寄宿制神学校パロなニキマヨ マルチエンディングこの物語は簡易的なマルチエンディング形式となっております。
途中に出てくる数値を足して、好感度を計算してください。
『初期好感度 50』
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誰かのお下がりでも、無理矢理丈を直したものでもない服。
生地だって柔らかく、くすんでなくて着ているだけで立派な人になったみたいだ。
制服というらしい。学校から支給されたもので、改めて袖を通し見惚れてしまった。
黒に近いグレーのパンツに、グレー色のシャツ。
襟に金糸で施された飾りのついた黒いジャケット。
ジャケットはウールでできていて地が厚く、羽織るだけで背筋が伸びる気持ちだった。
胸には十字のマークが金、白、青の糸で、袖口には金糸でラインとケーブル模様が刺繍され、黒いジャケットに彩りを添えていた。
その上に羽織る用のコート。
シャツの上に着るための青地に白いラインが入ったベストまで届けられていた。
ジャケット以外の全てを身につけて、最後にループタイで首元を飾る。
タイを留めるためのアグレットは透明感のある楕円形の石。石の色は水色でその周りにくすんだ金色の丸い留め具が連なっていた。
タイを締めコートを羽織り、全てを身につけるのは、今日がはじめてだった。
見違えるようになった姿をみて感動している僕を、両親は力いっぱい抱きしめた。
「元気でね、ニキ」
「愛してる」
身体が潰れるんじゃないかと思うくらい強く抱きしめられて、痛いよと腕の中から抜け出した。
「大袈裟っすよ。お父さん、お母さん!
春になったら卒業して、そしたら街でコックさんになるっす!
確かにうちにも僕にもお金はないんで、しばらく会えないかもしれないっすけど……きっとお金を貯めて、またここに帰ってくるんで」
僕はそう言ったけど、両親は未だに泣きそうな顔をしている。
もう二度と会えないわけでもあるまいし。
「これ、あなたの好きな物をたくさん詰めたから」
「こんなに!?いいんすか?!
こんなに食べ物でいっぱいなカバン、初めて見たっすよ」
お母さんやお父さん、兄弟たちがひもじい思いをするんじゃないかと心配になって返そうとしたけど、二人はカバンを受け取ってくれなかった。
かわりにお父さんは僕の両肩を掴むとじっと目を見て僕に言い聞かせた。
「……絶対に誰とも仲良くなってはいけないよ」
「……う、うん」
誰とでも仲良くしろ。
困ってる人には手を差し伸べろ。
そう言ったのはお父さんなのに。
この腑に落ちない約束だけは、どうしてもよくわからなかったけど、それ以上聞ける感じでもなく、僕は首を縦に振った。
家の外で馬がいななく声がする。
「行かなきゃ」
ジャケットを羽織って、お母さんのカバンを持った。
家を出る前にもう一度抱きしめられた。
二人は何度も愛してると言って、その声は震えていたから、たぶん泣いていたんだ。
どんなにひもじくても泣いているところを見たことがなかったから、僕はその時はじめて少しだけ悲しいと思った。
「絶対に立派な人になって帰ってくるっす」
後ろ髪を引かれる思いで、家から出ると街まで向かう馬車の隅に乗せてもらった。
この日、僕ははじめて鉄道に乗った。乗るのもはじめてだったけど、見るのもはじめてで、ただただ圧倒された。
こんな大きな鉄の塊が動くなんて、信じられなかった。
車内は人でひしめき合っていて、どうにか窓際に座るところを見つけた。席について一息つくと、お母さんのくれたカバンの中から持たせてくれた硬いパンを口にする。
終点についたら迎えが来ていて、僕は今日から寄宿学校というところで暮らすことになる。
一応読み書きはできるけど(これは僕の村ではすごいことだ)学校に行くなんて初めてのことだったから、不安がないかと言ったら嘘になる。
でも、僕の家は貧しくて……いつもひもじかったから。
たくさんの兄弟たちと畑を手伝ったり、冬の間は細工物を作ったりしたけれど、お腹がいっぱいになることはなかった。
同じ量のご飯を貰ってるはずなのに、僕だけがひときわお腹が減って……このままじゃみんなダメになると思っていた時に、見慣れない黒い服装の人がやってきた。
いまから向かう寄宿学校で勉強すれば、ご飯はお腹いっぱい食べれるし、好きな職業にもつけるようにしてくれるらしい。
さらにお父さんたちもお金が貰えて、面倒な手続きは全部この人がやってくれると言っていた。
そんな美味い話本当にあるのだろうか。
不思議に思ったけど、誰も飢えないためにはそれしかないように思えた。
行くと言った日から、今日まではあっという間で、みんなと離れるのは寂しいけど、それ以上に自分の力で現状を変える希望があった。
これまでのことを思い出しながら、大切なパンを少しづつ食べていると、ゴウッと音を立てて汽車がトンネルに入った。
窓の外も中も煙とトンネルの暗闇で真っ暗になり、車内の弱い光では何も見えなかった。
急に汽車がたてる音が小さくなって、明るくなった世界に目が慣れると、窓から見える景色はまったく違うものになっていた。
「……雪」
僕の住んでいたところでは、雪は降らなかったから。
話には聞いていたけれど、こうしてみるのは初めてだった。
窓の外をよく見ると、白い粒が勢いよく流れていく。
それが雪の結晶なのだと、窓に張り付いた一粒をみて改めてそう思った。
空にかかる雲は厚く重たく、光も弱く感じた。
それでも全てを覆うように積もる雪は美しく白く、まるで別世界に来たようだった。
家にも畑にも平等に厚い雪がかかっている。
誰も触れたことのないような滑らかな表面に触れてみたい。知らない景色は見ているだけで楽しく、外を眺めているうちに終点をつげるアナウンスが聞こえてきた。
「……さむ…ッ」
駅に着いた時よりもずっと寒く感じた。
家を出た時には厚着だと感じていたのに、いまはこの格好が頼りなく感じるほどだ。
厚い雲が頭上を覆い、昼だというのに薄暗く感じる。
塊になった雪がちらちらと降る。
人が通るところ以外は厚く雪が積もり、人が通るところにも薄らと雪が層になっていた。
踏むと足跡がのこり、それもすぐに雪に埋もれて消えていく。
使いの馬車は僕が降りると、すぐに去ってしまった。
一人残され、連れてこられた場所は、鉄格子と石でできた高いへいに囲まれた場所だった。
へいの中央には鉄格子でできた門があり、いまは固く閉ざされている。
門には槍のように尖った装飾が等間隔で並び、それに絡みつくように曲線の装飾がついていた。
その奥にはへいよりも門よりも高くそびえる教会の建物があった。
「……こんなでっかい建物、みたことないっす」
教会をはじめとした建造物は、石造りの高い荘厳な建物で、細かい装飾に雪がかかり威厳ある美しい佇まいをしていた。
確かに美しいのだが、同時に見る者の言葉を奪うような威圧感を感じ、僕は立ち尽くししばらくの間見上げ、魅入っていた。
中からは子供の声はおろか何の声もせず、余計に場違いであるような気がして、この後どうしたらいいのかと悩んでいると。
「ようこそ」
いつからそこにいたのか分からなかったが、門の向こうに人がいた。その人によって、ゆっくりと門が開かれる。
「そんなに……怖がらなくても大丈夫だよ」
門をあけた男の人がそう言って微笑みかけた。
僕が着ている制服とどこか似ているのに、より格式高くみえる服を着ている。
男性の外見はあまり歳が離れてないように見えたけど、泰然とした雰囲気が見た目よりもずっと成熟して見えた。
その長身の青年は、胸のあたりまである灰色の髪を後ろでラフに一つに束ね、ガーネットのような橙の瞳をもっていた。
とても同じ人とは思えない、ガラス細工のような美しい人だった。
「君がニエの子……」
僕のことを舐めるように見て、そう呟いた。
「……?
