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    熟成倉庫

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    続きです。あともう1話で終わるんですが書ききれてないです。
    ケモ化も好きなんですがケモ耳も好き。

    猫になる話2「司くん、僕の言いたいことわかるよね?」

     授業もホームルームも終わった放課後、騒がしい教室内でも類の言葉はくっきりはっきり聞こえた。聞こえたからこそ、目の前の類から視線を逸らしてしまう。

    「司くん?」
    「うう……」

     もちろん類がそんなことで引き下がるわけがなく、にっこり笑って見下ろしてくる。オレが椅子に座っているとはいえ、上背があるから威圧感たっぷりだ。こういう時に限ってクラスの皆は声をかけてくれない。
     類がオレを責めているのにはもちろん理由がある。オレが猫になってしまうことが発覚した事件以来、セカイへ一度も行っていないからだ。自ずと、類が提案してくれた解決策は実行されず、奴の知的好奇心は満たされないままである。
     ……あの実験を了承した時のオレは、おそらくハイになっていたというか、情緒がおかしくなっていたのだと思う。冷静になってみると、どう考えても恥ずかしすぎる。猫になると欲求に素直になってしまうから、絶対に、ぜっったいに類の前で醜態を晒す。類もオレを認識してしまった今、平気な顔で行けるわけがない。
     という言い訳を説明することすらできずに情けない顔を晒していると、類が肩をすくめて笑った。

    「言いたくないなら仕方ないけど……でも、近いうちに後悔すると思うよ」

     僕は構わないけどね、という追加のセリフに、思わず眉を顰める。なんの脅し文句だ。



     ――と思いきや、単なる脅し文句ではなかった。
     いつものように皆と乃々木公園で練習していた時のこと。ポツポツと水滴が頬に当たったかと思うと、一気に雨が降り始め、あっという間の土砂降りになった。大きな雨粒にオレ達は悲鳴を上げて、近くにあった東屋へ一目散に逃げ込む。
     先程までは晴れ渡ったいい天気だったのに、屋根の下から覗く空は真っ暗だ。雨粒がうるさいくらい音を立て、しばらく止みそうにない。濡れてしまった髪や体をタオルで拭いていると、隣にいたえむが「あ~あ」と大きく息を吐いた。

    「せっかくみんなで練習してたのに、残念だね……」
    「うん、こんな急に降ると思わなかった。しばらく止まないのかな」
    「雲の動きを見るとすぐに通り過ぎるようだけど……それまでは待機かな」

     スマホの画面を見ながら類が教えてくれると、えむはしょんぼりした犬みたいにがっくりした……かと思えば、急に瞳をキラキラと輝かせ始めた。賑やかな奴だ。

    「はいはいはーい! セカイで練習するのはどうでしょーか!」
    「あ、そっか。あっちなら雨も気にしなくていいし」
    「へえ……」

     えむの提案に皆にっこり……いや、類はニヤリと口元を吊り上げている。そしてオレは冷や汗びっしょり。
     これは非常にまずい展開である。何がまずいって、今日は絶対に“なる”予感がするのだ。今までは運よくえむと寧々に出くわしたことがなかったが、猫になったオレを見られたら座長の権威が失墜してしまう。だからと言って練習を抜けるなどという不誠実なことはできないし、何か策を……。

    「ち、ちょっと待て。もう少しここで雨宿りすれば……」
    「司くん」
    「ひえっ」

     がしっと両肩を掴まれて一歩も動けない。視線を上げれば、目の前で類がにっこりと笑っていた。当然寧々は怪訝そうな顔をするし、えむもスマホを片手に首を傾げている。

    「司くん、観念してお縄についた方がいいよ。さあえむくん、ひと思いにやってくれ!」
    「オレは罪人か!? っておい、ちょっと待っ――!」
    「合点でござる! え~い☆」

     無情な掛け声と共にスマホの画面が押され、目の前が光に包まれる。キラキラした光のかけらが収まった後には、愉快な音楽と共にカラフルな景色が広がっていた……が、明らかに視線が低い。

    「あれれ? 司くんは?」
    「ほんとだ。ていうか司は何であんなに嫌がってたの?」

     えむと寧々はきょろきょろと辺りを見回し、足元にいるオレには気づいていないようだ。類より背が低いとはいえ、オレからすると巨人のようだから踏まれてしまわないか心配である。
     ――というか、気づいていない今がチャンスでは?
     そろりそろり、抜き足差し足で後退っていると、桃色の瞳と目が合ってしまった。

