求愛はおわらない・Pixiv掲載の「求愛」の後日談三本
・いずれも五悠の子(名前なし)が話題に出てきます
・それぞれの冒頭の注意書きを必ずお読みください
*
後日談 その一
※夏油、七海、灰原が五条を訪ねてくる話
※悠仁視点
「はぁ〜あったけぇ〜」
縁側へ豪快に寝そべる。頭上の辺りではコロコロと子が転がっていた。最近はこうして縁側で日向ぼっこをするのが日課で、いつもは悟くんも一緒だ。でも今日はいない。来客があるのだ。
「すっっっげぇ面倒くさい奴らだから、悠仁はあの子と一緒に部屋にいて。絶対出ないで。いい?誰が来ても何が合っても無視していいから」
ね?と念を押してきた時の圧といったら。相当大変な相手らしい。そういうことは時々あるし、俺を来客に会わせたがらないのは通常運転って感じだから何も思わない。ただ、面倒だというわりにちゃんと自分で応対するのはちょっとだけ引っ掛かった。大抵あれこれ理由をつけては家の誰かに投げていると本人も言っていたのに。
「そんな大変な相手なんかなあ……ん?」
ぼんやり庭を眺めていると、ふいに人影が現れた。馴染みの庭師や使用人ではなく、外見に見覚えもない。
「こんちはー!」
考えるより先に声を掛けた。向こうはびっくりした顔で固まったが、すぐに「こんにちは」と返してくれた。悟くんみたいに耳心地の良い声だ。それによく見ると若い。悟くんと同じくらいか。
「あっ、もしかして悟くんのお客さん?部屋分かんなくなった?」
「………そうなんだ。トイレを借りたら帰り方が分からなくなってね」
「んはは、ここでっかいから迷うよな〜俺も未だに迷子になる時あるし。よかったら母屋まで案内するよ」
言ってから、悟くんの「誰が来ても無視して」の言葉を思い出す。多分、いや確実にこの状況は怒られるやつだ。やべぇと思ったけど、その男の人を呼んだ後だし、何より困ってる人を放っておきたくない。
人を呼ぼうかと迷っていると、いつの間にかそばまで来ていたその黒髪の人がにっこりと微笑んだ。
「私は夏油。悟の友人なんだ」
「悟くんの友達!?」
飛び上がるかと思った。悟くんから友達の話は一度も聞いたことがなかったし、家に招いたことも俺が知る限りない。というより、家庭教師を雇っているからあんまり学校へは行っていないと聞いていた。
じゃあこの人はどういう繋がりなんだろう。そう思ったのが顔に出たのか、夏油さんは「高校の頃のね」と言った。
「ちょうど去年の今頃かな。それまで殆ど学校に来ていなかった悟が登校するようになって、そこから十二月くらいまでは交流があったんだ。でもある日を境に全く来なくなってそのまま卒業してしまったから、今日は後輩も連れて様子を見に来たんだよ」
「あー……ごめん。それ俺のせいかも」
「君の?」
「うん。ちょっと、その頃いろいろあって……」
さすがに番った経緯とかその後のことを話すのは躊躇する。俺だけの話じゃないし。
口籠った俺に夏油さんはそれ以上聞かず、ただ「君が悟の番なのか」と呟いた。
「あっそれ知ってるんだ」
「……少しだけ。じゃあ、その子は君と悟との?」
「うん。もうすぐ六ヶ月になるんだ」
「へぇ、可愛い子だね」
「でしょ!?最近ますます悟くんに似てきてんだよね〜!動くの好きなのかいっつもコロコロしてるしほんっと可愛くてさ〜」
寄ってきた我が子を抱っこし、夏油さんに見せる。「ほら可愛いっしょ」と言ったあたりで俺しか喋っていないと気がついた。
「あ、ごめん。つい親バカしちゃった。普段あんま他の人と話す機会が無いから」
「話す機会がない……?」
夏油さんの眉が寄った。おまけにじっと俺を見て、それから部屋を見渡している。あれ、なんかマズったかな。
「悟の番への執着を考えると正直やるだろうとは思っていたが……まさかね」
「んん?なにが?」
「監禁、いや軟禁か。大丈夫、悟の友人とはいえちゃんと証言するから安心して。警察へ行くなら付き添うよ。あぁ、弁護士の方がいいかな」
「いや待って待って、別に閉じ込められてないって!そりゃ確かにあんま外に出してくれないし、出かける時は絶対悟くんが一緒でネックガードも必須だけど、でも監禁ってわけじゃないし……」
言えば言うほど夏油さんから表情が消えた。これはもう手遅れだ、みたいな顔をしないでほしい。
