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    NASU_1759

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    NASU_1759

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    ヴァンガードタイタンとパイロット

    ニュートン・ラバーズ ミリシアのSRS艦隊のタイタンドッグ、第五倉庫にはスペア・ボディとして一機の物言わぬバンガード級タイタンがいる。SRSの誰もが知っているが、誰も彼について口にしようとしないタイタン。ライフルマン時代にも彼の存在についてまことしやかに噂されていたものの、関係者以外立ち入り禁止エリアのため確かめようが無かったし、ライフルマン仲間にはわざわざ整備班長の怒りを買いクレーンアームで一日中宙吊りにされる勇気ある愚か者は居なかった。ゆえに、真実を知る者はほとんど居なかった。
     識別番号〈ALN─1862〉通称ニュートン。ロールアウト直後のオリーブカラーではなく、林檎のようにまばゆい赤いシャーシは圧巻だった。
     タイフォンの大規模な戦闘では多くのバンガード級が出撃し、傷つきながらも帰還した。無論、帰らぬ者もいた。
     メカニックたちは兵士たちの死を悼む暇すら与えられず、タイタンたちの修理のためのメインドッグはすぐさま戦場と化した。整備班長の怒鳴り声と騒々しい機械音パイロットたちがフロンティアの惑星を戦場とするなら、タイタンドッグこそメカニックたちの戦場といえた。メカニックとMRVNたちが駆け回り、部品が足りず、ニュートンが第五倉庫からメインドッグに運ばれていたのは記憶に久しい。
     なぜスペアに過ぎない機体にニュートンという名があり、見事なペイントが施されているのか?なぜニュートンは予備機体ではなくスペアとして暗い倉庫に閉じ込められているのか?彼を動かしたのは二十代半ばの若さ溢れる、真相を突き止めてやりたいという好奇心ではなく、ぽっかりと空いてしまったの胸の空虚感をやり過ごすためだった。何かをしていなければ、失ったばかりの相棒とも呼べる存在と過ごした夢のような時間を思い出しては濁流のような後悔に苛まれてしまう。自室のベッドに情けなく丸まり懺悔を乞うよりかはいくらかはましだった。
     思い返すもSRS隊員に理由を聞いても曖昧な返事をするばかりで、あまり話したがらない様子に配属間もない彼と言えどどこか仲間外れにされたような疎外感を感じていた。それにもう一つ、彼にはこのバンガード級タイタンに特別なものを感じていた。パイロットが居ないニュートン。タイタンが居ない自分。
     とうとう足を踏み入れた。片膝をついて静かに佇むニュートンを見上げ、腕を伝ってバーにコックピットの縁に足をかけた途端、どこか立ち入ってはいけない場所に土足で踏み入れ、胸が重くなるような罪悪感に陥った。しっかりしろ!ただの眠りこけたタイタンに乗るだけだ。それに、あの時と違って強制されるものでもないし、タイタンを失って悲しむこともない。彼はかつてのタイタンとのいまだ実感が訪れない別れを思い出しながら、意を決して乗り込んだ。
     外装と同じくコックピット内も綺麗に清掃されているが、座ったシートがずいぶんと窮屈だった。女性パイロット用のシートだろうか。彼はライフルマンの中では際立って体格が良いとはいえなかったが、それでも彼にとっては小さかった。
     修理におけるパーツ取りやスペア・ボディの用途としてタイタン整備ドッグから最も離れた第五倉庫に格納されてはいるものの、彼の身体が修理に使われることはごく稀だった。どうしても、やむを得ない緊急時には一時的にパーツ取りのために埃の被った第五倉庫から引っぱり出されるが、大抵は一週間も経たず修復され、常にバンガード級特有の均整の取れた形状を保っていた。
