「ま~くん。見て、今年のバレンタインのお菓子」
そう言って凛月が差し出したのは小箱に収められた四つのチョコレート。凛月の手作りにしては見た目から味が想像できるくらいに原型を留めているそれらに、ついうっかりそれを指摘したら「まあ色々あってね」と雑にはぐらかされた。
「すっげ~うまそうじゃん。毎年ありがとな」
そう言ってその小箱を受け取ろうとすると、普段の凛月からは想像できない俊敏さでさっと凛月の背後に隠されてしまう。伸ばした手をそのままにぽかんとしていると、凛月は不敵な笑みを浮かべる。あ、これは面倒くさいやつだと幼馴染の勘が訴えると、案の定凛月は得意げに言ってのけた。
「誰があげるって言った? このチョコが欲しければ、ま~くんにはこれからクイズにチャレンジしてもらいます」
「クイズ……?」
「そう、クイズ。これから俺がクイズを四問出すから、ま~くんはそれに一回だけ回答ができます。正解ならご褒美に俺の作ったチョコを俺が手ずから食べさせてあげま~す。」
「いやそのオプションはいらんけど」
「でも、不正解だった場合は残念。ま~くんはチョコを食べられません。代わりに俺がま~くんの目の前で美味しそうに食べてあげるね」
「鬼か!」
全問正解目指して頑張ってね、と応援なのか煽りなのかわからない凛月の言葉は、思わず語尾にハートマークがついているように錯覚してしまうほど甘ったるい。ちらりと小箱を見る。一口サイズのチョコはそれぞれ違うデコレーションが施されており、きっとすべて違う味なのだろうと予想できる。折角作ってくれたのだから、全部堪能したい。真緒は頭をがしがしと掻くと、凛月に向き合う。
「よし! 全部正解して、りっちゃんの作ったお菓子は俺が独り占めするからな!」
びしっと凛月の持つ小箱を差しそう宣言すると、凛月は満足そうに微笑んだ。
「じゃあ第一問。俺の今日の朝ご飯はなんでしょ~か?」
ローテーブルを挟んで向かい合わせに座る。テーブルの中央には例の小箱が勝敗の行方を見守っている。凛月が自室にあった適当な箱を台座にしているので、なんとなく箔がついた感じになった。なんとなくお互い正座になり、なんだかよくわからない緊張感が漂う中、口を開いた凛月から出された問いに肩透かしを食らう。
「……トースト一枚と目玉焼き。あと野菜ジュース」
「ぴんぽんぴんぽん大正解~。さっすがま~くん」
「いやいやいや! だってそれ食べさせたの俺だろ?」
今日も今日とて凛月を叩き起こし、凛月が顔を洗ったりしている間に簡単だけど朝食を用意したのは間違いなく真緒だ。朝が弱く食が細い凛月のために食パンをわざわざ半分にしてトーストし、気持ちばかりの栄養バランスの調整として野菜ジュースを添えたのも鮮明に覚えている。拍子抜けしていると、目の前にぐい、と丸いチョコレートが差し出される。
「正解したま~くんへのご褒美。はい、あ~ん」
反射的に開いた口に放り込まれるそれは、舌に触れた瞬間とろりと濃厚な香りが口の中に広がっていく。ミルクチョコレートの優しい甘さとなめらかなくちどけに、凛月への文句もチョコレートと一緒に溶けていった。頬を緩めて堪能していると、くすくすと楽しげな声が聞こえてくる。
「お気に召したようで良かった」
「めちゃくちゃうまい! やっぱりお前、お菓子作り上手いよなぁ。店で売ってるって言われても納得できるよ」
「そんじょそこらの店と違って俺のは愛情をたっぷり入れてるから一緒にしないでよね」
「ええ……」
褒めたのに……と真緒が首をひねっていると、凛月はお構いなしにクイズを再開する。
「第二問。今日の俺のラッキーアイテムは何でしょうか」
「パーカーだろ?」
朝のニュースの最後にある星座占いで、おとめ座は1位に輝いていた。何をしてもうまくいく、ラッキーアイテムはパーカーだとアナウンサーがハイテンション気味に言っていたのを食器を片付けながら聞いていた。登校中に「ラッキーアイテムがパーカーってことだから、パーカーを着てるま~くんがラッキーアイテムってことだよねぇ」とやたらとべたべたまとわりついてきたから、たとえニュースをちゃんと聞いていなくても答えられただろう。凛月はせいか~いとゆるく告げたかと思うと、またしてもチョコレートを一つ摘まんで真緒を待ち構える。今度は勢いで押し付けるのではなく、真緒が自らの意思で口を開くのを待つようだ。誰に見られるわけでもないのに、真緒はきょろきょろと辺りを確認してから、恐る恐る口を開く。無意識に瞳を閉じていたのでわからないが、口を開いてからチョコが唇に触れるまで変な間があった気がした。