    「あれっ、猫さん?」
    「み゙ゃっ」
    「え、本物の猫? 何でセカイに?」
    「み゙~~~ッ」

     うおおおお見つかってしまった! どうすればいいんだ!
     体をカチコチにして四肢を踏ん張っていると、背後からひょいと大きな手で抱えられる。

    「だから言っただろう、司くん。僕から逃げ回ったツケだね」

     後ろにいる類の表情はわからないが、逆に良かったかもしれない。声色がちょっと怖くてまともに顔を見れないぞ。その代わり、脇を抱えられてぶららんと伸びている間抜けなオレを、えむと寧々が目をまん丸にして見ていた。

    「え、ええ~~~~!?」

     ぴったりハモってくれた声が思いのほか耳に響いて、「みぎゃっ」と体が強張ってしまう。たしたし手足を空中で掻くと、類が腰を支えて抱きかかえてくれた。ふう……安心する。

    「え、この猫が司ってこと? 何で?」
    「わわ~! ねえねえ司くん、猫ちゃんに変身できるようになったの?」
    「みゃうみゃ~んにゃう」

     オレだぞ寧々。そしてえむ、順応が早すぎだ。
     ……と猫語で言っても通じるわけがない。不思議現象に動じることなくオレを見つめる目は、両方ともキラキラと輝いていた。驚きはさておき、かわいらしいオレにメロメロなようだ。
     今のオレが愛らしいのは認めるが、流石に女性陣から撫でられるのはオレの沽券にかかわる。きっと撫でられたが最後、本能に抗えず醜態を晒してしまうだろう。だから類も顎を撫でる手を止めろっ。
     大騒ぎの中、ごろごろごろ……とご機嫌な音を鳴らしていると、遠慮がちな声が割って入った。

    「えっと……いらっしゃい、でいいのかな」

     おお、救世主よ!
     頼れるバーチャルシンガーの声に耳がぴくりと動く。類の腕が緩んだ一瞬の隙をついてジャンプ! 華麗にカイトの腕へ飛び込むと、危なげなくキャッチしてくれた。

    「……カイトさん」
    「あ、カイトお兄さんだ~! こんにちわんだほーい!」
    「カイトさん、えっと、その猫が司って、本当?」
    「あはは……」

     腕の中から無理矢理逃げたせいか、じとっとした類の視線がやけに痛くて、抱えられた腕の隙間に顔を突っ込む。頭隠して尻隠さず状態ではあるものの、視界の暗さにホッと息を吐いた。
     カイトの腕は安心するな……と、うみゃうみゃ鳴いている間に背後で説明会が開かれている。要するにこれはセカイによる影響で、原因は未だ不明である、というふんわりした説明しかできていないが、二人は納得したようだ。

    「むむむ~。猫ちゃんになっちゃう原因って何だろーね?」
    「そういえば最近、猫が主役のミュージカル見たよね……ってそんなこと言ったらショーを見るたびに司がいろんな動物に変身しちゃうか」
    「ともかく、このままじゃ練習ができないから人間に戻ってもらわないといけないね。今まで猫の司くんには何回か会ったけれど、元に戻るところは見たことがないな……司くん、戻れるかい?」
    「に゙っ」

     皆から顔を覗き込まれ、意味もなく前足で顔を洗ってしまう。非常にまずい展開である。猫化の謎は解明されていないものの、人間に戻る方法は心当たりがあるのだ。
     ちらっと見上げた先にいた類は、首を傾げながらオレを見ている。
     ――うむ……類の手に撫でられると元に戻る、というのが今わかっているすべてだ。大きな手に包まれて、ポカポカぬくぬくの気分を味わえば元通りである。……であるのだが、オレの中で人間の理性と猫の本能がぶつかり合っている。人として皆の前で撫で繰り回されるのはいかがなものか、という想いと、難しいことはどうでもいいから気持ちよくなりたい想い。
     今だって撫でられたくて堪らなくて、体がうずうず尻尾はたしたし動いている。カイトの腕の中も安心するが、やっぱり類の手が好きだ。

