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    NASU_1759

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    NASU_1759

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    シミュラクムとシミュラクム整備士
    ※どりっぷさんの創作フェーズシフトパイロットをお借りしています。

    Under the moon エイペックス・プレデターズといえばデメテルの戦い以降に現れ、ここ数年で急激に力を付け始めた新進気鋭の傭兵集団だ。申し分のない実力で、フロンティア戦争では巨大企業のIMCとも契約を結んでいるという。だが、金と血に飢え、IMCでさえ手を焼くという問題だらけのパイロット組織だとも学生内で密かに囁かれている。だがそれを確認するすべは無く、あくまでも噂であるが。
    「あ、そういやお前、今からエイペックス・プレデターズに行くから準備しとけよ」
     ドロップ・シップの唸る駆動音で聞き間違いかと「機械工学の応用〈上巻〉」、125ページの文章を頭に叩き込んでいたリサは思わず耳を疑った。準備って?一体何の準備だ。男はポルノ雑誌から目を離し、煙草の煙と共にドラッグ漬けである証の、隈の濃い目をリサに向けた。ぽかんとしたリサの顔を認めるとあきれたような盛大な溜息を吐いた。なんと失礼な態度だとリサはむっと口を引き結んだ。
    「デリックさん、ここ禁煙ですよ。」
     目の前の男、そしてリサの引率教員であるデリックはぴしりと学校指定のシミひとつ無いつなぎを着たリサとは対照的に、着古したよれよれのジーンズと、シャツに埃の被った革のジャケットを羽織っていた。教師というより路地裏街の浮浪者といった風貌だ。さらに言うと道端で瓶を片手にゲロまみれで寝転ぶ姿が良く似合う。教師に配られる学校指定の上着があるはずだが、彼のファミリーネームのワッペンが入った上着を実習場に配置されているMRVNが着ていたのをリサは見掛けていた。
     リサはデリックをじっとりと睨んだが、屁とも思わぬように吐き出した──いわく、ちょっとした元気になるお薬入りの──煙草の煙はリサの目と鼻に刺激を与えた。既に自動操縦に切り替えられたドロップシップのパイロットが責めるようなわざとらしい咳払いに慌ててデリックに視線を戻す。
    「ほら!睨まれてますってば!」
    「うるせぇー、話聞いてたのか?エイペックス・プレデターズって言ったんだよ、このウスノロめ」
     どうやら聞き間違いではなかったらしい。リサは愕然とした。
     エイペックスプレデターズって、あのエイペックスプレデターズ?戦争好きのクーベン・ブリスクが率いるあの極悪非道な傭兵集団?
     あっけらかんと、さも当然のようにそうのたまった担当教師は顔を真っ青にするリサを気遣う様子もなく雑誌に目を戻した。学校のカリキュラムでは軍を退役したシミュラクラムのボランティアを対象としたメンテナンス研修だったはずだが、あろうことかこの教師は悪評高いエイペックスプレデターズに生徒をインターシップ先として送り込むと言ってのけた。しかも、ドロップ・シップが飛び立った後に。破天荒なこの男に関わって物事が何事も無く終わった試しがない。何かあるとは思っていたが、まさかよりによって。
    「退役したブリキ共のメンテなんて新車のエンジンをオーバーホールするようなもんだ。クソの役にも立たないことするよか、お前も実地訓練のほうがいいだろ?」
    「そんな、無茶苦茶ですってば!」
    「あ?無理言って知り合いのパイロットに頼んだんだ。俺に恥かかせたら船から突き落とすからな。いいな?」
     デリックの言いたいことはつまりこうだ。
     逃げたら殺す。ヘマしても殺す。
     元パイロットの教師の発言は洒落にならない。唯我独尊を肉に詰めて人間の形にしたような、しかもやると言ったら笑い飛ばせる冗談のようなものでも必ず実行する男だ。それがたとえ現在高度が上空三万フィートであってもだ。彼がリサの実習担当となってから幾度もこの身を持って体感した。本来なら教師一人が複数人の学生を受け持つはずだが、リサ以外の学生は三日で尻尾を巻いて逃げ出した理由でもある。──正確には、リサが逃げ遅れたが正しいが。
