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    無駄に長くなったので分割

    異世界ファンタジー風学園BLゲーのセカイでオレは、錬金術師と恋に落ちるまで夜も眠れない! 2


     もはや見慣れてしまった薔薇園に今日もお邪魔し、ティーテーブルで寧々の淹れてくれた紅茶を口にする。この想いのセカイに来てから何度も淹れてくれたおかげで、段々紅茶の淹れ方が上手くなっている。本人にとっては不本意だろうが。
     目の前には同じようにカップを手に持ったルイ。特別なことはしてないはずだが、どこか仕草が優雅に見える。絵になる奴だ、知らず嘆息してしまう。
     この男と結ばれればめでたしめでたし、ハッピーエンドで想いの欠片は大満足なんだが……今更の話、王子なのに相手は男でいいんだろうか。世継ぎとか考えなくていいのか? フィクションに突っ込んでも無駄か。
     ルイはオレの視線に気づいたのか、首を傾げて微笑む。涼やかな目元。スッと通った鼻筋に、穏やかに弧を描く薄い唇。うーん、顔がいい。類だもんな。オレはこいつと恋人にならねばいけないのか、と思うと、急に恥ずかしくなってきて、にわかに顔がぽっぽっと熱くなる。これは架空の物語であって、想いを満足させるために仕方ないんだが! 現実と混同させちゃいけない、現実の類に失礼だろう。いやでも、物語のためとはいえ、ルイのことも弄んでいることになるのか……?

    「ツカサくん、面白い顔をしてどうしたんだい?」
    「面白いとはなんだ! 悩み多き年頃なんだ!」
    「何だいそれ、フフ」

     揶揄うようなルイの言葉に、反射的に噛みついてしまう。色々考えすぎて百面相状態だったらしい。自分の顔をほぐすように、ムニムニと頬を揉む。
     そんなオレを見つめるルイの顔は、もう、どろっどろに溶けた甘い顔をしていて、見ているこっちが恥ずかしい。オレに好意を持っていると、誰が見てもまるわかりだろう。……オレは寧々の好感度メーターで教えてもらうまで気づかなかったわけだが。
     物理的に熱を持ってるんじゃないかってくらい熱い視線に当てられて、尻の辺りがムズムズして落ち着かない。耐えられずに視線をテーブルの上に落とすと、左耳にひんやりとした感触。

    「ひぅっ」

     くすぐったくて肩を竦めれば、いたずらな手の持ち主がクスクスと笑った。低めの体温の指がオレの髪をすくって、そうっと耳にかける。もう一回。今度は終わり際に耳の裏をこしょこしょとくすぐって。その度に勝手にびくついてしまうオレの反応を楽しむルイの瞳は、とろとろに煮詰まったような濃い色をしていた。

    (何だこいつ! 何だこいつ!)

     もう、ダメだ! 存在が不健全だ!
     全身の体温がカーッと熱くなって、目の前の男と、手の感触だけが頭の中をぐるぐる回る。この顔で、この表情で、こんな仕草をするなんて、もはや暴力だ。脳みそがパンクしてしまうんじゃないかって危機感を覚えた時、かちゃん、と陶器の擦れる冷たい音にハッとなった。
     た、助かった……。よくわからないが、あのまま流されていたら自分の体までどろどろに溶けてゲル状になったかもしれない……。
     救世主である音のした方を向くと、据わった目をした寧々が茶器を片付けている。ぱっぱっと手際よく動いてそのまま立ち去ろうとする寧々の姿に、あわてて椅子から立ち上がり駆け寄った。

    「お、おい、寧々?」
    「わたしパス」
    「パスって何だ!?」
    「はあ…………」

     この得体の知れない雰囲気に置き去りにされたらどうなってしまうかわからない。今のオレには寧々だけが頼りなんだ、と縋るように寧々の袖を掴んでこそこそ話しかけると、お馴染みになった特大のため息が聞こえた。

    「……なんていうか、複雑すぎて。あんた達のいちゃいちゃを見てると現実の類が可哀そうに思えてきた。むしろルイが攻略対象じゃない方が割り切れたかも……」
    「う……」

     いちゃいちゃというのはちょっと置いといて、架空の話とはいえ、幼馴染の顔をした奴とオレが恋愛関係になるっていうのは思う所があるだろうし、オレも大いにある。だがなあ……。

    「両方の類には悪いと思っている! でも物語を終わらせるにはこうするしかないだろ? ここまできて今更対象をトウヤやアキトに変えるなんてできないし……」
    「何だか楽しそうだね?」
    「うおっ!?」

     オレと寧々のこそこそ話に割り込むようにしてルイが口を挟んだ。表情はにこにこしているが、先ほどの瞳の色が嘘のように冷たく光っている。ち、ちょっと怖いぞ……。

    「一年生の名前が出ていたようだけど、彼らとは仲がいいのかい?」
    「え? あ、ああ」
    「ふうん、そっか」

     背後から寧々の「バカ!」という声が聞こえた気がしたが、ルイのよくわからないプレッシャーから逃げたくて、誤魔化すようにトウヤとアキトの話題に食いついてしまった。二人ともいい奴らで、努力家で、かわいい後輩なんだ、なんてことをしゃべっていたら、唐突に「ツカサくん」と遮られた。

    「へ?」
    「……ごめんね。少し用事を思い出したから行くよ」

     ガタン、といつもは立てない音を立てて椅子を引き、薔薇のアーチを潜り抜け速足で遠ざかっていく。いきなりどうしたんだ。小さくなっていく後ろ姿を呆然と見送っていると、寧々にまたも「司のバカ!」と叱られてしまった。

    「正直に仲がいいなんて答えないでよ!」
    「しかし嘘をつくのも変だしな……。それに、す、好きな人が友人と仲がいいなら喜ばしいことだと思うんだが」
    「それすらダメなめんどくさい男なの!」

     お、おお……お前の幼馴染が聞いたら泣きそうなことを言うなあ。
     ビシッとルイの歩いて行った方を指さし、「とにかく追いかける!」と指導が入ったためあわてて薔薇園を抜け出した。

     校舎の方をきょろきょろと見渡せば、ルイはまだ近い場所をとぼとぼと歩いていた。その背中が無性に寂しげで、故意でなかったとはいえ傷つけてしまったのはオレなのだから、急いで駆け寄り腕を取った。

    「ルイ!」
    「ツカサくん……」

     追いかけてくるとは思っていなかったのか、目を見開いたルイは少しだけ嬉しそうに口角を上げた。またすぐに肩を落としてしまったが。

    「急に出てしまってごめん。何だか、ツカサくんが僕以外の人について話していると、嫌な気持ちになってしまって……なんでだろう」

     ぎゅっと胸元を掴んで苦しそうに吐き出すルイ。こ、こいつ……。

    (オレのこと好きすぎじゃないか!?)

