【現パロ鯉月】分かっている男「月島、帰った、腹が減った!」
帰宅するや、靴も揃えずにリビングに駆け込むと、「お帰りなさい」とあまり抑揚のない声に出迎えられた。
月島はスエット姿でキッチンに立っていた。
「なあ、昼を食ってないから腹が減った、すぐ夕飯になるか?」
「なりますよ」
コートを脱いでキッチンに周りこむと、コンロの上では、土鍋がしゅんしゅんと水蒸気を吹いていた。今夜は鍋か、なんだろう、キムチとかパンチの効いたやつがいい。
「今日も寒いから、鍋いいな!」
うきうきとネクタイを解いていると「あー」と月島の重低音。
「ん?」
「いや、今日七草粥の日なんで、鍋じゃなくて…粥ですけど」
「…粥か」
いかん。ものすごくがっかりした声を出してしまった。
正月早々我儘はいかん。
休日出勤の上、何やかんやで昼飯も食いはぐったが、それはクライアントの我儘が原因なのであって私の所為でも月島の所為でもない。よって今は二人で楽しく粥を食うべきだ。陰気くさいのはいかん。
……でも本当は、こってり系がいいな。キムチ鍋もいいが、でっかいハンバーガーなど食いたい。ステーキ三〇〇グラムもいい。胃酸が肉を消化したがってるんだ、肉を……。
「鯉登さんすごくがっかりしてますね」
「ん?いや、そんなことない。疲れてるだけだ」
「無理しなくていいですよ。それに、ちゃんとウーバーしときましたから」
「…なんて?」
「ウーバー、鯉登さんの食べたそうなものを頼んだんですよ」
月島の口からウーバーなど。珍し過ぎて聞き返してしまった。
「頼まれてた高校サッカーも、録画してあります」
郷里の高校が、高校サッカーの決勝まで残っている。今日は決勝当日で、国立まで行こうかな、などと楽しく週末の予定を立てていた。結局仕事になったが。
でもちゃんと苦労が報われとる。
「月島ァ、仕事頑張った甲斐があり過ぎる!」
風呂上がりの石鹸の匂いのする体を抱きしめる。うー。あったかくていい匂い。胸の弾力もたまらん。疲れが吹っ飛ぶ。
「ウーバーもサッカーもあいがとな」
ぞりぞりとした坊主頭に頬擦りする。
「そんな、大したことじゃないですよ」
子供を宥めるように月島がおいの背中を摩る。
「わいは自分のことわかっとらん、最高のよかにせじゃっでなぁ」
「よかにせはあなたの方でしょうが。さて、冷めるから、飯にしましょうか」
「ウーバーもう届いとるんか?」
届いてますよ、と月島がリビングを示す。
「鯉登さんが帰ってくるちょっと前に。ハンバーガーと、ラテはトールでいっときましたから」
「んんん!!!!!」
ガッツポーズである。月島が「そんなに?」と突っ込んでくる。が、そんなに、だ。速攻でルームウェアに着替えて手を洗って戻ってくると、月島がほかほかのお粥もよそってリビングに運んできてくれた。
「ハンバーガーに全然合わないですけど、邪気を払うとか言い伝えもあるんで、少し食って下さい」
「勿論もらう。あ、米がいい匂い。美味そう」
「味付けは塩だけだから、物足りないかもしれませんが」
ハンバーガーにかぶりつく前に、月島のお粥を食った。米本来の甘味にほんのり塩気が感じられて、七草…は毎年のことながら何が何やらわからないが、たまにはこういうのも素朴で美味いと思った。
「塩入れると、米が甘くなるのか?」
「ですね。最近塩を替えたんですけど、変に塩っぱくなくて、悪くないかなと」
「塩なんてどれも同じじゃないのか?」
「ミネラル分の含有量が、結構違うんですよね。普通の塩は塩分百%で、今うちにある塩だと塩分七十%くらい、残りはミネラル分です」
「なるほど、お前の大好きな分野だな」
筋肉を育てるのは月島の日々の楽しみ。だから食い物にもそこそこ気を遣っていて、食材もなんだか色々揃っている。