     衝撃的なデリックの言葉に指の芯まで凍りつき冷や汗が背中を伝った。もしもの事かあればきっとただては済まない。万が一でもあれば、エイペックスプレデターズに殺される前にこの男に殺されるだろう。
     身体中の力がへろへろと抜け、手から教本を取り落とした。卒業どころか生きて帰って来れるのだろうかと、リサは身体中の血液が冷えていく感覚に襲われた。
    「なぁに緊張してんだ?流石にプレデターズはお前を取って食ったりしねえよ」と、デリックは青ざめたリサを一瞥し、にやっと口の端を上げた。「たぶんな」
     ごうごうと機内に響くジェット音が物悲しい。
     このろくでなし教師、本当にもうダメだ。



     エイペックス・プレデターズのIMC支配下にある地上拠点のひとつに到着したドロップ・シップを降りた後、デリックは勝手知ったる他人の家というように案内も通さずに応接室に足を踏み入れた。高価なカーペットや調度品に身を縮こませるリサをよそに、デリックは待ってりゃそのうち来るとどっかりとレザーのソファに腰掛けていたが、気がつけば靴の裏でもみ消された煙草の死骸たちが既にデリックの足元に何本も溜まっていた。そのうち来るであろう待ち人は、いつまで経っても現れなかった。
     貧乏ゆすりで己の不機嫌をひけらかすデリックをマナー違反だと指摘する気も起こらず、窓側に置かれた一人用のソファに座りながらガラス越しに向こうの大型輸送機に乗り込むイオンとノーススターの姿を、リサは心ここに在らずといった様子でぼんやりと眺めていた。タイタンは戦場の花形だけあってタイタンメカニックを目指す学生は多い。特に、軍事関係のタイタンメカニックともあれば。
     大学の入学当初、リサも例に漏れずタイタンメカニック専攻を希望していた。他の生徒のように熱意のあるものではなく、生まれてこの方一度も熱中できることも見つけられず、両親がタイタンメカニックをしているというだけで。工業大学に進学した理由だってそうだ。自分もメカニックになり、なんとなく稼いで、いつか結婚して、子どもを産んで、寿命で死ぬ。なんとなく周りに流されるまま生きてきた自分に転機が訪れたのは、大学初日のガイダンスだった。シミュラクラム専攻の紹介ホログラム映像に映された「彼ら」はリサの世界を180度ひっくり返した。
     無機物の身体でありながら、まるで生き物のようにしなやかに戦場を舞い、タイタンと共に硝煙の地を駆け抜け、そして無慈悲に敵を撃退していく洗練された美しいあの輪郭を、あの感動を今でも忘れることはできなかった。感極まりガイダンス中にも関わらず涙を流してしまったのは今思い出しても恥ずかしい出来事だ。
     あの時の衝撃的な憧れは心に残り続けている。今だってそれは変わらない。ただ、色褪せたものになってしまっただけだ。
     だらだらと思考の底に浸っていてたリサは、何者かが部屋に入ってきたのにも気がつかなかった。デリックがようやくかといったように大きい溜息を吐いたところでようやく意識が戻る。
    「ようアシェル!お前が来るまで茶の一杯も出さねぇとは、プレデターズは随分と礼儀がなってるな」
    「久しぶり。遅れたのは申し訳ないと思ってるけど、悪いがここは喫茶店じゃあないぞ。あと、ここで煙草を吸うな」
    「ハハ、生意気言いやがって。クソガキどもは生きてるか?特にあの金髪のチビ、今度訓練に付き合ってやるって言っとけよ。……あぁそうだ、こいつ。こいつが例の俺の生徒」
     立ち上がるデリックにならい、リサも立ち上がった。アシェルと呼ばれた男性は褐色肌に長い茶髪を束ね、すらりとした体躯に相応しい背丈をしていた。歳はデリックより一回り若いぐらいか。非番であるのかシャツにジーンズといったラフな服装を身にまとっていた。シミュラクラムのパイロットには授業で何度か会ったことはあるが、生身のパイロットに対面するのは初めてだ。
     身を固くするリサに、アシェルは茶目っ気たっぷりにウインクした。たぶん、一般的に言えば、この人はすごくかっこいい。
    「パイロット部隊のリーダーをやってるアシェルだ。デリックから聞いてない?あー、その顔は聞いてないね。昔、少しお世話になったんだよ。ごめんね、デリックってそういうとこあるから」
    「い、いえ、大丈夫です」