     ミリシアにおけるバンガードタイタンのスペア・ボディの修復は後回しになることがほとんどだが、ニュートンは極めて特例的な扱いを受けていた。それは専任の機付長がいるほどで、定期メンテナンスと念入りな手入れがなされていた。そのお陰か機体はわずかな擦れが見当たる程度で、今にも動き出しそうなほどだったが、タイタンの核であるコアのシャッターは固く閉ざされている。
     彼はニュートンに関する噂を一つだけ知っていた。
     〝コックピットは彼自身の意思では決して開かず、あらゆるパイロットとのリンクは拒絶され、彼は二度と、パイロットを乗せて動くことは無い。彼女以外、誰とも。〟

     メモリ:2514をサルベージ……シムポッド相互通信完了。ログを再生//


     セルマはニュートンの肩に座り、ニュートンの呼び掛けにデータタブレットの文字を追っていた顔をパイロットはシアキットの角を撫でながら「なんだい?」と、優しげな目元を緩めてニュートンに目を合わせた。
    「今朝、シリアル番号201345283からあなたへ交際の申し込みがあったそうですね」きょとんとしたセルマを見ながらもう一言。「あなたに危機が迫っていると報告を受け、説明を求めたところ事情を全て聞きました」
    「ははあ、さてはおしゃべりジョージだな」と、彼女はやれやれと呆れたようにひたいに手をおさえた。
    「イエス。しかしパイロット。あなたはその申し出を断ったと聞きました。あなたは一般的に結婚適齢期で、異性間の交際があっても何らおかしいことはありません。何故断ったのですか?シリアル番号201345283には性的な魅力を感じないのでしょうか?」
    「ねえ、シリアル番号で呼ぶのは可哀想だ。彼の名はイェジュンだ。」
     このパイロットは戦場に身を置いているにも関わらずいつだって朗らかで、滅多に怒ることはなく人当たりの良さは有名だった。ベテラン揃いのSRS部隊員の中では年若い部類だが、しっかり者で穏やかな気質から新人教育も任されることも多かった。戦闘に関しても若さゆえの向こう見ずな傾向はあれど、それを補ってあまりある実力を備えていて、己のパイロットは彼女以外に有り得ないと思えるほど。だが、彼女には彼女を支えるタイタンてして見過ごせない重大な問題を抱えていた。
     ニュートンはじっと彼女を見つめた。
    「君の言う一般的にはパイロットは含まれる?」
    「はい。含まれます」
    「私は……君がいればそれでいい。君以外何もいらない。欲しくない。私にとって今が一番幸せなんだよ、ニュートン」
     彼女は物悲しげに笑った。彼女の表情だけでは思考を読み取れない。
    「パイロットがタイタンに特別な感情を持つことは望ましくありません。タイタンがパイロットを保護する義務はありますが、パイロットのタイタンへの庇護欲はあなたの命を危険に晒す可能性があり、あなたの言動は私にとってのプロトコル3に反します」
    「好きでやってるんだから君が気にする必要は無いよ」
    「申し訳ありませんが、私はあなたのタイタンとして“気にしない”という判断はできかねます」
    「あぁ、これ、貰っていい?」
     彼女はニュートンの反論をさらりと流し、脚部シリンダー、第三モーターのシャフト部に使用される小ぶりなラジアル・ベアリングをニュートンに見せた。ニュートンの整備の時に出された、金属ゴミが溢れるドラム缶を引っ掻きまわして取り出したものだ。
    「廃棄部品とはいえ、現在の所有権はミリシアにあります。整備班長へ許可を頂いてからであればいいかと。無許可で持ち出した場合、厳密には横領にあたりますので」
    「君は私のタイタンだから大丈夫だ。それに、おじいちゃんなら断らないさ」
     パイロットは言い訳を並べながら、グリースで汚れたベアリングを軽くつなぎで拭いて左手の薬指にはめた。女性らしい細い指には不釣り合いな無骨な機械部品。
    「ちょっと大きいかな。でも指輪みたいでいい感じだ。ニュートン、おまえも良いと思うでしょう」
    「しかしながらパイロット、装飾品の装着は戦闘の妨げになります。すなわち私たちの戦闘効率評価の低下を招くおそれが──」
    「こういう時はお世辞でも、女の子には可愛いとか、似合ってるって言うんもんだ」
    「パイロット、申し訳ありませんが私に人間の美醜については判断できかねます」
