【side:Mysty】
12月31日。
一人で迎えるカウントダウンは寂しいってだけで参加してしまった飲み会で、オレは早々に後悔していた。
「あっれ〜?ミスティ、飲んでなくなーい?」
「いや、これ3杯目だから…」
「え!それでまだシラフ?!じゃあもっといけんじゃん〜!」
ドバドバ、とファジーネーブルに多分スピリッツの類の酒を注ぎながら、ギャルがケラケラ笑う。さすが陽キャだなぁと思いながら顔を見るが、名前も知らない。誰だっけ。
そもそもこのサークルは文芸部なのだが、ほとんどは幽霊部員で、"人数が多いから入った"みたいなノリのやつが多い。オレも友達のアイヴィーが入ると聞いたので入った。真面目に文字を書いてるのなんて彼女と、一部の人達だけだ。(オレも一応たまに書いている。到底人に見せられたもんじゃないが)
オレの活動頻度は週1。部屋は週3で空いてる。集まる人は疎らで、いつものメンバーがいるばかり。オレもその一員で、その空間は落ち着くものだった。今耳の外でギャイギャイと騒がしいのとは正反対のような、そんな所。今回、本当はアイヴィーも参加する予定だったのだが……
『ミスティ、ごめん。僕風邪ひいちゃったみたいで……多分、行けないと思う』
一昨日ぐらいにそんな連絡が来てしまったため、彼女には「ゆっくり休んで」と言う他無い。内心どうしようかと思った。彼女が居ないとサークルの空気に馴染める気がしない。でも欠席するとも言い辛い。行かないなら行かないで一人ぼっちの年越しを過ごすことになる。その点において、飲み会というものには仄かな期待があった。アイヴィー曰く、
『確かに普段来ないメンバーも来るけど……大丈夫だよ、ヴォックスも行くって言ってたし』
ヴォックス……彼は2年上の先輩でオレの好きな人だ。真面目に文を書いているメンバーの一人であり、このサークルの部長でもある。文学の他に映画関連に興味があり、将来は脚本家になるという夢を抱いている。そんな彼のことをオレは尊敬していて、密かに憧れていた。
自分は何をやりたいかなんて分からない。それでも書いた下手くそでイタいポエムを、ゴミ箱から拾い上げて「良い詩だ」なんて頭を撫でられてしまえば、恋に落ちるのは一瞬だった。
「あー、部長遅いなァー。もう本腰入れちまうか〜」
ふと、陽キャグループの男がそんなことを言う。ハッとして、「そう、そうなんだよ」と心の中で頷く。ヴォックスがまだ来ない。時計は23時を回っていた。飲み会が始まったのは21時だから、もう結構経つ。まさか、彼がいないまま年を越すハメになるなんて──
「ミスティ、一緒に飲もーよォ!」
突然、肩を抱き寄せられて我に返る。さっきまで隣に座っていた女とはまた別の女がグラスを持ってニコニコ笑っていた。オレは曖昧に笑って誤魔化す。
「……ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」
えー?!と後ろからブーイングが聞こえるが無視して立ち上がる。そのまま逃げ込むようにトイレに入った。鏡の前に立ち、手をついて深呼吸する。そこはかとなく顔色が悪い。メイク道具、持ってくればよかったな。睫毛も下がってきてる……。
オレは中身ド陰キャだけど見た目は派手だ。今日もブラックのアイラインを跳ね上げて、髪型は少しアレンジして緩く巻いたハーフツインテ。買ったばかりのニットワンピは背中のリボンが最高にかわいくて、指先がちょこんと出る袖丈がネイルを強調してもっとかわいい。この服はアイヴィーのお墨付き。すっごく似合うから、ヴォックスもイチコロだって。
純粋にオシャレは楽しいし、オレは身に着けたいものを着けている。なのにそれが仇となるのか、今日みたいに中身もウェイなヤツらに絡まれることが多い。本当はそうじゃないってこと、人と話すのが苦手なことを分かってくれてるのは家族と友達とヴォックスだけ。…だから早く来てよ。
また1つ息を吐いてから出ると、店の入口に見慣れた人物がキョロキョロと視線を彷徨わせていた。ふと、ぱちりと目が合ってふわりと細められる。
「ミスティ、やっぱり来てたんだな」
「!…遅いよ、先輩」
「すまない。……無理に飲まされてないか?」