     どぎまぎとしながらもリサは自分がどんな顔をしているか心配になったが、アシェルの人懐こそうな笑みに彼の差し出された手を握り返しながらリサはほっと胸を撫で下ろした。デリックの普段の常識を逸脱した振る舞いにパイロットは頭のネジが一つや二つどころか全てのネジが緩んでいる人種ばかりだと偏見を持っていたが、考えを改めなければならないと心の中で反省した。
    「デリックがまさか生徒をちゃんと面倒見るとは思わなかったなぁ。教師をやるって聞いた時は不安だったけど」
    「あたりまえだ。俺はちゃんとやってるが生徒どもが根性無ェ奴ばっかりでな。こいつしか残らなかった」
     意外だとばかりに感心していたアシェルが「あぁ……」と一瞬遠い目になったのをリサは見逃さなかった。
     デリックとアシェルの会話をなんとなしに聞いていると、ぷしゅ、と空圧式のスライドドアが開いた。扉の後ろから顔を出してハァイ、と可愛らしい声で女性型のシミュラクラムがこちらに手を振った。
    「うちの部隊の隊員のアリス。知っての通りプレデターズはガラが悪いのが多いけど、アリスに関しては心配しなくていいよ」
     女性型シミュラクラム──アリスは軽快な金属の足音を鳴らしてアシェルの横に並んだ。姿形こそフェーズシフト用義体と同じものだが、随分と小柄な身体にぎょっとする。平均より身長の高い自分から見ると、彼女の頭の上を見下ろす形になり尚更小さく感じる。義体はヴィンソン・ダイナミクスの量産品で寸分狂わず製造されているため、規格外のこのシミュラクラムはおそらくオーダーメイドだろう。
    「アリスっていうの。今日はよろしくね、学生さん!」
    「あ、えっと、リサといいます。こちらこそよろしくお願いします」
     噂に聞くエイペックス・プレデターズのイメージとはかけ離れた感情豊かな跳ねるような声にたじたじとしながらも、アリスに右手を差し出された鋼鉄の手を握る。冷たく小さな手だが、力強くしっかりとした力は幾度の死線をくぐり抜けてきたパイロットの手だ。後頭部にリボンを結わえ、結び目から垂らされたファーがふわりと靡いた。
     次いで、リサの横に立つデリックに顔を向けたアリスは嬉しそうに「デリック、久しぶりだね」と、はしゃいだ。デリックはニヤッと悪い顔で笑い、煙草の煙を彼女の顔にフー、と吹きかけた。非常識な行動にリサは眉を寄せて顔を顰めるが、アリスは気を悪くした様子もなく子どものように、もう、やめてよ!と手でぱたぱたと煙を払いながらも無邪気に笑った。どうやら彼らなりの挨拶のようだ。
     二人の親しげな様子に戸惑うリサに、アリスは元々ヴィンソンにいたんだとアシェルが付け足した。デリックはヴィンソン・ダイナミクスの元パイロットだ。二人がかつての同郷であるのなら、仲が良いのも合点がいく。
    「じゃ、あとはよろしく。俺らバーに飲みに行くからな、ちゃんとやれよ」
    「は、ええ?ちょっと待ってくだ……」
     リサの言葉を最後まで聞くことも無く、アシェルの肩に腕を回し、さっさと部屋を後にするデリックに愕然とする。今、この教師はなんて言った?インターシッブ中は監督者として生徒に付きっきりで指導にあたるはずだが、どうやらこの男はその気はさらさら無いらしい。始めから学生のインターンシップの監督なんてするつもりはなく、それを口実に、デリックは旧友と酒盛りをするつもりだったのだ。あまりの横暴さにリサはひくひくと口角を引き攣らせた。
     がらんとした応接室に、朗らかに二人の背に手を振り送り出すアリスと、凍りついたリサだけが取り残された。



     椅子に座ったアリスの肩関節を検査用ハンマーで叩けば、小気味のいい音が跳ね返ってきた。シミュラクラムは痛覚を感じることはないが、あまり気分の良いものではないらしい。衝撃検知システムと同時に走る幻肢痛とも表現されたその感覚は、人間であった頃の名残とも言うべきか。
     デリックとアシェルがバーに出掛けた後、残された二人はメンテナンスルームに移動し、頭を抱えていても仕方ないとリサは作業に取り掛かった。
     アリスの義体は小型化に伴い、構成される部品も小さく造られている。精密部品ともなればそれは更に顕著になる。リサは普段の何倍も繊細に扱い、異常を見落とさないよう注意深く観察する。ツールキャビネットから工具を持ち替えながら、消耗部品を交換をしつつ点検を進めていった。
     技師の力量はシミュラクラムの生死に直結する。一線を退いたパイロットならともかく、現役のパイロットとなれば技師のたった一つのミスでいとも簡単に彼らを死に追いやることになる。