    「うみゃっ」

     辛抱堪らなくなって類の胸に飛び移ると、びっくりしながらもすぐに抱きかかえてくれた。

    「司くん?」

     ほら、早く撫でろ、一週間も撫でていないんだぞ。お詫びとして誠心誠意撫でるべきじゃないか?
     自分が避けていたことなどすっかり忘れ、にゃごにゃご文句を言いながら体を擦りつけても、一向に撫でる気配がない。むむっと頭にきて指を噛んでしまった。もちろん傷がつくようなものでなく、少し歯を立てる程度だが。

    「いたっ……えっと、司くんは何を伝えようとしてるんだろう」
    「……類くん、撫でてくれないかな。いつもの感じで」

     カイトのナイスアシストに頷きながら尻尾をたしたし。顎を緩めて牙をどけると、ようやく背中を撫でてくれた。そうそう、これだこれ。ごろごろごろ……。

    「司くん、とっても気持ちよさそうだね~」
    「かわいい……けど、これ、司なんだよね?」

     一枚壁を隔てたような、ぼんやりしたところでえむと寧々の声が聞こえる。ふみゃふみゃとろとろで、もうむずかしいことが考えられない……。
     背中を撫でてくれる類の手は少し骨ばっていて、でもオレの体を片手で掴めそうなほど大きくて温かくて、それがものすごく気持ちいい。しかも何でも作れる魔法の手だ。そんな最高の手が今はオレだけのもの。ふふん、ぽっと出の猫達とは違うのだ。
     背中から耳の後ろなでなでに移行した手をキャッチして、指をはむっと咥える。ぺろぺろかじかじ、オレの口にジャストフィット。ふう、ようやく心が満たされた気分に……。

     ぼふんっ

    「あ」

     急に目線が変わった。目の前には類。両手で類の指を握りしめ、オレの背中は大きな手の平で支えられている。
     …………。

    「ぎゃああああああ!!」
    「うるさっ!? えむ、お願い!」
    「あいあいさー!」
    「ぐえっ」

     咄嗟に逃げ出そうとしたが、えむのタックルによりほんの数メートルで阻止されてしまった。なおも逃げようとするも、腰に回された腕が腹に食い込んでオレを放さない。

    「うおおおお……これは違うんだ……違くないが違うんだ……」
    「司くん、本物の猫ちゃんみたいにごろごろ~にゃんにゃん~ってしてたね!」
    「や、やめろおぉ……」
    「はいはいわかったから。えむも傷口に塩塗るようなこと言わないで」
    「ふえ?」

     うう……天然無自覚の辱めによりオレの威厳はボロボロである。当の類はというと、楽しそうにクスクス笑いをこぼしていた。

    「フフ、猫になると動物寄りの本能になるのは何となく気づいていたよ。だから司くん、一旦落ち着こう」
    「わかった……」

     穏やかな類の声に宥められ、なんとか気持ちを落ち着かせようと深呼吸する。ふう……何も恥ずかしがることなどない、猫の演技だったと誤魔化せばいいのだ。
     そう自分に言い聞かせて類の方へ近寄ると、肩をがっちりと掴まれてしまった。は、嵌められた。
     目の前の類は瞳孔の開いたいつもの顔。後退って逃げようにも、えむが腰に巻き付いたままである。類がぐぐっと顔を近づけてきてオレの目を覗き込むから、精一杯上体を遠ざける。

    「それで……僕の実験から散々逃げ回ってくれたけど、今の様子だと人に戻る方法は理解しているみたいだね? おそらく猫に変化してしまう要因にも関係あるだろうから、ぜひ教えてほしいな」
    「え~、そのお~」
    「僕は仲間であり友人でもある君が困っていると思って心配していたんだよ? それなのにきちんとした説明もなく避けられて、どんなに心が荒んだことか……ううっ」
    「あー! 類くん泣いてる!」
    「司サイテー」
    「話をややこしくするな! オレの味方はいないのか!?」

     めそめそとわざとらしく泣き真似をする類に、えむと寧々が乗っかって茶々を入れる。助けを求めてカイトの方を見るが、困ったように笑うだけだった。そ、そこをなんとか!

