる匂いに、五条は口元を緩めた。
    「これ、俺のことを考えながら作った?俺にどう抱いて欲しいか、どうされたいかって」
     少しの沈黙の後、悠仁が静かに頷いた。頬どころか耳まで赤くなっていて、あまりの愛おしさに心臓が痛かった。なんだこの可愛い奴は。
     堪らず抱き寄せてキスをする。軽くのつもりだったが、悠仁が自ら口を開けてきたため、遠慮なく舌を絡めて唾液を啜った。
     口付けは十日ぶりだ。互いに夢中で唇を貪っていると、悠仁が足を擦り合わせだす。それを目の端に捉えつつ更に深く口内を犯せば、悠仁の身体がビクビクッと震えた。その瞬間、むせ返るほどの匂いが充満する。悠仁の匂いだ。
     名残惜しくも唇を離せば、絶頂直後のドロリと蕩けた瞳と目があった。
    「そんなに気持ちよかった?」
    「……せんぱいはよくなかったの?」
    「拗ねんなよ。ほら、これ分かるだろ」
     腰を引き寄せ、すっかり反応している下腹部を押し当てる。布越しでも分かるその熱に悠仁が頬を染めながらごくりと唾を飲み込んだ。
    「ふはっ、欲しいって顔してる。可愛いな」
    「ん……せんぱい」
    「それもいいけど、二人きりの時は何て呼ぶんだった?」
    「ぅ……さ…さとるさん」
    「正解」
     身体を起こし、巣を崩さないよう気をつけながら悠仁に覆い被さる。おずおずと見上げてくる悠仁が可愛くて、愛おしくて堪らなかった。この子が自分の番で幸せだと、悠仁もそうであってくれと、心底そう思った。
    「悠仁。素敵な巣を作ってくれてありがとう。遅くなったけど、これからめいっぱい愛させて。幸せなヒートにしような」
    「っ……ん、さとるさん……して、いっぱい……」
     すき。だいすき。
     辿々しくそう言った唇を塞ぎ、五条は甘やかなフェロモンを出した。
     
     二人のヒートはまだ始まったばかりだ。


    END

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