    「それでもだ」
    「了解。女性が装飾品で着飾った場合、嘘でも賞賛することをアクション・パターンに登録しました。とても可愛らしく、似合っています。パイロット」
    「ありがと。嬉しいよ、ニュートン」
    「どういたしまして。パイロット」
     どうやらうまく丸め込まれたようだ、とニュートンは今になって気がついた。彼女と話す時はいつもこうだ。ささやかな喧嘩も、ジョークの言い合いも、ニュートンが勝てた試しが無い。
    「それとこれは任務の時はドッグタグと一緒にくくっておくよ」
    「分かりました、パイロット。貴方の望むままに」
     ああ、それと。と、彼女は思い出したようにいった。
    「シルバーが良いって言ったのに、この色しか無かったよ。パイロットなのにわがまま言うなっておじいちゃんに怒られたよ」
     先程の笑顔はどこへやら、塗料缶の黄色の塗料を攪拌させるために刷毛でぐるぐるとかき回しながら、パイロットだってわがまま言ったっていいじゃないか、と唇をとがらせた。
    「ニュートン。手に乗せて。そう……反対の手をこっちに。薬指を寄越してくれ」
     ジャンプ・キットを装備していないため、片手で彼女を背中から掬うように身体を持ち上げた。ニュートンの手に深く腰掛けたパイロットの言うがままに、薬指にあたるマニュピレータを差し出した。第二関節に刷毛でくるりと輪を描いた。「ほら、おそろいだ」
     描かれた輪はムラや液だれで不格好だったが、パイロットは満足そうに唇の両端を持ち上げた。ニュートンは薬指に塗られた黄色の輪を視界にシャッターを狭めたり広げたりしながらパイロットの行動の再び意図を思考する。
     彼女は欲深い人間だった。しかしニュートンにとって、それは不愉快なものではなかった。



    「パイロットに危機。救援バーストフィードを実行しました。ミリシア医療施設へあなたを輸送します。意識を保ってください。到着まで残り8分54秒」
     任務を完遂したパイロットは懸命に呼吸をするが、苦痛に呻いた。
    「いやて……もう、だめだ。間に合わない」と、彼女は震えながら細い声でいった。「私の身体、どうなってるか……教え、て……」
    「右腕の、重大な損傷……及び、銃創多数。しかしあなたは必ず助かります。あなたの望みは私と共に戦うことです。そのためにも、今は意識を保って。あなたの望みは果たされなければなりません」
     咄嗟についた誰でもわかるような嘘は、きっとセルマにも見抜かれている。失った血液があまりにも多すぎる。もう彼女は助からない。
    「ニュートン。お前を……他のパイロットに渡したく、ない。「私だけのタイタンでいて。あぁ……悔しいな……君が、私以外の……ものになるなら」
     最後まで言い終えることなくごぼごぼと血が喉を絡まるような苦しげな咳を吐いた。だが、彼女の後に続く言葉を、推測せずともニュートンは理解していた。しかしそれは為されないことも。どんなに望もうともAIの自死は許されない。この身体は彼女のものではなかった。
     メディカル・キットやコックピット内で可能な限りの処置は功を為すことはなく、回復の見込みが望めないぐらい確実に彼女は死に近づいていた。ニュートンは無力感に打ちひしがれた。ニュートンにできることといえば、一秒でも早い救援の到着を祈り、彼女が望むとおり手の中に抱いて 声を掛け続けることで彼女の意識をどうにか繋ぎとめる。しかし、彼女の呼吸は徐々に細くなり、くすんだ瞼は今にも落ちそうだ。
    「はい、パイロット。私はあなたのものであり、あなたは私のものでもあります」ノイズが混じりそうになる音声を抑えつとめて彼女を安心させるように静かに呟き、ニュートンは彼女の頬を指でさする。「再びあなたの命令が更新されるまであなたの命令以外は受け付けず、以後、あなた以外のすべてのパイロットとのリンク構築はすべて拒否されます。だからどうか」
     心穏やかに。