     特段、パイロットはジャンプキットを使ったパルクール技術にウォール・ラン、ダブルジャンプなど、おおよそ人間離れした常に激しい動作を長時間に渡って行うため、日常生活では考えられない程の負荷が機体に掛かる。
     それゆえ軍用シミュラクラムのメンテナスは、一つのミスすら許されないシビアなものだ。災害事例18:肘関節ベアリング調整不足を起因とした稼働不良。敵パイロットの攻撃を受け機体の80パーセント喪失。一般隊員13名死亡。温度管理がされているはずのメンテナスルームが酷く暑く感じ、じっとりと額に汗が流れる。
     ふと目に入った壁に掛けられた時計の長針は、メンテナンスを始めてから既に二周していた。普通なら終わっていてもおかしくない時間。リサは、己に才能が無いことを自覚していた。失敗をしないよう人よりも慎重に作業を行い、何度もチェックをすれば当然時間もかかる。
     エイペックス・プレデターズ。監督者のいない空間。彼女の命を握るメンテナンス。肩にのしかかる重圧に、段々とデリックを恨む気持ちが膨れ上がってくる。
     ここに来るのは自分で無くても良かったはずだ。もっとちゃんとした人を連れてこれば良かったのに。リサは優秀な同級生の顔を何人も浮かべた。
     取り残されまいと必死に机に向かい、毎晩のように訓練用の義体を繰り返しオーバーホールをしても、彼らは遥か遠くリサの置いて前に歩んでいく。
     シミュラクラムを嫌いになった訳では無い。あの日から変わらず、なめらかな金属の肌に触れていたいと思う。だが、届かない背中に手を伸ばす日々に、少し疲れてしまっただけだ。
     リサがメンテナスをしてる間、アリスは何も喋らなかった。気を遣わせてしまったのかと申し訳ない気持ちになったが、作業に集中できたのでありがたかった。
     長い時間暇にさせているというのに機嫌良く鼻歌を歌いながら自由な足をふらふらと揺らすアリスに、リサは不思議な人だと横顔をちらりと盗み見る。
     パイロットは課せられる任務の特殊性から精神を病む者は少なくない。シミュラクラムという、不死性の代償ともいうべき自己の存在証明すら揺るがす技術を受け入れた人たちは特に。
     彼らは様々な理由で強靭な手に入れ、そして戦場を去っている。リサが出会ってきたそんな彼らは皆一様に無機質な人工音声に暗い影を落とし、病んだ心は機械の身体に縛りつけられていた。リサは彼らの血と後悔を綯い交ぜにした、腐臭のような鼻をつくにおいをよく知っていた。
     だが、アリスは違った。その明朗な声は酷く澄んでいて、一つ一つの所作は一匙の暗澹とした感情すら感じさせなかった。それは、恐ろしさを覚えるほどに。彼女もまた彼らと同じく狂気の淵に生きているのだろうか。それとも。
    「最後に脚部関節の調整をするので、すみません。少し触りますね。違和感があれば遠慮なく言ってください」
     リサは断りをいれアリスの右脚の横に片膝をついてしゃがんだ。作業用グローブのスナップを外し、素手になった右手でふくらはぎを支えて左手に握ったドライバーで外側のジョイントのネジを緩める。すると固定されていた関節の力が抜け、関節から下の脚が振り子のように揺れた。リサは力無くだらりと垂れた踵を手のひらで支え、膝関節を軸に弧を描くように動かす。動き具合を見ながら固くもなく緩くもなく、具合のいいところで再度固定する。つまり、技師の感覚頼りの作業だ。素手になったのもグローブをはめたままでは手の感覚が鈍るので、リサはこの作業だけはグローブを外している。これだけ技術が進歩した今なお、数字だけでは証明できない技師たちの精密機械より正確な感覚は到底作業ロボットでは肩代わりなど出来なかった。
     仕上げに液体状の研磨剤を含ませた布で表面を磨きながらアリスに顔を向けた。
    「お疲れ様です。メンテナンスは一通り終わりましたが何か気になることはありますか?」
    「うーん、そうだねぇ」
     アリスは人差し指を四角く突き出した顔の下側の縁に添えてとんとんと考えるような仕草をした。人間で言うと顎のあたりだろう。アリスの人間と変わらぬ流麗な動作はプログラムではなく、まるで魂がそうさせているように思えるのだ。
     シミュラクラムという機械仕掛けの器に0と1に置換された魂を注ぎ、生前の脳神経から抽出された記憶と、人格と、記憶のデータで構成された新たな魂を得たひとたち。たとえ肉体を失おうと魂の定義がそれらで形作られているのなら、彼女もまた人間といえるのではないだろうか。データも魂も、個を形容する実体の無い言葉に過ぎないのだから。