「んーん、大丈夫。席、こっちだよ」
ヴォックスの手を引いて、広い貸切テーブルの隅へ、さりげなく自分の座っていた場所へ案内する。周囲は遅れてきたヴォックスに対し、やいのやいのと突っかかりながらも歓迎しているようだった。
「じゃ、部長も来たところで改めて〜……かんぱーい!」
幹事の声に合わせ皆がグラスを掲げる中、オレも自分のを持ち上げる。カチン、カランと次々に鳴る音を耳に拾いながらすぐグラスを下ろす。どうせ隅っこだから。縁に口を付けると強いアルコール臭が鼻を突いた。そういえば、勝手にスピリッツ入れられてたな……。
「ミスティ、ほら」
「え」
カチリ、と控えめに響いた音。差し出されたそれに目を向けると、新しいグラスが目の前にあった。
「チェイサーも要るだろう?こっちで乾杯しよう」
「…あ、ありがとう」
「少し早いが、今年もお疲れ様。来年もよろしく」
「……こちらこそ」
グラスを合わせる時に少し近付いた距離に、胸がきゅっとなる。来年もよろしく、かぁ。その言葉だけでこんなにも嬉しい。
「ミスティ、その服」
「な、なに?どこか変?」
「いや、似合ってるよ。お前はいつもお洒落だな」
「…へへ、ありがと」
「髪も、今日は巻いてるんだな」
「う、ん。似合うかな」
「もちろん。凄く綺麗だ」
う、わ〜……来てよかった。
声色こそ落ち着かせているが、にやけないように必死だ。チラ、と視線を上げれば酒を煽る彼の横顔が見えた。その姿もまたかっこよくて、酔いに紛れて頬が火照る。
「いやぁ、にしてもこの時間になって来るとは思いませんでしたよ」
「実は彼女でもいて普通にデートじゃ?って噂してたよねー」
「アイヴィーもいないしぃ、部長、副部揃って隠れて付き合ってる〜?とかなんとか!」
「で、実際どうなんですか先輩!やっぱ彼女いるんすか?!」
「それってアイヴィーですか〜?」
矢継ぎ早に質問が飛び交う。ヴォックスは苦笑いを浮かべながら首を横に振った。
「なんだい、突然……アイヴィーとはそんな関係では無いし、彼女が今日来れなかったのは体調不良のせいだよ」
「えー…そうなんだぁ。…あれ?」
「じゃあ、恋人はいるんですか?否定しないってことは」
「今日遅くなったのってその恋人が理由、とか?」
「………」
暫し考えるような素振りをして、ヴォックスはふっと笑みを溢した。
「まぁ、そうだな。理由といえば、理由ではある」
瞬間、ざわついていた場がシンと静まり返る。そしてその数秒後、ドッと一際大きなどよめきが起こった。
「マジっすか!?どんな人です?!」
「どんな、か。難しいな」
「美人系?カワイイ系?」
「美人だし、可愛い」
「年上?年下?」
「年下」
「サークル内ですか?!」
「それは言わないが…同じ大学ではある」
女の甲高い声が聞こえる。男の野太い声が聞こえる。様々な声が入り乱れるが、誰もが興奮しているのは間違いない。そして次の質問。その答えをヴォックスが心做しか嬉しそうに答える。質問の嵐はやまない。そして次の、次の、つぎの、
「ねぇ、あれ大丈夫かな」
「どうしたんだろ、悪酔い?」
「誰か水持ってきて!」
「……ミスティ?」
なんだろう。視界が歪んで、だんだん暗くなっていく。ヴォックスの声が聞こえた気がするけど、何を言ってるのか分からない。ぐらりと身体が傾いて、そのまま意識がフェードアウトしていった。
****
「っ、ぅ……?」
頭がズキズキ痛む。目が開けられない。ただシーツの感触があって、ベッドに寝てることは分かる。何があったのか思い出そうと記憶を辿ると、一気に気分が悪くなって吐きそうになった。慌てて口元を押さえて堪える。
「ミスティ、」
ギシリとスプリングが鳴る。そっと髪を撫でられる感覚にびくりと肩を揺らすと、「驚かせてすまない」と聞きなれた声が降ってきた。
「……ヴォッ、クス?」
「そうだよ。大丈夫か、気分は?」
「きぶん……?」
「覚えてないか。気付いたらお前のグラスが空でな。恐らく一気にアルコールを入れたから、中毒になりかけたんだろう。…気付いてやれなくてすまない」
そういえばあの時、ヴォックスの彼女がどうとかいう話が聞こえてきて、聞くのも辛くてひたすら飲んでたんだっけ。それで……?
