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    アルビナス目線のハドアル話
    健全プラトニック

    シェオルにて切り立った崖の上に、私はひとりたたずんでいた。
    眼前には青々とした海が広がっていて、高く抜けた空はどこまでも澄んでいた。あたりは静かで、草花は陽の光を浴びて揺れている。
    こんなにも気持ちの良い日は、生まれて初めてかもしれない。しばし、時を忘れてその光景に見入っていた。
    私は、何をしにここへ来たのだろう?
    思い出す手がかりになればと周りを見回してみたが、誰もいない。
    きっと何か任務を仰せつかって来たのだろう。辺りを調べてみればわかるかもしれないと、歩いて調べてみることにした。
    そこは、ずいぶん小さな島だった。
    かつて訪れたサババという町の半分……いや、四分の一もないだろう。建物や人工物がまったく見当たらないその島は、知らないはずの場所なのに、なぜかなつかしいような気もする。
    島の半分は崖で、もう半分は砂浜に覆われていて、砂浜から続く陸地には人の手が入った形跡がある。発掘による大きな洞穴が空いていて、そばには打ち捨てられて朽ちはてたトロッコや鶴嘴の残骸が散在していた。
    「おねえさん、こんにちは」
    私が洞穴をのぞきこんでいたら、後ろから少女の声がした。驚いて振り返ると、その少女は親しげに笑いかけてきて、私の姿を見ても物怖じする様子がない。
    人間の年齢はよくわからないが、ちょうどヒムの腿あたりまでの背丈だろうか。豊かな金髪をたくわえ、簡素ながら華やかな服に身を包んだその姿は、いかにも町の少女らしいものだった。
    ……これくらいの子供は、私のような者を恐れないのだろうか?
    少し気になったが、この島の人間なら話を聞いておこう。私はつとめて穏やかな声で少女に応じた。
    「あなたは、この島に住んでるのですか?」
    「ううん。ここには、ずっと前から誰も住んでないよ」
    それなら、この子は島の外から来たのだろうか? 親らしき者はどこにも見かけなかったし、船のたぐいも見ていない。不思議に思ったが詮索はしないでおこう。
    「ここはね、大昔は金とか珍しい鉱物がたくさん採れたみたい」
    なぜかそれを聞いて、わきあがってくる記憶があった。
    暗く垂れ込んだ空を、たえず切り裂く雷鳴。
    空にたなびく、オーロラの帯。
    海の底から、とどろく火山。
    「それから……ここは海底火山があって、それで隆起して生まれた島のはずです」
    気が付けば、言葉にしていた。ここにあったかつての光景、誰も知るものはいないはずの、人間が地上に現れるよりもずっと前の――時を忘れるほど遠い断片の記憶。
    「おねえさん、そんな昔のことをなぜ知ってるの?」
    少女のそれは、問いただすような声音だった。なぜ私はこんな話をしているのだろう。金髪のすき間から私を見つめるその瞳は、全てを見透かしているようで不安な気持ちになってくる。
    私は、どこかでこの瞳を見たことがあるような気がした。だがそんな事はどうでもいい。
    そうだ、思い出した。
    私はアバンの使徒を倒さなければならない、ひとり残らず。
    すべてはあの方のために、その思いひとつで生きてきたのに、なぜこんな場所にいるのだろう。はやる思いで少女に背を向けると、小さな足音が後を追ってきた。
    「どこに行っちゃうの?」
    「大事な用なんです、行かなくては――」
    「それはダメ」
    飛び立とうとする私の視界を、大きくさえぎるものがあった。首元に迫るそれは、見直せば、死神を思わせる鎌だった。かつて私に突きつけてきたあの男のものとよく似ていているが、その刃も柄もすべてが白く、怜悧な美しささえ感じさせる。
    「あなたは……」
    驚いて少女の方を向いたが、やはりその瞳には見覚えがある。
    ふと、戦禍の記憶がよぎった。
    あちこちで上がる火の手。
    時折聞こえる、人のうめき声と、瓦礫の崩れる音。
    かつて、大魔王が下した裁きで滅びた最初の町――たしか、ポルトスの町といったか。
    ハドラー様を生かすためにと食糧を求めてそこを訪れたとき、私は瓦礫の間にはさまれた少女を目にした。壊れた建物の下敷きになっており、今にも崩れそうなその下で、他に頼るもののいない少女は、かぼそい声でたしかに私を見て「助けて」と言った。
    ほんの一瞬の躊躇の後、崩れた梁に潰されていった少女の瞳。
