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    oshihamidori

    @oshihamidori

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    oshihamidori

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    6/3-6/4こいびとは上官につき展示作品でした。
    樺太道中後半戦、鯉→月ですが、月→鯉なのかは判然としない、そんな微妙な時期の二人を書いております。

    #鯉月
    Koito/Tsukishima
    #全年齢
    year-roundAge

    ゆるはらす船 今夜の宿は、往路でアシㇼパ達が世話になったという、ウイルタ民族の天幕になった。アウンダウ、という名の冬の家らしい。アシㇼパと白石の顔を見るなりよく無事だったと歓迎してくれて、酒と食事を振る舞ってくれた。更には一晩だけなら、と一張りまるまる天幕を借りられることになった。我々は礼になるような物品を殆ど持っておらず、唯一手土産の体をなしているのは、月島が豊原で仕入れていた煙草の残りくらいだ。
     たった二箱の煙草を住民は喜んでくれた。日本の煙草は滅多に手に入らないから、と言う。
     この旅が始まってからというもの、あらゆる交渉ごとは月島の担当だ。
     月島を見ていると、言語の習得は重要だなと痛感させられる。同じ言語を解するという安心感が相手の警戒心を解き、結果交渉も上手く行くことが多い。私の陸士時代の専攻はドイツ語で、英語もそこそこは学んでいる。しかし実地での経験がないから、現地でどれくらい通用するかは分からない。月島のロシア語の技倆を目の当たりにすると、言葉の問題だけではなくて、自分には不足が多いなと痛感する。それは杉元に対しても谷垣に対しても思う。
     もはや、この旅が終わるまでの短い時間では埋めようがない経験の差。
     圧倒的な。
     
     しかし、この地の夜の寒さには参る。飲んで温まって、さっさと眠ろうと思った。寒さがこれほど堪えるとは、樺太に来るまでは分からなかった。脳漿までも凍りつくような気がする。
     ぐい、と酒を煽ると、誰かが軍衣の裾を引いた。視線を下げると、隣で飲んでいた白石だった。
    「…貴様、酒が溢れそうになったではないか」
    「あのさー俺思い出したんだけど。鯉登ちゃんと初めて会った時さー」
     反省する素振りもなく、酔っ払った白石がグラグラ体を揺すりながら話し始めた。
    「鯉登ちゃんがいきなりちんちんって言ったんだよね…うふふ…」
     いきなり何を言い出すかと思えば。下らない。私はふんと横を向いた。
    「ちんちんー?鯉登坊っちゃんもそんなこと言うのー」
     白石の横にいた杉元が反応した。この男とはどうもそりが合わない。向こうもそう思っているようで、何かと突っかかってくる。
    「全部は覚えてないけどさぁ…ちんちんぬきな…なんとか」
    「えーやだぁ、いやらしい!鯉登少尉すけべ!」
     杉元がすかさず反応して、白石とケラケラ笑い合う。いい歳した男どもが酒に呑まれるなど、なんと見苦しい。私はこういう手合いが昔から嫌いだ。父もかなりの酒豪だが、酒の飲み方は上品だ。静かに飲む。…兄さぁも、そうだった。
    「ねぇ、鯉登ちゃん」
    「うるさい」
