撻長賭郎会員権を賭けた場で提案された両者合意のゲームがテキサスホールデムと聞いて拍子抜けしてしまった。
公平性を期し賭郎に介入させ、フリーの立会人を指定までしたというのに、と思うのはもう立会人たる性(さが)に染まっている証拠だろうか。
当然、会員の身であれば賭郎会員権の数の少なさと希少性というものは理解しているだろう。ならば、このゲームは会員にとって楽勝だと思えるもので、会員にとって権利を賭けてもいいと思えるほどの掛け金がテーブルに載せられて、そのいずれか両方かといった所だろう。
現場への到着までに得られた今回のその会員のゲーム相手の情報は乏しく、性別とおおよその年齢と出された賭け金の総内訳くらいなものだった。確かに、国内でも指折りとされる会員側のその総資産の八割に匹敵する価値のものが載せられている。
疑問が涌いた。これがたとえ全財産だったとして、この額、この価値の資産を持つ人間を賭郎がノーマークでいるのだろうか?経歴も何もが未だ不明のこの野良の男について真鍋が知れる事はない。賭郎側にも情報がないのか、伏せられているのか―――
「真鍋立会人。到着しました。」
後部座席と内部の無線との連絡を兼ねた声で書類から顔を上げる。座席によりかかり開いていた襟を締め、地面に足を降ろした。
既に招集済であった黒服に先導されトランプ等の道具類を受け取りながら通路を進んだ。派手な扉の向こうには薄く赤い布が張られた天蓋に外界とを遮断されたポーカーテーブルがある。
中にいる人物らは真鍋の到着に気が付いているようだったが、天蓋の中への入室の声は聞こえない。
「到着が遅れました。賭郎弐拾九號立会人、真鍋匠です」
「いやいやいつもながら迅速な対応で助かる。どうぞ中へ。」
会員の声は浮かれていた。書面にあった賭け金の総額を思い出し、あれだけの額の資産があってもまだ浮かれるのだな、と感心した。
「失礼します。」
黒服が割り開いた天蓋の布をくぐり中に入る。二人分の香水が混じり、無意識だろう興奮の熱がそれを温めてむっとした空気になっている。
あまり心地よいものではない空間だと思った時につい伏せてしまった目をどうにか開き、それから目を見張った。
下げていた視線に割り込んできたのはストレートチップのつま先。それからスラックスに包まれた長い脚、それから―――
「弐拾九號か。今日はよろしく。」
縫い目だらけの右手の指が、緑のマットを叩いた。
*
「オールイン」
「は…?」
確かにそうとも言いたくなるだろう。場に出ているカードは2枚、絵札もない。数字も揃っていない。それでも”奴”は無造作にチップを前に出した。
「いやいや、やけに乗せると思ったが…あまり得意ではなかったかな?そちらが踏み込んだ世界はハッタリや運だけでやっていける世界ではないんですよ?」
「なるほど怖い世界だ…しかしもう出したチップはひっこめるつもりもない。是非受けてくれ」
いやいや、と会員は食い下がる。手元のチップはもうかなり削られているから焦っているのだろう、視線が何度も手元と場のカードを往復している。
降りるときは降り、食えるときは食う。”奴”の事を少しでも知っていればそんな事を繰り返すのは遊んでいる以外の何事でもない。
フラッシュやツーペアで喜んでいる様をわざとらしく見せているのも滑稽だった。第一、この会員もどうかしている。手札が良い時には流し、手札が悪い時にこそレイズするのなんて基本中の基本だと言うのに、見事にハメられている。第一この風体の人間をどうして甘く見ることができるのか。それが不思議でたまらない。どう甘く見たってカタギではないだろうに。
「ストレートフラッシュ」
ほら見ろ、と言いたかった。”奴”の手元には同一スートであるハートのA・3・4。場にもハートの2と5。十分に予想出来たことだ。
開けられたカードに相手は脱力した。相手の手から落ちたのはハート以外の3が三枚。フォー・オブ・ア・カインドは狙えない。狙えたとしても、どのみち勝負は決まっていた。
立会人となってから、他人の人生の終わりを死後の姿以外で目にする事が多くなったように思う。
”奴”はつまらないゲームであったことを隠しもしない顔で椅子ごとこちらに向き直った。
「格好はつかなかったが、勝ちは勝ちだ。そうだろ立会人」
「…この勝負、切間撻器様の勝利です。」
まず、元・会員の背後に積まれていたキャッシュの入ったアタッシュケースが黒服により移動させられる。放心したままの元・会員は置き去りに、黒服から回されてくる権利書類の束をテーブルに置いた。
「賭け金として出されていた権利類の移譲処理を致します。サインを。」
面倒だからシャチハタでいいか?という声に首を横に振る。それが通用しないという事も当然分かっているだろうに本当にどこまでも面倒だ。
「あいつの生命など息子の学費にもならん。命は賭けさせてないからさっさと捨てて来てくれ」
はい、と返事をしてしまったのは古参の黒服だった。命令でしかなかった新規会員からのそれを黒服が聞く義務などはない。つい反射的なものが出てしまったのだろう。
何のひっかかりもなく慣れた調子で左手でサインをし早々に書類を返される。ひとつも乱れのないコピーでもしたような精度のサインが一枚ずつすべてに書かれていた。
「さてこれで俺も賭郎会員か。かわいい息子に使われてやろう」
数時間とも言えないような時間で手にした莫大な資産をなんでもないように人の手に任せ、”奴”…切間撻器は悠々と立ち上がった。
「真鍋匠。 お前が俺の専属立会人というわけだ。」
そこでようやくハっとした。撻器はこの場で会員になった。つまり、接触した立会人の第一号は自分だ。
真鍋は渋々と懐から革のケースを取り出し、そこから黒地のカードを取り出した。
「…賭郎弐拾九號立会人、真鍋匠です。以後、お見知りおきを…」
撻器はそれを嬉しそうに受け取った。表も裏も舐めるように眺め、自分のスーツの胸に仕舞う。
「弐拾九號か、まあ悪くはない位置だ。あまり無為に消費されてくれるなよ。」
テーブルに腰を預けるその体は、実在している。手は縫い痕でめちゃくちゃになり首には落とされかけでもしたかのような傷跡がある。それでも、きちんと生きている。「今、フリーなんだって?」
「…切間、撻器」
「ん?何だ真鍋匠。デートにでも行くか?」
腰を撫でる手に咄嗟に拳が出た。
思いがけず綺麗に入ったそれと、笑った風な調子で聞こえて来た「ぐはあ」の声にその生が現実であるというのをようやく受け入れた。