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    NASU_1759

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    NASU_1759

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    オーガタイタンとパイロット

    ハッピージャンキー・サンセット デリックは幸せだった。
     己の人生のほとんどは平穏という場所からかけ離れた場所に存在してはいたが、美味い食事に三食ありつけて、好みの顔の女を抱いて、とびきり極上のヤクをキメて、銃弾の雨を避けながら、時々ほんの少し命の危険がある仕事をこなして、全長およそ二三フィートの悪友がいるだけでデリックの人生は満ち足りていた。
     ぱりぱりと指先でゆで卵の殻を剥けば、つるりとした白身の表面が現れた。綺麗に剥けたことに満足しながらも、パンがあればサンドイッチにできるのに、と時間外だからとゆで卵を投げて寄こした職務怠慢の食堂の婆さんを呪いながらデリックは薄い唇で銜えたままの煙草を一吸いした。ウエスタン・コーストのシガー・ケースのパッケージにはカルフォルニアの海岸にヤシの木が立ち並び、それを沈みかけの夕陽が空や海、砂浜を赤く染めあげていた。フロンティアのどの保養地であろうとも、地球の西海岸の自然に勝るものはないだろう、とデリックはいつも思っていた。といっても、もちろんデリックは地球に行ったことはなく、芸術というものには無縁の世界に生きているデリックだったが、風情あふれるこのパッケージのイラストだけはデリックのお気に入りだった。
    「おい、ジャンキー。そこのマヨネーズ取ってくれよ」
    『拒否。あなたはドクターから食生活の改善を要求されていますね』
     咥え煙草でもごもごとした不明瞭な声を正確に聞き取り、ジャンキーと呼ばれたオーガタイタンはパイロットの要求をぴしゃりと跳ねのけた。デリックは生意気にも拒否権を行使するタイタンの発言をあえて聞かなかったことにし、肩に掛けたままだったくたびれたジャケットを脱いでくしゃくしゃに丸めて後ろに放り投げ、殻をむかれたゆで卵を丸呑みした。
    「おい、ジャンキー。このジャケットをクリーニングに出しといてくれ」
    『拒否。あなたは既に成人を迎えている大人であり、プライベートに関してはあなた自身が管理すべきです。パイロットスーツであれば受け取りますが』
     頭にジャケットをぺったりと張り付けたままのジャンキーに顔だけを向け睨むが、『あなたの為になりませんから』と、素っ気なく言い放った。頭部のカメラ機能を阻害する、垂れたジャケットの袖が邪魔だといわんばかりに忙しなくきょろきょろと動かした。
     ハンガーで最も派手なカラーリングのジャンキーはよく目立っていた。身体を覆う毒々しい紫色のペイントに、狂った目つきで涎を垂らす、狂犬のノーズアートがにやにやと気味の悪いを浮かべている。
     デリックはジャンキーに背を向け、可動が許す限り曲げられたジャンキーの腕にあぐらをかいて座っていた。その光景はビジネスマンがスーツの袖を捲り腕時計をちらちらと気にする仕草で、デリックはさながら腕時計だった。といっても、ジャンキーの金属の両腕の装甲板はほとんど剥がれ、ところどころ内部骨格や配線や露出し、かろうじて形を保っているいくつかの指は欠けていたりぐしゃぐしゃに潰れていて、ビジネスマンとはかけ離れた姿だった。ジャンキーの破損具合は惑星キルケーにおける大規模な戦闘の激しさを物語っていた。デリックはすべて銃弾を使い切ったあと、文字通りオーガタイタンの堅牢な拳で何機ものタイタンを引きちぎり叩き潰してやったせいで、ジャンキーは両腕を丸ごと交換するはめになった。といっても、ここ数ヶ月右腕のサーボの調子の悪さに機嫌を損ねていたジャンキーはこの交換には嬉しがったし、結果オーライといってもいい。もっとも、高額な修理費に文句を言いに来たケチで、金を勘定をすることしか脳の無い経理部門のお友達を丁重にもてなさなければならなかったが。
     金食い虫のパイロットとタイタンは連中にとっていつだって目の上のたんこぶだ。そうでなくても、パイロットをやっているより饐えた裏路地街の鬱屈としたアヘン窟で、ラリった薬物中毒者に囲まれながらボリビアン・ロックをふかす様がよく似合う素行の悪いデリックを、のりのきいたスーツを身にまとった潔癖症のエリートたちがなじるのは毎回のことだった。そしてその度にジャンキーの脚に寄りかかり、太もものホルスターに提げられた、今か今かと出番を待つウイングマンに手を掛けそうになる衝動を抑えながら、デリックにしては丁寧な口調で追い払うのだ。
     例えば、今回ならこう言った。
     ──こいつは人を握るのが大好きでしてね。昨日もやっこさんを何人も握り潰してましたよ。あなた方もよければどうぞ。さあ!遠慮せず並んで。おい、ジャンキー。しっかりご挨拶しろよ。
