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    hapipan_o

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    hapipan_o

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    あんだーざないふの幻覚(新殺ぐだ♀現パロ)を出力しようとした作品その1️
    えんせー先生とぐだちゃんの出会いときっかけまで。
    続き物の予定です。
    ※相変わらず酷い幻覚です。ご注意下さい。
    ※新殺くんの喫煙シーンがあります。苦手な人は避けてね。

    あの日出会った君に渡す恋(新殺ぐだ♀現パロ)(ふぁ……)

     春の暖かな日差しがガラス越しに室内を照らしていてただ座っているだけのこの時間はどうにも眠い。
     松葉杖が床を叩く音にも慣れたけれど、やっぱり身動きに制限があるから気軽にカフェとかで待つ事も出来ないんだよね。
     案内表示に書かれた数字はまだしばらくわたしの番になりそうもない。
     老若男女が行き交う受付では、顔見知りになったけだる気な受付嬢が欠伸を噛み殺しながら肘をついてヒマそうにしている。読みかけの本でも持って来れば良かったなぁ。
     スマホでも弄って暇を潰そうと鞄を漁り始めたその時、前を横切った人影がぽとり、何かを落とした。
     あっ!と気付いて慌てて拾い上げようと思ったのに、ギプスでカチコチに固定されている右足が邪魔をする。
     ぐぬぬ!早く拾わないと行っちゃう!!
     あまり動かすなと言っても聞きそうにないから厳重にした、怖い顔をしていた担当医を思い出しつつ、頑張って何とかベンチから降り手にしたそれはケースに入った入館証。これ、落としちゃいけない物じゃない!?
     落とした人は良く見てなかったけど、病院関係者の人だよね。
     キョロキョロ辺りを見回して、ふらり、角を曲がったそれっぽい人を見つけた。うん、あの長い髪は入館証の顔写真と一致する。
     長い黒髪の、眼鏡を掛けて整った顔をしたお医者さん。初めて見る顔と名前だからわたしが通っている科の人じゃなさそう。
     名前、何て読むんだろう。
     傍らに立て掛けていた松葉杖を引っ掴んで、ああもう鞄は良いか!取りあえず追いかけなきゃって、急いで走る。この数週間で鍛えた松葉杖テクを甘く見ないで欲しい!片足で跳ねる様に床を蹴って急ぎ落とし主を追いかける、ええと名前はそう──

    「あの!燕青先生っ!!」
    「え?あ──!」

     柱の角を曲がった廊下を少し行った先で、わたしの大声に驚き足を止めたその人が振り返る。
     良かった、間に合った。という安堵と共に、眼鏡に掛かった前髪を避ける様に首を傾げこちらを見ている『燕青先生』に近寄ろうと、一歩踏み出した。骨折している右足を。
    「あっ!?」
    「っぶな!?」
    「!っす、すみません……!」
    「あんた、そっち踏み出したそーなるだろ!はー、びっくりした……」

     ぐらり、バランスを崩し倒れ込む所を駆け寄って来てくれた先生が差し出してくれた手に捕まえられる。は、恥ずかしい!抱きついた様な格好で助け起こされ、熱くなった顔を伏せたわたしの頭上から呆れを含んだ笑い声がする。
    「ご迷惑をおかけして……あっ!これ、落としましたよ!」
    「ん?あー、えっ!?マジだ、無い……えっ、これの為にその脚で走ってくれたの?」
    「は、走るって程でも無いですけど、目の前で落とされたので……」
    「うわ、ごめんねぇ。俺のせいだったのかぁ、でも走ったらシグルド先生に怒られるんじゃない?次は呼び止めてよ、フジマルさん」
    「はい……え!?」

     そう言いながらわたしの手に杖を握らせる先生は、写真で見るよりずっと優しい顔をしていた。……あれ?わたし名乗った??
    「っぷはははっ!」
    「????」
    「はは、聞いてた通り素直なんだな、全部顔に出てる」
    「ふぇ!?」
    「シグルド、先生から噂聞いてたから。院内で有名だよぉ。なんだっけ、飛び出した子供を助けようと歩道橋から飛び降りてトラックに轢かれかけたのに逆にトラックが大破して自分は骨折で済んだ幸運のフジマルリツカさんだろぉ?」
    「!?トラック大破はわたしのせいじゃないです!ハンドル切ったから壁にぶつかったってだけです!」

     思わぬ濡れ衣を着せられて慌てて反論するわたしを見て、余計に笑う目の前のお医者さん。やだもう!
    「こ、個人情報漏洩では……!」
    「いやぁ、患者の引き継ぎついでの情報だから許してよ。はー、久しぶりに笑ったぁ」
    「それはどうも……」

     確かに入院中もお見舞いに来た人達に散々笑われたけど!初対面の人にお腹を抱えて笑われる程の事だったとは……。
     笑い過ぎて涙が出たのか、眼鏡を外したその人はわたしが差し出したままだった入館証を受け取ると首に掛け、今度はさっきとは違う顔でにこりと笑う。
    「さて、入館証拾ってもらったお礼と言ってはなんですが、フジマルさんこの後、暇?」
    「え?今、会計待ちで」
    「おっけー、じゃあちょっとここで待ってて」
    「?」

     急な言葉に首を傾げるわたしを置いて軽い足取りで受付の除福さんのところへ向う燕青先生。二、三言葉を交わしてからすぐに帰ってきたその手にはわたしのバッグが握られてる。
    「あ、すみません。わたし置きっぱなしで」
    「いーって。さ、眠気覚ましのコーヒーでも付き合ってもらおうかな」
    「え!?」
    「そこのカフェのコーヒー、すっげぇ渋いの。飲んだ事ある?」
    「ないです」
    「そりゃ良かった。今日が初体験だ」

     とても自然に。バッグを持っているのと反対の手でわたしの腕を取り、体重掛けて良いよぉと笑う燕青先生に引きずられるままに、院内に併設されているカフェの方へ誘導されるわたし。
     理解が間に合う前に辿り着いてしまったカフェから漂うコーヒーの香り。どれにする?って訊いて来る彼へそれより前に財布返してください、と返すときょとんとした後また爆笑された。
     そんな、これから長い付き合いになるわたしと彼の出会い。
     目映い春の光の中、白衣を着た彼と松葉杖をついたわたしはお互いの名前を知った。


    **

    「それで!?何も無かったの!?」
    「何もって……コーヒー奢ってもらったよ?」
    「あーっ!違う!そうじゃないー!連絡先交換とかそーいうやつ!!だって医者でしょ!?イケメンなんでしょ?!イケメンだって思った時点で好意があるのよ、あなた!」
    「えぇ?!そんな乱暴な……!だって、病院行ったらまた会うだろうし、別にそういうのじゃないし」
    「何ソレ!!」
    「ひえっ?!」
    「メイヴさん、お茶!お茶溢れますっ!!」

     わたしの気の抜けた返事に、眉を吊り上げたメイヴが勢い良く叩いたテーブルの上で揺れるティーカップを路ちゃんが必死に押さえながら叫ぶ。
     何事も無ければ晴れて来週松葉杖卒業!というタイミングでメイヴ行きつけのティーラウンジ(お洒落!)に招集をかけられたからお祝いしてくれるのかなーって思ってたけど、まさかの吊るし上げ。個室ってこの為!?酷いよぉって泣きまねしても目の前の女王様は許してくれない。
    「だって、ただ落とし物拾っただけだよ?!」
    「馬鹿ねぇ!チャンスはそこら中に落ちてるのよ!?大体、今回の怪我だってイノシシみたいに突っ込んでくあなたを止めるヤツがいなかったのが原因でしょ!?お目付役が必要なのよ、立香みたいなお間抜けには!」
    「訳すと、心配させるなって事ですね。メイヴさん、連絡着たときかなり取り乱してましたから」
    「路!!」
    「もちろん私もですよ?トラックの下敷きになったって聞いて血の気が引きました」
    「う、うん……ごめんね?下敷きにはなってないけど」