「ほんと、色々あったから心配してくれてるっていうか、ちょっと過保護になってるだけだよ。ほら、そういうのが強いアルファっているっしょ?」
「いるけど…………君、騙されてない?」
「んははっ!まあ、側から見たらそうかも」
実際アルファによるオメガの監禁はたまに聞く。大体は悟くんみたいに「外は危ないから手元に置きたい」って過保護になってるパターンだ。外との接触が減るから、第三者からするとアルファがオメガを閉じ込めているみたいに見えるだろう。
俺も自分がアルファの頃はそう思ってた。狭い鳥籠に閉じ込められて可哀想だと。
「んでもね、俺、いまのこの感じが嫌じゃないんだ。悟くんとこの子がいて、この家の人達もいて。退屈な日がないくらい、みんなで沢山笑って、いろんなことを経験して……毎日すっげぇ楽しいよ」
「ここを出たいとは思わないの?」
「うん。全然。ここは悟くんが俺のために作ってくれた巣だから」
「…………君は、」
「悠仁!」
大きな声で呼ばれ、顔を上げた。予想通り、そこにいたのは悟くんだった。
「やーっぱりここにいたな、傑」
「や」
手を上げて応えた夏油さんにチッと大きく舌打ちを返すと、俺と夏油さんの間に割り込んできた。
「偶然だよ、偶然」
「どの顔で……悠仁も、誰が来ても無視しろって言ったのに」
「ごめん。でも夏油さんが迷ってるみたいだったから」
これもまた予想通りぎゅうっと悟くんが顔を顰める。何か言いたげだけど、何も言わない。仕方ねぇなって顔をするだけ。俺がしたくてしたことを出来る限り尊重してくれているのだ。
「ありがと、悟くん」
「………」
悟くんはやっぱり何も言わない。代わりに抱いていた子の手を取り、「今度から悠仁のこと見張っとけよ」と溢した。可愛い二人に思わず笑った時だ。「わっ!」と声がした。悟くんの身体から顔を覗かせると、向こうに二人立っているのが見えた。
「見て七海!五条先輩にそっくり!」
「遺伝子が強すぎる……」
「悟くんの友達?」
「んや、後輩」
七海さんと灰原さんと名乗った二人は、夏油さんと一緒に悟くんに会いに来たらしい。まさか悟くんに仲の良い後輩がいたなんてびっくりだし、しかも心配してわざわざ来てくれるなんてちょっと、いやかなり嬉しい。
「よかったね、悟くん」
「絶対勘違いしてるだろうから言うけど、コイツら多分面白半分で来てるよ」
「失礼だな悟。私たちは君が連絡も寄越さないから心配してきたんじゃないか。なあ灰原」
「はい!番に振られたショックで寝込んでるとこ撮ってきてって家入先輩にも言われました!」
「やっぱ面白半分じゃねぇか。つーか硝子もなに頼んでんだよ」
ポンポンと進む会話からしても本当に仲が良いんだろう。なんとなく嬉しくて顔が緩んでしまう。悟くんは「もう気が済んだだろ。帰れ」なんて言ってるけど。
「ねぇ悟くん。どうせなら昼みんなで食べん?」
「ちょ、悠仁っ?」
せっかく来てくれたしというのと、俺の知らない悟くんをもっと見たくてそう提案した。我ながら名案だ。
「何にする?今日はちょっと暑いからそうめんとか?あ、昨日作った唐揚げ残ってたよね。一緒に出そっか」
「はぁ?やだ。あれ悠仁のお手製じゃん。全部俺のだし」
「もーそういうの言わんで。悟くんはこの子お願い。板場のおっちゃんたちにもお願いしてくんね!」
子どもを悟くんに預け、早速母屋の方へと駆けていく。背中から「悠仁!」と呼ばれたから、振り返らずに手だけ上げておいた。
*
「良い子だね」
「ンな当たり前の感想は聞いてない。傑、最初からこれが目的だったろ」
「だから偶然だって」
「わざわざ靴持ち出してる時点で計画的だろぉが」
「君のオメガはその辺ちょっと警戒心が足りないよね。泥棒にも茶を出しそうだ」
「代わりに俺が煮え湯ぶっ掛けてやるからいいんだよ」
「過保護も行き過ぎると束縛になって嫌われるよ」
「…………」
「あ、ショック受けてる」
*
終わってみるとその日は一日中賑やかだった。一緒に昼を食べて、子どもがお昼寝している間に悟くんの高校時代の話を沢山聞いた。悟くんは「おいやめろ」「外出ろ七海」「話を盛るな」と怒っていて、でもそのうち「悠仁、こいつらの言うことは真に受けないで」「ちょっ、マジで勘弁して」と嘆いていた。絡まれて喧嘩したくらい可愛いもんなのにな。