ニエじゃなくて、ニキっすよ」
不思議な読み間違えだ。
確かに字面は似てるけど……。
「ごめん。そうだったね。
改めまして、こんにちは、ニキくん。
いまは冬の休暇中で生徒も職員も少ないんだ。
私が直接案内するよ。
付いておいで」
「……は、はい」
門をくぐると青年は教会の大きな扉を開けた。
天井はアーチ状に高く、いくつもの細かい装飾に彩られた柱がそびえるようにして規則正しく並ぶ。
美しく荘厳。
色調は灰色で重く、空間全体が覆いかぶさってくるような圧迫感を感じるのに、目が離せない。
歩く靴音がカツカツと建物の中で反響する。
中央にはパイプオルガンとそれを囲むように大きなステンドグラスが何個もあり、降り注ぐ光が中央の祭壇に集められていた。
入り口から祭壇に向かって赤銅色の毛氈を敷いた通路が一直線につながる。それを挟むようにして一定の間隔で長椅子が並べられていた。
その間を青年の後ろについて歩いた。
こんな建物に入ったことは初めてで、珍しさからあたりを見回した。
中央以外にも教会の上部にはステンドグラスが嵌められており、規則正しく並んだ調和した空間に窓の形で光を投じられている。
(綺麗だけどなんか怖くて、冷たいんだけど魅力的で、なんか不思議な場所っすね……)
「あまり緊張していないんだね」
「……してるつもりなんすけど……」
「大丈夫。
そのほうがいいと思うよ。
物おじしない子の方が、彼と仲良くなれると思う」
「……はぁ」
とらえどころのない話は苦手だった。
きっとこのままこうしていても実りのある会話はできない気がして、失礼を承知でこちらから尋ねることにした。
「えっと……あなたは……?」
「紹介が遅れたね。
私はナギサと言う。普段はこの教会にいるよ」
「神父さん?」
「少し違うかな。
私のことは先生でいいよ」
僕は一度頷いた。
先生はわかる。
勉強を教えてくれて、正しい方へ導いてくれる偉い人だ。
「まずはどこから案内しようか……」
先生は少し考えるふりをして僕のことを見た。
「荷物……そうだね。
君は長旅からここに来たんだった。
案内よりも休ませなくては」
先生は一度頷くとそう決めたようだった。
そして左側にある扉を指差す。
「この扉を抜けて真っ直ぐ進むと談話室の入り口がある。
この時間なら、君の同室の相手はそこにいるはずだよ。
行っておいで」
「着いてきてくれないんすか?」
「……私もなかなか忙しいし……。
それにこういうことは大人がいないほうがいいんじゃないかな」
引き止めようと思う頃には先生は別の扉からどこかへ行こうとしていて、僕は諦めて指さされた方へ向かって歩いた。
扉の外は中央にある四角い中庭を囲むように配置された回廊になっていた。
中庭の真ん中には噴水らしきものがあったが、この寒さでは当然水は止まっている。
庭の反対側にある回廊にも人影はなく、ただ雪だけが降っている。
こんなに広い建物なのにシンと静かで、自分の足音だけがよく響いた。
(……誰も……生きてる人がいないみたいっすね)
あまりにも静かだったからそう思っただけなのに、いざ考えてみると急にぞくっとした。
こんな美しいけれど寂しいところに一人でいるからいけない。
早くその彼に会って、血の通った会話がしたかった。
早足で靴を鳴らして進む。
右手にはいくつもの机や椅子が並ぶ部屋があり、どうやらここで勉強をするようだった。
左手に見える中庭にあるオブジェにも雪が積もり、回廊も屋根はあったがやはり寒かった。
この地に降りてからずっと暖をとった覚えがなく、寒くて指がかじかむ。
吐く息で温めようと思った時、どこからか音が聞こえることに気がついた。
(……オルガンの音?)
一度連れて行ってもらった教会で聞いたことがある。
音に惹かれるようにして回廊を歩くと、ある部屋のドアの前についた。
(……談話室……?ここっすか…?)
ドアの前に立ち、開けてもいいものか迷ったが、他にできることもなくゆっくりとドアを開けた。
(男の子……?)
寒々しい部屋だと思った。
外から見える景色の色合いがそうさせるのか、青を基調とする部屋がそう思わせるのか、僕には分からなかったけど、それでも談話とついているにもかかわらず、寂しい印象を与える部屋だった。
部屋の中には本棚とテーブルやソファが置いてあり、普段は読書や談話に使われる部屋のようだったが、今は人の姿はない。
暖炉があったが火はついておらず、見た目以上に冷え冷えとしている。
その部屋の壁際にオルガンが置かれ、それを一人で弾いている人がいた。
他には誰もいない。
年は自分と同じか少し下。
細身で紫色の長い髪の毛をゆるくまとめて三つ編みにし垂らしている。
自分と同じ制服を着ていて、厚いジャケットの生地越しにでも細身であることがわかった。
同じデザインのはずなのに、僕のものよりもずっと落ち着いているようにみえたのは、彼が持つ雰囲気のせいかもしれない。
横顔しか見えなかったが整った顔立ちの少年だった。
「あのさ……」
声をかけたら指を止め、こちらを振り向いた。
緑がかった青い瞳がじっとこちらを見つめている。
先程の先生も綺麗な人だと思ったけど、この人も十分すぎるほど綺麗だ。
この世の人ではないみたいに。
「……誰ですか?」
自分に話しかける人がいた事実を不思議そうにそう尋ねた。
「君と同じ部屋だって聞いたんすけど……何か聞いてないっすか?」
「ああ……」
彼は立ち上がるとオルガンの蓋をしめて、ゆっくりこちらに近づいてきた。
決して友好的とは言えない態度。
どちらかといえば煩わしそうに僕をみる。
「あなたが?……話は聞いてます。
名前は……?」
「ニキっすよ」
「……ニキさん」
彼は僕のそばまでくると噛み締めるように名前を呼んだ。
そして、少しだけ鼻をよせる。
「確かに、冬のにおいがしません……。
遠くからいらっしゃったんですね。
その話し方……訛りというのでしょう?
聞いたことがあります」
「そんなに訛ってるっすか?
何言ってるかわかんない?」
僕が慌てて尋ねると彼はゆっくり首を横に振った。
それだけのことなのに、ほっとして緊張がほぐれると自然と笑顔になった。
「僕、ここじゃ右も左もわかんないし、友達もいないんすよ。
だから、仲良くしてくれると嬉しいっす」
右手を差し出して、握手を求めた。
そして、その時になってお父さんに聞かされていたことを思い出す。
『誰とも仲良くなってはいけない』
思い出した瞬間、彼と目が合って、その凍るような青い瞳に射すくめられた。
「私と仲良くなんてならない方がいいですよ。
あなたのためにも。
そして、きっと私のためにも」
彼は僕の差し出した手を指先で避けると、そのまま部屋の出口に向かった。
「私はマヨイといいます。
寮の部屋ですよね。案内しますから付いてきてください」
彼は振り返ることなくそう言うと、僕の返事を待たずに部屋を出ていった。
・慌ててマヨイを追いかける +10
・失礼な態度に唖然とする -10
***
マヨイくんに案内してもらった部屋はこじんまりとした二人部屋だった。
入って左手に二段ベッドがあり、あとは机が一つと椅子が二つ。そして、それぞれのチェストが二つあった。
縦に長い部屋の一番奥には出窓があり、腰掛けて外の景色が見えるようになっていた。
「下のベッドは私が使っていますので、上をどうぞ」
ここに至るまでなんの会話もなく、ようやく話してくれたかと思えばベッドの中に引っ込んでしまった。
仕方なく与えられたベッドの上段に上り、お母さんがくれた食糧を取り出した。
ここに来るまで色々なことがあったから、お腹がすいていた。
一口齧ると懐かしい味がする。
(世の中にはこんなとこがあるんすね……)
見慣れない部屋だ。
こんな雪だらけの街を見たのもはじめてだったし、こんなに静かで綺麗なところも初めてだった。
そして、初対面の人にこんなにつれなくされたのも。
「……マヨイくん」
「……上から下を覗き込まないでください」
冷ややかにそう言われたが、睨まれることはなかった。
ただ視線は外され、これ以上関わりたくないと態度で示される。
「学校ってどんなとこなんすか?
