恋する演出家 自分の性的指向が普通と違うことに気づいたのはいつだったか、はっきりとは覚えてないけれど、中学の頃だったはずだ。
そもそも恋愛沙汰に興味が薄かったから、特に困ることも無かった。クラスメイトの男子たちが、どのアイドルがかわいいだのエロいだの話してる横で、僕はショーの演出を考える方が断然楽しかった。何となく、付き合うなら女性より男性の方がいいな、なんてことを思う程度だった。
でも、こんなことでさえ僕は他人と違うんだ。
右耳にピアスを開けたのは、周りへのアピールの意味もあったけれど、そんな自嘲も込められていたのだと思う。
♢
天馬司に恋をしている。
たぶん惹かれたのは、ハロウィンショーの時だと思うけど、曖昧だ。
気づいたら彼は僕の心の柔い部分に巣食っていて、いつも目で追ってしまうし、あの太陽みたいな笑顔を向けて欲しいし、もっと笑顔にしてあげたい。
友人がいなかったせいか、このむずむずとして、でも焦りたくなる気持ちが恋なのだと気づいたのはつい最近のことだ。
けれどだからと言って、この気持ちを彼に伝える気は無かった。臆病な僕はこの関係性が壊れることを恐れ、彼の信頼する演出家として、そしてあわよくば一番の友人としての立場にずっと浸っていたかったのだ。
♢
「おはよう!!」
登校中に後ろからよく通る声が聞こえて振り返ると、司くんが笑顔でこちらに駆け寄ってくる。
朝から会えた嬉しさに、自然と頬が上がる。
「おはよう、司くん」
惚れた欲目と言うやつか、頬を少し紅潮させて話しかけてくる司くんがかわいく見えて仕方ない。なんだか周りもきらきらと光って見える。恋のフィルターって恐ろしいな。
歩きながら話していると、司くんが暑いと言って制服を着崩した。
司くんは割といつも制服をきちんと着ているし、私服もかっちり目の服装を好んでいる。もちろん練習着は動きやすさ重視だし、着替えだって一緒だけれど、でも、こう、普段見えないものが見えるのは、あまりよろしくない。
そんないつもと違う面を、もしかしたら居るかもしれない、僕のようなゲイかバイの男子生徒の目に触れさせるのも嫌だ(もちろん女子生徒もだが)。
「司くんは着崩さない方が似合っているよ」
暑いと言ってるのだし嫌がられると思ったが、司くんは納得してくれたのかすぐに制服を整えてくれた。よかった、司くんが単純……素直で。
♢
いつもお昼ご飯を食べる約束をしている訳ではないけれど、偶然を装って教室の前で待ってたり、司くんの居そうな場所を通りかかってみたりして、最近は一緒に食べる機会が増えた。涙ぐましい努力の結果だ。
今日は実験を誘い文句に、スムーズにお昼ご飯に誘えた。よくやった、僕。
中庭にある定位置のベンチに座って、司くんがにこにこしながら、お昼ご飯(彼曰くランチ)である大きめのお弁当箱を取り出す。
細身の体型の司くんだが、こう見えて健啖家だ。ショーで体力を使うし、何かと感情表現がオーバーなので、エネルギーを消費しやすいんだろう。食べっぷりが良くて、でも所作が綺麗だから、見てて気持ちがいい。
つい司くんと一緒の物が食べたくておねだりしたら、快く分けてくれた。しかも彼の手作りだ。料理も上手いし、彼はなかなか多才だ。
いつも僕の方が司くんより早く食べ終わるので、持って来ていたノートを開く。読み始めた途端、横から視線を感じたので何か用かと司くんを見返す。
「…………」
司くんは何も言わずにじっとこっちを見ている。口をもぐもぐと動かしている様が、何だか小動物みたいだ。
かわいらしく感じて思わず笑うと、司くんはバッと勢いよく前を向いてしまった。笑ったのが気に障ってしまったのだろうか? ちょっと残念だな。
♢
昼間の司くんの協力もあり、ワンダーステージでお披露目した装置はえむくんにすこぶる好評だった。自分の作ったものが仲間の手助けになって、お客さんの笑顔に繋がると思うと、単純に嬉しい。作った甲斐があるというものだ。
えむくんが喜ぶ様子を微笑ましく眺めていたら、ぽん、と頭の上に手が置かれた。
「さすが類だな! 素晴らしいショーになるぞ!」
そう言って司くんが優しく手を動かす。これは一体……?