子どもが目を覚ましたあとは縁側で遊んでもらった。大人に囲まれるのは慣れてるし、みんな優しいからかずっと上機嫌だった。
面白かったのは子どもが悟くんに似てるって話になった時だ。
「本当、悟にそっくり。性格は是非虎杖君似だといいね」
「あ、でも笑うと虎杖君に似てないかな?ねっ七海!」
「確かに笑った時の口元は似てますね、虎杖君に」
夏油さん達が口々に言うと、悟くんはムッとした。
「悠仁はもう『虎杖』じゃなくて『五条』なんだけど?」
「『五条』は悟と紛らわしいし、『悠仁』は君が嫌がったから『虎杖』にしたんじゃないか」
「……他にもあるだろ」
「あだ名とか?」
「ちがっ……ほら、悠仁は俺の番で、パートナーなわけだろ。だから、ほら、あるじゃん……お、奥さん、とか」
あの時のみんなのうわぁって顔は忘れられないし、結局最後まで「虎杖君」って呼ばれたのもおかしかった。
みんなでワイワイやっているうちにお別れの時間になった。七海さんと灰原さんは寮生だから門限があるらしかった。「また今度」の約束をして別れたら、何だか少し寂しくなった。子どもが寝たら尚更。
静かになった縁側でぼーっと夜空を眺めていると、ふいに背中に温もりを感じた。悟くんだ。
「冷えるよ」
「悟くんが来てくれると思ったから」
「……そういうのどこで覚えてくんの」
ちょっと不満そうに、でも満更でもない様子の悟くんに声を出して笑う。そんな俺を悟くんが後ろから抱えるようにして膝の上に乗せた。
「重くない?」
「ない。寧ろずっとこうしてたい。今日はあんま悠仁とこういうの出来てないし」
「みんないたもんね」
さすがに悟くんの友達の前でいつもみたいにくっつけない。当の悟くんは気にせず、というよりいつもに増してくっついてきたけど。
「今日は楽しかったね」
「煩くなかったか?」
「全然!こういう感じ久々で嬉しかったし、チビとも遊んでくれてありがたかったよ。良い人たちだよな」
「……あいつら揃いも揃って癖が強いんだよ。余計なことまで言いやがって」
「んははっ!俺は色々聞けて嬉しかったなぁ。悟くんの武勇伝とか、モテエピソードとか」
「っそれだよそれ。言っとくけど俺は全部無視してたし、一度も受けたことはなかったからな。勘違いしないように」
「しないよ。……だって悟くん、俺のことずっと捜してくれてたんだろ」
後ろで悟くんが息を詰めた。しばらく黙ったかと思うと、唸るような声で「傑だな」と呟いた。
当たりだった。悟くんが席を外した時に「長居したお詫びに」と教えてもらったのだ。
悟くんが番である俺の行方を捜していたこと。夏油さんから見ても俺への執着が強かったこと。それを悟くんは自覚していなかったこと。そしてあの頃、限界だったのは悟くんもだったこと。
「マジで余計なこと言いやがって……」
「余計じゃないって。俺、全然知らなかったから、悟くんが俺を忘れてなかったって聞いて嬉しかったよ。具合悪かったってのは心配だけどさ。……ありがと、悟くん」
「……礼なんて言わなくていい。体調不良だったのも自業自得だよ。あの頃の俺は救いようのないほど馬鹿だったんだ」
ごめん。耳元でそう小さく囁いた悟くんの頭を撫でる。嫌がるかと思ったけど、悟くんはされるがままだった。甘えん坊みたいでくすりと笑う。
「悟くんてこういうとこ可愛いよな。俺よりよっぽど奥さんって感じ」
「…………奥さんは悠仁じゃん」
「俺、奥さんて柄じゃなくない?」
「そういう問題じゃなくて。それとも俺の奥さんって呼ばれるの嫌?」
「嫌なわけじゃないけど、夏油さん達には『虎杖』って呼ばれた方が嬉しいかなぁ……『奥さん』だと距離あるし」
実際、この家で俺を「虎杖君」と呼ぶ人はいない。子ども含めて悟くんと同じ籍に入ったんだから当たり前だ。でも、少しだけ寂しさを感じてしまう。慣れの問題だとも思うけど。
「悟くんは俺が『奥さん』って呼ばれてて欲しい?」
「ん……ていうか、あいつらが悠仁のことを気安く呼ぶのがムカつく」
「んははっ」
まるで子どもみたいだ。悟くんも本当は呼び方なんてどうでもいいはずだ。そういうのにこだわるタイプじゃないし。ただ、どうしてもアルファとしての独占欲が出てくるんだろう。特に夏油さんはアルファだというから余計に。
夏油さん達もその辺は分かっているのか、悟くんがそういう絡みをしても険悪な空気にはならなかった。ちょっと面倒くさそうな顔をするくらいだ。