    「ひょっとしてご機嫌斜め?」
    「白石がちんちんとか言うからだろ」
    「だって本当にちんちんって言ったもんね。ねー、鯉登ちゃん」
     白石の人懐こさが、今夜は少々鬱陶しい。
    「うるさい。私のことは鯉登少尉殿と呼べ」
    「お前ってほんっっとに感じ悪ぃよな」
    「お前もうるさいぞ杉元」
     こういう時頼みとなる月島は、部屋の隅でヘンケ二人、静かに飲んでいる。アイヌの言葉は殆どわからない月島も、ロシア語はかなり出来るわけで、ヘンケとの意思疎通は身振り手振り、および簡単なロシア語だ。
     兵営ならば騒ぎは怒号一撃で沈黙させる男だが、ここは兵営ではないので、男どもの騒ぎを止める気はないようだ。しかし、止めて欲しい。いかんせん煩すぎる。
    「お前ら、酔っ払いすぎだ」
     見兼ねた谷垣が酒を取り上げに来た。が、白石も杉元もヤダヤダと言って、酒から手を離さない。
     チカパシとエノノカもその様子を面白がって、一緒になってヤダヤダの駄々に加わる。夜更けに大の男二人と子供二人のヤダヤダの合唱がうるさい。私は静かに飲むのが好きなのだ。
    「おい、貴様らいい加減にせんか!」
    「ちんちんの鯉登ちゃんも一緒に飲まな〜い?」
    「人をちんちん呼ばわりするな!」
    「だってちんちんなんだもん」
    「あはは、鯉登少尉、ちんちーん」
     チカパシはおっぱいとちんちんという言葉が大好きなのか、暇さえあれば妙な節をつけて歌う。エノノカの利発さに比べて、男児とは…どうしてこう阿呆なのか。
    「月島、こいつらをいい加減なんとかしてくれ!」
     すかさず杉元が「ほら出た」と横槍を入れてくる。
    「鯉登少尉ってぇ、軍曹におねだりばっかだなぁ」
     なあ、と白石と調子を合わせ、半眼でニヤニヤしている。完全にバカにした顔だ。
    「お前さァ…軍曹いないと何もできないんじゃねぇ?」
    「杉元貴様…人を愚弄するのも大概にしろ」
    「愚弄じゃねぇよ、事実だろ。月島軍曹もさぁ、なんやかんやお前の世話焼きすぎ」
    「そうそう、鯉登ちゃんが我儘な若旦那で、軍曹は年上の世話焼き女房って感じ」
    「白石、貴様も口を慎め」
    「そういえば、軍曹ってもう熱下がったのかな?」
    「あ、ねぇ、一昨日だっけ?ちょっと辛そうだったよね」
     熱?二人の会話に、一瞬怒気がふっと抜けた。月島は発熱してるのか?いつから?私は本人から何も聞いていない。
     どう言うことだと振り返る。月島もこちらを見ていた。いつもと変わらないように思う。…いや、北海道を発った頃に比べれば、少し痩せた。
    「月島、お前熱があるのか」
    「大丈夫です。もう下がってますから」
     月島が杯を置いて、ぱんぱんと手を打った。いつもなら立ち上がってすべきところだが、首の怪我のせいで、立ち上がるのも大儀なのだろう。
    「さあ、もう夜も遅い。明日も日が登ったらすぐに出発するから、今夜はこれでお開きだ」
    「ええー。もっと飲みたいぃ」
     白石が酒瓶を抱いて床を転がる。アシㇼパがそれを足で止めた。流石に手慣れている。
    「白石、いい加減にしろ。酒は今夜だけじゃないだろ?」
     腹の立つことに、アシㇼパが号令を掛けるとどいつもこいつも大人しく寝支度を始める。そして、驚くべき早さで寝る。
     くそ…と杯の底に残った酒を煽ると、視界の端で月島が背嚢から薬剤と真新しい包帯を取り出すのが見えた。
     