    「うーん、僕も司くんの味方をしたいのは山々なんだけれど……。猫になると練習もままならないだろうし、こうやってみんなに知られたなら、協力してもらった方がいいんじゃないかな」
    「うぐ」

     頼みの綱であるカイトに言われては仕方ない。うんうんと唸って足掻いて、しびれを切らした類の「司くん?」に降参したオレは、重い口をなんとか開いた。

    「わかった……と言っても、何となくの、感覚の話なんだが……」
    「構わないよ」
    「…………な、撫でられると、元に、戻る」
    「ん? 小さくて聞こえなかったからもう一度言ってくれるかい?」
    「な、撫でられると、元に戻るんだっ」
    「うん? 耳の調子が悪いのかな。やっぱりもう一度……」
    「聞こえているだろーが!!」

     あはは、と楽しそうに笑っているが、こいつ! 完全に面白がっている。正確には“類に”撫でられると元に戻るのだが、言わなくて正解だったようだ。絶対にからかわれるだろう。
     一方、人間に戻る方法を聞いたえむと寧々は、ううんと考え込んでくれている。

    「だから司くん、なでなでされたらシュパパーンって戻ったんだね!」
    「つまり撫でられるのが猫になる原因にもなってるってこと?」
    「そうなるねえ。逆に考えれば、撫でられるために猫になっているとも考えられるかな」
    「は!?」

     オレが? 撫でられたくて? まったく身に覚えがない。

    「もちろん、撫でられることそのものが目的とは限らないよ。例えばそれに付随する心の変化とかかな。猫みたいに撫でられてリラックスしたい、とか。どうだい司くん、猫になるきっかけは掴めたかな?」
    「……いや、まったくわからん」
    「そっかあ~。でもでも、今度から猫ちゃんになった司くんに会ったときは、なでなでしてあげればいいんだね!」
    「え、えむ、気持ちはありがたいが大丈夫だぞ……」

     純粋な善意百パーセントの提案は嬉しいが、絵面を想像しただけで倒れてしまいそうだ。こうなると思ったから皆に知られたくなかったのである。精神的に疲れ切ったオレがぐったりしていると、困ったように笑みを浮かべていたカイトがオレに目配せをした。

    「まあまあ。みんなも気になることは多いだろうけれど、セカイのことなら僕らも調査するよ。でもせっかく来てくれたんだから、今日の練習に僕らも参加させてほしいな」
    「そ、そうだな! 皆の者、時間は有限なのだから練習せねば!」
    「は~い!」
    「ま、いいけど」

     カイトの言葉に乗っかったオレの掛け声に、えむと寧々の返事が重なる。やはりオレの味方はカイトだけだ。唯一無言だった類はにっこりと微笑んでいる。
     その視線がどうにも痛くて気になったが、この場で突っ込むのも恐ろしい。オレはぶるりと背中を震わせると、駆け足でショーステージへと向かった。





     翌日の放課後、いつものように類がオレの席まで来て、ひとつ前の座席に腰を下ろす。そのままオレの机に腕を乗せて頬杖をつくと、覗き込むような上目遣いをしてきた。女子達がきゃーきゃー騒ぎそうなあざとい表情が逆に嫌だ。いったい何を企んでいるのか。

    「ねえ司くん。今日の予定は何かあるかい?」
    「いや、特にはないから個人練習でもしようかと……」
    「じゃあせっかくだから一緒に練習しないかい? セカイで」

     ――そういうことか。にこにこ上機嫌でオレを見てくる瞳はいつもより色味が濃くて、楽しそうに弧を描いている。
     オレをおもちゃにする実験でも考えているのだろうが、まあいい。なんとなく今日は猫にならない予感がする。

    「いいぞ」

     オレの軽い返事に、類の切れ長の目が見開く。ふふん、いつまでもお前の思い通りになると思ったら大間違いだ。
     気分の乗ったオレは意気揚々と類の家について行き、道中で類が猫じゃらしをふりふりする揶揄いを鼻で笑いつつ、ガレージからお目当てのセカイへ向かった。そして予想通り、たくましい二本足で立っているオレ! はーっはっはっは!

    「おや、今日はネコくんにならないねえ」
    「残念だったな! オレの醜態を見て笑おうとでも思ったんだろうが甘いわ!」
    「そういうつもりじゃなかったんだけど」

     フフ、と小さく笑った類が眉を下げる。

    「何だか僕もネコくんに慣れてしまったのか、あの手触りが恋しくてね。はあ……でもそうか、今日はネコくんを撫でられないんだね」

     寂しそうな表情にわざとらしい仕草。涙を拭う演技にイラっとしてしまう。
     なんだその言い分は。人間のオレより猫の方がいいみたいじゃないか。
     むずむずと痒くなる頭を掻くが、苛立ちはくすぶったままだ。こいつは放っといて、カイトにエチュードの相手役でもお願いしに行くか、と踵を返そうとしたところで、誰かが近づいてくる気配がした。