「………いいなぁ」
思わず転がり落ちた言葉に悟くんが「なにが?」と尋ねた。それは何気ない返しのようにも、あるいは緊張しているようにも聞こえた。
「んや、悟くんと夏油さん達の関係っていいなって思って。俺、今まで学校でそういう友達とかいなかったんだよね」
仲が良い奴らはそれなりにいた。でも五条家に来ることになって途切れる程度の関係だったし、それでも気にしていなかった。あの頃は悟くんがそういう友達だったから。それが今や番で人生のパートナーだからびっくりだ。
しみじみと思い返していると、悟くんが俺を抱きしめていた腕にギュッと力を込めた。
「悟くん?」
「…………あのさ。もし悠仁がそうしたいなら、七海達のいる学校に通ってみる?」
「えっ」
振り返って見上げた悟くんの顔は予想より真剣だった。
「前から考えてたんだ。お前、中学も最後一年くらいはまともに通えなかっただろ。あの学校ならうちが援助してるからある程度融通もきくし、体調とか考慮しながら通える」
「でも、あの子は?」
「日中はうちの奴らが喜んで世話するだろ。うちじゃ乳母も当たり前だしな。不安だったら週二とか三で学校へ行けばいい。俺なんて最後の年以外殆ど行ってなかったけど何とかなったし、オメガならその辺はもっと緩いはず」
オメガにはヒートがある。薬である程度コントロールできるとはいえ、三ヶ月に一回一週間程度の休みはいるし、突発的なヒートも含めると不定期に休むこともある。番がいれば誘引フェロモンの問題は無くなるし、ヒート自体も比較的軽く済むけど、ヒートが無くなるわけじゃない。オメガはそういうものだ。
だからこそ、アルファはオメガを囲う。
「悟くんは、俺が外に出てもいいの?」
「……正直に言うなら、諸手を挙げて賛成は出来ない。家の中と違って、何かあっても俺がすぐに駆けつけられるわけじゃないから。でも、悠仁がそうしたいなら俺はそれを止めない」
何かを堪えるような顔だった。悟くんにしては珍しく、滲んできたフェロモンにもそれが現れていた。きっとアルファの本能に抗っているんだろう。それでも提案してくれたのは悟くんが俺に負い目があるからだ。
そんなの気にしなくていいのに。そう言ってもきっと悟くんには届かない。これに関しては多分、俺が「その心配はいらないんだ」と示すしかないんだ。
「………分かった。考えてみる」
「ん」
「でも大丈夫かな。俺そんな頭良くないし」
「俺が教えるから心配すんな。うちに来てた頃もみてやってたろ」
「あったね〜代わりに書いてもらったら悟くんの字が達筆過ぎて先生にすぐバレた!」
「あったな」
二人で笑い合いながらあの頃の話に花を咲かせる。いつか、悟くんと過ごした全部の日がそうなればいいのにと思った。
終
*
後日談 その二
※二人のトラウマの話
※五条視点
それは前触れもなく、突然だった。
「ッ――!」
ぞわっと全身が総毛だつ。思わず立ち上がり、辺りを見回した。何事かとざわついている奴らが視界に入ったが、それだけだ。何もない。なのにどうしようもない焦燥感に駆られる。
この感じは覚えがあった。
――悠仁だ。悠仁に何かあったんだ。
すぐさま部屋を飛び出す。ついてきた奴らに車の手配と諸々への連絡を命じ、俺は悠仁の端末へかけた。電源は入っているらしい。でも出ない。持っていないのか、それとも出られない状況だとでもいうのか。
今日、悠仁は学校へ行っている。俺が卒業した高校だ。家の名前と金で諸々を解決し、特別待遇で大体週に三、四回ほど通っている。通い始めてもう数ヶ月過ぎているが、その間に何か問題が起こったことはなかった。怪しい芽は逐一報告させて摘んできたし、教師を含めて監視役もいる。そいつらからの連絡はない。
疑わしいのはヒートだけど、予定だと一ヶ月先だ。今朝見送った時もそういう兆候は無かった。突発的なヒートが来たのならそこには理由があるはずで、それは間違いなく良いことじゃない。もし、それだけ悠仁が追い詰められているのだとしたら。
「っくそ……!」
悠仁を捜すよう命じた監視役からはまだ連絡がない。いっそ校内にいる人間全員に探させればとも思うが、大事になって逆に悠仁を追い詰める結果になったら笑えない。
早く。一刻も早く悠仁の元へ。