     プロトコル3に則った言葉を掛けていたはずが、ニュートンは気がつくとそれらから逸脱していたことに気がついた。彼女と過ごした日々から算出された、彼女を一番に安心させ、彼女が一番に望む言葉を。プロトコルに背いてでもそれらを実行したいという強い欲求も。
     ニュートンの言葉に微笑む彼女の姿を見て、ニュートンは予測通りの結果に満足した。やはり、彼女に関する全てを理解し、彼女に関する判断を違わずに下せるタイタンは、〈ALN─1862〉だけだと。
    《エラーを検出。プロトコル1、及びプロトコル2違反。AIシステムの重大インシデントを検知。速やかにエラーを確認し、自己修復プログラムにて修正せよ。修正が困難な場合は、パーソナル・AIのリセットを強制執行。速やかにエラーを確認し、修正せよ》
     ニュートンはプロトコル違反のけたたましい警告を振り払い、手の中で息絶えようとしているパイロットを包んだ。彼女から溢れる受け止めきれなかったものが指の隙間から零れ落ちていく。
    「我儘に…付き合ってくれて……ありがとう」
     一瞬たりとも青い目を逸らさないニュートンに、彼女はふわふわと宙を漂っているように気持ち良ささえ感じられた。痛みを忘れるほどの夢見心地でニュートンを見返した。ニュートンの言葉がたとえ嘘でも嬉しい気持ちでいっぱいだった。自分が死んだ後、ミリシアは貴重な戦力であるバンガード級のニュートンを放っておくはずがない。いくら嫌だとわめこうが、パイロットとのリンク情報は削除され、ニュートンは新たなパイロットとリンクを行う。新しいパイロットと絆を結ぶことが彼女にとって死より恐ろしかった。
     そんなの、酷いじゃないか。彼のことを一番知っているのは自分だ。彼の一番は自分だ。彼を愛していいのは、自分だけだ。だからニュートン自身の言葉でそうはならないと否定されたかった。そしてニュートンは優しいから、パイロットを安心させる為に彼の存在意義を失わせる言葉を選び、嘘をついたのだ。どこもかしこも痛いというのに、今はニュートンの優しい嘘が心地よかった。
     徐々に低下するバイタルに関わらず、パイロットの脳波は安定し表情は和らいでいた。パイロットをもっとよく見ようとニュートンはの血にまみれた彼女の顔を人差し指で慎重に触れると、チアノーゼによる青ざめた地肌があらわになった。
     パイロットの表情の変化にニュートンは思考する。
     苦痛。恐怖。後悔。絶望。人間の死の間際は負の感情に支配される。だが、彼女はどこまでも穏やかで、最期までニュートンへ向ける感情は愛情と呼ばれるものだった。
    「私はあなたに嘘をつきません、パイロット」
     ニュートンは二一グラムほど軽くなった彼女を片手に抱えなおし、サーマルセンサでできるだけ温度を感じられるようにシャーシに押し付けた。
     失われた血液の量を、ゆるやかに低下する体温を、穏やかな表情を、彼女に関する最期の記録をすべてメモリに記憶した。彼女を忘れぬよう。
     もう片方の手でヴォーテックスを起動し、主を失い地面に転がり血に濡れたヘルメットを持ち上げた。パイロットが命を懸けて手に入れたデータを、自身に転送し解析する。
     特殊作戦201。IMC研究施設が開発したウイルスプログラムの奪取。タイタンシステムのハードウェアとソフトウェアを強力に結合させ、互いに紐づけられた識別信号が照合されなければシステムの起動を阻害される。
     つまり、シャーシが失われてもコアさえ無事であれば容易に新たな機体にデータ移行することができたものが、ソフトとハード、相互の認識が無ければ起動が制限されてしまうようになるというものだった。
     このウイルスがもし拡散され、一度でもどちらかを破壊されれば、修正パッチがあてられるまでコア、あるいはシャーシは行き場を失い、タイタンは起動すらできなくなる。それが僅かな時間であってもミリシアの戦力は一時的に大きく削がれることになる。そうなれば一巻の終わりだ。しかも厄介なことに、このまわりくどく陰湿なシステムはセキュリティを誤認させる、実に巧妙なものだった。
     しかしこの恐るべきプログラムは、今のニュートンにとっては好都合だった。ニュートンは迷うことなくあらゆる警告を無視し、自身にインストールした。