     かなり大げさに広まってしまった情報で高校時代からの友達を慌てさせたあの事故は、確かに自分でも向こう見ずだったと反省している。でもだからってわたしが恋人を作らないのとは関係無いと思うんだけど……っていうか、作ろうと思ってすぐ出来るメイヴと一緒にしないで欲しい。
     近況報告を、と求められて退院してからの出来事を洗いざらい話したのがマズかった。何処がメイヴの琴線に触れてしまったのか、もう二十分はこの話が堂々巡りだ。
    「そもそも本当に偶然で、関係無い科のお医者さんだよ?」
    「でもお茶したんでしょ?会話したんでしょ?イケメンなんでしょ!?ほら、もう切っ掛け出来てるじゃない!入館証落とすとかちょっとトロそうな所が気に食わないけど、顔面で許されるわ!」
    「み、路ちゃん〜!メイヴが話聞いてくれないよぉ〜!イケメン関係無いよー!」
    「立香さんが褒めたからよっぽど気になるんでしょうね……鈴鹿さんとなぎこさんが居たら宥めてくれるんですけど」
    「う、それはそれで酷い盛り上がりになりそう……」

     都合が付かず来られなかった二人を思い浮かべて一層酷い状態になりそうな場に背筋を震わせる。頼みの綱の出来る後輩は今は部活の遠征中だし、何とか自分で切り抜けるしかない。
     それって一杯幾らでしたっけ?って訊きたくなる様なお値段の紅茶をがぶ飲みしているメイヴを眺めながら、どう声を掛けようかと考える。
     今度会ったら訊いとくよ?いやいや、何時会えるのかもわからないのに約束は出来ない。
     次会ったらメイヴの事、オススメしとく?彼女が求めてるのはそう言う事じゃないだろうし、メイヴには御付きの人とは別に大事な彼氏がいるからなぁ……。
    「うーん……そうだ!」
    「何よ、下らない話だったら聞かないわよ」
    「メイヴさんったら」
    「あの……次に会ったらお友達になってもらえないかお願いするって言うのは……」
    「はんっ!お友達〜?」
    「うっ……さ、流石に何も関係無い人に連絡先訊くのはわたしにはハードル高いって言うかぁ……まず信頼関係を築いて行きたいと言うかぁ……」
    「そうですよメイヴさん!その方が万が一にも立香さんの連絡先を悪用する様な人だったらどうするんですか!まず信頼関係の構築からです!お友達から始めて嬉し恥ずかしの片思い期間を経て、想いが通じ合い、やがて結ばれるのが物語のセオリーですよ!」
    「路のメルヘン意見は聞いてない!そんなダラダラやってて完治が先だったらどうすんのよ」
    「それはそれで良いじゃん、ご縁がなかったって事で!」
    「縁ね……いいわ、どんな輩かは私が調べてあげる。あなたはその医者にアタックする方法を考えなさい。思いつかないなら私が何でも授けてあげるから」
    「えぇ〜?!やだよ、メイヴのテクニックってそういうのじゃないじゃん!!」
    「前に出してた『一瞬で落とすテク』とやらは過激な物でしたからね……」
    「大体さぁ、メイヴはなんでそんなにわたしに彼氏作って欲しいの?居なくても良く無い?」
    「ダメよ!私はあなたから『恋の話』を聞いて、経験者として高笑いしながらアドバイスするって言うのが高校時代からの夢なんだから!婚約者のいる路とか、恋に夢見てる鈴鹿とかじゃ聞けない話が聞きたいの!!」
    「く、下らない……」
    「お役に立てなくてすみません……」
    「ほらぁ、路ちゃんしょんぼりしちゃったじゃん!」
    「でも本当は私も立香さんの恋のお話聞きたいです!」
    「ほら見なさい!!」
    「と、突然の裏切り……!?」

     顔を伏せた友人の肩を抱こうと伸ばした手をがしり、と掴まれ180度違う言葉を放つ路ちゃんに狼狽える。うえーん!敵ばっかりだった!!
    「やっぱりお友達から聞ける『恋のお話』はいつでもワクワクするものなんです!関係が進んだら是非ご報告を!」
    「路ちゃんまで〜!」
    「そもそもおとぎ話大好きな女がゴシップ嫌いな訳ないじゃない、甘いわね立香!」
    「もう高笑いしてる!!」

     お洒落なティールームに響くメイヴの笑い声にがっくり肩を落として、スマホの画面を見ればもうすぐここを出なくてはいけない時刻だ。やだなぁ、こんな話のあと病院行くの……。
    「あら、そろそろお時間ですか?」
    「うん……」
    「はっ!病院ね!?送って行くわ!」
    「ヤダよ!着いて来る気でしょ!近いから自分で行くよ!」
    「チッ!わかったわよ、じゃあ診察終わったら連絡なさい。夜はあの二人も来れるって言ってたから」
    「まだこの会続くの!?」
    「当然でしょ?あなたが通院する日は開催されるわ!」
    「最悪だ……」
    「お互い授業もありますし、夜は早めに解散しましょうね!」

     ぐっ、と握りこぶしを作って微笑む路ちゃん。可愛いけど、止めてくれないんだね……。仕方なくわかった、と二人へ返し四面楚歌な部屋から力なく抜け出して病院の側を通るバスへ乗り、ひと心地。
     まさか囲まれてあんな目に合うとは思わなかった。恋愛ヤクザの取り立ては恐ろしい。
     きらきら輝く新緑が、視界を通り過ぎて行く。そう言えば燕青先生の目も綺麗な緑色だったなぁ、なんて考えてしまうのはあの部屋で詰められ過ぎたからだろうか。



    「……」
     バスを降りて、松葉杖をつきながら入院中に覚えた近道をしようと入った院内の中庭。
     入院患者の人達がお散歩出来る様にと綺麗に剪定された茂みを横切り、少し薄暗い大きな木が生えたひと気の無い辺りに備え付けられたベンチへ座った人影から燻る白煙を見て、足が止まった。
     どうしてこのタイミングで出会ってしまうのだろう……もしかしてメイヴの呪い??
     うーん、休憩中……だよね?声かけて良いものかな……。
     後ろ姿だけでは何をしているのかわからなくて、出来るだけそろりと近付く。松葉杖があるから、タイルを叩く音で気付かれちゃうかもしれないけど。……別に、休憩時間を邪魔してまで声を掛ける必要もないんだけど、気付いてしまったら挨拶せずに通り過ぎるのも気持ちが悪い。うんうん、それだけ。
     背後からその人の手元が見える位まで近寄り、その耳元にイヤフォンが填められているのを確認してから、どうしたものかと内心腕を組む。
     急に声をかけて驚かせるのも悪いし、でもどうやって声を掛けよう。
     ふわふわ漂う白い煙が木々の間を縫って消えて行く。
     少し緩く結わかれた黒髪が身動きする度に木漏れ日を映して、つやつやしている……後ろ姿からでもわかる『綺麗な人』だなぁ、っていう自分の心の声とメイヴの『好意があるのよ!』という叫びがダブって聞こえ、思わず首を振る。そういうんじゃないもん!!
     うん、普通に、普通に知り合いに話掛けるだけ!コーヒーのお礼を言うだけ!
    「……医者のふよーじょうですよ、先生」
    「っ!?あ、フジマルさんかぁ」
    「こんにちは、この間はありがとうございました」
    「いーや、こちらこそ。ちょっと待って」
    「?」

     急に声を掛けたから驚かせてしまった燕青先生が振り返ってへにゃりと笑う。ポケットから取り出した携帯灰皿で吸っていた煙草を揉み消して、イヤフォンを外す姿にやっぱり邪魔しちゃったかな、って謝ろうとすると手を振って遮られた。
    「もう戻るトコだったから気にしないで」
    「煙臭くないです?」
    「ダイジョブダイジョブ、着替えるし」
    「ははぁ、成る程。慣れてますね?」
    「バレたぁ?腕も良いけど、誤魔化し方も上手いんだよねぇ俺」
    「わかる気がする……燕青先生、煙に巻くの上手そうですもんね」
    「おっ、煙草と掛けた?上手いじゃん」
    「!違いますけど!?」
    「わっ!?シー!!流石に現行犯はヤバい!!」
    「あっ、すみません……」