     その時の青ざめた顔といったら、今思い出してもそれはもう傑作ものだった。恐ろしいのならいい加減諦めればよいものを、虫のように机にへばりついている人種にしては案外タフな連中で、デリックが問題を起こした時は必ずと言ってもいいほどでしゃばるのだ。
     美人で人気がある同僚パイロットのアイリス・リデルにはだらしなく鼻の下を伸ばしているくせに。まったく酷い扱いだ。デリックはくそくらえ、とばかりに大袈裟に煙を吐き、紫煙をくゆらせた。
     ジャンキーはエアダクトから不満げにぶしゅうと排気した。排熱が背中を撫でたと思うと、Tシャツの隙間から入り込んだ生ぬるい空気が肌を舐め、その気持ち悪さにデリックはぞわぞわと鳥肌を立たせた。
     タイタンの排気はリアクターコアから発生した過剰な熱エネルギーをエアダクトから放熱するために必要だ。だが、ジャンキーは他のタイタンとは違い、効率化されているのにも関わらず必要以上に排熱するきらいがあった。
     誰もが羨むタイタンとの初めてのリンクに期待に胸を膨らませ、あやうく廃人になりかけたのは今思い出してもぞっとする。九九・九パーセントの安全を謳ったニューラルリンクで、デリックは原因不明のショックで鼻血を大量に吹き出し一週間ベッドの上で過ごした時は最悪だった。散々だったが、デリックとジャンキーの相性は抜群で、勤務態度に悪評はあれど実地任務での評価はすこぶる高かった。
    「戦争が終わったら」
    『なんでしょう、パイロット』
    「戦争が終わったらどうするって聞かれたんだよ」
    『ミス・リデルですね』ぴくりと眉を動かしたデリックに気にも留めずジャンキーはカメラだけをハンガーを3つ空けた先に目を向けた。アトラスタイタンの手に立ち、何やら楽しげにおしゃべりをしているブロンド女だ。カールした豊かな髪をひとつにまとめ、タンクトップにハーフパンツといった若々しく今時の若者といった出で立ちの女。こちらの視線に気がつくと、気さくな笑顔をデリックとジャンキーに向けタイタンのコックピットに頭だけを突っ込んだ。
    『あなたは彼女と懇意にしていますから』
     ジャンキーの含みを持たせた言い様にがつんと拳をジャンキーの腕に叩きつけた。どんな意図でアイリスがこの質問をデリックに問いかけたかは知らないが、いつものようにくだらない会話のひとつだろう。
    『ハァイ、ジャンキー!調子はどう?デリックは相変わらず?』
    『先日の任務では見事なロデオ・アタックでしたね、パイロット・リデル。両腕の破損を除けば損傷レベルは極めて軽微です。なおパイロット・デリックの飲酒量、喫煙本数ともに変化は無く、違法な薬物摂取についても〈相変わらず〉です』
     タイタンの内蔵通信機越しに聞こえるブロンド女、アイリス・リデルの声は華やかだ。
    「やっぱりね、そうだと思った!わたし、もう酔ったあなたを迎えにバーに呼ばれたくないよ。雰囲気はいいお店だと思うけど、とってもにおうもの」と、呆れたため息をついた。「薬もね。やめないと身体に悪いって言ってるでしょ?ジャンキーからも言ってあげなきゃだめよ」
    『ラジャー。ミス・リデル。改善の見込みは薄いですが、指令を承りました』
     アイリスの出来の悪い息子に説教をするような言い方に、デリックは好き勝手言いやがるぜと、ジャンキーにだけ聞こえるようこっそりと憤慨した。アイリスを怒らせると恐ろしいパンチが炸裂するからだ。彼女に出会ってすぐ、ほんの冗談で尻を撫でた時に顔面へ強烈なパンチをまともにくらい鼻の骨を折られたことを思い出した。デリックは思わず鼻づらを労わるようにぐしぐしとさすった。
    「おいおい、勘弁してくれよ!俺が?あいつと懇意だって?あいつはな、綺麗な顔して高層ビルの屋上から、それも不調のジャンプキットでロデオを仕掛ける頭のおかしい女だぞ。ありゃ俺とお前の援護が無けりゃ今頃天に召されてるぜ」
     あんな嫁さんをもらったら、心臓がいくつあっても足りないぞ。彼女は優秀なパイロットだと周囲からもてはやされているが、デリックに言わせれば運良く死に損なってるだけだ。しかも、味方の援護をわかって無茶を繰り返すうえ、彼女の場合なまじ実力があるせいで無理やり不幸をねじ曲げているのがタチが悪かった。下手なハリウッド女優より見栄えがいいアイリスに言い寄る男など星の数ほどいるだろうに、良い歳にもなって結婚もせずパイロットを続けてるなど正気の沙汰ではない。首の皮一枚がいつか本当に切れる時がくるだろう。死ぬ前にさっさと辞めちまえと口酸っぱく忠告しても聞く耳をもたない頑固者に辟易しているところだ。張りでた形の良い尻を眺めた。相変わらず良い女だ。救いようのない馬鹿でなければ毎日でも食事に誘って、ワインでも飲みながら夜を一緒に過ごしだろう。だが、アイリスは誰よりもこちら側の人間で、凡人を寄せ付けない艶麗な容姿に似合わぬ天真爛漫さのまま、狂気の淵で少女のようにステップを踏む人間だった。彼女の常軌を逸した精神性を、普通では生きられないその姿をデリックは傍で見ていたいと思うのだ。