     しかもやきもちを妬いてるって自覚が無いのだ。オレよりでかいくせにしゅんとした姿がやけにかわいらしく見えて、何とかして励ましたくなってしまう。なんだろう、雨に濡れた捨て猫みたいで庇護欲を誘うんだろうか。

    「ふっ、心配せずともオレの心はお前の物だぞ!」

     安心しろ、という気持ちを込めて高らかに宣言してポーズを決める。と同時に、めちゃくちゃ恥ずかしいことを言ってしまったのでは!? という羞恥が急に襲ってきた。これはもはや告白では!? いや、攻略と言う観点から行けばこういうアプローチも重要だ、そうに違いない!

    「そそ、それにしても、自分で自分の気持ちがわからないなんて、そういうところはやっぱりあいつに似てるな!? まあお前も類だし似てて当然――」

     焦って自分の恥ずかしさを誤魔化すように口を開くと、考える前にぽろぽろと言葉がこぼれてしまう。やってしまった、と思った時にはもう遅い。一瞬穏やかになったはずのルイの表情が固まり、段々と剣呑な雰囲気になっていくにつれ、オレは自分が何かしらの過ちを犯したことに気づいた。

    「ねえ――」

     温度の無い声。返事をするより先に両腕を掴まれてドンッと壁に押し付けられた。ざらざらとしたレンガ調の壁が背中に当たって地味に痛い。咄嗟に体を起こそうとするも、手首を痛いくらいに握られた所為でビクともしない。ルイはオレを周囲から隠すように覆いかぶさると、ますます手に力を込めた。

    「る、ルイっ、痛い……っ」
    「僕、君が僕以外の人について話すのが嫌って、言ったばかりだよね? バカなのかな?」

     ひ、否定したいけど否定できん。オレはバカです。
     暗い目をしたルイはぐっと顔を近づけてオレの目を覗き込む。あまりに近すぎてぼやけそうなくらいだ。相手の呼吸さえ感じて、このままだと、き、キスしてしまうんじゃないかと思ったが、ルイはそのままオレの肩に顔をうずめた。ちょっと一安心だが、今度は首筋に息が当たってくすぐったい。早鐘を打つ心臓の音はきっとルイにバレバレで、それがやけに恥ずかしい。

    「あまつさえ、そいつのことを思い出しながら嬉しそうな顔しちゃってさ」
    「は?」
    「僕の影に、誰のことを見ているの」

     ――誰って、類だ。
     そしてルイでもある。
     このややこしいのをどう収めてやればいいんだ! ぱくぱくと口を開けて、でも適当な言葉が出てこないオレにフフッと笑って、ルイは――。

    「ッ……!?」

     がぶっと、効果音が聞こえるんじゃないかってくらい強く、首筋を噛んだ。は? 痛すぎる! 何で噛んだ!?
     痛みに混乱するオレをよそに、ようやくルイは両手から力を抜いて顔を上げた。意味がわからなすぎてとりあえず文句を言ってやる! と睨みつけたのに、当のルイは眉を顰めて、自分が傷ついたような顔をしている。

    「ツカサくんが演じていた勇気の神」
    「あ、ああ……?」
    「冒頭で星の神を助けるだろう? 彼の生みの親は皆から忌み嫌われていて、彼も周囲から迫害されていたんだ。だから勇気の神に助けられた彼は、彼の裏表の無い輝きにコロッと参ってしまって、苦難に陥った男神を手助けしようとする」
    「そうだな……?」

     授業で習った神話はルイの言う通りだ。暗闇のシーンが映えると思ってこのエピソードを選んだのだが、何故唐突にその話をし始めたんだろう。訳がわからずにじっと見上げると、ルイはますます苦しそうな顔で笑った。

    「……ほら、ツカサくんって、ひどい人だよ。孤独に慣れていた僕を無理矢理引っ張り上げて、今じゃこんなに君に執着している。なのに君にとってはいつも通り周囲を明るく照らしただけ。一人の人間が救われたことなんて、ほんの些細なことなんだ」

     静かな声でそう言うと、ごめんね、とオレの首元をそっと撫でた。ピリッと痛みが走って、反射で顔をしかめる。それをじっと見ていたルイは、何も言わずに今度こそその場を立ち去った。
     ……噛まれた跡がじんじんして痛い。背が高いはずなのにどこか小さく見えるルイの後ろ姿が、どんどん遠ざかっていく。オレも今度は後を追わずにとぼとぼと寧々の元に帰ると、寧々はオレの暗い表情を見て心配そうに駆け寄ってきた。

    「司……何かあったの?」
    「ああ……噛まれた」
    「はあ!?」

     自分じゃ見えないが襟を引っ張って見せてやると、一気に寧々の顔が赤くなった。まずい、女子に見せるものじゃなかったか。

    「ちょっと! 何してるの!?」
    「オレにもわからん……いや、オレが無神経なことを言ったせいなんだが」
    「だからって……はあ」

     首を噛まれたのは意味がわからんが、こうなった原因がオレにあるのは確かだ。せっかく心を開いてくれたルイを、当のオレが傷つけてしまった。あいつは結構繊細なんだ、類に似て……いや、こうやって類とルイを重ね合わせるのがよくないんだろうか。
     落ち込むオレを励ますように寧々が話しかけてくる。

    「……今回はわたしがあの空間に耐えられなくて逃げようとしたせいもほんのちょっとはあるっていうか……。だ、だからそんな落ち込まないでよ。っていうかあいつが重度のやきもち妬きで嫉妬深いせいでしょ」

     励ます……というか、大分ルイのことをこき下ろしている遠慮のない口ぶりに、ちょっと笑ってしまった。ここまで言えるのは幼馴染の寧々くらいかもな。……おかげで少し気が楽になった。
     細く息を吐いて振り仰げば、いつものように澄んだ青い空が広がっている。落ち込もうが何をしようが天気は関係ない。――どうにかしてルイをもう一度口説かないと。





     今日も輝かしい朝だが寝覚めはよくなかった。ルイの傷ついた表情が頭から離れないせいで、気づけば眉間にしわが寄っている。早急に解決しないと、スターの輝かしい額が台無しになりそうだ。
     ぼうっとしながら朝の支度をして、学校に着いてもなかなか気分は上がらず、周囲からチラチラと視線を向けられてもかっこいいポーズで対応する気にならない。我ながら重症だ。

     昼休みの合図とともに弁当を手に取り屋上へと向かい、扉を開けると先にいた類がひらひらと手を振った。最近は暗黙の了解のように類とランチをとっている。というかオレより先に来てるって、ちゃんと授業を受けてるんだろうな。
     隣のスペースにハンカチを敷いて座ると、類がオレの顔をまじまじと見てくる。

    「今日は元気がないみたいだけど」
    「ああ。……オレは人の気持ちに疎いところがあるみたいでな。昨日も――」
    「ねえ」

     ため息交じりのオレの声を遮る冷たい声。あれ? デジャブだな?
     ギギギ、と首を動かして見た類の顔は、完璧な無表情だった。おお、美形の真顔って、迫力がある。

    「昨日、どうしてたんだい? 誰かと会っていたのかな」
    「昨日?」

     昨日はいつも通りワンダーステージでの練習が終わった後、寄り道もせずに真っ直ぐ帰った。詰問する厳しい声にたじろぎながらそう答えると、類はますます表情を硬くして不機嫌そうになっていった。