    「それ、すごいね」
     想定外の彼女の言葉にリサは目を見張った。アリスが指したのはキャビネットの上に置かれたリサの整備ノートだった。そこには、端から端までメンテナンス要領がびっしりと手書きの文字で書き込まれている。まさか自分の話を振られるとは思わず視線をうろうろさせて狼狽えた。
    「いえ……そんなこと、無いです。普通です」
     動揺を悟られぬよう手に持っていた布を片付けるリサに、アリスはそっかぁとそれ以上追及することは無かった。ばくばくと跳ねた心臓が落ち着いていく。そう、普通だ。これだけやってようやく自分は普通なのだ。
    「大学はもうすぐ卒業でしょ?就職は決まったの?」
    「はい。来月からヴィンソン・ダイナミクスに就職することになって……。デリックさんが無理矢理試験を。だから採用されたのは何かの間違いなんです。私、技師は向いてなくて。断ろうと思ってるんです」
     リサは、本当は自分の身の丈に合った郊外の義肢修理を専門にする工場に就職するつもりだった。だがデリックはリサの願書を勝手に書き換え、あろうことかヴィンソン・ダイナミクス本社に送りつけたというのだ。元社員であるデリックの口添えがあったのか分からないが、とんとん拍子に選考をパスしてしまった。情けない話だが、流されやすい性格とデリックに冗談にならない脅迫に辞退するタイミングを失い続けている。
    「でもデリックさん、ああいう人だから聞く耳を持ってくれなくて。あの……アリスさん。昔からのお知り合いならあの人に言ってくれませんか。技師を辞めさせたほうがいいって。そしたらデリックさんも納得してくれるかも」
     浅はかな思考でするりと無意識に口をついてでた言葉は自分でも驚くもので、喉からおかしな声が出る。
    「ごめんなさい。なんでもないです、忘れてください」
     はっと我に返ったリサはすかさず謝った。初対面の相手に、それも彼女の優しさにつけ込んでとんでもなく失礼なことを言ってしまった。
     黙りこくったリサと、感情の読めないアリスの間に沈黙が訪れる。こんな事を言われて困らないはずがない。居心地悪くそわそわと頬に流れる髪を耳にかけた。
    「リサ、技師になるのは嫌なの?」
    「嫌、じゃないです。でも、到底私なんかがなれるものじゃなかったんです。今日だって突然知らされて」
    「じゃあなんでまだ続けてるの?」
     場を誤魔化すようにへらりと自嘲したリサは、アリスの軽蔑するものでも、同情するものでもない純粋な疑問に言葉に詰まる。
    「デリックは実力の無い人を実力にそぐわない場所に連れてきたりなんかしない」
    「そんなこと、」
    「諦めたくないんだね」
     アリスは柔らかい青い光をリサに向けた。何もかも見透かされそうな気がして慌てて膝に目線を落とす。膝にの上で握りこんだ手の爪がぎゅっと手のひらに食いこんだ。
    「違います、違うんです。そんな立派なものじゃないんです」
     劣等感に苦しむぐらいなら逃げてしまえばいい。だが、そうしなかったのはただの意地だ。
     逃げない理由を他人のせいにして、言い訳をして、みっともなく悪足掻いてしぶとく縋りついている。自らの意思で決めた人生の選択を、あの日抱いた憧れを無かったことにしたくなかった。情けなく溢れ出そうになる涙をこらえ、歯を食いしばり工具を握り続けてきた日々を無価値なものにしてしまうのが怖かったのだ。
     自分から辞められる勇気なんかなくて、他人に否定されれば納得できると思った。
    「私はもうこの身体だから、データが失われない限り何度死んでも生き続ける。それが望まないものだとしてもね。でもね、リサのような生身の人間は違う。人生はあなたが思うよりずっとずっと短いんだよ」
     固く握られたリサの手を、アリスの手のひらが優しく包む。精密動作プログラムにより細やかに制御されたもの。人間らしいあたたかいその動作に驚いて顔をあげる。アリスのきらきらと力強く輝く瞳がリサを包んでいた。
     彼女はきっと知っているのだ。命を奪い合う戦場で死よりも恐ろしいものを。生身の身体を手放してでも手に入れたかったものが、彼女にあったのだろうか。
    「好きなことをやりなよ、リサ。そのほうが楽しいに決まってる」