「オレ、倒れたの?ヴォックスが介抱してくれて……ここは……」
「俺の家だよ」
ベッドから起き上がると、見覚えのある部屋が目に入る。何度か来たことがあるから分かる。ここは間違いなく彼の家だ。無意識に周囲を見渡す。つい女の痕跡を探してしまった。最悪だ。
「…オレ、どのくらい寝てた?」
「1時間ほどだな」
「へ……?うそ、うそうそうそ、」
「どうした?」
「も、もしかして、カウントダウン終わった?」
「ん?あぁ」
本当に最悪。年越しから新年にかけてこんな醜態晒して。しかもよりによってヴォックスの前でなんて。
「ッごめ、ごめんなさい、ほんとに……」
「どうして謝るんだい」
「だって……こんな、はずじゃ」
本当はただヴォックスを一目見たくて、喋って、あわよくばお酒に酔って甘えてみたりして。己の片思いが少し癒されればそれで良かった。…でも、そっか。彼女いるんだ。ならもう、無理だ。
「……帰らなきゃ」
「帰る?もう遅いし泊まっていけばいいだろう」
「でも、迷惑かかるし」
「俺は構わないよ」
「だめ、これ以上ここにいられない」
「…どういうことだ」
「彼女、いるんでしょ。だから、オレなんか家に置いとけないじゃん」
ヴォックスが何やら顔を覆って「はァーーーーー……」とめちゃくちゃ長いため息を吐いた。呆れてる。そりゃそうだ。多分彼はオレが飲み会に行くとアイヴィーから聞いていたから、オレのために遅れてでも来てくれたんだろう。でも本当は彼女と過ごしたかったはずで、なのにオレが潰れたせいで、仕方なく家に上げることになって面倒を被った。こんなの嫌われてもおかしくない。
「……そういうことか」
「タクシー呼ぶから、出るね」
「待て」
腕を引っ張られ、ベッドに引き戻される。背中を向けてヴォックスの腕の中に収まる形になってしまって、緊張と焦りが同時に込み上げた。
「な、なに。離して」
「断る」
「彼女さんに悪いってば」
「少し黙ってくれ」
「ッ?」
後ろからクイッと顎を持ち上げられ、そのまま唇が触れあった。仄かに残る酒の甘みと塩辛い味。そこで初めて気付く。あぁ、オレ泣いてたんだ。唇が離れるとすぐにまた塞がれ、何度も啄まれる。あれ、オレなんでヴォックスにキスされてるんだろう。
「ふっ……ン、」
「は……こんな気持ちでお前にキスする羽目になるとはな……」
「どういう、いみ」
眉を下げて、あまりにも切なそうな表情で頬を撫でられるものだから、つい心臓が高鳴ってしまう。そんな顔されたら勘違いしてしまう。
「俺は…もうとっくに付き合ってると思ってたよ」
「?」
「恋人がいると言っただろう。その相手というのは、他の誰でもない…お前のことだよ」
意味を理解するのに数秒かかった。ヴォックスの、恋人は、オレ?