一瞬フリーズしかけたが、すぐに司くんに頭を撫でられているのだと理解した。理解はできたけど、え?
僕の背が高い所為か、ちょっと背伸びをして手を伸ばしている司くんは、慈愛に満ちた眼差しを向けている。
なるほど、日頃咲希くんやミクくんたちの頭を撫でる彼にとって、これは何てことない労わりの表現なんだろう。他意はないのだ、他意は……。
僕ばかりどぎまぎとさせられて少し面白くなかったけれど、楽しそうに目を細める司くんを見ていたら、僕の些細な感情はどうでもよくなってしまった。そうだ、今日の彼は絶好調だったから、僕も彼を真似して労ってあげれば喜ぶかもしれない。
ぽんと頭の上に手を置き、ゆっくりと撫でる。丸い頭の形に沿って撫でると、サラサラと髪の毛が手の平から零れていく。スターを目指す司くんは自身のケアも怠らないのか、艶々とした髪の毛はひどく触り心地がいい。
夢中で撫でていたら、いつの間にか司くんは手を下ろし、うっとりと目を閉じていた。それが何だか犬か猫みたいで、もっとかわいがりたくなってしまう。かわいい、もっと僕の手で――。
「ちょっと」
寧々の棘のある声で、はっと我に返った。危ない、本能のまま突き進むところだった。ありがとう寧々、助かった……。
女子二人は着替えのためにさっさと更衣室へ向かってしまったので、まだぼんやりとしている司くんを促し、僕たちも更衣室へ向かった。
ぼうっとした様子でこちらを見上げてくる司くんは、何だか目の毒だ。むず痒い気持ちが溢れてきて、僕は司くんから目を逸らした。早く着替えてしまおう。
そう思ったのに、司くんが「類」と僕を呼ぶから振り返ってしまう。
ドンッ
司くんが、右手をロッカーについた状態で、僕に密着している。……うん? 何でだ?
状況が全く理解できないなりに、これはもう抱きしめるのが礼儀なんじゃないかと思って手を伸ばしたけれど、司くんが不思議そうな顔で見上げてくるから、すんでのところで止まった。大方、ぼんやりとしていたせいで転んでしまったのだろう。
紳士的に肩を押して体を戻してあげると、司くんは少し恥ずかしそうに「ありがとう」と言った。よかった、これで正解だ。
司くんは友人で、仲間で、一等大切な人だ。間違っても僕の邪な気持ちを、彼に悟られてはいけない。
♢
……気のせいかと思っていたけど、最近の司くんはおかしい。いや、いつもおかしいんだけど……こう言うとお前が言うなと怒られるだろうな。
頻繁に僕の名前を呼ぶし、やけに距離が近い。それに常に見られている気がする。
その度に僕の理性はぐらぐらと揺れ、心の中で膨れ上がった感情が我慢できずに走り出そうとする。彼にとっては何てことないことでも、恋する僕は引っ搔き回されっぱなしだ。ずるい。
「司が変なんて、いつものことでしょ」
ワンダーステージでの練習前、つい寧々にぽろりと零したら(もちろん司くんに恋愛感情を抱いていることは言ってないが)、辛辣な答えが返ってきた。まあ、その返しは予想していた。
「それはそうなんだけど……」
「はあ……わたしは練習の時くらいしかわからないけど、いつも以上におかしいかもね」
「だろう?」
やっぱり傍目から見てもおかしかったんだ。あんまりおかしい、おかしい、ばかり言ってると怒られそうだな。
脳内の司くんが憤慨しているのを想像して、つい笑ってしまう。
「どうでもいいけど、イチャイチャするなら他所でやってよね」
「え?」
思わず寧々を凝視すると、特大の溜息を吐いてこちらを睨んできた。
「話聞いてると、ただのバカップルじゃん。この前もそうだったけど、わたしとえむの前でくらい自重してほしいんだけど」
そう言うと寧々は練習の準備のためネネロボの元へと離れていった。
ええ……? そんな発言しておいて、言い逃げしないでくれ……。
縋るように手を伸ばしてしまったが、止まるわけがない。寧々の言葉を頭の中で反芻させる。イチャイチャ……バカップル……。
