伯昴 「……しかし、なんだね。
こんな難儀な頼み、昴さんが受けてくれて助かったわ……」
「本当にぼくでいいのかっていうのは思うけどね……伯玖さんの力になれるのなら、嬉しいよ」
夜のほのかな光の中、昴はかすかに微笑んだ。
頭上には見慣れない天井がある。
草薙家の分家が管理する神社の本殿に布団を並べて横になっている。
普段賽銭箱の向こうに見える空間に入っているだけでも落ち着かないのに、そこに布団を並べるだなんてなんだか罰当たりな気がした。
四方は板戸で締め切られ、蝋燭を模したあかりだけがわずかな光源として存在している。
「まあ、何が起きるってわけでもないんで、あんまり心配しなさんな」
伯玖は軽くそう言うと昴の方に向き直った。
分家の祭るこの神社は草薙の本殿の荒御魂を祭る神社で、その魂を沈めるために毎年儀式としての『嫁』を差し出す必要があった。
昔はもっと厳密な供物としての儀式があったらしいのだが、今は形骸化しており、身を清めた嫁がこの場で一晩過ごすことで儀式は完了する。
その代わり、嫁になるのは誰でもいいわけではなく、占いで決められた、その白羽の矢が昴にあたったというわけだ。
伯玖にダメ元で頼まれた昴は二つ返事で了承し、その付き添いとして伯玖がこうして帯同している。
板戸の向こうから虫がなく声が聞こえる。
普段寮では感じない静寂があたりに漂っている。
その非日常感がどことなく昔を思い出させ、昴は少しだけ楽しい気持ちになった。
「おっ、どうした?」
「いや、少し、修学旅行みたいだなって思って……ぼくは参加できなかったから。
友達と枕を並べるってこんな感じだったんだなって思ったら、ね」
「光栄だね、昴さんの初めてのお泊まり会に参加させてもらえて」
仰々しく話す伯玖がおかしくて、昴はくすくすと笑った。
「それにしても、伯玖さんの『嫁』だなんて、ね。
他の人に聞かれたら、ぼく、刺されちゃうんじゃないかな」
「おいおい、滅多なこと言わないでくれよ。
それを言ったら、おれの方が身が持たないと思いますが」
「ぼ、ぼくはそんなんじゃないから!!」
柄にもなくからかったところ、見事に返り討ちにあい昴は頬を赤くさせた。
しかし、そんなやり取りさえ新鮮で、楽しかった。
友人とのお泊まりなんて、やっぱり初めてのことだったから。
「……ねぇ、伯玖さん。
このまま、本当に眠りにつけばいいのかな」
「そうさな、昔からの伝統にのっとれば他にやることがあるといえばあるんだが……それをお前さんに頼むのは、流石に……」
珍しく言い淀んだ伯玖に、昴は逆に興味をそそられた。
「やっぱりちゃんとした方が都合がいいんでしょ?
ぼくにできることなら、協力させてほしい」
どこか遠くで梟の鳴く声がした。
伯玖は、昴に向き直ると指先を動かし、布団の上から昴のヘソのあたりを押した。
普段の柔和な雰囲気が消え、至極真剣な……歴史を背負った神職としての言葉だった。
「ココにおれの子種を注ぐ。
嫁とは、そういうものだろ」
指差された箇所がじわりと熱く、昴は何も言えずただ伯玖の目をみた。
「古来より、嫁とはそういうもの、だろ?」
静寂の中、ただ虫の音だけが聞こえた。