植物標本とハーバリウムに勤しむジェイ監 白く空を覆う曇の隙間から、時折太陽が顔を覗かせる。
昨日は気温が高かったが、今日は少し冷えているようだ。細雪はキラキラと光を反射しながら真っ直ぐ地面を目指している。
ここ最近降り積もった雪がくたりと滑らかに溶けた姿のまま冷えて、革靴で踏めば氷の粒を孕んだそれがさくと小気味いい音を立てた。冬靴ではないので滑りそうなものだが、制服姿のジェイドは乾いた地面の時と同じ速度でオンボロ寮へと向かっていた。
二週間ほど前、ジェイドはウィンターホリデーで帰省する寮生をアズールやフロイドと見送った際、見送りチェックに駆り出されていた監督生と少しだけ話をした。
「監督生さん、ホリデー中はなにを?」
「ほとんどが課題や大掃除とかですねぇ。模様替えしたいし、なにかおしゃれなインテリアでも買いに行きたいです」
「あぁ、フロイドが靴を買いに行きたいと言っていたので、来週三人で街に降りる予定でいます。都合が合うのなら、監督生さんとグリムくんも一緒にいかがですか?」
「いいですね!先輩も靴を?」
「いえ、僕は植物標本に使う材料を買いに」
冬場は空気が乾燥するから標本を作るにはいい季節なんですと言えば、「それ、自分にもできますかね?」とどこかそわそわした様子でこちらを見上げてくる。
「おや、ご興味が?」
「大いにあります。壁に飾れるようなものも、アクリルに閉じ込めたみたいなのもありますよね」
「お暇なら一緒に作りますか?」
そう約束をした翌週にみんなで街におりて、こうして今、ジェイドは諸々の材料を手にオンボロ寮にやってきた。
一緒に植物標本をとは言ったが、街におりた時ハーバリウムを穴が空くほど見つめていたからその材料も持ってきた。ドライフラワーは準備出来なかったけれど、標本に使う中にも鮮やかなものはあるので大丈夫だろう。
触れればひやりと手のひらに冷たさが染みる鉄柵を押し、オンボロ寮敷地内へと足を踏み入れる。人通りがほぼ皆無に等しいせいで、まだ雪がこんもりと残っていた。廃墟じみた外観のせいで物寂しさはあるものの、ところどころに小さな雪だるまやかなり小振りサイズのかまくら、それから色水で作られたのだろう謎の石像が点在していて、オンボロ寮の二人がそれなりに二人のホリデーを楽しんでいるのが分かる。
人一人分程度に雪を避けた石段を昇りきると、潮の香りが強くなる。肺いっぱいに故郷を彷彿とさせる冷えた空気と潮の香り、それから薪の燃える匂いを吸い込んで、談話室があるだろう窓へと視線を向けた。
古めかしいカーテンの向こうに、気の良いゴーストたちの白い影が漂うのが見えた。なんとなく、あの談話室の暖炉の炎は暖かいんだろうなと、寒くもないのに想いを馳せてしまう。今ならキャンプで延々と焚き火を眺め続ける人間の気持ちが分かるような気がする。まぁ、あくまでも気がするだけ、なのだけど。
思ったよりも冷えていたようで、ノッカーを握り込めば革手袋がぎしりと鳴った。
寮内どこにいても聞こえるよう細工が施されているそれを軽く三回叩き終わるより先に、パタパタと駆け寄ってくる靴音が。
「こんにちは、ジェイド先輩」
解錠の音と蝶番の軋む音を響かせながら、監督生が顔を覗かせる。吹き抜ける風で前髪が捲れてまるい額が露になったのを見て、ジェイドは目元を和らげた。
談話室に通されると、思った通り暖炉の炎が揺らめいていた。そこまで大きくはない炎で室内が快適なのは、魔力を持たない監督生が寒さに凍えないため魔法が施されているからだろう。
暖炉の前に置かれた一人用のソファーの上に、ぽつんと毛玉が乗っている。猫でも狸でもないと言う割にはしっかり猫のように丸くなっている魔獣は、ぐうぐうという鼾の合間になにやら寝言を言っているようだ。少し興味を引かれて身体を屈めてじっと眺めていると、自分の手をもぐもぐしながら「まずい」と顰めっ面をした。