    その瞳が、今たしかに私を見つめながら、ゆっくりとその姿を変えていった。背中からは大きな羽根が伸び、頭上には輝く光輪を頂いている。
    「わたしは神の使い――死の天使。これからお前を審判に導く」
    人のものではないその声を聞きながら、混乱していた記憶が戻るのを感じた。
    あの優しい女に胸を貫かれ、命を失い、それからずいぶん長い時間が過ぎたような気がするし、ついさっきの事のようにも思える。
    何もかもが曖昧な記憶の連続で、足元がふわふわとする。今の私にとって、時間はあってないようなものなのかもしれない。
    「皮肉なものですね、あなたの手で召されるとは……」
    「わたしを、知っているのか?」
    「……」
    その天使からは、もう人間の気配は感じられなかった。命を落として天に召され、それから生前の記憶も失ってしまったのだろうか。もはや、彼女の過去を語ったところで意味はなさそうだと思った。
    「本来ならこのまま審判の門を下るのだが……お前は神の祝福を受けていないな」
    天使は、けがらわしいものを見るような目を向け、私に指をつきつけた。神の祝福とは生まれの問題を言われているのだろうが、信仰を持たない私にはよくわからない。
    「私は、禁呪法で作り出されました」
    「ああ、やっぱりな」
    天使は鎌は持ち直して言葉を続けた。
    「地上は今、戦乱にあって忙しい。すぐ連れていきたいが、お前のような魂はそうもいかない」
    「私はどうなるのですか?」
    「創造主が死ぬまで、辺獄に留め置かれる」
    「辺獄とは……」
    「ここだ」
    天使は手を広げて辺り一帯を示した。
    「お前のような魂は最も軽い罰として、求めるがままの自然に放逐される」
    求めるがままの自然。
    そう聞いて、ようやく腑に落ちた。命を失った私は、古い記憶の奥底をたどって、この風景に行き着いたのだろう。私がこの体が得るよりもずっと前、鉱石としての原風景である、この場所に。
    「探したぞ」
    聞きなれたその声を耳にしたのは、それからどれくらい経ったか。時間から放たれた今の私には、それも判然としなかった。
    はじめに目に入ったのは、かつての戦友たちだった。
    私と同じ、不朽だったはずの仲間たちが陽を浴びてきらめきながら並んでいる。
    「フェンブレン、ブロック……シグマ、あなたも来たのですね」
    これまで感情が読みとりづらいと思っていた彼らの顔が、今ならどんな言葉よりも明瞭に、その思いを語っているように見えた。彼らがそうであるように、私もまた哀惜を隠せない顔をしているのだろう。
    そして――私が一番会いたかった、会いたくなかった方が、そこにいる。
    「ハドラー様」
    光沢のない落ち着いた黒の外套と、木賊色の肌。生まれたばかりに拝見したそのお姿は、ずいぶんひさしぶりに見るような気がした。かつての私なら、常にそのお顔から要求を推察してきたというのに、今ばかりは直視できない。
    「ここが、お前の場所だったのか」
    「はい」
    せめてもの礼儀として下げた頭に、その低い声が降ってくる。その声色は穏やかで、なんの感情も読み取れない。いっそ咎める言葉でも受けた方が気が楽になるだろうに、続く言葉はなにもなかった。
    結局、私は何もできなかった。
    与えられた使命は果たせず、守りたかった方は守れず、仲間はすべて散った。
    すべて――。
    いや、いつも誰よりもそばにいた、戦友の姿がない。
    「ヒムは……彼はどこに?」
    私は天使の方を向き、乞うように問いかけた。
    「お前たちの最後の仲間、ヒムならまだ生きている。道理はわからぬがな」
    「創造主がここにいるのに、なぜ」
    「さあ……それより、お前」
    天使はどうでもよさそうに言い捨てると、私に構えていた鎌を外し、その刃先を主君の方へと向けた。
    「話は聞いているぞ。お前のような者に審判の余地はない、ここで刈り取り地獄に連れていく」
    「好きにしろ」
    返事の終わりも待たず、私たちが動こうと思う間もなく天使の鎌が目の前を薙いだ。風を斬る音の後に、いっそう高く、キィンと鋭い音が耳を刺す。
    「なんだ? まさか……」
    天使が持つその柄の先では、煌々と輝く光が、その黒い外套の中央である胸元から発している。天使は刈り損じた鎌を外すと、不本意そうに息をついた。
    「その光を宿したものは刈り取れない。まさかお前が、誰かの命を助けたりしたのか?」
    「……」