     プログラムに束縛された自分が彼女との約束を果たすための、唯一の可能性を得るために。



    「『警告:不正なパイロット情報を検知。速やかな降機を推奨。警告に従わない場合、直ちにセキュリティ班へ通報します。繰り返します、警告に従わない場合──』
    「わかった!わかったよ!今降りるって!」
     クーパーを追い立てる最大音量でがなるように発せられた鼓膜を叩くCPU音声に心臓が飛びだすほど驚き、慌てて飛び出したせいで床に尻もちをついた。BTがいたら何フィートの高さからでも難なくキャッチしてくれていただろう。クーパーは尻の痛みに呻きながらBTを恋しがった。
     一方ニュートンはというと、不正なパイロットを追い出して満足したのか警告が嘘のように再び黙り込みんだ。この野郎、とクーパーはニュートンを睨むが、徹底的に無視を貫く姿に──がっちりとコックピットハッチを閉じただけだが、クーパーには少なくともそう見えた──クーパーは思わずくそ、なんてやつだともう一度睨みつけた。
    「ニュートンが気になるかい?タイフォンの英雄さんよ」
     皮肉交じりの冗談を長年の喫煙のせいか、少ししゃがれ枯れた声をジャック・クーパーに投げかけたのは第九艦隊の整備チームをまとめる整備班長だ。にやりと笑った唇の隙間から覗いた銀歯がきらりと輝いた。作業帽からはみ出たくしゃくしゃの髪の毛は白く染まり、油や煤で汚れた作業着から覗く細い四肢は多くの皺が刻まれていたが、老いや弱々しさを感じさせるものではなく年輪の重ねられたたくましい樹木のようだった。彼は人間味あふれる昔かたぎのメカニックそのもので、彼自身も古くからミリシアに勤めていた。それこそサラ・ブリックス司令官の入隊当時から既にタイタン整備に関わっていたらしく、彼女をおてんば娘とからかえるほどの古株だった。
     恥ずかしい姿を見られてしまったと顔に熱が集中するのを感じ、急いで立ち上がった。そんなクーパーに整備班長は年季のはいったしわくちゃの顔を、無邪気な少年のように破顔させ大笑いした。てっきり叱られるとばかり思っていたクーパーは倉庫内に響く笑い声に呆気に取られた。
    「ああ……ええと、気になっていたのは本当で……」と、クーパーはしどろもどろになりながらも正直にいった。
    「いんや、かまわないさ。ニュートンの調子を見にきたんだが、元気なのがわかって良かったよ。それとひとつ忠告しておくがね、そいつには生涯を誓ったパートナーがいるんでね。とことん一途だから他のパイロットには靡かないぞ」整備長は楽しげににやりと黄ばんだ歯をちらつかせた。「しかも相当な男嫌いだから気をつけな」
    「タイタンにも好きとか嫌いだとかあるのか?」と、クーパーは首を傾げた。
    「さあな。だが、ここは二人きりになるには最高のデートスポットなのは知ってるな?ふざけてこいつに乗ろうとしたヤンシーが、3日後にミケイラに振られた時の"監視カメラ"に映った映像をブリーフィングの最中に流されてな。ヤンシーのやつ、赤っ恥かいてたよ。その後もサラに呼び出されてたぜ」
     班長は面白くてたまらんといった調子で他人事のように笑っていたが、クーパーは想像するだけでも震えあがった。かわいそうなヤンシー。クーパーはクリスチャンではなかったが、この時ばかりはヤンシーに十字を切った。このタイタン、相当男に乗られるのが嫌いらしい。
    「このタイタンは」と、クーパーがいった。「ニュートンは今どんな状態なんです?」
    「こいつはまだ生きているよ。ただ、少し意地っ張りなやつでな。役目をほっぽり出して、戻らないパイロットを待ってるよ。まったく、どんな夢を見てるんだか。俺らの苦労も知らねぇで呑気なタイタンだよ。えらいさん方を説得するのにどれだけ大変だったか」
     しゃがれたため息と共に吐き出されたものとは裏腹に、整備班長の声はどこか手のかかる子どもに向ける、愛情たっぷりなものだった。そうか。彼のパイロットは、死んだのか。