     亜港の医者に出してもらった傷の薬は、私と月島二人で使っている所為で、もういくらも残っていない。私の怪我より月島の方が酷くて、しかし月島は傷の手当てを決して私にさせない。自力で出来ない時は谷垣にやらせ、自分で出来るようになると、いつもみんなが寝静まってから、一人で処置をしている。
     一度だけ、それを見た。月明かりが入り口の隙間から差し込み、その薄明かりの中で、月島が首元を露出させた。傷は、刀疵とは違って歪な形に引き攣れて、一部の肉は欠損していた。月島が、えぐれた部分に軟膏を塗り広げた布を押し当てた。逞しい背中が小さく丸まり、くぅという小さな呻き声を聞いた。
     その背中を今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られて、最初はその意味も分からず、私はただ狼狽えた。
     この感情の意味を、私は知らない方が良かったか。
     
     黙って腕を差し出すと、月島が包帯を解き、煮沸された水で傷を洗い、その上から少し甘い香りのする軟膏を塗った。これは金銀花の花から作られているそうだ。本国は知らないが、樺太では医療品は潤沢ではないようで、こう言う民間療法的な薬もよく用いられるらしい。ニヴフの集落で使ったシロヨモギの膏薬も悪くなかったし、これも効きは悪くない。
    「傷口が、だいぶ綺麗になりましたね」
    「ああ、痛みも殆どない」
    「どうか今後は無茶を慎んで、人を上手く使う術を学んで下さい」
    「…それは時と場合によるな」
    「鯉登少尉殿。勘弁して下さい、これ以上怪我をされたら、私はあなたのお父上に合わせる顔がありません」
     鶴見中尉、ではなくなぜ父の事を口にしたのか。以前なら特に意味を追求することはなかっただろう。
     けれど今の私には、月島の言動が答え合わせの断片に思える。尾形の放った露語の響きと、そこに連なる記憶。あれは…あの誘拐は本当にロシア側が仕組んだものなのか。
    「そうだ。お前、もしまた発熱したらきちんと私に言え」
    「ご心配には及びません。もう下がってますので。…さあ、私たちも休みましょう」
    「その前にお前の包帯を替えてやる」
     月島の動きが止まった。表情筋は微塵も動かないが、どこか醒めたような眼差しに躊躇いの色がある。
    「薬と包帯を寄越せ、やってやる」
    「いえ、結構です。上官にお願いする事ではありません」
    「じゃあ、させろ」
    「……」
    「命令ならいいのだろう?」
    「…申し訳ありません、わざわざ汚いものをお見せしたくはありません」
     どうぞお休み下さい、そう言って、今夜も月島は自分一人で処置を始めた。
     自分の怪我を汚いと形容する自虐が、鼻についた。有能なのに、いつもどこか拗ね者の匂いをさせている。生い立ちが不幸であるとか、なんとか。噂は噂として色々聞いているが、本人の口からその過去を聞いたことはない。
     軍衣を脱ぎ、襦袢姿になると、月島は手慣れた様子で包帯を解いた。もう血は滲んでいない。しかし傷に当てた布には滲出液が染み、傷口にペタリと貼り付いているように見える。これを剥がすのも、かなりの苦痛だろう。月島は湯に浸した布でそこを湿らせて癒着を取り除きつつ、ゆっくりと傷口を露出させた。
     相変わらず、酷い。一部が生乾きの傷からは今にも真っ赤な血が流れ出て来そうだ。
     軟膏を塗布した真新しい布を当てるとき、月島は私の視線があるのを気にしてか、今夜は鼻から息を抜いただけでやり過ごした。しかしやはり痛むのか、息を詰めた背中はしばらくの間、小さく丸まったまま動かなかった。
    「…月島」
    「はい」
    「お前の本心は何処にあるのだ」
    「…ここ以外の何処にあると言うのですか」
     声が、微かに震えている。
    「ここにあるとしても、私には決して見せようとしない」
    「私に、そんな器用な真似はできません」
     それきり会話は途絶えた。
     私は硬い床に横たわり、馴鹿の毛皮を被った。少し湿気っぽいが、耐えられない程ではない。埃と、何かの油の匂いがする。兵舎の匂いに、似ている気もする。凍てついた樺太の地でも、こんな風に暮らしの匂いがあるのが不思議だった。人が暮らしているのだから当たり前のことなのに、実際にこの地に来てそれを感じるまでは、そんな事に思い致す事もなかった。
     少数民族の素朴な暮らしを間近で見ながら、何度か父のことを思った。立派な海軍将校である父が、私一人を助ける為に単身五稜郭に乗り込もうとした事がずっと疑問だった。下手をしたら大湊水雷団は壊滅に追い込まれたかもしれないのに、父は私の為に来てくれた。
     でも、おそらくだが、父は私の命と国家の存亡を天秤に掛けたりはしなかったと思う。子を守るという本能に突き動かされただけで、父は国を裏切ったりはしていない。どれだけ鍛錬して自分を磨き上げようと、人としての本能を無くすことは出来ない。きっと、ただそれだけの事なのだ。
     そうして父に救って貰った命を、今度は月島に救われた。
     私は、多分命に縁がある。
     月島がやって来て、私の横に座り込んだ。なかなか横になろうとしない。
    「…眠らんのか」
    「少尉が仰ったちんちんと言うのは、薩摩の言葉でしょう?」
    「そうだが…。藪から棒に、なんだ」
    「似た言葉を知っているので」
     寝返りを打って、月島の方に体を向けた。肘枕で頭を支える。
    「ロシア語か?」
    「いえ、清国の言葉です」
    「なに、清?お前、支那の言葉も解するのか?」
    「日清の後で多少覚えて…でもだいぶ忘れました」
     唖然とした。ロシア語の熟達ぶりですら相当なものなのに、この上支那の言葉だと?この男が鶴見中尉の右腕であることを改めて認識した。この得体の知れなさ、底知れなさ。まるで中尉本人のそれだ。
    「どんな言葉だ?」
    「…さんずいに青の清に、井戸の井にしんにょうを書きます」
     