     意図していない部分を褒められ拍手までされたから、恥ずかしくなってつい大声が出てしまった。だめだ、完全に先生のペースだ。メイヴと言い、燕青先生と言い今日は他人に振り回される日なのかもしれない。
    「今日、検診?」
    「はい、来週ギプス取る予定なので」
    「!そっかぁ、おめでとさん!じゃあ松葉杖でぴょこぴょこ跳ねるフジマルさんも見納めかぁ」
    「そんな跳ねてました?!」
    「跳ねてるよぉ!特にその辺」

     そう言ってサイドテールの辺りを指差してレンズ越しに笑う。急になんだか気恥ずかしくなって、シュシュで結わいた髪を下ろすわたしにきょとん、とする燕青先生。その顔、この間も見たけど切れ長な瞳がまん丸になってちょっと可愛い。
    「ほどいちゃうの?似合ってるのに」
    「子供っぽいって言われたのかと思って」
    「子供だろぉ?って、フジマルさん、そう言えば何歳?高校生?」
    「!成人してます!!」
    「うへぇ!?そうなんだ!?ごめんごめん、シグルドから年齢まで聞いてなかったからさぁ」

     そ、そんなに幼く見られていたなんてショック……を受ける必要も無い筈なのに、何故だかずしっと心に刺さってしまった……。メイヴ、やっぱりわたしには無理だよぉ。
    「わー!?そんなに落ち込む!?ごめんよぉほらほら、若く見えるって良い事あるし!」
    「今、不利益被ったばかりですけど……」
    「あー、可愛いって言いたかったんだって事でここは一つ……!」

     何も悪く無い先生が慌て宥めてくれる様子に、ちょっと溜飲が下がったけどそっかぁ……高校生かぁ……。
    「いいんです、友達にも子供っぽいって言われるし」
    「全然良く無さそうな声で言われても……」
    「そういう燕青先生はお幾つなんですか?お若く見えますけど」
    「おっと、こっちに矛先向いたかぁ!んーそうだなぁ、シグルドと同期」
    「ああ、それで……」

     度々話しに出る担当医のシグルド先生とタイプが全く違うから、仲良いとしてもどう言う感じで?とは不思議に思っていたけれど、同期なら気心知れた仲、というところなのかも知れない。
    「まぁ、長い医者人生じゃ俺達はまだまだヒヨッコですけどねぇ」
    「ふふっ、シグルド先生も?」
    「そうそう、あんな怖い顔してても嫁サンには弱いし、若輩者じゃ立場も弱いってね」
    「お嫁さん」
    「あれ、知らない?嫁さんもここにいるよぉ、まあ小児科だから用事ないか」
    「へぇー!」

     診察時の険しい顔と奥さんに弱いシグルド先生、が結びつかず、つい気になってしまう。これじゃメイヴ達の事言えないや。
    「ところでフジマルさん、時間大丈夫なの?」
    「!あっ!遅刻しちゃう!!」
    「予約何時?」
    「よ、四時で……!ひっ!もう55分!?」
    「あちゃーっ!まにあわ、いや、間に合う!」
    「えっ!?」
    「はい、杖持ってーそうそう、抱えてね!ちょいと失礼!」
    「えっ!?!?」

     ぐい、と腕を引かれたと思ったらベンチを乗り越えてきた燕青先生が至近距離でニヤッと笑う。びっくりして目を瞑った途端、支えにしていた左足が浮いた。えっ!?
    「あ、おぶった方が良かった?」
    「ちょっ、えっ!?ま、待って!?」
    「その足じゃ間に合わないだろぉ?口止め料代わりにタクシーしてやるよ!っと!」
    「ぎゃーっ!?!?」
    「っははははは!可愛くねー悲鳴!!」
    「おちっ、落ちるーーっ!」
    「落とさねぇからダイジョウブ!以外と腕力あるよ、俺!」
    「そういう問題じゃないーーっ!!」

     こ、これは俗にいう『お姫様抱っこ』というやつでは!?なんて、驚く暇もなく抱え上げられたまま早足で歩き出す先生に降ろして!ってお願いしても、帰って来るのは笑い声だけで。
     受付から聞こえる、院内で走るなって声を躱し診察室に駆け込んだ私達へシグルド先生が呆れた顔をしてため息をついた。

    **


    ぱかっと半分に切られたギプス。
     それを前にして、違和感や痛みは?と尋ねてくるシグルド先生に首を振ると側にいた看護師のオルトリンデさんがワッ!と拍手をしてくれる。
     ついに自由の身になった片足にまだ感覚が戻っていないけれど、ようやっとひとつ乗り越えた気がして軽くなった足と一緒に心もうきうきする。
    「まだ完治じゃないから、くれぐれも無理をしない様に。動き辛いだろうが引き続き松葉杖は使っておきなさい」
    「はい!」
    「それと次から診察とは別にリハビリ科へ予約を入れる事になるので、申請書を渡しておく」
    「!持ってきます!」
     シグルド先生の視線にビッと背筋を伸ばし敬礼と共に行ってしまったオルトリンデさんを見送り、先生が説明してくれる次の行程についてふんふん、と頷く。
     どうもギプスが取れても完治、には程遠く。今度は弱った筋肉を動かす練習をしなくてはいけないらしい。
    「リハビリと言っても君の場合は年齢的な物もあるし、健康体だ。少し通えばすぐに前と変わらない程度に動かせる様になるだろう。ただし、油断は禁物だ」
    「はい!」
    「くれぐれも走る等、負担をかける行為を控えなさい。君の場合少々無理が過ぎる」
    「……はい」

     光源も無いのに光ったレンズの向こうで鋭くこちらを見ている瞳に首を竦める。この病院の先生は眼鏡をかけるのが標準装備なのだろうか……。そう言えば、今日は燕青先生に会わなかったなあ。一週間ぶりの通院だし、流石にそうそう偶然も続かないか。前回二人揃って叱られた、診察への滑り込みセーフ騒動(って燕青先生が言ってた)以来会ってない……大丈夫だったかなぁ、婦長さんに物凄い勢いで怒られて引きずられて行ったけど……って、これじゃあ燕青先生に会いたくて楽しみにしているみたいだ。脳内で恋愛ヤクザがニヤニヤしている図が浮かぶ……。
    「──燕青が」
    「ふえっ!?燕青先生ですか?!」
    「……君、燕青と何処で知り合ったんだ?」
    「何処って……」

     脳内まで見透かされたのかと思い、ぎくりとしながら聞き返す。それはもう病院内ですけど、ってそういう返事を求められていないんだろうという事はわたしでもわかる。
    「ちょっと前に、燕青先生の落とし物を拾ってそのご縁でコーヒーをご馳走になって」
    「燕青が?落とし物?」
    「はい。あ!でも前回のは本当に偶然です!わたしが遅れそうだったから燕青先生が善意で」
    「善意……まあ善意か……いや、しかし……」
    「?」

     わたしの返答にぶつぶつ言いながら考え込んでしまったシグルド先生。あの日中庭で偶然会ったのは合ってるから、嘘ついてないよね。運び方に異議を申し立てたいけど、間に合ったのは燕青先生のお陰だし。
    「それを装うのは善意か……?」
    「あのぉ……?」
    「よぉ、ギプス外れたってぇ?」
    「!燕青先生?!」
    「はろー、フジマルさん元気?」
    「……診察中だ、部外者は出て行け」
    「すみません!ダメだって言ったんですけど!!」

     シグルド先生へ声を掛けた途端、被せる様に覚えのある声と姿が衝立の向こうからひょっこり現れて、声が裏返ってしまった。長い髪を高い位置で結わいたいつもと違うヘアースタイルの燕青先生がひらひらと手を振る後ろで、涙目のオルトリンデさんが白衣の裾を引きながらシグルド先生に訴える。この病院、前から思ってたけど結構自由人多いよね、看護師さん達大変そう……。
    「燕青」
    「様子見に来ただけだって。経過どう?」
    「……次回からリハビリ科だ」
    「!先生、また燕青先生を甘やかして!!」
    「オルトリンデ、申請書は」
    「……はい」
    「フジマルさんよかったねぇ!」
    「あ、はい。アリガトウゴザイマス」