「まあ、今はとりあえずハンバーガーをどうぞ」
「月島も食うんだろ?」
「勿論食います。美味いものを美味く食うために筋トレしてるようなもんだし」
このバランス感覚。好きだ。
「そうだ、サッカー、再生します?」
「うん、観る。月島、絶対結果言うなよ」
リモコンで録画リストを開いた月島が「言うも何も、俺も知らないですし」と答えた。
「夕方以降、極力スマホ見ないようにしてました」
「おいもラインは月島のトーク画面から動かしてない」
「スマホってホーム画面にニュース出してくるから、油断ならないですよね」
「ウィジェット的なやつな」
再生が始まった。母校ではなくとも、郷里の高校が全国大会の決勝進出となれば、高校サッカー経験者としては気にするなと言う方が無理だ。
序盤の展開を目で追いながら、「期間限定和牛バーガー」を頬張る。疲れた体にハンバーガーの濃厚な味わいが堪らない。肉が沁みる。美味い。生き返る。
「月島これ…めちゃくちゃ美味いぞ」
「それは良かった。期間限定だし、これは食っとかないと、と思ってて」
「駅前のとこだよな?」
「そうです」
最寄駅のすぐそばに、チェーンじゃない、美味いハンバーガーを出す店がある。美味い店には特別感を取っておきたいから、あまり頻繁には行かない。ここのバーガーは、多分二ヶ月ぶりくらいだ。
包みを慎重に開いて、月島もバーガーにかぶりつく。専門店で出てくる肉汁たっぷりの分厚いハンバーグを無理矢理サンドしたハンバーガーで、これは皿に出して食うべきだったが後の祭りだ。気をつけて食っていたつもりが、いつの間にか手がベタベタになっていた。察した月島が素早くティッシュケースを寄越す。
「ん、あいがと。なあ、これ、いくらだった?」
指を拭きながら尋ねると、月島の方は割と器用に食っていた。
「千七百円れす」
もごもごとした答えが返ってきた。
「おお、節約家のお前には珍しい」
「年明け早々にケチケチするのが嫌だったんで」
「なるほど」
「あと、クチコミ見てたら、二十代の僕も完食難しかったです、とかあったんでこれは挑戦状かと」
「名もなきクチコミ者に何を焚き付けられとるんだ、お前は…」
どでかいバーガーを食って流行りのラテを飲むと、我々の年齢差が縮まる訳ではない。月島だってそんなことは百も承知だろうに、時々発作的に埋めたくなるらしいこの十の歳の差。月島の食いっぷりやら抱き心地やらで、歳の差を感じたことはないのだが。
と、いつも本人にも言っているのだが。
「お前、年齢差を気にするのいい加減やめんか?」
「上の側は気にします」
「おいだったらせんなぁ。おいがお前より十個上だったら、逆に燃えるな」
む、と月島が考える素振りを見せた。
「それはあなたが突っ込む側だからでは?」
「それを言うなら突っ込む側には突っ込む側なりの悩みはあるぞ。突然EDになったらどうする、とかな」
「その時は潔く病院に出頭して下さい」
「お前は鬼か。あの手の薬って、その気もないのに勃ちっぱなしになるらしい。…いや、そうじゃない」
下半身の悩みは未来の自分に委ねよう。そんな悩み、出来たら抱えたくはないが、寄る年波には自分だって月島だっていつか勝てない日は来るのだ。みんなそこは同じだ。
「想像してみろ。お前が三十四でおいが四十四として、めちゃくちゃ燃えないか?」
「えーと。それ、は……正直、悪くないな、と思いますが」
何を想像したのか、月島は耳を赤くしている。どうせまた何かエロいこと考えたな。
「年なんて、おいにとってはどうでもいいことだ」
再びバーガーに齧り付きつつ「お前が側にいるのが一番だから」と呟いた。