なにやってるんすか?」
とりあえずの疑問を尋ねてみたが、マヨイくんは無視をしたまま壁の方を見ていた。
こちらと会話するつもりはないらしい。
(……別にいいんすけど。
お父さんにも仲良くするなって言われてるし……)
諦めて自分のベッドに戻った。
(……仲良くならない方がいい。
そんなことってあるんすかね)
さっき談話室でみたマヨイくんの目が印象的で、瞼を閉じたら思い出した。
ガラスのように冷たく透き通っていて美しい瞳。
(僕はやっぱり……できることなら、仲良くなりたいって思うっす)
硬いベッドに薄い布団だったがそれでも自分だけの場所というのは初めてで居心地がよく、長旅の疲れも手伝って気がついたら眠ってしまっていた。
***
新しい場所に来て三日が過ぎ、ここで生活することに慣れてくる頃にはパラパラと人が戻って来はじめ、五日経つ頃には授業がはじまり活気がでてきた。
たくさんの人が生活している空間にいると、初めて来た日に感じた寂しさが嘘みたいに思える。
中庭にも回廊にも人の声が溢れて、ただそれだけのことなのにほっとした。
授業は正直難しくて(特に神様の話は。死んだら幸せになれるってなんすか?じゃあなんで生きてるんすか?)僕にはよく分からないことも多かったけど、それでもこの生活を気に入っていた。
マヨイくんは相変わらずつれなくて、何をしても無視されることが多いけど、それでも寝坊しがちな僕を起こしてくれるので、たぶんいい人なんだと思う。
学校で僕は友達ができたけど、マヨイくんはいつも一人で外の雪を見ていた。
いまも。
授業中はつまらなさそうに外を見ていて、終わると同時に立ち上がり、昼食のため食堂へ向かう人の流れとは逆に寮の方へ向かっていく。
そういえば、マヨイくんがみんなと一緒にご飯を食べているのを見た記憶がない。
(……お腹減らないんすかね……)
僕にとっては一日の中で一番楽しみな時間なのに、それが楽しみじゃない人がいるなんて。
静かに体温を感じさせず歩く姿をつい目で追ってしまう。
こんなにも気になってしまうのが不思議だった。
もっと気が合いそうな人は他にもいるはずなのに。
(きっとここに来てはじめて会ったのがマヨイくんだったからっすね……)
無理矢理そう納得してみたところで、視線を外すことはできなかった。
「ニキ、行かないのか?」
「早く行かないと席が埋まっちゃうよ」
「あーっ、行くっすけど……先に席取っておいて欲しいっす」
一緒に食べようと声をかけてみたらどうだろう。
そう思いついてしまうと名案に思えて、マヨイくんの背中を追いかけようとした。
「わ!」
「……前をよく見て」
「すんません……」
ぶつかった相手は先生だった。
最初に出会った人がこの人だったから分からなかったけど、先生は普段はあまり学校には居らず、話したこともない生徒が多くいるということを最近知った。
勢いよくぶつかったはずなのに、先生は表情を変えず思い出したかのように僕に聞いた。
「ここでの生活はどう?」
「楽しいっすよ。
勉強は難しいっすけど……お腹いっぱい食べれるって、僕はそれだけで幸せっす。
あっ、先生は……あいつの好物とか知らないっすか?」
「……あいつ?」
「マヨイくんっす」
僕が彼の名前を出した瞬間、感情の機微が少ない先生に初めて笑みが浮かんだ気がした。
面白がるというよりも慈しむような優しい表情で、この人にもこんな顔ができるのかと僕は少し驚いた。
「……彼は偏食が激しいからね。
授業の終わりに教会に来てごらん。
とっておきをあげるよ」
それが何かと聞く前に、遠くから僕を呼ぶ友人の声が聞こえた。
早くしないと席どころか昼食がなくなるらしい。
「わかったっす!
また、放課後!」
後ろ髪を引かれる思いだったが、僕は食堂のほうへ向かった。
(……凍った……イチゴ?)
放課後、言われた通り先生のところへ向かうと手渡されたのはガラスの器にこんもりと盛られた凍ったイチゴだった。
霜のベールを纏ったイチゴ。
一つ一つが妙に綺麗に見えて、ためしに一つ摘んでみたが、ひやりとして硬く、すぐに器の中に戻した。
(こんな時期に……イチゴって……凍ってれば持つんすね……いや、ずっと凍ってるなんてできるんすか?)
イチゴが実るにはまだ冬が深く、夏や秋を越えてずっと凍らせたままでいられるわけがないと思った。
でも、現物がそこにあるわけだから。
難しいことを考えるのはやめにして、マヨイくんの好物だというこれを届けてあげようと思った。
(……あと、僕の残りっすけど……)
昼にでたパンにチーズを挟んだだけのものだったけど、美味しかったから少し分けておいた。
食べてる途中にこれなら喜ぶんじゃないかと思うと、それ以上食べ進めれなくなってしまったからだ。
「……マヨイくん?」
部屋にいるとは思っていたけど、いざ部屋を開けてやっぱりそこにいたらいたで驚いた。明かりから遠いところで一人で外を眺めていたから。
暗くなりかけの部屋にランタンが一つついている。
マヨイくんは窓際に座って外をみていた。
すでに外は暗く今日は月が小さい日だったからすぐに何も見えなくなってしまうだろう。
僕が名前を呼ぶと視線をこちらにむけて、興味なさそうに戻した。
「先生から、イチゴ預かってきたっすよ」
「……ありがとう」
そう言って立ち上がりこちらに近づいてくる。
いつもなら無視しかしないのに。
はじめてこちらに興味を持ったということに、嬉しいとムカつくが半々に湧いた。
(……僕の声、聞こえてるんじゃないっすか!)
近寄ってきたマヨイくんが手を伸ばしたが、取れないようにひょいっと上に持ち上げる。
身長は僕の方が少しだけ高い。
「あの……私のものなんですが」
「持ってきてあげたのに、そんだけっすか?」
「感謝の言葉も述べたはず……」
マヨイくんが僕の持っている皿を取ろうと背伸びをする。
届かないギリギリのところへ手を伸ばし続けるマヨイくんを見ていると、いつもの近寄り難い印象が薄れて可愛らしいとすら思った。
そして、この人も自分と同じ人なんだと思ったら、急に親近感が湧く。
(……やっぱり僕、この子と友達になりたいっす。
一人でいることがいいなんて人、本当はいないと思うんで)
「意地悪したっすね。
ごめん」
マヨイくんの手に器を渡すと、僕は言った。
「……改めて、僕はやっぱりマヨイくんとも仲良くなりたいっす」
まっすぐマヨイくんの目をみたら、はじめて動揺の色が見えた。
氷みたいに澄んで感情が見えなかった目の奥に、はじめて自分と同じような何かを感じた瞬間。
それが純粋に嬉しかった。
「……おかしな人ですね。
よくわからないことを言わないでください」
「よくわかんないのは、そっちっすよ!」
振りかえって逃げようとするマヨイくんの腕を掴んで、こちらを向かせた。
掴んだ腕はひやりとつめたい。
あんな出窓に座って、一人で外なんてみてるからだ。
「なんでそこまでして避けるんすか?」
「……私と仲良くなっても……いいことなんてありませんよ」
「そんなことわかんないっすよ?
マヨイくんは本当に一人がいいんすか?」
僕がそういうとマヨイくんははじめて唖然とした顔をした。
綺麗な人が驚く顔をすると、急に人間らしくなって可愛くなる。
「……わかりません。
ずっと……一人だったので」
「じゃあ僕で試してみるといいと思うっす。
誰かと一緒にいたらどうなるのか。
それが嫌だったらやめたらいいし、一緒にいるのが楽しかったら友達になろ」
僕が一度にそう言うとマヨイくんは面食らったまま、その内容を反芻しているみたいだった。
「友達……?」
「そう、友達の練習!」
そう言い切った時、もうマヨイくんには最初見た時のような刺々しさはなくなっていた。
それがすごく嬉しくて、僕は調子に乗ったんだと思う。
「友達ならあだ名もつけないといけないっすね。
マヨちゃん、でどうっすか?
親しみやすければ、きっともっとたくさんの友達ができるっすよ」
驚いたままのマヨイくんは嫌だと言うことはなく、少し照れているように見えた。
(……あれっ?
僕、急ぎすぎたっすか?)
何も言わずに固まっているのを見ていると、急速に仲良くなろうとした自分が恥ずかしくなってきて、照れ隠しに器の中のイチゴを指差した。
「あーっ、それ美味しいんすか?」
「……ッ。
……別に美味しくは……硬いですし」
「……そういうもんなんすか?
好物って聞いたんすけど……。
まあいいや。
じゃあ僕から美味しいものをあげるっす!」
布に包んで持っていた昼食のチーズパンの残りを渡すと、また驚いている。
その反応がどう考えても食べ物を前にした人のそれではなくて、今度は僕が驚く番だった。
「……もしかして、食べたことないんすか?」
「はい……」
「普段何食べてるんすか?!
じゃあ今度、僕が美味しいものを作って食べさせてあげるっす。
お母さんたちにも褒められたんすよ!
だから、きっとマヨちゃんも気にいるっす」
はじめて呼んだあだ名はくすぐったくて、僕は頬が熱くなるのを感じた。
たぶんマヨちゃんは気づいてないと思うけど。
マヨちゃんは、かわりに恐る恐る僕の持ってきたパンを齧っている。
「……美味しい……」
本当にはじめて食べ物を食べた人みたいな反応だ。
こんなに感動することがあるのかというくらい目を輝かせている。
なぜかそれをみたら、僕もすごく嬉しくて。
「今度はもっと美味しいもの作ってあげるっすね」
そう約束していた。
その日、僕は珍しく夜中に目が覚めた。
普段ならそんなことはないのに。
目が覚めたら、ふいにマヨちゃんが何をしているのか気になって、二段ベッドの上から下をみた。
(……いない……?)
どこに行ったんだろう。
部屋に一つしかないランタンは、先程と同じ場所にあり、こんな光の乏しい暗闇の中でどこかにいけるとは思えなかった。
部屋の中を見回した時に、窓の外で青白い光が動いていることに気がついた。
気になって窓際に駆け寄り、外を見ると人の胸の高さでゆらゆらと動いている。
(……人……?……っていうか、マヨちゃん……?)