「グリムくんが自分の手を食べてます」
「たまにやるんです」
キッチンの方から笑いながら戻ってきた監督生は、トレイにティーセットを乗せていた。ずっと前に麓の街の店で見つけたというそれは、高価なものではないが監督生のお気に入りだ。ジェイド曰く「苔の色」のそれはオンボロ寮のカーテンと同色で、年頃の人間が選ぶにしては地味すぎる。こういう方がいいのでは?と私物のティーセットを持参したことがあるが、逆に上品すぎてオンボロ寮には似合わなかった。
紅茶の淹れ方も雑だなとは思ったが、ここはオンボロ寮だ。この場所に住まう彼らがそれでいいというのであれば、いいのだろう。なので要望があったときだけジェイドは紅茶を淹れている。あくまでも自分は客人なのだ。
「……これは誰かにいただいたものですか?」
暖炉に近い壁に、麻紐で吊られたドライフラワーを見つけた。ずいぶんとうまく水分が抜けたらしいそれと、一緒に吊るされているサテンのリボン。花を贈られるようななにかがあっただろうかと思考を巡らせるが、なにも思い付かなかった。
「違いますよ。それ、ジェイド先輩たちのお誕生日の時のです」
「僕たちの?」
どうやらバースデーパーティーで飾っていた花をもらっていたらしい。ゴミが多いと嘆くアズールに少し分けて貰ったのだというそれは、なるほど、確かにリボンには金色で『モストロ・ラウンジ』の文字が。記憶を辿ればパーティーの際、ラウンジの入り口に飾られていたものに似ている気がする。
ジェイドは一度リボンを指で撫で、それから「外しても?」
と監督生を振り返った。射し込む冬の陽射しが柔らかく監督生の輪郭を浮かび上がらせている。ワイシャツと黒いスラックス。水色のエプロンが何故かやけに目に沁みた。
「いいですけど、それも標本に?」
「いいえ。ハーバリウムに」
並べられていく食器が立てる小さな音に混ざり、「ハーバリウム」と呟きが聞こえる。少し考えるような仕草をしてから、
「あの、なんかの液体とお花のおしゃれなやつですか?」
「そうです。ふふ、なんかの液体とお花のおしゃれなやつです」
鸚鵡返しにしながら外したドライフラワーを抱えてテーブルへと向かえば、ほんのりと耳の赤い監督生が。光に透けているせいで、笑ってしまうくらいに赤い。
「街に降りたとき、ずっと見ていたでしょう?標本より色があるのでお好きかと思いまして」
「それ、作ったは良いけどどうしようかなって思ってたんです。そのまま飾っててもいいけど、埃とかついちゃいそうで」
「良いタイミングでしたね」
こぽこぽと琥珀色の液体が注がれる。茶器の色と相まって小さなテラリウムのようだ。今度柄の先端にキノコのついたティースプーンでも探してみようか、なんて考えながら席に着くと同時にかちゃりと紅茶が置かれた。
監督生が動く度に紅茶の香りがする。立ち上る湯気をその身に浴びて纏ったのだろう。
「リボン入れても大丈夫かな……」
ジェイドの正面に腰掛けながら、テーブルの端に置かれたドライフラワーを見つめる。そんな監督生と同じように目線を動かし、ジェイドの大きな手がその一房を手に取った。指先で捏ねるようにくるくる回すと、かさこそと枯れた草の音がする。
「水と金属以外なら大丈夫みたいです」
「じゃあ先輩たちから贈られた感じで作っちゃおう」
「おやおや、僕らから枯れない花を贈られるなんて貴方はただ者ではありませんね」
「ふふふ、泣く子も黙るオンボロ寮の監督生です」
「あの悪名高い?」
「悪名高いのは先輩たちですよ」
「おや、有名すぎてすみません」
こうして雑談しながら植物標本に使うもの、ハーバリウムに使うものとを選り分けていく。指先で回していたあのドライフラワーはジェイドの手を離れ、今は監督生の手の中にある。先ほどのジェイドと同じようにくるくると回しているのがなんだか可笑しかった。
「さて、始めますか」