そう、そうなのだ。最近の司くんはやけにかわいらしくて、あざとくて、勘違いしてしまいそうになる。もしかすると、もしかして――。
ありもしない空想に耽りそうになったところで寧々に呼ばれ、僕は慌てて彼女の元へと向かった。
♢
今日の練習が終わって一段落ついた時、目に見えて司くんの様子がおかしかった。動揺が顔に表れて、ふらふらと更衣室の方へ歩いていく。
心配そうに見ていたえむくんが、つんつんと僕の腕をつついて見上げる。
「類くん類くん、司くんなんだかしょももんってしてたから、類くんが見に行ってあげた方がいいと思うの」
「……そうだね。ちょっと見てくるよ」
助言にありがたく従い男子更衣室に向かうと、中にいた司くんは、頭を抱えながら右往左往していた。
「司くん……?」
気づいて無いようだったので声をかけると、びくりと跳ねてこちらを振り向く。あからさまに目が泳いでいるのに何でもないかのように振舞うから、そんなに僕が信用できないのかと、少し……寂しかった。
先ほどまでの会話を思い出しながら詰め寄ると、司くんが観念して話し出す。いつもの通る声とは違う、たどたどしい喋りだ……ん?
僕がゲイだって知ってた?
思わず真顔になる。まさかこの司くんがそんな知識を仕入れるとは思ってなくて、まじまじと顔を見つめてしまった。
司くんは顔を俯かせて、悲愴な表情を浮かべている。僕への申し訳なさでいっぱい、と言ったところだ。そうか……司くんは知ってたのか……。
待てよ?
司くんは僕がゲイだと知ったうえで(それも最近の話らしい)、あんな、男を勘違いさせるような行動を取っていたのか? しかも今、僕がゲイじゃないと思い込んで、みんなにわかるくらい、ショックを受けている……。つまり……つまり……。
脈ありじゃないか?
答えが弾き出された瞬間、背後でファンファーレが鳴る幻聴がした。行け、行くしかない。男を見せろ、神代類!
じり、と僕が近寄る度に司くんが後ずさる。数歩もしないうちに、ガタン、と音がして司くんの背中がロッカーに当たった。尚も目を逸らそうとするので、両腕を司くんの顔の脇について閉じ込める。僕しか見えないように顔を近づけると、びくッとして、でも僕から目を離すことはしなかった。
自慢じゃないが、僕は顔が整っている方だと理解している。司くんも以前何かの拍子に褒めていたくらいだ。今初めて、自分の顔に感謝している。使えるものはフルに使って司くんを落とすしかない。この顔に産んでくれてありがとう、父さん、母さん!
「僕のこと、嫌いになった?」
頭の中で両親に感謝しつつ、できるだけ低い声を出そうとしたら、少し掠れてしまった。耳元で囁くと、司くんの体がぶるりと震えた。僕の歌声や語りを褒めていたから、少なからず効果はあるはずだ。
少し体を起こして司くんの顔を見ると、潤んだ瞳と目が合った。顔はもう熟れた林檎のように真っ赤だ。普段からあの言動の司くんだから照れることなんて滅多に無いし、ましてやこんな表情は初めて見た。かわいい……かわいいな……。
耐えきれなくなったのか、司くんがぎゅっと目をつぶってしまう。ああ、涙で艶々と光って、おいしそうだったのにな……まだ見たかったな……。
目の前の司くんしか考えられなくなってぼうっとしていたら、小さく小さく、かき消されそうな声で、司くんが言った。
「…………す、きだ……」
その瞬間、今までの余裕なんて全部無くなって、顔があっと言う間に熱くなった。
泣き出したいような、胸を掻き毟って走り出したくなるような、形容しがたい気持ちが溢れて、僕が僕でなくなってしまうようだった。
だって、諦めていたのだ。端から諦めた振りをして、自分の心を守っていた。
司くんがうっすらと目を開き僕を見ると、驚いたように大きな目を丸くさせる。そうして、柔らかく、愛し気に笑うものだから、僕はずっと隣でこの笑顔を見ていたいと、欲深く願ってしまうのだ。
両手で大事に包むように、そっと言葉を口にのせる。
「司くん、僕も好きだよ」