暗闇に慣れた目をこらすと、青い光を持って動く人の姿が見えた気がした。
白雪の上をゆっくり歩く姿は軽装で、まるで寒さを感じていないようだった。
青い光が輪郭だけを照らしている。
ぼうっと灯るように揺れる光が止まったところは、窓から見える一際大きな木で、その根元にしゃがみ込んだ後、光は消えた。
もう見えるのは目が届く範囲の雪と星の光のみで、月明かりの力も借りれない今、いくら目を凝らしてもその先は見えなかった。
(……なんだったっすか……)
夢よりも夢らしい現実。
眠い目を擦ってみると、今見たことこそが夢だったような気がしてきた。
本当にマヨイだったのか?と聞かれれば、あまりにも乏しい情報で自信の方が先に消える。
(……夢っすよね)
寒さに震える身体が先にマヨちゃんの帰りを待つことを諦めて、布団に入ると気づいたら眠ってしまっていた。
次の日の朝、マヨちゃんに起こされるまでは。
・夢だと無理矢理納得する +10
・マヨイの行動に疑問をもつ -10
***
それから僕とマヨちゃんは色んな話をした。
マヨちゃんはそっけなかったり、何を考えてるのかわからないことも多かったけど、それでも少しづつ心を開いてくれていると実感する時が増えた。何気ない話題が、表情が、心の距離が近づいていることを実感させる。
僕の方から話しかけてばっかりだったのに、二人でいる時だけはマヨちゃんから話しかけてくれるようになった。それに気づいた時にはその喜びは何倍にもなっていた。
その頃になると僕の中では友達の練習なんかじゃなくなっていて。そして、マヨちゃんにとっても練習じゃなくなってるといいなと思った。
そう願って、約束通り何度も手料理をつくってみた。その度に喜んでくれたから。マヨちゃんは猫舌で熱いものを食べる時は、何度も息を吹きかけて冷ましてから食べて、そしていつも美味しいと言ってくれた。
相変わらず食堂に姿を見せることはなかったし、気だるげにイチゴを食べてる姿をよく見たけれど、それでも僕が作ったものだけは美味しそうに食べてくれる。
そこに特別を感じてしまったから。
いつからか食堂に誘うことはなくなった。
ゆっくりと日常を積み重ねて、気づくとこの学校に来てから一ヶ月たっていた。
そして、今日は地域への奉仕活動の日。
門と教会の扉を外へ向け開放し、近郊の村の人が訪れるのを僕達が対応した。
祭壇を背後に制服を着て奉仕品を持った僕らが一列に並ぶと、それだけでなぜか立派なことをしているような気持ちになれた。
訪れる人々は一概に疲れた顔をしていて、歩き方にも覇気がなかった。
それでも、寒さを凌ぐための炭を与え、食糧を与えた瞬間には笑顔が浮かぶ。
ありがとう。これで長い冬が越せると感謝されることは悪い気持ちではなかった。
中には、生徒の家族もいて、その場合は抱きしめて労いの言葉をかけていた。
あなたがこうして学校で奉仕をしているからこそ、私たちが生きながらえると感謝を口にし、抱きしめる腕には愛情があった。
(……なんか、いいっすね……こういうの)
そんな光景を見ていると、いつ会えるかわからないお父さんやお母さん、兄弟のことを思い出して郷愁を感じた。
(……あれ、マヨちゃん?)
人寂しいと思った時に見慣れた姿がいないことに気がついた。
ちょうど人の波も一段落した時だった。
村の人は全員退出して、撤収作業をしている中、隣にたつ級友に聞いてみた。
「……マヨちゃん、どこにいるか知らないっすか?
部屋からは一緒に出たと思ったのに、姿がみえなくて……」
「さあ?
……ほら……彼は特別だし。
準備に時間がかかってるんじゃないか?」
学友に当たり前のようにそう言われ、特別という言葉にひっかかった。
あまりよくない響きだと思った。
「なんすか?
特別って……」
「何って……」
「だって……どう考えても……」
口々に言葉を濁すクラスメイトたちに苛立ちに近い感情を抱いた。
誰も本質の部分だけは語らず、その周りについてだけ口にしてお茶を濁している。
それがマヨちゃんを遠巻きにしているように感じる、普段の態度と重なってつい口調がきつくなった。
「マヨちゃん、普通の子なのに、そうやってみんなして避けて、何で仲良くできないんすか?!
いつも一人で可愛そうっすよ!」
僕がそう言うとほとんどの人は目を逸らし、無言を貫いてやり過ごそうとした。
そんな中、耐えれなくなった一人が、おずおずと口を開いた。
「ニキはすごいよ、ちゃんと相手して。
すごいことだし、大事なことかもしんないけど……俺はそんな覚悟ないし、第一相応しくないって思うから……」
「なんのことっすか?」
「なんの……って。
覚悟なきゃ仲良くなんてできないだろ。アレと」
「アレって……ッ!
なんでそんな酷い言い方できるんすか!?」
思わず胸ぐらを掴みそうになったところで、ドアが開いた。
学校側から教会へ入るための扉。
開いた扉の向こうには、二人の人間がいた。
(……先生と……マヨちゃん……?)
裾を引きずるほど長い金糸で彩られた黒衣を纏い、両肩から銀糸で細かい刺繍がされたストラを垂らしている。目深にかぶった黒いベールにも同じような刺繍が施されていた。肩口やベールにつけられた銀の玉でできたチェーンが動くたび揺れる。
静々と歩いているだけなのに、視線が自然と集まってしまう。それはきっと、二人が歩く様が現実離れして見えたからだ。
(……なんで……?)
先生の後ろを歩くマヨちゃんに視線がいく。
腕に淡く光る青い花の入った花瓶を抱えている。
綺麗と言いたくなった。
それと同時に怖かった。
深くかぶったベールで二人の表情はよく見えない。
分からないということが、不安につながり心臓が早く動き、耳の奥でどくどくとうるさい。
知ってはいけないことをいま見ているような、そんな気がした。
根拠は何もないのに。
動揺する気持ちを他の人の反応をみて、この不安を沈めようと思い、学友たちを見回した。
彼らが送る視線は、
畏怖
敬愛
恐怖
盲信
それが玉虫の色のようにくるくると変わる。
(……なに。
なんすか……!?)
少なくとも同じ人間に送るべき感情じゃなかった。
「……祝福を求める者は、中へ」
先生がそう言うと、一度に空気が冷えた。
いまこの空間の中では布が擦れる音すら聞こえてきそうだ。
僕たちは持ち場で、規律正しく立つことしかできない。
先生の合図で一人の男が中に入ってきた。
年老いた者特有の足を引きずるようにした歩き方で、ゆっくりと壇上へ進む。
男は教壇の真ん中に立つ先生とマヨちゃんの前まで行くと、敬虔にこうべを垂れた。
先生は男の顔を見ると、少しだけ表情を柔らかくした。
「久しいね。
何年振りだろう……君と過ごした日々は僕にとって、かけがえのないものだった」
懐かしむように語りかける先生に対して、男は決して顔を上げなかった。
「……貴方様は今日も変わらず……私はもう老いぼれました。
せめて思い出の中でだけでも美しくありたかった。
……このような姿でお会いしたくはなかったのですが……」
「どのような姿になろうとも、僕にとっては美しい思い出であることに変わりはないよ。
大丈夫。ずっと忘れないから」
先生が説き伏せるようにそう言うと、男はほっとしてようやく顔を上げた。
「……実は家内が……もう……。
身体中、どこもかしこも痛いというのです……見るのも辛く、このまま衰弱するくらいならば……祝福を……」
「うん。決めたんだね。
その意思を尊重しよう」
先生が指で合図をするとマヨちゃんが歩み寄り、男に青い花を渡した。
花は、ぼうっと淡く光っている。
「これを……枕元に。
死は等しく平等だけど、その過程がいつも安らかであるとは限らない。
この祝福で、必ず安らかに逝けることを約束しよう」
花を握る男の手が震えている。
安堵か、恐怖か。
ここからはわからなかったが、じっと花を見つめ、もう先生を見ることはなかった。
代わりにぽつぽつと言葉をこぼす。
「……出会った頃が懐かしい。
あなたとここで過ごした日々が永遠であれば……こんな苦楽も知らずにいられたのに……。
私ももう長くはないのです……その時は……」
「死は等しく誰の元にも訪れる。君の元にも。
僕にも言葉を交わし、交流を深めた者に対する情はある。
君に必要なときは、祝福ではなく僕が足を運ぶよ」
先生がそう言うと男は一度頷きそして、花を持ってその場から去った。
去り際に目元が濡れていたから、泣いていたのかもしれなかった。
「……祝福を求める者は、前へ」
先生の凜とした声が響く。
一人また一人と、先生とマヨちゃんの元へ歩み寄り、現状の苦しみを訴え祝福を願った。
先生は大丈夫と優しく諭し、青い花を贈っていった。
もう苦しまなくてもいいと、甘言と共に。
・呆然と仕事をこなすマヨイを見つめる +10
・動揺で目を反らし、地面を見つめる -10
***
(……どういうことっすか?!