     情報が大混雑していて、つい片言になったわたしに燕青先生がまたふにゃりと笑う。う、見慣れたと思ったけど、やっぱり慣れてないかも……。
     思わず視線を逸らし、シグルド先生が差し出してくれた申請書に目を通す振りをする。ああ、もう絶対先週の出来事のせいだ。全然緊張なんてしてなかったのに、目も合せられないなんて。こんなの。
    「……燕青、その締まりの無い顔を止めておけ」
    「えっ?いやぁ、そんな顔してる?」
    「……藤丸さん、そこにサインをお願いします」
    「!はい、これで良いですか?」
    「ええ、じゃあ私はこれを出してきます。リハビリ科も見学されますよね?案内は別の看護師を呼んできますので」
    「あ!俺が行く!」
    「「はぁ?」」

     おお、診察室内にシグルド先生とオルトリンデさんの声が重なった。シグルド先生の大声とか初めて聞いたかも。そんな状況を物ともせず衝立の向こうからいよいよこちらに乗り込んで来た燕青先生は、サッとわたしの鞄を片腕に掛ける。オレンジ色のトートバッグを持ったポニーテールの燕青先生がにこにこしてる。似合うんだけど、人様に自分の荷物を持たせているってなんだか戸惑う……えっ?本当に先生が連れてってくれるの?
    「ば、場所さえ教えてもらえれば一人でも大丈夫です!」
    「まあまあ、もう今日は上がりだし。ついでだから遠慮しなくていいよぉ」
    「え、えぇ……?」
    「じゃあ、シグルド。良いよな」
    「……はぁ」

     通常時でも柔らかいとは言い難い表情を一層曇らせ、シグルド先生のため息が診察室に響く。
    先生の眉間の皺が深くなる分だけ、自分の背中に冷や汗が垂れる気がする。どどどどうしよう。断り辛いし、断る理由もないのに今すぐこの場から逃げ出したい。
     じりっ、と後ずさりたいのにいつの間にか松葉杖まで燕青先生が持っている事に気付いて泣き出しそうになってしまった。
     うえーん!何この状況!!
    「さっ、じゃあ行こうか!」
    「うえええ?し、シグルド先生ぇ」
    「すまない、付き合ってやってくれ」
    「リハビリ科の先生には連絡いれておきますね!」
    「ええ!?」

     諦めたシグルド先生とオルトリンデさんの声に押し出される様に診察室から出て、ぱたん、と閉じてしまったドア。ええ?!ホントに二人で行くの!?呆然としたままのわたしの腕を取り松葉杖を握らせてくれた燕青先生の顔を見るのが居たたまれなくって思わず視線を逸らしてしまった。頭の中をぐるぐるメイヴの声が響いている気がする。違うよ違う。好意だけど、好意じゃない!
     すーはー深呼吸をして気を紛らわせ様としているのに、逃げるわたし追って覗き込んでくる燕青先生。もーっ!!
    「え?怒ってる?」
    「怒ってません……」
    「ふぅん……リハビリ室まで抱っこしようか?」
    「!いりませんー!」
    「そっかぁ」

     先週の出来事がフラッシュバックして慌てたわたしを見て、けらけら笑う先生……。その様子にがっくり力が抜けてしまう。
     『あんな事』はこの気が良い先生には良くある事だったのかも知れないのに、わたしが過剰に反応しすぎなんだろうか。
     いや、でもこっちは彼氏のかの字も拝んだ事の無い初心者だよ!?異性の友達は居ても、パーソナルスペース以上に近寄った事なんて、中学時代のフォークダンス以来覚えが無い。
     格好が良くて、優しくて、お医者さんなんてモテの頂上に立っているジャンルの人となんて勝負にもならないよ!
    「……」
    「そんなに嫌そうな顔しなくてもいいじゃん」
    「嫌じゃないですけど……」
    「さっきはあんなに喜んでくれたのに」
    「へぁ?」
    「『燕青先生♡』って、可愛い声で呼んでくれて嬉しかったのになぁ〜?」
    「そんな声出してません!」
    「はは、ジョーダン。やーっと顔見てくれた」
    「!!」
    「おっと、こっち寄って」

     廊下の真ん中に立ったままだったから通り過ぎる患者さんにぶつかりそうになったわたしの腕を引き、弾みでよろける身体を支えてくれながら燕青先生がリハビリ室はあっち、と案内板を指差す。
    「俺も用事があったんだよ、本当に」
    「……」
    「あ、信じてない?本当だって。だから、一緒に行くのはついで」
    「別に疑ってないです……この間はありがとうございました」
    「ああ、いいって。こっちこそ黙っててくれてありがとさん」

     そう言ってウィンクをひとつ。うわぁ、本当に、なんと言うか……。
    「燕青先生って、」
    「ん?」
    「すっっごくモテるでしょ……」

     わたしの心からの感嘆にぽかり、と長い睫毛をレンズの向こうでぱたぱたさせる先生。いやいや、だってウィンクして様になる人って中々いないよ!?
     
    <9月24日更新分>
     ひぇ、怖い!この病院に通う事になった時、ああ、あの噂の……って言われたのってこう言う事なのかもしれない。ただでさえイケメンなのに、勘違いされそうな行動を取るだなんて防衛本能がないのだろうか。
     ……燕青先生、人懐っこそうだもんなぁ。
    「先生、後ろから刺されない様に夜道気をつけてくださいね」
    「えっ!?何ソレ!やっぱ怒ってるんじゃん!刺したい程怒ってるの?!」
    「わたしじゃなくて、他の誰かに……防犯ブザーとか持ってます?わたしの貸しましょうか?」
    「えぇ……?心配ありがとう、って言っていいのか?これ……やっぱ、フジマルさんって自分より他人の事、なんだねぇ」
    「?そんな大げさな事じゃないと思うんですけど」
    「うーん……トラックと事故るのは大げさじゃないのか……?」

     そ、そこを突かれると痛い……。
     慌てて首を傾げる先生の手からバッグを受け取って、リハビリ室行きます、と宣言すると返事を聞かずにさっき指を指された方へ歩き出す。
     当然ながら他の人達より大分遅いわたしの歩みに合わせて横に並んでくれる燕青先生。きっとわたしがずっこけたりしたら助け易いようにって考えてくれてるんだ、と思うと『医者』というのを引いても人が良いんだなぁって感心してしまう。燕青先生の方がよっぽど『自分より他人の事』じゃないだろうか。
     かつかつ、廊下を松葉杖が叩く音が響く。病院の廊下は広くて聞こえる声は顰められていて、人々は様々な表情を浮かべている。ここに運ばれて来た時の事はもう覚えて居ないけれど、しばらく入院しているうちに慣れてしまった消毒液の匂い。
     ツン、とする独特な香りを嗅いで鼻がむずむずするなーって感じるのも後少しかも、と思うと感慨深い。
    「ん?どうした?犬みたいに鼻動かして」
    「犬!?」
    「痒かったら掻いてやろうか」

     いたずらに伸ばされた手を振り払いたいけど、両手が塞がっているからままならなくて頭をぶんぶん振って拒否したら、また犬みたいって笑われた。
     そうかなあ?わたしからしたら、陽気で懐っこい先生の方が犬みたいに見える。
    「もー!違います!脚が治ったらここにも来なくなるんだなーって思ったら何だか感傷的になったと言うか、そんな感じです」
    「まあ、病院ってそーゆーとこだから。いいじゃん、来ない方が良いんだよこんなとこ。死にかけたら来るぐらいで丁度良い。良くなったら寄り付かない方が良いよぉ、縁起悪いから」
    「そんな乱暴な」
    「だからさぁ、会えなくなる前に話してみたかったんだよな」
    「?」
    「フジマルさんと」

     ぴたっ、と足を止めてじっとこちらを見て来る燕青先生。さっきまで楽しそうに笑っていたのに無表情、でも無いんだけど何かを見定めるみたいな視線に思わず一緒に立ち止まる。
     わたしと?何で?
     ざわめく声があっという間に遠ざかってしまう。見上げる瞳はレンズの向こう。それが、燕青先生とわたしの距離。
     話してみたかったって……あの日、入館証を拾ってお茶して、それから何があったっけ。
    「わたし、何か面白い話とかしましたっけ?」
    「……いーや!何でも無い!ほらほら、病院中の噂になってたからさーどんな子かと思って興味津々!話してみたらもっと知りたくなった!」
    「!その話はもう封印して下さい!」