    「へえ、言えないようなことしてたんだ?」
    「何だって?」
    「……首」

     類が腕を伸ばしてオレの首に触れる。指先の触れたところがピリッと痛んで、こんなところ怪我でもしただろうか、と想いを巡らせるが何も浮かんでこない。強いて言えばルイに噛まれた所だが……まさか、そんなはず。だってあれは夢のセカイの出来事で。

    「気に入らないなあ……」

     いつもより低い声の類が、何度も指で傷跡をなぞる。その度にじくじくと痛んで、体が強張った。やめろと声を上げたいのに、冷たい視線に晒されたオレは蛇に睨まれた蛙のように動けない。類はフンと鼻を鳴らして、ゆっくりとオレの首に顔を近づけた。そして、そのまま――。

    「ぃ――ッ!?」

     痛い! これもデジャブだな!?
     オレの首に顔をうずめた類は、あろうことかルイの噛み跡に重ねるようにして勢いよく歯を立てた。痛いところに痛いのを重ねるからますます痛い。泣きそうになってきた。

    「おい、類!?」

     痛みを堪えつつなんとか離れようともがくが、いつの間にか肩をがっちりと掴まれて動けない。こんなところで馬鹿力を発揮させるんじゃない!
     じたばたと暴れたおかげでようやく口を離したと思ったら、傷跡をぺろりと舐められて、「ひゃうっ」と情けない声が零れた。と、同時に聞こえる舌打ち。は? オレ噛まれた上に舌打ちまでされたのか? 理不尽すぎる。
     何か文句を言ってやりたいのにパニック状態で言葉が出てこない。口をぱくぱくと開け閉めしていると、やっと顔を上げた類がギラギラした目でこっちを射抜いた。

    「あー、なんかイラつくな。ねえ司くん、二度と他人にこんな跡付けさせないでよ。ショーにも支障がでるでしょ?」
    「……たった今、お前のせいで余計にひどくなったんだが……」

     緊張で口が乾いていて、掠れた声で非難する。驚きのあまり普通に返事をしてしまったが、目の前の男はにっこりと笑った。満足した獣のように紅い唇が弧を描く。ようやく肩に置かれた手が外され、解放された体からどっと力が抜ける。騒ぎの張本人は先ほどのことなんか忘れたかのようにケロッとした様子で昼食用の袋を漁っていた。
     ……何だかめちゃくちゃ疲れた。ため息をつくと、思い出したように心臓がばくばくと暴れだす。何だったんだ、今のは。オレはよくわからないくらいにドキドキしてるというのに、横にいる類は何ともないみたいな顔で菓子パンを頬張っている。これは子供の癇癪みたいな、ただの友人に対する独占欲なのか……。
     オレは先ほどから鳴りやまない鼓動を抑えるように胸元に手を当てて、ぼうっと類の横顔を見ていた。





     ……あれが友人への独占欲なわけあるか!!
     時間差でふつふつと怒りが沸いてきて、思わず自分の頭をかきまぜる。世の友人同士があんなことをしていたら爛れすぎだ。あいつ、あいつ……オレのことが、す、好きなんだろうか。首筋の傷跡を苛立たしいと言って、上書きした時のあの視線。――あの瞳の奥の熱、なんとなくわかった気がする。ルイと同じ熱だ。ただし、これはルイがオレのことを好きだと(好感度で)知ってなきゃオレも気づかなかったかもしれない。……そう考えると鈍い奴同士でお似合いかもな。はあ……。

    「ちょっと、何やってんの」

     学園の壁に向かって頭をあずけ、昼休みの類のことを思い出しては百面相していたオレに寧々が声をかける。どんな顔をしたらいいかわからず、とりあえず振り向いたオレを、寧々がじろじろと――特に首元を見ていた。ああ、衝撃的すぎて隠すことすら忘れていた。

    「……首の傷、酷くなってない?」
    「……現実の類にやられた」
    「はああ!?」

     目を見開いて動揺する寧々に今日あったことを話すと、寧々は体中の空気を吐き出すんじゃないかってくらい、深い深いため息をついた。あんまりため息ばかり吐くから、寧々がすり減っちゃうんじゃないかと最近ちょっと心配だ。

    「ね、寧々も類はオレのことを……す、好き、だと思うか……?」
    「は? じゃなかったらウソでしょ。あんなにわかりやすいのに」

     恥を忍んで問いかけたのに、寧々にバッサリと切り捨てられてしまった。そんなにバレバレだったのか、あいつ。ということは、これは昨日今日の話ではないらしい。

    「でもあいつ、自分の感情に気づいてないんだぞ!? オレは『何かムカつく……』で噛まれたんだぞ!?」
    「だからめんどくさい奴なんだってば。あとシチュエーションとか知りたくないからモノマネしないで」
    「寧々~」

     冷たくあしらわれて情けない声が出てしまった。年下の少女に頼るのもなんだが、このざわざわした気持ちは自分ひとりじゃ抱えきれないのだ。せめて話だけでも聞いてほしいというのに、寧々の態度はつれない。

    「うう……困ったな……。どうやって自覚させてやるべきか……」
    「――それって」

     寧々の息をのむ気配がする。何か変なことを言っただろうかと様子を伺うと、あちらもオレの顔をまじまじと見ていた。

    「それって、類が自覚したら司は付き合うってこと?」
    「は!?」

     寧々の一言に時が止まったかのように頭が真っ白になって、それから急激に体温が上昇したのがわかった。熱い、全身が熱い。
     ビックバンだ。オレは類に自覚させてやることばかり考えて、その後のことなど何一つ心配していなかった、というか何も考えていなかったのだ。でも寧々の言う通りだろう。恋心に気づいたからには何かしらアクションがあるはずだ。あの類が、好きだって言って、手を握って、オレの目を熱っぽく見つめて、それからあの顔が近づいてきて――。

    「妄想ストップ! ちょっと司、露骨すぎ!」
    「へ、あ、そうだな!?」

     寧々の声でハッと我に返る。いかん、想像の類に意識が引っ張られて惚けてしまった。未だに熱い顔を冷まそうと手の甲を押し当てたりしてみるが、その手も熱を持っているせいであまり意味が無い。
     つられたのか寧々も顔を赤くしながら、気を取り直すようにパンッと手を叩いた。

    「と、とにかく早く攻略クリアするよ!」
    「そうだな、よし! 早速ルイに告白してくる!!」
    「ちょっと司!?」

     熱が頭に回りすぎたのか、こんがらがって脳みそがぐるぐる状態になってしまったオレは、とにかくルイに会わなければいけない、という強迫観念みたいな思いで学園内をせかせかと歩き回った。後ろから寧々があわてた様子でついてくる。
     案の定薔薇園の入り口で見かけたルイは、オレの顔を認識すると気まずそうに目を逸らした。前回あんな別れ方をしたんだからそりゃそうだ。

    「ルイ!」

     反対方向に向かおうとするルイの手をぎゅっと両手で握りしめれば、はじかれた様にぴくりと跳ねて、おずおずとこちらを見た。大きい図体のくせに捨てられた猫みたいで、胸がうっと詰まる。騒ぎ始める鼓動を誤魔化すように、胸を張って息を大きく吸った。

