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    はなの梅煮

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    はなの梅煮

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    業平殿と基経様、両方から想われてる道真君の話。
    業道9割、基道1割くらい…?

    焦燥 暖かな日差しが横から差し込み身体を温め、ちらちらとほころんだ梅の花の香りが風に乗って流れてくる。
     春が来ていた。
    業平は菅家の道真のいる対の屋に繋がる廊下を歩いていた。雲一つない、目に痛い程の青い空を見上げて口元を緩ませると、案内のために先を歩く白梅の背に問いかけた。
    「道真は元気にしていたか」
     そう言うのも、ついこの間までは宮中の行事や検非違使の務めで慌ただしく、菅家への足が遠のいていたからだった。こうして道真と顔を合わせることは一月ぶりくらいになろうか。
     白梅に問わずとも今から道真と会うのだからその時に聴けば良いのだが、業平が問うても道真は「特に何も」としか言わないだろう。
     道真は自分の近況を他の者に話すことは無いに等しい。屋敷に引きこもって書を読み耽っており、本当に何も変わりがないから、ということもあるだろうが、例え何かあったとしても話しはしない。話す必要がない、話すべきではないと思っているのだろう。それが些か寂しい気もするも、それは業平とて同じ。
     けれど、想いを寄せている者のことが気になるのは当然だろう。一人、道真は今頃どうしているのだろうか、と思いを馳せる時間も嫌いではないが、やはり直接会って、言葉を交わすことに勝るものはない。
     白梅は業平の問いかけに足を止めると振り返り、小さく笑った。
    「少し前のことなのですが、松煙墨の唐墨を頂いたらしく…。とても嬉しそうでいらっしゃいました。いつも以上に筆を走らせ、勉学に勤しんでおられましたし」
    「唐墨…?」
     業平は白梅の話にひっかかりを覚えた。
    松煙墨の唐墨など、位の高い限られた者にしか手に入れることができない一級品のはず。おいそれと手に入るものではない。それを何故、一介の文章生でしかない道真が持っているのだろうか。
    「それは誰かから贈られたものなのか?」
    「いえ、そこまでは私も…」
     すみません、と頭を下げた白梅に業平は眉を八の字にし、困ったように微笑んだ。
    「いや、すまなかった。女官とはいえ、道真のことを何でも知っているではあるまい。気にしないでくれ」
    「はい」
     控え目に笑った白梅は、再び前を向き足を進めた。
     道真に唐墨を贈ったであろう人物は一体誰なのだろうか。以前、高子様から唐墨を頂いたことがあることは知っている。自分も欠片とはいえ、その唐墨を分けてもらった。また自分の知らないところで、道真は高子様から何か依頼を受けたのだろうか。いや、そうであれば白梅が知らないはずはない。
     業平の顔が陰鬱に沈んだ。
    思い出すのは高子様が十二、十三の齢だった頃の笑顔。そして、屋敷から追いかけてきた者たちにより自分から引き離された時の「業平」と泣きながら叫んでいた声。
     ずきり、と胸が痛んだ。この胸の痛みは何年経とうが癒ることはない。業平は嘔吐感に似た不快な感情を、白梅に気づかれぬよう、そっと静かに吐き出した。
    「道真様。業平様がお見えになってます」
     道真の対の屋に着くと、白梅は声をかけながら半分ほど上がっている御簾をよける。業平はその白梅の後ろからひょこりと顔を出して中を窺った。
     すると、文机に向かっていたのであろう道真の身体が見ているこちらが驚くほどびくっと跳ねた。音がしそうなほど勢いよく振り返った道真は業平と白梅に気づくと、くしゃっと乾いた音を立てながら手に持っていたものを慌てて懐の中へと突っ込んだ。
    「は、はい…どうぞ」
     あまりに不自然な様子に呆気にとられている白梅と業平の視線を受けながら、道真は一つ咳払いをすると居住まいを直し、業平に円座を勧めた。
     訳の分からない道真の行動に戸惑いつつも業平は円座へと座り、その道真と業平の様子を見た白梅は失礼します、とこの場を離れていった。
