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    サクまめ

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    サクまめ

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    10月のイベントで発行予定の同僚水本のサンプルになります

    おれとみずきの夏休み 不意に鳴り響き出した蝉の声に顔をあげた俺は、視界の端に、網を持って走る子供とその後を駆け足でついて行く父親の姿を見た。
     あぁ、そういえばもう世間では夏休みが始まっているのか。そんな事に気付いてしまっただけで、ぶわりと額に汗が噴き出す。短く刈り上げた襟足から玉になった汗がぱたぱたと音をたててシャツに染みをつくるが、会社を出た時からすでに汗を吸った生地では目立ちようも無いというものだ。
     今が一番太陽も高く昇る時間帯では公園を利用する人影も無く、俺は唯一木陰差すベンチに腰を下ろし、手にした買ったばかりのお茶のキャップを捻って一気に中身を飲み干した。
    「あーっ」
     沁みる。
     汗で干からびた細胞ひとつひとつに冷えた水分が行き渡っていく感覚は、まさに生き返る思いの一言に尽きる。
     首筋を伝う汗をタオルハンカチで拭い、ベンチに背を預けて見上げた空は抜けるように雲一つない青空で、俺はその青さに幼少の頃に出会った一人の少年を思い出すのだ。

     あれは、小学校も三年に上がった歳の夏休みだった。母の出産が近づき、忙しくなるのが目に見えていたが為に、俺は夏休みの間一人で、父の親戚の家で世話になる事が決まっていた。
     親戚の家は、船で向かう必要がある離島だ。迎えに漁船を出してくれた叔父さんの顔は陽でよく焼けており、着替えや宿題でパンパンに膨らんだ俺の荷物を代わりに持ってくれながら、デカくなったなぁと笑って頭を撫でてくれたのが無性に気恥ずかしかった覚えがある。
    「今日から夏休みの間だけは、お前さんは俺の息子だ!遠慮なんかしたら承知しねぇからな!」
    「兄さん…夏休みの間もこの子は俺の息子ですよ…変な事吹き込まないでくださいね…」
    「島育ちのくせにいまだ船酔いする野郎が生意気言ってら」
     船に揺られ、酷い顔色でシートにぐったりと沈む父を叔父さんと一緒に笑って見ていた俺だったが、一月も両親と離れてしまう事に不安が無かったわけでは無い。だが船が波をきって海面を走る姿を目の当たりにしてしまえば、自力で戻る事の難しさをどうしたって理解するしかなかっただけだ。
     港に着けば、両腕を広げた大きさの横断幕を掲げて俺を出迎えてくれた叔母さんに揉みくちゃにされる程の歓待を受けた驚きと照れもあって、名前を聞かれただけなのにろくに答える事も出来ず、「お、俺…っ、」と口篭ってしまったが為に、俺のあだ名は「俺くん」になってしまったのだけが今思い返しても遺憾でしかない。そもそも、叔父も叔母も赤ん坊の頃から俺の事を知っているのだから今更自己紹介の必要性など無かっただろうに、それを親族の集まりで突っ込めば、頑張って名前を言おうとする姿が可愛くてつい等と笑って言ってくるような彼等だ。親族の中での俺の苦労も分かるだろう。
     叔父さんの家は、島で唯一の宿泊施設となる民宿を営んでいる。風呂は温泉をひいているため宿泊客以外に島民もよく利用するらしく、人の出入りが多いんだと教えられた。
     多いとは言え、島民自体の人口はそれ程では無い。帰る頃には全員と顔見知りになっちまってるよと言われたが、人見知りの気がある自分には、何とも余計な一言である。
    「島にも子供は何人かいるが…俺くんと歳が近いって言や水木の坊か?」
    「今年三年に上がったって言ってたはずだから、多分ね」
     与えられたイチゴ味の硬いかき氷を木の匙で削る俺の頭上で交わされた二人の会話を聞くともなく聞きながら、俺は、この島のどこかに居る自分と同い年の水木という少年の名前を、何の気はなく、頭の片隅に刻んでいた。