    『ミス・リデルといえば』と、ジャンキーは思い出したように言った。『16時間前に購入した彼女へのプレゼントは渡せましたか?』
    「黙れ、ポンコツ。そんなものもう捨てちまったよ」デリックは忌々しげに唸った。「くそ、今考えてもおぞましいぜ。俺が花を買うなんてな。あの時の俺は……そう、どうかしてたんだ。」と、思い返せば気色の悪い己の行動に腕をぼりぼりと指で掻いた。
    『嘘はいけませんデリック。通勤時のあなたは飲酒はしておらず、また就寝直前に摂取したコカインの成分は既に排出されており極めて正常な精神状態でした。それともあなたは八三回もどうかしてるのでしょうか?』
     デリックは通勤途中にダストボックスにシュートされ、女ひとり喜ばせぬまま生ゴミになった哀れな薔薇を思い出した。彼女によく似合う、血塗れの薔薇。
     アイリスに渡そうとニューセントラル通りの花屋で買った花を渡して、己は凡人のようにプロポーズでもするつもりだったのだろうか。デリックはどうかしていた自分を、今になってこの世で一番残虐な方法で殺したくなった。
    「馬鹿いえジャンキー、そもそも渡してないんだ。失敗なんてしてねぇよ」
    『申し訳ありませんデリック。発言に誤りがありました。あなたの現在のステータスは、好意を抱いている女性にプロポーズすらできない一般的に〈腑抜け〉と呼ばれてる状態です』
    「なんてこと言うんだ!?この口の悪いスクラップ!」
    『いいえ、デリック。私はあなたの最高の相棒であるジャンキーです』
    「なんてこった、この野郎!まったくもってそうだとも。お前は最高のタイタンだぜ」 
     デリックはユーモアたっぷりの相棒ににやにやと笑った。こいつとなら添い遂げてもいいかもな、とひとり笑う。デリックとジャンキーは互いにとって最高のコンビだ。デリックは兵器製造メーカーのパイロットだ。ミリシアとIMCの日々激化するフロンティア戦争は軍需産業に莫大な利益をもたらし、多くの企業がこぞって参入し、食い合いと潰し合いを繰り返し、いくつもの惑星を巻き込んでの企業戦争は苛烈を極めた。新世代タイタンの開発、新兵器の提供、新技術の確立。どの企業も顧客のニーズを満足させるサービスを提供するために様々なロケーションでの実地テストをする必要があった。特に戦力の中核ともいえるパイロット関連技術に関してはどの企業も力を入れる分野であり、多くのコーポレートパイロットは戦地に投入され、命懸けの性能テストを行った。デリックもその一人だった。
     首輪を嵌められ、従順に飼い主に利益をもたらすだけのだけの存在。だが、常に死と隣り合わせの任務をこなせば相応の金は貰えるし着るものも食べるものも、住まいも困ることは無い。この暮らしに満足していたから、未来のことなど考えもしなかった。
    「戦争が終わったら」わずかに間が空いた。「そうだな」
    「バーで女をナンパして、浴びるほどテキーラを飲んで、セクシーな女とヤりまくって、午後にだらだら起きて、フットボールの生中継を観ながらピザのデリバリーをとる」
     デリックは一昨日に抱いた女の体を思い出しながらいった。やりたいこと。やりたいこと。ふと頭に浮かんだのは、数ヶ月前にジャンキーと観た感動アクション映画だった。元特殊部隊の主人公が、恨みを持った組織に連れ去られた家族を救い出すというありきたりな感動ポルノ映画だ。
     効率の悪い派手なアクション。間抜けとしか言いようがないマフィア共の、目を覆いたくなるほどのヘタクソな銃の構え方。お涙ちょうだいのありきたりなストーリー。俺なら10秒で全員殺してるとか、そもそも恨みを持たれたまま野放しにする方が悪いだのと、ポップコーンとコーラを頬張りながら批評を吐き捨てるソファに腰掛けたデリックと、デリックの隣に置かれたジャンキー入りのヘルメットが、脚本の不整合さをつらつらと指摘し続けた映画だ。アイリスの欠伸が出るようなショッピングの荷物持ちをしているほうがまだマシだと思えるほど、まったくもってつまらなかった。
     ただ、エンドロールに流れた日常を取り戻した主人公とその家族たちの最後。海岸線に染まった海辺の家の庭で愛を確かめ合う男女二人、仲睦まじく砂浜を走り回る子どもたち。男二人と女一人。間抜けな顔をした犬一匹。絵に描いたような幸せな家族の姿は、やけに印象に残っていた。
    「会社を辞めて、可愛い嫁さんもらって、退職金で地球に移住する。アメリカの西海岸だ。最高だろ?白い砂浜の海の近くに赤い屋根の家を建てて、ピックアップトラックも買って、週末にはサーフィンに行く。そうだ、犬も飼おう。ガキは三人ぐらいがいいな。男二人と女一人だ」
     ふと、無意識に口に出していた。もちろん、デリックは地球にあるアメリカの西海岸なんて行ったこともなかった。ただ、幸せはこういうものだろうと想像する。