    「好きだ!!」

     張り切りすぎて空気がビリビリと震えてしまったが気にしない。さあ答えろ、と目に力を込めてルイをじっと見つめると、ルイは目を見張ってぱちぱちと瞬き、「僕もだよ」と寂しげに笑った。お、おお……? 予想とだいぶ違うな。ここはルイも泣きながら喜んで無事ハッピーエンドのはずだったんだが……。

    「……でも君のそれって、誰にでも向けられる愛情なんだろう? 昨日の贖罪のつもりかな。僕のことはもう放っておいてくれ」

     目を伏せて、傷ついたような顔で言葉を吐き出したルイは、オレの手をそっと外すとふらりとその場を立ち去って行った。予想だにしていなかった返答に呆然と立ち尽くす。掌にはまだひんやりとした熱が残っている。
     好きな人に告白されたら喜んで応えると思ったのだが、違うのだろうか。ルイは違うんだろうな。繊細というか、考え込む性格というか――。

    「めんどくさ」

     一部始終を眺めていた寧々がボソッと呟いた。

    「寧々、はっきり言うなあ……」
    「だって好感度90%超えでこれって、めんどくさすぎるでしょ。変に考えないで頷けばいいのに」
    「オレもそう思うんだが、あともう一押し足りないんだろうか……」
    「うーん……どうにかしてあっちから告白させるぐらいの勢いつけないと……」

     勢い、勢いか……。好感度を100%にすれば流石に恋人になれないだろうか?
     二人して頭を抱えながら唸っていると、寧々が何か思いついたように「あっ」と声を上げた。脳内フォルダを検索するようにトントンとこめかみを叩いている。

    「近いうちにダンスパーティーが開かれるって。絶対重要イベントでしょ」
    「ダンスパーティー?」
    「生徒は原則参加。学園内の行事だけど貴族の社交場も兼ねた催しみたい。ここでルイと踊れば嫌でも好感度マックスになるって」
    「まあ、ロマンチックな場面ではあるよな。……しかし、男同士で踊るのか?」
    「この世界観ならありでしょ。じゃ、特訓しといてよね」
    「は?」

     特訓? 疑問符を浮かべるオレににっこりとかわいらしく笑うと、寧々は手をひらひらと振った。有無を言わせない笑顔だ。とりあえずパーティーへの参加は決定事項らしい。





     ここ最近恒例になりつつある寧々との定期連絡は、主に朝のホームルーム前か昼休みにおこなわれている。反省会と、ルイをどう攻略していくかが議題だ。オレたちは一蓮托生だものな、と言うと露骨に嫌な顔をされるので口にはしないが。本日の定例会は朝の中庭だ。

    「ダンスだけど……こういうのってやっぱりワルツとかかな」
    「ワルツなら踊れるぞ!」
    「女性側をね」
    「うぐっ」

     考えないようにしていたことを指摘され、喉から変な声が出た。そう、男性側なら昔練習したから基本はわかるのだ。しかし今回の相手、悔しいことに身長的にルイが男性側をやった方がスマートだろう。流石にオレも女性側は踊ったことが無いから、ある程度練習が必要だ。そうなると、誰にこのダンス特訓を頼むかと言うと――。

    「類しかいないでしょ」

     ばっさりと切り捨てられ、がくっと肩が落ちる。待て待て。

    「あいつ、お、オレのこと、すすす好きなんだぞ? その状態でダンスの練習だと?」
    「何か問題ある?」
    「大ありだろう!」
    「本人なんだから身長はぴったり同じ。もしかしたらこれで類も自覚するかもしれない。一石二鳥じゃん」
    「か、簡単に言いおって……」

     寧々の言い分はわかるが、心の持ちようというのがあるんだ。ダンスってことはあれだ、体をぴったりとくっつけるんだぞ。あの無自覚マンが熱っぽい視線を至近距離で浴びせてくるんだ。そんなことされたらオレだって……。
     また空想の世界に入りそうになってぶるぶると首を振る。例えば類が恋心を自覚して、告白されたとして。その先を考えようとするとショートしたみたいに思考が固まる。自分の気持ちがわからないから、どうすればいいかもわからない。……本当に、オレはどうしたいんだろう。





     昼休みに類を屋上に呼び出すと、類はオレと一緒にいた寧々の姿に目を止めて不思議そうに目を瞬かせた。今でこそオレと寧々はよく会って作戦会議をしているが、前までは目立ちたくないと言って避けていたからな。

    「やあ。お願い事があるって言うから来たんだけれど」
    「そう、類に頼みたいことがあって。なんか、司がスターになるために社交ダンスを一通り身に着けたいって言うんだけど、女性側もなんだって」
    「あ、ああ! 女性役のしなやかさを身に着ければ、芸の肥やしになるだろうしな!」
    「わたしが練習相手になろうとしても身長足りないし」
    「……それで僕に?」

     類への説得に関して、寧々は「わたしに任せて」と言っていたが、まあ自然な流れだろう。寧々のどうでもよさそうな表情は演技とは思えないくらい自然だ。……演技だよな?
     類は少し考えるそぶりをして、それからにこやかに微笑んだ。

    「うん、別に構わないよ」
    「助かった、類! 感謝するぞ!」

     とりあえず第一関門突破だ。あとはオレの羞恥心が耐えられるかどうかだけである。
     胸をなでおろすオレを一瞥すると、寧々がふん、と鼻を鳴らした。

    「じゃあわたしはこれで。よろしくね、類」
    「え、いないのか!?」

     さっさと帰ろうとする寧々に驚いて声を上げてしまった。よく見れば昼休みなのに弁当箱も何も持っていない。最初から長居する気はなかったのだ。てっきり寧々も一緒に練習に参加してくれるものだと思っていたから、思わず「寧々~」と情けない声を出してしまった。だって二人きりでダンス練習なんて、最悪オレの心臓が止まってしまう。
     そんなオレを歯牙にもかけず、寧々はがんばれ、と口パクすると、意地悪っぽく笑ってスタスタと屋上から出て行ってしまった。夢の中でいつも一緒にいるせいか、寧々がそばにいてくれたら心強かったのに。ああ……。

    「司くん?」

     うなだれているオレの肩をぽんっと叩く類の表情は、笑っているのにちょっと怖い。まずい、お願いしておいてがっかりした様を見せるのは失礼極まりないな。

    「すまん。とりあえずランチにするか」

     誤魔化すように笑うと、類は納得してくれたのか大人しく座った。
     今日も野菜を交換してくれと嘆く類に(そもそも野菜入りのものを買うんじゃない)食べられそうなものをピックアップして分けてやる。餌付けしてるみたいだ。嬉しそうに肉団子を頬張っている姿が動物みたいで撫でてやりたくなる……こんな大男に抱く感想じゃないのはわかっている。最近類と一緒にいるとオレらしくない感情が湧き上がってきて、ちょっとおかしい。
     こんな調子でダンス練習、大丈夫なんだろうか。