     いつものふにゃっとした表情に戻った先生。息を止める必要もなかったのにホッと息を吐いてしまうのは何でだろうか。
    「もうっ!」
    「ははっ、噂って怖いねぇ。信じた友達が半泣きで駆け込んできたって?」
    「そんな事まで知ってるんですか!?うわー、もう……」
     じゃあ、入院してからずっとこの病院の人達に「ああ、あの子……」って思われたって事!?流石に面と向かって声かけられたことなかったけど、たまに感じてた視線ってそう言う事?!
    「やー、偶然フジマルさんと出会えてラッキーだったよなぁ」
    「わたしは知らないままで居たかったですけど……」
    「そこは俺と出会えて良かったって喜んでよ!」
    「えぇー?」

     良かった、良かったのかな?でも燕青先生は良い人だし、確かに知り合えて良かったのかもしれない。そこまで考えて、再度ぽんっと浮かぶメイヴの顔。
     違うってば!『良い』ってそういう意味じゃない!
    「も、もう行きますね!」
    「フジマルさん、こっちだよ」
    「……」

     急いで進もうとして反対方向へ踏み出したわたしに先生が吹き出す。
     うう、恥の上塗りだ……。
     ロビーに出て突き当たり、大きな扉が開け放たれたホールの前に着くと中からはリハビリ中なのか、人の声と運動器具の軋む音がしている。入って良いものか、考え倦ねて隣に立った燕青先生を見上げる。と、ふいに横から大きな影が差した。
     大きい。そして、金色だ。
     巨体、と言っていい程がっしりとした体格の男の人がわたし達を見下ろしている。
    「お、燕青先生じゃん」
    「よぉ、お客さん連れて来たぜぇ」
    「客ゥ?」
    「そうそう、ほら例のフジマルさん」
    「ふじまる……ああ!例の!」
    「例のって……本当にやめてください……」

     先生の言葉に膝を打って頷いたどでかい人が、にかっと笑顔を浮かべ手を差し出して来る。慌てて杖を持っていない手を出し握手を受け入れ、そのバンダナが巻かれた額の下で輝く瞳を見上げた。金色の髪と、清々しい言う形容詞がとても似合う人だ。ぶんぶん振られている手が力強過ぎて少し痛い。若干振り回されている様な状態になっているわたしを見かねてか、燕青先生が肩を抱いて固定してくれる。ただでさえ片足でバランスが悪いから、申し訳ないけど支えにさせてもらい、もう一度その人を見上げた。
    「さっき内線あったからそろそろかなって思ってた!オレはここの理学療法士してる坂田金時だ、よろしく藤丸さん」
    「よろしくお願いします、坂田先生」
    「あー、先生っていうのここじゃ無しで頼むわ。そんな柄じゃねぇし、先生って呼ばれるのはムズ痒くって仕方ネェや。リハビリなんてじーさんばーさんしか来ねぇから、金ちゃんとか金時とか呼ばれてる」
    「ふふっ、じゃあ金時さん」
    「それそれ、そんぐらいで!」
    「……金ちゃん、手」
    「おっと、すまねぇ」
     
     握られたままだった手をパッと離して頭を掻く金時さん。
     少し話しただけで良い人なんだろうなぁって思える好青年だ。それにしても謎にじとっと見て来る燕青先生の視線が痛い。
    「いーなぁ、俺もフジマルさんと握手したい」
    「え?良いですけど、今更自己紹介いります?」
    「……」
    「あっはははは!」
    「?」

     ぶすっとした顔でそっぽ向いてしまった燕青先生に首を傾げると、金時さんが豪快に笑っている。ええ?どう言う事?
     わたしの肩に手を置いたまま黙ってしまった先生にどうすれば良いか分からないけど、一先ず無視でいいか、と考え直してバッグから申請書を取り出す。確か、予約日を決めないといけないんだったよね。
    「あの、次回からこちらでリハビリ受ける様にって言われて申請書持って来たんですけど、今お渡ししても大丈夫ですか?」
    「おう、次回っていつだい?」
    「ええと、講義が早く終わる日にしようと思っているので水曜日とか」
    「木曜にしない?」
    「へ?!」
    「燕青先生、担当医だっけ?」
    「違います……」

     肩に乗っていたのがいつの間にか手から先生の顎になっているのにもびっくりしたけど、顔の真横から響いて来た言葉にも驚く。木曜日?何で?
    「うんにゃ、でも木曜にしてよ。一週間後、俺の早上がりの日」
    「ヤです!なんで燕青先生の予定に合わせないといけないんですか?!今日はたまたま来れたけど、わたし木曜日は六限まで講義なんです。遅くなっちゃう」
    「まあここは二十時まで開けてるけどなァ」
    「う……でも、帰り暗くなるし……」
    「そりゃあ心配だ、木曜日が送り迎えにちょーど良い!いやー、フジマルさん心配だなーさっきも迷子になりそうだったし、トラブルに巻き込まれて遅れそうだし?」
    「ぐぬぬ……棒読みのクセに全部事実……!でも凄く反論したい……!」
    「なんだか良くわかんねーけど、そういう喧嘩なら余所でやってくんねぇかな」
    「はっ!すみません、水曜日でお願いします」
    「えーっ!?」
    「あんたやるねぇ!そういう根性はリハビリ向きだ、早く治るぜェ!」
    「えへへ……痛っ!?痛い痛い!!先生、顎で抉らないで!!」

      良く考えなくても先生の予定に合わせる必要ないし、ときっぱり金時さんに伝えた途端肩に乗せられた顎で攻撃されて悲鳴を上げる。ちょっと!大人気なさ過ぎません?!この先生!!笑いながらべりっと先生を引き剥がしてくれる金時さんの頼もしさが半端ない。
     もー、今日はヤケに絡んで来るの何でなんだろう。
    「水曜日の午後だと十七時から空いてるけどよ、何時にする?」
    「十八時!」
    「なんで先生が決めるんですか!十七時で!」
    「酷い!」
    「酷く無いです!一人暮らしは帰ってご飯作ったり色々あるんです!」
    「飯くらい食べて帰ればいいじゃん」
    「お、大人の意見だ……貧乏学生はそんなに毎週外食してたら破産します」
    「じゃあセンセが奢ってあげるからさぁ!」
    「なんで!?」

     突拍子も無い発言に心からの大声が出てしまい響いたのか、うへぇなんて声を出しながら耳を押さえる燕青先生。そんな私達を金時さんがしげしげとこちらを見て、感心した様に頷いている。全然話が進まない!
    「……いやァ、珍しいもん見たわ」
    「へ?」
    「いやいや、なんでもねぇって。色々突っ込むのも野暮ってもんだよな、先生?」
    「そゆこと」
    「??」
    「じゃ、一旦水曜の十七時で。時間の変更はいつでも受けるからよォ、二人でよーく話し合ってから決めてくれィ」
    「えぇ……?!」
    「やー、金ちゃんは話が分かる!フジマルさんあっちで相談しよっかぁ!あ、あとこれ渡しに来たんだった。よろしく〜」
    「うえっ、先生これがメインじゃねぇのかよ。へーへー、じゃあまた」
    「!」
    「ほらほら、ラテ奢ってあげるから!」
    「やだぁー!」

     この病院の先生達、燕青先生に甘過ぎない!?
     ぽいっと今度はリハビリ室からも追い出され、上機嫌の燕青先生に引かれるまま辿りついた前回と同じカフェの片隅。席に座らさせられ、カウンターで注文している燕青先生の背中を見ながら深いため息が出てしまう。
     わたしってこんなに流され易かったっけ?
     結構きっぱり断れる方だと思っていたのに、何だかんだ先生に流されっぱなしな気がする……。どうしてだろう。
    「ほいっと、砂糖抜きのラテ、豆乳チェンジお待たせ……どした?」
    「豆乳……」
    「ん?違った?」
    「合ってます……」
    「良かった」