車に乗り込み、祈るように手を組む。いつかの時とは逆だった。あの時は学校から家へ向かっていた。胸のざわつきの正体も分からないまま。
でも今はハッキリと分かっている。悠仁に何かがあったのだと。
「っ……」
もし握りしめたこの拳を振り上げるようなことが起こったのだとしまら。きっと俺は容易くその一線を越えるだろうと思った。
校内に入ってすぐ、転がり落ちるように車から飛び出した。後ろから声がかかるが知ったことか。それより悠仁だ。
ここにいるのは間違いない。微かに、本当に薄らと悠仁のフェロモンを感じる。一本の糸のように何処かへと繋がっているそれを必死に読み取り、足を進めた。見慣れたメインの校舎を通り過ぎ、あまり使われていない旧校舎の方へと向かう。周囲に人の気配はなく、これが悪意の結果だとしても犯人はこの辺りにはいないだろう。
徐々に悠仁のフェロモンが濃くなり始め、そこに滲む悠仁のリアルな感情が伝わってくる。
動揺、困惑、不安、混乱、恐怖。
そして、番を――俺を求める小さな声は、校庭の隅にあった倉庫から聞こえてきた。
「悠仁!」
脚を振りかぶり、いかにも建て付けの悪そうなドアを蹴る。派手な音を立てて蝶番が壊れ、ドアが開いた。室内は狭くて暗い。その真ん中に蹲る人影があった。
悠仁だ。あの時と重なる姿にヒュッと喉が締まった。最悪の可能性に頭の中が支配され、全身が凍りついたように動かない。
出入り口のところで呆然と立ち尽くしていると、蹲ったままの悠仁がそろりと顔を上げた。
「っひぃ……!」
悠仁が尻餅をついたまま後退る。暗がりでも分かるほどその顔は青褪め、漂うフェロモンにも恐怖がはっきりと出ていた。目も焦点があっていない。きっと俺だと気づいていないだろう。
ただ、その手はずっと頸を押さえていた。守っているのだ。あの時傷つけられ、踏み躙られた大事な痕を。
「っ……」
叫び出したくなった。今すぐに悠仁を抱きしめ、腕の中に閉じ込めてしまいたい。そんなことは二度と起きないと、その体に刻みつけてしまいたい。
でもダメだ。それだとあいつらと同じだ。
フーッと薄く薄く息を吐く。握りしめた拳はおそらく血が滲んでいるだろう。それでようやく正気を保てるほどだった。
「……悠仁」
慎重に名前を呼ぶ。半歩だけ踏み出した足がジャリ、と音を立てた途端、悠仁が声にならない悲鳴を上げた。
「や、いやだっ……くるなっ……!」
「っ悠仁!」
悠仁が振り回した腕が物に当たり、積み上げられていた箱が崩れ落ちる。慌てて悠仁の元へ走って抱き寄せ、間一髪のところで下敷きになるのは防げた。が、抱きしめたことで拘束されたと思ったのか、悠仁が暴れだした。
「ぁっ、ぃやだ、はなせっ、はなせよ……!」
「悠仁、落ち着けって!助けに来たよ、大丈夫だから。な?」
「っやだ、ぁ、さと、さとる、さとるくんっ、いや、いやだっ、たすけ、」
「悠仁!」
暴れられないようにキツく抱きしめ、その顔を俺の首筋に押し付ける。同時にフェロモンを大量に出してやれば、腕の中で悠仁が息を飲んだ。「ぁ」とか細い声が漏れ、一緒にフェロモンが出てきた。俺へ宛てたフェロモンだ。
「大丈夫。俺がいる。ここには他に誰もいない。悠仁には誰にも触れさせない。絶対、俺だけだ」
「ぅぁっ、さと、る、く……っ」
悠仁の声がひび割れる。息は絶え絶えで、ぎゅうっと俺にしがみつく身体は小刻みに震えていた。その背中を宥めるように撫でてながら、何度も名前を呼び、「大丈夫」と囁く。抱きしめていると互いの鼓動が早鐘を打っているのがよく分かった。それが悠仁の生きている証のようで、また失わなくて済んだと、素直にそう思った。
震えはなかなか止まなかったが、呼吸は少しずつ穏やかになってきた。
「……さとるくん」
ようやく喋れるくらいになり、悠仁が小さく俺を呼んだ。おずおずと持ち上がった顔はまだ青い。ただ、さっきより随分マシだった。
「ごめん、おれ……」
「謝んなよ。それより怪我とか気持ち悪いとかは?」
「ん……もうへーき。悟くんの匂い嗅いでたら落ちついた」
へらりと笑う顔は可愛い。そりゃもう、ついつい頬を手で包んでしまうくらいには可愛い。でもこれで有耶無耶にするわけにもいかない。
「悠仁。何があったか話せるか?」