「ずっとおかしいとは思ってたんだ。本当はクリスマスも一緒に過ごそうと思ってたのに「予定がある」と断られ、年末こそ二人きりでと思ってたらアイヴィーに先約を取られた上に、31日はサークルの飲み会に行くのだと彼女から聞くことになるし……何よりあの日から全く恋人らしい反応もしない」
そういえば…ヴォックスは人気者だからどうせクリスマスなんて空いてないと思ってそう言った気がする。というか、あの日って?……何かあったっけ。首を傾げているとヴォックスが怪訝な顔をして恐る恐る聞いてきた。
「まさかとは思うが、あの日のことも覚えてないのか」
「えっと……」
「一ヵ月前、お前が初めてここに来た時」
「ぁ」
あの時。あの時っていうのはもちろんヴォックスの家に上がった時のことで。確か一日中一緒にいて、夜に恋愛ものの映画を見ていて…。
「あの時は……その場のノリというか、冗談のつもりで、」
「……俺、割と本気で嬉しかったんだぞ」
「ご、めん」
「…いいさ、過ぎたことは。全て俺の勘違いだったんだろう」
さっきは勝手にキスして悪かった。
そう言って抱きしめていた体が離れていこうとする。だめ、まって。咄嵯に手を伸ばして、彼の服を掴んだ。
「いかないで」
「ミスティ…?」
彼の瞳を真っ直ぐ見つめてから、ゆっくり瞳を閉じる。こちらから掠めるように口付けると、びくりと驚いたような気配を感じた。恥ずかしくて死にそうだけど、ここで言わないと。
「すき、だよ」
震える声で告げると「本当に?」と返ってくる。不安げに揺れる視線をこちらへ向けて、また思いを告げる。すると力強く抱き締められ、首筋に頭を埋められた。ふわりと触れる毛先がくすぐったい。しばらくすると体を起こし、「もう一度言ってくれ」と彼も震える声で懇願してきた。
「好きだよ、ヴォックス。ずっと…好きだった」
「……ッ、俺もだ」
手を繋いで指を絡めて、どちらからともなくキスをする。こんな幸せなことがあっていいのだろうか。ずっと何かが引っかかって、交わらなかっただけだったのか。本当はずっとお互い想いあってたんだ。両想い、なんだ。
相手の体温が"これは夢じゃない"と教えてくれる。しばらく感慨に浸っているとヴォックスは優しい眼差しでオレを見つめながら"仕切り直し"の提案をした。
「仕切り直し?」
「飲み会へ行く前に用意してたものがあるんだ。なかなか手こずってな……今日遅れたのもそのためだよ」
ベッドルームを出てすぐ、リビングに通される。電気が点くとそこには見事な薔薇の花が飾られていた。それも数え切れないほどの本数が。そしてテーブルには小さな白い箱が置いてある。
「本当は、付き合って一ヶ月記念のつもりで渡そうとしていたんだが」
苦笑いを浮かべて彼はその小箱を取り、オレに手渡した。開けてみて、と視線で促され、そっと蓋を開ける。
「わ……!」
箱の中にはチョーカーが入っていた。細身だがしっかりした作りの皮素材のもので、中心にシンプルなラウンドカットのイミテーションがあしらわれている。
「すごく可愛い……。これ、もしかしてオレの好きなブランドの……?」
「あぁ、いきなり高い物だと気負わせてしまうかと思ってな。それなら普段使いもできるだろう?」
ヴォックスは思った以上に自分を見てくれてる。それが分かって自分がいかに鈍感だったかを痛感すると同時に、申し訳なさでいっぱいになった。
「その、ごめんね、オレ全然気付かなくて……」
「もう謝らないでくれ。これからは恋人として傍にいてくれるんだろう?」
「っ!うん」
「ならそれで良いじゃないか。ほら、つけてやるからおいで」
言われるがまま彼に手招きされて近付くと、首元を晒すよう言われた。少し緊張しながら待っていると、革紐のひんやりした温度と彼の手の熱が混じる。
「…改めて、ミスティ」
「ん?」
「今年もよろしく」
「……こちらこそ、よろしく」
照れくさくてへへ、と笑うと彼も優しく微笑む。言葉を交わしてから額同士を合わせて、くすくす笑い合う。新年が明けて片思いが成就するという、神様もびっくりな最高の始まりを迎えて、オレはこの幸せが出来るだけ長く続きますようにと願った。
【side:Ivy】
ため息を吐くと白く濁る。外はこんなに寒くて、心も寒いなんて、僕はどうしたものかと頭を悩ませた。去年よりは浅く積もった雪をサクサク踏みながら、ある場所を目指す。
「そろそろカウントダウンか……」
今頃あの二人は上手くいってるだろうか。僕の選んだ可愛いニットのリボンを、あの男は解いているのだろうか。
なんて、我ながら下衆なことを考える。どうせ結果は決まってるのだ。少し後押しするだけでドミノ倒しのように崩れるだろう。あの子の幸せは自分の幸せ。そう言い聞かせて、また胸中で毒を吐く。失恋で荒んだ心なんだ。自分で慰めなければ、一体誰が癒してくれる?