     せっかくだから早速練習をしよう、と類に促されたため、ランチが終わって一休みした後、オレ達は向かい合って立っていた。

    「ちなみにどのダンスがいいとかってあるのかい?」
    「とりあえずワルツだけでいいんだ」
    「なるほど」

     どうぞ、と類が左手を差し出す。それだけで様になるんだから罪な男だ。恐る恐る右手を伸ばし軽く握る。類の背中に左手を当てようとすると、フフっと相手から笑い声が漏れた。

    「司くん、女性の手はこっち」
    「す、すまん。つい」

     優しく左手を誘導されて類の右腕に乗せると、類はそのまま右手をオレの背中に添えた。じんわりと掌の温かさが伝わる。

    「もっと体を密着させて」
    「わかった……」

     これは練習、これは練習。念仏のように唱えて下半身を近づけ、類の右手に体をあずけた。もたれるように上体を反らす。

    「司くん」
    「ひゃいっ」
    「フフ、変な声」

     そりゃあ耳元で囁かれれば変な声も出る! 吐息が髪を揺らし耳をくすぐってぞわぞわとする。普通にしゃべってくれ!
     オレの願いが通じたのか、クスクス笑っていた男は姿勢を正して普段のトーンで話しかけてきた。最初からそうしろ。

    「男性役の動きを考えるとこんがらがっちゃうだろうから、僕に身を任せて。試しにステップを踏んでみよう」

     合図に合わせて。カウントするよ。
     そう言って数字を刻み始める涼やかな声。
     気づいたら類の左足に合わせて右足が動き出していた。1・2・3、4・5・6。ここでターン。繋いだ手は優しいのに、ぐっと引っ張ってくれる安心感に身を任せ、流れるままにくるくると二人きりの屋上を回る。楽しい。初めて踊っているのに、初めての気がしないくらい呼吸が合う。オレがちょっとまごつくと、こっちだよと優しく誘導されて、じゃあ全部お前に任せてやるって気持ちで全てを投げ渡せばぴたりと動きがハマる。だんだんオレもコツを掴んできて、まるでショーをしているときのようにわくわくしてきた。
     穏やかな声でカウントを続ける類の横顔をチラリと見る。顔がいい。己が作り出したとはいえ、こんなかっこいいシチュエーション、ずるすぎないか。
     八つ当たりまがいの視線を投げつけていたら、ふと類が視線を合わせていたずらっぽく笑った。

    「なっ」

     足がぐっと踏み出される。急に類がステップを大きく踏んでくるくるとターンが連続していく。わ、わ、と焦るオレをよそに、類が楽し気な笑い声を上げた。

    「おいっ類!」
    「あはは! 未来のスターならついてこれるだろう!」
    「なにを~!」

     安い挑発だとわかっていつつムキになって力がこもってしまう。もうステップなんてめちゃくちゃだ。どんどんスピードを上げていって、くるくるとでたらめなターンが続いていく。こんなの練習の意味なんて全く無い、ただのバカ騒ぎだ。でもそれが楽しくて楽しくて、思わず類の顔を見上げたら、ぱちんとウインクが飛んできた。
     合図だ。何となくわかった。
     くるりと一回転した後、上体を反らす。背中に添えられた類の右腕に力がこもった。
     ぴたりと止まる体。類の指示通り、ばっちりフィニッシュを決めたオレを見るレモンイエローの瞳は、サイダーが弾けたみたいに光の粒がきらめいている。はあはあと少し息を切らして上下する胸。心臓がとくとくと速足で鳴っていて、昼食後だというのに何やってるんだか、と思うとやけに笑えてしまった。オレの笑い声に重なるように類の笑い声が屋上の空に抜けていく。

    「あー、しんどかった!」
    「その割に楽しそうだったじゃないか」
    「お前のせいだろうが!」

     類の軽口に文句を言って、ぺたりと二人同時にコンクリートの表面に座り込んだ。何もしていないのに、呼吸のたびに笑い声が口から零れてしまう。ああ、こんな風にはしゃぐのなんて久しぶりかもしれない。すごく楽しくて、ずっとドキドキしている。隣に座る類の、優しい瞳の色。

     ああ、好きだな、と唐突に思った。

     そう思ったら、胸がぎゅうーっと締め付けられたように苦しくなって、咄嗟に胸元を手で押さえた。顔が歪むのがわかって、不自然にならないように俯く。
     なんだ、オレ、類のことが好きだったのか。なんだ。
     最近頻発するようになったドキドキは、このせいだったのか。ストン、とようやく腑に落ちた。
     ずっとずっと、こんな風に笑い合っていたい。さっきのワルツみたいに、ずっとお前の隣を歩んでいきたい。そうしてきらきらと輝くその瞳に、オレを映していてほしい……。
     急に黙ってしまったオレに、類が不思議そうな顔をする。

    「司くん?」
    「いや……お前、社交ダンスまでできるんだな」
    「振付を考えるために少しかじったんだ。司くん、ダンスは得意だからすぐに上達しそうだね」
    「未来のスターだからな!」

     類の素直な称賛が嬉しくて、体いっぱいに胸を張る。そんなオレを見つめる類の目が、甘くて、甘くて。大切だって嫌でも伝わってくるから、じわりと頬に赤みが差していくのがわかる。
     こいつ、これだけハイスペックのくせに、自分の気持ちには鈍感なのか。はっはっと笑い声が漏れる。オレもお前も、鈍い者同士でお似合いかもしれない。
     ついさっき名前がついた想いが次から次へと溢れ出てきて、早く口から出せとオレをせっつく。でも、まだだ。こいつが自分の気持ちに気づくまで、伝えてやらない。オレばっかり振り回されてちょっと面白くないというのもあるが、絶対に混乱して、明後日の方向に行きそうだからな、こいつ。それに――ルイのこともある。あいつの問題を解決してハッピーエンドに導いてやらないと、もやもやが残ってオレが嫌なのだ。あいつも類だ。ならば、笑顔にしてやらないとな!

    「……司くん?」

     難しい顔をしたと思ったらむふむふと笑い出したオレの名を類が呼ぶ。それに「何でもない」と返して、次の練習の約束を取り付けた。何はともあれ、まずはダンス特訓だからな。





     昼休みの空いた時間を使ったダンス練習は思いの外順調に進み、二、三日もすればオレのワルツも大分様になった。これも類のおかげである。結局類は自分の気持ちを自覚することなく、寧々の言う『一石二鳥』は訪れなかった……いや、オレはようやく気付いたんだからその通りになったのか。

    「司くん、大分上達したね」

     このように類からもお褒めの言葉を貰えたのだから、ダンスパーティーでもばばっと成果を披露して、ルイを大いにときめかせるだろう。ふはは! オレにかかれば容易いな!