悠仁の身体がビクッと揺れた。まさかそういうことなのか。だとしたら相手には地獄を見せてやる。そう思いながら顔を覗き込むと、悠仁は気まずげに視線を逸らした。
「悠仁?」
「……怒んない?」
「場合による」
「うぅ〜……や、ほんと、そんな大したことじゃないんだけどさ」
そんな前置きと共に語られた話をまとめると、悠仁がいつもの善人を発揮し、忙しい奴に代わってこの倉庫へ荷物の搬入へ来たのはいいが、ドアが何故か内側からは開かず、そうこうしているうちにこの狭さと暗さにあの部屋を思い出してぶっ倒れたらしい。
「悟くんみたいにドアをぶち壊せばよかったんだけど、そんな余裕もなくて。だから事故っていうか、誰かのせいとかじゃないし、俺ももう大丈夫だよ。迷惑かけてごめんな。はは……ほんと、情けねぇや」
「……お前なぁ、ヘンな我慢してんなよ」
びっくりするほどぎこちなく笑った顔を指先で摘む。「いひゃい」と言われたがこのくらいのペナルティは可愛いものだ。
「まだ怖いんだろ。手、震えてる」
「っ……そんなこと」
「あるよ。俺もだし」
「……え」
驚く悠仁の前に自分の手を掲げる。さっきよりマシだが、その指先は小さく震えていた。
「ほんとだ……でも、なんで……」
「一緒だよ。悠仁と」
悠仁の目が大きく見開かれる。
「悠仁に何かあったのはすぐ分かった。急いでフェロモン辿ってここに着いて、悠仁を見つけて………心臓が止まるかと思った。あの部屋で悠仁を見つけたときにそっくりだったから」
「っ!」
「こうやって抱きしめてもまだ安心できない。次の瞬間には悠仁がいなくなるんじゃないかって………情けないだろ」
「っっ……っ……」
悠仁が首を振る。勢いよく飛びついてきたかと思うと、辺りにフェロモンが香った。「ごめん」「悟くん」「ごめんなさい」「すき」「だいすき」――沢山の言葉で溢れたそれに、目の奥が熱くなった。
「無事でよかった」
ほんとうに、よかった。込み上げてくる感情のままに溢した声が震える。今更ながら悠仁が無事だったことに感謝した。この世を呪うのは一度で十分だ。
大きく息を吸い込み、吐き出す。肺の中まで悠仁のフェロモンで満たしてからそっと身を離した。
「悠仁。そろそろ行けるか?念の為怪我の確認もしたいし」
「……ん、大丈夫」
一緒に立ち上がろうとした悠仁を止め、両腕で抱き上げる。「ちょっ、悟くん!」と焦った声がしたが無視だ、無視。
「っ自分で歩けるから……っ」
「知ってる。でもダメ」
「なんで!?俺重いじゃん!えーとえーと、じゃあせめておんぶとか」
「これが嫌なら次から気をつけろってこと」
「ぅっ、それは………ごめん。気をつけます」
悠仁なりに今回のことを反省しているのだろう。それ以上は何も言わず、大人しく収まった。
「悟くん」
「ん?」
「来てくれてありがとう。すっげぇ安心した」
「……ん」
「今日だけじゃなくてあのときも」
「あンときは全然間に合ってなかったけどな」
「ううん。そんなことない。……ずっと言えなかったけど、あのとき悟くんが来てくれたから俺は今こうしていられるんだよ」
ありがとう。悟くん。
囁かれた言葉に、二度と離してなるものかと思った。
「ところで悟くん。俺ってもう学校行っちゃダメな感じ?」
「当然。って言いたいけど、いいよ。悠仁は行きたいんだろ。オトモダチも出来たみたいだし」
「うん。伏黒も釘崎も面白い奴らなんだ。あと吉野ってやつも」
「…………行くのはいいけど、条件はつけるから」
「え、こわ。なに?」
「今度から外出するときはこれ付けて」
「んん?これなに?新しいネックガード?」
「GPS付きの最新ネックガード。通信機能もあるからここ押せば俺の端末と繋がる」
「じーぴーえす……」
「ちなみに悠仁以外が触るとレーザービームが出る」
「マジ!?」
「ようにしたかったけど諸々引っ掛かるから無理だった。……ちょっと残念そうな顔してんな」
「ビームはロマンじゃん!までもオッケー。付けていくよ」
「……いいの?」
「いいよ。それで悟くんが安心できるなら、俺はそうしたい」
「はー………ずっる」
終
*
後日談 その三
※五悠と子を取り巻く周囲の話
※本編から約三年後
※(五悠に好意的な)モブ女中視点
大きな家ともなると人の出入りはそれなりにある。私も十年ほど前に縁があってこの五条家に来た。