     忙しく動いていたジャンキーのメインカメラがデリックをじっと見下ろして静止した。おや、とジャンキーを見上げるとカメラは素早くそっぽを向いた。どうやら拗ねているようだ。分かりやすいやつめと悪い笑みで笑ってやる。
    「安心しろよ。お前にも立派なガレージを用意してやる。タイタンがフットボールができるぐらい、でかいガレージをな」
    『私は何も言っていませんよ』と、すかさず否定するジャンキー。『タイタンにはフットボールをプレイするようにプログラムされていません』
    「拗ねてる顔してたぜ」
    『たとえ私に表情が存在しているとしても、拗ねている顔はしてません』
     ジャンキーはもう一度断固として否定した。そういう態度が拗ねてるってんだと笑ってやればますますぶすくれた。
    「冗談だよ、ジャンキー」と、デリックはひねくれた笑みをたたえた。
    「俺にはもう……ここにしか居場所が無い。今更平穏な世界に今更戻れるかよ?ろくでなしは戦場でおっ死ぬのがお似合いだ。俺は普通じゃいられねぇ人間なんだ」
     デリックは喉にからめた煙を吐き出した。デリックは自他共に認めるろくでなしで、お世辞にも育ちのいい人間では無かった。生まれはこの世の全ての犯罪を煮詰め、暴力と金が支配し、政府機関は汚職にまみれた悪魔も裸足で逃げ出すような反吐が出る愛しの街。酒とタバコは十二。強盗は十五の誕生日。殺しは十七。ホームレスから巻き上げた金でバイヤーから買えるような薬物は少年時代に一通り経験したし、少年院の職員とは顔見知りの仲になった。不良少年のチェックリストがあるならデリックは全てコンプリートしていただろう。そんな不良がエリート企業に入れたのはパイロットという職業は体裁より実力が求められ、デリックにとっては割のいい仕事だったからだ。
     首輪が煩わしいと思う時はあるが、主人の言いつけを忠実に守って、犬らしく振舞っていれば何不自由無く生きられる。この上ない悪友と共に戦って、生活に不満などあるものか。身の丈以上の欲望を求めれば身をもってしっぺ返しを受けることになるだろう。だから、デリックはこの普通ではない生活に満足していた。誰が、何を言おうと。
     くしゃくしゃと髪の毛を掻くデリックにジャンキーはデリックを掴み、向かい合うように再び座らせた。
    『デリック。何事にも遅いことはありません。パイロットでなくともあなたには未来があるのではないでしょうか?』
    「馬鹿言ってんじゃねえよ。お前を置いていけない」
    『私がいなければパイロットは自由になれるのですか?』
    「冗談はよせよ」デリックは鼻を鳴らし、諦めにも似た笑いを浮かべた。「極端な奴だな。お前には俺しかいないし、俺にはお前しかいない。そうだろ?相棒」
    『その通りですパイロット。しかし私は──』
    「辛気臭ぇ話は嫌いだ。くだらねえ話もだ。俺はお前といられるだけでいい」
     ジャンキーはまだ何か言いたげにコアの光らせたが、やがて諦めたように『同意します。パイロット』と、静かに呟いた。
    「デリック、一つご忠告を。もし将来的に子供を望むのであれば今すぐにでも禁煙を推奨します。あなたの場合、違法な依存物質の長期的な摂取により生殖機能の低下が成人男性の懸念されています。もっとも、既に手遅れかもしれませんが」
    「おい、嘘だろ?」デリックは急に静かになったジャンキーを見上げた。いつになく真摯な「マジか?」
    『ご安心をパイロット。タイタンはパイロットに誠実であり続けます』



     耳元をかすめる銃弾に壁に追い立てるように四十ミリトラッカーキャノンが撃ち込まれた。墜落した船体を使ったバリケードはジャンキーとデリックがようやく入るほどの大きさで、少しでも銃弾の雨に晒されることは間違いないだろう。デリックはうんざりしながらわずか一時間前の苦々しい記憶を引っ張りだした。
     楽な仕事のはずだった。輸送機いっぱいに積まれた武器の受け渡しの護衛に派遣されたが、手癖の悪い海賊の急襲を受けた。こういったならず者たちの正規ルートでの武器の入手は困難で、こういった強引な手段をとるのは日常茶飯事だった。
    「ああ、クソ」デリックはヘルメットの下で歯ぎしりしただ。「あいつらマス掻く暇もくれねぇのか?ジャンキー!ジャンク!」
    『損傷報告:基幹システムに異常あり。シールドコア・オフライン。司令部バンカーへのアクセス及びメッセージ送受信不可。ガス欠寸前。残弾のこりわずか』ジャンキーは唸った。『状況:クソッたれ』
    「そうだともジャンキー。俺たちとことんツいてないぜ。くそ、ボーナスにつられて引き受けるんじゃなかった。」