なんで……?!最後のアレは何っすか……ッ!?)
祝福を求める人たちの疲れた顔。
それに対してなんの感情も挟まず、ただ淡々と応じる先生とマヨちゃん。
(人が死ぬのを祝福って呼んで……まるで、本当に人の死を操作できるみたいに……!?
そんなこと、できるはずないのに……ッ!!)
できるはずないと思うのに、それと同じくらいもしかしたらと思ってしまう。
そう納得してしまうなにかがあった。
最初は違和感を感じたはずの学友の畏怖と羨望が混じった視線も、いまは腑に落ちている。
知りたくない正解が喉の奥まできていて、口を開いたらついて出てしまいそうだった。
さっきからずっと心臓がバクバクとうるさかった。
背筋に冷たい汗が流れる。
(……僕はいま、どこにいるんすか?)
急にいま立っている地面が歪んでしまったみたいだ。
教会から出て宿舎へと向かう回廊の壁に手をついて立ち止まった。
夜へと向かう途中。
日が陰り影が長く長く伸びた。
見慣れていた光景が変わってしまった。
色を失い、影を纏って、ただ楽しいだけの日々が変えられていく。
(……帰らないと)
どこに?
どこにも行けず、もう帰れる場所はない。
こんな雪深い世界じゃ。
身一つで外に出たところで、凍って死ぬのがオチだろう。
得体の知れない恐怖で進みは遅かったが、なんとか部屋にたどり着いた。
自分のベッドに登る気力もなくて、椅子に座るとようやく一息つけた。
落ち着いていいわけないと頭のどこかで思うのに、それでもこの部屋では穏やかでいられた時間が長すぎた。
机の上に突っ伏して、身体から力が抜ける。
(……なんなんっすか……)
考えることがたくさんあるはずなのに、どれから手をつけたらいいのかわからず、ただ焦る気持ちだけが募っていく。
今見たことの意味を、今後の身の振り方を、考えるべきだと思うし、考えたいのに身体からの信号がそれを邪魔する。
(……お腹減った……)
こんな時にでも正常に動く胃袋に苦笑しつつ、視線をあげるとマヨちゃんのベッドの枕元に何かがあることに気がついた。
枕で隠されていたが少しだけ外に出ている。
見るべきではないと思っても興味が先になった。
マヨちゃんが秘密にしたいもの。
それを今知るべきな気がして、僕は枕を持ち上げるとそれに触れてみた。
(……冷た……ッ)
凍っていた。
昨日僕がマヨちゃんに作ってあげた焼き菓子の一部が、凍った状態でそこにあった。
(……なんで……?)
触っても溶ける様子がない。
見た目はそのままなのに凍って硬くなっている。
指の先で回してみたりしてみたが、何もわからない。何かが凍るなんて、寒い日の野外で起こることだ。少なくとも、この部屋の中では物が凍り続けるなんてことはできない。
それに触っても溶けないなんて。
見てはいけないものをみた気がして、元あった場所に置き枕を戻した。
(……バレないっす…よね……)
乱れがないか確認して、いまだ早く動く心臓の音をきいていた。
誰かに見られていたんじゃないかと心配になって、入り口の扉に視線を送ると、キィっと軋む音をたてて扉があいた。
(……マヨちゃん)
僕と視線があったことに驚いたのか、マヨちゃんは目を丸くして、そのあと不思議そうな顔で聞いた。
「……今日は、いつもみたいに話しかけてこないんですね。
奉仕活動が疲れましたか……?」
さっき見た服装とは違う、僕と同じ制服をきていた。
ブレザーをかけ、シャツだけになると僕の座る机の向かいに座った。
ここに座るということは、雑談に応じる気持ちがあるということだ。
普段の自分ならすごく喜んでいたはずなのに。
「マヨちゃんこそ……大変だったんじゃないんすか……?」
僕らとは違う役目を。
言いたくても飲み込んだ言葉は正確にマヨちゃんに伝わったみたいだった。
頬杖をついたマヨちゃんの目に驚きの色が混じり、驚愕で見開かれた。
長いまつ毛に彩られた目が僕を見て、急に寂しそうな色に濁る。
「そうか……ニキさんは、初めてでした。
そうですか……知らなかったんですね。
いままで何も……だから、私にも……」
マヨちゃんはそう言うと目を伏せて、その場から立ちあがろうとした。
今でもどこかで怖いと思ってるのに。
不思議に思ってるし、頭の中は疑問だらけなのに。
それでもいま行かせたらいけない気がして、僕はマヨちゃんの手首を掴んでいた。
ひやっとして、折れそうなほど細い手首。
「……ま、待って。
なんで……どこ行くんすか!?」
「……いままでと同じに戻るだけです。
私なんかとは関わらないほうがいい」
「なんで!?
なんでそんなこと言うんすか!?」
手首を掴んで見上げたマヨちゃんにさっきまでのベールをつけていた姿が重なる。
さっきはあんなに近寄り難くて恐怖すら感じたのに、いま見たマヨちゃんは自分と同じ年の少年に見えた。
この人が優しいことも、案外寂しがりやなことも知っている。
知ってしまった。
「……友達……じゃないっすか」
怖くても、もう手を離せなかった。
絞り出すように伝えた言葉は震えていて、言葉にすることで自分の中の感情を鼓舞していく。
「マヨちゃんが……なんなのか分かんないっすけど……友達になっちゃった…から。
僕は……戻れないっすよ。
マヨちゃんを無視、できない。
遠巻きになんてできない……だって、そんなの……寂しいじゃないっすか……」
一人は寂しい。
そして、孤独を埋められるのは、自分以外の誰かと知っているから。
いま手を離したら、マヨちゃんは永遠に一人になってしまう気がした。
僕が話している間も、そして話し終わってもマヨちゃんはじっとこちらを見ていた。
あまり変わらないと思っていたはずの表情が、こんなにも細かく移り変わるのだとこの時はじめて知った。
期待、不安、渇望、拒絶。
浮いては落ちて、繰り返す感情が伝わってくる。
ガラスみたいに何も映さずただ綺麗なだけだと思っていた目に、いま確かに僕が映っている。
「……わ、私は……」
耐えられず開いた口から、続きが語られることはなかった。
ただ代わりにマヨちゃんは僕の手を両手で握って、じっとこちらを見る。
言葉にならないから、向かい合うことを選んだんだ、きっと。
そこにはちゃんと感情があって、僕と何も変わらなかった。
しばらくそうした後、マヨちゃんはためらったのち口を開いた。
「……嬉しかった……です。
ニキさんが、話しかけて……くれて。
知らなかった、から。
誰かといたことがなかったんです、ずっと。ずっと……そうすべきだと思ってました。
私は……出来損ないの生まれ変わりですし。
過去を聞いて、同じ轍は踏まないように……。
一人で平気だったんです。
だけど……」
マヨちゃんがこんなに話すのを初めて聞いた。
いつも僕が話しかけて、それに応えてくれていただけだったから。
マヨちゃんは頭の中で絡まる言葉を手当たり次第口にするみたいに、とつとつと感情を吐き出した。
「……知って、しまった。
一人は寂しいということを。
こんな孤独を永遠に耐えなければならないなんて、もう私にはできない……」
「寂しいなら、僕がいるっすよ!」
思わずそう言っていた。
もうマヨちゃんがなんなのか、気にならなくなっていた。
ただ、目の前で孤独に耐えられないという人に寄り添いたい。
「一人は寂しいっすよね。
僕も体質的に白い目で見られること多かったんで、分かるっすよ。
誰かが側にいてくれる、それだけでちょっと元気になれるっす。
だから、マヨちゃんの側には僕がいてあげる」
「……いいんですか?」
心配そうなマヨちゃんに僕は力いっぱい頷いた。
「親友の誓い、たててもいいっす!」
「親友の誓い?」
おうむ返しで聞き返すマヨちゃんの反応をみるに、こっちでは有名ではないのかもしれない。
「親友の誓いは親友の誓いっすよ!
親友は、困った時は必ず助けるし、決して嘘をつかない!
ずっと!永遠に!」
話しているうちに本当にこんなふうだったのか不安になってきたから、最後は早口でそういった。
マヨちゃんは僕の言葉を噛み締めたあと言った。
「……死が二人をわかつまで?」
「難しい言葉知ってるっすね。
そういうことっす!」
僕はマヨちゃんに手を差し出すと握手を求めた。
マヨちゃんは僕の手をとって握り返す。
「今日をもって僕らは親友っす。
いいっすか?」
「……はい」
繋いだ手を一度強く振って解いた。
「これで誓いは成立っす!