    天使の言葉に答える代わりに、主君は私と戦友たちの方へ身を向けた。燦然と輝くその胸元の光は、まるで小さな太陽のように見える。
    「俺がこんなものを宿せたのは、お前たちがいたからだろうな」
    そのまなざしは、これまで向けられたもので最も優しく穏やかに見えた。
    主君の視線を受けて互いを見直してみれば、私たちの胸にも似た輝きが瞬いている。裾から腕を出し、おそるおそる胸元に触れてみると、その不思議な光は手のひらの上に宿った。魔法とも似ていたが何の温度も魔力も感じられないそれは優しく暖かな色を持っていて、最後に残された、ただひとつの希望に感じられる。
    私は焦がれる思いでしばしその光を見つめると、天使の方へ向き直った。
    「これがあれば、裁きからは護られるのですね」
    「そうだ」
    「ならば、これをヒムに届けてくれませんか」
    「なに?」
    私は、あの方を生かしたかった。
    それも叶わぬのなら、生きていたという証を立てたい。
    生き物の、子供を残したいという願望が今ならよく分かる。どれほど大切な相手でも、生き物はいつか必ず死ぬ。だから、せめて残すものとして、後の世代を繋げていこうとするのだろう。ヒムがなぜまだ生きているのか、それがどんな奇跡によるものなのかわからない。しかし私は彼に持てるすべてを託したいと思った。
    もうハドラー様に根ざすものは、その心を最も継いだヒムしか残されていないのだから。
    「わかっているのか? それを無くせばお前は地獄に……」
    「構いません」
    「これだけの光では、救うには足りぬかもしれんぞ」
    「それでも――」
    私と天使の間に、割り入ってくるもうひとつの腕があった。
    「天使よ。俺も託させろ」
    よく見慣れたその木賊色の手のひらには、私よりいくぶん大きい光が宿っている。
    手のひらから腕、肩へと視線を移し、ようやく私はその目をまっすぐ見た。そして主君もまた、今まで見たことのないまなざしを向けてくる。
    「……ハドラー様。私は、あなたを生かしたかった」
    「知っている」
    「そのため、命令に背こうとしました」
    「構わん」
    どうしてですか、と聞くよりも先に主君の声は先を続けた。
    「今の俺なら、お前の心がわかる気がするからだ」
    私の――。
    かつて、あのお嬢さんと交わした言葉が頭をよぎる。
    「アルビナス。お前は、俺の愛そのものだ」
    返す言葉を失い、胸に詰まった。
    愛。今まで見ないようにしてきた私のそれは、未熟で、利己的で、与えるにも知る機会が乏しすぎた。あまりに遅すぎたそれは、ここが終着地になるのだろう。
    これが、最後の私の生きた証。それをこの方が共にしてくれるのなら、もう思い残すことはない。
    私は目を閉じて、これからの行く末に思いをはせた。
    ばらばらに切り刻まれ、焼かれ、大きく昏いうねりの中で自己も失っていく自分の魂を想像する。きっとその中では、この方を愛したことも、戦友たちへの友愛も、残したヒムへの願いも、私の心からは全てかき消えてしまうのだろう。
    それでも、構わない。
    耐えられないはずはない、この体を得る前の私もまた、途方もない孤独の中で過ごしていたのだから。
    目を開くと、前にはフェンブレンとブロック、そしてシグマの手が光をたずさえて並んでいた。
    「みんな……いいのですか」
    黙ってうなずく彼らの顔を見て、生まれてきてよかったと心から思った。天使はその光を集めると鎌の先に据え、天高く掲げたと思う間もなく、ひと振りのもとに空の果てへ飛ばした。それはまるで、彼の命を祝福するひと筋の光のようでもあり、私たちを弔う煙のようでもあった。光の行く末を見届け、改めて目にする景色はやはり美しかった。
    眼前には青々とした海が広がっていて、高く抜けた空はどこまでも澄んでいた。あたりは静かで、草花は陽の光を浴びて揺れている。
    地獄に堕ちるには、最高の日だ。
    「ゆくぞ」
    差し出されたその手を取り、そっと握り返すと、うかがうような視線を投げかけられた。まるで何かを恥ずかしがる子供のような、私の出方を試すような、そんなこの方の顔もまた初めてだった。
    「アルビナス。最後に、お前の答えが聞きたい」
    ああ、私の思いを伝えていなかった。
    「ハドラー様、私も――」
    私が言葉を返そうとするその刹那、天使の鎌が大きくきらめき、私たちは刈り取られた。
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