飲み干すには甘すぎる(カドぐだ♀) 普段なら馬鹿にして近寄らない列に並んでいる。絞られた光量の店内は独特の単語が飛び交っていて、飲み物一つ頼むだけだと言うのにハードルが上がっていた。英語とイタリア語か? なんで混ぜるんだ? って言うかコーヒー店なのにだいたいの客が持ってるカラフルな飲み物はなんだ? 気付かれない程度にげんなりと辺りを眺めていると、袖を軽く引かれた。
「カドックは何にする?」
「は? 僕は飲まないぞ」
「えー!? せっかくだし飲もうよ! 私こっちの期間限定のやつにするから、カドックはもう一つの方ね!」
「なんでだよ!」
見せられた画面には見るからに甘そうな飲み物が映っていた。客が持ってるのはコレか。どうやら今日から販売開始のようだし、皆こぞって並んでいる理由も納得できた。だからって僕が飲まないといけない理由にはならないが。
「もう、しょうがないなー。私が注文してあげるから」
「注文の仕方が分からない訳じゃない。どう見ても甘いだろ、それ」
「どうだろ? 前のやつよりは甘くないと思うよ」
そう言い置いて注文に行った藤丸の背を信じられないものを見る目で見つめる。結構しっかり量もあるのに、甘ったるそうなアレより甘いものがあるだって? 糖尿にでもなりたいのか?
「カドックー、なんか軽食食べるー?」
「いらない」
「以上でお願いします!」
にこやかに微笑んだ店員は僕たちを受け取り口へと誘導する。藤丸は鼻歌まで歌って大層ご機嫌だ。飲み物一つでそんなに喜べるなんて幸せな奴だな。まあそれが悪い訳じゃないが、もっと欲を出してもいいと思う。……か、彼氏と、いるんだから。
「よく来るのか?」
「んー……期間限定のやつが気になったら、って感じかな」
……それなりに来てるなこれ。こいつが目から視線を逸らして話すのは誤魔化すときの癖だ。別に怒ったり小言を言ったりするつもりはないんだが、こういうところで予防線を張るのはいつまでたっても直りそうにないな。気付かれない程度に息をつき、どうしたものかと思案する。
誰に対してもどこかで遠慮をする藤丸と、甘やかしたりリードしたりするのが上手くない僕。僕たちがくっついたときはそりゃあもうペペたちにからかわれたものだ。それから毎日のようにデートに誘えだの特別扱いしろだの好き勝手言っていたが、僕が行動に移したって藤丸は自分にとって都合のいいようにしか解釈しなかった。これには外野も同情の視線を送ってくるようになっていると言えば分かってもらえるだろうか。その程度なら最初から口出ししてくるな、なんて何度思ったか分からない。
「お待たせ」
「ここで飲むんじゃないのか?」
「うん。せっかくカドックと二人で遊ぶんだし、時間もったいないから」
珍しい言葉に目が丸くなる。言った本人も自覚はあるんだろう、ぺろりと唇を舐めるのを見逃さなかった。ずっと肩透かしを喰らっていた心が騒ぎ出す。ふうん。コイツも浮かれてるんだな。外野がいない時で助かった。多分ちょっと、見せられない顔をしてるだろうから。
「そ、そうだ! これ! カドックの分!」
「……結局買ったのか」
「いらなかったら私が飲むよ」
「いらないとは言ってないだろ」
手渡された極彩色の飲み物は思った以上に冷たかった。これ、シャーベットか? いろいろ乗ったり混ざったりしてるけど。まじまじと眺めていると、じっとりとした外気が体に纏わりついた。……なんとなく、これが売れてる理由が分かった気がする。暑さから逃げるように渡された飲み物を口に含んだ。
「ん、美味しい。カドックのは?」
「……甘い」
「いつもブラックばっか飲んでるもんねえ」
僕の反応が予想通りだったらしく、藤丸はけらけら笑う。しれっと言うけど、やっぱり良く見てるなこいつ。むず痒くなって甘ったるい飲み物をまた口にした。
「どう? 飲めそう?」
「全部はキツいな」
「じゃあはい、私の分も飲んでみて」
差し出された飲み物を見て頭を抱えそうになる。分かってやってるのか? いやこういうことに関してアホほど鈍いのは分かってる。大方マシュといつもこうしてるんだろうが、お前後で絶対後悔するだろ! 頭痛を感じて眉間に皺が寄る。アイスクリーム頭痛ならどれだけよかっただろう。
「なんでそっちも飲まなきゃいけないんだ」
「全部は無理でも今なら飲めるかなって。ほら、味見味見」
「お前なあ……」
的外れな気遣いに気が遠くなる。そういうことじゃない。僕はよくてもどうせ気付いた瞬間から向こう数日は逃げ回るくせに。……いや、なんで僕がここまで気を揉まなきゃいけないんだ? ふと我に返って真顔になる。今まで美味しい状況でも今まで散々逃がしてやっていたんだ。そろそろ、そろそろいいんじゃないか? ごくり、と生唾を飲み下す。
「そんなに言うならもらってやる」
「うん! どーぞ!」