「そうですね。よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
律儀に頭を下げる監督生にくつくつと喉の奥で笑いながら、ジェイドも居住まいを正して頭を下げた。
ぱちり、と。
薪の弾ける音がした。
とさり、と。
屋根の雪が落ちた音がした。
耳慣れない音だなと目線を上げれば、俯いて作業する監督生が見えて一瞬おや?と思ってしまった。ここは、そうだ、オンボロ寮だった。
思ったより作業に没頭していたらしく自室だと脳が勘違いしていたようだ。姿勢はそのままにぐるりと目線を巡らせれば、窓から入る日差しで空気中の埃がきらきらとしていた。
監督生は、ジェイドの視線に気付かない。
盗み見る程度ではなく、じっと見つめているのに気付かないほど集中しているのだろう。目の前の作業に没頭できるほど、ジェイドに対して警戒していない証拠だ。まぁ、例えここにいるのがジェイドじゃなくても同じなのだろうけど。
そんなに大きくはないテーブルだから、少し肘を伸ばせば慎重に作業する小さな手に届く。驚かせてやろうか。悪戯心が首をもたげたが、子供みたいだと思ってやめた。
なんとなく心が穏やかなのは、作業のせいもあるがこの部屋の雰囲気がそうさせるのだろう。
ひどくゆっくりと、優しく柔らかく時間が流れているようだ。丸くなっているグリムの鼾、どこかから聞こえるゴーストたちの話し声、暖炉の薪が弾ける音、耳を澄ませば微かな潮騒。
室内のカーテンも壁紙も家具も年季は入っているが手入れが行き届いているため埃っぽさはない。セピアの世界に差し込む日差しは柔らかい。
どれもこれも、海中のオクタヴィネル寮とは程遠い。この場所でしか味わえないものだ。馴染みのない場所は落ち着かないこともあるとは言うが、オンボロ寮は妙に落ち着く。
瞬く度に、視界の端で炎がちらつく。中心のオレンジが琥珀のように美しい。
どう生きてくれば、こんなにも生ぬるい退屈さを優しく美しいものにした空間を作り上げることができるのだろう。
閉じ込めたのなら、分かるのだろうか。
余すことなく隅々まで観察したら、この人間の内側が。
(琥珀がいい)
どうせなら、この空間のセピアと自分の金目に近い琥珀がいい。だけどそれだとフロイドの色でもあると思い至り、少し心が蔭ってしまった。そんな自分に小さく笑う。なにを考えているんだろう。
「ジェイド先輩!」
あがった声とともに腕をぱちぱち叩かれて、強制的に現実に戻される。続いて「見てください!」と弾む声が。腕を掴む小さな手、細い腕、頼りない肩へとゆるりと視線を動かせば、
「まるで水の中みたいになりました!」
小さな気泡が幾つも浮かぶそれを掲げ、真冬の陽射しを浴びて煌めく笑顔。
瞬間、迸るスパークに脳を焼かれた。
こんなにも強く、そして鮮やかに奪うなんて。
「……ひどい」
「え!?」
「酷い出来です。しかしそれがまた癖になりそうですね」
掲げられたそれをひょいと取り上げ監督生の手が届かない高さで手離せば、支えもなく独りでにくるくると回りだす。乱反射する光にふぅと軽く息を吹き掛け魔法を混ぜると呆然としていた顔にまた笑顔が。浮かせたそれは柔らかな光を放ちながら空気を紗のように纏い、緩やかに舞い続ける。
「きれい」
ほぅと溜め息とともに吐き出された言葉に肩を竦めた。
「よく言われます」
「あ、いえ、あの、ジェイド先輩も綺麗ですけど、魔法がですよ」
「僕が綺麗なので魔法も綺麗なんです」
「そういうもんですか?」
「そういうもんです」
無茶苦茶な理論にそっかぁと歯を見せ、肩を揺らして笑う。つられてジェイドも笑ってしまった。
小さく弾ける暖炉の炎。窓の向こうに垂れ下がる氷柱。冷めてしまった紅茶。机に散らかる乾いた植物。弾けるような笑い声。
この空間は美しい。琥珀に閉じ込めても飽くことなく眺めていられる。だけどどうせなら長いだろう人生の通過点を切り取るのではなく、最終地点を閉じ込めたい。