     にこっと笑って目の前に置かれる大きめなコーヒーカップ。前回来た時と全く同じメニューをサラッと持って来てくれる。うう、こう言うのが何気なく出来てしまう人なんだ。燕青先生の事、余計に分からなくなって来る。
     向かいの席に座り、ぎしり、と椅子を揺らす先生。
     カップを傾け口を付ける動きに合わせ結い上げられた髪が流れて一房、肩に乗っている様子が見慣れなくて……。
     すとん、と心の中で何かが穴に落ちた。
    「……そっか」
    「んー?」
    「わたし、燕青先生の事何も知らないなって」
    「……フジマルさんって、やっぱ面白いなぁ」

     知らないから断れない。知らない事ばかりだから予想がつかない。
     思えば担当医でも無くって、ただここで会ってわたしばかりが知られていて。燕青先生の話って聞いた事がなかった。
     柔く三日月を描いた緑の瞳がキラキラしている。うん、その表情は好き。
    「俺の事、知りたい?」
    「人並みには興味あります。あとなんでこんなにわたしに構ってくるのかも」
    「言っただろぉ?フジマルさんと話したかったんだって」
    「もう話してるじゃないですか」
    「まぁね、でもまだ足りない」

     カップから漂う湯気はこの間見た煙草の煙のよう。外されない視線の隙間を縫って昇って行く。
     わたしの事なんて知って楽しい事があるんだろうか。
     でも、教えてもらうには差し出すものが無いとフェアじゃないかも知れない。
    「うーん、連絡先交換とか?」
    「……いや、それはちょっとな。俺、『先生』だし」
    「それは確かに。燕青先生、すごい。チャラいだけじゃない!」
    「どーもぉ!って褒めてなくない?!」
    「ふふっ、でもどうすれば良いんですか?わたしも先生の事、知りたいです」
    「……純度百パーセントの言葉ってすごいわ」
    「?」
    「いやぁ……じゃあ、やっぱり来週の予約」

     十八時にしてよ。
     そう言って眼鏡を外してにやっと口元を緩める先生に、後で一緒にリハビリ室行ってください、と返し、熱くなった頬を隠す様に甘く無い豆乳ラテを啜った。

    **



     朝だ。
     一日の始まり以外何物でもない時間。
     カーテンの隙間から差し込む街灯の灯りに眉を顰め、時計を確認する。
     毎朝目覚める度に何処にいるのかわからない気持ちを抱えるのは、未だにこの自室に慣れていないせいだろうか。もう数年住んでいる筈のこの家は、大学時代の友人夫婦を頼って見知らぬ街へやって来た俺の隠れ家。
     逃げる、という言葉が相応しい。年賀状の住所をアテにして卒業後、音信不通に近かった二人の新居に着の身着のままで転がり込んだ俺の姿を見て、息を呑んだ友人達の顔を未だに思い出す。
     良くもまあ何も聞かずに、好きなだけ居れば良い、なんてセリフが出る物だ。
     身を隠すにしても広いようで狭い世界。生憎、生家がしち面倒くさい代々続く医者の家、なんてものだったから苦労はしたが友人夫婦の嫁さんの方──ブリュンヒルデの立場も同じ様なもので、実家を頼って手回しをしてくれたらしい。この部屋だって彼女が親から譲られた財産の一つを間借りしている状態。晴れて自由の身となった訳でもないけれど、拘束され将来が約束されたレールの上からは降りれる事になったその日、おめでとうと涙ながらに喜んでくれた二人には生涯頭が上がらない。
    (……)
     洗濯したばかりのシーツが頬に貼り付く。身体の下敷きになって引かれる髪は実家を出た時に切ってしまおうかと思ったが、何となくそのままだ。
     未だに警戒はしているが、がらりと変わった環境に漸く実感が沸いてきたのは最近の事。
     塗り潰されていた感情を出せるようになった。貼り付いた笑顔と軽薄な言葉を表に出さなくて良くなった。それでも長年染み付いた物は抜けないというか、もう自分の一部になってしまっているケはあるがまあまだマシになった方だろう。この髪も、厄落としで近いうちに切ってしまおうか。
    (あー……起きる、かぁ……)
     離れ難い温もりは自分の物。人と過ごした夜もあった気がするが、それも遠い記憶の彼方。こうして一人で微睡む平穏な時間を重ね、老いて行くのも悪く無い……なんて言うとまた友人達を困らせるな。なぁに、老後まで彼等を頼るつもりは無い、適当な所でフェードアウトして誰もいない何処かの田舎で隠遁生活を送るのも夢があって良い。
     そうしてひとりきり、誰も知らない場所で消えて行く。以前の生活では得られなかった平穏だ。
     誰にも縛られる事のない、自分を犠牲にしなくて良い人生。
     人の為、自分以外の誰かの幸福の為に消費され続ける。それに愛想が尽きて飛び出した俺には隔絶されている方が都合が良い。
     覚悟を決め、ベッドから抜け出し背筋を伸ばす。もたもたしている間に陽が昇って来て、漏れる光は床を侵蝕し始めている。
     心無しか重い身体を引きずりシャワールームへ入り、靄が掛かっている思考を振り払おうと浴びた水が髪を伝い、肌を濡らす。
     柄にも無い気持ちなど、全て一緒に排水溝へ吸い込まれてしまえば良い。
     未だに夢に見てしまう過去なんて水滴と同時に拭ってしまえば綺麗さっぱりなくなって、いつもの『燕青先生』の出来上がり。
     作り置きしてあった総菜をキッチンで立ったまま摘み、早朝のニュースを見ながら牛乳と共に飲み込んでしまう。
     手早く身支度を済ませ、鞄を引っ掴んで外へ出る。
     目まぐるしい仕事に忙殺されている方が家で鬱々しているよりはマシだろう。呼んだエレベーターへ乗り、頭の中で今日の予定を確認しながらスマホをいじる。まだ七時前、いつもより少し早いがまあ良いか。
    「、っと。早いなブリュンヒルデ」
    「あら、おはようございます。燕青くん」
    「はよ、旦那は?」
    「夜勤だったので、入れ違いです」
    「なるほど」

     エントランスでばったり出会った友人はまだ家を出る時間では無いのか、ゴミ袋を下げて部屋着のままだ。
     居心地は悪く無いマンションだが、こうしてオンオフ関係無く顔を合わせるのも何だかむず痒い。いや、もう身内みたいな物だから遠慮が無いと言えばそうなんだが。
     家族愛、という物に縁がなかったこっちとしては、仲睦まじい二人を見ていると別世界の様に感じてしまうのだ。これも業ってやつか。
     ブリュンヒルデが両手で持った袋を片手で取り、驚いた顔をする彼女へ笑いかける。日頃の恩返しも碌に出来ないからこれぐらいで許して欲しい。
    「もう出るから代わりに捨てて来てやるよ」
    「えっ?悪いです、これぐらい大丈夫、」
    「いーって、部屋に戻って旦那の為に飯でも作って置いといてやれって」
    「ふふっ、ありがとうございます。では、お言葉に甘えますね」
    「おぅ」

     そんな何気ない会話を交わしブリュンヒルデと別れる頃には、適当に結っていた髪も感傷と共に乾いていた。

    **

    「ぶっ!トラックの下敷きになったぁ?!その子大丈夫なの!?」
    「落ち着け。下敷きになった、は語弊がある。彼女は下敷きにはなっていないし、骨折は歩道橋から飛び降りた際に着地に失敗したからだ」
    「えっ!?えぇ?!どんな状況よ、それ……」
    「車道に飛び出した子供を助けようとしたらそうなったらしい、としか聞いていないな」
    「うわぁ……すごいな、聞いても訳分かんねぇ」