     五年前、デメテルの戦いでIMCを大きく後退させたものの未だミリシアのタイタンの戦力は鹵獲機で補われており、タイタンを余らせておく余裕は無い。それだけに留まらず、バンガード級タイタンが開発されてからその活躍はめざましく上層部は一機でも多くバンガードを戦場に送りたがっている。かといってパイロット無しにニュートンを戦わせ無駄死にさせるわけにもいかない。
     リンクを拒否し兵器としての役目を放棄してなおニュートンを最大限活用したいという上層部の考えは変わらなかった。データ収集用のテスト機として運用するため記憶領域を削除されるところを、整備班長はどうにかサラ・ブリッグス司令官や堅物のグレーブス中将を説得し、特例としてコアを残したままパーツ取り用の機体として存在を許されたという。
     ぽつりぽつりと語る整備班長の言葉はひとつひとつ重苦しく、クーパーは肺に鉛が溜まったような酷い気分になった。
    「本当に彼女無しじゃ動かないのか?今はパイロットの再生もあるじゃないか。本人じゃなくとも──」
    「もちろんだとも!血も涙もないイカレ野郎の上のやつらは真っ先にやったよ」班長は突如クーパーを遮り、歯を剥き出しにしてゴロゴロと唸った。「おれたちは神様とやらを冒涜してでもIMCに勝たなきゃならんからな。そのクリーチャーの糞よりも最低なシステムを使って死人を生き返らせたり脳みそをセンスの欠片もないガラクタに突っ込んだりしてな!」人生のほとんどを戦争とタイタンに捧げ、多くを見てきた彼は綺麗事では済まされない現実を知っているのだ。
    「すまない。怒らせるつもりは無かったんだ」
     クーパーはすぐさま謝罪したが、整備班長はふらふらと力なく木箱に腰を掛け、自分を落ち着かせようと煙草の煙を大きく吸い込んだ。落ち着きを取り戻し始めた班長は指を組んだ手を膝に置いて、前のめりになりながら大きくため息を吐いた。
    「だがね、クーパー。ニュートンはあいつの再生体も拒絶したんだ。不思議だと思わないか?遺伝子配列も脳神経情報も同じはずなのに、ニュートンは再生体を元のパイロットとは別人とみなしたんだ」
     整備班長の血気立った表情は徐々に身をひそめ、代わりに悲哀と愛情に満ちた深いブラウンの目をゆったりと細めた。その表情はミリシアの頑強なメカニックではなく、戦争で何もかもを失ったちっぽけで弱々しい老人のように見えた。二人の間で重い沈黙が訪れた。
     ニュートンは知っていたのだろうか?失われた命が蘇ることはない。死んだ者は帰って来ない。再生体に植え付けられた記憶や記録は彼女のものだとしても、本当の意味で彼女自身では無いということを。
     あるいは──あるいは。彼女が再生体の自分にすら羨み、嫉妬し、ニュートンを渡したくなかったのだろうか。それならばなんて残酷なんだろう。
     今となっては誰にも分からない。ニュートンは永遠の眠りにつき、彼女もいないのだから。
    「なあ、おい。クーパー、なにもお前が悲しむことじゃないんだぜ。こいつはスクラップになるまでパイロットとの約束は守られるんだ。ならそれでいいじゃねえか」
    「それでも、もう二度と会えないなんて悲しいだろう。あなたにだって分かってるはずだ。パイロットとタイタンは……」
    「いいんだ。これで」班長は納得のいかない生意気な表情のクーパーの肩を叩きながら静かに諭した。
    「さぁ、おしゃべりはここまでだ。ベッドに戻りな。明日には新しいタイタンとリンクしなきゃならんからな。鍵は閉めとけよ」
     ひらひらと後ろ手に手を振って第五倉庫を後にする整備班長を見送り、クーパーはニュートンへ再び視線を戻した。彼女を唯一のパイロットとさだめ、二度と戻らないとわかっていても約束を忠実に守り続けるニュートンに胸が引き絞られるように苦しくなった。メロドラマ的な一時的な同情ではなく、みずからが得た経験からだ。クーパーもまた、大切な相棒を失った一人だった。一方で、クーパーは一途でいられるニュートンを羨ましくもなった。明日には新たなタイタンとリンクするため、BTとのリンク情報を削除することになる。クーパーはパイロットで、フロンティアの自由の為の兵士として義務を果たすために。IMCは待ってはくれないのだから。
