夏虎ワンドロ:お題『夜』 先月からコンビニで夜勤のアルバイトを始めた虎杖は、ずっと気になっていることがある。
夜も更けてきた23時ごろ、必ず店の前を通り過ぎて行く男のことだ。
自分が働いている時、必ず店の前を通り過ぎる男。それだけなら別段珍しいこともなく、近所に住んでいる人なんだろうなという感想で終わるのだが、その男はどこか妙だった。
僧侶のような袈裟を身に着けているが、その髪は肩を越えるほどの長髪で、おまけにハーフアップのお団子結び。店の敷地内にある自販機とほぼ同じくらいの身長だったので、近くで見たらかなり大きいのだろう。姿勢が良いせいか、その歩き姿はかなりの迫力がある。虎杖はその男の横顔しか見たことが無いが、その横顔は思わず凝視してしまうほど端麗な顔立ちだった。すっとした鼻筋と、瞼の薄い切れ長の一重が印象に残っている。
容姿端麗で、長身で、長髪のお坊さん。
街中で中々――というより絶対見かけないであろうその独特な人物像に、虎杖はすっかり興味を持っていた。
(お坊さんってこんな遅い時間まで仕事してんのかなぁ。というかホントにお坊さん?)
同じ夜勤の同僚にその男について聞いてみるも、不思議なことに「そんな男は見たことが無い」と皆口を揃えて言う。確かに品出し中などは忙しくて外を見る余裕がないかも知れないが、自分は毎回あの男を見ているというのに。平日だろうが祝日だろうが関係なくだ。それなのに自分以外誰も見たことが無いというのはさすがに変な話だと思った。
俄然、あの男に対して興味がわいてくる。
あの男はどこから来てどこへ行くのだろう。なぜ必ずこの店の前を通るのだろうか。某深夜テレビの某探偵局にでも依頼したい思いでいっぱいだった。
そんなある日、虎杖は珍しく夕方からのシフトで働いていた。
本当なら今日は休みだったのだが、急な欠勤が出たという事で急遽ヘルプを頼まれたのだ。
「虎杖君、今日は本当にありがとうね。これ、よかったら持って帰って」
仕事が終わって帰り支度をしていると、店長からコンビニのレジ袋を手渡された。なんだろうと中をのぞいてみると、昨日出たばかりの新商品『揚げ物ドカ盛り丼』と、これまた新商品の『爆弾チョコ大福』が入っていて、虎杖はキラキラと目を輝かせる。
「新商品じゃん! 店長、いいんすか!?」
「いいのいいの。消費期限近いやつだけど、今日のお礼ね。また感想教えてよ」
「あざーっす!」
ピシッと九〇度折り曲げた見事なお辞儀をキメて、虎杖は休憩室を後にした。
早く帰ってこの丼ぶりに食らいついてやろうとルンルン気分でコンビニの自動ドアをくぐったその時、視界の端から『例の男』がぬっと現れ、虎杖の目の前をすぅと横切って行った。
(おわ……っ!)
突然のことにヒュッと息をのむ。いつも店の中から見ているだけだったが、今は二メートルもないくらいの距離から男を目の当たりにしている。近くで見るとやはり大きく、威圧感さえ感じてしまう。
しかし、確かに今あの男は目の前に存在しているのに、どこか夢の中のような、俯瞰でモノを見ているかのような、そんな非現実的な感覚を抱いた。
その場にぼうっと突っ立ったまま、男の背中が四つ角を曲がって見えなくなるまで見送った。と、背後の自動ドアが陽気なメロディーと共に開いたところでハッと我に返り、慌ててスマホを確認する。いつもあの男を見かける、23時を少し回ったころだった。
(いつもの時間……! やっぱりここ、毎日通るんだ)
何が自分をそうさせているのかわからない。ただ、どうしてもあの男の行く先を知りたいと思った。
あの男を見失わないように、と勢いよく走りだす。四つ角を曲がったら見晴らしの良い一本道だから、今ならまだあの男の背中を追えるはず。
そう思って四つ角を曲がったその瞬間、虎杖の目に映ったのは辺り一面の『闇』だった。
「えっ……?」
その先に続いているはずの道どころか自分の足元すら見えない、闇。これはどういう事なのかと思うより先に、虎杖の首元に何かがヒタリと触れ、それとほぼ同時に誰かが耳元で囁いた。
『君、やっぱり見えているね』
耳の中に直接流し込まれたようなその声に、全身が総毛立つ。反射的に後ろを振り向くと、鼻が触れてしまいそうなほどの距離にあの『例の男』の顔があった。
「……ッ!!」
いつのまにかあの男が自分のすぐ後ろにいる。周りは真っ暗闇なのに何故かその男の姿だけはハッキリと見えた。いつも遠目から見ていた、あの美しい切れ長の目が、虎杖の顔をじっと捕らえていた。
顔を反らすことができない。恐怖のあまりはくはくと唇が震える。浅い呼吸を繰り返していると、その唇を何かにつぅと撫でられた。震えて焦点の合わないまま目線を下にやると、虎杖を羽交い絞めにしている男の指が唇を撫で、もう一方の手で虎杖の首をじわじわと握りこむように締め付けていた。
『やはりただの猿じゃなかったか……。君、ずっと私を見ていただろう』
唇を撫でていた男の指が前歯をなぞり、ついに口の中に入ってくる。人差し指で舌の表面をぬるぬると滑った後、歯の裏側を一本一本確かめるように執拗に撫でてゆく。時折、乾いた唇を潤すかのように唾液まみれの指でその唇を撫でられた。溜まる唾液を飲み込むこともできず、口内を弄ばれる度に口の端からとぷりと唾液が溢れた。
『美味そうな匂いがするね』
男が口を開くたび、頭の中がぞくりと痺れる。不意にべろりと耳を舐められたかと思えば、肉厚的な舌が耳の中ににゅるりと入ってきた。
ぞくぞくと背筋が震え、ヒぅ、と声にならない悲鳴が喉の奥で消えていった。ねっとりと穴全体を舐めまわされた後、ぬぷぷと穴の奥まで舌が入り込んでくる。
「っは、ぁ……ッ!」
脚が震え、力が入らない。気が付けば縋るように男の両腕にしがみ付いてしまっていた。
『好奇心は猫をも殺す――って、誰かに教わらなかったかい?』
はは、とどこか愉しそうに男が笑ったあと、虎杖の意識はプツンと途切れた。
いつもと変わらない静かな夜。
二人が消えた四つ角の先には、コンビニのレジ袋がひとつ取り残されていた。
おわり