     病院に着いて夜勤明けのシグルドの顔でも拝むか、と立ち寄った宿直室でカルテを捲る友人へ声を掛けた途端飛び出してきた新しい入院患者の情報が突拍子も無さ過ぎてコーヒーを吹き出した。
     見も知らぬ他人を助けて事故に遭う、まあ無い事じゃないだろうし自分が同じシーンに立ち会う事になったら……どうだろうか、捨て身で人を救う事なんて出来るか?医者という職業上、生命に関わる事は多い。失っては取り戻せない、大切な物だ。子供だってわかる。それを預かる自分でもきっと躊躇する。
     それを、こんな──
    「えー、なになに?フジマル、リツカ。20歳、と」
    「!勝手に見るな」
    「いいじゃん、どーせ今日のミーティングで聞くんだから」

     シグルドが席を立った隙に覗き見たカルテ。もちろん顔写真なんて載っていないので、どんな子かわからないがきっと体力に自信があって勇気に満ちてる運動部だ。
    「偏見が凄いな」
    「いーや、当たってるね。どうだ!」
    「……そのうち院内で見かけるだろう、困っていたら助けてやってくれ」
    「へーへー、会ったらなぁ」

     否定がないので肯定と受け取り、ひらひら手を振って答える。入院すると言っても骨折以外はほぼ無傷の奇跡。強運を飛び越えた豪運の持ち主か?検査入院みたいなものらしいので会う事も無く終わるだろう。

    **

    (それがどうしてこうなっちまったんだかねぇ……)

     ぴょこ、ぴょこ。
     中庭の木の陰になっている見通しの悪い場所。そんなひと気の無い所で松葉杖を突きながら跳ねて進む、夕陽色の髪を屋上から見下ろす。先程から少しは進んだかな?と思いきや、バランスを取るのが難しいのか後退していた。なんでだよ、逆に器用だな。
     白煙を吐き出しながら彼女の奮闘を見守っている事、もう三十分は経ったか。休憩時間の大半を彼女を見ている事で消費してしまった。なんだこりゃ。
     自分の患者でも無い見知らぬ少女を見てハラハラしているだなんて、他人に知られたら指差さされ大爆笑される事だろう。
     そもそも彼女をこの場所から見るのは今日が初めてじゃない。
     存在を知った数日後にはこの場所から一方的に彼女を知った。
     今同じような状態で入院している患者は他に居ないので、十中八九あれが『フジマル』さんだ。
    (……見てて飽きねぇんだよな、なんか)
     遠目に見ても分かる程揺れているサイドテールを自然と視線が追いかける。適当に考えていたよりずっと小さな身体が杖をつきながらよろよろ動く姿を助けに行こうか、どうしようかと迷っている間にあっという間に日が過ぎてしまったのだ。
     ひとりで歩行訓練(だよな?)をしているところを見ると、努力を表に出すのが照れくさいタイプだな、とひとり予想する。だとするとやっぱり手助けをするのは得策とは思えない。ありがとう、と言われてもそれは本心じゃないかも。
     そこまで考えて、なんでこんな事で悩んでいるのかとふと我に返った。
     そもそも入院患者なんてこの特別規模が大きい訳でもない院内にも数多く居て、自分の担当外の人物など気にかける必要もない筈だ。
     余程彼女が入院した理由のインパクトが自分の中でも強かったのかもしれない。
     そろそろ戻らないと休憩時間ももう終わりだ。彼女はいつまであそこにいるんだろうか。関係ないが、シグルドに頼まれたから後で病室に顔でも出してみるか、そう思いながら寄りかかっていた屋上のフェンスから身を離す。
     とうに火が消えていた煙草を灰皿に押し付け、その場を後にする。彼女と顔を合わせた時になんと自己紹介をすれば良いだろうか、なんて考えつつ真っ白な廊下へ繋がる階段を下りた。




     んだけど、全然会えねーの!
     やれ友達が見舞いに来ている、さっきまで居たけど何処かに行ってしまった、診察の時間だなんやかんや……タイミングが悪いとしか言えないレベルで全然顔を合わせるすら出来ない。
     入院患者なんだから病室で大人しくしてろ!と怒鳴り込みたい気持ちを抑えつつ、様子見で何度も彼女の病室の前を通る物だからついに婦長にその付近への出入りを禁止された。
     いや、オカシクない!?院内うろついちゃいけない医者ってなんだよ!?
    「……先生があまりにもウロウロするからでしょう。苦情が来てますよ」
    「誰から?」
    「オルトリンデからです。先生が来ると患者の中には心拍数が上がってしまう方がいらっしゃるそうで。いい加減にして下さい」
    「はぁーい。いやぁモテるって罪だなあ」
    「その発言、改めないといつか階段から突き落とされますからね?気になる彼女と一緒にベッド並べて入院しますか?」
    「え、こわ……」

     シグルドのとこの看護師だからフジマルさんの担当なのか、カルテの束を抱え目の前でじとっと睨んで来るスルーズに末妹の名前を出されて首を竦める。小児科のブリュンヒルデの下にいるヒルドと合わせて看護師三姉妹だから、情報共有力が高過ぎ下手な事を言えない。流石に誰を見に通っているかまでは伝わっていないようだが、それも時間の問題か。
    「まあ、もうすぐ退院されるようですけど」
    「……」
     前言撤回。ばっちり伝わっていた。
     えぇ?じゃあブリュンヒルデにも伝わってんじゃん。やばい、次会った時が怖い。
    「って、もう退院すんの?」
    「だと聞きました。流石に日付けまでは知りません」
    「そっかぁ……そっか」
    「なので、もう婦長に怒られる事もありませんね。あ、この書類サインしておいて下さい」
    「へーい」

     会う機会本当に無かったな、と別に求められても居なかったのにちょっとした喪失感が胸をよぎる。まあ、会っても声を掛ける切っ掛けを作れたかどうか怪しいものだが、それでもあの中庭で一人頑張る彼女がどんな声で笑うのかぐらい知ってみたかった。
    渡された紙へサインをしようと手を伸ばすと、持とうとしたボールペンが転がって机の端に置いてある入館証ホルダーへこつりとぶつかる。
     お人好しの彼女、見過せないフジマルさん。
     この手があったか、とニヤける俺に書類を待っていたスルーズが「うわぁ」と心底嫌そうな声で呻いた。

    **
    <10/10 更新>


    「ひっ……!!」
    「だ、大丈夫ですか!?」
    「ふぇ……」

     震えたスマホの画面を何気なく見て、表示された文字に驚きそれを取り落とした。路ちゃんが慌てて差し出してくれた手にポスっと乗ったスマホは、今も同じ画面を表示している。
     鈴鹿から来たそのメッセージはピンク色のハートを飛ばすスタンプで締めくくられているのに、わたしの心臓を握り締める内容で。
     なんと言えば良いのかわからずあうあう呻くわたしを気遣いながらスマホの画面を見た路ちゃんがあらまあ、なんて呑気な声を上げた。
     ちょっと早めに学校を出られたから寄り道して帰ろうかーって路ちゃんとふたりで楽しく歩いていたのに、衝撃画像と共に投下されたメッセージ。
     しかもこれグループトークに貼ってるし!やめてよ!!
     ぽん、ぽん、とその他のメンバーからの追撃が続く音がする。
     誰!?もうこれ以上わたしを苦しめないで!!
    「大変な事になってますねぇ」
    「み、見たくない……」
    「メイヴさんも見ましたね。既読着きました」
    「ひええっ!!」
    「そろそろ着信になりそ……ああ、かかってきました。流石メイヴさん」
    「わーん!!やだやだぁ!!」

     救ってくれたわたしのスマホを返してくれながら自分のバッグを漁る彼女がそれを取り出した瞬間、激しく震える路ちゃんの端末。
     わたしじゃなくて一緒に居そうな路ちゃんに掛けてくるところがメイヴっぽくて益々怖い。ああ、こんな事ならいつも付き添ってくれてる路ちゃんには悪いけど先に一人で帰れば良かった……!!
    「ええ、一緒にいますけど……今からですか?」

     用事があるって言って!のつもりで空いた片手をぶんぶん振るけれど、少し黙った後じゃあ駅前で、と言って通話を切った目の前の彼女の笑顔が恐ろしい。路ちゃん、普段物腰やわらかな可愛いお嬢様なのにこう言うとき出て来る圧なんなんだ!!
    「立香さん、行きましょうか!」
    「やだーーっ!!」
    「ほらほら、話しちゃった方が早く楽になれますから!」
    「そう言ってみんなで吊るしあげるつもりでしょ!?わかってるんだから!」
    「みんな立香さんの事が心配なんですよ〜」
    「うぇえん!!絶対面白がってるだけだもん!!」
    「そんな事……あ、なぎこさんが迎えにいらっしゃるそうですよ」
    「ぎゃっ!!」