    「あー! 司くーん、類くーん!」

     ミクとぬいぐるみ達だ。両手を大きく振りながら駆けてくるミクと、その背後でぽむぽむと小さな足を一生懸命動かすぬいぐるみ達。

    「ワーイ、ツカサクンダー!」
    「アレッ、ツカサクン、今日は猫ジャナインダネ」
    「ホントダネ」
    「う……」

     ぬいぐるみにまで言われてしまうとは。ガクッときたものの、猫のぬいぐるみに「オソロイにナリタカッタナ~」と言われれば悪い気はしない。しゃがんでぬいぐるみの頭を撫でてやると、隣にいた類も同じようにしゃがんだ。

    「みんなも司くんが猫になってしまうことは知っているんだね。フフ、今日は残念ながら猫になりたい気分じゃなかったようだよ」

     そう言いながら類もぬいぐるみ達の頭を撫でていく。やはり魅惑の手つきらしく、きゃっきゃっと喜ぶぬいぐるみ達の様子に、我慢ならなくなったミクが頭を突っ込んできた。

    「え~っ、ずるいずるい、ミクも撫でて~!」

     無邪気なミクの声に、便乗したぬいぐるみ達も押し合いへし合い騒いだ結果、あっという間になでなで待機列が形成されてしまった。オレは口をぽかんと開けて間抜け面を晒すしかない。噂には聞いていたが、類のなでなではこんなにも人気だったのか。
     頭を撫でられたミク達はにこにこ笑い、類も優し気な笑みを浮かべている。……非常に微笑ましい光景のはずなのだが、胸のすみっこにイライラが溜まっていく。
     今日の類は、オレの猫化を実験しようと思ってたんじゃないのか? それなのにオレを放って置いて、別の奴を撫でている。そりゃあ、ミクの耳はふわふわだもんな。そうかそうか、猫の耳がついてれば誰だっていいんだな。

    「こ、この……」

     頭のむずむずがまたぶり返してくる。ああ痒い、ああイラつく!
     苛立ちがぐるぐると腹の中に溜まって、溜まって――ぶわっと爆発してしまった。

    「この――猫たらしめ!!」

     オレが猫じゃないからって、他の奴になでなでの大盤振る舞いなんて最低だ! 類のなでなではオレだけのものだろうが! この……この!
     カーッと頭が熱くなって、どこかに逃げ出したくなる。こんなのオレじゃない。猫になっていないのに猫になっているみたいな、自分の感情がまったくコントロールできない。類は悪くないのに、類に怒りをぶつけてしまう。

    「つ、司くん」

     ほら、類がびっくりした顔をしている。急にヒステリックに叫び出したんだから驚くに決まっている。すまん、オレにもオレの気持ちがわからないんだ、ちょっと頭を冷やしてくるから待ってくれ。

    「司くん!」
    「なんだ!」
    「なんだも何も……」
    「わわわ~! 司くん、ミクとおそろいだ~♪」
    「へ?」

     気の抜けたミクの声が響く。お、おそろい……?
     類とミク、おまけにぬいぐるみ達の視線がオレの頭上に刺さっている。恐る恐る手を伸ばすと――ふにっ。

    「な、なんだこれはーーーー!?」

     ふわふわのふにふに。ピンと立った三角の耳がぴこぴこと動いている。同時に腰の辺りのむず痒さにも気づいたが、恐ろしいので無視しておく。
     驚きにフリーズしているオレとは対照的に、ミクの瞳はいつも以上にキラキラ輝いていた。

    「ねえねえ、ミクとおそろいだよ、司くん!」
    「うう……猫になるだけでは飽き足らず、このオレが猫耳に……」
    「おそろい! ねえってば~司くんっ」
    「わかったわかった! うんうん、おそろいだな、オレ達!」
    「えへへ~」

     よっぽど嬉しいのか、ご機嫌なミクが頬をくっつけてすりすりしてくる。喜んでくれているなら悪い気はしないが……いかん、オレもすりすりしそうになってしまった。
     猫の本能を抑え込み、なんとか頭を回転させる。猫そのものに変化しないのは初めてだが、これもオレの想いが関係しているというのか。

    「フフ、また面白いことになってしまったねえ司くん」
    「まったく面白くないんだが!」
    「いつもの完全な猫化と違うけど、何がきっかけだろう? ミクくんと同じ外見のように見えるし、ミクくんと会ってからの何かしらが原因だと思うんだけど……ちなみに尻尾はあるのかい?」
    「ない!!」