テレビからワァ、と歓声が上がる。ちらりと画面を確認して、残りのバーガーを食い始めた月島に視線を戻す。
日々鍛えている体は締まっていて、あまり日に焼けない質の肌は、服に隠された部分は尚白い。高感度センサーのようにどんな愛撫にも律儀に反応を見せる体が、その時の声が、表情が。その姿を、瞬き一つを惜しんで具に観察する私の執着がいかほどか、この男はわかっていない。わかっているようで、わかっていない。
「今、そこそこ熱っぽい台詞を吐いたつもりだぞ?」
むぐむぐと必死にバーガーを食っている月島の、赤く火照った耳たぶを摘む。
「…分かってます」
「なのにお前はバーガーに夢中なのか」
「…いいから、鯉登さんも早く食べてくださいよ」
すごい勢いで食うものだから、仏頂面の口元に、バーガーのソースが付いている。拭いてやろうとしたら、月島は自分の拳でぐいと拭った。
「鯉登さん…俺これ食ったら、したいです」
「…なっ」
藪から棒に何を言う。冗談?と思ったが月島はその手の冗談を言わない。
「嫌なんですか?」
「い、嫌なわけ…」
大人しいと思ったら、そう言うことか。テレビの音で聞こえていないはずだが、ゴクリ、と生唾を飲み込む音が月島に聞こえたんじゃないかと思った。
すぐにでもベッドに雪崩れ込みたいのをグッと堪え、口では「嫌なわけないだろう、でもまだ時間が時間だしな?」と気のないことを言ってみた。
「それに、サッカーまだ観始めたばかりだぞ」
スコアレスのままの攻防を、月島もそれなりに真剣に観ていたのは知っている。
しかし、月島は食い終えたバーガーの包み紙をくしゃりと丸め、屑籠に放り込んだ。実に小さな反抗だ。
「続きはしてから観ましょうよ。それで、いいでしょう?」
低い声で、物を言わさぬ強さがあって、それでいて、下品にならない熟れた色気がある。
月島のエロスイッチ。案外すぐ入る。
表情には…さして変化ないのにな。
徐に、横から手が伸びてきて月島がおいの耳たぶを摘んだ。
「鯉登さん。カッコつけてたって、耳真っ赤なのバレバレですから」
「…お、お前の誘い方があまりにすけべだからだ!」
ふんと鼻を鳴らして、月島が耳から手を離した。
「いけません?」
「…いけなくは、ない」
月島がテーブルの上のリモコンでテレビを消した。別次元みたいに静かになって、その気になっている恋人の横で呑気にバーガーを食っているの図がひどく滑稽に思えてきた。が、めげずに食うことに集中する。途中でへばったらそれこそカッコ悪いから、とにかく食う。
月島が一度リビングを出て行き、すぐに戻ってきた。
「寝室、エアコン入れときました」
「あ、ああ」
不思議なことに、誘ってきた割に月島はそんな切羽詰まっている感じもしなかった。バーガーを食う私の横で、ソファに凭れてラテの残りを飲んでいる。時折カーテンを開けたままの窓ガラスの向こうを眺めたり、余裕を感じる。これは……。
「月島、ひょっとしておいを構って楽しんでるか?」
「そうですね…ちょっと」
「今日、一人で寂しかったとかか?」
月島はソファの背もたれに背中を預けたまま、顔だけをこちらに向けた。
「そうです。…でもさっきの、嬉しかったですよ」
「嬉しい時は、その場ですぐそう言え」
「あいにくこういうタチなんで、許して下さい」
当たり前のように言ってのけるふてぶてしさに、少しいたずらな笑顔など滲ませてみる手管。
これだ。こう言うところが、本当に堪らないのだこの月島という男は。
「…おいを煽って、どげん目に遭うか思い知らせてやっ」
私がラテでバーガーの最後のひとかけらを流し込む横で、「覚悟しときます」と月島がわらった。
※サッカーの続きは、翌日の昼ご飯を食べながら観直しました。