ひなどり(鶴薬)本日も本丸は騒がしい。
短刀たちが走り回って遊ぶ音。仲が悪いようでいいような者たちが言い争っている声。そこかしこから鮮やかな音がする。
薬研の部屋は本丸の中でも随分と隅の方にあるので、その喧騒も少しだけ遠い。
これくらいの音があった方が、作業にも読書にも集中出来るので良かった。
入り口である障子には、離席中の木札を立て掛けている。
薬研の部屋は診療室のように扱われる時があるので、念のため用意してあるものだった。
たまにはいいだろうと、時折こうしてちょっとしたズルをしてひとり、作業に没頭するのだった。
急患がいるようなら、周りの騒がしさですぐに気づく。生死に関わるものなら、そもそもここには来ずに、みな真っ先に審神者の元へ向かう。
パラリとページを捲る。
薬研は仲間たちと体を動かす方が性に合っている。だけど、時折こうしてひとりになることも同じだけ愛していた。
「よっ、薬研」
「…………」
──しかし、そんな薬研の『ズル』を、全く意に介さない者もいるのだった。
それはもう、びっくりするほど普通に障子を開けて、普通に入ってきた男は、全く悪びれる様子もなく薬研の隣に座った。
「札の文字が見えなかったか?」
「だってきみ、いるじゃないか」
「…………」
そう言われると弱い。
薬研は半目で目の前の男、鶴丸を見つめた。
こちらの視線を一切気にすることなく、男は優しく微笑んだ。
「きみ、本当に離席する時は誰かに言っておくだろう」
…………だったらなおさら、入室を遠慮しそうなものなのだが。
空気を読めないわけじゃない。わざと読まない男だった。
常日頃、軽薄そうな態度で隠しながら、気遣いの鬼の様相を見せるのに。こと薬研に対しては随分と図々しかった。
「俺はひとりで今、読書をしてるわけだ」
「そのようだな」
「何が言いたいかわかるよな」
「『邪魔だ』?」
「…………」
つい、押し黙ってしまう。
ここで邪魔と言えれば良かった。そうすれば、鶴丸だって無理に居着かない。強引ではあるが、引き際をわきまえている。
邪魔なわけではない。ただ、困るのだ。
「薬研、きみがそんなんだから俺みたいのにつけこまれるんだぜ?」
「どういう意味だよ」
「さて」
おどけるように笑った鶴丸が、薬研の膝に頭を乗せてきた。
「おい」
「権限したての頃は、こうして寝つかせてくれたじゃないか」
「いつの話だよ」
「俺がひなどりだった頃の話だな」
「ひなどり……」
言わんとすることはわかるが、当時も今も身長は変わらない。鶴丸は、薬研よりも随分と大きいのでしっくり来ない。
確かに、鶴丸の手を引いて、あれやこれやと面倒を見てやったのは事実だが。
「重い」
「ひなどりの心を盗んでおいて、それはひどいんじゃないか?」
「…………」
聞こえなかったふりをする。
薬研は鶴丸との関係を進める気はない。薬研は、特別を作るはつもりはない。
器用な刀ではないのを自覚している。かつての主たち。今の主。兄弟。仲間たち。それだけでももう、手がいっぱいだった。
「どうしたら振り向いてくれる?」
「諦めてくれ」
「ここで邪魔と言ってくれれば、諦めよう」
言えないとわかっていてそんなことを言われる。
部屋の位置が、こんな隅でなければ良かった。木札を立てておかずに、入り口を開けておくべきだった。
鶴丸以外であれを見て、入室する者はいない。
薬研こそ、ひなどりのような心細さで鶴丸を見下ろすしかなかった。