     道真と向き合って座った業平の視線は、何かを入れたのであろう道真の懐にあった。
     道真は一体何を自分から隠したのだろうか。くしゃっという軽い薄い紙のような音。そして、懐にすぐに入る大きさのもの。おおよそ文だろう。
     声をかけられ慌てて隠した様子からして、よほど熱心に文を見つめていたらしい。自分の元へ近づく足音にも気付かぬほど。
     送るものか、送られてきたものかは分からないが、少なからず自分には知られたくない内容なのだろう。
    「何の御用ですか。あなたって本当突然来ますよね…」
    「なに、思いついたことがあってな」
    「はぁ…」
     業平は檜扇で口元を隠しながら、今度はちらりと文机に視線を移す。
     道真は文机に向かっていたというのに、その上には硯も筆も置かれていない。どうやら文は送られてきたものらしい。
     ふと、文机の下に一本の枝が落ちていることに気づいた。
     道真は業平が何かに気づいたことを察したのだろう。業平の視線の先の辿ると、はっとしたように慌てて文机の下からその枝を掴んだ。
     道真は手に持った枝を一度葛(つづら)に直そうしたが、途中で動きを止めると手を迷わせながら枝をゆっくりと文机の上に置いた。枝を握る己の手に刺さる業平の視線のせいだろう。この状況で慌てて枝を片付けることは、怪しく思われると思われてしまうと警戒したのかもしれない。
     再び業平に向き直った道真は居心地悪そうに床に視線を這わせていた。対する業平は文机の上をじっと見つめる。
     手より少し長いくらいの枝には二、三枚の瑞々しい緑の葉と一つの蕾が付いている。小ぶりの白い蕾。それは橘の枝だった。そのことが分かると同時に、業平の胸が一気に騒ついた。 
     今日の朝廷後に内裏の縁側に立って外を眺めていた人物が脳裏をよぎった。
     その人物である基経は一人じっと橘の木を見ていた。その橘は幾つか花開いているものはあるものの、ほとんどが蕾だった。見頃とは言えないが、これから開いていく花や、たわわな黄色い実をつけていくことを想像すると、待ち遠しく胸が躍る。そんな橘を見つめる基経のその目は、いつもの冷ややかな腹の底の読めないものとは違い、愛しいものを見るかのように柔らかいものだった。非道な手段を使い、権力や己の地位ばかりを追い求める基経にも花を愛でる心があったのだと驚いたのだった。
     その基経が眺めていた橘の木の枝が道真の所にある。
    「……蕾だけの枝というのも良いものだな。誰かからの贈り物か?」
     その業平の問いに道真は返事をしなかったが、業平は確信していた。その橘を送ったのは基経だと。基経はその枝を添えて道真に文を送ったのだ。まるで意中の女人に送るように。となると、道真に唐墨を贈ったのも基経だろう。
     基経も道真に対して自分と同じような感情があるのかもしれない、そう思った。
     橘の蕾の枝。美しく開いた花を携えた枝ではなく、蕾の枝ということが二人を示しているように思えた。今はまだ細い糸で繋がっているだけの関係の二人が徐々に想いを重ねて花のように心を開き、永遠の繁栄を象徴する橘の実になぞらえ、ずっと隣に寄り添うような関係になることを例えているようだった。
     そう思うと、文机の上に置かれている橘の枝が美しく尊いもののように見えてくる。
     何故、基経が、道真を。
    どくどくという鼓動の音が身体中で響く。身体の中に靄がうずめき、息苦しくなる。
     基経は自分から道真を奪おうと思っているのだろうか。高子様だけでなく、道真までも。また胸が引き裂かれるような、悲しみや絶望を味わえと言うのだろうか。
     俯いた業平は、ぎり…と己の唇に歯を立てた。
    基経がその気になれば、道真を自分の傍に置くことは造作もないだろう。だというのに、それに対する力を業平は持たない。今も昔も自分は奪われることしかできないことが、歯痒く、悔しく、憎く、悲しい。
    「…業平殿?」
     業平の纏う雰囲気が不穏なものになったことに気づいたのだろう。道真がためらいがちに業平の顔を覗き込んだ。
     その道真の声に引き戻されるかのように業平は風が起きるほど勢いよく顔を上げた。
     目と鼻の先で急に起き上がった業平の顔に道真の身体が飛び跳ねた。大袈裟だと思うほどの驚き方に、業平は思わず笑ってしまった。