     身体をバリケードに深く預け、両脚をだらしなく地面に投げ出した。ヘルメットの顎を少し押し上げ、口元だけを出しポーチから取り出した煙草にガスライターで火をつけ唇に挟む。大きく吸い込むとウエスタン・コーストの場違いな甘ったるいフレーバーが舌を撫で、いくらかは気分が落ち着いたA。銃声をバックグラウンド・ミュージックに、体の芯まで行き渡らせるようにじっくり味わいながら紫煙を吐き出すと、ジャンキーも同じタイミングで大きく排気した。普段は教師ぶって真面目を装っているが、 十分ワルなタイタンに、こんな状況にも関わらずに口の端を持ち上げてしまう。
     こんな時に、と他のパイロットから狂犬マッドドッグだのと、デリックに与えられた不名誉なあだ名を吐き捨てられるが、こんな時こそリラックスは必要なのだ。戦場という極度のストレスに晒される場に、高揚状態に陥った神経を取り除くのは極めて重要だ。こうしてタイタンと肩を並べて煙を吐き出して、くだらないやりとりをする。不思議と余計な緊張や不安が抜け落ち頭がクリアになる。
     デリックとジャンキーは幾度の窮地をそうしてくぐり抜けてきた。少なくとも左胸ポケットに入れたコインや、家族写真入りの懐中時計よはよっぽど役に立った。だが、流石に今回ばかりはお手上げだ。気だるげに今にも雨が降りそうな不機嫌な空を見上げた。
     バリケードを挟んだ向こう側にはパイロット入りの新品同様のタイタンが三機。歩兵部隊五個分。こちらは満身創痍のタイタンと、くたくたのパイロットが一機と一人。どう足掻いても救援が来ない限り二人は終わりだ。
     暫くするとぴたりと銃声が止んだ。まさか撤退したのだろうか?マスティフの銃口を歩兵の死体から剥ぎ取ったヘルメットに突き刺し、身を隠しながらそろそろとバリケードから出すと銃弾の雨が降り注ぎ、撃ち抜かれたヘルメットが宙を舞った。
     無駄な弾を消費するのをやめ、こちらがしびれを切らして飛び出してくるのを待つことにしたのだろう。見え透いた思惑に思わず舐めやがってと毒づく。まるで自分たちを鹿撃ちのハンターだと信じて疑わない、傲慢な態度にデリックは怒り心頭に地面に煙草ごと唾を吐いた。
    「あー、くそ、くそ、死ね!虫けら程度の脳しかないグズどもめ!」
    『戦争が終わったら』
     突拍子の無いジャンキーの言葉にデリックは煙草をぐしゃぐしゃと靴底で揉み消した。
    『私は思考し、仮定しました。あなたの思考を理解するために、もし戦争が終わったらと』
    「こんな時になに言ってやがる?いいからさっさと奴らを蹴散らす手段を考えろ」
    『聞いてください、デリック。時間がありません』
     ジャンキーはデリックの言葉を強引に遮った。
    『例え戦争が終わっても私がいる限り貴方は戦いから逃れることはできないでしょう。社の利益と未来のためにあなたの意思は尊重されず、それは死ぬまで』
    「ジャンキー、」
    『しかし……戦争が終わったら、私はあなたと共に在りたい』
     デリックは目を見開いた。
    『あなたと、あなたの愛する伴侶と子どもたちをこの腕に抱きたい。日々の訪れる夜も安らかに眠れるようあなたたち家族を守り、健やかに老いるあなたたちと最後の時まで』
     まるで、ジャンキーの言葉は今に死にゆく兵士のようだった。待て、と引き留めようとするがジャンキーはデリックの手を避けた。
    『……私が飛び出したら後退を。HUDにマークした地点へ即座に移動し味方部隊と合流してください。お気をつけて』
     ジャンキーは立ち上がり、覚悟を決めたように胴体に巻かれたベルトから最後のマガジンを剥ぎ取りトラッカーキャノンに装填した。ジャンキーの言葉に不穏を感じて慌ててデリックもヘルメットを被り直し、マスティフを手に立ち上がった。
    「ちょっと待て。何する気だ?俺も、俺も連れいけよ」
    『いいえ。私はあなたと共には往けません』
     オーガタイタンのちらつく複眼は確かにデリック伸ばされたジャンキーの手のひらをデリックは甘んじて受け入れた。いつものように、腕を上げてジャンキーが握りやすいよう。乗せてくれるのかと思ったが、その手はデリックを柔らかく包むだけだった。巨躯に似合わぬ繊細な手は名残惜しそうにデリックの形を確かめ、しかしすぐに引っ込められた。待てよ、と手を伸ばすデリックに、今度は顔を寄せられ額をこつりと合わせた。ジャンキーの温かい排気がゆるりと頬を撫でた。ジャンキーはデリックにとって半身だった。はじめて心から信頼できる友にデリックは、ジャンキーと一緒に行きたかった。
    『あなたは自由だ、デリック・ガーランド』
     最後に見たコアは今までに見たことないくらい強い光を放ち、そしてジャンキーは脇目も振らず、バリケードから大きく飛び出した。
     


     ジャンキーは死んだ。それも、無能なパイロットのせいで。
     大事な相棒を見捨て、言うがままに尻尾を巻いて逃げ出した負け犬だ。ジャンキーは敵部隊に突進し、集中砲火を浴びながらもデリックを逃がすため自ら囮となった。そしてデリックはジャンキーに背を向けジャンキーの信号が途絶えた彼の最後を見届けることはできなかった。