     怪しく光る類の目が怖くて、つい嘘を言ってしまった。咄嗟に腰へ手を当てたオレを、類がニヤリと笑う。

    「フフフ、悪手だねえ司くん。それじゃあ何かあるって言ってるようなものじゃないか」
    「なーい!! ないない! 絶対にない!」

     後ろに回り込もうとする類を必死に威嚇しながら後退る。ぐるぐるぐるぐる……何をやっているんだオレ達は。

    「まあまあ、逃げないでおくれよ。ずっとその格好のままというわけにもいかないだろう? 元に戻るには……うーん、猫の時と一緒でいいのかな」
    「い、一緒……」

     一緒というのはつまり、類に撫でられるということだ。頭を。さっきのミクみたいに。

    「帰るぞ!」
    「え?」

     大声で宣言し、類の腕を引っ掴む。ミクだからかわいらしい絵が成立するのであって、猫耳のついた男の頭を撫でるなど、オレの中の何かが壊れてしまう。断固拒否だ。
     どうせこの不思議現象はセカイにいる間だけの話なのだから、またこっちに来た時に耳が生えていたとしても日常生活に何ら支障はない。ならばオレは己の尊厳を取る!

    「え~司くん帰っちゃうの?」
    「モット遊ビタイヨ~」
    「すまんが緊急事態なのだ! さらば!」

     来たばっかりで帰るのは心苦しいが、オレの心の問題ということで許してくれ。スマホを取り出して音楽を止めると、あっという間に類のガレージへ戻ってくる。
     次にセカイへ行ったときを考えると憂鬱だが、今現在のオレが守られたのだから良しとしよう。それに変化が持続しない可能性も大いにあるしな。
     ふうと大きく息を吐いていると、隣にいた類が身じろぎした。そういえば腕を掴んだままだった。ぱっと手を離して見上げると、類がオレの方を凝視している。というより、オレの……頭を。

    「……司くん、それ」

     サーっと一気に血が下がっていく。非常に嫌な予感。
     ゆっくりと両手を上げて頭の上に持って行けば、ふにゅっと、消えたはずの柔らかい感触が。

    「な……なんだとーーーー!?」

     いったいどういうことだ。セカイの不思議現象が現実にも起こるなんて、あり得るのか!?

    「なぜ消えない! お、オレは一生このままなのか!? 猫の役しかできなくなるのか!?」
    「まあまあ司くん、落ち着いて」
    「落ち着いていられるか! 役が制限されたら、オレはお前の演出に応えられなくなるんだぞ!」
    「……!」

     オレが悲痛な叫び声を上げているというのに、類は目を大きく見開いた後、何やらにまにまと笑っている。

    「フフ、大丈夫だから僕にまかせて。司くん、こっちにおいで」

     穏やかで優しい語りかけに、昂った心が落ち着いてくる。そろそろと近寄ると耳に触れられ、びくりと体が跳ねた。もしや外科的に切り取る方法を選ぼうとしてないよな……?

    「緊張しなくて大丈夫だよ。頭を撫でるだけだから」
    「それが嫌で逃げ出したんだが」
    「物は試しさ。君だってずっとそのままは嫌だろう?」
    「……ああ」

     そっと両目を閉じて促すと、類の手が頭に触れる。てっぺんから頭の後ろへ、形をなぞるように撫でた後は、耳の後ろを優しくこしょこしょ。手つきは同じはずなのに、猫のときとは違う感覚だ。ぐる、と喉が音を鳴らす。

    「おや、耳だけかと思っていたけど、体質的にも猫の特徴が混ざっているのかな」
    「んむ……」
    「……司くん、さっきの言葉、すごく嬉しかったよ。君は僕を喜ばせる天才だね」
    「ん~……」

     甘くて、気持ちいい。眠りに落ちる前のまどろみのようにぼうっとして、このまま浸っていたい。頭に触れる温もりだけじゃ足りなくて目の前の体に抱き着くと、全身がぽかぽかに包まれる……が、頭を撫でる手が止まってしまった。何で止めるんだ。

    「はあ……まいったな……」

     熱く湿った息が耳にかかってくすぐったい。ぴるぴると耳を震わせると、ようやく類が頭を撫でてくれた。嬉しくて胸元に顔を埋めれば、トクトクと鳴る心臓の音と嗅ぎ慣れた類の香り。すーっと目一杯鼻から息を吸って、ゆっくりと吐き出す。ああ、幸せだ……。