    「……司くん?」

     類の声に不穏な影が乗る。最近の発見として、オレがルイのことを考えているとどうしてか察知して、ちょーっと不機嫌になるのだ。どんな超能力だ。
     言い訳をさせてもらうと、今この瞬間もダンス特訓でオレと類の体は引っ付いているのである。少しくらい目の前の男以外のことを考えたって罰は当たらないだろう。じゃないとすぐに顔が熱くなってしまうので、オレは役者オレは役者と唱えて平常心を保っているのだ。
     類はオレの反応に片眉をひょいっと上げて、何も言わずにステップを踏んだ。くるり、くるりと回ってフィニッシュ。類のリードが上手いのもあるが、息がぴったり合うこの瞬間はやはり気持ちがいい。

    「ありがとう類、これで完璧だ!」
    「どういたしまして。ところで……」

     今日で練習はおしまい、と示し合わせてあったので、礼を言って離れようとしたのに、ホールドされた手ががっちりと組まれて身動きできない。んん?
     いつの間にか類の顔が真正面にある。

    「これは演技の練習なんだよね? 本番なんてないよね?」
    「ほ、ほんばん……」
    「踊るのは、僕とだけにしてね」

     心なしか声の圧が強い。
     類の猫みたいな目が細まって視線が首元に落とされる。前に、こいつが噛んだところ。大判の絆創膏で隠した傷跡が、焼けるような視線に晒されてじりじりと熱を持っていく。せっかく抑えていたはずなのに、ぽっぽっと顔に血が集まっていくのがわかって顔を逸らすと、頭上でクスクスと笑う気配がした。
     何だこいつ、普段は甘えたの猫みたいな顔してるくせに、この獲物を狙うような目は。ぎらぎらと光って、未だに両手を離そうともしない。これで無自覚だって言うのだから、バカみたいな話だ。早急にセカイをハッピーエンドに導いて決着をつけないと、オレの心臓が持たないかもしれない……。





     さて、類には釘を刺されてしまったが、そもそもルイと踊るのが当初の目的なのだからこればっかりは仕方ないだろう。それにあいつ自身も同然なのだから、嘘はついてない……想像の類が冷ややかな眼差しを向けてくるが、頭の隅に追いやっておく。
     ここ数日はルイに会ってもおざなりな返事ばかりされて、すれ違ってばかりだ。出会った時のように心を閉ざしてしまったのでは、と不安も一瞬過ったのだが、寧々曰く好感度は依然高いままらしい。それはそれで難儀な男である。

     ダンスパーティーの会場は学園で一番大きなホールを利用するらしい。天井から吊り下げられた大きなシャンデリアがダイヤモンドみたいにきらきら光っている。部屋中が飾り付けられていつも以上に豪華だ。ホールの隅では管弦楽団が指慣らしに何度か音を鳴らしていて、オレはそれをぼんやりと眺めながら自分の襟元をくつろげた。

    「ちょっと」

     すぐさま寧々の鋭い視線が飛んでくる。

    「すまん、首が苦しくて……」

     今日は大勝負の日である。これまでの眠れない日々の集大成と言ってもいい。寧々は少し怖いくらいに真剣な目でオレを飾り立ててくれて、珍しく「かっこいい」と太鼓判を押してくれた。
     そんな王子に相応しい盛装をしたオレはやはり人目を引くようで、ホールに集まった、これまたきらびやかな恰好をした生徒達からビシビシと視線を向けられている。曲がりなりにも王子だから、この機にお近づきになろうという思惑が透けて見えてしまう。しかし今のオレはルイにしか用事がないのだが……。
     キョロキョロと辺りを見回してもあの特徴的な髪色は見当たらない。そうこうしているうちに一人の女子生徒にダンスに誘われてしまい、申し訳ないが丁重に断った。王子の体裁としても、本番前の練習としても踊った方がいいのかもしれないが、一応類と約束したからな。
     いつの間にか離れていた寧々が、またこそこそっと寄ってくる。

    「ルイ、薔薇園にいるみたい」
    「お、本当か。ありがとう寧々」
    「決めてきてよね」

     どうでもいいけど、という態度を取りつつも言葉には力がこもっている。寧々なりの激励だろう。ここまでお膳立てされて失敗するなんてありえない、自分を鼓舞する意味も込めて「まかせろ!」と拳を握った。



     夜の薔薇園は鬱蒼と茂った葉が周りの音を吸収しているかのように静かだった。物音ひとつない中、オレの靴が石畳を鳴らす音だけが響く。日中は艶々とした緑の葉も、建物の光が届かないここじゃ真っ黒に見えて少し不気味だ。
     アーチを潜り抜けた月明かりの下、静かに佇むルイの白い横顔がやけにくっきり見えた。

    「ルイ、探したぞ」

     オレの呼びかけに驚く素振りも見せず、こちらに顔を向けてわずかに微笑む。

    「パーティーには行かないのか」
    「生憎と、ああいう場は苦手でね。ツカサくんこそ、王子様がこんな所にいていいのかい」
    「お前がいないからな」

     類の言いつけに従わなければ……という訳ではないが、想い人がいない場所に留まる必要はない。この衣装もダンスも、目の前の男のために用意したのだから。
     ルイは少し目を見開いた後、オレの全身を優しく撫でるように見つめた。……くすぐったい。

    「……似合っているよ」
    「ふふん。そうだろうそうだろう!」
    「パーティーに戻らなくてもいいのかい? もったいないよ」
    「そうだな。せっかくめかしこんだんだ、ダンスをしなければもったいないと思うだろう?」

     遠くの方から弦楽器の音が聞こえてきた。ダンスパーティ―が始まったのだ。楽しそうなざわめきが微かに伝わってきて、静かな薔薇園を優しく包み込む。
     ……思えば些細なきっかけでこのおかしなセカイに迷い込んでしまったものだ。物語を終わらせるために恋の相手を選べなんて言われて。オレは恋なんかしたことなかったから、どうしたらいいのか考え込んでいた時にルイと出会って。どうしても笑顔にしてやりたい、なんて、不思議と強く思ったけれど、今考えればわかりきったことだった。なあ類、オレ達って鈍感だ。

    「ルイ、誘ってくれないか」
    「え……」
    「お前のために練習したんだぞ。オレに恥をかかせる気か?」

     一歩足を踏み出すと、カツンと乾いた音が鳴った。手を差し出せば届く距離だ。
     ルイの目をじっと見つめると、ルイもオレの目を見つめる。しばらくお互いの顔を見つめ合った後、静かに息を吐きだした類の頬には、少し赤みが差していた。そっと左手を差し出す優雅な仕草。こいつの方がよっぽど王子様みたいだ。

    「……では、僕と踊ってもらえませんか?」
    「もちろん」

     一つ返事で頷き右手を乗せると、ルイの右手がオレの背中に回った。遠くから聞こえる三拍子に合わせて、ゆっくりと足を運び始める。背中をあずける手は、大きい。
     薔薇園の中はティーテーブルがあるし決して広いとは言えない。だけど青い薔薇が咲き誇る中、オレ達はゆったりと、何にも邪魔されることなく踊る。お互いの体温だけを感じながら。

    「上手だ。誰と練習したんだい?」

     囁くように聞かれて、ぶるりと背筋が震えた。いたずらっぽく笑う顔。こいつ、ちょっと調子が戻ってきたな。いいんだか悪いんだか……まあ、塞ぎ込んでいるよりよっぽどいいか。
     練習に付き合ってくれた類の顔を思い浮かべる。ルイと踊るオレを見て、不機嫌そうに目を眇める顔が想像できて思わず笑ってしまいそうだ。それがちょっと嬉しいなんて、性格が悪いだろうか。