    「何を笑ってるんです…人がせっかく心配してあげたというのに」
     笑われたことに羞恥を感じたらしい道真の頬が薄く色づく。そっぽを向いて唇をツンと尖らせて拗ねる様子に、業平は己の胸に蔓延っていた靄が薄くなる気がした。
     たったこれだけのことで、わだかまりが綻んでいくなど、自分が思っている以上に目の前の青年に惹かれているのだと自覚せずにはいられなかった。
    「すまん。つい、な」
    「……」
     じとりと横目で業平を見ていた道真は嘆息を落とすと、今度は真っ直ぐに業平を見据えた。
    「それで?うちに来た要件はなんですか」
    「あぁ、そうだった」
     いろいろなことがありすぎて、本来の目的を忘れるところだった。業平はぽんと手を叩くと、こちらを見つめてくる仏頂面に笑いかけた。
    「今度鷹狩りに行かないか?」
    「…鷹狩り?」
     怪訝な顔をして業平の言葉を繰り返した道真に頷く。
    「この頃暖かくなってきただろう。丁度良いと思ってな」
     そうは言ったものの、鷹狩りは一つの口実だった。本当は、たまには京を離れて二人でのんびりと過ごしたいと思っているのだ。けれど、道真は筋金入りの引き籠りであり、素直に頷くとは思えない。そのための口実だった。
    「……構いませんよ」
    「そうだな、お前ならそう言うと……え?」
     道真からの全くの予想外の言葉に思わず耳を疑った。
    「ど、どうした…!?何か変な物でも食ったか…?いや……お前、本当に道真か?」
    「失礼ですね!」
     それとも、どこかで頭をぶつけたのか…と加えた業平の言葉に道真は、むっとしたように声を大きくした。
     分からないと首を傾げる業平の視線に、道真はしばしの沈黙の後、蚊の鳴くような声で言った。俯いたその耳は赤く染まっていた。
    「…まぁ、その……たまにはあなたと遠出も悪くはないかも、と思っただけです」
     その言葉に思わず息を飲んだ。
    道真は今何と言ったか。あなたと遠出も悪くないかも、と。共にいたいと言ってくれたのか。あの道真が。
     言われた言葉を頭が理解すると、泉のように沸いた歓びの感情が業平の全身を包み、ぶるりと身体が震えた。
    「……そうか」
     自分だけでなく、道真も同じように思ってくれているということがこんなにも嬉しいとは。
     業平は道真の胸を占めている自分の大きさを認識した。きっと基経よりも自分の方が道真の胸を占めている割合は大きいのだろう。そんな幼い優越感に、心にかかっていた靄が晴れ、満たされる気がした。
    「そうなれば予定を立てなくてはな。いつにしようか。早い方が良いだろう」
     にこりと業平が微笑んだ。
    「もう一度長岡に行こうか。あそこは良い場所であった。いや、まず是善殿に話をしておかねばならんな」
     矢継ぎ早に言葉を紡ぐ業平に、道真は呆れたように薄く笑った。
    「随分と楽しそうですね」
    「楽しそうに見えるか」
    「ええ、まるで童のように」
     それは初老の大人に向かって言う言葉ではないだろうに。業平はくすりと笑うと、道真に向かって手を伸ばし、人差し指で道真の胸をとん、と突いた。
    「当たり前だろう。お前と共に行けることが嬉しくて仕方ないのだ」
    「大袈裟な人…」
     薄く頬を染めた道真の頭を越して、文机に置かれた蕾のついた橘の枝が視界に入った。先程までは美しく尊いものと思っていたそれは、今はやけに寂しげに見える。
     基経がどれほど想いを乗せた橘の枝でも、所詮はただの枝。今ここで業平が道真に何をしようともただの枝には止めることはできない。存在することしかできないのだ。
     業平は道真の胸に当てた指を首筋に辿らせる。頸にかかっている頭巾の端を掬い、掌から指先へ水を流すようにはらりと落とした。
     自然な流れでゆっくりと瞳を閉じた道真に唇を重ねた。
     基経がその気になれば、道真を掻っ攫っていくこともできるだろう。それに対して自分は想いで道真を繋ぎ止めることしかできない。
     けれど、基経だけでなく、他の者にどれほど手を引かれようとも、道真には自分が息絶えるまでずっと共にいてほしい、と業平は願わずにはいられなかった。
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