いいっすか?僕たちは親友っすからね!」
僕が確認するようにそう言うと、マヨちゃんも強く頷いた。
「だから教えて欲しいっす。
マヨちゃんのこと」
ランタンに光を灯して、暗闇を照らした。
二段ベッドの下、壁に背を預けて足を伸ばして座る。
暖かな光が狭い空間の中を照らして、炎が揺れるたび光の範囲もゆらめいた。
マヨちゃんの毛布に僕も入って、身を寄せ合ったら普段よりもずっと暖かく感じた。
すぐ隣、触れようと思ったら触れ合える位置に誰かがいる。
それが今はすごく貴重で、そして嬉しかった。
マヨちゃんが少しづつ話してくれることを聞いて、繋いで、理解していく。
僕の知ってる世界の話ではないみたいで、信じられないことも多かったけど、話してくれるマヨちゃんの表情は真摯だったから、どんなことも信じてみようと思った。
「……マヨちゃんは……死神?……なんすか?」
「……正確には見習いのような……半人前です。
元々は氷結の死神と呼ばれる死神だったようですが……一度、先生……えっと、私たちは墓守の死神と呼んでいます……に倒されていますので……私は彼の魂のようなものが再構築されて、生まれた死神になります」
あまりに現実離れしているので、言われたままを受け止めるしかなく、僕が頷いたのを見て、マヨちゃんは続けた。
「氷結の死神は、長い時間の中で徐々におかしくなっていったようで……墓守の死神曰く、最後は記憶の大部分が壊れ、使命も忘れ、狂人に近づいていた、と……だから、もう一度発生した私には、二度とああなってほしくないと何度も話をされました」
マヨちゃんは一度僕の方を見ると自虐的に笑った。
「他の死神に散々言われてきました。出来損ないの死神だって……」
「そんなこと、ないっすよ!!」
自分を卑下することに慣れているのが悲しくて、僕はよく分からないままマヨちゃんの言葉を否定していた。
「マヨちゃんは、優しいし、色んなことできるじゃないっすか!?
だから、僕はそんなことないと思うっす!」
「……そんなこと言ってくださるのは、ニキさんだけですよ」
「……そんなこと……」
死神の世界のことはよくわからなかったが少なくともこの学校の中でマヨちゃんに話しかけるのは僕だけだ。
あるのか、と思うと僕はもう何も言えなくなった。
マヨちゃんは僕をじっと見て、少しだけ嬉しそうに笑った。
ランタンの光がその上で揺れて、綺麗だなと思った。
「……それが一人だけだったとしても、いいんです。
いま……とても、嬉しいので」
マヨちゃんの言葉を聞いて、なぜか言葉に詰まってしまった。
心臓が暖かく、しかし確実にさっきよりも早く動いてる。
これ以上この話題に触れられる気がしなくて、僕は慌てて話題を変えた。
「そ、その死神って何をするんすか?
人を……殺したり……?」
「死神にも守るべきことわりがありますから。
むやみやたらにそんなことはしませんよ。
ただ望む者の死期を早めたり、寿命を迎える者の魂を集め導いたり、そういったことが本来の役目と、聞いています」
「よ、よかったぁ。
もっと怖いのを想像してたっす!
触れただけで死ぬ!みたいな!」
「……ふふふっ、それは怖い存在ですね。
私は半人前ですので、他の死神のお手伝いしかできていません。力の一部は使えますが、本来のものよりもずっと弱いと聞いています。
……最後の試練を突破できれば、一人前の死神になれると思うんですが……」
「誰も殺してない死神って、それって僕と何が違うんすか?」
僕がそう聞くとマヨちゃんは驚いた顔をした。
そして、少し困ったように眉を寄せる。
「なんでしょう……時間でしょうか?
私たちは年を取りませんし」
「でも、一日の長さは同じなんすよね?
それってやっぱり一緒じゃないっすか?
年を取らないから朝、寝坊してもいいってわけじゃないんすよね?」
「……それは……そうですが……」
マヨちゃんはさらに困った顔をした。
でも、僕の中では結論がでていて、胸の奥につかえていたものが取れたみたいにすごくすっきりした気持ちだった。
「じゃあ、やっぱり一緒っすよ!
明日もその次の日も、同じように毎日一緒に暮らせるっす」
僕が喜んでそう言うと、マヨちゃんは困った顔のまま微笑んだ。
「……そう、ですね」
くすくすと心から楽しそうに笑うマヨちゃんをはじめて見た。その瞬間を壊したくなくて、僕はただそれを見ていた。
(……よかった………。
分かんないっすよ、これでいいのかどうかなんて。
でも、いま見てるこの瞬間を僕はうれしいって思うから。
後悔しないと思うっす。どうなったとしても)
ふと、マヨちゃんは思いついたように言った。
「あぁ……いま、この瞬間も凍らせて、取って置ければいいのに」
マヨちゃんが戯れに指先を動かすと、青色の光がキラキラと舞った。
すごく綺麗だったから、見入っているうちに一つの仮説と結びついた。
「……もしかして、マヨちゃんって色んなものを凍らせることができるんすか?」
「はい、そうですよ。
私の死神としての力です」
あっさり肯定されて、僕は続いての仮説を思いつく。
「……もしかしてっすけど……昨日、僕があげたお菓子、凍らせた?」
そう聞いた瞬間、マヨちゃんの顔が真っ赤になって言葉を失っていた。
そんな表情、いままで見たことがなくて僕は少し得意になった。
「もしかして……嬉しかったから、取っておいてくれたんすか?」
そう聞くとマヨちゃんはさらに赤くなった。
そして、一度頷いてくれた。
そのままマヨちゃんを観察しながら、発言を待っているとおずおずと口を開いてくれた。
「……いつでも取り出して思い出せるように……。
だって、そうすれば、ずっと忘れませんし……」
「僕は食べて、美味しかった!って思う方がいいと思うっすけど……そんなもんっすかね?」
照れ隠しに軽口を叩いてみたけど、マヨちゃんがそれだけ喜んでいてくれたという事実が嬉しかった。
そして、もっとその嬉しい言葉を引き出してみたくなる。
「……もしかして、今までにもあるんすか?」
そう尋ねると、図星だったみたいでマヨちゃんはまた顔を赤くした。
「その顔は、あるんすねぇ?」
「……あ…っ、そ、そのぉ……。
はい……」
その時、マヨちゃんの視線がちらりと窓の外を見た。
視線の先は前に青い光を見た木があるあたりだ。
「……全部、大事に……取ってあります。
嬉しかったことは……少しづつ、忘れないように。
凍らせて……しまって……あります。
……見つからないように」
あの日、見た光はやっぱりマヨちゃんで、大切な思い出の一つを埋めていたのだと知る。嫌がってるみたいに見えたけど、そんなことなかったんだって思うと、鼻の奥がツンとした。
物を凍らせることができるなんて、すごいことだし怖いことだと思うのに、僕はもうそんなことは気にならなくなってしまっていた。
ただ嬉しくて隣にいるマヨちゃんを抱きしめた。
「僕、もっとたくさん色んなもの作ったり、思い出も一緒につくったり、とにかくたくさん凍らせたくなるものあげるっすよ!