受け取るときに触れた藤丸の手が温かくて心臓が跳ねる。いや、これはそう、僕の手が冷えてたから温度差にびっくりしただけだ! 誰に向けた訳でもない言い訳に気付いて小学生かと頭を抱えた。胸中だけに留めた自分を褒め称えたい。一方藤丸は気付いてすらいないようで眉間に皺が寄った。くそ、後で見てろよ。負け惜しみのような言葉は甘ったるい飲み物で押し込んだ。
「どう?」
「……僕のより甘い」
「だよねえ」
藤丸はそう言うとさっぱりと笑った。一口しか飲んでいないのに尾を引く合成甘味料の味に何がいいのかと今日何度目かのため息をつく。僕の味覚は大衆のそれとズレているのかもしれない。別に気に病むことはないが、今朝飲んだコーヒーの苦みが恋しい。
「じゃあカドックにはこっちね」
「まだ何かあ……」
言いかけた言葉が途中で消えたのは、藤丸の手に見慣れた飲み物があったから。どこから出したんだ、なんて疑問はすぐに消え去った。こいつのことだ、さっきの店で買ってたんだろう。強引なのに気を遣うこいつらしい行動だ。その気遣いがありがたくもあり、まだ線の内側に入れていないことに不満もあり。もやりとした気持ちを抱えながら礼を伝えてコーヒーを受け取った。
いつもの苦みにほっとする。一切甘みのないコーヒーは普段より刺激が強い気がしたけど、一口で口の中の甘みを一掃してくれた。同じ尾を引く味でもこうも感じ方が違うのか。改めて感じる味覚の違いに感心すら覚えた。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
喧騒にかき消されそうな声量で呟かれた一言に思わず隣を向く。いつもきらきら輝いているオレンジの瞳は面白くもない足元を見つめていた。
馬鹿だと、思う。誰よりも周りを観察しているくせに、この程度のわがままが許されない、迷惑をかけるものだと認識している。人間ここまで成長すればどうしたって直らない部分はあるだろうが、それにしたって自分に厳しすぎやしないか。課題を達成するのはお互いに先が長そうだと考えていると、窺うようにこちらを見上げた視線を捕まえた。
「つまらないことを考えるな」
「つ、つまらないって……」
「僕は嫌なら断るし、そういう人間だとお前は知ってるだろ。……自分が選んだ奴なんだ。少しくらい、自信を持ってもらわないと困る」
ぱちりと瞬く瞳に笑みが零れる。自分でも恥ずかしいことを言っている自覚はあるが、こういうことは僕が努力すべきだと判断したまでだ。じわじわと自覚しているらしい藤丸の口に渡された飲み物を与えて言葉を封じる。ほら、僕から与えるものはなんであれ無条件で受け取るくせに。自分が受け入れられていないなんて、あまりにも悲観主義が過ぎるんじゃないか?
「飲みきれなくなったら僕が飲むから、無理するなよ」
「……なんか今日、優しくない?」
ふいと視線を逸らした藤丸は自分の頬が染まっていることに気付いているだろうか。まあどちららでもいいが、気付いてくれたようで胸を撫で下した。
紙袋に甘ったるい飲み物を入れる。鈍くても、悲観主義でも、もしかしたらというその小さな思いがあれば十分だ。
「そりゃあまあ。ようやくデートらしいことが出来てるわけだし」
「なっ!」
「あ、それから」
空いた手で藤丸の手を掬い取る。言葉を止めて繋がれた手と僕を交互に見やるその姿に口角が上がっていった。彼女にはどういう風に見えているんだろう。一層丸くなった瞳の中に自分を見つけて、ゆっくりと心が満たされていくのを感じた。
「間接キスまで済ませた訳だが、先へ進んでも?」
藤丸の手に口付けを落とす。さっきとは比べ物にならないほど赤く染まる彼女の顔に笑みが深くなった。そう言えば手を繋ぐのも初めてだったな。まあ別に、構いやしないか。
どう出るか藤丸の反応を窺う。腹を括ってしまえば案外どうにでもなるものだな。藤丸のこんな顔を見られるならもっと早く行動に移すべきだった。冷静な頭はそんなことを考える余裕すら出てきていて、言い換えれば、油断していたのだと思う。
「い」
「ん?」
「今は甘いもの、飲んでるから……!」
否定の言葉が返ってくるだろうと思っていたのに、予想が外れて面食らう。というかその言い方だと僕が甘いものが苦手だからとか今じゃなければいいとか、そう都合のいいように解釈してしまう、けど。指摘しようにもいつの間にか乾いた口は動き方を忘れてしまっていて、ダメ押しと上目遣いで見上げる彼女の瞳に、握っていたはずの主導権すら奪われてしまった。
「馬鹿」
「な、なんで」
「そんなこと、僕以外に言うんじゃないぞ」
絞り出した言葉は本心そのもので、火照った顔を見られないよう縮めていた歩幅をもとに戻した。繋いだままの手はせめてもの意地だ。くそ、こんなはずじゃなかったのに。さっきの一言を反芻して、思わず握った手に力が入った。