目的の場所に着くと、大きなウィンドウの奥に案の定彼の姿があった。"closed"と札のかかってるドアを躊躇いなく開くと、小さく鈴が歓迎の音を鳴らす。当然、店内には彼以外いない。白と黒で纏められたシックな内装に、流れるジャズミュージック。一歩踏み出した瞬間ぶわりと暖気に襲われ、自慢のツインテールが少し乱れた気がした。
「こんばんは、シュウ」
「あれ?アイヴィー、調子が良くないって聞いてたけど」
「そんなの仮病に決まってるでしょ」
「えぇ」
失恋相手の兄である彼も僕の嘘を聞いてたみたいだ。呆れたように笑って「ご注文は?」と目の前の席を勧めてくれた。
「お酒飲む?」
「いや、ホットコーヒーで」
「OK」
シュウはテキパキと慣れた手つきで準備し始めた。僕はその様子をただ黙って見つめ、心許なさに髪の毛先を弄る。しばらくして、熱々の湯気を纏った真っ黒い液体がツヤっとした白いカップに入って差し出された。
「はい。まだ熱いから、少し待ってね」
「ありがとう」
暗い水面に映るのは驚くほどつまらなそうな自分の顔。鏡のようなそれを覗き、自分の行動を振り返る。やっぱり、奪ってしまえばよかったのか。しかし奪った所でどうするのだろう。笑うことも無く自分に縋る彼女を想像して、嬉しいようで嬉しくない複雑な感情を手のひらで持て余すのか。それって幸せか?口角が自嘲気味に歪む。その顔がまた水面に映って、どうにも醜く、ティースプーンで掻き消した。
「浮かない顔だね」
「でしょ。なんでだと思う?」
「んー…?」
シュウは顎に手を当てて考える素振りを見せる。本気で分からないような顔をしながら、突然閃いたように頭のバナナヘアーを揺らし、口を開いた。
「もしかして、ミスティのこと?」
「………」
「お、図星かな」
「はぁ…うるさいな」
「ふふっ、ごめん」
でも、ここに来たってことは、そういうことだよね。
そう言って彼は僕に向き直る。
「今日はいくらでも愚痴に付き合うよ」
「あはは、言ったね?」
「もちろん。だって君にはいち早く立ち直って貰わないと。これからのミスティの恋路に支障が出るかもしれないし」
「ほんと、妹のためなら何でもするところ、性格悪いね」
「お互い様だよ」
シュウは楽しげな笑みを浮かべて一旦カウンターの奥へ戻った。そして次に出てきたとき、手には苺のタルトが乗っていた。
「これで少しでも機嫌取り出来るといいんだけど」
「それ言わなければ大分ポイント高かったよ」
んはは。
一つ空笑いして差し出されたそれにフォークを差し込む。一口大に切り分けた欠片を口に含むと、優しい酸味と甘みが広がって、沈んでいた気分が少しだけ浮上する。いつもなら苦くて飲まないコーヒーを飲みもう一口食べると、今度はさっきより強い甘味が広がった。
「……美味しい」
「それは良かった」
「うん……ありがと、シュウ」
暖かい店内と、美味しいタルトにコーヒー。そして、優しい友人。そこでやっと、僕は。
「っ、う………、」
フォークを強く握り締め、ボタボタと大粒の涙を流す。一度流れてしまうともう止まらなくて、喉を搾り上げるような声が漏れ始めた。
「う、あぁ……っ」
「……」
「ッ、…ふ、ぅえ……!」
段々大きな声でうわーんと子供のように泣きじゃくる自分に対しシュウは何も言わず、ただそこに立っていた。ならばと、先程の彼の言葉を信じて、ありったけの思いをぶちまける。
「ッ、なんなんだよあの二人!明らかに好きあってるのに!じれったい!いつになったらくっつくの!?見てるこっちが苦しいよ!!」
「……」
「さっさと丸く収まってくれれば!こんな、くだらない希望を抱くこともないのに……!さっさと諦めがつくのに!」
「……」
「ヴォックスの奴…『ミスティの好きなお菓子は』『ミスティの好きなブランドは』っていちいち聞いてきて……少しは本人に聞けよ!本人に聞かずに正解知るなんて、狡いにも程があるだろ!」