山ができるくらい!」
そのうち、マヨちゃんもキリがないですねって笑ってくれるくらい。
なんかそんなことを思ったら、明日が楽しみになった。
「楽しみです。
本当に、今この瞬間を凍らせて取っておきたい。
ニキさんがくれる思い出を取っておくにはどうしたらいいんでしょうね……本当に。
せめて、形があれば取っておけるのに」
マヨちゃんはそう言うと、やっぱり少し困ったみたいに微笑んだ。
・眠くなるまでマヨイと話す +10
・明日を楽しみにおやすみを言って眠る -10
***
それから一ヶ月が過ぎて、三月になった。
まだ雪は深くて外も冷たかったけど、吹雪くような日も減ってきて、少しづつ色々なところで春を感じる日が増えてきた。
僕が住んでたところなら、今頃花が咲き出したり、動物も活発に動き出して……もう冬は終わったんだって思ってる頃なのに。
この学校はまだまだ冬の中にいるみたいだった。
僕は四月になったらここを卒業して、下にある街に降りて仕事に就く。
コックの仕事がいいって先生には伝えてあるけど、本当になれるかはわからない。
お菓子屋さんでもパン屋さんでもいいけど、何か美味しいものが作れる仕事だといいな。
そしたら、マヨちゃんが食べれるものをたくさんつくってあげるのに。
そんな未来のことを想像することがここ最近の楽しみになっていた。
「……こんなに貯まったんすか!?」
「……は、はい。
改めてそう言われると……少し、恥ずかしい……ですね」
今日のような暖かい日はここに来てはじめてだった。
ずっと寒くて、マヨちゃんと違って僕は外に長居できると思えなかったから先延ばしになっていた予定をこなす時がついにきた。
マヨちゃんの宝物を見せてもらう日。
その宝物の隠し場所は雪の下にあった。
一際大きな針葉樹の根元。
学校の敷地内ではあったが、辺鄙なところでもあり人影は僕らしかなかった。
窓から見えたのは、確かにここだった。
少しづつ凍らせて集められたものはたくさんあって、全てが汚れなく、光を受けてキラキラしていた。
氷は溶けることなく一つ一つがあの日のまま、鮮明に形を保っていた。
集めて積み上げたらこんもりとした山が作れそうな量。
全部に見覚えがあったわけではなかったけど、それでも僕にまつわるものもいくつかあった。
こうやって思い出を振り返る経験なんて僕にはなかったから、驚いた。
いつまでもその時のまま形を変えないものに触れることができること。いつでも好きな時に見ることができること。その良さは少しわかった。
色褪せて忘れかけていた記憶が鮮やかになったから。
「……これ、僕がはじめてマヨちゃんにあげたものじゃないっすか?」
下の方になっていたチーズパンのかけらを指差した。
「……そう……です。
よく……覚えてらっしゃいました…ね」
「そりゃ……わかるっすよ」
断りを入れてつまみ上げてみた。
ヒヤリと冷たく、硬い。
これはもう食べ物じゃない。
「……どうせなら最初に凍らせる食べ物は僕が作ったものだったらよかったのに」
既製品だという事実が、なんとなく寂しかった。
いま自分が作ったものをマヨちゃんがいつも美味しそうに食べてくれるからこそ、食べ物の思い出は全部自分のものであって欲しい。そんなことを言ったらマヨちゃんは驚くかな。
「春になったら僕はもうここにはいないっすけど……たまに遊びにくるんで、その時はここで一緒にご飯食べたり話したりしたいっす」
僕がそう言うとマヨちゃんは驚いた顔をした。
「ここには奉仕活動の日以外誰もきませんよ?」
「こんなへいくらい乗り越えちゃえばいいんすよ!
ここなら僕が来ても隅っこだしきっと誰も気づかないっす!」
春になったらお花が咲いて、夏になったら日陰の下でマヨちゃんの出した氷で涼んで、秋になったら美味しいものだらけだし、冬になったら……冬になったら寒いからマヨちゃんの部屋に行くのがいい。
勝手だってわからないわけじゃないから、きっとこっそりやれば大丈夫。
「……大丈夫でしょうか……?
その……ニキさんが訪ねてきてくれるのは……嬉しい…のですが……」
「平気平気!
僕、運動神経だって悪くないんすよ!?
余裕っす」
僕が明るく笑って見せると、つられてマヨちゃんも微笑んだ。
「マヨちゃんはもう一年この学校にいなきゃいけないんすよね?」
「……はい。
たぶん、その後も死神としての仕事がない限り、ずっとここにいますよ。
年を取らないということは、あまり長く留まれるところはありませんし。
ここは……死神に慣れてますから」
マヨちゃんは僕の持ってたかけらを受け取るともう一度他のものと一緒に置いて、雪をかけて埋めた。
他のところに比べて少し雪が膨らんで見える。
いっそ雪だるまにして、その中心に埋めたらなんてことを考えていたら、マヨちゃんがしゃがみ込んだまま立ち上がらないことに気がついた。
「……大丈夫っすか……?なんか気持ち悪い……?」
「だいじょ……」
僕の方を見るマヨちゃんの顔色は真っ白だった。
元々白いのに血の気のようなものが一切なくなっている。
いつもなら少し赤みを帯びている唇すら白く、力なく返事をする身体からは力が抜けていた。
そう言われてみればさっきの時点でも顔色が悪かった気がしてきた。
僕が調子のいいことばっかり言ってたから、気づけなかったんだ。
「全然大丈夫って顔色じゃないっすよ!?
どっか気持ち悪い?
お腹痛いとか?」
「……だいじょ…ぶ……最近たまに……こうなるんです……っ」
「たまにって!?
僕、知らなかったっすよ?!
なんで言ってくれなかったんすか!?」
しゃがんだまま崩れ落ちそうなマヨちゃんを抱きしめて、支えた。
身体にもう力が入ってない。
(……死神ってお医者さんのとこ連れて行くんすか!?
どうしたらいいんすか!?)
マヨちゃんの身体を支えて、なんとか歩き出すと他に頼れるあてもなくて教会へ向かった。
先生がいれば……。
先生なら何か理由が分かるかもしれない。
その可能性にすがって、僕はマヨちゃんを抱えて歩いた。
人を一人支えながら歩くスピードは遅く、気持ちだけが焦った。
「マヨちゃん、大丈夫?!
ごめん……っ、無理させちゃったっすね?」
「……ちが……います……むり…なんて……わたしこそ……すみま……」
「喋んなくていいっすよ!!」
僕はなるべく負担がかからないように、でもできるだけ早く急いで歩いた。
(……そう言われてみると……最近……調子悪そうにしてたっす……)
毎日が楽しかったから。
新しい発見や、共有できるものやことがあるたびに、楽しくて、嬉しくて……だから、都合の悪いことは全部見ないフリしていた。
思い返してみると、マヨちゃんが座り込んだまま次の動作にうつれない時があった気がする。前よりも早く、今日は眠りますねって、ベッドに横になっていた気がする。
一つ一つ思い返すと最初に会った時とは、反応も行動も何もかも違っていたのに、悪い予感に気づきたくなくて見ないフリしてたんだ。
(……なんで?!
病気……!?
死神って死なないんすよね!?)
永遠に生きるって言ってたのに。
教会のドアは高く重く、いま僕の目の前にある。
マヨちゃんを担いでいない方の肩でドアを開けると中に入った。
「先生!!」
無人の空間に僕の声だけがよく響く。
「先生!!
いないんすか!?ちょっと!マヨちゃんが!!」
大きな声で呼びかけると、音が反響して僕のところに戻ってくる。
「……大丈夫。
聞こえてるよ」
どこから現れたのか先生はそこにいて、ゆっくりと僕らの方へ近づいてきた。
俯くマヨちゃんの額に手を当て、表情を確かめる。
「……これは?」
「分かんないっす!
さっきまで外にいて、おしゃべりしてたら急に……前からだって、さっきは言ってたっすけど!」
「そうか……どちらにしても頃合いだね。
もう春だ……君もいなくなる」
先生はそう言うとマヨちゃんを長椅子の上に寝かせるように言った。
言われるままマヨちゃんを寝かせた。さっきよりもずっと血の気がないように見え、ぐったりしたまま胸が大きく動いていた。
「……先生、マヨちゃんは大丈夫なんすか!?」
僕が縋り付くと、先生はじっと僕の顔を見た。
じっと見て、僕の焦りが深くなると不意に笑った。
「うん。
大丈夫。詳しくはわからないけど。
しばらくそうしていたら目がさめるはずだから、そうしたら話を聞くよ。
きっと、彼は良くなるから。
二人で話したいこともあるし、今日は部屋に戻るといい」
柔和に説き伏せるようにそう言った先生に、追って質問ができる雰囲気でもなく、僕は大丈夫という言葉だけを頼りに部屋に戻った。
・マヨイの無事を祈る +10
・今まで気づかなかったことを後悔する -10
◇◇◇
目が覚めた時、私は雪の上にいた。
雪と雪の間をぬうようにして咲いたアネモネの花から生まれた。
生まれた瞬間から記憶はなくても、存在する理由はわかった。私は死神で、過去に氷結の死神と呼ばれる存在だったということ。
生まれたての私は脆弱で小さくなにもできなかった。
見つけた墓守の死神が私を保護してくれた。その時は手のひらに乗るくらいの大きさで、地に足をつける必要もなくふわふわと漂っていた。
目に見えるもの全てが新鮮だった。
光も音も風も、雪の冷たさも。
世の中の道理もわからず、まずはそこから学んでいった。
墓守の死神は根気よく色々なことを教えてくれた。
この世界のこと、死神のこと。
綿が水を吸うように私は学んだ。
そして、その間いつも気になっていた。
頭の中の片隅に開けられない記憶があることが。
薄紙に包まれたように、よく見えないのにそこにあるのは分かる、氷結の死神としての過去。
それが過去の記憶だということはわかるのに、中は見えない。