    「……司くん……司くんってば。元に戻っているよ」
    「む?」

     ぼんやりと靄がかった頭に類の声がじんわり浸透してきて、段々クリアになっていく。ゆっくりと胸元から顔を上げれば、頬を染めた類の顔が。ほんの目と鼻の先に。

    「ッどわーーーー!?」

     なに……何が起こっている!?
     文字通り跳び上がったオレは、類から離れるためにあわてて後退った。部屋の中がごちゃごちゃしているから逃げ場はほとんどないが、それでもなんとか隙間を見つけ、カチコチに体を緊張させながら直立する。
     まずい、顔から火が出そうだ。撫でられているときの記憶は薄ぼんやりとして曖昧だが、類にくっついていたことはわかる。しかもべったりと。

    「せ、世話をかけたな、類!? おかげで元に戻れたぞ!」

     今できることは、可及的速やかにこの場を去ることである。気まずさから目を合わせずに扉へ向かおうとするが、「待ってくれ」と腕を掴まれてしまった。反射的に体を強張らせたオレへ、類が真剣な眼差しを向ける。月色の瞳がいつもよりぎらぎらと光っていて、オレは思わず唾を飲みこんだ。

    「……君が猫になってしまう原因、何となくわかったよ」
    「な、なに!? わかったのか? いったい何が原因なんだ……?」
    「それはね……」

     思いがけない発言に息を止めて続きを待つ。いったい……?

    「……秘密だよ」
    「はあ!?」

     膝から力が抜けて転ぶところだった。類が腕を掴んでいてくれたおかげで免れたが、そもそも類のせいで引っ掻き回されているのでこいつが悪い。当事者であるオレになぜ伝えないんだ。

    「秘密にする必要がどこにあるんだ!? もったいぶらずに教えればいいだろう!」
    「フフ、教えたいのは山々なんだけれど……こればっかりは司くんが自覚しないと」
    「……?」

     意味深な笑いをこぼした類は掴んでいた腕を離すと、代わりにオレの手をとって、両手で包み込んだ。オレもピアノをやっていたから手は大きい方だと思っていたのだが、類の手で覆われるとすっぽり包まれて見えなくなる。そのまま手の甲をゆっくりと撫でられた。何度も、優しく。
     壊れものを扱うみたいに触れられて、ショーでもないのにどうしたんだと見上げれば、類が目を細めて微笑んでいる。

    「もちろんこれからも協力はするよ。猫になって困ったら……いや、猫以外のことだろうと、いつでも僕を頼ってね」

     穏やかなテノールに、「そもそも類が素直に教えてくれれば……」と言いかけたが、黙って頷いた。素直に従うオレに、類は一層柔らかく微笑む。
     もちろん、言いたいことや聞きたいことは山ほどあったのだが、いやに優しい類の手つきが猫になったときのことを思い出させて……もう少しこのままでいたくなってしまったのだ。


    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💖💖💖💖💖
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    Replies from the creator

    buyo

    DOODLE悪魔×人間のるいつかさんです。
    今更?って感じですがエイプリルフールネタを擦ってます。
    まだ2024年だから許してください…。
    あと放置してる参将も許してください…脳内妄想で満足してしまって…。
    「約束したからな」と笑顔で彼は頷いた ただいま、とマンションのドアを開けてすぐに違和感。センサーで反応した温かな色味のライトはいつも通りだし、ダイニングキッチンへ続くドア越しに明かりが見えているということは、司くんは帰宅している。だというのに、玄関は静かなままだ。

    (えーっと……)

     疑問は残るけれど、とりあえず手を洗おう。鞄を廊下に置いて右手側にある洗面所へ向かい、石鹸で丁寧に両手を洗う。次はうがい。物音を立てているから僕の存在に気づいているはずなのに、大きな「おかえり」の声は聞こえてこない。
     ふーっと大きく息を吐いて鏡の前の自分に気合を入れると、リビングへ続くドアを静かに開けた。

    「ただいま~……」
    「……おかえり」

     普段と比べると大変に静かで元気のない返事だ。僕の恋人はむすっとした顔でソファに座っている。両手で抱えている星型のクッションは彼が実家から持ってきたお気に入りで、その黄色い星をむぎゅむぎゅと大きく歪ませながら「……類」と僕を呼んだ。
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