    「――秘密だ」
    「ふうん……妬けるな……」

     そう言うルイの表情が想像の類そのままで、オレはこらえきれずにプッと吹き出してしまった。こんな所までそっくりじゃなくていいだろうに。
     抑えようとしても、ふ、ふ、と笑い声が零れてしまって、つられたようにルイもクスクスと笑い出した。箸が転がってもおかしいなんとやらだ。小さな声で笑いながらくるくると回っているといつの間にか音楽は止んでいて、それでもオレ達は寄り添ったまま体を揺らしていた。

     類のことが好きだ。でも、同じようにルイにも好意を抱いている……と思う。ルイに出会わなければオレは自分の想いに気づかないか、もっと遅くに気づいただろうし、それでなくても類にそっくりなんだ、仕方ない……と思うのは都合がよすぎるだろうか。これって浮気に入るのか? ……わからないが、ルイにも幸せになってほしいと思っているのは確かだ。
     静けさの戻った薔薇園はどこかひんやりとしていて、けれど重ねた掌の熱が体に伝わって、ぽかぽかと心が温かい。ルイの体に身をあずけると、とくとくと跳ねる心臓のリズムが聞こえてくる。生きている音だ。

    「ツカサくん」

     柔らかな声に仰げば、月の光に照らされたルイの瞳が間近にあった。淡く白い光が差し込んで、金色がとろりときらめく。

    「君がダンスを練習したって聞いて、気づいたんだ。君が練習したであろう相手に嫉妬して、でも僕のためだと思うと天にも昇るくらい嬉しかった。……絶対に誰にも渡すものかって」

     息を吸う音がする。

    「僕、君のことが好きだ」

     ぎゅうっと抱きしめられる。力強く、でもオレが苦しくないように、優しく。
     ルイの表情はわからなかった。でも顔の横にある耳が真っ赤になっているのを見た瞬間、急激にオレの心臓がばくんばくんと鳴り始めた。
     告白だ。人生初めての告白を受けてしまった!
     これこそが目的だったはずなのに、急にパニックになってしまって手が震える。恋の告白って、想像以上のパワーだ。物語や芝居でわかった気になっていたけれど、こんなに心全部を揺さぶられるものだなんて思わなかった。息をするのすら難しくて、どうやって呼吸してたんだっけ、なんてバカみたいな考えがぐるぐる回る。
     とにかく返事だ、返事をしなければならない。

    「――お、」

     オレもだ、と返そうとして、喉がつっかえた。

     ……ここでオレも好きだと伝えれば、物語はめでたしめでたし。想いの欠片は満足して、この物語は閉じられるだろう。でも、その後は?
     オレは晴れて元の世界に帰って、いつものようにみんなと一緒にショーをして、もしかして類と進展があるかもしれない。でもルイは? オレがいなくなって、また一人ぼっちに戻るのか? それともこのセカイは消える? ――それって、ハッピーエンドなんだろうか。
     考えすぎなのかもしれない。この物語は所詮フィクションで、登場人物だって架空の存在だ。でも、こうやって互いの熱を感じて、ありったけの想いをぶつけられてしまったら、もうそんな風には考えられない。こいつだって類なんだ。孤独に喘いで、でも今、勇気を振り絞って愛を伝えてくれている。
     一度そう思ってしまうと、ルイを抱きしめ返そうとした腕を動かせなくなってしまって、中途半端に浮かせたまま固まっていた。次第にルイの腕から力が抜けていくのがわかる。
     違う、違うんだ! きっとルイは断られたと思って諦めようとしている。今までいろんなことを諦めたように、オレのことも。
     そうじゃない、でも、どうしたらいいのかわからない。答えの出ない問いに必死で頭を巡らせるオレの脳みそに、いつかの時と同じ声が降ってきた。直接頭に届けられる、不思議な感覚。

    『大丈夫だよ!』

     ……底抜けに明るい、でも芯のある力強い声。――ミクだ!

    『ミクを信じて! 絶対、ぜ~ったい! ハッピーエンドになるから!』

     ……ミクが言うならそうなのか、と何の根拠もないのに思えてしまう不思議な力がある。ここは信じるしかない。
     みんなが笑顔で終われるハッピーエンドにするんだ!

    「ルイ」

     固まっていた腕を動かしてそっと抱きしめる。ルイの体がぎくりと硬直した。お前、オレが抱きしめても抱きしめなくても心臓の音がひどいじゃないか。まあ、そうだよな。恋って、すごく体力勝負だ。
     体と体の隙間を少し開けて見上げれば、不安に揺れ動く瞳。

     ――待ってろよ。

    「オレも、好きだ!」

     ルイの頬を両手で挟んで笑ってやる。大きく開いた目が見る見るうちに歪んでいって、真ん丸お月様がそのまま零れ落ちてきそうだ。
     いつかの時の、勢いだけの告白とは全く違う。今思えばルイが頷かなかったのは当然だな。あの時のオレは自分の気持ちすら曖昧で、言葉だけが先走っていた。
     ルイは一回、二回と口を開いて、それでも言葉が出てこなかったのか、震える唇でなんとか笑みの形を作った。
     ……それがものすごく幸せそうで。
     よかった、ルイを笑顔にできて本当によかったと、ただただ感じていた、ら。

    「ツカサくん……」

     お返しのようにオレの両頬に触れる、ちょっと骨ばった、でもすらりと長いひんやりとした手。熱っぽく見つめる金色が、どんどん、どんどん近づいてきて、ぼやけて――。
     待て待て待てストーーップ! こ、このままだと、き、キスしてしまうだろうが!
     だ、ダメだ! そりゃあルイのことは大切に思っているが、こういうのは……しかもファーストキスなんだぞ!? 手が早すぎるだろうが!!
     オレがパニックになっている合間にも、ルイの瞼がゆっくりと落ちていく。徐々に隠れる金色に、それを縁取る長い睫毛。もうほんの数センチもない! 待ってくれ!
     唇に吐息がかかって、それで、それで――。

     目の前が、真っ白になった。





    「すすす、すまん! やはりオレには類が……! ……あ?」

     目の前の体をどかそうとして突っ張った腕がわたわたと空を掴み、不思議に思って閉じていた目を開くと、ぽかんとした表情の寧々。……はて?
     ぐるりと見渡せば、見慣れたサーカステントに空飛ぶ汽車、メリーゴーランド……右手側に満面の笑みを浮かべたミク。にぱ~っと効果音が聞こえてきそうなほど。ということは、ここは――。

    「お帰りなさい、司くん、寧々ちゃん! あ~んど、ハッピーエンド大成功!」

     わーいわーい、とぴょんぴょん跳ねてるミクを横目に、オレと寧々はしばらく顔を見合わせて……同時に深~い息をついた。肩の荷が下りて、心なしか体が軽くなった気がする。ルイとオレが結ばれることで、ようやく、ようやくあの摩訶不思議なセカイが終わったのだ。そりゃあ安堵のため息もでる。
     ――そうだ、ルイはどうなったんだろう。

    「ほら司くん、見て見て♪」

     すべての元凶である想いの欠片をひょいっと拾ったミクが、大事そうに掌に乗せてオレに突き出した。う……反射的にのけぞってしまったが、きらきらと虹色に輝く表面に薄っすらと人影が見える……。
     ルイと……オレ?
     見慣れた薔薇園で寄り添うルイとオレ――ツカサは、お互いだけを見つめ合い、ゆっくりと顔を近づけて、そっと唇と唇を……ぉおおおおお!? うおーーーッさっきの続きか!?