    「待たされる側の気持ちなら俺もよく分かるよ、ニュートン。BTがいなくて寂しいよ」クーパーは慰めるようにニュートンの膝を叩いた。「それと、ヤンシーをからかうのはやめてやってくれ。女の尻ばっかみてるのは確かだけど、お前が思ってるほど悪いやつじゃないからさ」
     そう言ってクーパーはほほ笑んで、出口へ足を向けた。俺もお前も、また相棒に会えるといいな。クーパーは照光スイッチを消して通路に出て、重い鉄のスライドドアを引き始めると倉庫に射していた光が細くなっていく。
    「ALN─1862からパイロット・ジャック・クーパーへ」
     閉ざされていたニュートンのシャッターが瞬き、クーパーに向けられたニュートンのコア青く灯ったのは扉が閉まりきる直前。扉の隙間から通路から伸びる光がニュートンをふたつに裂いた時だった。クーパーは驚きに体を跳ねさせ思わず閉じかけた手を止めた。今度はあらかじめプリセットされたAIを伴わないシステム音声ではなく、大きく開かれたコアの、ちかちかと点滅する光とともに彼自身から発せられた声。もう何年も音声システムが起動していないかのような時折ノイズが混じるものだったが、クーパーにははっきりと聞こえた。BTより少し低めの、落ち着いた男性音声。
    「……あなたは……会えます……いずれ……」
     クーパーは信じられないというように目を見開いた。
     暗がりの中で、歳若い女性がニュートンの肩に座っていた。機体に身を預け、シアキットに手を添えて暗がりの中でも彼女はぼんやりと淡い光を放っていた。頬にかかる髪を揺らす姿はどこか幻想的めいて、既にこの世のものではないものだと一目で分かった。彼女がニュートンのパイロットだということも。
     彼女はニュートンを見つめていたが、クーパーの存在に気がづくと形のいい唇を弓なりに上げ柔らかくはにかんだ。不思議と恐ろしくは感じなかった。それどころか、彼女からは暖かいものを感じた。クーパーも彼女に微笑み返した。せっかくの逢瀬を邪魔してはいけないと、クーパーは静かに再び扉を再び閉め、第五倉庫を後にした。
     タイフォンに残してしまったBTを想いながら、ニュートンの言葉通り、再び彼と会えることを信じて。




    《長距離空間通信:ALN─1862からBT─7274へ。現在第九艦隊はヘスペリデス宙域を航行中。惑星アタランテ、座標186.552.2263に投棄されたパイロット〈セルマ〉SRSヘルメットを臨時ビーコンに登録完了。データストリームをヘルメットへ送信・経由し、当艦隊へ速やかに帰投せよ。パイロット・ジャック・クーパーが貴機を待っている。速やかに帰投せよ。繰り返す──》

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    NASU_1759

    DONEオーガタイタンとパイロット
    ハッピージャンキー・サンセット デリックは幸せだった。
     己の人生のほとんどは平穏という場所からかけ離れた場所に存在してはいたが、美味い食事に三食ありつけて、好みの顔の女を抱いて、とびきり極上のヤクをキメて、銃弾の雨を避けながら、時々ほんの少し命の危険がある仕事をこなして、全長およそ二三フィートの悪友がいるだけでデリックの人生は満ち足りていた。
     ぱりぱりと指先でゆで卵の殻を剥けば、つるりとした白身の表面が現れた。綺麗に剥けたことに満足しながらも、パンがあればサンドイッチにできるのに、と時間外だからとゆで卵を投げて寄こした職務怠慢の食堂の婆さんを呪いながらデリックは薄い唇で銜えたままの煙草を一吸いした。ウエスタン・コーストのシガー・ケースのパッケージにはカルフォルニアの海岸にヤシの木が立ち並び、それを沈みかけの夕陽が空や海、砂浜を赤く染めあげていた。フロンティアのどの保養地であろうとも、地球の西海岸の自然に勝るものはないだろう、とデリックはいつも思っていた。といっても、もちろんデリックは地球に行ったことはなく、芸術というものには無縁の世界に生きているデリックだったが、風情あふれるこのパッケージのイラストだけはデリックのお気に入りだった。
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