「……──」
「そもそも、ヴォックスもミスティも、僕を信用しすぎなんだよ!僕が『ヴォックスなら飲み会来るよ』『ミスティなら飲み会に行くよ』って言ったから行くって何?!ちゃんと当人に確認しなよ!!」
「……っふふ」
「こら、そこ!笑わないで聞け!」
「!はい」
呪詛のような恨み言はまだまだ終わらない。頬を伝う涙と共に、次々に舌を駆けずり回る。
「ひっく、なんで……なんで僕の好きな子に『好きな男のための服』を選ばなきゃいけないの。ただ僕がミスティに似合うと思って選んだ服に『ヴォックス、これ好みかな』なんて聞かれなきゃならないの……」
「……」
「……ミスティと買い物しながらずっと思ってたんだ。ああ、やっぱり好きだなって。あの子のことが好きで、好きすぎて…僕、最低なこと考えた。一生平行線のまま、すれ違えば良いのにって。でも、でもさ」
それ以上にちゃんと幸せになって欲しいって、思ったんだ。
「馬鹿だよね。最初から愚図らず背中を押してればこんなに長いこと苦しまずに済んだのに。……結局、自分で自分の首を絞めてるだけだ。ほんと、僕って馬鹿」
「そうだね」
「……うるさい、はげ」
「辛辣だなぁ」
シュウは下手に慰めるような言葉もスキンシップもしなかった。少し肩を擦るくらいしてくれても今なら噛まないのに、と思いつつカウンター越しの距離感が心地よかった。
「ねぇ、アイヴィー」
「……なに」
「君が将来、本当に後悔しない道を選べたらいいね」
「……へ?」
シュウはいつもより穏やかな声でそう言った。意味がわからずにきょとんとする僕を見て、ふと彼は目を細めて「そろそろかな」と呟く。
「コート着て、少し外に出よう」
「え、なにさ」
「いいもの見れるから、来て」
そう言われて半ば強引に上着とマフラーを着せられ外に出る。一体どこに行くのかと考える間もなく、たった数歩歩いてシュウは店の前で止まった。
「見てて」
「?」
何の変哲もない、いつもの店の前。既に閉店していたためか、入口の電気は点いておらず真っ暗だった。何故外に?不思議に思ってると、ふとシュウが小声で「3、2、1…」とカウントダウンを始める。そして0になった瞬間──
「わっ!?」
突然目の前が明るくなり、思わず目を閉じる。再びゆっくり瞼を開くと、そこには色とりどりのイルミネーションに包まれた店の姿があった。「Happy New Year」と綴られたネオンと、細かい雪のような光が藤のように吊り下げられている。
「どう、驚いた?」
「うん……すごい、凄く綺麗」
「本当はクリスマスにもやりたかったんだけど、そこの道って街路樹に繋がってるでしょ?そっちのイルミネーションばかり目立つから、来年は元日にやろうって決めてたんだ」
「…それで今年は無かったんだ」
「もう年越したから、去年だよ」
「あ、そっか」
そんな他愛のない会話をしていると、コートのポケットに入ってたスマホから軽快な音が聞こえてきた。取り出して画面を見ると、ミスティからのメッセージが2件。
『アイヴィー!Happy New Year♡♡体調大丈夫そ?早く良くなりますように…✧︎*。』
『あと、一つ報告……ヴォックスと付き合うことになりました。本当にありがとう。沢山相談に乗ってくれて、服も、メイクも、髪の巻き方も教えてくれて……全部アイヴィーのおかげ。今年も仲良くしてね』
「〜〜〜ッ、……はぁ」
「ふーん、良かったね」
「……勝手に画面覗かないで」
どうせこうなるだろうなと分かってても、こうして事実を受け止めるのは辛い。それでも、一人の女ではなく、彼女の友人としての僕には一番嬉しい結末だ。今度は別の意味で涙が込み上げてくる。
「あーあ……なんか、泣きすぎて疲れちゃった。でも、せっかくなら笑ってあげないと。シュウも嬉しいよね、お兄ちゃんとしては」
「……」
「シュウ?」
「……は」
…っくしゅん!!