そのことを伝え、氷結の死神と向き合いたくても術がない私に、墓守の死神は嫌な顔をせず、彼のことを教えてくれた。
同じ頃、死神として一緒に発生をしたこと。
友と呼ぶ関係であった時代もあったこと。
墓守の死神の大事な人間を横取りした過去があること。
人のものを取る、死神としての禁忌を破った時から少しづつおかしくなっていったこと。
最後には記憶がまだらになり、執着だけが強くなって狂っていったこと。
そう話す墓守の死神、その人によって倒され、彼の墓標の中に埋められたこと。
土の中にいた私は長い年月をかけて再度構築され、そしてまたこの姿で生まれたのではないかと、墓守の死神は言っていた。
過去に例はなく、墓守の死神と私の死神としての相性が良かったのか、それとも逆なのか。
本当のところはわからなかった。
ただ単に私たちの主の気まぐれなのかもしれない。
とにかく、私はここにいた。
(……なぜ、禁を犯してまで人に執着をしたんだろう)
私だけど私ではない、過去の話の中ででてくる私。
彼はどうしてそうしたのだろうと思いを馳せた。
(……そんなことをして狂っていくなんて、馬鹿げてる)
他の死神の仲間が訪ねて来た時には出来損ないと称して嘲笑っていく。
人間に情をかけて、何もかも失った男。
移ろい行く時間に耐えられなかった男。
そう言われるたびに、それもそうかと思った。
隣にいる墓守の死神の変わらない態度、表情を見て、漠然とそうなるべきだと思った。
彼は公平に見えたし、過去の自分のように狂う素振りは見せなかった。
(……そんなに人に執着してしまうなら、私はきっと誰とも関わらない方がいい)
一人で生きて、波風のたたない穏やかな空間の中で、粛々と仕事をこなす。
そんな死神になりたいと思った。
私たちの住む場所。
死神を祭る宗教が地域に根を下ろしている街。
冬の厳しい土地だから、死神が燃料と食糧を分け与えれば私たちを喜んで受け入れてきた歴史があった。
見えない恐怖よりも、今そこにある飢えと寒さの方が怖かったらしい。
代が何度も変わるうちに、私たちの存在はこの地では普通になっていた、そんな歴史がある街。
私は墓守の死神の手伝いをしてこの地の『陽気』を食べていくうちに、少しづつ大きくなった。
人と変わらない大きさになった時、この学校に入学して人間という生き物と触れ合うようにと、墓守の死神に言われた。
それが誰もが通る一人前の死神になるための最後の試練だと言われて。
必要性が分からないまま、一年が経ち二年が経ち……私は順調に学年が上がっていった。
その間、私に関わろうとする人は誰もいなかったし、自分から関わるつもりもなかった。
そうあるべきだと思っていた。
人と関わることで、私の中の何かが変わってしまうのが嫌だった。
墓守の死神は何度も、もっと人と仲良くなるように苦言を呈した。
必要なことだからと。
そのたびに私は反発し、だんだん彼から距離を置くようになっていった。
私の世界にはいつも私一人であるべきだ。
そうすれば、間違いを犯さなくてもすむ。
凪いだ水面が凍るように、
何からも影響を受けないでいること。
それが私にできる精一杯の自己防衛だった。
そうするうちに、私の態度に焦れたのか墓守の死神は、一人の男の子を連れてきた。
明るくて笑顔の似合う男の子。
初めて見た時は、絶対に分かり合えないと思っていたのに。
振り払っても振り払っても追いかけて愛嬌を振り撒く犬のようで、憎めない。
気がつけばそんな態度に好感を持っていた。
そこからは早かった。
楔の入った氷は内側からも溶けるように。
変わらないつもりでいた私の気持ちは、どんどん形を変えていってしまった。
知らなかったんだ。
誰かと一緒にいるということが、こんなにも胸の中を温かくして、満ち足りた気持ちにしてくれるということを。
彼は私にたくさんのことを教えてくれた。
温かい食べ物は美味しいこと。
親友という存在。
一緒に思い出を共有すること。
ただそこにいるというだけで、楽しいということを。
私はゆっくり変わっていって、そして、同じくらいゆっくりと体調も悪くなっていった。
「……目が覚めた?」
ゆっくり目を開けると、そこには墓守の死神がいた。
あたりを見回すと、どうやらここは教会のようだった。
(そうか…………さっき……私、倒れて……ニキさんがここに……)
身体を起こそうとするが上手く力が入らない。
長椅子の上から転げ落ちそうになる私は、墓守の死神の手を借りて座り直した。
「無理しない方がいい。
かなり酷い状態だ」
墓守の死神は私をみて、深くため息を吐いた。
「何をしたらここまで状態が悪くなるんだい?
何か心当たりは……?」
墓守の死神に尋ねられて、私は視線を逸らした。
「……心当たりが……あるのか。
……何をしたの?」
今度は静かに私に聞いた。
追及の手は緩めないと暗に告げている。
「……食べました」
そう言って私は逸らすことなく、墓守の死神を見つめた。
「人の食事をとりました」
「なぜ……」
私がそう言うと、墓守の死神は驚いた顔をした。
彼がここまで驚くことは珍しい。
それもそうか。
共食は境界を曖昧にする。
昔話にも神話にもある。よくある話だ。
死者の国の物を食べれば、生者もその瞬間から死者の国の一部になってしまうように。
私たち死神が人の生きるための食物を取ると言うことはその逆で、死という概念が希薄になる。
生まれて初めてすぐに教えられたことだ。
だから、私たちは食事を取らない。
そのかわり、この地の陽気を集めて、春を遅らせ、そしてその分の力を体内に取り入れている。
凍ったイチゴの形で。
「……自殺行為だ」
墓守の死神は今度は私に怒ってみせた。
今日は珍しく墓守の死神の色々な表情が見える。
「わかってます……それでも、食べてみたかったから」
「どうして、君はいつもそうなんだ?
なんにでも思い入れをもって、過度な関わり方をする。
生まれ直すくらいでは、変わらないのか?」
「どうなんでしょう……私はもう……過去の私ではないので……」
いつも私に見せていたような墓守の死神の態度ではない。墓守の死神の人格が見えた。
(もしかしたら……生前の私とはもう少し、血の通った会話をしていたのかもしれませんね)
在りし日を想像すると少し楽しくなった。
微笑みそうになって、咳き込みその余裕もないことに気づいた。
(……本当に、私が……消える?)
不思議と恐怖はなかった。
同じ時間を歩めないことなんて知っていたのだし。
それであれば人と同じタイミングで消えることこそ、好ましいと思った。
自暴自棄とは違う、凪いだ気持ちで今後のことを考えていると、墓守の死神はもう一度私の目を見据えて言った。
「一人前の死神になるしかない」
墓守の死神はそう断言した。
言い出したことの唐突さに嘲笑したくなるのはこちらの番だった。
「……試練がまだなのに、どうやって?」
おかしなことを言う。
一時期は毎日のように、試練の内容を尋ね、そのたびにまだ時じゃない、試練は始められないと教えてくれなかったにもかかわらずだ。
試練の内容がでているのなら、もっと早く教えて欲しかった。
「いまの氷結の死神ならば、試練になりうる。
だから、大丈夫」
「大丈夫って……」
要領を得ない発言に、私はもっと詳細を口にさせようと何かを言おうとした。
「……ニキくんを殺そう。
元々その為に連れてきた子だし。
間に合ってよかったよ」
大したことのないことのように墓守の死神がそう言った。
耳がその音をとらえて、理解するまでにいやに時間がかかった。
「……何……を……?」
喉の奥がひぅっとなった。
墓守の死神が何を言っているのか分からなかった。
悪い冗談だと思った。
こんなタチの悪い冗談を言われたら、少し怒るくらいのことをした方がいい。
言い返す準備はできているのに、一向に冗談だと訂正が入ることはない。
「死神にとって一番大切な人を殺す、それが最後の試練だよ」
「……な、なんで……?!
なんで……ですか……ッ!?」
未だに墓守の死神に言われたことが腑に落ちない。
感情の上を滑って終わってしまう。
理解したくない。
理解できない。
身体に力がうまく入らないことも忘れて、墓守の死神の服の襟元を掴んでいた。
「……何度も同じ過ちを繰り返すからだよ。
どの死神も」
「……ぇ」
「人と関わって、人を知って、特別を作ってしまえば殺せなくなってしまう。
それが主の定めたことだったとしても。
それでも、私たちは選択から逃れることができない。
自滅するか、泣く泣く殺すか。
定められたなら決めるしかない。
その覚悟を見せることが、最後の試練」
見上げた墓守の死神の表情に光はなかった。
彼も一度や二度ではなく、その選択を行なってきたんだと知った。
だから……。
だからと言って受け入れられるわけがない。
「……いや、です!!」
何も考えられなかった。
結論がでないまま、ただ感情のままに訴えた。
「嫌だ、そんなことやりたくない!!
……許して……ッ、許して…ください……」
墓守の死神に縋りついて、哀願した。
はじめて涙というものが滲んで、墓守の死神の服を握る手の甲の上に落ちた。
(いやだ……ッ!
せっかく……ッ!!
見つけたのにッ!!
やっと……ッ!!)
手の甲が白くなるほど握りしめても、彼が私に寄り添うことはなかった。
「……私たちは、そういう生き物だから。
定められたことから逃れることはできないよ」
私が服を握りしめていた手の指、その一つ一つを外していく。
「決めなきゃね。
どうするか」
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