今度は口いっぱいにカカオの深みのある香りが広がる。苦みだけでなく、しっかりとコクが織り込まれているその風味に舌鼓を打つ。ビターチョコレートは普段あまり口にしない真緒に配慮して、凛月が何か工夫をしたのかもしれない。しっかり最後まで味わい、こくんと嚥下する。
「これ美味いな! 苦いチョコは避けてたけど、これはすっげー好き」
「ふふふ、ま~くん用に特別にブレンドしたやつだからね。食べてもらえて良かった」
ご機嫌な凛月を見ながら、むしろ自分に食べてもらうために簡単すぎる質問をしているのではと仮説を立てたところで、凛月が三問目を出題する。
「第三問。今日の俺のパンツは何色でしょうか~」
「はぁ!? ……これ、俺正解したらセクハラにならねぇ……?」
「合ってるかわかんないんだし、とりあえず言ってみてよ」
「……紺色にグレーのラインのやつ……」
「きゃ~、ま~くんのえっち」
「お前が言えって言ったんじゃん! それに、誰が朝着替え手伝ったと思ってるんだ!」
顔を真っ赤にして反論すると、すかさず凛月にチョコレートを放り込まれる。ゆっくり溶けていくホワイトチョコレートのやわらかな甘さとまったりとしたミルクの風味に、先程までの激情がほどかれていく。チョコのくちどけに夢中になっていた真緒は、ふと凛月に目をやると、真緒がチョコレートを味わう様子を頬杖しながらにこにこと見つめていた。途端に恥ずかしくなって、名残惜しさと戦いながら、口に残るチョコレートを必死で味わった。
「ここまでパーフェクトできた衣更真緒選手。いよいよ最後の問題です」
自信の程は?とインタビュアーのようにマイクを向ける仕草をする凛月に、とびきりのアイドルスマイルを浮かべながらばっちりです!と胸を張る。突然の開催されたクイズ形式のこれは、真緒にチョコを食べてほしい凛月のちょっとした戯れのようだと睨んでいる。
「それでは最終問題です」
きっと最終問題も真緒が答えられるようになっているのだろう。どんとこい、と凛月の出題を待つ。
「俺の好きな人は誰でしょうか」
全身が硬直する。問題の意味の咀嚼に時間を要した。これまでの問題と同じく、凛月に関わる問題だ。真緒は凛月とずっと一緒にいて、今日だってどの問題も、自分でなければ回答できないものだった。それがここにきて、まったく思い当たる節がない。凛月の、好きな人。何度頭で反芻しても、まるで脳みそを失ってしまったかのように、問題文がぐるぐると回るだけだった。
「凛月、好きな人、いるのか」
「うん。いるよ。だからま~くん、こたえてよ」
第三問と同じように、頬杖をつきながらこちらをうかがう凛月に、心臓が急にどくどくと音を立て始める。初耳だ、とか、突然そんな質問を出すな、とか、誰なんだ、とか。言いたいことは沢山あるのに、言葉が出ない。何より、自分はこの問題の「正解」がわからなかった。
「……わかんない」
絞り出した自分の声の小ささに驚く。それでも凛月はそれを聞き取ったようで、何故だかとびきり甘く微笑んだ。頬杖をやめて、すらりと細い指で、小箱からチョコレートを摘まみ上げた。
「残念、全問正解ならず~。不正解だったま~くんにはこのチョコはあげません。代わりに俺が食べちゃいます」
スクエア型のチョコレートの表面には赤い粒が散らされていて、凛月の赤い瞳を連想させるようなそれから目を離せないでいると、凛月のしなやかな指先が真緒の顎を救い上げた。
「それと、最後のクイズの答え合わせ」
そう言うと、凛月は真緒に見せつけるようにチョコレートを軽く咥える。ルビーの瞳がきらりと光り、真緒の翡翠を捉えて離さない。どんどん近くなる赤と、むせかえるようなチョコレートの香りに頭がくらくらする。
唇に触れたミルクチョコレート。その甘さに溺れそうになっていると、舌先に感じた甘酸っぱさに、あの赤い粒がラズベリーだと気付く。二人の熱でどろどろに溶けていくチョコレートに、せめて溶けてなくなるまで、真緒はこの甘美な余韻に身を委ねることにした。