「んへ、鼻水でた」
「もう、君もコート着たら良かったのに。制服のままじゃない」
「いやあ、すぐ戻るつもりだったから…」
「ほら、ティッシュ」
「せんきゅ」
また店の扉を潜ると、身に纏った冷気が剥がれていく。そういえばさっき外に出た時、ここへ来た時より寒くないなと思った。なんだか胸の辺りからポカポカと暖まるような感覚がする。
「ここは落ち着くね…君たちに初めて会った日が懐かしいよ」
新しいカップ2つと共に戻ってきたシュウは、今度は僕の隣に座り、そのまま話を繋げた。
「あの時はまだミスティが僕の手伝いをしていて、君の参考書にコーヒーをこぼしちゃったんだっけ……ふふ」
「その頃の僕、受験の年でものすごくナーバスだったから、ミスティに悪いことしちゃったな」
「あの時の君の形相には僕もちょっと震えたよ。それにしても、まさかあの出会いからここまで仲良くなるとはね」
昔話に花を咲かせ、凪いだ海のような心持ちでいると、今度はスマホのバイブ音が鳴った。気にしないようにとモードを切りかえたが、一応見てみようか…。
「……」
「……ヴォックスから?」
「チッ」
「Oh…」
送られてきたのは一枚の写真。肩を寄せ合い、仲睦まじくポーズをとる二人の姿があった。それは良い。それは別に問題じゃない。しかし、何だこれは。
「これ、僕がミスティの誕生日に贈ろうと思ってたやつ………!」
ネイルを噛み締めギリ、ギリ…と歯ぎしりをしながら目をかっぴらく。紐の太さからチャームの大きさ、どこからどう見ても寸分違わず同じものだ。
「僕とミスティの好みと学生でもお手ごろな価格で質の良さを兼ね備えたブランド。しかも何回も一緒にショッピングした思い出のショップの限定品を、なんでヴォックスが買えてるの?!」
「ワァオ、すごい説明口調……」
「Son of a b**********tch!!!!!!」
ふわふわロリータツインテの女の口から一番出てはいけない言葉が出た。今にも地震のような台パンをかましそうになって、シュウが「アーッ!お客様困りますー!!」とわざとらしく窘める。
「当店はもう閉店致しました〜!」
「ちょっと、今日はいくらでも愚痴聞くって約束でしょ!お酒ちょうだい!炭酸の甘いやつ!」
「あははっ、やっぱりそうなるんだ!」
「愚痴もだけど、君がルーシーとどれくらい進んだのかも教えてよ!」
「ぶはッ!!な、なっ、〜〜ッ?!?、!」
「陰キャの闇ノくん顔真っ赤〜」
「ちょ、違うって……!彼女はただの友達だってばー!」
宵闇の空の下、ネオンとイルミネーションの灯りに彩られたカフェでガヤガヤと。独り身同士の宴は続く。あの子への恋心は一部去年へ置いてきた。こうなったらこの記憶と経験を、自分の文の糧にしてやる。そう意気込んで酒を煽る。
そして…出来ることなら来年も再来年も、この想いが軽くなるように、シュウに手伝ってもらいたい。そう勝手に心の中で先約をとった。