     ジャンキーを失ってから仕事に行く気にならず、ここ一ヶ月間無断で会社を休み続けている。
     ジャンキーに今すぐ会いたい。だが、あいつは最後に自由になれとも言った。己の望みを叶えるためにパイロットに戻れば、データバンクに保管されているジャンキーのAIは新たなオーガシャーシにインストールされ、デリックとリンクを再構築し、何事も無かったように血生臭く素晴らしい日常に戻る。それでいいはずなのに。それで満足するはずなのに。なぜこうも沼に沈んだよう
     あの時。もしあの時ジャンキーの元へ戻って一緒に戦うこともできたはずだ。だが、そうしなかったのは何故だったのだろう?ダウナー系の特有のぐずくずになった思考で果てのなく、答えのない自問自答を繰り返す。最愛のタイタンを置き去りにしても命が惜しかっただろうか?それとも強すぎるニューラルリンクを通して、彼の意思がデリックをそうさせたのか?どうして自分らしくもないことをしたのか、よく分からなかった。分からないということは気持ち悪いものだ。
     それからというものの、デリックはジャンキーに対する罪悪感と、羞恥心と、その気持ち悪さをとりのぞくためにバーに一日中入り浸り不良生活に明け暮れた。馬鹿みたいに飲んでは吐いて、日当たりの悪い真っ暗なアパートメントであの日の事を思い出しては鬱々とドラッグを片手に、鼠を話し相手に一人きりの生活を送っていた。
     まるで少年時代の、野犬の生き様のようにつらく苦しい日々に戻ったようだった。孤独で、生きるために殺して、また命を狙われたりもした。信じるものは己だけと見境なく他人に牙を向けていたあの頃に。長年のドラッグの服用による隈はさらに濃くなり、あの日の出来事を忘れようと酒とドラッグに逃げても溺れることはできず、何一つ忘れることはできなかった。神経に刻まれた強烈に残るジャンキーとの愛おしいニューラルリンクは、今のデリックを苦しめるこれ以上無いくらい憎いものになっていた。
     染みと穴だらけのソファに寝そべっていたデリックが携帯端末を手に取り画面を開くと、何件もの着信履歴にはアイリスの名前が連なっていた。電話に出るのも億劫で無視していたが、十分前に諦めたようだ。なかなかにしつこい女だ。
     チャイムが鳴った。気分が乗らず無視を決め込むと、扉の向こうの馬鹿は繰り返しインターホンをミサイルのアラートみたいに押しまくった。おおかた下の階に住むヒステリー婆さんか、物乞いをしに来た面の皮が厚いホームレスだろうと無視を続けても、いつまでたっても鳴り止まないチャイムにデリックの元より低い沸点は早々に限界を迎え、ボクサーパンツだけのまま渋々ドアを開けた。
     乱暴に開けたドアの先にはアイリスがいた。ハァイ!とにこにこと笑うも、デリックの格好を見るなり顔を鼻をつまんで「すっごく臭いよ」と、無礼にもきゅっと眉間に皺を寄せた。自分だけに向ける歯に衣着せぬずけずけとした物言いは気に入ってるが、余計な事まで言う数日ほど風呂に入らず、酒の匂いをぷんぷんさせているのは確かだが、面と向かって言うことは無いだろう。
    「どうしたんだ?お嬢ちゃん」デリックは歯を剥き出しに唸った。「さっさと帰りやがれ。それとも、なんだ?タイタンを見殺しにした無能なパイロットだと笑いにきたのか?うん?そうさ、その通りだぜ。わかったならさっさと俺の部屋から出てけよ」
     アイリスがここへ来たのもどうせ会社の連中に頼まれたに違いない。とことん卑屈になったデリックの八つ当たりとも呼べる罵倒にも怯むことなくいつもの表情をひそめ、いつになく彼女の真剣な眼差しにデリックは訝しんだ。
    「これ、デリックのだよ」
     アイリスはうさぎのワッペンが縫い付けられた空色のショルダーポーチから取り出し、デリックに手渡したものは一本のコンバットナイフだった。だがそれはただの軍用ナイフではなく、データナイフと呼ばれる、主にハッキングやコントロール奪取に使われるパイロットの標準的な電子装備だ。落としたわけでもない。誰かからの贈り物だろうか。それならなぜアイリスが持っていたのだ?何か特別仕様なのかと手の中でくるくると回し観察するが、ごく普通のデータナイフと何ら変わりないように見えた。柄の横についている赤いスイッチを押せば刃に沿ってチップが埋め込まれたICユニットがスライドした。
     疑いの目つきでまじまじとデータナイフを見つめるデリックに、アイリスは何食わぬ顔で「あの子がいる」と、いった。
    「ジャンキーがわたしに頼んだの。あの子、わたしが断れないってわかっててこんなことをしたのよ。本当にずるい子だわ」
     デリックは一瞬、心臓が掴まれたような気がした。どうして、と呟いたデリックにアイリスは全てを語った。ジャンキーの全てをこの中にオリジナルのジャンキーはこの手の中だけだとアイリスは言った。
    「ジャンキーのことはあなたが決めなきゃ」
    「俺にはその資格なんてない。ジャンキーを見殺しにしたんだ!」