    「ぎゃーーーー!!!」
    「司うるさっ」
    「すすすすすまん!? いや、だめだこれは! 見るんじゃない!!」
    「だからうるさいって」
    「わあ~ラブラブだね~☆」

     何が悲しくて自分のキスシーンの観賞会をせねばならんのだ!!
     みんなから隠したいのに、欠片に触れたらまた想いのセカイに入り込んでしまうんじゃないかと心配で、ひたすら手を上げたり下げたりしていたら、欠片の中のツカサがこっちに視線を向けた……目が合った?
     ツカサは口の端を上げて笑うと、パチンッとウインクを決める。そのまま再びルイと顔を寄せたところで……すうっと映像が消えてしまった。後に残るのは、初めて見た時と変わらない虹色の表面。もう何も映し出す気配は無い。

    「めでたし、だね。よかったじゃん」
    「そう! 大好きな人と結ばれてめでたしめでたしだけど、二人の物語はずーっと続くんだよ!」

     寧々が嬉しそうに笑って、ミクが掌の欠片を優しく包む。その様子に、ようやく物語が終わったんだという実感がじわじわ湧いてきた。
     そうか……二人はハッピーエンドを迎えられたんだな。よかった……。王子と没落貴族の息子じゃ色々大変なこともあるだろうが……その後の物語はあっちのセカイのオレがなんとかしてくれるだろう。なんたってオレだから、絶対に幸せな結末になる。それに、二人で笑い合っていた。
     本当に、よかった。





     想いのセカイはハッピーエンドを迎えて一区切りつき、晴れてオレもお役御免である。でも、もう少し物語は続くのだ。

     セカイから現実に戻ってきた翌日。少し肌寒いが、空は真っ青ですこぶる天気がいい。オレの成功を祝福しているかのような爽やかな朝だ。
     もう作戦会議は必要ないのに、なんでか示し合わせたようにオレと寧々はいつもの中庭で会っていた。ハチャメチャに疲れたが、終わったら終わったでちょっと感傷的な気分というか……きっと寧々もそうなんだろう。

    「世話になったな、寧々」
    「べつに。ま、大変だったけど、ハッピーエンドになってよかったんじゃない?」

     めんどくさそうにしつつも、何だかんだ嬉しいらしい。優しい目をしている。
     つい昨日までのことなのに無性に懐かしくてああだこうだと思い出を語っているうちに、トンデモ発言が寧々から飛び出した。

    「今度は司と類の番だね」
    「は?」
    「これだけやきもきさせられたんだから、こっちでも無事にくっついてもらわないと」
    「ゴホッ、な、な、なにぃ!?」

     びっくりしすぎて咳きこんでしまった。
     オレは類のことが好きだと伝えていただろうか!? 何故知っているんだ……! と驚いたのだが、なんと最初も最初、ルイを選んだ時点でピンと来ていたらしい。それで、類の好意に気づいても嫌がらなかったのが決定打なんだとか。お、恐ろしい……恥ずかしい……。
     オレが女の勘に恐れおののいていると、「恋のキューピッド、してあげようか」と面白がるように言われた。というか完璧に面白がっている顔だ。

    「ま、その必要は無さそうだけどね」
    「どういうことだ?」

     にやにや笑いを続ける寧々が顎で示した方を見ると、遠くから類が真っ直ぐこちらに歩いてくる。こんな早くに登校するなんて珍しい……やけに真剣な表情をしているが?

    「な、なんだ?」
    「最近、わたしと司がいつも一緒にいるでしょ。付き合ってるのかって探りを入れられたの。もちろん否定したけど、ちゃんと捕まえてないと誰かにとられちゃうよって。それでようやく自覚したみたい」

     ふふ、と寧々が意味深に笑う。
     ということは、だ。隣にいる寧々を見て焦った表情をしている類が、少し足を速めているのは。遠くからでもわかるくらい、熱っぽくオレを見つめているのは――。
     この後の展開にオレの方がドキドキしてきた。恋のキューピッドをしてあげようか、なんて寧々の奴、もう十分種を蒔いているじゃないか。策士だ。

    「うう……とりあえず、礼を言っておこう……」
    「グレープフルーツジュース、一か月分ね」
    「い……!? わ、わかった!」
    「じゃ、またね」

     そう言ってさっさといなくなる寧々の後ろ姿を見送る。小さな背中なのに、やけに頼もしい。寧々にはセカイで世話になりっぱなしだったが、まさか現実世界でも世話になるとは思わなかった。
     一か月分は少し痛手だが、類にも払わせてやる。嫌とは言わないだろう。

     体の熱を逃がすようにふーっと息を吐くが、何の意味も為さないどころか、どんどんと熱が上がっていく。ああ、顔が赤くなっていたらどうしよう。
     緊張した様子の類が近づいていた。いつも飄々としているくせに顔が強張っていて類の柄じゃない……が、それを嬉しく感じてしまうんだから困ったものだ。
     ――類がオレの目の前に来るまで、あともう少し。



     こっちの世界も、ハッピーエンド間違いなしだ。

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    3iiRo27

    DONEritk版深夜の60分一発勝負
    第二十九回 お題:「雨宿り」「兄弟」
    司視点 両想い
    20分オーバーしました
    「うわ、凄い雨だな…」


    薄暗い空から降り注ぐ大粒の雨に辟易しながら、傘を広げた。

    朝からずっと雨予報となっていた今日は練習も中止になってしまい、休日だったことも相まって突如暇となってしまったので、気晴らしにと外に出かけることにした。

    雨が降るとはいえ四六時中大雨が降るというわけではなく、強くなったり弱くなったりを繰り返しているから、合間に移動をすれば、と考えていたけれど、そう都合よく弱まるわけがなかったなと思いながら雨の中をゆったりと歩く。






    その時。視界に、不安そうな顔が写った。


    思わず足を止めて、そちらを見る。
    しまっている店の前で雨宿りをしながら不安そうな顔で空を見上げている、小学校低学年くらいの男の子の姿があった。
    そして、彼のその手には、折れてボロボロになった傘が鎮座していた。





    「…なあ、君。傘、壊れちゃったのか?」


    いてもたってもいられず、声をかける。
    ずっと不安だったのか、見上げるその目には、涙が浮かんでいた。


    「…うん」
    「お母さんや、お父さんは?」
    「いない。僕、お使いとお迎えに行ってるの」



    「お使いと…迎え?」
    「うん。 3388