五条家は数々のアルファを輩出してきた名家で、それ故にアルファが最も偉い立場にいる。全てはアルファが握り、何事もアルファが最優先で、中でも御当主様のご意向は絶対である。
それは五条家に入ることになって最初に教え込まれたことだ。私もその規律を守り、十年以上この家に仕えてきた。疑問に思ったことがない、訳ではない。けれどそんなものだと言い聞かせ、飲み込んだ。仕えるとはそういうことだ。
「ってのは昔の話。いまこの家で優先されるのは御当主である悟様の番様よ。いいわね、これは絶対だから」
脅しのような私の言葉に、つい最近この家の使用人となった彼女は神妙に頷く。
「御当主様本人よりもですか?」
「時と場合によるけど、基本的に番様の意向に沿うように、と悟様本人からのお達しよ。無いとは思うけど、もし危害を加えたり暴言を吐いたら殺されると思って」
「そ……そんなに怖い方なんですか?その番様」
恐々と尋ねた新人ちゃんに、私を含めその場にいた女中全員が「ううん、全然」と口を揃えた。
「見た目は確かにちょっとヤンチャだし、黙ってると怖いかも?って思うんだけど話すと優しくて良い子なの」
「素朴っていうか、素直よね。歴代の番様と違って一般出だからかしらね。悠仁君」
「ゆうじくん」
「そうそう。外では『悠仁様』とか『番様』って呼ばないといけないんだけど、本人は嫌がってるから内では『悠仁君』って呼ぶことになってるの。あなたも気をつけて」
「はぁ」
五条悠仁。それが悟様の番だ。
悠仁君は一般出のアルファだった。悟様に気に入られてここに出入りするようになり、身寄りをなくしてからは五条家に入ることになった。
私は悠仁君が虎杖悠仁だった頃から知っていて、それなりに交流があった。みんなが言うように、悠仁君は良い子だ。損得なしに自然と人のために動ける優しい子で、それでいて年相応な面もあって、あの悟様も随分と気に入っていた。
「悟様も長い間自分付きの使用人はいらないって突っぱねてたのに、悠仁君はすんなりだったわよね」
「あのオメガ嫌いの悟様が誰かと番うなんて」
「でも悠仁君なら分かるのよね〜あの子はね、あのヤンチャな見た目を裏切る繊細さがいいのよ。ギャップなの」
「細かいとこまで気付いてくれるし、ちょっと人手が欲しい時は必ず声を掛けてくれるから助かるわ」
「『俺がやりたいだけだから』ってあの笑顔で言われちゃうとお菓子あげたくなる」
「分かる〜でも逆にお菓子もらっちゃうのよね。『作りすぎたからみんなで食べてよ』って。ちなみにこのクッキーも悠仁君の手作りなの」
「えっこの猫ちゃんの可愛いやつがですか!?」
「そうよ〜坊ちゃんと一緒に作ったからっていただいたの」
少し形が歪んでいるのが坊ちゃんお手製だろう。それでも幼児が作ったとは思えない完成度だ。
「美味しいし嬉しいんだけど、悟様が黙ってないのよね。何度睨まれたか」
「仕方ないわよ。悟様にとって悠仁君は特別だったから」
だからあんなことになった。揃って同じことを考えたのだろう。全員が口を噤んだ。
そう。悟様にとって悠仁君は特別だった。自分の番にしてしまうほどに。
元々アルファだったはずの悠仁君とどうして番になれたのか、そこは知らない。でもあの日、悠仁君が十五歳になった日。体調不良の悠仁君の世話役を「俺がやる」と譲らなかった悟様は、部屋から出てこなかった。その代わり、部屋周辺には悟様のフェロモンが充満した。まるで囲いのように他者の侵入を拒んだそれは、三日三晩続いた。そうなると中で何が行われているかの想像はついた。ここはアルファが主人の家なのだから。
この出来事を境に悠仁君は姿を消した。同時に悟様は悠仁君の話を一切しなくなり、おまけに全てを拒絶するように別宅に住まわれるようになった。その結果、悠仁君はアルファと騙って悟様に迫った卑しいオメガで、被害者の悟様は暫く別宅で静養される、という噂がまことしやかに流れた。けれど私を含めて悠仁君を知る人間は嘘だと思った。あの悠仁君がそんなことをするわけがない、と。
事情が明らかになっていったのはその年の冬のことだった。悟様にお世継ぎが生まれ、その母親が悠仁君だと分かったのだ。それを知った時の衝撃は今でも忘れられない。同時に悠仁君の状態を聞き、みんな言葉を失った。何が起きたか全てを知ったわけじゃないけど、それでも十二分に惨かった。
「あの……」