    「それでもだよ」
    〝私はデリックの鎖です。私が破壊された後、AIデータの回収と破棄を願います〟
     デリックの知らないうちに、そう言ってジャンキーは危険を承知でデータの破棄をアリスに託した。
     ジャンキーは知っていた。デリックが嘲笑し、散々馬鹿にしているくだらない日常に焦がれていることを。そしてジャンキーが存在する限り、その望みが果たされないことも。そうか。ジャンキーは、デリックが普通になるために、あの時犠牲になったのだ。
     デリックはその場に膝をついて崩れ落ちた。大の男が情けなく泣き喚く光景はさぞ滑稽だが、拳で壁を殴っても気が済まなかった。
    ジャンキーは最初からこうするつもりだったのだ。タイタンという鎖から、普通に夢見る、ごく普通の男を解放するために。



     デリックは顔を洗って、歯を磨いて、伸びっぱなしの髭を剃った後にクリーニングしたてのフライトジャケットを羽織ってオフィスに戻った。戦場に復帰するためではなく、上司のデスクに退職届を叩きつけるために。
     同僚のパイロットにすれ違い際に肩を叩きながらジャンキーのことは残念だったと同情めいたデリックにとっては慰めにもならない。
     上司は惜しがっていたが、意外にもあっさりと退職届は受理された。タイタンという武器と戦意を失ったパイロットを引き留める労力を払うぐらいなら、すぐにでも新しいパイロットを雇った方が効率的なのだろう。デリックの代わりなどいくらでもいるのだから。
    「ありがとうございます、サー」
    「礼には及ばんよ。そういえば、悪い知らせなのだがね。デリック。君の休暇中にジャンキーのデータが何者かによって奪われた。犯人はマザーデータに侵入し、彼のバックアップも含めて全て奪われたよ。それも一切の痕跡を残さずね」
    「なんだって?」ぎょっとわざと驚いてみせたデリックに、上司は満足気に頷いた。「それは……ええ、とても驚きました。一体誰に?」もちろんアイリスだ。
    「いいや、すまないが捜査中だ。犯人は実に巧妙でね。奪うだけでなく偽造データにすり替えてくれたお陰で気付くのに随分と時間がかかった」
     上司は忌々しげに眉間に皺を寄せた。セキュリティ問題が起こったとなれば責任問題になるだろう。
    「情報部も尻尾を掴めないとなれば、きっとろくでもないサイバーテロリストでしょうね。俺の大事なタイタンを盗むなんて、そいつの顔を見てやりたいですよ」
     デリックは美しい相貌に似合わぬ、子どものように笑うろくでもないサイバーテロリストの顔を浮かべた。可愛い顔をして大企業相手に(それも自分の勤務している会社に!)ハッカー顔負けの大立ち回りを仕掛けるなんて、下手したら解雇どころか重大犯罪者としてビンゴブックの仲間入りだ。人生の中でパイロットも含め多くの女を見てきたが、アイリスに勝てる女などフロンティアに存在すると思えなかった。相変わらず狂ってるぜ、と冷や汗をかいた。
    「君は何か知らないかな?彼は優秀なタイタンだったから上層部はデータを取り戻したがってるんだ」
    「いいえ。身に覚えはまったく。もしそいつと会うことがあれば、丁重にお連れしますよ 」
     デリックは内ポケットに忍ばせているデータナイフをジャケット越しにそっと触れた。おまえがそんなに上から評価されてるとは思わなかったよ。もっと媚びを売っておけばよかったと心の内でにやつく。
    「すまないがそうしてくれると助かる。それから、ニューラルリンクの削除はまた後日。君にはまた新しいタイタンを手配しておくよ。今日は機材の保守点検で使えないんだ。悪いがまた連絡する」
     上司は書類にサインを記し、次いでデリックもミミズののったくったような文字でサインした。
     これで忌々しい職場から今日でおさらばだ。俺はパイロットを辞め、有象無象の普通の男になるのだから。



    「聞いて驚けジャンキー。退職金が出たんだぜ。数年は遊んで暮らせるぐらいのな」
     デリックはデータナイフに反射し映りこんだ自分の顔を覗いた。そいつの頬は病人のように痩せこけ、目は落ちくぼみ、憔悴しきった顔でどうにか必死に笑おうとする男だった。そこには勇敢なパイロットの姿はなかった。
     デリックは堤防の脇に積み上げられた、海に打ち付けられる消波ブロックの窪みに腰を掛け、沈みかけの真っ赤な夕陽にさらされていた。
     アパートメントから車を一時間ほど走らせた場所にある、活動家たちを満足させるためだけに作られた名ばかりの自然保護区に足を伸ばしていた。浄化装置が間に合わないぐらい工業用排水に含まれる化学物質で汚染された、灰色に濁った海を目の奥が痛くなるほど遠く眺めた。おそらく魚はおろかプランクトンさえ死滅しているだろう。元に青さを取り戻すには長い年月が必要になる。アメリカの西海岸には程遠い景色だ。