     島の朝は早い。殊更、叔父さんの家で飼ってる鶏など太陽が昇る前に元気よく鳴き出すものだから、俺は跳ねるように起き出し、朝の漁を終えた叔父さんに連れられラジオ体操に参加させられる事になってしまった。叔母さん手製のスタンプカードまで手渡されてしまえば逃げ場は無い。スタンプが一杯になればおばちゃんから俺くんにいい物をあげますと言われた事に釣られたわけでは無いが、このカードがスタンプで埋まるのは楽しそうだと思ったのは確かだ。
     小学生の夏休みなんて、宿題以外にやる事はただひたすら遊びまくるしかないと考えていた俺は、朝ごはんを食べ終わるとすぐに外へと飛び出していた。
     叔父さんにはトンネルを越えた山向こうには行くなと言われはしたが、言ってしまえば注意はそれだけだ。馬鹿では無いつもりなので、一人きりで川や海に近づく事はないが、毎日毎日虫取りだけではやはり飽きがくる。
     今日は、昨日見つけた山の中腹にある神社にでも行ってみようか。遠くから、緑に映える朱色の鳥居が見えていて、近づいてみると長い石段が上へ上へと伸びてはいたが、肝心の社はちらりとも見えはしなかったのがひどく興味を誘うのだ。
     虫取り網をぶんぶんと振りながら、鳥居の見える山へと向かう。途中、風呂を入りによく民宿へとやってくる島民とすれ違う度に今日は何処で遊ぶんだと聞かれ、言葉少なではあるが山の神社とだけ答えれば、みな妙な表情をしながら気をつけろよと言ってくるのが不思議だった。
    「あそこは鬼の子が住んどると言われとるからの」
    「鬼の子?」
     探索するなら行動食が必要だと思い立ち、道すがらにある駄菓子屋に寄れば、そこの婆さんが皺の寄った眦を下げながらそうじゃよと頷いてみせる。
    「白い髪に赤目の、鬼の子じゃ。こっちが悪さをしなきゃ、何もしてこん」
     儂が子供の頃からずっとあの山で生きとる、主様のような子じゃからの。お会いする事があれば、これを渡してご挨拶するといい。
     そう言ってずっしりとした大福が二つ入ったパックを持たされた俺は、それをリュックに詰め、いざ先の見えない石段へと足をかけた。
     鬼の子の話は、正直、信じてはいない。婆さんが子供だった頃から生きてるとか、流石に話を盛り過ぎだろうと思ったからだ。大福も、後で腹拵えに食べてしまおう。
     そんな事を考えながら、鬱蒼と茂る木々の影が落ちる石段を一段一段踏み外さないよう慎重に登っていくと、途中に、休憩が出来るようなベンチが現れた。

     そこに、腰を下ろしてこちらを見ている子供が一人、居た。

    「ひっ、」
     鬼の子、という婆さんの言葉を思い出し、変な声が出た。
    「あ?…何やってんだお前、こんなとこで」
     麦わら帽子を被り、白い半袖シャツに半ズボン姿の子供が、そう言いながら立ち上がる。驚きで硬直し、動けずに黙り込んでいる俺に不思議そうに小首を傾げながら近づいてきたかと思えば、伸ばされた腕が頬に触れてきた。
    「熱っ、顔がすげぇ赤いからもしかしてって思ったけど、お前、何も飲まずにここまで登ってきたのか?水筒は?」
    「あ、あるっ、一応…」
    「よしっ、ほらそこ座って飲め」
     日射病は怖いんだぞと、俺の腕を引いてベンチまで連れて行ったその子は、自身の麦わら帽子を脱ぐと、それを俺の頭に被せてきた。
    「あ…黒い…」
    「あ?」
     麦わら帽子の下に隠れていた髪の色は、当然ではあるが鬼の子の特徴である白髪などではなく、しっとりとした艶に輝く黒髪で、俺に向けられた目も、赤くは無い。
    「ご、ごめんっ、駄菓子屋のばあちゃんが、ここには鬼の子が居るっていうからっ、」
    「鬼の子って…ははっ、なんだお前そればあちゃんに揶揄われただけだぞっ!」
    「えっ、えっ!?」
    「白い髪で、赤い目の子供とか言われなかったか?」
    「うん」
    「ははっ、そりゃここの神社の息子の、ゲゲ郎の事だ」
    「じん、じゃの…むすこ?」
     面白げに笑い過ぎて涙を滲ませた子供が、呆然と呟く俺に頷いてみせる。
    「俺の友達だよ、歳は向こうの方が上だけどな。人見知りが激し過ぎて、あんま友達居ないんだあいつ」
     駄菓子屋にはアイス食いによく行くぜ?と言われ、俺は悪戯が成功した悪餓鬼の様に笑う婆さんの顔が脳裏に過ぎり、思わず、ろくでもねぇーっ!と叫んでしまった。
    「鬼の子にあったら、大福を渡してくれって言って持たせたくせにっ!」
    「そうなのか?多分それ、ゲゲ郎に友達作らせようってばあちゃんなりに考えた作戦なんじゃないか?」
     でもあいつ、今忙しくて外に出てこないから、持ってっても無駄になっちまうけどな。
     などと言われ、俺はリュックから大福のパックを取り出すと、封をきって隣りに差し出した。
    「なに」
    「一個やる。持って帰っても、二つも食ったら夜ご飯食えなくなるし」
     一日置いても食えない事はないだろうが、確実に餅は固くなってしまうだろう。ならば食いもんは美味いうちに食ってしまうのが一番だ。
    「ゲゲ郎にバレたら怒られそうだな俺」
     と言いつつ大福に手を伸ばした子供は、いただきますとありがとうの礼を口にしてから、顔に似合わず豪快に、大口を開けて大福に齧り付いた。
     うまいと、頬張った大福に表情を和らげる子供につられ、俺も一口齧り付く。塩っぽい豆と甘いあんこが丁度良く、確かにうまい。
     しばらくの間、二人並んでベンチに腰を下ろしながら無心で大福を頬張っていると、粉で口周りを白く染めた子供がじっと俺の顔を覗き込んできているのをその強い視線で感じ取った俺は、それに訝しげな顔で返した。
    「お前、民宿のおじさんのとこに来てる『俺くん』だろ」
    「そう、だけど」
     何で面識の無いやつにまで俺のあだ名が知られているのか恥ずかしさを感じつつも肯定すれば、俺の母さんがおばさんから聞いた特徴と一緒だったからもしかしてって思ったんだよなと得意気に笑う子供は、そう言うと、粉を払った手を差し出してきた。
    「俺は水木、よろしくな」

     ニッと笑った子供、水木との、これが初めての出会いだった。
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