     ぱちりと青い光が無邪気に瞬いた。

     

     あれからリサは学校生活のこと、家族のこと。アリスは部隊の仲間たちと、リンクをしているトーン級タイタンのこと。お互いのことを飽きもせずたくさん語り合った。とりわけアリスの話は生ぬるい平和に浸っているリサにとって刺激的なものであり、日常の向こう側の世界に感嘆の声が溢れるばかりであった。淡く光る色硝子の奥に何を映しているものは、凡庸な人間には人生を費やしても知りえぬ世界だ。それに少しでも触れていたいと思うのは傲慢だろうか。
     楽しい時間というものはあっという間に過ぎるもので、デリックとアシェルがバーから帰ってきた頃には二人はすっかり打ち解けていた。
     デリックにメンテナンスのチェックをしてもらおうとするが、「ハァ?そんなめんどくせぇことするわけねぇだろ。それともあれか?お前のミスごときでアリスが死ぬと思ってんのか?」と舌打ちを叩きながら鮮やかに一蹴した。
     辛辣な言葉だが確かにそれもそうだと納得しかけるリサに、アリスはつなぎの袖をちょいちょいと引っ張った。何かを言いたげなアリスに身長を合わせるように少し膝を折ると、アリスは内緒話をするようにリサの耳もとに顔に寄せ「あんなこと言ってるけど、リサのことを信頼してるんだよ。ああ見えてすごく恥ずかしがり屋なんだから」とそっと耳打ちした。
     ポルノ雑誌を学校で白昼堂々読みふけり、校内のトイレでマリファナ入りの煙草を燻らすろくでなしの大人が恥ずかしがりだなんて。アリスの容赦のない暴露に、もうおかしくておかしくて人目も憚らず吹き出してしまった。慌てて口を手で抑えるが、堰を切ったように込み上げる笑いはどうにも止まらない。
     突然笑いだしたリサにデリックは胡乱気な表情を浮かべ、アシェルは目を丸くした。
    「私とアリスさんの秘密です。ね、アリスさん」
    「ね!デリックには教えてあげないよ」
     口元をみるみる歪ませていくデリックなんか、ちっとも怖くなかった。



    ──ええ、……はい。折角内定を頂いたのに申し訳ありません。
    ──残念だが、仕方ないね。上も君の能力を高く評価していたよ。もし就職する会社にうんざりしたらヴィンソン・ダイナミクスを思い出して。君ならいつでも大歓迎だ。
    ──ありがとうございます。そう言って頂けて、とても光栄です。
    ──ところで、ヴィンソンを蹴ってまで就職したい会社があるとは純粋に驚きだよ。うちは義体技術に関してはトップだと自負しているし、君は真面目だから社風も合ってるから気に入ってくれると思ったんだが……。差支えなければでいいんだけど、どこに行くのか聞いても問題は無いかい?いや、いや、これはヴィンソンは関係無いよ。ただ、個人的にとても興味があってね。
    ──はい、もちろん。

    「エイペックス・プレデターズです」
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    NASU_1759

    DONEオーガタイタンとパイロット
    ハッピージャンキー・サンセット デリックは幸せだった。
     己の人生のほとんどは平穏という場所からかけ離れた場所に存在してはいたが、美味い食事に三食ありつけて、好みの顔の女を抱いて、とびきり極上のヤクをキメて、銃弾の雨を避けながら、時々ほんの少し命の危険がある仕事をこなして、全長およそ二三フィートの悪友がいるだけでデリックの人生は満ち足りていた。
     ぱりぱりと指先でゆで卵の殻を剥けば、つるりとした白身の表面が現れた。綺麗に剥けたことに満足しながらも、パンがあればサンドイッチにできるのに、と時間外だからとゆで卵を投げて寄こした職務怠慢の食堂の婆さんを呪いながらデリックは薄い唇で銜えたままの煙草を一吸いした。ウエスタン・コーストのシガー・ケースのパッケージにはカルフォルニアの海岸にヤシの木が立ち並び、それを沈みかけの夕陽が空や海、砂浜を赤く染めあげていた。フロンティアのどの保養地であろうとも、地球の西海岸の自然に勝るものはないだろう、とデリックはいつも思っていた。といっても、もちろんデリックは地球に行ったことはなく、芸術というものには無縁の世界に生きているデリックだったが、風情あふれるこのパッケージのイラストだけはデリックのお気に入りだった。
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