      请进
      
     月島が、一度発音してみせた。ちんちん、とも聞こえるし、ちんじんとも聞こえる。
    「確かに、似ているな。意味は何だ?」
     はあ、と白い息を吐き、月島が寒そうに身を縮めた。
    「人を招じ入れるときの言葉で、どうぞ入って下さい、です。基本的な、よく使う言い回しです」
     大して面白みのない話でしたね、とまた一つ自虐を言い、月島は薄い毛布を手繰り寄せた。
    「…別に、面白くない事はない。一つ知見を得たぞ」
    「そんな、大袈裟な」
    「お前が自発的に話をするのは珍しいな」
    「そうかもしれません」
    「話すのは嫌いか?」
    「…分かりません。考えたこともありません」
    「私は、お前と話すのは嫌いではないぞ」
     肘枕をやめ、枕がわりの折り畳んだ外套に後頭部を預ける。
    「…もう寝る。お前も、早く休め」
    「はい、おやすみなさい」
     月島は、首の怪我を庇うように左半身を下にして横になった。幾度か身じろぎし、それから程なくして寝息を立て始めた。
     狭い住居だから、旅館で床を延べて眠る時より、ずっと月島が近くにいる。手を伸ばせばすぐに届くその背中に、私は触れられない。
     
     どうぞ入って下さい。
     それが、異国の言葉を借りたお前の本心であるなら良かったのに。
     
     亜港での一件以来、考えてしまう。私は、私たち親子は、おそらく鶴見中尉に籠絡されたのだろう。そう考えれば、全ての辻褄が合う。
     なのに、その鶴見中尉に一番近しいこの男に守られて、私は生き永らえている。
     私を仕掛け爆弾から守った際、私の無事を確認した月島の顔に分かり易い安堵はなかった。味方の無事を確認する度に気を緩められるほど、戦場は生ぬるくはなかっただろう。無表情は、歴戦の兵士の習い性だ。しかし深手を負った体から発せられる必死の声に、私の心が揺さぶられた。幾度も死線を潜ってきたこの男を、私は自らの浅はかさで失おうとしているのだ。どうにも出来ない怒りが込み上げてきて、国家も金塊も鶴見中尉への忠誠も、その瞬間だけは忘れた。大事な部下を傷つけられた義憤とは違う。
     月島を傷つけたから、私はキロランケと言う男が許せなかった。
     自分の中に、修羅を見た。
     
     あれから次第に、月島の内面に触れてみたいと思うようになった。心などないのか、貴様は機械か何かかと思った時期もあった。しかし触れてみればその体温は自分と変わらず温くて、腹が減ればぐうと鳴る腹も、寝起きのまばらに生えた無精髭の顔も、こんな男も生命の本能には抗えないのだな、と好ましく思えた。
     いわゆる男女のそれとは少し違うかもしれないが、私は確かに、この男をそういう目で見るようになっていた。
     
    「お前の心には、どうやったら入れるのだ、月島」
     問いかけに答えはなく、天幕の外では、今夜も荒波にも似た風が吹いている。
     
     もうすぐ、樺太の旅が終わる。
     
     


    あとがき的な

     タイトルの意味
    「てぃんさぐぬ花」という沖縄民謡があります。
     その歌詞から一節を拝借。
     夜走らす船と書いて、ゆるはらすふに、とウチナー口で発音します。この歌がとても好きで、「船」の部分だけ大和読みですが、拝借させていただきました。
     同じくオンリー合わせで書いた「ゆみばゆまりし」は、この話と地続きのつもりで書いています。この話の何年後か、という設定ですね。
     鯉月大好きで、よく現パロも書きますが、やっぱり明治軸のピンと張り詰めた空気の二人を書くのが好きです。これからもポツポツのろのろペースで、書いていこうと思います。
     お読みくださってありがとうございました。
     
     
     
      
      
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     たった二箱の煙草を住民は喜んでくれた。日本の煙草は滅多に手に入らないから、と言う。
     この旅が始まってからというもの、あらゆる交渉ごとは月島の担当だ。
     月島を見ていると、言語の習得は重要だなと痛感させられる。同じ言語を解するという安心感が相手の警戒心を解き、結果交渉も上手く行くことが多い。私の陸士時代の専攻はドイツ語で、英語もそこそこは学んでいる。しかし実地での経験がないから、現地でどれくらい通用するかは分からない。月島のロシア語の技倆を目の当たりにすると、言葉の問題だけではなくて、自分には不足が多いなと痛感する。それは杉元に対しても谷垣に対しても思う。
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