     絶対逃げられない布陣で囲い込んで来るメイヴの本気を垣間見て、逃げ出そうとしたわたしの腕を細い指ががっしり掴む。
    「立香さん。私、お家で犬を八頭飼っておりまして」
    「はい……知ってます……」
    「毎日のお散歩係、私なんですよ〜犬ぞりって知ってます?そんな感じで毎日振り回されていますので」

     軽い女性くらいなら抱えられますって照れくさそうに微笑む路ちゃんに、がくり、と肩を落としたところで遠くからなぎこさんの元気な呼び声が聴こえた。




     女子会ってこういうものだっけ?
     四方を友人達に囲まれて、座らさせられた車座の中。なぎこさんに捕まってあっという間に連れて来られたメイヴの部屋でにやけが隠しきれていない四人にじっと見つめられている。見る人が見たらイジメだよ?!
    「さて、立香。連れて来られた理由はわかるわよね?」
    「……わかんないです」
    「そう。シラを切るならいいわ。鈴鹿」

     メイヴが指を鳴らす音と共に鈴鹿が元気よく立ち上がり、スマホを頭上に掲げる。げっ……!
    「はいはーい!じゃーん!こちらが例のえんせー先生です!!」
    「「おぉ……!!」」
    「ちょっと!ホント止めてよ!!どうやって撮ったのそんなの!!」
    「えーっ?立香の友達って言ったら撮らせてくれたし!隠し撮りじゃないからいいじゃん!」
    「なんでぇ!?」

     部屋に響き渡るわたしの声に耳も貸さず、鈴鹿のスマホに群がるみんな。華やいだ歓声を上がる度に、居たたまれなくなって手で顔を覆うしかない。
     きっとあのスマホの画面に表示されているのは、さっき彼女がわたしに送って来たものと同じ写真だ。
     楽し気にピースサインをしている鈴鹿と同じように笑みを浮かべてこちらを見ている燕青先生。画面越しだし写真だし、そんな訳が無いのに視線が合った気がしてどきりと心臓が跳ねた……なんて、口が裂けても言えない。
     大体風邪を引いた鈴鹿がわざわざ先生のいる病院に行ったのも納得が出来ないし、燕青先生が鈴鹿に写真を撮らせたのも意味がわからない!
     内科と外科じゃ全然違うじゃん!!
    「えー?燕青先生いますか?って訊いてたらぐーぜん後ろ通りかかってさぁ!いやー持ってるよね!ワタシ!」
    「こ、幸運そんなトコで使わないでよぉ!」

     燕青先生、そんなにウロウロしてていいの!?暇なの?!
     うう……なんでこんな羞恥プレイみたいな状況になってるんだろう。燕青先生は別に彼氏じゃないし、好きな人でもない、ただの……ただの何だろう。メシ友??
    「めっちゃイケメンじゃん!なに!?リッちゃん、面食いだったんだねぇ!」
    「違う!」
    「うち風邪気味なんだって言ったら『お大事に』だってさ!チョー優しくない!?」
    「それはお医者さんだからでしょー!」
    「私もちょっと遠いですけど、今度風邪ひいたらそちらの病院に行きたいです」
    「なんで!?路ちゃんちお医者さんがお家に来てくれるタイプの家じゃん!!」
    「「「燕青先生見たいから!!」」」
    「はいはい、そこまで。みんな席に戻りなさい!話は終わってないわよ!」

     みんなの勢いに圧され半泣きになったところでメイヴが打った手の音で助けられた。……いや、この状況作ってくれた主犯だけどね!?
     ちなみに車座言ってもみんな椅子に座っている。オシャレなインテリアに囲まれたメイヴの部屋で床に座るだなんてことはあり得ないのだ。
     もっと正確に言えばみんなテーブルに着いていた筈なのにわざわざ私を囲む位置まで椅子をずらしてきていたので、がこがこ椅子を揺らして戻るなぎこさんが「床に傷が付く」って怒られてる。
    「いい?これから立香に質問する際はひとりずつ挙手制よ。立香には回答を拒否する」
    「権利あるの?!」
    「ないわよ。ただ、どうしても答えたくない時は私に耳打ちしなさい。簡潔にまとめて代わりに答えてあげるわ」
    「ぜんっぜんありがたくない!!」
    「なによ、飢えた獣達から助けてあげようとしてるんだから感謝しなさい」

     獣の女王が何を言っているんだろうか。ふんぞり返るメイヴの姿に、哀れな子羊(わたしの事だ)は、丸焼きにされる恐怖に震えるしかない。
    「み、路ちゃーん!!」
    「大丈夫です!ちゃんと答え易い質問にします!」
    「そーそー!いきなりちゅーした?とか訊かないから!」
    「なぎこさん!!」
    「ありゃ?もうしてた?」
    「してない!!」

     するもしないも付き合ってない!ばしばし、床を松葉杖で叩いて抗議をすると今度はわたしが煩いって怒られた。理不尽だよぉ!
    「じゃあ始めましょうか」
    「はいはいはい!!」
    「はーい!!」

     両手を挙げ身を乗り出すなぎこさんと立ち上がり手を挙げる鈴鹿。路ちゃんは静かに、しかし真っ直ぐ片手をぴしっと天に伸ばしている。
    「じゃあ路からね」
    「えーっ!?なんでー!?」
    「ずるいずるい!!」
    「路の質問が一番答え易そうだからに決まってるでしょ!良いわよね、立香」
    「拒否権ないんでしょ……」

     早く終わらせて解放して欲しい。そんな投げやりな気持ちで返すわたしに満足そうなメイヴが文句を言う二人を制し路ちゃんへ頷く。しゃん、と背筋を伸ばした路ちゃんが静かに、しかししっかりと発した言葉が広い部屋の中で響いた。
    「立香さんは、燕青先生を『人として』お好きですか?」
    「ひ、人として……?」
    「好感を抱いているとか、優しいとか……なんでも良いんです。立香さんから見える先生の事、教えて欲しいなって」

     いつの間にか大人しくなっていた他の三人もじっとこちらを見つめている。
     人として、好きか。って改めて訊かれると、答えは単純に『はい』だ。
     優しいと思うし、気が良い人だ。まだ病院でしか会った事はないけれど、きっと外で会っても印象は変わらない気がする。裏表が無い、とかそう言う事じゃなくて隠し事をする必要を持たない、何処か諦めた人のように感じるからかも知れない。どうしてだろうか。緑の瞳で何かを確認するようにわたしを見つめる先生の姿が脳裏を過る。わたしはそんなあの人の事を嫌いじゃない。
     何が知りたいんだろうか、って気になってしまう。
    「諦めた感じって、無気力とは違うん?」
    「そうじゃなくって……何だろう?自分が二の次、って訳でもなんだけど……」
    「あーでもちょっとわかる。よっぽどのコトじゃなきゃ、何でもいいよって言っちゃうタイプ。でも、それが自然に身に付いてる感じした」
    「見知らぬ女に写真撮らせるくらいだもんねー」
    「何ソレ、あなたそういうオトコがいいの?」
    「……良いかどうかは別として、『人として』は好きだよ」

     回答としてこれで良いのだろうか?路ちゃんを見返すと、ゆるりと微笑んだ彼女と目が合った。
    「ありがとうございます、立香さんがそう思われるなら良いんです。その……『燕青先生』を良く存じ上げないので、勢いや圧し負けてお付き合いされているならとんでもない、と考えていたんですが、要らぬ勘ぐりでしたね」
    「いや、わたしも良く知らないんだけど……」
    「でも、これから知りたいと思っていらっしゃるでしょう?」

     路ちゃんが小首を傾げながら告げた台詞に、息を呑んでしまった。
    「一言が鋭いんだよねぇ、ミチリンはさぁ」

    <続>
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