     ジャンキーもついぞ景色を見ることなく逝ってしまった。どうしようもなく同時に酷い奴だとも思った。俺という最高の相棒がいながら、自分の命を他人に任せるなんてフェアじゃない。
    「美人だが、どうしようもねェくらい手のかかる嫁さんもらって、退職金で地球に移住する。アメリカの西海岸だ。最高だろ?白い砂浜の海の近くに赤い屋根の家を建てて、ピックアップトラックも買って、週末にはサーフィンに行く。そうだ、犬も飼おう。馬鹿みたいにデッケェ犬。ガキは三人ぐらいがいいな。男二人と女一人」
     そう言ってデリックは力無く項垂れた。女々しいと笑うだろうか。お前がいてくれたらと思わずにはいられなかった。
    「そうなると……ベビーシッターが必要になるな。お前みたいにお節介で、大馬鹿野郎のな」
     ジーンズのポケットからくしゃくしゃに潰れたウエスタン・コーストのシガー・ケース取りだした。夕陽に染まった海岸線と、ヤシの木が立ち並んだ白い砂浜が描かれた浪漫的なパッケージ。デリックが思い浮かべるステレオタイプな平和と幸せの象徴。自分に似合わないどうしようもなく愛おしいものに感じた。
    「ジャンキー、俺にもできるかな。普通の暮らしってやつが」
     研がれた艶やかなデータナイフはデリックを映すだけで何も答えてはくれなかった。「素っ気ないやつ」と笑おうとするが、喉はつかえて顔は強ばり、引き攣ったいびつな笑いが出てくるだけだった。
     デリックの呟いた声には誰も答えない。だが、ジャンキーだけは頭の中で『あなたならきっと』と、そう励ましてくれているようだった。そう思いたかっただけなのかもしれないが、それでも良かった。
     さあ、そろそろ行かなければ。明日には月に一度しか飛ばないコーラント・ゲスナー行きのおんぼろの連絡船に乗り、パイロットではなくスーパーマーケットのしがない警備員として、戦場とは無縁の新しい生活がデリックを待っている。夢にまで見た憧れの地球に行くにはそう簡単なことではなかった。人類の故郷である地球は、今や金持ちやごく一部の特権階級のみが移住を許される高嶺の花になってしまったからだ。
     この先の生活がうまくいくかも分からなかった。ここにはジャンキーとの忘れがたい思い出も、目を離すとびっくり箱のように何をしでかすか分からない馬鹿な女もいる。未練ばかりがデリックの足を引き留めようとするが、それを断ち切ってでもジャンキーの願いを叶えるべきだと思ったのだ。
    「ジャンキー。愛してるよ……永遠に」
     ジャンキーの思惑通り、己を無かったものにして、デリックは戦場から解放された。だが彼は大きなミスをひとつ犯した。そう簡単に俺から逃げられると思ったら大間違いだ。知ってたか相棒?俺は世界一未練がましい男だぜ。お前は俺が死ぬまで、地獄まで着いてこなきゃならない。デリックは脳に刻まれたジャンキーとのリンク情報に語りかける。デリックの不敵な笑みに同調するかのように排気するジャンキー。
     デリックは大きく腕を振りかぶり、データナイフを──ジャンキーと共にウエスタン・コーストを海へ投げ込んだ。弧を描いて放られたデータナイフはあっという間に波に攫われ、あっけなく海の底へ沈んでいく。
     夕陽が沈み夜空が空を覆うまで、デリックは薄汚れた海をいつまでも目に焼き付けていた。

     グッドバイ。俺の愛しいタイタン。
     後にも先にも、俺のタイタンはお前だけだ。
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    NASU_1759

    DONEオーガタイタンとパイロット
    ハッピージャンキー・サンセット デリックは幸せだった。
     己の人生のほとんどは平穏という場所からかけ離れた場所に存在してはいたが、美味い食事に三食ありつけて、好みの顔の女を抱いて、とびきり極上のヤクをキメて、銃弾の雨を避けながら、時々ほんの少し命の危険がある仕事をこなして、全長およそ二三フィートの悪友がいるだけでデリックの人生は満ち足りていた。
     ぱりぱりと指先でゆで卵の殻を剥けば、つるりとした白身の表面が現れた。綺麗に剥けたことに満足しながらも、パンがあればサンドイッチにできるのに、と時間外だからとゆで卵を投げて寄こした職務怠慢の食堂の婆さんを呪いながらデリックは薄い唇で銜えたままの煙草を一吸いした。ウエスタン・コーストのシガー・ケースのパッケージにはカルフォルニアの海岸にヤシの木が立ち並び、それを沈みかけの夕陽が空や海、砂浜を赤く染めあげていた。フロンティアのどの保養地であろうとも、地球の西海岸の自然に勝るものはないだろう、とデリックはいつも思っていた。といっても、もちろんデリックは地球に行ったことはなく、芸術というものには無縁の世界に生きているデリックだったが、風情あふれるこのパッケージのイラストだけはデリックのお気に入りだった。
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