黙ってしまった私達に新人ちゃんはそわそわしている。何かあると分かったのだろう。けど、自ら「何があったのか」と尋ねはしない。そういう利口さがある子みたいだ。視線で他の女中と確認し合い、多少は話しておくことにした。詳しいことは私達にも分からないんだけど、と前置いて。
「悟様と悠仁君が番ったあと色々とあったの。他のアルファも巻き込んで」
「ほら、ここは五条家でしょう。しかも悟様は本家の当主で、悠仁君は一般出のオメガ。だから……ね」
それとなくぼかしても伝わってしまう。そのくらい、旧家のアルファと番うとなるとゴタゴタは付き物だ。新人ちゃんもその手のことに覚えがあるのか、そっと目を伏せた。
「あの、今はもうそういったことは起きてないんですか?」
「お二人の御子様が一歳になる頃までは何かと騒がしかったけど、今は殆どないわ。あっても全て悟様が自ら手を下されたから大事にはなっていないの」
悟様の命により悠仁君はこの家における最優先事項となり、ありとあらゆる面で「悠仁君のために」が敢行された。逆らう人間は悟様により切り捨てられ、家ごと縁を切られた。中には分家を取り仕切る家の者もいたが悟様は容赦が無かった。特に悠仁君に手を出したアルファは悲惨だ。金銭的にも、そして言葉の通りにも丸裸にされ、全員フェロモン腺を取られたらしい。それは第二性を失うことに他ならず、アルファの地位に縋ってきた彼らには死ぬよりよっぽど地獄だ。その後の話が一切入ってこないし、多分そういうことなんだろう。
でも、彼らに同情はしない。あの悠仁君が正気を失うくらいに追い詰めたのは彼らなのだから。彼らと、それから。
「悟様は番様のことを大切にされているんですね」
「……そうね」
確かにそうだ。悟様は過保護を通り越すほどに大切にしている。それは単純に番を大事にするというだけじゃなくて、悟様なりの償いなのかもしれない。
それを悠仁君がどう思い、どう感じているのかは分からない。ただ、前に一度、悠仁君に聞いたことがある。「悠仁君はいいの?」って。いま考えれば相当無神経だったし、悟様にもし聞かれていたら私はここにはいなかった。そんな問いかけに、悠仁君は笑って言った。「俺は悟くんのオメガであることを選んだから」と。
私は何も返せなかった。私達には何も口出し出来ないことだと悟った。全ては本人達が決めること。私達は、それに従うまでだ。それが仕えるということ。
「さて。休憩はそろそろおしまいにして、坊ちゃん組と交代かな」
「坊ちゃんて、お二人の御子様ですよね」
「そうよ。交代でお世話してるの。幸せの時間よ〜ほんっっっとに可愛いんだから」
力強く言った私に、他のみんなも強く頷いた。
「見た目は悟様そっくりでお人形さんみたいなんだけど、お話しすると悠仁君に似てるの。可愛いわよ〜」
「この前もどら焼きをほっぺた膨らませて召し上がってて、可愛らしくってもう一つあげちゃうところだったわ。悠仁君に『おやつは一つまで』ってお願いされてるのよね。危ない危ない」
「それ、前に悟様がもう一つあげて叱られていらしたわよ」
「悟様は御子様にも甘いから」
くすくすと笑みが溢れる。悟様は忙しくされているけど、時間を見つけては御子様と悠仁君のそばにいるのだ。ちなみに、悠仁君は先月高校を卒業し、普段は私達と一緒に御子様をみたり家のことを手伝ってくれている。
「あれ、でも私、昨日から一度もお二人ともお見かけしていないような……」
「あぁそれも言っておかないとね。悟様と悠仁君は昨日から離れでお過ごしよ。お二人だけでね」
含みを持たせて言えば、新人ちゃんも気付いたのかハッとした。
「いつも四日から五日くらいはご不在なの。でも今回は……もう少しかかるかも」
何せ悠仁君が卒業してから初のヒートだ。在学中は悠仁君本人の希望もあって抑制剤を使っていたそうだが、今回からはそれが無い。
当然、悟様はウキウキのノリノリだ。表にはあまり出さないけど。ただここ数日は五分おきに悠仁君の様子を見に来られていたからバレバレだし、そのとき悠仁君に「めっ」されてしょんぼり顔の悟様が美しかったのは私と坊ちゃんだけの秘密だ。悠仁君が照れながらも嬉しそうだったことも。
また忙しくなる気配を感じながら、最後にクッキーを口に放り込む。作ったあの人の良い青年らしい、甘くて優しい味がした。
終